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弘ちゃんは生きている(29) 木村徳太郎作 未完
途中学校に寄ってみた。
宿直の梶野先生はいたが、弘はこないと言う。
桐久保さん宅にも来たが、やはり、弘は来ていない。
奥さんに、はっきり言われて父は不安に駆られ始めた。
桐久保さんに連いて、前田さんの所に行くどころではない。
弘の父の心配気な様子に、あわせたように自明区の峰垣さんが言ってきた伐木のことを一刻も早く、話をつけようと桐久保さんは弘の父を誘い出したものの、父の心配気な様子に前田さんのことよりも、子供の弘のことがやはり気になりだしたのだろう。
「いま時分、どこへ行ったんだろう。常から良く行く学校友達の家に心あたりがないのかい」と、弘の父に尋ねてみる。
しばらく考えてはいたものの、弘の父のにも心当たりがない。
酒の酔いもすっかりさめて、弘に自転車を買ってもやれない始末になったことが、胸をえぐられるように悔やまれ、今更のように大金を酒に変えてしまった事が残念だ。
「おっちゃんアホやな」桐久保さんから、ぼんやり事情を聞いて知ったのだろう。隆が、土間に心配気に立ったままで腰も下ろさないで弘の父を冷やかした。
隆に「アホやな」と言われても弘の父は苦笑いするだけで、答えることが出来ない。
「これ、そんなこと言って…」
桐久保さんの奥さんが横から、隆をたしなめている。たしなめて奥さんは
「隆。もういっぺん、学校に行ってきてみ」と、言いつけ、奥へ提灯を取りに行く。提灯に灯を入れてもらって受け取ると、隆は「ぼん、すんまへんな」と恐縮そうに言う弘の父の言葉に送られて暗い表に出かけた。
と、向こうから懐中電灯の灯りをつけたり、消したりしながら桐久保さんの家に通じる、野道をこっちに向かってきた人がある。隆はしばらく立ち止まって待った。
梶野先生であった。
「隆君。弘君こなかったかい」
梶野先生も隆と気づいて訪ねてきた意味をすぐに口に出して問いかけた。
「僕も先生のとこへ行こうとしとったんや」
「そう。弘君のお父(とう)さん、来たんだね」
梶野先生は桐久保さんの家の中を覗くようにして聞く。
梶野先生に従って、隆も提灯の灯りを吹き消すと家の中に引き返した。
「おう、先生…」
桐久保さんが火鉢のふちから立ち上がるようにしてかける言葉が終わらないうちに、
「弘君分りませんか。私も気になったもので心当たりを尋ねてみようと出かけてきたのですが」
梶野先生は弘の父のほうにちらりと目をやって桐久保さんに言葉をかえすと
「どうです。もう酒酔いは大丈夫ですか」
と、弘の父のほうに向かって言い、上がり口の火鉢のところに近寄る。
頭をかき照れくさそうに
「とんだ迷惑をかけまして、その上また心配をかけてすいまへん」
弘の父は素直に詫び、感謝の言葉をあらわして、
「先ほどはお邪魔しました。もう大丈夫です」と、挨拶を返す。
火鉢のところから少しずり寄った弘の父の様子に、梶野先生も火鉢のところに腰を下ろした。
「どうしたんでしょうな」
梶野先生が案じるように言ったのをきっかけに桐久保さんの奥さんも、隆も寄ってきて思い思いに心当たりを話し出した。
が、誰も弘が何処に言ったかはっきり言い切れる者はない。
駄菓子を思い出したように摘まんで、奥さんが入れる渋茶を啜るばかりで時間が過ぎていくばかりだ。
たまりかねたように梶野先生、「隆くん、先生と一緒に村を探してみよう」と立ち上がった。
「うん」
先生と一緒に行くことが隆には嬉しい。それに先生の誘い声に友達の弘を早く捜し当てたいと言う思いが胸にいっぱいにひろがってきて、弾んだ声で返事を返すと土間に下りて、玄関脇に置いた提灯にふたたび灯りを入れ始めた。
その様子に子供のことゆえ、帰えってこぬことはないだろうと思う慰め心と、何処に行ったのだろうと言う心配心とがこんがらがって、そのどちらにともけじめがつかない弘の父は、梶野先生の弘を捜しに行こうとするはっきりとした行いに、そのあいまいな心が急に弘を心配するほうにけじめをつけられて救われるようにほっとした。
それと一緒にいつか、弘の詩のことで梶野先生に注意された酒のことと、また垣内の山を分けることで前田朝子が不公平だと言ったことを権利、平等、団結と、教材に託けて教室で話したことなどから、若い梶野先生を共産党がかった先生と、なんとなく不服をもっていたが、そんなこととは別に、姿を消した受け持ちの児童の弘を案じて捜しに行こうとするてきぱきとした行いを見ると、弘の父は梶野先生への不服をさらりと忘れて、なぜか胸に感謝の気持ちがぐっとのしあがってきた。
「旦那。先生だけに心配かけとって、親のわしがぼんやりしとれまへん。前田の所へ出かけまひょ。そのついでに弘を捜してみまっさ」
感謝の気持ちが、弘の父をも奮い立たせたのに違いない。今までの煮え切らない様子が、がらりと変わったように元気に弾んだ声で桐久保さんに言い、隆と表に向った梶野先生に
「宿直で休んでいやはるのに、先生えらい迷惑かけます。ひとつよろしく頼みまっさ」と、お願いの言葉に感謝の思いを込めて言った。
梶野先生は隆の肩に手をおくと
「隆くん、出かけよう」
と、弘の父の言葉を目だけで受け取ると、懐中電灯を試みるように二、三度土間に点滅させて外へ出た。
桐久保さんの奥さんが、表まで見送った。
「じゃ、わしらも行くとしょう」
前田さんの所へ、弘の父を誘い出したつもりの桐久保さんが、今度は弘の父にさそわれたように腰を浮かした。
土間にもどって桐久保さんの奥さんが別の新しい提灯に灯りを入れている。
2006.11.17
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