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♪ 弘ちゃんは生きているを応援くださり感謝と嬉しさに、ただただ感涙で掲載を続けております。本当に有り難うございます。
鉄筆でマス目を一字一字埋め、謄写版で刷られた同人誌「お話の木集団発行」の「お話の木」に掲載されていた「弘ちゃんは生きている」の打ち込みが終わりました。ワラ半紙の紙は、赤茶け触るとポロポロと崩れていきました。
1号から「お話の木」の枝が増え16号まで発行されたようです。冊子としてきちんと残っているのでなく、あちらに、こちらにと散らばっておりました。作業は困難をきわめました。
しかし、木の枝が一本(一号)二本(二号)と繁っていくのが、父の夢を追っているようで楽しみでも有りました。
私が、木村徳太郎の作品、資料を手にしたのは、徳太郎の死後十年が過ぎておりました(2005年9月)でした。私が衝撃を受けましたのは遥か遠く(昭和30年代)に捨てた児童文学の心をもう一度、燃やそうとした形跡をそこに見つけたことです。
昭和58年に、父は私たちの近くに居を構え、そこでもう一度児童文学をやってみようとしたのではないでしょうか。地元の文房具屋さんのシールのついた原稿用紙が束になって出てきました。その一冊の中ほどまで、「弘ちゃんは生きている」の書き直しが父の右上がりの字で埋められていました。父とはさまざまな事があり近くにおりながら、距離をおいておりました。思想的、政治的、宗教的なものを書いているのは知っておりましたが、まさか児童文学を「もう一度」と思っていたとは知りませんでした。
又、私の生まれる前には、詩を北原白秋に学んでいたようです。その詩を目にするのも初めてでした。
「木村徳太郎の詩や作品をほおむらないで公開したい」と言う全く私的感情から出たブログでした。試行錯誤で歩きながら形にして行くという、読者の方々に対して、失礼な表現方法だったと思います。それにもかかわらず沢山の方々に読んでいただけ、応援をしていただけ、どんなに私は嬉しく感激したことでしょう。父も驚いている事と思います。
1号から16号までお話の木は、発行されました。(S.33年ころまで)それから数年おいて「奈良県児童文学会」発行として「子じか」の同人誌が生まれ、そこに「弘ちゃんは生きている」が発表されています。これは活版印刷で七号まで手元にあります。それから「風車」一号に変わりこれは二号で終っています。「お話の木」「子じか」「風車」それぞれ同人のメンバーは変わっております。また「お話の木」から「子じか」に代わる数年の間に何かがあったのでしょう。登場人物が名前でなくアルファベットになっております。どうしてそうなったのか、またそのあいだの話が抜けているのは(わざと抜かしているのか)。私にはその背景が子供でもあったのでよく分かりません。
ただ、私の願いは高齢にもかかわらずもう一度児童文学に足を入れようとしたその気持を形にしたいと思い、こうして少しずつ入力してまいりました。
「お話の木」は終り、これからは「子じか」に発表した物を、入力することになります。字は読みやすいものの、人物名が不明です。また長編を書きたいと思ったのでしょう。今まで入力したもので三分の一。これからが三分の一。執筆していない部分が三分の一。だと思っています。これからの三分の一は、かなり思想的なこと、時代にそぐわない不適切な表現などが多くなります。
しかしながら、皆さまにお許しを得られるなら最後までやりとおしたいと思っております。
個人の襞(ひだ)に付き合っていただくことを心苦しく思いますが、どうか御付き合いしていただければ、どんなに幸せかしれません。
また、以後は思想的な偏見?独断(それが作家の表現でも有るのですが)に不愉快なお気持をもたれる方もいらっしゃると思います。コメントに投稿するのは不適切なこともあると思います。もしお言葉をいただけるようでしたら右記のメールアドレスにご意見感想、ご指導を願えればと思います。(悪戯、迷惑メールは削除致しますので、タイトルは「弘ちゃん」でお願い致します)よろしくお願い致します。Hanahitohira06@yahoo.co.jp
原文どおりの発表ですが、未完の残り三分の一は書き加え、一つの形に出来ることを目標にしております。達成の時には冊子にし、皆さまのお手元にご迷惑でなければ貰っていただけたら、こんな嬉しいことはないと思っております。
私は「弘ちゃん」を知りません。しかし次のような詩を見つけました。
(ポスト。四,五年生)より
坪本栄昭 「ノートの表紙」
/ 弘ちゃんのそう式の時もらったノートを
今使っている
ノートの表紙には
みどりの木の中に大きな建物がある
青い空の下で子供がベンチにこしをかけ
話をしている
そばでハトが豆を食べている
あんなところが日本にあるのだろうか
あったら一度いってみたい気がする /
これは実際に詠まれた詩です。これをみると弘ちゃんは実在し、モデルの人物かと思います。
私はこの詩をよんで「じ〜〜ん」と来ました。なにかを表現し訴える、伝えたい事がある。それが創作活動だと思います。父はその表現として、弘ちゃんをモデルに、「弘ちゃんを生き返らせる」ことになにかを託くしたのではないでしょうか。
坪本君の詩にある、「ノートの表紙」。そこに弘ちゃんをみます。希望、夢をみます。
私は、父を蘇らせようとして始めたのですが、それは弘ちゃんを蘇らせる作業、そして坪本君やその当時の子供たちの心を蘇らせることではないかと思い始めました。
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