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弘ちゃんは生きている(47)木村徳太郎作(未完)
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桐久保さん宅を出て、県道に来ると、弘が梶野先生を待っていた。コップ二杯のビールで、目のふちを赤らめた梶野先生は弘を見て少しばつが悪そうだ。
並んで自転車を走らせて、五分もかからずに弘の家につく。
家の表で、弘の父が自転車の荷物台にくくり付けた籠に、空き瓶を放り込んでいた。
「待ってましたんやが見えんので、先に米の配給所まで行って来ようと思ってたところでした」
と、父は籠に空き瓶を放り込むのをやめて言った。
「出かけられるところを悪いですね。また後で来ましょうか」
米の配給所で酒を売っている。相変らず酒を飲んでいて酒を買いに行くのかと、とっさにそのように思った梶野先生に
「空き瓶を売りにいきますのんや」
と、父親は思いがけない事を言う。
「へえっ」
梶野先生は意味が分からない。その納得の行かなさそうな梶野先生に
「明日、学校に持たせてやる金がないので、空き瓶を売って百円の金を作くりますんや」
卑屈めいたところもなく、しゃしゃと言う弘の父。
「学校へ持って行くお金と言いますと」
「算数のけいこ帳の代金六十五円を、まだ持ってこないのはおまえだけやと、弘が言いよります」
算数の練習帳とは、先日、学級の児童に購入させたワークブックのことだろう。代金は係りの学童が集めて先生に渡すことに成っている。
他にもまだ払っていない学童もあるだろうに、気の弱い弘に清算の出来ない不満を、会計係の安達君がぶちまけたと見える。
父親が空き瓶を売って、金をこしらえようとするのを見て、六五円のワークブック代でも、家庭の大きい負担になることを知って梶野先生はすまない思いをした。
「月末までで良いのですよ」
同じ事を学童全部にも言ってあったはずだ。
「明日、どうしても持って行かねばいけないと言いよります」
「良いですよ。係りの子に行っておきましょう」
それを聞いて弘の父は、ほっと安心した様子で、
「月末なら、稼ぎ賃の勘定が貰えて、払いも出来ますが、月の半ばは金なしでとんだ恥じをかくというものです」
と言うがあまり恥かしげもない。言ったあとで大声で笑って、荷物台から籠ごと空き瓶を降ろして、売りに行くことをやめた。
飯米だけつくる半農家の長男の梶野先生は、一万六千円ほどのサラリーだ。それで、両親と弟妹の五人暮らしなので家計は豊かでない。暮らしの苦しさを梶野先生も良く知っているが、父親の遣り繰りを見ると梶野先生のほうが結構な身分だといえる。おまけに、それを苦にもしていないようすで、あけすけに素直に話す明るい顔を見ていると、梶野先生は逆に励まされているような気持になって家の中に入った。
弘をいじめる後妻の、おっ母が真珠玉の糸通しの内職をやっていた。
「とりちらかして、上がってもいただけません。ここで我慢を願います」
長火鉢の横に、弘が持ってきた綿のはみだした座布団を置くと、父親はゴム長靴をぬぎ、長火鉢の向こう側に座って、
「お菓子を買ってこい」と、弘に言いつけた。
「どんなんや」
「上等のうまいのを買ってこい」
「お金は?」
「あほ。つけておいてもろたらええ」
いまだに、購入物は盆と正月に勘定をして払う二回払いの風習が続いていて、いつもは現金を払わないでつけでの買い物だ。
目の前でやりとりしている弘と父親の様子で、梶野先生は自分をもてなす菓子だろうと思い、断わりを言いかけた。が、それよりも早く
「よっしゃ」
元気の良い返事をして、土間に掛けてある大福帳を持つと弘が表に飛びだした。
梶野先生は父親のあけすけな言葉に
「菓子よりうまい物がありますよ」と、表に出て荷物台から、粉川君の家でもらった新聞包みを、気安く取って来た。
「粉川君ところでいただいたものです。一緒に食べませんか」
と、新聞紙を開きかけた。
「それはあきません。持ってお帰り下さい。」
一度はそう言って辞退した父親だが、
「おっ母。皿を持っといで」
と、寿司を入れるために気を配って、おっ母に言葉をかけた。
おっ母は返事をしない。黙ったまま真珠玉の糸通しをやめ、立ち上がって土間におりかけて、
「弘がお世話になりまして、有難う御座います」と、
お義理みたいにぶっきらぼうに言い、盆に茶と皿をのせて持って来た。
父親は、鉄瓶の湯を急須に注ぎ、茶の葉を入れる。
「弘君。近頃、少し元気になったように思いますね」
「そうですか。桐久保さんに自転車を買ってもらってからでしょうか」
自転車で心の紛れるものが出来たことを、弘のために父親は喜んでいる。が、二人の話を耳にしたおっ母が、
「自転車ばっかり乗って、用事が有る時に少しも、いないので困ります。先生、自転車ばかり乗っておらないで、家の用事も手伝うように言ってください。」
とがった高い声で、梶野先生に不服をうったえた。
「何を言う。珍しいものは大人でも嬉しい。子供のことや、がみがみ言うな」
梶野先生が、返事をしないさきに、弘の父がおっ母の口出しをおさえるように言った。
先生の前で、口答えはならないと見えて、おっ母も黙ってしまう。
入った茶をすすりながら、梶野先生は自転車の話をそのままに置き、
「弘君の事ではなく、近頃、桧牧区と自明区の子供たちの仲が悪くって困ります。
これについて、なにか心当りはありませんか」
と、桐久保さんに気安く聞けなかったことを、弘の父に話し掛けた。
「そうでしょう。弘も言っていましたがやっぱりね。これは子供の罪じゃなくて、大人が悪いのです」
弘の父は、問われたことは、なんでも話すのが良いと思っている。言葉を続けて
「もとは、前田から起こったことです。桐久保さんは人ごとのように知らぬ顔ですが、私は区のことを思って、前田が立木を売り、手にした金を一度に返すことは出来ないでしょうから、金に余裕のある桐久保さんが、一時立て替えて自明区の峰垣さんに払っておけば区の争いもおこらなく、こっちの方は前田からぼちぼち返却させればよいでしょうにと思うのですが」
「なるほど」
梶野先生は感心したように弘の父の言ったことにうなづく。
「始めに桧牧区が下刈りをしていたところだから、桧牧区のものやと言ったのが、峰垣さんを意地にさせたのでしょうし、争いとなったいまは、区が違うので、金で解決をつけようと言い出したのです」
弘の父は、争いが起きた事情を再び話つづけた。
「桧牧区のものか、峰垣さんのものか、よく確めておけばよかったのを、境目がはっきりしないから、桐久保さんが伐っても良いと言ったと、前田が理屈を言うばかりで弁償しようとしない。桐久保さんに責任がかかってきます。金の無い前田を相手にするより、山林家で、金持ちで、区の責任者である桐久保さんにあたった方が、峰垣さんも金がとれると思っているのでしょう」
一息にここまで話をして、茶をすすり、区民の間の争いが起こるのは、筋書きどおりだと言わんばかりに
「金がとれないので、峰垣さんが腹をたていらつく。そのあせりが、桧牧区のものに八あたりする。桧牧区のものは、境目のはっきり分からない桧だ。なにを文句をつけると、桐久保さんの尻馬に乗って自明区のものに反発をする」
学童達の感情対立の根の深さを、問題をはぐらかさず父親ははっきりと言った。
「大人の争いが、子供たちに影響しているのですね」
梶野先生もよくのみこめたふうだ。
「その通りです。大人の間がうまくいかなければ、子供に影響するのはあたりまえのことです」
学童間の争いはどうにもならぬと、弘の父は結論付けた。
「学童たちがこんなありさまだと困るのです。解決にもっていく方法はないのでしょうか」
話掛けやすさから、梶野先生は父親に再び問い掛けた。
「桧の争いが治まらない限り、子供の間でも喧嘩が続くでしょう」
「学童のことを桐久保さんに考えてもらって、桧の代金を出していただくことはできぬものでしょうか」
区のことを教師が、解決出来ないし関わりあうのも行き過ぎだ。が、梶野先生は学童の感情の対立を和らげたいと思う心がいっぱいで、つい口出しをしてしまった。
「相手が桐久保さんですから、口出しをしてつむじをまげられると仕事がもらえません。山持ちに逆らえば、百姓でない山稼ぎ人が、この村でどうして暮らしていけますか。困ったことだと思っても、黙っている方が安全です」
山持ちにさからえば、村に住みながら、居辛いことが起こると言う不安が、村人を消極的にさせている。父親もそれを案じているのだ。梶野先生は、桐久保さんは育友会の役員だから、学童のことを理解して欲しいと思う。
「桐久保さんはどうして意固地になって、放っておかれるのですか」
得心がいかないので重ねて訊ねてみた。
「先生は、何もわかっておられまへん。人の批判が悪かろうが、良かろうが、損だとなると一銭の金もだそうとしないのが、金持ち根性です。勘定に合わないことは、耳に入らない。私も永年働かせもらっていますが考えてみると、みなとられています。借りた金の利子を稼いでいるようなもんです。それが分かるのです。分かっていて、村の旦那にたてつけないのです」
弘の父は顔をゆがめて、なにかをこらえているふうだった。
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