来た道行く道通りゃんせ/風にのって花ひとひら

のんびりしたブログですがよろしくお願いいたします。

弘ちゃんは生きている(1)

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

(24) 木村徳太郎作
「自転車やったら、駅前の池田が一番勉強しよる。おらの親類周りになるんや。買うたっとくれ」「子供のもんでいくらほどしよるんやろか」「おらに聞いたと言っとくれ高くはとらんじゃろう」万やさんは自転車の値段が分からぬのであろう。親戚回りになる、池田自転車店にいくことばかりをすすめている。村の人は買い物の値段をとやかく言はないで、知った店で買うのが一番良いように思う風習がある。弘のお父っあんは駅前の池田自転車店に行くことにきめた。「酒を呑んでいた枡が空になる。まだ呑み足りなさそうだ。いつもなら、これで打ち切るのだが、懐中にまとまった金を持ったことのない弘のお父っあんは今日は持っている。そのことが、気を大きくさせたのだろうか、「もう一杯くれんか」缶詰の鯖が残っている。。それも一緒にかたづけてしまうと改めて酒を注文した。そのときである。垣内の歩きの前田さんが表を通りすぎかけて、「よう、どこ行きや」と、弘のお父っあんをみつけて同じように万やに入ってきた。両手に大きな風呂敷包みをさげている。「おまえこそ何処に行ってきたんや」。「買い物や」矢野さんから受け取った金で、家に必要なものでもかってきたのだろう。にこにこ笑らって、垣内の歩きをしているときと違って、常にない明るい顔をしている。弘のお父っあん横に腰をおろすと、「この前は、えらい厄介かけた。垣内の山のことで、思わん金が入りえらい助かる。それに桧までつけてもろって、そのことでおまはんにいっぺん礼をしょうと思もっとたんじゃ」。前田さんは思いがけない桧の代金まで入ったことを、この上もなく喜んでいるのだ。その言葉に弘のお父っあんは、桐久保さんの事を思い出した。そのことで桐久保さんが自明区と桧牧区のいさかいがおこらないかと、頭をいためている。それに関わりなく金をつかんだ前田さんは、そんな事を知らないだけに、とんじゃくなしに喜んでいる。それに、常日頃の貧乏暮らしが、思いがけない金がはいっただけに、いっそういろんな品物が買いたくっなって町に行って来たのだろう。二つの大きな風呂敷包みを見て、弘のお父っあんは、自分と同じような心もちなのに何か羨ましくなってきた。それで、「あの桧は峰垣さんのものか、垣内のもんかまだはっきりしない。ものいいがついたならお前はん、桧の代金は返さなければならないようなことが起きるかもしれん」と、よほど、皮肉を言ってやりたくなったが、お人よしの弘のお父っあんにはその人に面と向かってそんなことは言えない。おまけに「どうや、いっぱいつきあわんか。町へひきかえそう」と、前田さんに、お礼のために、おごらせて欲しいと言われてみると、なおさら、そのようなことは言えそうにない。何も、弘のお父っあんの力で、前田さんが余分の金が入ったのではないと言う事を良く知っているものの、そのように言われてみると、お人よしのお父っあんはすぐ有頂天になってしまって(そんな桧のこと、どちらになったところで、自分には関係が無いんだ。それで、峰垣さんのものとわかったところで、もう金に替えてしまった前田さんのこと、おそらく返しはしないだろう。呑めるときに、人間呑んどくほうが利口というもんだ)と、自分の心のけじめを、そんな風につけてしまって、「うん。おごってもらわなくとも、おれも、今日は少しもっとるんや。行くか」と、前田さんのことばに、同意してしまった。「いや、お礼におれがおごらせてもらう」言いだしたことは、実行するというふうに、気前よく前田さんは、そのように言い「おっさん。もういっぱい、ついでやってんか。それからおれにもいっぱい」と、万やの井上さんに注文する。あたらめて、牛肉の缶詰が開けられ、弘のお父っあんと、垣内の歩きの前田さんは心があったように、枡の冷酒を、ちびりちびりと呑みだしたのである。懐中にお金をもっていたので、気が大きくなったのであろう。すすめるままに枡を重ねた。弘のお父っあんの気性はいつもそうなのだが、酒の量がすぎると、持っているお金を考えもなく無駄に使ってしまう癖がある。枡をからにすると、前田さんが勘定をしはらうというのをふりきって、弘のお父っあんは懐中から、札束を取り出すと二人の勘定を気前よく払ったのである。それに気兼ねして「町へいっぱいのみに行こう。荷物は此処に預けておく」と、前田さんは万やに風呂敷包みを預け、弘のお父っあんにご馳走すべく町のほうにへ誘ったのである。その時、町の飲み屋に働いている女の人だろう、万やさんに買い物に来ていて弘のお父っあんが懐中から千円札の束をだしたのを、ちらりとみてみぬふりをしていたのを弘のお父っあんも、前田さんも、気には留めず酒のご機嫌で万やを出た。勿論、前田さんが、おごるつもりで誘ったのだが、昼の弁当の焼酎と桐久保さんでよばれたことと、そのうえに万やで呑んだ酒のいきおいで、まえださんよりも、弘のお父っあんが、こんどは自分から誘いでもしたように、先になって調子よく町に歩るきだした。気にとめなかった、さきほどの呑み屋の女の人だろう、なんとなく話かけるきっかけでも見つけでもするふうに、にこにこ笑って二人の後をおいかけてきたのである。

弘ちゃんは生きている1〜23はブックマークご挨拶にはいっています。

(23)木村徳太郎作
                ☆
「校長がかわりよる」と言う、たいへんなことを手短に話した桐久保さんが、さも言いにくそうに(はよ、手をうとかんとあかん)と、帰る間際につぶやくように言って、詳しく話せないことは、どんなことなのだろうか。山持ちちで村人の上にすわる桐久保さんの面子にかかわることなのだろうか。いつもなら、酔いがまわってきて、陽気になれるのに、そのことに心をとられる。桐久保さんの家を出た弘のお父っあんは、先刻桐久保さんがいった「なにか、ことが起こらなければよいが」との言葉に、気をとられながら歩いていたが、「どっちだっていいや。おれの知ったことじゃない」考えるのが面倒くさくなった。弘のお父っあんは、懐中の大金を、衣服の上からおさえてみて、手応えを感ずると、今度は桐久保さんのことを忘れたようにお金のことに頭を忙しく動かし始めた。(桐久保の旦那に借金はかえしたし…。お母の着物、弘の自転車、美代のシロホン…。なんぼいるやろか…。さあ、一万円もあったらたりるか。そやそや、魚屋の安達の支払いとか、米屋の支払いを合わせて二万円か…。そしたら残り二万円か。お母に一万。おらに一万の小遣いか…。)(お母には着物買うてやる。そやから、おら二万円もっとろか…。しかし、おらがもっとったら、使ってしまう。家の中のものを買うとして、お母にわたしておこか)(お母にまかせておいたら、せっかくの大金を自分が少しも楽しめんやないか)町村合併になり、垣内の山を分けられて、ここ幾日と言うもの、それをすぐ売り、金に変えることばかりを考え続けていた弘のお父っあんは、これですべてが解決という気安さと余分にもった金のおかげで、長閑な足取りで鷹揚に家をくぐった。
お母はどこに行ったのだろうか。
真珠玉の糸通しの内職の出来上がったものを、届けに出かけたのだろうか。姿がみえない。きつねつきになったお母でも、やはり家の中にいないと、話し相手がなくって手持無沙汰になる。弘のお父っあんは、懐中にお金を沢山もっているので、一刻も早く家の経済を綺麗いさっぱりとするためにお母と話したくてならない。じれったい心をおさえて、裏の井戸端で水を汲み上げた。つるべからそのままで、ごくりと飲み酒にた涸れていた、喉をうるほすと、上がりぶちの板の間に腰をおろした。しばらく待ったがお母が帰ってこない。桐久保さんに金をうけとれば、町にでかけて、弘の自転車を買ってこようと考えていた弘のお父っあんはじっとしているのが、じれったくなり、懐中から金を取り出すと家の支払いが二万円、三万円は自由になると大まかに勘定をし、二万円を誰にも気づかれないようにと、部屋の畳を少し持ち上げて、そこに納めおわると山行きの作業着をぬぎ、つぎのあたっていないカーキ色の乗馬ズボンに普段の背広の上位をひっかけてその内ポケットに三万円を折り重ねてつっこんだ。
家を空けておいたところで、日中は村では盗難に会うような事はない。永年の習慣で、入り口をあけたまま弘のお父っあんは外に出ると、たちどまってお母の姿がみえないかと、しばらくあたりを見回したがみあたらないまま、なにかに引かれるように町にむかって歩き出した。山暮らしの弘のお父っあんは、めったに町に出ない。五粁も歩かねばならないが、懐中に金をもって、買い物に行く足取りは軽い。バスにも乗らず、県道の両側の雑草に、なんとなく目をはしらせては、早春の気候を味わいつつ買い物の値段を心うちで計算しながら、約一時間半ばかりで町の入り口についた。町の入り口の顔見知りの(万や)の井上さんに、「どこ行きや」と、心安く声をかけられたので、弘のお父っあんは、酒のほてりと、歩いてきた疲れで万やの床机になんとなく腰をおろすと、「せがれに自転車買うたろうとおもって、出てきたんや。」と答え「何処で買うたら、安うしといてくれるやろか」と、四,五軒もある町の自転車屋の何処で買ったらよいか、他人の言う事を聞いて参考にしょうとたづねてみる。「ほう、えらい馬力じゃな。大分もうけとるなあ」万やの井上さんは、山を売ったとは知らない。弘のお父っあんにお世辞を言いながら、「久しぶりにどや、いっぱいつごか」それがもてなしでもあると思っているのか、酒好きの弘のお父っあんの心内をのぞくように店に並べられてある一升瓶から、一合ますに酒をいれると「今日はいい」とことわる弘のお父つあんの言葉もうけつけないで、こぼれないように腰をおろしているお父っあんのところに運ぶ。父っあんが、町に来るといつもここで一杯ひっかけるその習慣をくりかえしているのだ。このように手軽に勧められると、断りきれないのが弘のお父っあんのくせである。持ってこられた一合枡をうけとると「じゃ、魚の缶詰でも一個もらうか」と、注文する。鯖缶をさかなに一合枡で、ちびりちびりと酒をのみはじめた。

弘ちゃんは生きている 1〜22はブックマークご挨拶に入っています

(22)  木村徳太郎作
「旦那さん、えらい迷惑かけました。借金も済み、おまけにおつりの五万円ももろて、これで助かります。町村合併のおかげです」内懐中に、二つ折にして治め弘のお父っあんは上機嫌。金をうけとると弘のお父っあんは一刻も早く家に帰えりたそうで腰が落ち着かぬのだろうか。桐久保さんが入れているお茶を「旦那、もうけっこうだす。早よ帰ってほかの借金の支払いをすませ、さっぱりしとおまんねん」と、断りながら帰りかけた。その様子に、桐久保さんは「借金の払いはそうせかなくってもよい。金を持ったからって、一杯飲みたくなったのではないか。飲みたければ家にある。無駄な金は、つかわんこっちゃ」と、心配そうなようす。そのように言はれて、弘のお父っあんは、桐久保さんの意向にさからって機嫌をそんじてはいけないというふうに座敷の上がり口に腰をおろした。そのとき、隆が奥から顔を出すと、「おっちゃん、弘っちゃんも、もう帰えってきたの」とたずねながら、奥さんに指図されたのだろう、菓子器を持って弘のお父っあんの前においた。「まだ、山におって、枯れ柴運びよりまんねん」桐久保さんがいれた茶をすすりながら弘のお父っあんが答える。「鳥小屋の掃除もすんだし、宿題もしたから、僕も山にいってこよう。ね、行ってきてもいい」桐久保さんのほうに顔を向けて、承知の返事を聞こうとする。その隆の言葉に「弘ちゃんは、枯柴拾ろいして家の手伝いしよるんや。邪魔したらあかん」と、桐久保さんは言いきかせ、思い出したように言葉をつぎ、「そうそう。宿題の団結のことで、前田の子供が教室で垣内の山分けるのに、えこひいきすると言いよったんこと、ほんまか」と、聞きなおす。「もう、山で言うたやないか」二度も同じ事を聞かれて、隆は不服そうだ。そのように答えてまた、奥のほうへひきかえそうとした。と、こんどは「先生が不公平なこと、団結して交渉したらええと教えよりましたんやろ。でも、先生、なんで不公平やか、そんなこと知りよらしまへんのやろ」弘のお父っあんが、隆をひきとめるように言った。隆は弘のお父っあんまでわざわざ言いよって、大人はそんなことになぜ心をとられるのかわからないだけに少し戸惑って立ち止まる。隆が答えないで立ち止まったのをみると、「坊、つまらんこと聞いてすんまへん。坊はなんにも知らへんからよろしおますが、村のことを、先生が不公平やなんて言いよるのが、おかしおまんねん」隆にたずねたことをわびるような口調で弘のお父っあんは言うと、今度は桐久保さんのほうにむかって、「前田もつまらん奴どすな。垣内に帰ってきてわずかしかならんのに、権利だけ言い寄って。旦那にまで心配かけよって、しょうがない奴や」そのように言うことが、桐久保さんのご機嫌をとるとでも思っているのだろう。桐久保さんの顔色を伺いながら言う。弘のお父っあんが、桐久保さんに話しかけたので、隆は大人の間のわけの分からない話からのがれるように、ふたたび奥へ去りかけた。その隆に、「お母さんに言って、つまむもんと、コップに酒を入れてきてもうたり」と、桐久保さんが言いつけた。弘のお父っあんから、何か聞きたいことがあるのだろうか。それとも桐久保さん自身が、話したいことがあるのだろうか。垣内の山の話がでたので、桐久保さんは、弘のお父っあんを、少しでも長く引き止めたい様子で、その間をもたせるために酒を持ってこさせたのであろう。奥に引き返した隆が、台所にむかって、桐久保さんの意向を、大声で伝えているのが聞こえる。しばらくすると、土間から五合銚子と湯のみを二つ、丸盆にのせ奥さんが姿をあらわした。それをうけとって、桐久保さんは、一つの湯のみに酒を注ぎ、弘のお父っあんにすすめた。「旦那えらいすみまへんな」弘のお父っあんは焼酎くさい息をはきながら、すすめられるままに、湯飲みを口に持っていく。桐久保さんは弘のお父っあんが銚子に手をやって、酒を湯飲みに注ごうとするのを、断って飲まない。酒をよばれて弘のお父っあんは、いっそう桐久保さんにお愛想をとらなければいけないとでも思っているのか「前田も馬鹿なやつですが、どだい先生がなっとりまへん。近頃の若い先生は、月給とることばかり考えよって、矢野さんも山でいいよりましたように、まるで共産党だんな」と、一人でしゃべりだした。「それに、お母が、弘を寂しがらせよるのも貧乏のせいにしよって、弘が作くったと言って、詩とか言うもん、このわしに読むみくさりよりますのんや。家の中のことばかり書かしよって、旦那、このごろの教育とは、そんなもんだっか」怪我をした弘を学校に迎えに行き梶野先生から話された詩のことが、腹にすえかねるといったふうに言葉があらい。「まあ、ゆっくり話せ。先生のことは、わしも村の教育委員しとるから、よう知っとる。まだ、はっきりきまっとらんが、今度、四月になったら,校長が変わるようになっとる。今度の校長は向淵から来るんやが、昔堅気の先生やから、多少かわった教育をしてくれるやろ。少しは生徒の行儀もよくなるやろし、先生の教え方もかわるやろ」「へえっ。校長はんが、変わらはりまんのか」腹にすえかねていたことを、ぶちまけたように話し出した弘のお父っあんは、桐久保さんの話したことに腰をおられたのか、あっけにとられたようす。「まだ、はっきりせんが、だいたいきまっとるんじゃ。若い先生も行き過ぎのところはある。が、これも時世じゃろう」「時世やと、言いはりましたら、もういうことはあらしまへんけど、この時世がいつまでつづきよりまんねん」弘のお父っあんは、理屈に詰まったと言う風に言葉尻が弱く独り言のようになった。と、「それは、そうとな。前田が売った桧。あの分は自明区の峰垣が、なんか物言いをつけるように思えてならんのや。今頃こんなこと言っておかしいが、山を見に行くとき前田が西谷の本田のおじいのところにまわって話を聞いてきよった時、分からんといいよったが、もっとよく確かめておくべきやった」桐久保さんは、学校の話をすてて、考えていたことなのだろう、弘のお父っあんの言葉尻が弱くなったのを機会に、判断するために山に区切りで登ったときの事を思い出すふうに話し出す。「旦那、おらも、前田が戦災で村に帰りよったので、可哀そうやとおもって、たずねてきよったとき、分からんもの伐ってしまったらいいと、言ってしもうたが、いまになると、矢野さんにあんなに早よ、売りよるとは思わなかった」前田さんが垣内の山を分けるのに不公平だと言いながら、矢野さんに手早く売って、金をうけとったとしったいま、そのやり口がなんだか人の裏をかくように思えてならない、と言ってあの時、桐久保さんが承知してしまったことではないか。いまさら、とやかく言うことは桐久保さんの落ち度をせめるようなものではないか。弘のお父っあんは前田さんが、手早く矢野さんに売ってしまったことのほうを、せめるふうに、口をにごらせて言う。「うん。おれも、あの時、もっと考えて、たしかめておけばよかったんだが、前田の強引な、けじめのつけかたに、黙認してしまったようなことになってしまった」桐久保さんは、弘のお父っあんに、再び、酒をついでやりながら、残念そうに話すと続けて「もし、自明区の峰垣が、とやかくいってきよれば、前田にしてみれば、今さら、伐りよった桧の分の金をかえしはしないだろう」だから、どうすればよいのかと、聞き返してみたいような、桐久保さんの話なのだが、弘のお父っあんにしてみれば、常日頃、厄介になっている桐久保さんの心配を、つつくようなものと思えて、それを聞き返すだけの勇気がない。「旦那、大丈夫だっせ。どれ、おら、今日は榛原にいこうと思っとりまんので、帰らせてもらいまっさ」いつもなら、桐久保さんにとめられると、いいなりになる弘のお父っあんは、金を受け取った今、酒の勢いも手伝だっているのか、桐久保さんがまだ話したそうなようすをみて、みぬふりをしてたちあがった。それに答えるように「こんなつまらんことから、自明区と桧牧区が手違いして、校長のかわりよるいま、学校にまで影響しょるようなことがおきてはつまらん。はよ、手をうっとかんとあかん」と、桐久保さんは、ずううとさきの出来事まで、思い巡らすことができるのか、弘のお父っあんにはわからないことを独り言のようにつぶやくと、もとどおり、山持ちの旦那らしく「榛原へでかけて、無駄するんやないで。せっかくの金や。おまえさんの言うように、家の中をいっぺん明るうしたり」と、煙管をとりあげて刻み煙草を詰めながら言い、弘のお父っあんの帰りかけたのをあきらめたらしいようす。
「旦那が気にしてはる前田の分の桧のことで、何か起こりよりましたら、いつでも手伝いまっさ」と、やっと、桐久保さんから、ときはなされたように、ひきつづいて弘のお父っあんは「奥さんえらいごちそうになりまして、おじゃましました」と、土間から台所のほへ元気な声をかけ、桐久保さんに頭をさげ「おっちゃん。さいなら」と、元気に弾んだ隆の声におくられて、出口に足を運んだのである。
弘ちゃんは生きている  1〜21はブックマーク ご挨拶に入っています

(21)木村徳太郎作
春の日差しが杉の木立を漏れて、明るく暖かい。昼食をとりはじめて話し声がとぎれると、小鳥のさえずりの、その意味が分かるようにおもえるほど、山のなかは静かで、空気の流れさえ身に感じられる。その静けさに、心がどっと、とけこんで。呆けてしまいそうである。が、食べている寿司のうまさと地面を伝って聞こえてくる、矢野さんたちの伐木の音が、わずかに心をささえてくれる。山の中で、このように親子が重箱の寿司をつついていることが、常日頃のくらしには、かんがえても見れなかった楽しいことなのであったのだろう。お父っあんは煮しめを肴に焼酎を舐めるようにして飲みながら、弘と美代に目をやって嬉しそうだ。この嬉しさが、お父っあんをせっかちにさせていのだろうか、それとも焼酎の酔いのせいだろうか。「お父っあん、昼からは仕事やめて町へ行って来る。美代にシロホン、弘には自転車かってきてやろう」と、弘と美代を嬉しがらせ、「だから、ゆっくり食べ。お父っあんもゆっくり食べて、桐久保さんに行って来る。と、残りの焼酎を湯のみにあけながら言う。「うわっ。嬉しいや。おらも連れて行って」弘は口中の寿司を飲み込む、せきこんで自転車を一刻も早く買ってもらい手にしたい。言葉がもつれているが、そのように言ってみても、まだ予定の二本が残こっている。弘はそのほうに心がとられるのだろうか、それともきつねつきになったお母が心にかかるのか、「お父っつあん、もう伐らへんのけ。はよ帰ったら、お母さんが怒こりやせんか」お父っあんが仕事を切り上げて、早く家に帰る。そのことで、きつねつきになっているお母と、いさかいでもおこりはしないかと、そんなことを言ってみる。「大丈夫、こんなに寿司をつくってきよるぐらいやから、お母も機嫌がよいんやろ。なあ、美代」弘の言葉に、お父っあんは、美代のほうに冗談ごとのように問いかける。「お父っちゃん、酒ばかり飲みよるから、お母ちゃん怒りよるんや。美代は指先に付いた飯粒を、口ではらいながら、お父っつあんよりも、お母のほうがいいんだと言はぬばかりの強い口調で言う。その言葉に「おまえは、お母の子やろ。お母の味方ばかりするんやろ。お父っあん、自分の金で酒飲みよるんやないか。それがなんで悪い」お母がおれば、妹の美代にも気が弱いが、自転車を買ってもらえる今日は、お父っあんがこのうえもなく頼もしいところへ、ここはお母がいない。常日頃のうっぷんをぶちまけたように弘は美代にくってかかった。「お母に言うたる」美代の癖で、いつも言う言葉だ。弘はよけいに腹がたってくる。それと、お母のいないことがいっそう心をつのらせる。「なにおっ」兄さんらしく強い口調で言い、腰を浮かして美代につっかかっていこうとする。どうして後妻のお母のことで、このように兄妹まで感情の食い違いをさせるのかお父っあんにはわからない。いまにも喧嘩になりそうな気配に、親子三人が楽しんでいた食事の気分が、一度にぶっ壊されて、お父っあんはちよっと淋しい心もちだ。でも、喧嘩はとめねばならない。「弘、そんなことやめとき。飯食ったら早よ枯柴家に運んでおけ。お父っつあんは町に行ってくる」お父っあんは、弘にそのように指図すると、重箱の空のぶんを重ねた。「うん。枯柴運んでおく。お父っあん早よ帰えってきてや」すっかり、腹はふくれたのだろうか、残りの巻き寿司も口の中に運びながらあっさりと美代から目をそらし答えた。昼の弁当が終わり、重箱の後始末をしていた時、矢野さんの若い者たちが、やはり昼食にでもかえるのか、小鳥をひとしきり騒ぎ飛び立たせ、木立の中をこちらのほうに姿を現した。
             ☆
「昼間から、酒の匂いがするではないか」山を売った代金を桐久保さん宅にうけとりに来た弘のお父っあんに桐久保さんが言う。「へえ、山へとどけてくれよった弁当についとりましたんで…」昼間だからとて、酒をのむことを咎められる事はない。が、弘のお父っあんは、桐久保さんに、言はれることは、自分へのおもいやりと受け取って恐れ入る。「山の代金支払うが、また飲むんじゃなかろうな。なんだったらとどけさせようか」。
必ず「お母に渡しますよ。それから余分な金ができれば、一杯ぐらいひっかけます」「それが悪いんだ。そんな心がけじゃから困るんだ。この金も無かったものと思って、よけいなことに使わんことだな」桐久保さんは二つに折った、千円札の束をひろげて、もう一度あらためながら言い、十枚づつ弘のお父っあんの前にならべはじめる。「五万円、もう一度調べておくれ」。弘のお父っあんは、十枚づつを読み千円札で五十枚。五万円うけとると、桐久保さんがさしだした領収書に署名して拇印をおした。


「弘ちゃんは生きている」1〜20は ブックマーク(ご挨拶)に入っています

(20) 木村徳太郎作
お父っあんは弘の言葉に、さらに真面目な力強い顔付きになって「みんながそうやと、決めたことには、それにしたがうほうが人間の生き方として、あやまりがないんや」と投げ出すように、ぽつり言う「どこにいってもそのようにしておくとそのことで、他人さんからあいつは心がけがあるといって仲間うちとして認めてもらえるんさ」と続けて言った。おまじないの話が横に飛んでそのように難しいことをいはれてみると、弘は考えこまざるおえない。
立木を倒すときとおなじように常日頃のお父っあんに、似合わない厳しいものを弘は感じた。その厳しいいものがなんであるか弘は分からなかったが、厳しいものを感じるにつけ、なんとなく甘えたい気持ちになり、お父っあんが腰をおろした方に近よると「自転車いつ買うてくれるの」と木を売って金が入るのをぼんやり知っているだけに、それを確かめるようにたずねてみる「うん。心配せんでもええ。今日買うたる」いままでの厳しい顔つきを、自転車のことを持ち出されて、甘えられたお父っあんは、すぐに顔をほころばせると人が変わったように気がよさそうに言う。「えっ今日買ってくれるの」「少し早い目に仕事を終わってお父っあん町へ行ってくる。そして弘に、自転車を買うてきてやる」お父っあんのその言葉に弘は自転車が、今日買うってもらえるとわかると望んでいたことがはっきりと結末をつけるという心にかられて、「うれしい。お父っあん、もう仕事やめて家に帰ろうな」と、そんなことを言ってみる。お父っあんはそれを抑えるように「馬鹿な、買ったるがな。でも仕事はせなあかん。美代がもう来るじぶんやろ。昼をすませてから、そやな弘に、自転車一本。それから美代のシロホン代に一本。おっ母の着物代に一本。三本たおしてから帰えろう」と、そんな冗談ごとを言いはじめた。「なんや、まだ三本も伐るの」さきほど一本たおしたことを考えると三本も伐るとなると時間が遅くなって、今日は買うってもらえそうでなくなる。弘は不服である、弘の不服そうな顔に「三本といってもじっきや。自転車代や、シロホン代しれてる。細い木でもええもんな」お父っあんは自分にわけられた垣内の山をすでに桐久保さんに売って金に換えてあるのに、さも自分の持ち山の立木を伐って金に替えるような言い方をして、弘の心をまぎらわせるように、にやりと笑ってみせると、「自転車一台一万円。そやなあの木やったら一万円もするか、と続けていって目の前の杉の木を指さした。「なんだ、あんな細い杉か。あれが自転車の木だね美代のシロホンの杉はどれ。おっ母の…お父っあんの冗談ごとにあえて合わせて喋りかけたがやめる。おっ母に着物なんか買ってやらなくてもいい弘は思ったのだろう。弘の思いにふれることなく、お父っつあんは上機嫌で「美代のシロホンはあの杉、おっ母の着物は、さあどれにしょうかな」としばらく目で追っていたが「うん、あの木にしょう」ときめてお父っあんの冗談ごとが終わった。三本ともさきほど倒した杉の半分もない三本も伐る言うので、どんなに時間がとられるかもしれないと思っていたが、指さされた木は案外細くてすぐに伐れそうなので、弘はどんなにか喜んだ。その喜びが「おら、枯柴を括くってくる。お父っあん早く木を伐ってしもて」と立ち上がらせた。たちあがったときだ。また矢野さんのほうの分が大きな響きをたてて、一本伐りたおされた。自明垣内の山なのか、桧牧垣内のものか区切りがよくわからなかったが、前田さんのぶんとしてわけられてしまった桧に違いない。倒れる音をきいて。お父っあんは思わず「あっ、とうとうやりよった。もめなきゃいいがな…」と、妙なことを一人ごとのようにいった。その言葉に弘は、「もめなきゃいいがって、どんなこと」と、問いかえしてみた。が、お父っあんは「子供にはわからん。大人のことや。あの桧は自明垣内の峰垣のものか、桧牧垣内のもんか、はっきりせんのじゃ。だから倒してしまうと、もめるかもしれんで…」と、意味の分からない事を言い、手よきをひきよせるとこれから倒す杉の木に、うけをいれはじめた大人のことやといわれて、それ以上聞きほじくることは、お父っあんを怒らせるようなものである。こんな都合の悪い言葉はないが、いつもの習慣で、心にかかりながらも、弘は、聞きほじくることをあきらめて、枝柴作りに行った。歩きながら、さっきお父っあんが自転車の木といってゆびさした杉の木にちかづくと、矢野さんからもらったチョークをポケットからとりだし、大きく「自転車の木」とチョークをなすりつけようにして書いた。自転車を買ってもらう喜びがそのようなことをさせたのにちがいない。書いた字をながめて弘は満足そうにしばらく見てい た。
                      ☆
二本目の杉の倒れる音が聞こえて、あたりがいっそうしずかになった。しばらくして、「弁当だようー」とお父っあんの呼び声がする。藤蔓で、枯柴をくくっていた弘はその声に鼻の頭に吹き出た汗を手の甲でこすりふき、手ごろな柴束を一足肩に担ぐとお父っあんのほうに歩いた。
美代が風呂敷包みをほぐしている、枯柴を肩にしてきた弘に「えらいなあ。弘。おっ母が喜ぶっぜ。さあ、めしにしょうや」と、腰をおろして美代が風呂敷包みをほぐすのを手伝ってお父っあんがまちかねてたようにいう。「お母ちゃんが、いっしょに食べよといいよった」なるほど、美代がいうように三人分の弁当だ。包みの中から。重箱があらわれて蓋をのけると巻きずしがぎっしりとつまってある。玉子すしや鮭の薄い切り身がのっかって、三角にきられたおすしもはいっている。紅しょうがが目に沁みるように、ぷうんと香りがして、いっそう心をはずませる。「すごいや。お祭りだ」弘はにやりと笑って、お父っあんをみる。「うん」別の紙包みは焼酎だろう。サイダー瓶が紙の破れ目からみえる。お父っあんも嬉しいのだろう。喉の奥で唾を飲みこんだような返事をすると紙包みをほぐしながら「お母、えらいきげんがええんやな。めずらしいこっちゃとつぶやいてサイダーの瓶をそおっと土の上におく。その言葉に弘は今朝、狐つきだったおっ母が何時もに、似合わずこんなにごちそうを作って美代にもたせてきたことに、山の金が入るので、お母も機嫌が良んだなと思いなおせた。四重の箱の一重目には、ちくわ、こんにやく、だいこんの煮物がぎっしりとつまっている。つねにつかったこともない包装のあたらしい割り箸まで持たせてよこした、まるでお客さんにでもよばれて行ったようだ。割り箸の紙包みを破る音がご馳走をつつくまえの心をいっそう、うきうきとさせる。「お兄ちゃんは、これ。美代のはこれや」玉子の薄焼きの乗った三角寿司が余計に入いった重箱を美代は自分の方にひきつけ、海苔巻きの多くはいっ重箱を弘のほうにおしつけた。「ずるいぞ」弘とて塩鮭の切り身や玉子の薄焼きのよけいにはいったほうに心がひかれる。美代におしつけられ重箱を美代の方におしかえすと、美代がふくれてひきつけた。ほとんど三角寿司がつまっている重箱に手をのばし自分のほうにひきよせようとする「うわーん。兄ちゃんいやや」いつも母親に甘えるような声をだして、むりを通そうと重箱をしっかりおさえてつけている。母親なら美代のわがままを通させて、きっと弘をしかったであろう。が、どちらにもいいきかせるのでもなく、サイダびんを手に持ち、湯のみに焼酎を注ぎかけていた手をやすめると、お父っあんは優しく「どちらも厚かましいな。兄妹やないか。こんなにようけあるのに喧嘩せんでも食べきれん。お父っあんが分けたろ」と三角すしの少なそうなほうへ多いと思われるほうから手早く移しかえた。美代は不服そうにお父っあんの手元をみつめている。分け終わったお父っあんは「さあ足らなんだら。お父っあんのぶんも、食ったらたらええがな」と、自分の一重のぶんまで、二人の方におしやった。お父っあんのとりなしに弘は素直にうなずいておとなしくすると、海苔巻きをつまみとり、「ぽいっ」と口にほおりこむ。美代はまだ心がおさまらないのだろう。「兄ちゃんの馬鹿。家にかえったらお母にいうたる」。嫌味をいってすねながらむっとした顔付きで、お父っあんのところに手をのばして煮しめを重箱の蓋にのせ、つつきはじめた。




「弘ちやんは生きている」1〜19は ブックマーク(ご挨拶)にはいっています。


.
花ひとひら
花ひとひら
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
友だち(7)
  • あるく
  • まんまるネコ
  • 吉野の宮司
  • plo*er_*un*yama
  • ++アイサイ
  • こうげつ
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事