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♪ 青い空を映す花
四季歳々空は色を変え、その空を掬いとるように花が咲く。
スミレ、ワスレナグサ、ロベリア、クレマチス、アガパンサスにラベンダー、アジサイ、アメリカン・ブルー、ルリマツリ、アオイケシ・・・。空のように花が咲く。
「草むらの緑とまぎれやすいその青は不思議な惑わしを持っている」 梶井基次郎の「筧の話」の中に出てくる「その青」の露草もそうであろうし、春の淡い空をこぼすのは、オオイヌノフグリであろうか。そんな中で、私はいつも
「けふは朝から些つとも風のない日で、暮春の空は碧い玉を磨いたやうに晴れかゞやいてゐた」 『半七捕物帳(岡本綺堂)』
この「暮春の空」を掬いとる花は、どんな花かと気になっていた。
出会えたのである。その空の花に・・・。
知人が宅急便のように、その「暮春の空」を、バイクに乗せて運んできてくれた。背の高い添え木に括られ、プランタンにぎっしりと植えられて、まるで空が揺れているように見えた。
夏は、オニユリ、ノウゼンカツラ、カンゾウ、ヒメヒオウギ、カンナ・・・と太陽の色をこぼすようにオレンジ色の花が多い。そしてそれらの花に、陽の色を吸いとられてしまったかのように、夏の空の色は薄い。そんな薄色の空と梅雨明けの湿った風の中で、そこだけが清々しく透明の青さに揺れていた。よくこんな背の高いものを、バイクに積んで持ってこられたものだと思う。感謝の気持がその青い花に滲んで行く。その青い花は、アオバナである。
草津市の市花に指定されている、このアオバナを見るのは初めてだったが、それはまさしく、「暮春の空」。まざりっけの無い“青”の空の花だった。
子供のころ、「コケコッコの花」と呼んでいた露草を、二,三倍大きくしたような花で、大きな二枚の花びらはどこまでも青く、大きいがゆえに露草と異なり、花びらはフリルを寄せユラユラと波打っている。露草がコケコッコ(鶏)ならば、それはまるで伊藤若冲の鶏のように凄い迫力で私を引き込み吸い寄せる。
知人が説明してくれた。日本の伝統文様を代表する友禅染の下絵を描くのに、このアオバナが使われること。糖質吸収を妨ぐ作用があるのでお茶やクッキーに使われ、健康食品としても売られていること。早朝のアオバナ畑は、一面青く染まっていること等。それらを話す知人の顔は、郷土の花の「アオバナ自慢」に輝いていた。
空が皆に愛されるように、空を映すこの花もみんなに愛されているのだろう。
私も「暮春の空の花」のようなこの花を自慢したくなった。
滋賀県草津市は東海道と中山道の分岐点で友禅の本場の京都にも近く、比較的暖かく水にも恵まれている。それが必然的にアオバナ栽培の適地となったのであろう。
雨空に摘んだ花は、雨水を取り除き、粗しぼりのその汁を捨てねばならない。また汁を塗った紙も乾かせず、雨日の花は空と共に涙にくれる繊細さだ。そして、コウゾ和紙に100回近くも絞り汁を塗り重ね、青花紙にするその作業は、『地獄花』とまでいわれる過酷な労働作業だ。が、「本当にいい友禅をつくるには下絵が自由に描け、下絵を消せる青花紙があってこそ」と言う友禅職人の声に「絶やすわけにはいかない」と、今に続けられているという。1回、2回とアオバナの絞り汁を塗りかさね10回塗って、やっと色は濃く、青から紺色になるという。塗っては干し塗っては干しを重ねて、紙に込められた愛情が縦39cm、横27cmの青花紙となる。それは四季の空、三百六十五日を含んだような色になるのだろう。出来た青花紙は必要に応じて必要な分だけを千切り、下絵描きの染料として力を発揮する。そして、思うままに友禅の下絵は描かれ、友禅模様が重ねられ、アオバナ汁の下絵のみが簡単に流れ、手描友禅模様が鮮やかに浮かび上がってくるのだ。
それは夕立時の、雨に洗い流された空が、鮮やかに虹を描き、虹を浮かび上がらせるのと同じだろうか。
アオバナと虹は、消したい(心の)下絵、間違った(心の)下絵、そんなものを消し去り、残すべき物だけを鮮やかに浮かび上がらせるのだろうか。
アオバナは空の花。暮春の空の花だ。
そして、我が家の庭に植え替えられた頂き物のアオバナは、朝の光を通して狭庭の空になっている。それは昼までの儚い空ではあるが、青花の花言葉が「無限への憧れ」であるように、この空もまた限りない憧れと夢をのせて、新しい今日一日が、開いていくのだろう。
露草はhttp://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/21477106.htmlに。
♪ 「 採集 」 木村徳太郎 【夕暮れ】ノートより
菖蒲のある
水守の
草屋の庭。
黄金蟲
幼虫は
ゐませんかな。
驟雨の晴れた
水と陽の
明快(明るい)午後。
竹籠手に
子が一人
にこにこと。
2007.08.01
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