来た道行く道通りゃんせ/風にのって花ひとひら

のんびりしたブログですがよろしくお願いいたします。

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(画像)絵本 「星たちは花になりました」 ヨリ


木を植えるということ

      この地球の上に

     天の川のような

       美しい花の星座をつくりたい

     花をみるこころが一つになって

       人々がなかよく

         くらせるように

             佐藤良二



 中学生の時、教科書で御母衣ダムから移植された荘川桜が、蘇えったことに感動した「佐藤良二さんという国鉄バスの車掌さんが、太平洋と日本海を結ぶ受け持ちのバス路線を、荘川桜の街道にしようと、自分の蓄えと少ない休暇を使い、一人で黙々と桜の苗を植え続けた」と言う話を学びました。
私はそれが、いつまでも心に残り頭から離れませんでした。自然豊かな所で、そしてまだ中学生だったためか、わざわざ桜を愛でるということを知りませんでしたが、「自分の好きな煙草代もせっせと貯め、苗木を買い、休みの日に一本一本街道に植えて行く」その行動にとても感動したのです。そしてそのバスの運転手さんが、とても素敵な人に思え、「尊敬をする人」を記入する時はいつも、「桜の運転手さん」と書いていました。ところがこの「桜の運転手さん」を知らない人が多く、不審に思われ、聞かれる度にいつも気色ばんで説明をしたものでした。
そして『木を植える男』ポール・コールマン著、を読んだときも佐藤運転手さんを思い出して涙しました。しかし涙はそれだけでは終わりませんでした。
その後、次のような記事を見たのです。
私の尊敬する「佐藤運転手さんは、2000本あまりを植えたところで、病魔に侵され志なかばでこの世を去られた。そして、そのあとをお姉さまが、弟の意志を継いで桜を植えておられるが、街道は車が多く廃棄ガスで木が弱って来ていること。お姉さまもご高齢になり老体に鞭打ち、朽ちていく自分の体と戦いながら桜を植えておられる」そのような記事でした。そして、野良着の凛とした顔のお婆さんの写真が載っていました。
私は、またまた感動して涙が出ました。教科書の話は事実で、そしてその意志を継いでおられるお婆さん(記事掲載当時、佐藤さんのお姉さまは六十代でした)がおられる。私は感動で身震いをしました。
しかし、その身震いは、その時に同じ場所に掲載されている別の記事で複雑な思いにもなりました。別の記事にお姉さまと同じ六十代の方々が、「六十代のファションショウー。高齢になってもおしゃれ忘れず」と華やかに着飾って写されているのでした。とても複雑な気持でした。(野良着の化粧気もないお婆さん(お姉さま)がひたすら桜を植えておられる。一方でお婆さんと同じ年齢の方々が派手に化粧をし、華やかにショーをやっておられる。)
その記事を読んだ時の私は、六十代には、まだまだほど遠い、先のことでした。
しかし、その記事を見てからずぅ〜と、この二つの記事に考えさせられ、私の心にいつも何かが澱(おり)のように重くありました。
そしていつしか私も六十代になりました。
「六十代なんて若い若い。もっとおしゃれを。もっと前向きに」と、毎日のようにファションショーなんて行なわれ、今や記事にもなりません。でも私はそれに煽られる?より、野良着姿で桜を黙々と植えておられた、あのお婆さんと同じ年齢になった事に、心が震えるのです。中学生時代の感動、その後の記事を読んだ時の感動、それとは別に感じた複雑さ、そして私は「桜を植える」と言う形でなくとも、あのお婆さんのように何かは分からないけど、凛とした生きかたをして来たのだろうかと、考えるのです。
同じ六十代になり、「私は凛として生きて来ただろうか」「凛としているだろうか」
と、とても思い悩み、そして反省するのです。
いま、私(たち)は
「前向きに、おしゃれに、生涯現役、生涯学習、病気をしないための健康とおしゃれ」
と、毎日のように追い立てられているように感じます。そして、
若さがもてはやされ、皺の数、白髪の数で優劣をつけかねられません。
桜を植える数(意思、心)では優劣をつけません。

私は十年前に、どうしても佐藤さんとそのお姉さんの気概、心、を感じたく、そのバスに乗りました。荘川町と白川村を結ぶ国道156号線沿いに、桜は植樹されており、佐藤さんが夢見た「さくら道」は桜街道と名づけられ、綺麗な花を咲かせていました。しかし、どれが佐藤さんの植えたものかは分かりませんでした。
荘川桜はとても有名で、観光客がたくさん押し寄せると聞きます。しかし、同じ荘川桜の佐藤運転手さんは、あまり知られていないようです。今は教科書にも乗らないようです。
しかし、私は佐藤さんが願っていた「花をみるこころが一つになって・ 人々がなかよく・くらせるように」それを思うのです。
家の近くの土手の桜並木は、土手の側(かたわら)で開業されている製材所のお爺さんが昔、植えました。近くにある名所の海津大崎の桜は、トンネル工事の作業員だった宗戸さんが、仕事の合間に植えられました。近くの有名な棚田の一本桜は、田んぼの持ち主のご先祖さまが植えられました。そして、私の自治会は丘の上にあり、丘の坂道に沿って六年前に住民で桜を植えました。今年は、その満開の桜の下で、住民一同お花見をやりました。桜や木は、元を手繰れば、誰かが植えたのでしょう。昔の人が、一生懸命植え、後世の私たちに心の宝石を下さっているのです。そして、(心が一つになって仲良く暮らせるのです)。この心を受け継いでいく。私は(この心を感じる)ことを、凛と受け止め、感じていく生き方をしたいと思います。今年も沢山の桜を見させていただきました。沢山のことを教えていただきました。昔から受け継がれた桜(心)を見ること。そして、「満開の桜時が良い。お天気が良かったら、等と欲張ってはいけません。その観桜の出来たその時が一番最高の花見時であるのです」とも教えていただきました。そこには、あの昔、複雑な思いを持ったことへの答えが示されていました。追い立てることも欲張る事もないのです。あるがまま。そして森羅万象に心を感じ、あの桜の運転手さんのように、そのお姉さんのように、私は凛と生きていたいと思います。



(星たちは花になりました   新風舎発行  上杉和子作)

地球が汚れると、星たちは地上に降りて
こられなくなります。
 いつまでも美しい地球であり、夜空でも
地上でも、耀き続けられるようにしていか
なければなりません。
 星たちが花となり花が星となって、人々
に話しかけ、人々もいつまでも優しい心を
持ち続けられることを祈ります。
 





 タシザンノウタ 木村徳太郎 (童芸S17.06月号) 
   

            栗の梢ニ 栗鼠二匹

            尻尾フリフリ 栗の実タベル

            栗ノ実コロント 落チマシタ

            下ノコ栗鼠ガ 上手ニウケル

            明ルイオ山ノ 栗ノ木ニ

            コ栗鼠ガ三匹 仲ヨクアソブ。


            豚ノ子ドモガ 五匹デス

            小サイ尻尾ニ 桃色ノ耳

            オ鼻ニワラヲ クッツケテ

            ブウブウナイテル 親豚二匹

            アワセテ七匹 豚ノ目ハ

            光ガマブイカ ショボショボシテル。


            白ト茶色ト 黒イ色

            カワイイオメメノ 猫三匹ニ

            手毬トアソブ 一匹ト

            オヒゲノナガイ 一匹ヲ

            アワセテイクツニ ナリマセウ

            オ手手ノ指ヲ カゾエテゴラン。


2007.04.30

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  花陽炎

 「花より団子」と言いますが、大好物の桜餅を食べるのも忘れ、私は花の中を飛び回る虫のようになっておりました。あるいは花の海を泳ぐ魚であったのかもしれません。
「処刑場の跡地」「火葬場の跡地」「人が踏み込まない地」。知人からの予備知識はどれも、おどろおどろしたものばかりでした。梶井基次郎の「桜の樹の下には屍体が埋まっている」。坂下安吾の『桜の森の満開の下』では女が鬼になるのです。恐いものみたさの興味もありました。少し恐い気もするので賑やかなオバサマたち五人と、地下鉄「北大路」からタクシーで紅紫色のツツジのちらほら見える山道を越え、さらに金閣寺から八十八ケ所の山の一つを越え、いきなりストンと落ちる台地の集落を通り過ぎ峠を越えました。昔なら人が近づかない秘境でしょうか。
 突然目の前に桜の丘が広がりました。「京の桜の隠れ里。紅しだれの原谷苑」。個人の山のためか、桜の開花情報(花便り)は新聞に載りません。が、年々観桜に訪れる人が増え、「開苑同時に行かないと沢山の人」と聞いていました。その日の入苑料は1200円。料金は桜の咲き具合で当日の朝に決まるそうです。一番乗りの入苑で、朝早い冷たい空気は清々しくほんのり桜色に染まっているようでした。吉野桜と一重の彼岸枝垂桜は終わっていましたが、八重の紅枝垂桜が約4千坪の丘を埋め尽くしていました。壮観です。百数十本の紅枝垂桜が主役となり、黄桜、みどり桜、御室桜、ぼたん桜、普賢象、菊桜などあります。とにかく桜、さくら、サクラ、の濃淡の世界なのです。空が見えないほど桜で埋め尽くされていました。咲いている花を見上げるのではなく、桜の木と木の間を通り抜けられ、まるでもう桜色の綿菓子の中に入り込んだ錯覚を起こさせるのです。息苦しいほどの薄紅色の世界。
 苑内は弁当持込み禁止です。茶店で桜餅を買いました。まだ人影は疎らで、私は<かくれんぼ>をしたくなりました。この桜の中に埋もれてしまって、私は神隠しにあいどこかへ消える。どこへかは分からないけれど消えてしまうのです。そんな夢か現(うつつ)か分からない思いがふとかすめました。地面まで垂れ下がった枝垂桜は、手で触れられます。それはまるで上等のオーガンジイの柔かく垂れ下がるピンクのリボンのようで、そのリボンをかき分け進みます。
 (私の花見の原点は、少女時代に過ごした奈良の山奥の桜にあります。いまのように桜を求めて名所に人が溢れることもなく、山頂に一本だけ咲く山桜。村人が沢山のご馳走を持ちより、桜の木を囲んで宴が始まるのです。神主の父が、祝詞を読み田植えの安全と豊作を祈ります。「桜は、人間より高い所から眺め、人々の幸せを見守っている」そして「桜の木(神様)と一緒に人は踊り騒ぎ自然と共に生きる」。そんな事を教えてもらったような気がいたします。
母親を早く亡くし、私は祖母の作る粗末な食事しか知りません。本来なら父の仕事中は、家で待っているのですが、その日は「おまえも来い」と村の友達が誘ってくれるのです。沢山のご馳走、御寿司は、炒り卵や、ピンク色の桜でんぶで彩った花形をしていました。分厚く甘い卵焼き。海苔巻きには、蒲鉾、牛蒡、三つ葉、椎茸、干瓢、高野豆腐などたくさんの具で太く巻かれ、煮〆、煮豆、それにお餅まで、溢れるようなご馳走が並びます。子供たちは水筒にお茶を入れ、大人たちはお酒を持って集まるのです。
私は三、四日は食事をとらなくっても良いほど、それはもうお腹がはちきれるほどにご馳走を頂き、後は鬼ごっこをしたり童謡を歌ったり、楽しい一日でした。私は嬉しくって誰かれとなく、こましゃくれて話し掛けます。優しい顔をしたお爺さんが、
「嬢ちゃん。桜の花は一人では散らないんだよ。散る時は全部の花が咲き揃ってから一斉に散るんや」
「大人になったらもっと桜の美しさが分かるようになる」。
そんなことを言ったように思います。でも、私は桜の花より大きな卵焼きのほうに、心も甘く奪われていました。それは、ゆらゆらと陽炎が卵焼きを包みこむ桜色の春の一日でした。そんな春の日を思い浮べるのです。)
そろそろと、苑に人が増えて来ました。人々は桜の下で動き回る沢山の蟻のように見えました。そして、私は増えてきた人混みで一緒に行った人たちと逸(はぐ)れてしまいました。しかたなく、一人で床机に腰掛け、枝垂れる桜を手に乗せてみて私は気づきました。桜は満開なのに、地面には花びらが見当らないのです。もちろん、桜吹雪などありません。枝垂れた先の蕾は二つ三つを残したまま。全部は咲ききっていません。最後の、最後の一つが咲けば花は一斉に散ると言うのでしょうか。どれだけ満開に咲き誇っても、すべてが咲かないと散らないのでしょうか。
子供のときの花見で聞いた、あのお爺さんの言っていたことは本当だったようです。
あのときのように足元から、陽炎がゆらゆらと上って行きました。
 これまで沢山の桜を見てきました。ピンクの単色が遠々と続く桜並木。残り少ない花びらに紅の葉を重ねる山桜。柵で囲われた名所の桜。雨の日に一人で眺めた土手の桜。桜色の山。視界が見えなくなる桜吹雪を車で通ったこともあります。一面の花筏を眺めた朝もありました。そんな時、身も心も桜色に染まり、日本人で良かったと幾たび思ったことでしょう。
 しかし私は、桜に、花に、(咲き初め。満開に咲く。散る。)それだけを見ていたのではないかと思います。今、私は枝垂れの先に残る二つ、三つの蕾に、どこまでもどこまでも底深い桜の美しさを見ました。
 長い道中で、タクシーの運転手さんが話していました。この苑は個人の所有で、桜好きの老人が一本一本(特に枝垂桜)を植えながら楽しんでおられたのを、年月を経て数が増えその美しさを
「他人にも見せたい」
と、開苑されたそうです。
「持ち主は普通の田舎のお爺さんですよ」
と、運転手さんはこともなげに言っていました。
 私は桜の花の中の虫となり、魚になり恍惚としていました。これだけの桜を一本一本世話をするお爺さん。寝静まった閉苑後は一人で散策するのでしょうか。空を覆う桜の木々から、わずかに洩れる月の光を受けて、一本一本の桜に話し掛けていくのでしょうか。私は眩暈(めまい)を覚えました。桜の下に眠る美女たちが、美しい桜となって妖しく立ち並ぶのでしょうか。そこに一人のおじいさん。
私の幻想は膨らむばかりでした。そんなことを思って私は妖艶の世界にいました。
 逸れていた知人が、私を見つけてくれました。桜餅を食べることも忘れ、幻想、幻覚に入りこんでいた私を悟られないように、急いで膝の上の桜餅をバッグに押し込みました。
「私、どうも桜に心を奪われていたみたいなの」
「月光を浴びてこの中に立っている私を想像して・・・」。
一斉にオバサマたちがケラケラ笑い出しました。
「春は頭が可笑しくなるから、しっかりしいや」。
どうやら桜に化かされたのは、私一人だけのようでした。
 それにしても、この桜苑の持ち主は、
「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」。
と詠んだ西行のように思えました。顔も知らないお爺さんですが、西行の生まれ代わりではないかと思いました。西行が、現生でせっせと桜を植えているのではないかと・・・。
押し合いで乗った帰りのタクシーで、食べていない桜餅がつぶれました。強い桜の匂いがしました。その強い匂は美女が香りを残し、通り過ぎていったように思えました。子供のときに聞いたお爺さんの桜談義。
「桜の花は一人では散らない」「大人になったら桜の美しさが分かる」。
私は、月夜の妖艶な桜を幻覚し、桜に化かされ、大人を見たのでしょうか。




 ヒキザンノウタ    作曲 吉川孝一 
                    作詞  木村徳太郎

                                   (童芸S17.06月号) 
   
 
             リンリンリンゴ 三ツデス

             ヨイコノホウビニ アゲマセウ

             オイタスルコハ アゲマセン

             __ソウレ

             ヨイコガ一ツ イタダイタ

             アトニ二ツ  アリマスネ


             リンリンリンゴ 二ツデス

             ゲンキナコドモニ アゲマセウ

             ナイタリスルコハ アゲマセン

             __ソウレ

             ヨイコガ一つイタダイタ

             ノコリガ一つアリマスネ


             リンリンリンゴ 一ツデス 

             ベンキョウスルコニ アゲマセウ

             オサライセナイコ アゲマセン

             __ソウレ

             ヨイコガ一ツ イタダイタ

             アトニハリンゴ アリマセン


             リンリンリンゴ アリマセン

             リンゴナクテモ ヨイコニハ

             トウサンカアサン ネエサンガ

             __ソウレ

             タクサンホウビ クダサルネ

             ミンナガソロッテ クダサルネ。


2007.04.25

さくら さくら(2)

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鞦韆 花筏(シゥセンとハナイカダ)


十五年前のこと。
「祖国の桜を一目観たい。自分のルーツを知りたい」・・・。
中国残留孤児がテレビに映し出されていた。
刻まれた深い皺は実年齢より老けて見え過酷な運命を物語る。
その過酷な運命の中で、さらに
「自分のルーツを知りたい!自分は誰なのだ。」
そんなもどかしさを背負って生きておられるのだ。私は、体に電流の走るのを覚えた。その気持がよく分かる。
誰しも自分のルーツを知りたいと思うのではないだろうか。
私の父は、
「母は戦災で亡くなった」
と話すだけで何も語ってくれなかった。私はそれに反発を覚えていた。そして、走る電流に促されるように、自分探しを始めたのだ。
父の原本、母の原本、除籍になっている戸籍の原本を、あらん限りのエネルギーで取り寄せ調べた。そして、私のルーツ(生母の里)が奥吉野だと言うことを知った。
奈良県の粟飯谷。それは奈良県の真ん中に位置し(臍)と呼ばれていた。その在所の五人姉妹の三女が私の生母であることを知った。そして、私はその村を訪ねたのだ。五人姉妹の長姉の長男が跡を継いでいた。(私の従兄弟になるわけだ)
始めて会う従兄弟の昇さん夫婦は、とても温かい人たちだった。私を以前から知っている身内のように温かく迎えて下さった。昇さんの奥さんの艶子さんは、まるで観音菩薩かと思うほどに優しく穏やかな人だった。私はいっぺんに好きになってしまった。私とは血の繋がりもない従兄弟のお嫁さんだ。しかしその心を癒してくれる穏やかさは、まるで父や祖母や姉の優しさの全てを集めたような人だった。
訪ねた家は五十年程前に新築し、川向こうに昔からの家があった。
昇さんが、
「叔母さんたちが赤坊を産む時は、みんな川向こうの家で産んだから、和ちゃんもきっと、あそこで生まれたんやろ。家を見ておいで」
と言う。
艶子さんが先にたって案内してくれた。橋の周りの青い山々は清々しい空気に満ちて、それをぬって鶯の鳴き声が聞こえていた。家はもう廃屋のように崩れかけていたが、庭に大きな山桜の木があり八分咲きだった。
「この桜は、あんたのお祖父さんになる人が植えたんやと聞いてるよ」
「きっと桜は、こうして孫が会いにきてくれたこと、嬉んでいるやろな」
と、艶子さんは花びらが舞うように、優しくゆったりと言う。
私の瞼に、桜の廻りでままごとや、鬼ごっこを、川で遊ぶ五人姉妹が浮かぶ。
私の顔にとまるかのように、花びらが裏表を見せクルクルと舞ってくる。昇さんの家の満開のソメイヨシノが、川を挟んでこちらに舞ってくるのだ。花びらは悠久の時を流れるように舞っている。
艶子さんは園芸種の花や山野草を慈しんで育て、鮮やかな色や地味な彩りが、庭一面を埋めていた。その花々を守るようにソメイヨシノが枝を広げていた。
その満開の桜の下で、バーベキュウをする。艶子さんが大きな網と長方形の黒い七輪を出してきて、
「この七輪わなぁ。トウちゃんが作ったんや。炭を焼いているけど、あんまり炭は売れへん。それで火つきが良く火持ちの長い、この七輪を考えだしたんや。山の息吹がしてる炭をいっぱ使ってもらおうと思うたはるんやな」
と、楽しそうに言う。
昇さんが、手づくりの野菜や肉を焼く担当。艶子さんと私は嬉々として食べる。花びらが焼き網の上に舞い散って味つけに加わっていた。艶子さんと私は意気投合して楽しくって仕方がなかった。
昇さんが、
「また来年も必ず来いよ。来年は桜の木にブランコを作っておいたる。ここは和ちゃんの故郷やからな。いつでも来いよ」。
私が怪訝そうに「なんで、ぶらんこ?」
と、聞き返すと

       春宵一刻値千金  (しゅんせういっこくあたひせんきん)
       花有清香月有陰  (はなにしかうあり つきにかげあり)
       歌管楼臺声細細  (かくわんろうだいこゑさいさい)
       鞦韆院落夜沈沈  (しぅせんゐんらくよるちんちん)

と、詠いだした。艶子さんが
「父ちゃんは高校の漢文の先生をしてたんや。今はもうやめて炭を焼いてるけど」
と言う。驚いた。昇さんは高校の先生だったのだ。私はなにも知らなかった。
なにもかも始めて知る、生まれて始めて出会う従兄弟だったのだから。
昇さんが、詩の説明をしてくれた。そして、
「和ちゃんを見てたら、桜の下のブランコに乗せてやりたなぁ〜。きっとよう似合で。来年は絶対にブランコに乗りや。ブランコ作っておく。わしものんびりして桜のブランコに乗ってみたい」
と言う。私は桜の花びらで、体中が一杯になったような気持になった。
「来年も絶対に来る」「ここは、私の故郷(ふるさと)なんやね」
私は勢い込んで言う。私にも故郷があったのだ。私のルーツはあったのだ。私は嬉しくってたまらなかった。

そして、あの粟飯谷を訪れたときから十五年がたつ。
私が粟飯谷を訪れ、昇さんが、
「ブランコを作って置く」
と言い、私が自分探しを始めたあの時から十五年が経つ・・・。

だのに。なんと!
私が粟飯谷を訪れたその年の暮れに、昇さんは亡くなってしまったのだ。
正月には昇さんから年賀状が来た。私は何も知らずに、ブランコを楽しみに思い描く正月だった。二月に寒中見舞の喪中挨拶状が艶子さんから届いた。私は呆然とした。
昇さんは、来年からは年金が入るし山仕事をへらし、自然とゆっくり暮らす老後を、満開の桜のように語っていたではないか・・・。

以後、私は粟飯谷を訪れる事もなく、艶子さんとは年賀状の行き来だけになった。年賀欠礼の喪中挨拶状で、二人おられた娘さんの一人を亡くされたこと。艶子さんが一人で粟飯谷に住んでいることは知っていた。
 あの観音菩薩のような艶子さんに会たいと、ときどき思う。あの穏やかな話し振り、優しさが懐かしい。しかし、艶子さんと私はなんの繋がり(血縁)もない。たった一度だけ会った人である。遠い吉野の村。私に再訪問をためらわせていた。私は私の故郷をやっと手に入れたのに、また失った気持で過ごしていた。

今春、私は吉野山へ観桜の機会を授かった。思いきって艶子さんに葉書を出してみた。
「年を取ってな〜。手紙を書くのはおっくうやから電話にしたわ」
と、少しも変わらないゆったりとした声が響いた。そして、
「なんぼでも泊まりや。好きなだけ何日でも泊まりや」
包み込むような声は、あのときのように桜がひらひらと舞うような声だった。
「私の電話番号がよく分かりましたね」
「そら覚えてるわいな。粟飯谷に来るんやで。あんたの故郷やろがな」と・・・。
私に、もう迷いはなかった。
吉野山の桜を観て粟飯谷に向かった。艶子さんの頭は白髪になっていた。私だってあのときより皺が増えている。お互いそれを笑いあった。艶子さんと私は夜通し語り明かした。急死した昇さんのこと。亡くしてしまった娘さんのこと。私のこと。老女が二人、まるで「女の一生」を語り合うように、夜通しお喋りに興じた。昇さんが詠ったように、夜が沈沈と過ぎて行った。
翌昼は、昇さんの七輪でバーベキュウをした。炭火がパチパチはねると、昇さんが
「よう来たのう」
と言っているような気がした。私たちは話し、笑い転げ「歌管楼臺声細細」のごとくざわめいた。笑うたびに花びらがはらはらと零れる。そんな中、スルスルとブランコが降りてくるように見えた。昇さんがブランコをこいでいる。花びらが、ブランコに乗って、揺れて、ハラハラとブランコから舞い散っているのだった。

私は川向こうの廃屋を見に行った。橋を渡るとき、見下ろした川面は一面の花筏だった。沢山の花びらは、昇さんのブランコに揺られて、風に揺られて、静かに舞い散り、眠っているように思えた。
艶子さんはもう腰が曲がっている。その曲がった腰で、私のために蓬餅を搗き、野菜、漬物、山菜を包み、沢山の土産を携えて、二キロばかり歩いたバス停まで送ってくれた。粟飯谷の戸数は二十五軒ほどと言う。高齢者ばかりで、村の子供は中学二年生がただ一人いるだけと言う。
山桜が見える。コブシの白い花が見える。紫のミツバツツジが見える。
山肌は猪の仕業で地肌が見える。猪や鹿や猿除けのネットで覆われている畠がある。それを横目で見る杉木立ちの道は、誰とも会わない。静かな寂しい道である。でも、艶子さんはまるで気にしていない。笑って、ニコニコと穏やかだ。二人の足音だけがこだましている。
そのこだまの中で、静かに静かに、まるで神様の懐に抱かれているように歩く。私はその続く杉木立ちの道が、まるで母の胎内を歩いているような気持がした。
艶子さんはそんな自然の中で静かに穏やかに暮らしている。
私は、
「来年もきっと来よう。そして私が、桜のブランコを作って艶子さんを乗せて上げたい」
そんなことを思った。
私にも故郷があった。故郷はあった。
何片もの山桜の花びらが、ブランコのように揺れて舞い、私の背を追いかけていた。


    桃太郎さん  木村徳太郎 
   
 
               流れに光る

               あの苔石

              知っているかしら

              __婆さん洗濯

               してたこと。


               蘆の花咲く

               土手 小道

               一人ほそぼそ

              __「桃太郎さ・・・ん」と

               呼んでみる。


               流れに浮かぶ

               草の実よ

               知ってるかしら

              __桃が流れて

               ゐたことを。


               色鳥渡る

               土手 日暮れ

               一人おもへる

              __「桃太郎さん」が

               生きてると。
童藝 18年 6月号より


2007.04.19

さくら(1)

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         ☆ 廃跡のさくら 木村徳太郎 作 
            ☆ 鳩笛とオカリナ 花ひとひら 作



童話  「廃跡のさくら」 木村徳太郎 作

     毎日小学生新聞・昭和二十四年五月六日掲載

   むらさき色にかすんでいる夜でした。 焼け跡に、いっぽんのさくらの木が匂っていました。そのさくらの木のてっぺんに、まるいつきがかかっているのを、ひとりの男が、ぽつねんと見上げるようにして立っていましたが、
「ああ、美しい花をつけているなあ。」
とつぶやくように言うと、さくらの木の根っこに、腰をおろしました。

 その男の人は、遠い外地に戦争に行って、何年ぶりかで内地に帰って来た人でありました。 腰をおろすと、何年か暮らしてきた外地の苦しかったことや、楽しかったことや、さまざまなことが、 赤い色や青い色の糸で作った、まりの糸をころころとほどいていくように、つぎからつぎへと思い出が、心の中にうかんできました。が、いつとはなく、七色の「にじ」のようにあざやかな一つの思い出が、その男の人の心をすっぽりとつつんでしまいました。
 それは、遠い外地で苦しい戦争をしているときでありました。雪子さんと言う少女から、慰問の便りをいただいて、それがきっかけとなって、いつとはなく、自分の妹のように、 懐かしくおもうようになったのでありました。
 そのようにして、何年か過ぎ去ったある時、男の人は、もう少しでお役がすんで、内地に帰れるかも知れないという便りを出しました。
 その返事に、雪子さんから小包がとどきました。中をあけてみると、いろいろな品物にまじって、ほんとうのはとかとおもわれるような、かわいいおもちゃのはと笛が出てきました。それに、そえられた便りには「今度雪子も女学校に通うようになりましたので、幸せに勉強がつづけられますように、平和のしるしのはとをかたどった笛をおくります。兵隊さんもおげんきで、一日も早く不幸な、戦争が終って、世界の人々が平和になれますように祈ってください」と、かかれてありました。
 服のポケットに、たいせつにはと笛をしまって男の人は、それからは、いそがしいさいちゅうでも、少しひまができると、雪子さんの願いを忘れないために、はと笛を吹いたり、一日も早く内地に帰へって、やさしい雪子さんに一度あって、おせわになったおれいをもうしたいものだと考えつづけておりました。
 そのうちに、あれほど勝つといわれていた戦争も負けて、男の人は、内地にかえれなくなったのであります。

 それから、何年かすぎて、無事に外地から帰って来ると、やさしい雪子さんにあって、ぜひお礼をもうしたいものと、手紙でしっていた雪子さんのところをたずねてみたのでありましたが、はげしい空襲(くうしゅう)で、雪子さんはどこに行ったのか、少しもわかりませんでした。 
 男の人は、いろんな苦しい目に幾度もあいましたが、こうして不思議に内地に帰ってこられたのも、雪子さんが、一日も早く平和がきますようにといって、送ってくれたこのはと笛が、自分を守っていてくれたように思われました。そう思うと、なおさら雪子さんにあってお礼を申したいものだと思いましたが、すっかり焼けてしまったこの付近には、たずねる人もなく、雪子さんにもあえそうにも思われませんでした。それで、男の人は、この付近に住んでいたころには、きっと雪子さんも、このさくらの木をながめたことであろうと、雪子さんの姿を心のなかにえがいて
「どうか、雪子さんも、無事でありますように。」
と、ポケットから、はと笛を取り出すと、桜の木の下で、「ホウ、ホウ、ホウ・・・。」と吹きはじめました。 
静かなはと笛の音は、焼け跡の夜に、いつまでもしずかにひびいていました。男の人の思いをこめた、はと笛の音に、さくらの花びらも、ひらひらとしずかにまい落ちました。月夜のさくらの木の根っこに腰をおろして、はと笛を吹いている男の人の目からも、涙がほろほろとおちたようでありました。(おわり)



創作  「鳩笛とオカリナ」 花ひとひら 作
 
 平成一八年の春です。「廃墟の桜」のお話の、五十七年前と同じようにさくらの花が、ひらひらと静かに舞い散っておりました。
 窓から見えるさくら並木は、薄ピンク色のたなびく雲のようで、そのうしろの大きな湖に浮かぶヨットが、さくら色の雲のあいだをちらちらと進んで行くようでした。やなぎの木も優しくうす緑色のリボンのようにゆれていました。
湖をながめてオカリナ教室がありました。
 さくらの季節はオカリナの音(ね)が、さくらの花びらをひらひらと零すように思え、オカリナ教室の先生はぼんやりと、窓からさくらの舞うのを眺めておりました。突然、教室に電話が鳴りました。
「見学者の方が行かれますからお願いしま〜す」。
カルチャーセンターの事務所のお姉さんからの電話でした。すぐに、風に乗って花びらが入ってくるように、一人のおばあさんがさくらの花びらを肩に乗せてやってきました。先生は、舞っている外のさくらが見学に来たのかとびっくりしました。おばあさんは
「土で作られているオカリナの教室なら分かるかと思いまして・・・」
「ずいぶん、いろいろとまわってみたのですがどの教室でも断わられまして」
と、さくら色のハンカチから小さな土笛をだしてきました。
「孫が外国旅行の土産に買ってきてくれたのですが、あまりにもかわいいし飾って置くだけではもったいなくって、これで曲を吹くことは出来ないでしょうか。」
と、花びらがひらひら舞落ちるような小さい声で言いました。
 先生が、ハンカチごとそれを手に乗せてみると、クリクリ目の鳩の形をした、背中に穴が四つ、お腹に二つの穴がある土笛でした。オカリナは十二の穴と歌口です。ほかの生徒さんたちもめずらしそうに、先生とおばあさんの周りに集まってきました。
「これ、鳩笛じゃないんですか。」
「これで曲は、吹けるのかな〜。」
「鳩笛は背中に穴なんかないよ。」
「いいえ。これ鳩笛よ。ぜったい。」
 みんなが、わいわいがやがや騒ぐなかを、先生は「かわいいお目々ね」と言いながら、六つの穴を指でふさいだり、開けたりしています。そして、鳩のかわいいくちばしに「チュッ」とキスをして吹きはじめました。
「さくら」のメロデイが流れはじめました。みんなは、大喜びの大喝さい。
「さくら、さくら、弥生の空は、見渡すかぎり・・・」大合唱が始まりました。
 さくらの花びらが、その歌声に合わせるようにひらひらと流れていきました。
おばあさんは涙を流してすぐに、
「教室の入会手続きをとりたいです」
と言いました。オカリナの先生は、鳩笛を教えた事はありませんから少し困りました。
「オカリナじゃないですが、みなさん。ご一緒していただいても良ろしいですか」
と聞くと、
「いいですよ。いいですよ。みんな仲良く楽しみましょうよ」
と拍手が響きました。
「鳩笛は、背中におんぶされてお祭りの時、出店で買ってもらったわ」
「温泉旅行にはじめて連れて行ってもらって買ったよ」
「子供のころの、懐かしいおもちゃね」
鳩笛の思い出が、次々と飛び出し教室は賑やかになりました。
 おばあさんが、静かに話しはじめました。
「私たちの女学校時代は、戦争中で音楽に接することがありませんでした。だからいまこうして、音楽や楽器にふれられることが嬉しくって・・・。たとえ土笛でも、音の出るものに懐かしさと元気を覚えます。」「戦争中には、慰問袋、(みなさんはごぞんじないでしょうが、戦地の兵隊さんたちに、色々なものをお手紙と一緒に袋に入れて送るのです。)その袋に、鳩笛を入れて送ったことがありますよ」
と、懐かしむように言われました。そしてそのあと、厳しく
「戦争は厭ですね。こうして和やかにさくらの花を見ながら、音を楽しめるのは平和で幸せなことです。ずうと、平和であって欲しいものです。」
みんなも、大きくこっくりと頷きました。 
先生は、出されたばかりのおばあさんの入会届に目をやりました。
    <七十九才。伊藤雪子。>
「その慰問袋を送られた兵隊さんたちはどうなされたのでしょうね。」
「ご無事で、みなさん戦地から帰えられたと思いますよ。でもたくさんの人たちが、亡くなりましたから、どうなされたのか」
と、悲しそうにさくらの花に目をむけられました。
「兵隊さんは生まれてくる女の子に、平和を願って「和子」と名前をつけるとお便りに書いておられましたよ。みんな平和を願っていた時代ですからね」
先生の目から涙が伝って行きました。
先生の名前は「和子」。そして「廃跡のさくら」の童話を書いたのは先生のお父さまでした。(おわり)

2007.04.12

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