|
弘ちゃんは生きている(38)
先ほど、教員室に来ていた弘の父はやっぱり酒の匂いをさせていたようだ。朝からコップ酒をひっかけてきたのだろう。やめられないのは世間で言うアルコール中毒なのかもしれない。が、それらしい症状のあらわれはない。
ただ、金があると気が大きくなって持金を使い果たすまで飲み歩く。それが問題なのである。
弘の家の貧しさと不和は、たしかに父の酒に原因がある。おまけに、母の気性の強さがそれを助長しているように思える。
弘の父の山を売った金でぐでんぐでんに酔っぱらった時の醜態。そのあげく夫婦喧嘩。弘の家出・・・。
弘はその時の悲しみを深く胸に刻み付けられている。その悲しみが、このような詩を書かせるのだろう。
深酒をしていない時の、弘の父は素直に人の言分を聞き、悪い人でもない。心の中に巣くっている酒の虫が酒を呑ませるのだろうと思えもする。
(お父うさんが酒をやめたら弘君も嬉しいでしょう。これから、先生と団結して、酒をやめさせる工夫をしましょう)梶野先生はそのように書き入れて本気にそう思った。
「先生は詩とか言うもん書かせて、家のことばかり調べよるように思っとりましたんやが、そやない。心配してくれていやはるんやと思っとりまんねん」と、話した弘の父親。
弘の人生を励ませ、物事を積極的にやらせる性分を作り上げるのは家庭の欠陥を少しでも埋めてやることだ。
学童をよくするために、その父兄にまで教師の思いを述べて、働きかけることは少し行き過ぎではないかとも思われもする。が、弘の父の場合は、自分からそのように話したこと、だから行き過ぎではない。温かい助言者があれば酒もやまるかも知れない。
弘の詩を、再び読み返して梶野先生は嫌がられても、それをやってみようと深く決心する。
他の父兄が評を読んだ場合、梶野先生のおせっかいを不愉快に思うかもしれない。が、弘の父が読んだ場合、なんらかの形で反応となってあらわれることを予想して評をそのままにしておいた。
(炭谷君の詩)
学校のかえり
意地悪なやつが来ると
ひとりだったらいじめられるが
僕たちが団結してかえると
じろりと横目でみるだけで
なんにもよう言わない
団結するのはよい。
(隆の詩)
毛利元就と言う士が
一本の矢だと折れやすいが
三本かためると 折れにくいと
自分の子供に教えた
団結すると強い
言っていることも分かるし児童の心もよく表れている。が、梶野先生は嫌な詩だと思った。
子供らしい溌剌さがない。自分の身を守ることばかり考えている。消極的な大人のような詩だ。子供は、いたずら者にも、積極的に付き合って行くと言う考えが欲しい
隆の詩にしてもそうだ。いつか山の中で、桐久保さんが隆と弘に団結の解釈に例話として語ったものを、詩のように見せかけての綴りごとで、子供らしい溌剌さが見受けられない。大人びて、形にはまった物解かりのよい一人間を育てるだけの器用さはあっても、大きく飛躍させる強靭な魂の持ち主に育て上げることは、これでは出来そうにもない。子供の詩には、間違いがあってもよい。真実のふくまれていることのほうがどんなにか大切だ。(常識で割り切ったことよりも、心から思ったことを大きく書きましょう)。
手早くそのように書いた。書いていて、梶野先生は何か書き足りないものを感じて、再び炭谷君の詩のほうに(相手を意地悪と決めて、対抗するよりも、お互いに仲良くして行くことの方を考えましょう)とつけ加えた。
(奥田君の詩)
桧牧区のやつらは
わるいやつらだ
そのなかでも
前田はいちばんわるい
人の山をきりよって
金をもうけよった
どろぼうとあそんだら
みんなどろぼうになるぞ
団結してどろぼうを退治しよう
苛める側と、苛められる側がある。さきの炭谷君の詩が苛められる側としたら、この詩はあきらかに苛める側のほうの詩だ。どちらにしてもこのような詩は、心の中に敵をつくって、協調していこうと言う美徳がない。
子供らしい正義感は、読む者に感じさせることができるだろうか。教育者として、奥田君の心情を正しいものと判断して、同調はしても、それをむきだしに肯定した評を書くことは失敗になるだろう。奥田君の心情に賛成の意を表しておいて、然る後、その心情を否定する事が、奥田君が将来伸びて行くための心の糧にもなるように思う。
(人の噂で一方的な考えを持つことは、良くありません。まして、どろぼうと言うらんぼうなことばは、つつしみましょう)
このような評を書き入れた。そして梶野先生は、自分自身にも、奥田君と、同じように前田朝子を、灰色の目で見ていることに気づいて、これではいけないと思いかえしてその評をいそいで、鉛筆でくろぐろと塗りつぶした。消してから、今朝校長から、「桧牧区と自明区の区民の対抗意識のくすぶりを、気づかなかったか」と問われたことを改めて思ってみる
|