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弘ちゃんは生きている(2)

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弘ちゃんは生きている(63)
学校の井戸水は鉄分が鼻について飲めない。色も茶褐色だ。連日の日照りで、余計にそれがきつく感じられる。隣の神社の手水舎と運動場はかなりの段差があり、その百二十段ばかりの階段を、ウメがノロノロと大きな薬缶を手にして上がっていく。ウメは自分では懸命に階段を上がっているのだが、みんなからみると、黒牛が歌を歌いながら目的を忘れてのんびり上がって行くように見える。
「ウメ!もっと速よ走れ。」
野球をやって、喉の乾きを覚える奥田君が大声でどなる。
それを見て弘が、「僕が行って来る」とウメの後ろを追いかけていった。弘は階段を一段飛ばしで上がって行く。弘は一週間前にウメを誘って弘のお父う(おとう)と三人で神社に「幻燈」を観に行ったときのことを思い出していた。幻燈は、スサノオノミコトとか言う神様の話で、ヤマタノオロチという頭が八つもある大蛇を退治して、困っていた村人や女の子を助けてお礼を言われる話だった。弘はその話に夢中になった。とても神様が格好よく見えた。そして、弘も「僕も誰かの手助けが出来る人間になりたい」と思ったのだった。
梶野先生の「野球をする学童の世話をお願いしたい」という誘いに意外とウメはすんなりと引き受け、仲間に入ったものの、動作が鈍く奥田君たちをいらいらさせていた。が、弘はウメが野球の仲間に入ってくれたのが嬉しく、ウメと少しでも一緒におられるのが嬉しかった。そしてウメの手助けをすることは、まるであの格好よいスサノオノミコトになったような気がしてウメを追いかけた。奥田君はいつもなら、そう言うときにはすぐに、人をからかったりするのだが、はやく水が飲みたいのと、ウメはちっとも可愛い女の子とはいえないので気にもとめない。
手水舎の水も干上がっていた。竹の管から流れ落ちる水はポタポタとしずくを落しているだけだった。
「ウメ。これではあかん。神主さんに言ってお宮の井戸から水をもらおう」
と神社の拝殿を走りぬけ、社務所に声をかけた。
神社の井戸は学校の井戸より高い所にあったが、学校の井戸ほど金気はきつくなかった。
弘は不思議に思った。同じ井戸でも、水の質が違うのだ。それなら、校長先生と水道工事の遠藤さんが出している、新しい井戸を掘って水道を引くという話は、必ずしもよい井戸が掘れるともかぎらない。おまけにそれには、考えられないほどの費用がいると弘のお父が話していた。村の対立感情とも重なり、村の山が残っていればまだお金はなんとかなったかもしれないが、個人負担となるとみんなはお金を出さないだろう。いつまでたっても水道は出来ないのではないかと弘は思う。農閑期になってもいっこうに水道の話は持ち上がってこないようだ。みんなはもう忘れているのかもしれない。村の人の協力もないまま、水道施設は不可能な事のように思えてきた。
スサノオノミコトの幻燈を観た後で、弘は神主さんに手水舎の水を学校まで引いて水道に出来ないか聞いてみた。ウメの家は山から引いた水で生活している。ウメも応援して聞いてくれた。しかし、神主さんは腕を組むばかりだった。
「いくらでも水を引いても良いけれど、飲料水にしたり、学童四百人ばかりが不足なく使える水の量としては、手水舎の湧き水ではだめだろう」という。
弘はそのとき、神主さんはケチだと思い、ウメに「水なんか、ただやんか。引かしてくれてもええのになぁ」と耳打ちしてウメにたしなめられた。弘のお父も「そりゃそうだ。水源が小さかったらどうにもなりまへんな。大きな水源があればええのにな〜」と言っていた。こうして、日照りが続き、手水舎の水も切れているのをみると、弘は神主さんの言ったことが納得できた。やはり水源が小さいのだ。参拝者の口や手を洗ったり、学童たちがたまに飲むぐらいの水はあるが、こうしてひでりが続くとそれも駄目になる。弘は水の不思議さと、改めて水の有り難味をおもった。スサノオノミコトも川に箸が流れているのをみて、上流に人が住んでいるのをしった。水は飲み水だけでなく、いろんなことを教え知らせてくれるものでもあるのだ。手水舎の水源になっている水、川の水、それに弘の家は田んぼをもたないが、山間部で広い農地のない村は、山のてっぺんまで耕し段々畑にしている。池田のお爺のところと中村さんのところは一番山の上にある小さい田んぼで水のとりあいになり、池田のじいさんと中村さんがなぐりあいの喧嘩になったとも聞いていた。
神主さんが言っていた。「湧き水を水道にする発想は非常によい。ウメちゃんの家はそのまま山からの水を使っているが、簡易水道といって生活するのに満足できる水量と、飲み水としての基準が合えば、それに適度な水圧を保つことがきれば水道は可能だよ」と言っていた。
その神主さんは、今日は嶽に登って雨乞いに行っているようだ。声をかけても誰も出てこない。弘とウメは「水を下さいな」と誰にいうともなく声だけかけて、井戸の蓋を開けた。井戸にはトマトが浮いていた。弘とウメは、目配せをしてそれを一つずつかじってみた。とても良く冷えていてトマトの味と匂いが立ちのぼりとても美味しかった。
「ウメちゃん水が欲しいな〜。水があればこんなにおいしくトマトを冷やして食べることもできるしなぁ」
と、二人は神社の神主さんのトマトを勝手に食べていることも忘れて、かわり交代に釣瓶から水を汲み上げ、薬缶に水をなみなみと入れ、みんなが待っている運動場へかけ戻っていった。
奥田君は「なにしとるんじゃ。遅い。はよ戻ってこんかい」と不服がましく待ちかねたように言う。そして薬缶を受け取るなり、口をつけて「ごくんごくん」と喉を鳴らして飲みだした。みんなも薬缶を回し飲みする。梶野先生も美味しそうに飲んでいた。ウメはそれを見て自分が少しでも役に立った事が嬉しかった。梶野先生が「有難う」と言った。それにつられたように奥田君も「美味しいわ」と、先ほどのイライラが、水を飲んで落ち着いたのか礼を言った。
川合先生は、ウメの偶鈍さをいつも笑って、ウメが大きな身体を揺すって走るわりには、ちっとも前に進まない。それを面白おかしく真似をして学童から笑いを取っていた。ウメはそのとき悲しかったが、いまこうしてみんなに喜んでもらえると自信がついてきた。野球の仲間に入れてもらって嬉しいかった。その嬉しい弾む心に合わせるように、嶽山の太鼓と鉦の音がいっそう大きく響いてきた。
「先生。雨がふらんとあきまへんな」
と、奥田君が大人っぽく村人と同じ様に水を心配して雨の降る事を祈るように呟いた。
「村の人が一生懸命雨乞いをやっているから明日当りから降るかも知れないね」
奥田君の呟きに、本当に雨がふってきそうな言い方を梶野先生がした。が、太陽はさんさんと照り、空には雲一つなく、雨は当分降りそうな気配はない。
弘は別のことを考えていた。日照りがまだまだ続くようだったら、ウメは度々水係りで大変だ。そのうち奥田君はまたいつものようにウメに怒り出し、ウメの偶鈍さを真似するかもしれない。
弘はウメの顔をこっそりみた。二人してトマトを食べたのが、なんだか同士の契りをしたように思えた。
「よし、スサノオノミコトになってウメを助けてやろう。ウメを従えて僕は水探しにでかけるのだ」と弘は決心した。明日から、ウメを従えて水探しにいこうと思った。
☆ ☆☆
それから何日後の、ホームルームの時間。
「先生!ちよっと報告します」弘がおもむろに立ち上がった。
みんなは野球の事かと思った。ウメも同じよう立ち上がった。
「先生。神社の森の奥に大きな榧(かや)の木があります。そこに水が湧いているんです。知っていますか」
みんなは、弘が突然何を言い出すのかとゲラゲラ笑い出した。
でも、梶野先生は
「ほう、そんなところに水が湧いているの」と驚いて聞きなおしてくれた。
「先生。とても綺麗な水で、それに甘くって美味しいです」
「うそつけ。神社の森は、御神山でだれも入った事がないわ」
ウメちゃんが
「嘘と違います。証拠に榧の実を拾ってきました」とみんなに配りだした。
みんなは美味しい榧の実を貰ったので、興味を持って弘の話に耳を傾けはじめた。
隆が「僕もそれ知ってます。以前お父さんと特別にご神山に入らせてもらった時
にみました」
御神体と崇められているうっそうと木が繁り、何百年も経た原生林のような神社の山奥に、まわりの石も地面も苔に覆われて水が湧き出しているという。隆もそれを見たことはあるが、そこは聖域で、その湧いている水のあまりの神々しさに誰にもしゃべってはいけないような気持ちがして、いままで誰にも仲良しの弘にも話していなかった。
それを弘とウメはどうして知ったのだろう。隆は不審に思ったが、弘の次の言葉にもっと驚いた。
「先生。水道がひけます。あれだけの湧き水があれば、みんなが水を使えます。あの水を学校に引いてきましょう。学校に持ってきましょう」
隆と、他の学童は唖然とした。ウメはうんうん頷きながらにっこり笑っている。
「あんな水が学校にあったら良いと思います。一度みんなで見に行きましょう」
梶野先生はざわめきはじめた学童たちを抑えるように
「うん。それは良い。野球をする前にいっぺん見に行ってみよう」「でも神社にお許しをいただかないといけないだろう」と言った。
神社の神主さんは、弘から水の話を先に聞いている。原生林のようなご神山に水の湧いているのも知っていたがかなり山の奥だし、そこから水を引くことは思いつかなかった。
ご神山である。神主さんは氏子総代とも計ってみてくれた。桐久保さんは子供たちが山に入るのを「宮司が許可するならそれに従う。なにかあった時には、宮司が責任をとればいいから」と言ってくれた。川合先生だけは
「そんな事は専門家にまかせればいいのです。荒唐無稽なことを言わないことです」といつもの荒唐無稽を持ち出していた。

弘ちゃんは生きている(62)木村徳太郎作(未完)
農をやっていないお父っあんは、頼まれものの山の下刈りも終って、毎日昼寝が出来るほど仕事の閑な時期がきた。
 今日も雨が降らず、昼寝から目覚めたお父っあんは、また野球の仲間入りに学校に出かけようとした。そのとき、
「役場からふれが出よった。五時から嶽山で雨乞いや」
大仰な声を出して入ってきた前田さんが、伝達書をお父っあんに見せる。
目覚めの欠伸をして背をそらし手足を伸ばし終わると
「野球に行こうと思ってるとこや。そんなこと、わしには関係ないわ」
子供たちと野球をする事が楽しいのか、お父っあんは雨乞いなんてどうでも良いと言う。
「アホ言ったらあかん。村の人に叱られるぜ」
「やりたい奴は勝手に嶽山に登ったらええ。おれは、水に関係がないし・・・」
「まあまあ、冗談言わんと頼むぜ。お前が太鼓を打たんと、誰も景気よう打ちよらんへんからな」
「子供が待っとると思うけど、しかたない。今日は野球を止めて嶽にのぼるとしょうか」
お父っあんが、行かぬと野球が出来ないと言わぬばかりに立ち上がった。
「頼むぜ。四時頃から登ってんか。太鼓は青年団がかついで行くことになっとる」
前田さんはそれだけ言ってまた、区内を廻るべくお父っあんの家を出て行った。それと入れ替わりに
「おっちゃん。野球に行かへんけ」
四,五人の学童が、まるで友人を誘うみたいにやってきた。
「今日はあかんのや。これから嶽へ登って雨乞いや」
「おっちゃん、来なんだらあかんがな」
「まんまかいな。嬉しい事を言うてくれよるなぁ」と、
水屋の処に足を運んで、駄菓子を持って来ると本当に嬉しかったと見えて、子供たちの手に少しづつ駄菓子を与えた。
子供たちはそれをを早速口に入れながら帰えっていった。
「おっ母。嶽に雨乞いに行く。堤燈に新しい蝋燭を入れてくれ」
黙って真珠の糸通しをしていたおっ母に言いつける。
言いつけられたおっ母は、相変らずむっつり顔で、お父っあんの嶽山に登る支度を手伝った。「晩御飯は帰ってから食べる」
山行きの仕事着に地下足袋をつけたお父っあんは、新しい蝋燭をいれた堤燈を腰にたばさみ、台所に行くと、一升瓶に、五,六合残っていた酒を水筒につめて、肩に引っかけて家を出て行った。
学校の近くから、嶽山に登る道に来た。
お父っあんは、子供たちだけが野球をやっているのだろうと学校の方を見る。心引かれるのだろう、暫らく立ち止まって様子をみる。
そこへ
「野球よりも雨が大事や。早よ行こう。村の若い衆ももう登りつくころや」と、前田さんが後ろから声をかけながらやってきた。
 海抜七百二十四米。四月十日の嶽登りの行事以来のことである。常日頃は登らないだけに、雑草が生え繁り道が判別しにくい。
ところどころに出ている岩頭を目当に、お父っあんと前田さんは登って行った。
ずうと先の方を青年団員が声高く話し合いながら登って行くのが見える。
嶽の中腹に桧牧区と自明区の登り道が合する処にきた。
背中一杯に染みた汗に、一息入れるために二人はその場所に腰を降ろした。
青年団員もそこで休んだのであろう。あたりの雑草が折れて乱れている。
太陽が頭上にあるが、杉木立が太陽をさえぎって日影をいっぱい作っている。
登り道の三方から吹きあげてくる風が涼しく冷たい。腰をおろして間もなく嘘のように汗が引いて行く。
三方からの道から村民が続々と頂上目指して登って行くのが、姿はみえぬが声と草の動きで良く判った。
 お父っあんと前田さんは、それにせかされでもするように、汗が引くとまた登り始める。
頂上に着いた。
松の古木の木影に太鼓が坐えられて、その傍に青年団が五,六人休んでいる。太鼓を運んできた汗の流れをぬぐっている。
まだ村民の姿は見えなかった。
弘のお父っあんは一休みして汗を入れると太鼓に近づき、前に腰をおろすと元気よく打ち始めた。
それに合わせるように、前田さんが鉦を叩き始める。静かな山頂の空気をふるわせて、太鼓の音と鉦の音が調和して、心よいリズムを響かせながら、山々を越えて広がって行く。
空と麓の村内にも響いていることだろう。
それに引きづられて登って来たように、周囲から村民達が頂上に続々と顔を見せる。
暫らくすると、あっちこっちの山々の頂からも、太鼓と鉦の音が響き流れてくる。
桧牧区と自明区だけではない。郡内の各垣内が時間を合わせて雨乞いをはじめた。
(でんでん、チンチン、ででんでん)
雨よ降れ降れ、雨水たもれ
雨の神様 早よたもれ(でんででん)
弘のお父っあんが調子よく太鼓を打っているその傍へ、近よった村人の一人が
「お父っあん。何年振りじゃろう。もう十年も昔になるじゃろうか」と、言葉をかける。それに答えて
「そうじゃのう。もう十年にもなるか」
お父っあんは十年前にも同じような水キキンがあって、雨乞いをした年があったのを思い出して、太鼓を打つ手を少し休めた。
頂上に集ってきた村人たちは、あたりの雑草や投枝を、持参した鎌で刈り始めた
ノコギリで投れた木をひいている人もいる。
 四時頃になり、うづたかく積まれた投木や雑草の山に火をつけた。
すざましい火気が舞い上がる。太鼓と鉦の音が、火炎に合わせて狂るったように流れる。
燃える火の近くは、大気に身体がとろけそうな熱気である。
 村人たちは、日照りと火気の暑さを逃れるように木影に寄り合って雑談を交わしている。
 お父っあんは、頭から水をかぶったように肌着が、汗でびっしょりで、顔にも油をぬったかのように、てらてらと光らせ、流れる汗をぬぐおうともせず、太鼓を打つ手を休めない。
前田さんも鉦を打つことを休みそうにない。
 嶽の頂上からも、雨乞いのためのたきびの煙が大きく、空に舞い上がっていた。
子供たちも、村人の雨乞いの行事を知って、常日頃あまり気にもしなかった水の不足さをはじめて知ったかのように、野球をやめて嶽山から立ち上る煙のうねりと、流れてくる雨乞いの太鼓と鉦の音を聞きながら、梶野先生を中心に寄り合って休んでいた。
「先生。学校の水はあかんし、水道を引くと言う話やったけど、いつになったら出来るのですか」
奥田君が不審気に聞く。
「僕も判らない。校長先生は熱心にそのことに当っておられるが、今のところちよっと出来そうにない様子だね」
梶野先生も判らない。
 今年のように日照り続きで、空梅雨であった年だけに、いっそう水のないことが切実にこたえてくるが、桧牧区と自明区の感情の対立で、水道施設のことにはいつまでも解決しそうにない。
 神社の参道の手水舎も。水が足らないのか止められていた。


木村徳太郎の「弘ちゃんは生きている」(56)までは、同人雑誌に発表済み。今回の(62)は手書の原稿用紙の升目に残されていました。ここで木村徳太郎の足跡はとだえます。
原文に忠実に打ち込みました。(仮名遣い、字送り、固有名詞などに不備も有ります)これをどのように展開して行こうとしていたのか私にも分からず、また私に納得の行かない部分もあります。そこで、(57)〜(59)は木村徳太郎に、花ひとひら(和子)も筆を加え、次に展開出来易いように進めました。そして(60)(61)に花ひとひらの創作を加え、木村徳太郎が完成したかったであろうと思える結末に、持って行くために新たな人物も加えました。(木村徳太郎は不本意かもしれません)が、完結するためには、私なりの創作も加えていかねばなりません。残された(62)の手書原稿に、結びついていくように苦慮いたしました。
そして、これから先は花ひとひらの一人歩きになります。
皆さんの応援とご指導のもとに歩んでいきたいと思います。またここまでの長い長い「木村徳太郎の少年創作童話」を読んで下さった皆さまに感謝をいたします。お礼を申し上げます。
父は、完結へ運ぶ私の未熟さを笑っているでしょうが、完成させ、形にすることには異存はないと思います。不思議なことと思うのですが、そのためにいろんな巡り合わせに出会っているような気がします。これは、すべて木村徳太郎が、つかわせてくれたのではないかと思うのです。
頑張って完成したいと思います。改めて皆さまに感謝の気持です。今後ともご声援、ご指導をよろしくお願い致します。
2006.06.21

弘ちゃんは生きている(61)
農繁期は子供たちも労働力である。奥田君は牛を大事にしている。「クロクロ」と、毛並みの黒い牛を自分の子分のように扱い、上手に田を漉く。牛と一緒にいるのが大好きなのだ。しかし、そんな奥田君もこの農繁期は少し野球に夢中になりすぎた。それほど野球は楽しかったのだ。「遊んでばかりして」と父親に叱られた。大人からみると、梶野先生の思う、みんなの融和を図る目的も生きるための家の手伝いを疎かにする無駄な事に思われた。
梶野先生はあちらからもこちらからも、苦情を聞かされた。
せっかく子供たちの融和を図って始めたことである。それが苦情となってはつまらない。大人の感情を余計悪くする。梶野先生も子供たちも思案した。
そんなとき思いもかけず、強い助っ人が現れたのだ。弘の父だ。
「ええやないか。わしが目いっぱい村の手伝いをするから、子供らに野球をやらしたったらええ。やらしたってくれ」と言うのだ。弘の父は山の仕事が少なくなってきて、山の下刈りを済ませてしまうと、ここのところ閑になっていたのだ。閑だからと言ってみんなが忙しくしているのに自分だけ、爽やかな五月の風にふかれて昼寝ばかりしているのは楽しくなかった。昼寝ばかりでは酒も美味しくなかったのだ。飲兵衛の父だったが、汗を流して飲む酒のほうが、一段と美味しい事を知っていた。
そして、弘のお父は子供たちに代わって村人の雑用や野良仕事を良く手伝った。桧牧区の手伝いも自明区の手伝いもよく働いてまわった。田畑を持たない弘の父だったが村の人を助けよく働いた。子供たちは弘の父が、自分たちのために懸命に働いてくれるのをみて嬉しかった。村の人も労働力が足りればなにも文句を言わない。対立感情も所詮、金の損得からくるねたみや不信感から起きているのだ。みんな自分の生活で手一杯だが、なんとか農繁期を過ごせると、子供たちが仲良く遊ぶことを心からけなしているわけではないので、ときには野良仕事の帰り道、野球を楽しそうにしている子供たちをわざわざ覗いて帰る親も出てきた。子供たちも弘の父だけに仕事を手伝わせるのは悪いと思うのか、野球もするが、家の仕事も少しの空き時間を、上手に使いよく手伝うようになった。奥田君なんかは、一試合すませると、家に走って帰り、牛に餌をやってまた野球にもどってくる。野球には興味を示さないで先に帰る越出あや子たちは、牛を連れた奥田君とお地蔵様の辻でよくぶつかりそうになった。牛を引いている奥田君は格好が良かった。一人前の大人に見えてあや子たちは喧嘩大将の奥田君に、まりつきのボールをとられたり、スカートをめくられたりからかわれたりする事が多く、きらっていたが、その姿には憧れの目を向け、話題になるほどだった。弘もそんな奥田君を尊敬した。尊敬の心は、野球の時にも普段の生活にも表われた。炭谷君は炭谷君で飼っている山羊の乳を一人で飲んでいたのを、みんなに振舞ったりしだした。みんなはそれぞれ、自分の出来ることで、他の人を喜ばせることを知り始めていた。梶野先生は、そうやって、大人たちの世界とは別に子供たちが、それぞれ力強く、また仲間としてお互いを労わっているのをみて嬉しかった。この弾みを、何とか水道問題にも、良い方向に持っていけないものかと思っていた。  
 弘の父が、先日「大人も野球に混ぜておくれな〜」と冗談のようにいったのを思い出した。弘の父も、弘と同じく野球が好きなのだろう。子供たちに野球をやらせてやろうと農繁期をかけ廻っていた弘の父だ。子供たちはそれを知っているから、もし、弘の父を野球にいれても異議はないだろう。「そうだ、このさい、ウメも誘って本格的にチームをつくってみよう。」そして、小学校に隣接している保育所の仕切りのフェンスを取り払ってもらうことを校長に頼んでみようと思った。そうすれば少しは運動場も広くなる。梶野先生の想いはどんどん膨らんで行くのだった。
                ☆☆☆
 農繁期が無事すぎると風は夏の風になる。
綺麗に青苗がそろった水田には、イトトンボや川トンボが羽根を休める。蛍が飛び始める。神社の森ではコウモリも飛び始める。子供たちが大手をふって遊べる時がきた。野球も大手を振って出来る。もうすぐ夏休みもくる。みんなはワクワクしていた。そしてもう一つ子供たちに大きな楽しみがあった。学校の隣のお宮の宮司さんが「幻燈」をしてくれるのだ。田舎でこれといった娯楽がないので、みんなはこの「幻燈」が楽しみだった。宮司さんは童話とかいうものを書いていて、幻燈機という光の流れる機械も持っていた。障子をはずして、桟のない紙だけのほうを表に向け、神社で使う白い布を被せそこにいろんな絵を映しだし、声色を使ってお話をしてくれる。宮司さんは町から来た人で新しい事をたくさん知っていた。弘はそんな宮司さんが好きだったが、先生たちは、学童たちが神社にいくことを心よく思っていなかった。とくに川合先生なんかは、「神社に行くと原始人になるぞ。アホになるぞ。右翼になるぞ」という。弘は右翼とは何だろうと思う。梶野先生は左翼だという噂を、以前団結の詩を宿題に書いた時に聞いた事がある。でも、弘にはそんなことどちらでも良かった。川合先生が、村の人に「あの神主をやめさせねば、子供の教育上よくないことが起こる。子供たちから楽しみも奪っている」と話していた。なんでも、運動場に時々やってくる紙芝居やさんは、神社の宮司さんが学童たちを集めるので集まりが悪く「紙芝居やが閑になり死活問題だ」と川合先生に言ったらしい。川合先生は、「人の仕事を奪い生活権を奪うものだ」と、宮司さんに詰め寄ったらしいが、逆に言い負かされてひどく怒っていた。でも、弘は知っていた。川合先生が、紙芝居屋のおじさんから、アイスキャンデイをタダで貰っているの見ていたのだ。
だから弘は、垣内どうしの諍いにしても、大人の世界は不思議な事だらけだと思っていた。弘のお父は神社に行くことを止めなかったが、隆の父親の桐久保さんは、隆を行かせなかった。桐久保さんは、村の資産家で、村の長でもあり村を守らなければと思っているのであろうか、童話とかいって、村の事を物語に書いたりする宮司さんを、「村の恥をさらして」と嫌っていた。村の事を書かれるのを良く思っていなかったのだ。桐久保さんは、神社の世話役でもあり宮司さんが神社の布を使って、そんな幻燈とかいうものをはじめるのも嫌らっていた。それで、隆には神社に行かせようとしなかった。はじめは、隆も弘とよく神社へ幻燈を観に行き、帰り道で蛍を見つけたり堤燈を顔に照らしてお化けごっこもして帰ったのだが、蛍に良く似た人魂(火の玉)を見たことがあり、それを面白おかしくみんなに話したりするので、川合先生が、「そんな荒唐無稽な話をするのは、神社の宮司の影響だ。子供たちが危険にさらされている」と、桐久保さんに言う。桐久保さんも、しかたなくしぶしぶ隆を行かせなくなったようだ。弘はお父うに聞いてみた。どうして神社に隆さんは行かないのだろう。一緒にいけたら面白いのに。お父は言う。「そりゃ、旦那さんは守らんとあかんものが一杯あって大変なんや。わしらみたいになんにもないものは、気楽でええ」と笑うだけだ。弘にはよくわからないけれど、桐久保さんのようにお金持ちで村のエライ人は、それなりに大変なんだと思った。そのてん、弘のお父は気楽でいつもえへらえへらと笑っているとよいのだ。これでお酒さえ飲まなければ大好きなのにと弘は思う。でもひよっとして、「お父はなにもないから、酒を呑むのかもしれないな〜」とも思う。何もない事が恐いものなしで、お金がなくとも、お酒を飲むのかもしれない。もし、お父うにもなにか夢中になるものがあったら、酒もやめるかもしれないと思ったりもする。
 隆が幻燈に行かないので、ウメちゃんを誘うことにした。夜なのでウメちゃんのお父さんがどう言うか心配だったが、手水舎の水のことを宮司さんに聞きたい。それにはウメちゃんを連れて行ったほうが心強い。梶野先生にそのことを話すと、「帰りはちゃんと一緒につれて帰ってやれ。年が上で大きくても女の子だから」と言った。
弘はお父にも話すと、お父は「それなら、わしも一緒についていってやる」という。弘のお父は、弘たちが野球が出来るようにといろいろ子供に代わって働いてくれた。すっかり子供たちに人気が出ていた。そして、学童たちが「弘のお父なら野球の仲間に入れても良い」といっていることに気をよくしているのか、すっかり子供返りしてしまったのだろうか、幻燈でもなんでも子供たちと一緒に行動をしたがった。

弘ちゃんは生きている(60)(未完)
「先生。得点をつけましょう」
審判に立った梶野先生の横へ攻撃側の隆が棒切れで地面に大きくスコアーの線を引いた。
先日までの不順であった天候も落ち着き、新緑もまして、澄んだ青空から、陽光が運動場一杯に明るく注いでいる。口を大きくあけて、空気をすいたくなるような爽快な季節である。
梶野先生はセーターを脱ぎ、カッターシャツ一枚になって
「プレーボール」と、児童を励ますように大きな声で宣言した。
守備の児童がかけ声を投げあい、みんなの心がとけあって、ピチピチと楽しげにプレーを始めた。
弘が一番バッターとして、ボックスに立った。
弘は最近、活発になってきていた。以前はしっくりいかない継母のおっ母とのなかや、田畑を持たない山仕事で生活をまかなう貧乏暮らしや、父親の大酒飲みに心を痛めるのか、どこか気弱で消極的だった。ところが梶野先生の言い出した野球をやり始めてから、めきめきと、野球の頭角をあらわし、自明区の喧嘩大将の奥田君からも桧牧区の大将の炭谷君からも一目を置かれるようになっていた。最初は野球道具の持たない弘を、「隆に貸して貰え」と言っていたみんなだが、集めた野球道具を、弘に優先して貸した。弘がボックスに立つと、低学年の児童からも大きな声援が送られる。弘は誇らしく嬉しくって仕方がなかった。
「カ〜〜〜ン」。いきなりホームランである。
弘はベースをゆっくり周わりながら、この雄姿をウメちゃんに見せたい気持になっていた。梶野先生から先日「ウメは女だけれども野球に入れてはどうだろうか」という話があった。みんなは反対だったし、弘もそのときは反対だった。でも、ウメはなかなか体も大きいし、声も大きいので、大きな声で声援を送ってもらえれば、もっと楽しくなるのではないかと思う。
勉強も余り出来ない弘だ。大きなウメの後ろの席で、黒板の字が読みとれなくとも気にならなかったが、最近はいろんなことに自信がついてきたのか、、勉強にも興味を持ち始めた。ウメの大きな背中で黒板の字が見えないのは困る。が、ウメの背中をみているのも好きだった。後ろでイタヅラをしていても分からないし、それにもまして、大きな背中から、死んだおっ母を思い出すような匂いがする。
みんなは「臭いくさい」と言うが、弘は気にならなかったしその背中を見ながら、うとうと居眠りまで出てしまう安心感があった。それで、梶野先生に席変えを言わないで、ウメに「黒板の字が見え難いから、ノートを見せて」と言おうと決心したのだ。
 弘は一塁二塁と走っている間に野球とは別の作戦を考えていた。弘はウメとこのさい友達になろうと思う。梶野先生が野球に誘っても、いつも忙しそうに学校が終れば走って帰るウメだ。野球を喜ぶかどうかは分からない。でも、弘は是非参加して欲しいと思う。それなら、まず自分がウメと先に友達になって、それとなく誘うほうがうまく行くように思えたのだ。
弘は隆と約束していた、弘の庭先に咲く赤い百合を、ウメにもあげようと思った。村の人もみんな欲しがる百合である。お父う(おとう)に「隆さんにあげるから」と言って二、三本、多く切って貰えば良い。ウメの家は、前に家出したときに、隠れていた桐久保さんの炭焼き小屋だからわかる。
「よし決行だ」。弘はベースに滑り込んだ。いきなり1点が入った。みんなの歓声とともに、「ウメちゃん計画」も出来ていた。
       ☆☆☆
 家出したときは夜だったし、夢中だったので、それほどに思わなかったが、炭焼き小屋はかなり山の中だった。ホトトギスが「テッペンカケタカ」と鳴いている。カッコウもないている。鶯までもが弘のドキドキする気持をはやし立てるように鳴いていた。山裾の雑木林を抜けて山道をさらに登る。夏を迎える木々の幹が黒々とみえ、濃緑の葉がおい茂っていた。通ってくる梢の風が心地よい。弘は久しぶりに山に来てその心地よい風に深呼吸をした。
垣内の山を区民に分け、それが元で大人たちは諍いの感情をもっている。そして分けた山の木は殆どが切られ、区民はお金に変えてしまった。山の木々の世話をする仕事も減りつつあり、お父うも最近なんだか閑そうだ。弘は「山を分けて木を伐って、いったい誰が一番得したのだろうか」などと思った。
「テッペンカケタカ」突然転げるようにして弘の頭の上で、ホトトギスがないた。弘は驚いて、それまでの思いを打ち消すように、足元の小石を頭上の枝に投げてみた。そして、、以前転校してきたばかりのウメに、みんなで石を投げた事を思い出した。ウメは何も言わないから、みんなはもう忘れているが、ウメは、あのときのことを今でも覚えていて怒っているかもしれない。そうだとしたら、百合の花を持って行っても追い返えされるかも知れないと、弘は少し弱気になった。引き返そうかと思った。
山の水が染み出ているのだろうか、山道の土がゆるい。弘は滑りそうになった。
「ウメちゃんはいつもこんな道を一人で学校に通ってきているんだ」と思う。
「やっぱりウメちゃんを、仲間に入れよう。きっと足も丈夫だろうし、戦力になる」とまた、思い直し、炭焼き小屋に向かった。弘のそんなああでもないこうでもないと思い悩む気持を笑うように、ホトトギスがまた、「テッペンカケタカ。ウメチャンニユウタカ」と鳴く。
弘はもう石を投げないで、しっかりその石をにぎりしめ一気に炭焼き小屋まで走った。
ウメちゃんのの大きな背中が見えた。屈んでなにかをしている。近づいていくと、家出の時は夜だったので気がつかなかったのだろうか、二段になった水溜りがある。その前でウメちゃんがお茶碗を洗っていた。上からは綺麗な水が、キラキラと陽を受けて流れ落ちていて、赤いトマトがポカポカと浮いていた。弘の家は井戸だ。釣瓶で汲んで家の中に水を溜めておく。お母が機嫌の良いときは良いが、機嫌が悪いと、弘に水運びをきつくいいつける。「勉強なんかせんでええ」と弘にバケツを放りなげるように渡し、夕方暗くなっても水汲みを言いつける。妹の美代は弘が汲んできた水を「有難う」とも言わず、あたりまえのように飲む。弘は水汲みは辛くきらいだった。があの水汲みをしていたから、野球の時に打つのも投げるのも上手に出来る力がついたのかとも思う。
しかし、弘の家では水は一滴もこぼせない無駄には出来ない貴重なものなのに、ウメはじゃぶじゃぶと、その溜まり水を、派手にこぼしながら鍋や茶碗を洗っている。弘は不思議だった。
「ウメちゃん。水もったいないやんけ」。弘は、あれほどドキドキして、どう最初ウメちゃんに声を掛けたらいいか、どう言う風に話し掛けようかと、道々思案していたにしては、すんなりと声が出た。突然の声にウメちゃんは驚いて振り向いた。そして、
「なんや。水を飲みたいんか?。おいしいよ。ここの水は」と、柄杓でその溜まり水の上に勢い良く流れ落ちている生き物のような水を、柄杓に受けて弘の顔の前につきだした。
「顔が汗だらけやで、ここで顔も洗い!」と茶碗を洗っていた下の水溜りを指差す。弘は汗だらけと言われ、先に両手にその溜まりの水を掬って、顔に掛けてみた。ひんやりとして、それでいて温かい柔かい感じがし、スウーと汗が引く。気持が清々しくなった。そして柄杓の水も飲んだら、ウメちゃんに恥かしがらずに、堂々となんでも喋れる気持になった。
「これ!やるわ。貴重な花なんやぞ」
弘はちよっと威張って言った。ウメちゃんは学校で見せる無表情な顔と違い
「うわ〜〜〜。真っ赤な花や」と、顔まで赤くなった。
弘とウメちゃんは、まるで大昔からの友達のように喋り始めた。
二段になっている水の溜まり場は、山をもう少し登ったところで桐久保さんが湧き水をみつけ、ウメちゃんのお父さんといっしょにパイプを埋めて、水を引いて作ってくれたのだと言う。以前は、いつも住んでいるわけではないので、逗留するときだけ、一番近い麓の家まで水を貰いに行っていたが、今度はずうと住むし、母親もいない。ウメちやんに、水汲みはつらいし不便だろうと、コンコンと涌きでている山から引いて、上の段にはお茶や、ソーメンやナスやトマトを冷やし、下の段で顔や茶碗やそれに洗濯物も洗えるようにしてくれたと言う。そう言いながら、ウメちゃんはもらった赤い百合を大事そうに、その下の水たまりに入れた。花は持ってきたときより、生き生きと赤さを増し、瑞々しくなったように思えた。
「おおきに。うち花が大好きやねん」と、ウメちやんはとても嬉しそうだった。
弘は「しめた!」と思った。すかさず、「ノートを見せて」と頼んでみた。
「ええよ。私、あっちこっちに行ってきた渡りやろ。それで同じことを何回も習ったりするのんや。いま習っている所は、別のノートにも書いてあるから、このノートはあげるわ」とまで言う。
弘はもう有頂天になった。そして、もう一つ凄いことを思いついたのだ。
学校の井戸は金気(かなけ)で美味しくない。隣の神社の手水舎までみんな喉が乾いたら水を飲みに行く。あれを学校までひいたら良いのではないかと思ったのだ。
どうしてそんな簡単な事に、いままで気がつかなかったのだろうと、弘は不思議に思った。

弘ちゃんは生きている(59)木村徳太郎  和子作(未完)
「あれウメと違うか」と、奥田君が言う
気ぜわしく歩いているのだろうが、歩いているのか走っているのか分からない風采だ。
弘は二日前のことを思い出して奥田君と梶野先生の顔を見比べた。奥田君も梶野先生も普通の顔をしている。ウメちゃんはあのことを先生に告げ口をしていないのだ。
弘はなんだかすまない気持で一杯になった。
田んぼに水が張られ、農繁期に入るので忙しく、炭焼きと走り使いをしている父親のかわりに、ウメちゃんが桐久保さんの奥さんの使いで隣村まで、奥さんが縫い上げた着物を届けに行く途中だったのだろう。風呂敷包みをしっかりと胸に抱いてまだしっかり覚えきっていないと思える道を歩いていた。奥田君たちがそれを見つけて珍しさも手伝って、
「それなんや」「おい黒牛、モウーと鳴いてみ」とはやし立てたのだ。
ウメちゃんが知らん顔をして通りすぎるのが、奥田君たちによけい好奇心をもたせることになった。ウメちゃんの後ろからついてくる。そして、ウメちゃんが小川にかかっている細い丸太の橋を渡りかけたとき、奥田君が悪戯にウメちゃんに当たらないように「どぼん」と川に石を投げた。ウメちゃんは体が大きいので小さな橋からはみだしそうになり、恐々橋を渡っていたのだ。水音に驚いたウメちゃんが足を踏み外して川に落ちてしまった。風呂敷包みだけを橋に残してウメちゃんは少し流された。浅瀬だったのが幸いで、ウメちゃんは立ち上がったが、服はびっしょりと濡れていた。ちらっとウメちゃんが奥田君たちのほうを睨んだ。奥田君を先頭にみんな蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。弘も逃げた。が、あのときちらっと見たウメちゃんの目が、悲しそうで、濡れた体にひっついた服が恥ずかしいのか、体を隠すようにつったっていたウメちやんが思い出されたのだ。
弘はウメちゃんにあやまりたかった。そしてできることならウメちゃんと友達になりたかった。でも奥田君たちにまた「隆の家来」とからかわれているように、そんなことを話せば、またからかわれる。黙ってウメちやんの大きな体が遠くに消えていくのを見ていた。ウメちゃんは、今日も父親の手伝いで、どこかへお使いに行くのだろう。
梶野先生はそんなことは知らない。が、ウメちやんをみかけて別のことを考えていた。
みんなの野球も軌道に乗れば、点数をつけたり、怪我をした者の世話や、それこそ、飲み水を用意してくれる者がいれば助かる。「そうだ。ウメは体も大きく、役に立つのではないだろうか。女の子の間でも、ウメはどうも溶け込めない雰囲気がある。みんなの仲間に入れてやるのには野球に参加させたら良いかも知れない」と思ったのだ。
          ☆☆☆
区民の感情対立から、水道の話もこじれて、上手くまとめるにも、この農繁期では無理である。再度話を持ち出すには、二月か八月の農閑でなければ区民は集らないだろう。然し、逆に、相談が遅くなっても農繁期で忙しく、区民の感情の対立も少しは忘れているのか薄れて、争いもなく平穏になっている。その間に育友会長の楠田さんが、村の議員さんに働きかけて、議会で補助金の予算が計上されれば、又水道施設の話も持ち上がって都合よく水道を引く事が実現するかもしれない。
「水道が欲しい」と言う、児童の言葉に校長が語った水道施設のその後のことを、周囲の山々の立ち木が芽吹いて、心にしみいるように清々しく風がそよぐのを見ながら、梶野先生は思っていた。
「お〜い。林君速く帰って、仕事を手伝えと言ってたぞ〜〜」
神社の手水舎に水をのみに行っていた児童が大声でどなりながら帰って来た。
「いやだな〜。野球がしたいのに。仕事ばかりいいつけてよる」
と、父親の伝言を聞いて立ち上がった林君を見て、
怒鳴っている児童の伝言を、深い意味に取らなかった梶野先生は、それを潮時に
「ジャンケンで組を決めて、試合をやってみよう。先生が審判をする」
と、水道につながるいろんな思いを断ち切って、林君のあとに立ち上がった。
ジャンケンで、二組のチームが出来た。守備に廻った桧牧区の炭谷君のチームに自明区の奥田君がいる。
喧嘩大将で、反目している二人だが、穏かに笑ってとけあい、感情の対立が見られそうにない。
梶野先生はこの上もなく嬉しかった。

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