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花落つる音
庭の藪椿が咲き始めた。藪椿は周りの冬色に染まらず衰えのない緑色の葉と、まるで情念を硬く握り締め耐えているような蕾を持つ。だがその硬い蕾に少しの彩が乗り始めると花の開きは速く、前(さき)に紅の灯かりがほんの少し見えたかと思うや、すぐさま包んでいた萼(がく)は、薄緑の絹衣を艶かしくハラリと脱ぎ捨て、八分咲きの蕾となる。そしてすぐ妖艶な咲き誇りとなり、妖艶の香を残したまま潔く落花するのだ。そして、桜のように一時に散らないから、花期は長く情念の炎が晩春まで燃え続けているように見えるが、花一つ一つの寿命は短い。咲き始めるや、毎日「ポトリ、ポトリ」と落花する。そして情念の残り火をいつまでも燃やすように地面を染めていく。樹木に咲いている時より、落ち椿となり地上で燃えている時のほうが長いのではないだろうか。
暖冬で例年より早く咲き始めた庭の藪椿に、思いがけなく名残雪がかぶさった。春を呼ぶ雪が来て、春の木(椿)の彩を包んでいった。春を呼ぶ紅の灯りが雪のなかでチラチラと灯った。なんと美しい。これほどに名残の雪が似合う花とは思いもよらなかった。素晴らしい季節の手渡しを見せてもらった。淡雪を肩に受け椿の前に立ちつくす。
そして、赤い水滴が「ポトッ」と落ちるように花が木から離れた。しかし、空からひっきりなしに舞い降りてくる大きな雪片に、落下の音は吸い込まれて無音であった。
落花に音はなかった。
椿の花が落ちる時は、かなり大きな「ボタッ」と言う音がして、いつも私を驚かせていた。私はこの音が怖いのだ。
子供時代に住んでいた神社の境内に、私一人では、抱きかかえられないほどの大きな藪椿の木があった。花のころ、一面に敷き詰められた紅の花に糸を通し、いくつもいくつも花を夢中で重ねて行き首飾りを作った。紅い花の敷物の真ん中に座り込み、一つ二つと繋ぎ重ねていく。まだ残っている花の蜜を時々嘗めながら繋いで行く。出来た首飾りは、ずっしりとかなり重たく感じた。まだ情念などと言う言葉を知らない少女だったがその重みに妖しげなものを感じたものだ。
そして、あの日も首飾りを作ろうと友達を誘って学校から駆け帰った。背中のランドセルがカタカタとなっていた。そして、藪椿の前に立ったときに私たちは見たのだ。
大きな藪椿の大きな枝に、蛇が絡み付いているのを。
ふと見上げた目と蛇の目が会ったような気がした。もう首飾りところではない。二人して手をひっぱりひきずりあうように逃げ帰った。
そして友達が言った。「蛇は椿の花を食べていたのだ」と・・・。
私の机の上には、前日に作った椿の首飾りが置いてあったが、なんとなくそれまでが、蛇のように動いた気がして、私は夢中でその首飾りを庭に捨てた。
それからはその藪椿の前を通るのが怖くてしかたがなかった。
椿は「ボタッ」と落ちる。それは静寂を破って蛇が「ボタッ」と木から落ちる音のように聞こえるのだ。怖かった。花まで怖く見えはじめた。紅の花は、幾人もの女の人の無数の赤い口のように見えはじめ恐ろしくなった。
そして、そればかりではない。
神官の父が、村人と反りが合わないのか、父は少し病み始めていたのだろうか。氏子総代たちに「境内の大椿の樹から、夜にモールス信号のようなものが聞える」と言い出したのだ。「その信号を誰か、分かる人はいないだろうか。解読したい」と・・・。
皆、父をあきれ返って見る。そして、「イトちゃん(お嬢ちゃん)も可愛そうやな」と私に哀れみの目をむける。私は父が変になったとは思いたくなかった。きっと宇宙人か何かが本当に信号を送って来ているのだと思った。私はこっそりとその太い藪椿の幹に耳を当ててみた。何も聞えない。ただ椿の葉擦りの音がするだけだった。突然「ポトッ」と静寂を破って音がした。「ポトッ」「ポタッ」「ボトッ」。まわりにこだまして響いて行く音だ。
「蛇が落ちてきた!」「怖い女の人に食べられる!」そんな事が頭をかすめた。私はモールス信号ところではない。一目散に逃げ帰った。家の中に入っても動悸は治まらなかった。
それが落花の音だったのだ。それ以後、藪椿の傍を通らなくなった。首飾りも作らなくなった。
そして私たちは神社を去った。
しかし、いつも思い出すのはあの大きな大きな藪椿の樹だ。父が胃がんを患い、余命僅かと知らされた時、私は何故だかあの藪椿が気になり昔住んでいた神社に足を向けた。
藪椿の樹はなかった。伐られて境内にはなかった。どうしてあんなに立派な樹を伐ってしまったのだろう。私には解せなかった。あれは樹齢何年ぐらい経ていた樹だろうか。古き良きものを排除する時代、そんな風むきだったのだろうか。悲しかった。いまでも思う。あの藪椿が残っていたら、村は観光名所になっていただろうにと・・・。
そして父は亡くなった。父は草花より樹木に咲く花が好きな人だった。泰山木、馬酔木、梅、花海棠、 沈丁花と、いろいろと自宅の庭に植えていた。しかし、どうしたわけか藪椿はなかった。
我が家の藪椿は、住宅周辺の開発が始まり丘や山が、ある日突然のように潰され、何台ものブルドーザーが唸る日々になった。夫と私は急いで、山の躑躅(つつじ)、藪椿を庭に移植させた。その藪椿が大きくなり、実を零し、芽を出し、いまや十本近くの藪椿が庭に林立している。つらつら椿である。裂割した堅い実は「お花炭」に作り代える。葉はツバキ餅に使う。手水鉢に花を浮かべもする。一年中楽しめる樹である。
が、落花時の「ポタッ」には今でも飛び上がっていた。
しかし名残雪の日、舞い散る雪の中で藪椿の花の落下の音はなかった。
仏を供養するために花をまき散らす散華がある。私はいくつも落椿を拾って家の中に撒いてみた。そしてその真ん中に座ってみた。
子供のころ、恐ろしい女人の紅い口のように思った花は、気さくでお喋り好きなおばちゃんたちのように私に話しかけてきた。
「形を崩さず花が重たいから、音が聞こえるだけ」。「軽い花だって本当は落ちる時、音がしてます」。「花への思いは人に寄っても、同じアンタでも、その時の環境や背景で感じ方は違いまっしゃろ」。「小さくとらわれんと、静かな心で、花の音を聞いてみなはれ」と大きな紅の口は喧しいこと。
「いつも音を伴なう椿の落花に、音なしの<落花の音>があった。」それなら、「ハラハラ散り落ちる<音無しの落花>に<音>を聞く事も出来るかもしれない」と思った。今度耳を澄ませて見ようと思う。落花、散花、どちらにも音(魂)があるはずと思う。
「一本の道を」 坂村真民
木や草と人間と
どこがちがうのだろうか
みんな同じなのだ
いっしょうけんめいに
生きようとしているのをみると
ときには彼等が
人間よりも偉いとさえ思われる
かれらはときがくれば
花を咲かせ
実をみのらせ
じぶんを完成させる
それにくらべて人間は
何一つしないで終わるものもいる
木に学べ
草に習えと
わたしはじぶんに言いきかせ
今日も一本の道を歩いて行く 書き写しノートより
♪ 「早春」 木村徳太郎「馬鈴薯の澱粉」ノートより
ちらちら 薄陽
ビルの壁
街路樹(なみき)の枝の
小さい芽。
北向窓の
残り雪
しづくの露も
日に和む。
ちらちら 薄陽
僕の手に
うっすら早春を
もってくる。
2007.03.17
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