|
「原風景の色」 紀行
車窓に青磁色の琵琶湖が広がる。浮き寝鳥が、金銀色の漣模様の蒲団に円陣をつくっている。空は薄墨色。雲の透け目から茜色がこぼれてくる。
サークルの館外学習、「湖西・紅葉の山里の旅」へとバスは向かう。バスが進むにつれ私の心は桜色に染まっていく。先輩たちからまわされるお八つに、桜色がさらに紅を増す。
緑青色(ろくしょういろ)の沖島を背景に、赤い鳥居がみえてきた。「近江の厳島」といわれる近江最古の白鬚神社だ。長寿の神様が祭られている。大型車の頻繁に走る国道をあいだに、社(やしろ)と湖上に鳥居がある。車の途切れをぬって浜へ走る。砂浜と波は白群(びゃくぐん)色をしている。波には白雲が映つり社名も伴なって、白髪の老人を思ってしまう。
かしわ手と鈴の音が、檜皮色、弁柄色、緑青色の混色に彩られた神山に吸い込まれていく。赤色に燃えたつのはハゼの木だろうか。
お参りを終えバスは集落に入って行く。ときどき時雨が薄墨色に、赤く色づき始めた草木の葉を染めていく。この集落は、棚田百選にも選ばれた急峻の美しい棚田地区だ。路傍のお地蔵さんが微笑んで迎えてくれた。軽く頭を下げた目に薄紫色の野菊がうつる。土手にキリンソウ、ムラサキシキブ、カワラナデシコ、アザミ、ツリガネニンジン、ゲンノショウコが咲いている。それらが、黄色、濃紫色、薄紅色、薄紫色、青紫色、桃紅色と、冬枯れ色の土手を彩っている。錆色の泥田がある。冬耕された土色の田がある。刈りとった後から、稲葉が萌えでた若草色の田がある。それは、色を重ねあい幾何学模様を描いている。雲間からは時々、薄日の鴇色が加わり、点描のように朱色の柿の実を照らす。
バスは、マキノピックランドへ向かった。代赭(たいしゃ)色のメタセコイヤの並木がのびてくる。絶滅種と思われたメタセコイヤが1945年に、中国四川省で見つかり「生きた化石」と1949年には日本にも譲り受けられた。そして全国各地に植えられた。マキノの並木は「新日本街路樹百選」にも選ばれ、春は若草色、夏は千歳緑色、秋は代謝色、冬は雪色と 四季を通じて美しい。しかし、私には一本のメタセコイヤが浮かんでくる。私の生まれた同年に発見されたメタセコイヤは、1955年に私の通う小さい田舎の学校へも、運ばれてきた。運動場に隣接する神社(私の住い)との土手に植えられ、校長先生がメタセコイヤの話をして下さる。一握りの土をかぶせたとき、私の心は高鳴った。小学4年生の胸に「ロマン」という言葉が響いた。ロマンなるものを知った最初だったかもしれない。大きな大きな木になると聞いていた。しかし、その後私は村を出、半世紀ぶりに訪れたときには、小学校はなくなっていた。もちろんメタセコイヤもなかった。
時が流れ、いまは「ロマン」などというものを忘れ、錆色のようになっている私に並木のメタセコイヤが流れていく。
バスは在原の集落に入っていく。在原業平の墓へ行くのだ。在原業平は六歌仙の一人で、『伊勢物語』の主人公とも言われ、この在原の里に住んでいたらしい。山中を進んでいくと、杉朽ち葉が灰茶色に光っている。その中を常盤色に苔をつけ「走り根」がのびる。アスナロだろうか、モミだろうか、杉の常緑色に加え、それらに挟まれるように小さいお墓があった。塔石は苔むし、苔色、松葉色、抹茶色に覆われている。その色の一つずつから、業平の歌が響いてくるようだ。
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
名にしおはば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありや無しやと
ちはやぶる神世もきかず龍田河唐紅に水くくるとは
男女の愛情、友情、親子の情などをたくみに歌い「その心あまりてことばたらず」と言われた業平が、山中の静寂色の中で、いろカルタを広げているように思えた。
在原の集落を散策してみる。全く観光地化されていない。崩れかけた茅葺きの家もある。しかし人が住んでいるのだ。大根が干されている。茅葺の軒下には背高な茅が蓄えられていた。時間が止まったような集落だった。昔はお寺だったのだろうか。山門がありその上に鐘楼と厨子があった。私はその鐘をついてみた。いにしえから響いてくるような音で、青空色に消えていった。悠久の歴史の色と、鐘の音(色)だった。
私は今回の旅で、たくさんの色を見た。原風景(故郷)の色が、絵の具箱から溢れ出てくるような旅だった。地、水、風の色と業平の歌が火色となって私の心を揺らす。錆色になってしまった私の「ロマン」が復活されていくような気がしてきた。
木村徳太郎の未発表の詩は別枠木村徳太郎(現在『伝書バト物語掲載』)に移動しました。ご愛読下さい。
2007.11.21
|