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のんびりしたブログですがよろしくお願いいたします。

野に咲く花

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土付き野菜

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 「土つきの野菜 今は懐かしく」 京都新聞「窓」投稿掲載 (2007.01.27)


  子供のころ、冷たい水で、土付きの冬野菜を洗う手伝いはつらかった。 霜焼けも出来た。今は店先

で土付き野菜をあまり見掛けない。 それどころか天候に左右されることなく、地下の工場で土を使わず

に野菜の根に直接養分を与える水耕栽培が行われ、農薬を一切使用せず、無菌に近い状態で作られる

野菜もある。土も虫も無縁である。またビルの屋上では人工軽量土で野菜が作られているところも

ある。

 子供のころ、学校帰りに冬耕するおじいさんの姿をよく見た。 春には田畑に小さくてかわいい野菜の

芽が並んでいるのを見つけた。そして青虫を見つけ、チョウが飛ぶ。 夏には夏野菜を、冬には冬野菜を

食べるのがよく、それは体のメカニズムにも合っていると教えられた。

 今の時代は、季節に関係なく野菜も果物も食べられる、土も付いていない。 懐古趣味ではないけれ

ど、時々あの土付き野菜が懐かしくなる。

 野菜はこれからも大地でつくられるのだろうか。大根を煮ながら、そんなことをふと考えた。




太陽 の匂い

  冬の日暮れは早い。学校から帰ると制服のセラー服を急いで普段着に着替え、腕まくりをして水汲

みを始める。雪混じりの寒い日だ。足元に掛る水は射すように痛い。蓋のない井戸に枯葉が浮いてい

る。雪が井戸に吹き込むがすぐに融ける。井戸の傍の石垣にはユキノシタや、ヒトツバ(羊歯)やベンケ

イソウが苔と一緒に寒さに震えていた。枯葉を釣瓶で掬い取り、「さあ〜何往復しようか」と、その日は

大きく深呼吸をし、張り切って水運びをする。釣瓶から汲みあげた水には湯気が立っていた。井戸水は

意外と温かいのだ。それを二つのバケツに等分に入れ台所の水瓶(ミズガメ)に運ぶ。「都会には水道と

いう、捻るだけで水の出てくる装置がある」と聞く。私には想像がつかない。そんな便利で、楽な暮らし

は夢のように思えた。水を汲み、水を貯める作業はかなり辛い。しかし、辛いからこそ水を大事にしたも

のだ。おくどさん(かまど)の向かいに簡単な流しがあり、その横に大きな水瓶がある。水瓶の蓋を取る

と、灯かり窓から差し込む光が反射して小さい漣(さざなみ)がたつ。水が満たされていると安心する。

空になってくると井戸から水を汲み上げ、運び、満タンにする。風呂の浴槽にもバケツを両手に何往復も

し水張りをするのだが、その回数より少なく水瓶は満タンになったから、浴槽より小さい水瓶だったのだ

ろう。洗い桶に浸け置きした食器類は、縄の束子(タワシ)に灰をつけて洗う。ゆすぎは一度だけ水を変

える。流した汚水は外に埋められている別の瓶(カメ)に貯められ、畑や庭の木々にかける。(米の研ぎ

汁、残すことがほとんどない料理の屑などの洗い水で、養分は満点だったと思う。)

野菜には全て土がついていた。大根は真直ぐで洗い易い。葱も洗うのは簡単だった。しかし、冬の寒さ

に洗う水菜(ミズナ)は困難だった。細かい葉の間に土が潜り込んでいる。洗い水をジャブジャブとは使

えない。貯めた水の中で丁寧に土を洗い流す。ミズナの瑞々しい匂いに土の匂いが混じってくる。ミズナ

をわずかの牛肉や鯨肉と一緒に炊きながら食べるのだ。カンテキ(ヒチリン、コンロ)にかけられた鍋か

らは、湯気が天井まで届くかと思うほどに上がり、ミズナがグツグツと煮えている。炊きながら、ミズナ

をどんどん追加しては「フウフウ」と鼻に汗をかきながら食べる。肉や鯨は味付けだけのものでほとんど

ミズナを食べているような物だ。しかし、とても温まり冬の大ご馳走だった。肉は少しでも、柔かい大株

のミズナはいくらでもあり、お腹一杯に食べられた。そして客人にも、これがもてなし料理になる。客人

のときはこれに生卵をつけて食べるのだ。湯気の中で人々の話が弾み、お喋りと笑い声と湯気に囲ま

れた、この<ミズナの焚き食い>は至福のご馳走となった。しかし、この「ミズナ洗い」が問題だった。

ミズナ洗いだけは、いつも姉と押し付け合いになる。が、水汲みもミズナ洗いも私が率先して引き受ける

日があった。その日は学校から早く帰り、腕まくりをして水汲みをし、ミズナ洗いをやるのだ。霜焼けの

手でミズナを洗う。ミズナ洗いを姉が私に任せるのは、その<ミズナの焚き食い>を食べる客人を、私が

心待ちにしていることを、そしてその準備に私が拒否しないことを見破っているのだ。ずるいとは思うが

そのときは、いつも嫌な水汲みや水菜洗いが楽しかった。(食べさせたい人がいると、苦労も楽しさに変

わるという事を、私は既に中学生の時に学んだようだ。)

今、土付きの野菜などはない。あの複雑に入り込んだミズナの土はどういうふうに洗って店頭に並べら

れるのか?ときどき不思議に思うこともある。そして、いまや土付きどころか土で育てない野菜もあるの

だ。安心して手早く食卓にのせられ、瑞々しさもある工場野菜。しかし、あの食べさせたい、食べて貰い

たい幸せ感(人を思いやり、気づかい、そして自分をも楽しくさせるもの)それは「愛情」ではなかった

か。それは作物(商品)という形だけのものではなかったと思う。「心」の付加があった。それが今、少

しおかしくなって来ているように思う。

昔、野菜は太陽と、水と、土で作られた。そしてその恵みの<生り物>は、食べる人へ栄養(心、育ち、

感謝)となり、人間が作られていった。食物、作物を産み、それを食べること、食べさせることは「愛

情」だった。

土のつかないミズナを便利で有り難いとは思うが、少し寂しい。健気な昔の私を思い出し寂しく感じ

る。野菜は大地で作られものだと思う。あの土の匂いはどこにいったのか。「食育」という言葉をよく聞

くが、私はこれに「農」を加えたい。「食農育」と言うべきだろう。食(愛情)は「農」でつくられる。

日本はかって瑞穂の国だった。「食」を大地で作る「農」があてこそ「愛」ある「育」が出来るのではな

いか。

セイダカアワダチソウやクズが生い茂り、荒れたままになっている田畑をよくみる。工場でつくりだされ

る野菜も良いだろう。しかし、人間が二本足で踏みしめる大地で、あの太陽と貴重な水と土で作る「愛」

「心」が懐かしい。 野菜の根をながめ、トウ立ちしたミズナの花に蝶が来るのをながめ、土の匂いを嗅

ぐ。

土、水、太陽。私は今日も遠い昔のこの匂いを捜している。




   「早春」     木村徳太郎 童謡藝術年刊 昭和18年3月号より 
    
 
               うつすら薄陽

               土蔵(くら)の壁

               ほうやり明るう

               なりました。


               初午すんだ

               雪解(げ)みち

               綿子をぬいだ

               子がひとり

               鶯笛を

               ほうほけきよ

               うれしく音色

               ならしてく。


               うつすら薄陽

               土蔵の壁

               ほうやり榛の

               芽も萌えた。


2007.03.24

故郷の餅

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納豆餅を戴いた。餅の直径は<藁苞納豆>と同じ位で、厚味が1センチばかりのまるでお鏡餅を平たくしたような餅である。私はカワラケ(神前や仏前の供物をのせる皿)を思い出した。
「じっくり炙った餅を温かいうちに黄粉をひいた桶の中で端を伸ばし、塩味の納豆を半月に包み食す」と説明書きがあった。
私はトースターで焼き、スプーンの背で端を伸ばしてみるが中心はまだ堅い。さらにオーブンに入れ軟らかくし、<黄粉の大海の中で白餅の舟を麺棒の櫂でゆっくりと漕いで行った>。すると餅の舟は次第に薄くなり、納豆を包むと大きな柏餅が出来上がった。黄粉がほどよくトッピングされ、薄い餅生地から納豆が透けて見えて褐黄色のグランデーションの柏餅だ。
そして
一口!口にするなりその素朴な味に驚いた。雪深い民家の囲炉裏端で、お婆さんの昔話を聞きながら小さい手で抱きかかえるように「フウフウ」して食べる。一口ではとても食べきれない。残りは明日に取っておく、紅いチャンチャンコ姿のそんな私が現れた。始めて食べる納豆餅なのに、なんとも懐かしい味だ。
送って下さった人の郷土の味が、故郷は違っても幼いころの記憶や想いを呼び覚ます。食にはそんな文化 がきっとあるのだろう。共有できる「こころ」の文化だろうか。

さらに私は、胸が「キューン」となるものを見つけた。

黴、黴、黴・・・。餅に青黴が生えていたのだ。
その黴が、私に「美味しい記憶」として心の中に舞い始めた。今朝は珍しく小雪がちらちら舞っている。小雪が子守唄のように、あの昔のざわめきを、あの時を、歌いはじめた。この雪は淡雪、なごりの雪だろうか。



「美味しい記憶」


 師走の半ばを過ぎるころ、子供時代に過ごした田舎の神社は忙しくなる。氏子総代さんたちが神社に集

まり、門松にする竹を伐る。御手洗(みたらし)に、山から引いている取り水の筧の竹を新しく取り替え

る。拝殿の煤払いも始まる。普段は訪れる人も少ない小さい神社だが、このときはあちらこちらにと多く

の人が動く。 そして、門松に使った残りの竹が「ポーン、ポーン、パチ!」と爆ぜ、焚き火が空高く燃

え上がり、神社一帯は活気をおび始める。小雪が舞いはじめそれがよけいに、「お正月が来る。来る!」

とワクワク感を盛り上げる。邪魔をしているのか手伝っているのか分からないが、宮司の父の後を追って

私も紅い半纏を捲し上げ、「チョロチョロ」と動き回る。小雪混じりの冷たい空気も清々しく、そんな精

錬な空気に包まれているのが楽しかった。

 父に着いて山に入り、ウラジロ(羊歯シダ)を採る。身を切るような冷たい山風の中を、切り裂くよう

にときどき鋭く鳥が鳴く。足元を流れる山水は、すでに新年の光を映しているかのように木漏れ日でキラ

キラと光っている。ウラジロに混じってヤブコウジや、マンリョウの紅い実が、根雪の中に温かい灯りの

ように「ポッ、ポッ」と点っている。

 拝殿には長い竹を何本も渡して、鏡餅を置く台が作られる。そこに、数十軒ほどの村の住民達が各家

で搗いた鏡餅を、並べるのだ。神社に(神様に)鏡餅を供えてくれのだ。家によって大きな鏡餅だった

り、私の手の平に乗るような小さな鏡餅など色々である。それを山から採ってきたシダの上に並べてい

く。


 正月が終ると、その数十個の鏡餅が私たちの貴重な主食となるのだった。寒村の神社勤務の父の給金

は、正月の鏡餅、夏には麦、秋には米、季節毎に神社に供えられる野菜の「お下がり」が主で、現金はほ

とんどなかった。

 鏡餅を拝殿から下げるころ、寒い風に吹きさらされて並べられていたその鏡餅は、ヒビが入り堅くな

っている。それを<押し切り>という道具で小さく切って行く。手すきの時にボチボチと切っていく。

そのうち鏡餅に黴が生え始め、堅くて金槌でないと割れなくなる。紅色や青色や黄色の黴が、割った餅の

奥深くまで染まっている。フワフワの綿毛のような黴もあった。金槌で叩き割るとその綿毛の黴は私の鼻

腔をくすぐった。

 私は、この黴の生えた餅が大嫌いだった。黴臭くておまけに湿気たような悲しい味がする。

 父は「ペニシリンは、黴から作るんや。毒と違う」と笑って、黙々と押し切りを動かし小さくサイコロ

型に、または、トランプ型に切っていく。サイコロ型はキリコ(あられ)になり、トランプ型は繋いで干

し、カキモチにする。私は黙々と悴んだ手で切られた餅を新聞紙に拡げたり、麻紐で繋いで棹に干す。

切るときに砕けて出来る餅屑のような雪が、時々部屋の隙間から入ってくる。

私は、黙って父の顔を見上げる。私にはその「黴」よりさらに厭なことがあったのだ。

同級生が、「オマエの所は乞食みたいや。なんでもタダでもろうって」と言う。「タダと違う。電気代も

払っていなけど、御飯を炊いたり風呂を沸かす薪も作ってもらっているけど、これは、父ちやんが神職と

して働いた給料の一部が、労力や現物で支給されているだけや。乞食と違う!」。

投げられる言葉に、私はどれだけ口惜しかったか。しかし、現金のない父が惨めにも見えた。

貧しい村の子供たちには、神社には「いろんな沢山のものが集まる」と羨ましく映ったのだろう。(しか

し、それは大人たちの一部がそのように言うから、子供たちも真似て言っていたのだろうと思う)

 金槌で割られた小さい堅い餅は、火鉢に掛けた網の上で気長に何度も裏表を返して焼く。急ぐと外側

ばかりが炭のように焦げて、中まで柔らかくならない。じっくりと焼いてそれを醤油に浸す。亀裂(ひ

び)割れの間から醤油が沁み込む。また網に乗せる。醤油の焦げる匂いがあたりに広がる。醤油が「ジュ

ー」と炭火に落ちて広がる香ばしい匂いは、黴の匂いを消してしまうので私を喜ばせた。

しかし、毎日続く黴だらけの餅に私は嫌気がしていた。搗きたての柔らかい餅を一度食べてみたかった。

「こんな黴だらけの餅は厭や」「乞食なんて言われるのは厭や」「他所者と苛められるのは厭や」「こん

な所は厭や!」と、胸内で吹き荒れる吹雪のように私は叫んでいた。

 父が神社を退職した。私も村を「振り返りたくもない場所」と思っていた。しかし、年月を経るとあの

場所が私の原点であるように思えてくる。そして、半世紀ぶりに同窓会に出席することができた。

「あんたのお父さんに食べさせて貰ろうたお餅、黴の味がしたけど涙が出るほど美味しかったわ」と、同

級生たちが口々に言う。遊びに来た友達に、父が「ちよっと待っときや」と、あの堅い石ころのような餅

を焼き、何度も何度も醤油に漬けてみんなにふるまっていたのだ。

 あのころは、何処のうちも貧しく食物が豊富にあったわけではない。同級生は、あの餅が涙が出るほど

美味しく嬉しかったと言う。父の優しい思いを聞かせてくれたのだ。

 好きになれなかった黴の餅だったが、あれは「最高の味」で、「最高の父の味」の食べ物だったのだ。

久しぶりに見た黴が、懐かしい「美味しい記憶」を思い出させてくれた。

今は柔らかい餅を厭というほど食べられる。パックに包まれた餅に黴などはない。亀裂割れて、赤や青や

黄色に黴で色付けされた餅などはないだろう。堅い餅も電子レンジですぐに柔らかくなる。

しかし、お金は無かったがお金にかえられない「宝物」を、私は沢山貰らっていたのだ。醤油の香ばしい

匂いと黴の匂いが蘇る。あのときの餅の味は、「宝物の味」だったのだ。



黴の出た納豆餅の一枚を焼いて、醤油をつけて食べてみた。黴の味は涙を滲ませ少ししょっぱい味もした。そして納豆餅に、私の知らない故郷をも感じた。送ってもらった納豆餅は、私にたくさんの故郷を味わさせてくれた。それは故郷が、心が、増えたような気持を与えてくれた。




   「自然」   夕暮れノートより  木村徳太郎
       
  
             雪晴れて

             街は月光(ひかり)に燻ぶされる。


            ビルがならんで ここだけは

            月の光が うっすらで

            巨大(おおきな)氷河を 思はせる。


            ビルの堆石(モーレン) 亀裂割れ(ひびわれ)は

            月の光が うっすらで

            氷の條痕 思はせる。


            いまも生きてる ここだけは

            月の光が うっすらで

            太古の氷河を 思はせる。


            雪晴れて

            街は自然に つゝまれる。

             
2007.02.24

梅の花

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 梅の花 纏(まと)いて

 「カーンへお行きゃぁしゃたか?」と小春の中で、野良仕事をしている姉さんかぶり、モンペ姿のお婆さんが声をかけてきた。
「カーン?」
私は、小春の中で聞く「カーン」という響きに、なにか懐かしいものを覚えた。もう一度、案内所で貰った地図を確認する。上り下りの坂道、やっと農作業用の軽トラックが通れるだけの細い道。その道なりに沿って真直ぐ行けばよいことになっている。
 暖かい日差しに背中を押され歩く。乾いた空気に私の足音だけが響く。その響きに合わせるように、「カーン?」「カーン?」と何度も首を傾げて(かしげて)歩く。

思い出した!   「ラフカディオ・ハーン」!
 何故か懐かしく感じたこの「カーン」の響きに、私は「ハーン」を重ねていたのだ。
胸が高鳴なる。いつもの私の癖が出る。(確めもしないで、勝手に自分の想いの中にどんどんと入って行くのだ)。
この田舎に、「ハーン」に繋がるものが何か有るのだろうかと、動悸が打ち始めた。
 緑と棚田が広がる小さな農村。ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲の木霊(エコー)が、この自然のなかに響いてくる。ハーンは自然を描写をするとき、「聖なる」「神々しい」を言う。それがそのままあてはまるような、小さい農村風景が目の前に広がっている。

 私は「ハーン」「カーン」と交互に呟きながら歩く。
そして「カーン」はいつのまにか「ハーン」に、すっかり置き変わっていた。

 デザイン専門学校の学生達が、苔むす大きな庭を持つ民家や、昔ながらの農家の佇まいを残す住居をギャラリーにして、作品の展示会をしているのだ。その一ケ所が「カーン」なのである。
他の民家のギャラリーはすぐに見つけられたのに、その「カーン」だけがどうしても見つからない。案内状をよく見ると、「カタツムリ庵」となっている。「カタツムリ?」「イオリ?」さっきのお婆さんは確か、「カーン」と言ったではないか・・・。

 場所が見つからず、もう諦めて帰ろうかと思ったが、その「カーン(ハーン)」の響きが気になる。響きにつられて探し歩いているようなものだ。
 溜息混じりにふっと空を見上げた。と、その先に小さな二十段ばかりの石段が浮かび小さい小さい門が見える。何度も前を通っていたのに見過ごしていたのだ。見逃すような小さな庵で、古色蒼然とした門には「蝸庵」と書かれていた。

 石段を駆け上がる。女人が少し裾をたくし上げ、内股で上がるに相応しい細幅の階段だが、私は二段飛ばしで上がる。こじんまりと手入れがされいかにも尼寺と思える雰囲気(エコー)が漂っていた。

 私はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の大ファンなのだ。
ラフカディオ・ハーンは「春が運んで来るひんやりした風、空気」「人も物もみんな小さく、風変わりで神秘的」「特有のかわいらしさ」と<日本>を書いている。今は、もう見つけることが困難なような日本の美しさ(自然、庶民の生活)を書いている。ハーンの書物の中で、私はいつも幻想の世界に入り遊ばせてもらっていた。それは、夢みる心地の耽美の一時(ひととき)をくれていた。
 そんなハーンを幻想するような庭が目の前にあった。苔むす庭に梅の木が数本、その数本を渡ってくる風は、まさしく「春が運んで来るひんやりした風」である。
 庵に入ると「木の繊維を使ったウェエディングドレス」が展示されていた。華美さのない、シンプルな白のロングドレスだ。そして驚いた。小さな二間だけの庵。その四方に明かり窓がつくられ、そこから入りこむ優しい日差しが、ドレスを包んでいる。そして、その四方のどこからでも梅の花が見えるのだ。一帯は梅の花が、霞みのように流れ咲き誇っているのだ。
       部屋には一体の白いドレス。外には梅の花。
 私はまたもハーンを思い出した。ハーンは言っている。
「日本人は女の外見的な美しさを桜に喩えることはあっても梅には喩えない。ところが、女の貞淑さ、優しさとなると梅の花に喩え、桜には喩えない。女心の可愛らしさは梅の花に喩えられている」と・・・。 全く全く同感だ。
 咲いた梅の花もふっくらした蕾も、優しい愛しい<女、乙女、幼児、みどり児>である。孫(赤子)の握りこぶしを思い出した。そおっと広げた可愛い握りこぶしには糸くずがしっかり握られていた。ふっくら蕾も同じように蕊(しべ)をしっかり握りしめている。三分咲き、五分咲き、七分咲き、満開、どれもみな美しく愛しい。白い花は清純だ。

ハーン(カーン)の響きにつられて、探し求めて来た場所は、聞き間違いではなかったのだ。私にラフカディオ・ハーンの面影を見させてくれた。私は愛しい恋人に出会えた心地だった。

 一陣の風が起こった。「風花?」と思ったが、それは梅の花の花吹雪だった。
 過ってこの庵で修行をした尼僧、このドレスを着るだろう若い女性、そしてあの「カーン」と言った腰の曲がった野良着のお婆さん。舞う花びらの中で色んな女人を想ってみる。<女心の可愛らしさは梅の花>もちろん私も梅の花!。舞い散る梅の花が私を包みこんでくれた。

【「カーン」は「蝸」を(か)とも読みます。それで「庵」(あん)と訛って「カーン」だったのですね。地元の方はただ「イオリ」と呼ぶことが多いらしいです。でも私は「カーン」の響きがとても好きに成りました。この庵は、江戸中期に比叡山の修行僧によって開かれ、三体の仏像と天神様が祭られている事を後で知りました。だから梅の木がたくさんあったのですね】





      「 早春 」    木村徳太郎    童謡詩【日本の旗】ノートより
     
    
              青空 路の

              ビルの壁

              並木つゞいて

              遠い路。


              こぽこぽ一人

              歩いてる

              チユゥインガムを

              嚙みながら。


              なんだか 唄を

              鼻のなか

              こそばく 空に

              向けてゐる。

2007.02.17





     

南極物語

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第一次南極地域観測船「宗谷」で活躍した樺太犬十五頭は夜空のどの星になっているのでしょうか。
天国の、少し手前には「虹の橋」と呼ばれるところがあり、そこで人間達と愛しあった動物達は楽しく遊んで居ると言います。タロ・ジロも先頭をきって遊んでいることでしょうね。タロ・ジロが正しい呼び名ですが、子供時代呼んでいたタロウ・ジロウで表記することをお許し下さい。


逢えたね。タロウ・ジロウ     

  湖の近くの小さな郵便局。

本局が混んでいたので散歩をかねて足を伸ばした。

湖(うみ)風に乗って蝋梅の匂いがしてくる。

「そうだ!」帰りには湖に寄ってみよう。蝋梅の木の下に座ってみよう。葦(あし)の角がもう出ている

だろう。漣(さざなみ)に浮寝鳥(うきねどり)が遊んでいるだろう。

 そんなことを思いながら郵便局のドアーを押す。(自動ドアーではない)

ドアーを半分開けると、水仙(スイセン)の香りが身体を包んだ。

その香りに、「ほっ!」とした瞬間、<子アザラシ>のつぶらな瞳と目があった。
                       https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cc/79/hanahitohira06/folder/1558391/img_1558391_28099952_1?2007_02_121Japan post記念セットヨリ

「南極地域観測事業開始50周年記念」シール。

(ウエッデルアザラシの子)のポストカードが壁に貼られていたのだ。

 私は、あまりの可愛さに所用を忘れ、すぐさまこの記念シールを買ってしまった。氷山やアザラシ、ペ

ンギン等のカード5枚と80円切手のセットだ。
                       https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cc/79/hanahitohira06/folder/1558391/img_1558391_28099952_2?2007_02_111Japan post記念セットヨリ


  「有り難う御座いま〜〜す」と長閑な局員の声を背にし、そのシールセットを抱くようにして湖にお

りた。二月のはずなのに雪のない穏やかな小春、水面(みずも)は春の光で眩いぐらいだ。柳(やなぎ)

はいまにも新芽が吹くかと細いリボンを緩やかに揺らしている。湖畔べりの葦は、背高くざわわ揺れては

いるが寒さは感じられない。いつもなら薄氷(うすらひ)の水辺だが、湖水はよく動きキラキラと光って

いる。鳰(カイツブリ)が、鈴をふるような鳴き声で、思わぬところから浮かび上がってきた。鴨(カ

モ)が寄ってくる。今買ってきたセットの、ペンギンのポストカードを鴨に見せてやるが鴨は知らん顔を

して水中に入って行った。私は蝋梅の下に座ってシールセットの説明を読み始める。

                       https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cc/79/hanahitohira06/folder/1558391/img_1558391_28099952_3?2007_02_12Japan post記念セットヨリ


 吹雪く中で寒い南極の写真を見たのなら、身体はしんしんと凍みただろうが、小春の中でゆっくりゆっ

くりと南極の世界に入って行った。


「1956年(昭和31年)第一次南極観測船<宗谷(そうや)>が出航、翌年昭和基地を開設した」ことな

どが説明されている。ゆっくり読みながら目を波間に移した。

「!!!!」「?????」

もぐったり浮き上がったりしている二羽の鳰と二頭のカラフト犬が重なった。

 きらきらした鏡のような水面はまるで大雪原の氷のきらめきのようで、その中をころがりながらこちら

に走ってくる犬の姿と重なった。
                       https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cc/79/hanahitohira06/folder/1558391/img_1558391_28099952_4?2007_02_12Japan post記念セットヨリ


「そうだ!タロウとジロウだ」

あれは、私の十一歳の時だ。南極観測船のニュースを知った。私たち子供はみな南極に憧れた。ペンギン

がいる、大きな氷の山がある。それはいまだ見たことも聞いたこともない世界。それはどんな地の果てか

と三人寄れば南極の話題だった。

(そして地球の端と端、もう一つの端の北極のことを丁度父が物語に書いていた。)

知らない氷の世界。いくら想像しても尽きない夢をのせて<南極観測隊>は現実のお話だったのだ。テレ

ビは家にはなかった。ラジオから流れる南極のニュースはこうだった。

「南極観測隊の移動手段には、寒さに強いカラフト犬十五頭が犬ぞりに使われた。(寒いのが大嫌いで閉

じこもる私に『なんと賢く偉い犬たちなのか』と、ただただ感心させられた。)

そして、次の第二次観測隊が、氷に閉じ込められ動けなくなったこと。アメリカの砕氷船バートン=アイ

ランド号の助けで氷原をなんとか抜け出し、やっと飛行機から第一次越冬隊員へ手紙や野菜などを落とし

たこと。等々・・・」。

毎日ドキドキハラハラとまるで物語のような南極を頭に描き、白い厳しい世界を想っていた。

                      https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cc/79/hanahitohira06/folder/1558391/img_1558391_28099952_5?2007_02_12Japan post記念 セットヨリ


   そして、あの衝撃的なことが起こったのだ。

 第二次観測隊が氷に閉ざされ、全ての日程が狂ったことから観測を続行するか来年再挑戦かと意見が分

かれた。そしてとりあえずは、第一次の越冬隊員を飛行機で連れ帰ろうと決まった。隊員の回収に用いら

れたのは小さなプロペラ機のみ。そこに積める荷物の重さは300キロ。観測記録や南極の岩石などを積

み込むともうなにも積めない。そして何度にも分け往復を繰返しても、犬ぞりとして活躍した十五頭のカ

ラフト犬を積むことは出来なかった。犬を基地に置いたまま宗谷は日本へ帰って来たのだ。どんなにその

とき私たちは泣いたことか。第一次の隊員のオッチャンたちは、「泣くな!もうすぐ新しい仲間(隊員)

が来るから」「もうすぐ迎えにくるから」と犬たちに言っていたではないか。どうして犬を置いてきた

のだ。暴風に飛行機も飛べなくなり、氷に閉じ込められる南極のことをいくら想像しても子供の私たちに

は分からなかった。ただただ隊員たちだけで日本に帰って来たことに私たちは泣いた。

「犬を連れて帰って」・・・。

 子供に、隊員たちの惨苦や厳しい南極の自然など分かろうはずもない。ただ犬が可愛そう。親に捨てら

れたような犬が、ただただ可愛そうで毎日泣いた。

そして1958年(昭和33年)、宗谷はパワーアップされヘリコプター母船に生まれ変わり、三度目の挑戦で

南極に向ったのだ。この年は氷も少なく順調に基地へ到着出来た。

そして!そこで見た!走る影を。

 まさか生きているはずのないカラフト犬、タロウとジロウの兄弟犬の姿があったのだ。隊員たちは最

初、タロウとジロウに尻込みをしたと言う。置いてきぼりにした犬。野生にもどっているだろう犬。「腕

の1本や足の半分を食いちぎられたって仕方ない。オレたちが南極に残してしまった犬だから」と・・。

 しかし、前に歩んで行くと犬たちは尻尾を振って体をすりよせて来た。そして二頭の犬(タロウ・ジロ

ウ)と人間は涙に濡れてきつくきつく抱き合ったのだ。そればかりではない。二頭は元の主人の隊員たち

を覚えていたのはもちろんだが、犬ぞりの引き方も覚えていたのだ。

もう日本中が湧き上がった。私たち子供は寄れば触れば他の遊びを止め、タロウとジロウの話ばかりして

いた。

「南極地域観測事業開始50周年記念」シール。

 あれから50年が経っているのか。タロウ・ジロウは東京タワーの入り口でいま記念像に成っているとい

う。そして、昭和58年にはこの話を元にして映画も作られた。

 あの時、私は子供たちをその映画に連れて行き、親子でハンカチをぐっしょり濡らした。長男は我が家

の飼い犬の<レオ>と<ゴンタ>に、より愛情を持った。そして私は、<タロウ><ジロウ>に出会った

十二歳の私と同じ十二歳になる長女が、あのときの私のように涙をこぼしているのをみて、愛おしさと感

慨にふけったものだ。

 長閑な水辺の小さい郵便局で私はとっくに忘れていた「時」と「物」を見つけた。

 湖の暖かい日差しの中で、漣に光がちらちら反射する。それは吹雪のようにも見えた。まわりに沢山の

浮き寝鳥が波に揺れている。それはあのときのカラフト犬十五頭に見えた。また二羽の鳰が、もぐったり

浮き上がったりしている。タロウとジロウが寄り添って駈けているように見えた。

*(画像の上にマウスを置いていただくと拡大します)

2007.02.12



    逸話でよむ おはなし世界歴史   二年・下  実業之日本社刊 

ともだちを おもう こころ ___あむんぜんの はなし__木村徳太郎  は  次のページへ 

七草(ナズナ)粥

イメージ 1

野で七草摘み万葉人の気分

        京都新聞「窓」 2004年1月14日

 冬ぬくしと軽快だ。陽気に誘われ、車の短時間で済ませる買い物をやめ歩いてみた。スーパーに行くと、七草がゆのセットが山のように積まれていた。今日は一年の無病息災を願って、春の七草を使って七草かゆをいただく日であった。忙しさにかまけてすっかり忘れていた。
自分へのおわびと陽気につられセットを買わないで、帰り道に七草を探すことにした。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの七つだとスーパーのセットで確めてある。
セリの生えている場所は前から知っているので後回し、ハコベはすぐに見つかった。もう白いかわいい花をつけている。次はスズナ、ススシロだ。スーパーでは小さいカブとダイコンがはいっていたが、葉が必要なのだから、これは寄り道をして知人の家庭菜園でいただこう。
後はナズナ、ゴギョウ、ホトケノザ。ホトケノザは春先、庭にタンポポに似て雑草のようにはびこっていた。ゴギョウはハハコグサのこと、あれも黄色の花を付け雑草と私に嫌われ庭にあったはず。ナズナはペンペングサのこと。探すとこれも白い花をつけて風に揺れていた。
ミカンと物々交換をしてダイコン、カブ、を根ごと確保。セリ、ハハコグサ、ホトケノザも確保。暖冬のせいか野で七草が摘めた。万葉人になった気分だ。のんびり野を歩けたし、知人との久しぶりの話も弾んだ。七草がゆは邪気を払い無病息災を願うという。私はもう食べる前から邪気が飛んでいくような気分になった。

(花ひとひら)



§ 春草たちのおしゃべり §

フキノトウ  「暑い!誰が気をきかして炬燵を入れてくれたんだ?
        炬燵のブランド名は『地球温暖化』か。温かい!。
        お蔭ですっかり目が覚めたよ」。

ホトケノザ  「あら、フキノトウさんもお目覚め?私も、昨年から
        ずうーと起きていますのよ。『私?』 私は、正しくは
        田平子と申します。よろしくね」。

フキノトウ  「タヘイさん。ところで、今日は、平安時代の人が
        『せり、なづな、御形、はこべら、 仏の座、すずな、
         すずしろ、これぞ 七草』と お詠みになられた
         七草の日だと知っておられましたか?」。

ホトケノザ  「私はタヘイではございません 。子のつくタビラコで
        ございます。それにお歌なら「君がため 春の野に
        出でて若菜つむ 我が衣手に 雪は降りつつ 」と、
         <古今集>で<光孝天皇>が、お詠みにもなられて
        おりますよ」。
      
フキノトウ  「それは、どうも失礼をいたしました。素敵なお歌です
         ね。子のつく、タビラ子サマ。「子」や「君」を想い、
         こうしてお目にかかることが出来ましたのも何かの
         ご縁ですから、私たちも歌いませんか。風も寒さを
         忘れ優しくフンワリと伴奏をしてくれることでしょうし」。

タビラコ   「エエ。歌いましょう。」でも、私には『なずな七草唐土
       (とうど)の鳥が大和の国に渡らぬ先(まえ)に七草祝う
        ストトのトントン』とステップを踏んだり手拍子をとる
        ほうが似合っていそうな気がいたしますが・・・。
         「ストトンのトントン」。「ストトンのトン」

ハコベ     「なんだか、とても賑やかね」。

ナズナ     「何が始まったのですか?」

フキノトウ   「まあ!アナタたちも起きていらっしゃったのですか。
          ご一緒に歌いませんか?。ハコベラさんにペンペン
         グサさん」

ハコベ      「私はハコベラと呼ばれるのは好きですが、ナズナ
          さんはペンペングサでも、およろしいのですか」

ナズナ      「出来ればビンボウグサとかペンペングサは
          どうもネ。でもこのペンペンの撥(ばち)でお囃子を
          入れましょうか」。

フキノトウ    「なずな七草唐土(とうど)の鳥が「ストトのトン
           トン」。

タビラコ     「大和の国に渡らぬ先(まえ)に「ストトのトン
           トン」。

ハコベ      「七草祝う、ストトのトントン」

ナズナ      「それっ!ペンペンのペン。ホリャ!ペンペンの
           ペン」。

みんな      「ストトのトントン。」「そりゃ!ペンペンの
           ペン」。

ゴギョウ     「まあなんと騒がしい。少し静かにして下さい
           ませな」。うちのニョロコ(ミミズ)が起きる
           じゃないですか」。

フキノトウたち  「まあ、お母ぁさま。今日は楽しい七草の日です。
           少し騒いでもバチはあたりませんよ」

ナズナ      「そうです。そうです。バチ(撥)は私が納めましょう」

ゴギョウ     「まあ、それはそれは。しかし、私が(母コグサ)なら
          あそこに(父コグサ)が居りますので、呼んでも
          よろしいでしょうか」。

フキノトウたち  「大歓迎ですとも。(母)だけでなく(父)も
           加われば世は楽しいと言うものですよ。
           それに七草には、フキノトウ(父)さんは、入っては
           いませんが、みんなで楽しんでいるのですから」。

セリ       「私も入れて下さいな。私の香りで、みなさまの邪気
          を除き透き通るような綺麗な声にいたしましょう」。

みんな      「もちろん。入ってくださいな。こうして一つの庭で
          会えるのも何かのご縁、嬉しいですね」。
          「ストトンのトントン。ペペンのペンペン」
          「ソレッ!ペンペンのペン」。
          「ホリャ!ペンペンのペン」。

カブ       「台所からちよっと抜け出てきましたが。おやおや、
          みなさんお揃いですね」。

ダイコン     「お揃いでしたら、舞台を俎板の上に移して『スト
          トンのトン』を歌い踊りましょうよ」。

フキノトウ    「イエイエ、私たち父(トウ)さんたちは、お邪魔に
          なってはいけないので、野で待っていますよ」。

チチコグサ    「鈴のようなスズナのカブさんと、スズシロの
          ダイコンさんに、皆さん着いて行かれると素晴
          らしい春が来ますよ。美味しい七草粥になって
          皆さんを幸せにしてあげて下さい」。



急に静かになって、山茶花の花びらの落つる音が聞えます。それを耳にしつつ・・・。


フキノトウ    「暖かいからでしょうかね。皆さんと会えましたね」

チチコグサ    「お目にかかれてとても光栄です。これは『温暖化
           炬燵』のせいだけではないように思いますよ」。

フキノトウ    「地主さんが無精者で草引きが嫌いなので会えた
          のかも知れませんね」。

全員       「さあ〜〜。みんなで地主さんを始め、皆さんの
          無病息災を願って美味しいお粥になりましょう」
          「君がため 春の野に出でて・・・・ 」
          「あ〜役に立つと言うことはなんと麗しいこと」。
           「歌いましょう」「歌いましょう」

♪ 「なずな七草唐土(とうど)の鳥が大和の国に渡らぬ 
             先(まえ)に七草祝うストトのトントン」 ♪

地主       「いただきま〜〜す。アリガトウ!」。



  
 (春の草たちの賑やかなお喋りが春の光の中に広がって行きました。今年はもう

梅も咲いています。それに空からこぼれ落ちたような<空色釦>のイヌノフグリも

咲いています。水仙はもうとっくに咲いています。チンチョウゲの蕾やコブシの蕾

も、小さい涙粒を膨らませ、チューリップも起き出して来ています。あまりの賑や

かさに、地主さんの葉牡丹が小さくなっていました。)2007.01.07




   「早春」   「馬鈴薯の澱粉」ノートより  木村徳太郎
       
            ちらちら 薄陽

            ビルの壁

            街路樹(なみき)の枝の

            小さい芽。


             北向窓の

             残り雪

             しづくの露も

             日に和む。


             ちらちら 薄陽

             僕の手に

             うっすら早春を

             もってくる。


2007.01.05
「弘ちゃんは生きている」(1)〜(38)はブックマーク(ご挨拶)に入っています

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