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のんびりしたブログですがよろしくお願いいたします。

野に咲く花

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オニユリ

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人生のマス目  
  残暑が厳しい。昨日は38度の猛暑日だった。衰えの知らない暑さの上へ、さらに追い被さるように乾いた太陽が登っていく。草花の葉は日焼けして精気を失い、陽に色を吸いとられたかのように花は清涼さに欠ける。そんな炎のような中で、太陽が溶け落ちたかのようにオニユリが咲いている。
暑い夏に、いつもこのオニユリが揺れていた。
 「字数が多い!」「文字が違う!」「書き直し!」と、熱気が立ち昇り、随筆サークルの校正作業は暑さを増していた。文を綴ることに誘われ、やり始めたものの右も左も分からない。決められた字数を守り提出したはずなのに、ゲラ刷りではみ出している。添削で句読点や改行を入れられると、すぐに字数はオーバするのだ。その出た部分をもう一度、既定の字数に収め直すのは苦難の技だ。心臓の鼓動が速くなる。そこで、私は姑息な手段に出ることにした。はみだすことが絶対ないように、字数を規定の80%に抑えて綴ることにしたのだ。
 校正の終った文章を「これで良い?」と知人に見せると、「どうしてこんなに余白があるの?」と80%に抑えた空白を見事に指摘された。「心臓に悪いから・・・」と、訳のわからないことを口ごもっていると、知人の隣りにいた先輩の「モッタイナイじゃないですか」という叱声が飛んだ。
「モッタイナイ?」
私は意味が飲み込めないで心の中で反復した。そのとき、私の頭の中をある言葉が唐突に走りぬけていった
「君の詩の一字はなんぼくらいするんや」。
ダイエー創設者の中内功さんと、三好達治賞などを受賞している清水哲男さんの会話である。校正日のその朝、私は偶然、中内功さんの死亡記事を見ていたのだ。

昭和六十一年私はダイエー事業部の一つ、「ルネッサンス事業部」に籍を置いていた。「家庭に埋もった主婦を、いま一度社会に進出させよう」と募集案内には記され、採用されて、初めて手にする自分の健康保険証と名刺が眩しかった。
そのころ、不世出の事業家として中内氏は神様のように言われていたが、社内で目にする冊子には、お孫さんと戯れている写真や、先の会話などが紹介されている人間味のある人だった。
 採用された同僚たちは、輝かしいキャリアを積んで来ている人が多く、私のような主婦は、ただただ贅沢な研修や教育に驚くばかりであった。事業部は訪問販売の世界である。私の成績はいつもビリだった。「数字!数字!」私はペッタンコになっていく。そんな私を見かねて、女性上司が何日も何時間もかけて、こんこんと話して聞かせる。「数字やない。人間はルネッサンスや」そう言う。しかしルネッサンスを現わせるのは数字しかなかった。 業績の悪い事業部はどんどん作りかえていく。ミシン会社のリッカーが再建不能となり、ルネッサンス事業部はリッカーを抱えた新体制事業部となり、私は苦悩の末キャリアウーマンの道を捨てた。
あの夏も暑かった。退職の帰り道の夕焼けにオニユリが赤々と燃えていた。
「ここで学んだ事は別の形にして生かすのよ。無駄にしないでね。学んだ事が勿体無いから」私はオニユリをみながらその言葉を反芻していた。

 校正の部屋は暑い。「一字なんぼや?」「モッタイナイ?」この二言が頭の中をぐるぐるまわりはじめた。窓に目を向けると、商家のプランタンに植えられたオニユリが背筋を伸ばして揺れている。
原稿用紙が「モッタイナイ?!」。
 私は背筋を伸ばした。「モッタイナイ!姑息なことはするな。目一杯真剣にマス目を埋めよ」。そういうことなのだと気がついた。
いろんな人に出会い、原稿用紙のマス目を一字一字を埋めるように人は生きているのだ。マス目を埋める事は、生きる道程を埋めることではないのか。 
私は、いろんな人に出会い、別れ、原稿用紙のマス目を、一字一字と埋めていることに気がついた。「モッタイナイ・マス目」は決して本文だけでなく、改行「、」「。」「・・・」全てが一マスに埋まる原石なのだ。疎かにしてはいけない。それに気がついた。

 これからも、まだまだ白紙原稿用紙は続く。「一字なんぼや?」。
値段は付けられない。しかし、一つ一つ丁寧に大切に、「モッタイナイ!」と言われないようにマス目を埋めていかねばならないと思う。
暑い夏、暑ければ暑いほど、オニユリの鮮やかな色が存在感を増している。

この夏、あの時のダイエーの同僚が、25歳年下の初婚の男性と結婚をする。
私は白百合でなくオニユリをお祝いに持っていくことを決めている。暑い暑い暑い暑い暑い夏である。

木村徳太郎駄句集「 夏」

 
        語ル人ナキコノゴロヲ風鈴聴く

        陽の映えて松の緑のくっきりと

        昼寝人起きんとして起きやらず

        虫聴いて団扇つかふて来酒かな

        行水や子を先にして母がのち

        いつまでもなきやまぬ蝉の日暮れかな

        かぶれると人言ふうるしのしほらしき

        東亜戦作る人なき虫の籠

        丹の塗りし虫篭買ひたし金足らず

        動かざる朝の気配の息苦し

        樹々は樹々のすがたなり星の夜

        夕映に白鷺二羽の淋しかり

        遥かなる山に狭霧のありにけり


2007.08.19

ウバユリ

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葉に代えて夏草絡ませ姥の百合

 どれだけ急ぎ足で歩いていても、ふっと足を止めるものがある。ほのかな匂い!
「あっ、ウバユリの匂い」。
ウバユリが夏草に埋もれて咲いている。「姥百合」と呼ばれ、静かに緑陰に佇んでいる。
この百合は「葉がない=歯がない=姥」と命名された。

 私も歯を無くした姥の話をしておこう。

永遠の永久歯噛み合わせ  
        
 自慢の出来るものはないが歯だけは丈夫だった。子供のころ、かき餅や豆菓子を大きな音を立てて食べる。行儀悪さをとがめることなく「エエ歯をしているね」と大人たちが言ってくれる。それが嬉しくてますます音を立て「ニーッ」と笑う。

 歯磨き会社に勤務する夫は夜間高校に通い、昼は和菓子屋でアンコ練りをしていた。来る日も来る日もアンコの味見で歯を痛めたという。その痛めた歯の口惜しさが、郷里の大学を終え歯磨き会社に勤めさせたのかもしれない。そして歯の綺麗な女性が、憧れになったという。
「歯は命」。歯には夫の懺悔と願望が入り混じっているようだった。
「子供たちを絶対に虫歯にしないこと。虫歯にしたら離縁だ」とまで言う。私はそれに従順に従う妻であった。子供たちには甘いものを与えない。アルバムを繰ると、長女が手にしているのは、目刺しと蒸かし芋ばかり。祖父が孫に菓子を与える喜びまでを禁じていた。長女が友達の誕生会に招かれ、弟達に持ち帰り、こっそり分け与えている菓子さえ咎めた。長男は、「この世にこんな美味しい物があるのか」とばかり、人前では叱られない事を察知し、客人の菓子を全部一人で食べてしまい、私は穴に入りたかった。次男の時にやっと、菓子と隔離しての子供の生活は不可能と悟った。愚かな母親だった。子供たちが丈夫な歯で普通に育ってくれたのには、ただただ感謝するばかりだ。

 「ニーッ」と笑うと、チャームポイントの(左上の)小豆粒ほどの犬歯が痛んだ。「ハンサムでうっとりするから、治療が痛くないよ」と知人が薦めてくれた歯医者へ行った。その甘いマスクに何をされても良いと言う気分で、大きな口を開け、レントゲンを撮る。そして思いがけないことを聞かされた。
「虫歯の犬歯は、乳歯で永久歯は埋もれたまま。虫歯治療をしないで乳歯を抜くと永久歯が生えてくる」と言うのだ。我が耳を疑った。確かにその犬歯は、とても小さかった。
 私は、いまだ見ていない自分の永久歯に出会えること、医師の若く甘いマスクに心踊り、直ちに抜歯することを決めてしまった。
毎日鏡を眺め、ウットリと歯の生えてくるのを待つ。しかしそれはいっこうに生えてはこなかった。
恐る恐る夫に、ことの顛末を話した。
 私の話を聞くなり夫は激怒した。「ハンサム先生やったから、行った」と言う言葉には、蔑視の目で思い切り溜息をついた。夫は、歯の治療法に、抜歯を避けるという主義だった。相談をしなかった私を怒鳴った。そして直ちに別の歯医者に行かされた。
「確かに永久歯は残っていますが生えるには・・・」と、老先生が口ごもる。永久歯は斜めに埋っていて、それを生えさせるには、両脇の歯を広げる矯正をしないといけないという。
「先生、それは私が棺桶に入るのが先か、矯正されるのが先かと言う事ですね」と聞くと、大きく頷いた。
そうして、抜いてしまった乳歯の場所に、差し歯がはめられたのだ。
 夫が腹立たしそうに、「乳歯が永久歯に生え変わらないのは、よっぽどの栄養不良で育ったんや」と言う。私は悲しいかった。全てに悲しかった。そのころ私たちは冷戦状態にあった。だから最初夫に相談をしなかったのだ。
それが、この一言で大激戦へと突入した。私のくすぶっていた夫への不満の炎があがったのだ。
三人の子供たちを産み育てた実績と、堪えていた夫への不満は、過っての従順さを解きはなち、火炎となって燃えあがった。
「そうや!私は栄養不良児や。けど、ここまで生きてこれたんや。文句あっか!」。
私は自分でも驚くほど大きな声で、怒鳴り返していた。そして同居別居となり、離婚用紙に記入もした。チヤームポイントをなくし、そして私からは笑顔も消えて行ったのだ。
 子供時代から、「チビ、チビ」と苛められ、成人してもやや小柄で病気がちな体質は、私の性格を従順で大人しくしていた。
しかし、私は戦うことを選んだ。
父は亡くなっていた。私に永久歯がまだ埋っている事や、子供のころの病弱が原因と思える持病も出ていたが、それらを知ることなく他界していたのが救いであり、私を強くしていた。

 しかし、いつしか戦いに疲れたのか、いつのまにやら私たちは、牙を抜かれた翁と姥になってしまっていた。
 私は戦後の栄養不良を取り戻すかのように、また子育て時の菓子の禁欲を取り返すかのように、大の甘い物好きである。夫はいまでも甘い物は食べない。私たちは嗜好も思考もそれぞれ別々だ。そしてお互いそれを干渉もしない。しかし、夫は出先から珍しい甘い物を携えて帰ってくる。私は二人分のお茶を入れる。時々茶柱も立つ。
 そして、チヤームポイントの犬歯の代わりに、差し歯の口元で「ニーッ」と笑っている。


立ち止まる先に、ウバユリの香りがする。葉(歯)がなくとも香っていた。




  「夾竹桃 」    木村徳太郎  【日本の旗】ノートより


             糯(もち)竿、持って

             子供が来ました 寺の塀。

             石鹸(シャボン)の匂ひ するような

             夾竹桃のさかりです。


             唯だか塀に

             するりと上がって 笑ひます。

             飾紐(リボン)みたいな 紅色の

             夾竹桃が 揺れました。


             竹籠持った

             子供が下から言ひました。

            「夾竹桃は 毒花(どく)だから

             蝉はどうでもいゝんだよ」

             子供が五人

             蝉を見つけた 午後三時

             むっとむせます匂います

             夾竹桃は 夏の花。


2007.08.12

黒百合

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北のひめゆり九人の乙女達
  
 黒百合が咲いた。百合と呼んではいるがユリ属ではなくバイモ属の花である。暗紫色に下を向くこの花が、私には特別な花となった。

 住まいの神社の境内を通りぬけ、奥に入ると枯れ山水の庭がある。その片隅に私は自分の花壇を作っていた。花壇と言っても都会からきた8歳の女児が、ただ土が珍しく、ままごとと同じ感覚で土を掘ったり埋めたりしているだけのものだった。子供の私が遊びで崩す築山を、神社の氏子総代たちは眉をひそめていたが、父は何も言わずに私に土いじりをさせてくれた。父も土に触れる事に興味を持っていたようだが、神社の雑務や執筆に追われ、私が楽しんでいるのを見ることで、土の感触を味わっていたのではないだろうか。
 父は同人誌を発行しており、全国各地の人たちと交信を持っていた。小さい豆本が送られてきたり、各地の特産物が送られてきたり、民芸品が送られてきたりした。その中に北の国から送られてきた黒百合の球根があった。
父は早速、私にそれを植えるように言う。北海道と言う北の端で咲く珍しい花であること。八才の子供相手に、黒百合の悲恋物語伝説を。「淀君とねね」の話などを。黒百合にまつわる話をいくつかしながら「大事に育てるように」と球根を手渡した。育て方など何一つ知らない。ただ大事な花と、丁寧に土に寝かせ毎日水をかけ、芽の出るのを楽しみにしていた。父が水をやっている時もあった。
 出身地は大阪である。私たちは焼け出されて奈良の地を転々としていたのだが、大阪には親類縁者がたくさんいた。中には、田舎暮らしの私たちを不憫に思い、従兄弟たちのお古の服や、都会の珍しいものを携えて田舎を訪ねてきてくれた。それは毛糸で編まれた可愛い水着や、絽の浴衣などであった。田舎では川泳ぎをする。みんな下着である。一人だけ毛糸のワンピース水着を着る私は、苛められた。木綿の浴衣の中で、私の涼やかに透けるカワラナデシコ柄の絽の浴衣もまた、苛められた。食べ物を持ってきてくれるのが一番嬉しかった。そんな中に生ハムがあった。子供心にも、それは今生の物と思えない美味しいものだった。あてがわれた枚数のハムを、目を瞑るようにして大事に大事に食べる。ハムは栄養があると祖母が話す。こんな生ハムは、「ちよっとやそっと」で、食べられるものではないと言う。貴重品中の貴重品だという。私は・・・・。、
 私に分けられた三枚のうちの一枚を黒百合にも食べさせてやりたいと思った。栄養になり、これほどおいしいものを、黒百合が食べればどんなに立派に大きく育つだろうと思ったのだ。自分で全部食べたかったが、大事な黒百合にもやろうと思った。私は一枚を惜しみながら小さく千切り「これ食べて、はよ大きなりや」と、黒百合の脇に生ハムを埋めたのである。
 翌朝、黒百合は無残に掘り起こされていた。百合根は崩れ散らばっていた。美味しいあのハムの匂いだけを残して荒らされていた。猫が掘り起こしてハムを食べてしまったのだ。私は泣いた。ハムが惜しいのでなく百合根が駄目になっているのが分かったからだ。父は私が黒百合にハムをやったこと、黒百合に食べさせたかった思いを聞くと、泣いている私の頭を撫で、何も言わなかった。
 あの時、黒百合の花を見れずにどれだけ父は残念に思ったことだろう。そして神社を追い出されるように去らねばならなかった原因の一つに、私の土いじりも含んでいたのではないかと、すまなく思う。
 中学生になると、水原弘の「黒い花びら」という歌が流行っていた。だみ声でこの歌ををいつも歌っている男子がいた。私たちはまだ恋なんて言葉の真意も知らない。その子がちらちら女子を見ながら歌うのがこっけいで、私たちは突付きあいをしてクスクスと笑っていた。そして歌が<黒百合>であり、黒百合はどんな花だろうと、見たことのない<黒百合>と言う花に夢をのせていた。私は幼い時、駄目にした黒百合の球根を思い出し、残念でしかたがなかった。
 黒百合は、私にせつなさと、あの男子のこっけいなだみ声を、思い起させる花だった。
そんな<思い出>に加えて、衝撃的な話を知った。黒百合はただ、私の思い出のなかに咲く花だけではなくなった。切なさやこっけいさを通り越え、厳かな花になった。


      「原爆忌」 
 私が初めて戦争映画を観たのは8歳のとき・ それは「ひめゆりの塔」でした・ 綺麗なお姉さんたちが死んでいく・ それが悲しいかった・ 私が初めて原爆のことを知ったのは8歳のとき・ それは「長崎の鐘」でした・ 歌詞の意味はわからずに・ どんな歌にも振りをつけて踊っている児でした・ 私が初めて浦上天主堂を観たのは・ それは高校の修学旅行のときでした・ 私が初めて広島の原爆公園を訪れたのは・ それは広島育ちの夫に連れられて・・・・そこでぼろ切れのように皮膚を垂らした人形をみたのです・ 夫はあの日・ 夕空をつく火光の中を兄さんと川遊びをしていたと言う・ 市街から遠く離れた島根との県境・それでも夫は火光をみたと言う・ 8歳で夫は火光を見・ 私の8歳は踊っていたのです・ 夫は我が子が8歳のとき・ 火光のことを何度も話す・ 「水が欲しい。水が欲しい」と・ 話を聞いて大きくなった子供たち・ あなた達も自分の子供が8歳になったとき・必ず話して下さい・ お願いします
 

 そして、私は別のことを話します。

  戦いはまだ終わっていなかったのである。
高石ミキ (24歳)
可香谷シゲ(23歳)
吉田八重子(21歳)
志賀晴代 (22歳)
渡辺照  (17歳)
高城淑子 (19歳)
松橋みどり(17歳)
伊藤千枝 (22歳)
沢田キミ (18歳)
 九人の乙女たちは最後の力をふりしぼって、そのときキイをたたいていた。
「皆さん さようなら さようなら これが最後です」・・・・・。

『ポツダム宣言を受諾して戦争は終結したにも関わらず、ソ連軍は樺太の国境線を越えて南下を続けていたのだ。そして、8月20日には、樺太南端の真岡市に上陸して街を蹂躙した。突如、日本軍との間に戦いが始まり 戦火と化した真岡の町。真岡電話局に勤務する九人の乙女たちは青酸苛里を渡され最後の交換台に向かった。戦況を伝えるため純粋に使命感を全うし職場を守った。そして純潔を守るために自決をした。』
 あの日、九人の乙女達は電話局を死守し、本土との電話回線を確保していた。が、ついに電話局は砲撃を受け全ての電話線はソ連軍により切断されたのである。
「これが最後です。さようなら、さようなら」の声を最後に回線は切断され、九人の乙女達は青酸カリを飲んで自決したのだ。責任者であった可香谷
ヨシガダニ・シゲからの無線「ワレニンムヲオエリ。サヨウナラ。サヨウナラ。サヨウナ・・ラ」
「皆さん さようなら さようなら これが最後です」
 の声を残して・・・・・。
  
     「 戦争は二度と繰り返すまじ 」 


  戦火と化した真岡の町、その中で交換台に向かった九人の乙女たち。死を以って己の職場を守った乙女たち。窓越しに見る砲弾のさく裂、刻々迫る身の危険。死の交換台に向かい「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」・・・・・・・任務を遂行した乙女達。
 小高い丘陵の稚内公園「望郷の丘」に「九人の乙女の碑」は「氷雪の門」と並んで立てられている。沖縄戦の「ひめゆりの塔」は、映画や図書でも知った。しかし、北の地でそれも8月16日以後に起きた凄惨な戦いを、私は知らなかった。


 黒百合を見ていると「さようなら。さようなら」乙女たちの声が風に流れて聞こえてくる。
私は「黒百合の花を手向ける」


 「黒百合は恋の花。愛する人にささげれば」九人の乙女達は誰に愛をささげたのか。恋する心、喜怒哀楽、人間のすべてを奪う。それが戦争だ。六十二年前の今日、広島に原爆は落とされた。
http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/15832568.html
http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/17123558.html



  「 水鉄砲 」    木村徳太郎  【楽久我記】ノートより


                  ルーズベルト

                  チャーチルの

                  似顔絵を画用紙に

                  描かう。


                  もうひとつ

                  蒋介石も描かう。


                  書けば似顔を

                  庭の泰山木に引つかけやう。


                  そこで

                  昨夜作った水鉄砲。

                  人類の迷惑を考へぬ

                  毒虫のような男どもへ

                  直角に筒口をむけるのだ。


                  あゝ

                  こけ威しの嘘つぱちの男ども

                  ルーズベルト

                  チヤーチル

                  蒋介石。


                  いま、地上へきりきりと舞ひ

                  落ち

                  泥とまみれ

                  子供等の凱旋に

                  おゝ

                  卑屈に泣き面を歪めてもゐやう。


              ___ 季夏 太陽の下

    

2007.08.06

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アオバナ

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青い映す

   四季歳々空は色を変え、その空を掬いとるように花が咲く。
 スミレ、ワスレナグサ、ロベリア、クレマチス、アガパンサスにラベンダー、アジサイ、アメリカン・ブルー、ルリマツリ、アオイケシ・・・。空のように花が咲く。

  「草むらの緑とまぎれやすいその青は不思議な惑わしを持っている」 梶井基次郎の「筧の話」の中に出てくる「その青」の露草もそうであろうし、春の淡い空をこぼすのは、オオイヌノフグリであろうか。そんな中で、私はいつも
 「けふは朝から些つとも風のない日で、暮春の空は碧い玉を磨いたやうに晴れかゞやいてゐた」 『半七捕物帳(岡本綺堂)』 
この「暮春の空」を掬いとる花は、どんな花かと気になっていた。

      出会えたのである。その空の花に・・・。

 知人が宅急便のように、その「暮春の空」を、バイクに乗せて運んできてくれた。背の高い添え木に括られ、プランタンにぎっしりと植えられて、まるで空が揺れているように見えた。
 夏は、オニユリ、ノウゼンカツラ、カンゾウ、ヒメヒオウギ、カンナ・・・と太陽の色をこぼすようにオレンジ色の花が多い。そしてそれらの花に、陽の色を吸いとられてしまったかのように、夏の空の色は薄い。そんな薄色の空と梅雨明けの湿った風の中で、そこだけが清々しく透明の青さに揺れていた。よくこんな背の高いものを、バイクに積んで持ってこられたものだと思う。感謝の気持がその青い花に滲んで行く。その青い花は、アオバナである。
 草津市の市花に指定されている、このアオバナを見るのは初めてだったが、それはまさしく、「暮春の空」。まざりっけの無い“青”の空の花だった。
 子供のころ、「コケコッコの花」と呼んでいた露草を、二,三倍大きくしたような花で、大きな二枚の花びらはどこまでも青く、大きいがゆえに露草と異なり、花びらはフリルを寄せユラユラと波打っている。露草がコケコッコ(鶏)ならば、それはまるで伊藤若冲の鶏のように凄い迫力で私を引き込み吸い寄せる。
 知人が説明してくれた。日本の伝統文様を代表する友禅染の下絵を描くのに、このアオバナが使われること。糖質吸収を妨ぐ作用があるのでお茶やクッキーに使われ、健康食品としても売られていること。早朝のアオバナ畑は、一面青く染まっていること等。それらを話す知人の顔は、郷土の花の「アオバナ自慢」に輝いていた。
空が皆に愛されるように、空を映すこの花もみんなに愛されているのだろう。
私も「暮春の空の花」のようなこの花を自慢したくなった。
 滋賀県草津市は東海道と中山道の分岐点で友禅の本場の京都にも近く、比較的暖かく水にも恵まれている。それが必然的にアオバナ栽培の適地となったのであろう。
雨空に摘んだ花は、雨水を取り除き、粗しぼりのその汁を捨てねばならない。また汁を塗った紙も乾かせず、雨日の花は空と共に涙にくれる繊細さだ。そして、コウゾ和紙に100回近くも絞り汁を塗り重ね、青花紙にするその作業は、『地獄花』とまでいわれる過酷な労働作業だ。が、「本当にいい友禅をつくるには下絵が自由に描け、下絵を消せる青花紙があってこそ」と言う友禅職人の声に「絶やすわけにはいかない」と、今に続けられているという。1回、2回とアオバナの絞り汁を塗りかさね10回塗って、やっと色は濃く、青から紺色になるという。塗っては干し塗っては干しを重ねて、紙に込められた愛情が縦39cm、横27cmの青花紙となる。それは四季の空、三百六十五日を含んだような色になるのだろう。出来た青花紙は必要に応じて必要な分だけを千切り、下絵描きの染料として力を発揮する。そして、思うままに友禅の下絵は描かれ、友禅模様が重ねられ、アオバナ汁の下絵のみが簡単に流れ、手描友禅模様が鮮やかに浮かび上がってくるのだ。
それは夕立時の、雨に洗い流された空が、鮮やかに虹を描き、虹を浮かび上がらせるのと同じだろうか。
 アオバナと虹は、消したい(心の)下絵、間違った(心の)下絵、そんなものを消し去り、残すべき物だけを鮮やかに浮かび上がらせるのだろうか。
 アオバナは空の花。暮春の空の花だ。

そして、我が家の庭に植え替えられた頂き物のアオバナは、朝の光を通して狭庭の空になっている。それは昼までの儚い空ではあるが、青花の花言葉が「無限への憧れ」であるように、この空もまた限りない憧れと夢をのせて、新しい今日一日が、開いていくのだろう。


露草はhttp://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/21477106.htmlに。

        

  「 採集 」    木村徳太郎   【夕暮れ】ノートより

                 菖蒲のある

                 水守の

                 草屋の庭。


                 黄金蟲 

                 幼虫は

                 ゐませんかな。


                 驟雨の晴れた
           
                 水と陽の
      
                 明快(明るい)午後。


                 竹籠手に
    
                 子が一人

                 にこにこと。


2007.08.01

           

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安寿と厨子王

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実寸のチゴユリ

稚児百合 
チゴユリの小さい叫び声、聞こえますか。チゴユリの小さい涙が見えますか。
チゴユリは、ひっそりと木立ちに隠れるように咲く、わずか15センチほどの小さい花です。
私はこの花の(稚児百合)と言う名前に愛うしさを感じるとともに、とても切なくなるのです。
雨に紛れて庭のチゴユリが、小さい涙をこぼしました。
「アッ!安寿の涙」・・・。
私はいつもそう思うのです。
そう思わないことには、あまりにも切なく悲しいのです。

森鴎外の「山椒太夫」に出会ったのは中学生の時でした。それ以前に「あんじゅとずしおう」「安寿と厨子王」という、絵本や児童書に出会っています。絵本に「オイオイ」と泣き、書籍で「ポロポロ」と涙をこぼし、中学生で悔し涙をこぼしました。

安寿と厨子王の姉弟とお母さま、女中との旅からこの悲しい物語は始まりますね。私はいつも、「ここでこうしなかったら」と、話を巻き戻しては、自分で勝手に話の筋を変えてみたりします。そうでもしないとあまりにも大きな悲しみに、打ち勝てそうにないのです。でもそれは、悲しみから背をむけようとする私の勝手な物語。
やはりこれは、悲しい悲しいお話です。憎い山椒太夫です。これはひどい偽善者の話です。
「山椒太夫」は誰でもが知っているお話ですね。
森鴎外の生き方がよく出ているとも、マザーコンプレックスの鴎外が、母への思いの余韻を出しているとも、健気に立ち向かう子供の感動をよく伝えているとも、或いは復讐劇ではなく、勧善懲悪の説教話。鴎外の政治批判とも言われています。いつまでも後世に残る名作に違いありません。どんな時代になろうとも、読み継がれて行って欲しい名作です。

『「お母あさまお母あさま」と呼び続けている姉と弟をのせて、宮崎の三郎が舟は岸に沿うて南へ走って行く。「もう呼ぶな」と宮崎が叱った。「水の底の鱗介(いろくず)には聞えても、あの女子には聞えぬ。女子どもは佐渡へ渡って粟の鳥にでも逐わせられることじゃろう」姉の安寿と弟の厨子王は抱き合って泣いている。』
物語は佳境に進みます。私はもう涙が溢れ出てこのあたりから読み進めることが困難になっていくのです。
姉(安寿)は潮を汲み、弟(厨子王)は柴を苅るのです。別に次郎と三郎の兄弟も出てきます。私は三郎が大嫌いです。三郎は人間ではありません。こんな酷い人間をよく神様はお作りになられましたね。
そして終章に近づき、安寿の願いがかない安寿は厨子王と共に柴苅りに行けます。そのとき三郎は安寿の長い髪まで切ってしまうのです。なんと恐ろしい獣でしょう。

『安寿は畳なり合った岩の、風化した間に根をおろして、小さな菫の咲いているのを見つけた。そして、それを指さして厨子王に見せて言った。「ごらん。もう春になるのね」
 厨子王は黙ってうなずいた。姉は胸に秘密を蓄え、弟は憂えばかりを抱いているので・・・』
私はここまでなんとか読み進められましたが、またまた、ここで熱い涙があふれ出るのです。

物語は、安寿が入水し、厨子王はたくさんの人と神仏の加護に助けられ、盲(めしい)の母と再開できます。そして、母の目が開きしっかりと二人が抱合う所で物語は終わります。
私の目と鼻はもう真っ赤になります。

チゴユリが揺れています。チゴユリが泣いています。私はチゴユリをみるたびに、この「山椒太夫」の安寿を思い出すのです。安寿はあの厳しい「生」の中で、菫の花を見ています。弟に春のくる事を暗示しているのです。
私は思います。安寿は菫を見た。そして絶対にチゴユリも見ていたに違いない。そう思うことで、悲しみで潰れそうになる私の胸は、少しはやわらぐのです
その小さく健気で、白いうつむいた目立たない花。その名前は「稚児百合」。
この花を、きっと安寿は見ていたでしょう。安寿が見ていないはずはありません。毎日、辛い辛い潮汲みに出かける山道で、神様はせめてもと、この小さい花を安寿に見せてやって下さっていたと思うのです。木陰に隠れるように咲いている白い花。安寿は一瞬の安らぎでしかありませんが、それでもその花に癒された。神様はきっとお見せになって下さっていた。
せめてそう思わないことには、あまりにも悲しすぎる話なのです。
鴎外もきっとそんな思いだったのでしょう。だから安寿に菫の花を見せたのでしょう。
安寿は菫に春を思い、稚児百合に、弟や両親と暮らした幼い日々を思い浮かべたことでしょう。そのとき、傷だらけの安寿の頬にも少しは光がさしたでしょう。私はそう思いたい。
でないと安寿が可哀想で可哀想でたまらないのです。チゴユリは、安寿がほんのひとときでも、笑みを持つことが出来た花だと思うのです。チゴユリを見ると、いつも健気な安寿を思い出します。
きっと安寿もこの花を見ていた。肩に食い込む潮汲み桶の重さに耐え、数秒しか足をとめられない一時ですが、安寿は微笑んで稚児百合を見ていたのでしょう。
「神様。見せてあげて下さいましたよね」

木陰にチゴユリを見つけると安寿を思い出します。私は泣きます。
返して下さい。安寿や厨子王を。
チゴユリは、中世末期の安寿と厨子王が山椒太夫に捕らわれていたあの時代も、きっと木立ちの影に咲いていました。安寿にきっと微笑をもたらしてくれました。安寿に少しの安らぎをあげてくれた、そんな花ではないかと思うのです。


先日オカリナで参加させていただいた朗読会の演目は「家族」。やはり、ここにも酷い太夫が出てきました。関わる人はどんなに辛い心か。昔はこんな酷い話がたくさんあったのですね。いいえ。昔だけではありません。いまでも愛する人を奪って離なればなれにしてしまう偽善者。権力。許せません。安寿の悲しみを知って下さい。稚児百合の涙を知って下さい。


ブログを初めて1年が過ぎます。面白い事にも出会います。
1*「バトン」と言う繋がりです。まーめさんが「クエ」から「エッチ」、そして「チ」を私が受けてそのままになっていました。(きっともう忘れているでしょう)http://blog.kansai.com/omusubi0401/335
「チ!」。花が咲いたら「チゴユリ」で書こうと思っていました。そしてバトンを回します。次は「リ」です。どなたかが受けて下さいますか。指名をされても、受けていただかなくっともいいのです。バトンに参加しなくても良いのです。また指名なしで、バトンを受けて下さる人があればなお面白いという遊びです。ブログやHPを持っておられない方で、受け取って下さる方がいらっしゃいましたら「投稿」をメールで送って下さい。花の絵しか描けませんが、花ひとひらが挿絵を描いてアップさせて頂きます。共同でアップさせて下さい。ゲームに参加してちよっとお遊びをいたしましょ。
2*私はyahooブログですが「転載」機能がついています。これは他のブロガーの方の記事をお借り出来る物です。とても可愛いく癒されるものがありましたので、転載させていただきました。いろいろと情けなくなる世の中ですが、少しほっこりするひとときを(猫にマウスを合わせて「ぽち」として下さい。可愛いですよ)お楽しみ下さい。 http://blogs.yahoo.co.jp/gonzaemondabe/13742308.html
3*yahooブログは左端に訪問履歴があります。そこを私はチエックします。時々驚くようなブログがあります。そのびっくするようなブログが、知っている人の作成だったら心臓が飛び出ます。ブログも光と闇。知らない部分を知ったりしました。
みなさま。今日もブログで楽しくお過ごしください。今後とも「風にのって花ひとひら」をよろしくお願い致します。



       「魚釣と脈」     木村徳太郎
 
                 霧の流れる 入江です

                ―脈も静かで 六四

                 潮もうっすら 匂います。


                 鴎が水を つつくから

                ―脈も七十づれました

                 葦もなんだか 揺れてます


                 浮きが動いて 鈴が鳴る

                ―脈も弾んで 七十五

                 息をつめつめ 計ります。


2007.06.27

 
 

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