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弘ちゃんは生きている(2)

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弘ちゃんは生きている(58)木村徳太郎・和子作(未完)
梶野先生の考えたことは成功しつつあった。
野球をやり始めた最初の頃は、自主的に児童たちにやらせた。それとなく行動をみていると、区毎にメンバーを組み、争いこそ起こらなかったが、心から融和しそうでもなかった。それが、十日も過ぎると自然と野球の上手な者からメンバーを組み始めたのだ。梶野先生はこの際、野球の上手な子を利用して、メンバーを組んで子供間の融和を一層速めることが出来るのではないかと弾んだ。その日は宿直当番なので、そんなことを弾んで思いながら教員室で教科の整理をしていた。
その時「ガチャン」と教員室の窓ガラスを割って、ボールが転がり込んできた。
「こう度々割られると、金網を張らなければ駄目ね」
インク瓶がひっくりかえって、机の書類に被害をうけた伊藤先生が、顔をゆがめて言った。
それを聞き流し、教員室の窓辺に駆けつけてきた五、六人の生徒に梶野先生は,飛び込んできたボールを拾って渡す。
「すいません」
バットを肩に乗せて右手でささえ、左手で頭を掻きながら弘が詫びている。
「当りが大きいと、小っぽけな運動場ではあきません」自明区の奥田君が不服を言った。
「隆の家来」と弘をからかう音頭を取っていた奥田君が、窓ガラスを割った桧牧区の弘を運動場の狭さにかこつけて、かばっているのが分かる。
感情の対立は薄れ、弘をかばう奥田君に梶野先生は窓ガラスの割れた苛立ちよりも、一つの心になって野球を楽しんでいる者同士の、いたわり合いを感じて叱言も言えない。
教員室を出て校庭の陽だまりに出て行った。野球を中止して、生徒たちも梶野先生の傍に寄り集まってきた。
「運動場の狭いのを、今更不服を言っても駄目。窓ガラスに金網を張ろうか」
伊藤先生が言った事と同じ事を、集ってきた子供たちに一人言のように呟いた。
「もっと広い運動場をつくらねば駄目です」
みんながトレパンをはいている中に、一人だけユニホームのズボンをつけている、学級委員の炭谷君が言った。
広くするには運動場を囲む田をつぶさねばならない。そのようなことは出来そうにない、生徒数が少なくなりこそすれ、これから増えるとは思えない山村の小学校だ。今まで、体育や行事を催すのに、なんの不便を感じることもなくまた支障もなかった。野球のことだけで、広い運動場を求めるのは水道施設の費用すら出来ない今、絵空事に等しい。
「そりゃ、無理と言う物だよ」おもわず、口に出した梶野先生。
すると、
「先生。蛭が坪の池を埋めれば広い運動場が出来ます」と、
奥田君が思いもよらないことを言った。
「そうです。そうです」
素晴らしいおもいつきにみんなが同調の声をあげた。
 学校から西へ五百米程はなれた所に池が有る。周囲が丘でその丘をぶっつぶして池を埋めれば、現在の運動場の三倍近くの広場は出来る。
山間部の小学校なので、実際にはそのように広いものは必要がない。しかし、それを咄嗟に思いついた、いつも粗野であまり勉強の出来ない奥田君だけに、梶野先生は素晴らしい発想だと感心した。
陽春の陽を浴びて梶野先生を囲み、子供たちは野球に繋がる雑談を楽しくしている。みんなの心は弾んでいた。
「弘ちゃん自転車貸してよ」と一人の児童が言った。
「どうすんの?」と、弘が問い返すと、
「水を飲みに行って来る」
児童が弘の返事待たずに、校庭の隅に立てかけてあった弘の自転車へ走って行った。それに続くように
「おれも行って来よう」と、
四,五人の児童も立ち上がって駆け出して行く。野球をして喉の渇きをおぼえ、水が飲みたくなったのだろう。
学校の鉄分のまざった井戸水は美味しくなく飲み難い。野球をやっている間でも喉が乾くと、学校の隣にある神社の手水舎まで、児童は参道ぬけて走って行く。山の涌き水から竹のパイプをつなげて、取り水をされている水は甘露のように美味しかった。子供たちは水の美味しさを良く知っていた。
早く水道が出来れば良いのにと改めて梶野先生、校長が計画している水道施設のことを思った。しかし、梶野先生にはそれだけではない思いが走った。児童たちが神社の水を飲みに行ったことで、この四月に赴任してきた若い川合先生のことを思い出したのだ。
神社の参道を挟んで運動場がある。子供たちは、昼のお弁当をすませたあとの掃除時間に、教室や運道場を掃除する。そのとき、神社の参道も掃除をするのが慣わしであった。
若い川合先生は、それを「どうして神社の掃除までするのですか」と校長先生に詰め寄り、こともあろうか、「どうしても、掃除をしないといけないのなら、学校の公共の箒を使わないで、神社用に箒を用意して、合理的に便利なように、参道の近くに箒の掛ける場所を作りましょう」と、弘がモモンガを追って落ちたことのある、あの何百年もの大桧の幹に、釘を打ち、箒かけをこしらえたのだ。子供たちは運動場から箒を持ってこなくとも、手軽にすませられるので大喜びだった。桧の周りに竹箒がぐるりとかけられた。子供たちは、なかなか良い仕組みだと思い、またそのおもしろい眺めに手をうった。が、それを見た隣の神社の神主さんが激怒してきたのだ。「神木に何と言う事をする」と。が、川合先生は神木なんて目じゃない。「注連縄で木を括るのも、木を痛めているじゃないですか」と反論して譲らない。神主さんは鎮守の森は区民の心の癒しになるもので、何百年と区民の生活を見守ってきた。その木に釘を打つのは悲しいことで、貴方の体にだって、釘をうったら痛いでしょう」と噛んで含めるように言っても「神社に協力することは戦後の民主主義に反します。これからの世の中は平等になるのです。神社の掃除をするのは違憲です」と、弘たちが、氏神様の掃除をする事が気に入らないらしい。なんでも新しい考えとかで若さにあふれ、「先生も生徒も親もみんな友達です。平等です」と生徒たちに笑顔で言う。これには、さすがにいつも「おまえら、おまえら」と言っていた校長も、平等だと言われ、「おまえら」というのをやめてしまったほどだ。その代わり
「箒をぶらさげた桧を見ているのは痛々しいです」と箒懸けの釘を抜くことを命じた。
梶野先生は、区民に共産党と言われ悩んだことがあるくらいだ。川合先生の若さに感心もする。しかし、主義が、自然や神さまとと一緒になることに、梶野先生はどう考えたら良いのか、また子供たちをどう導いていくのが教師のあり方か、子供たちをどのように育てればよいのかと、改めて思い悩むのだった。川合先生は「先生にしかなれないシカ先生と、とりあえず先生にでもなっておこうかと言うデモ先生の二極を、話していた」。梶野先生は自分はどちらだろうかと悩むのだった。
梶野先生は弘達の明るく耀きだした、一人一人の顔を眺めながら、「分からないと」いうふうに首を振るのだった。そんな思いを打ち消すように
「ほんまや。学校の井戸はあかん。早く水道をつけて欲しいわ」と
児童たちが口々に言う。
児童たちも、水道施設の話を知っている。大人の争いのあわれさを、言外に匂わせて言っているのかもしれない。
農繁期に入って苗の植付け前に、麦の刈り入れに、野菜の追肥に、作物の播種と、農作業が多く、区民は学校の水道施設の話を、打ち合わせするどころではない。今は、少しの時間もおしいのだ。梶野先生は難問をいくつも抱えたように、また心重く押し黙ってしまった。
そんななか、気ぜわしく近道をするためか、校庭を横切って行く人影があった。

弘ちゃんは生きている(57)木村徳太郎・和子作(未完)
一日の授業が終って、玩具箱をぶちまけたように教室内がざわめくが、児童が帰り始めて潮がひいたように静かになる。
梶野先生が校門の前に立って児童を見送っていると、
「先生。あしたが待ちどうしい。今から、家にかえって道具を持ってきて、今日からやりましょう」
と、性急に持ち出す児童もある。
「すぐ死ぬわけでもなし。ぼちぼちやったらええやん」
と、軽口をたたくものもいる。みんなはいつもより生き生きとしているように見えた。
帰宅する児童を見送り、教員室にもどる梶野先生の足取りも軽かった。
「野球の話をしておきましたよ」
五年担当の伊藤先生がそう言って
「嬉んでいました。児童たち」と、付け加えた。
伊藤先生の言葉で、梶野先生は野球のことを一応校長に話しておこうと、一休みもしないで校長室に入っていった。
校長は学校日誌を広げて見ていたが、「やあ、ご苦労さん」
と、梶野先生をねぎらって学校日誌をふせた。
「児童間の対立問題で、昨日、職員会議を開らきましたとき。あや子の家の窓硝子に石を投げたのはテレビで野球を観られない不満がさせたこととは気づきませんでしたが、あれから後、この不満をとるために児童たちの好きな野球をやらせ一つのスポーツに、心をむけさせて児童間の対立を和らげることが出来るかもしれないと、気づきました」
「なるほど」
校長も心をくだいていることなので、笑顔になって感嘆した。
「野球をやりますのに、校庭が少し狭いから、飛んだボールでガラスを割ることもあるでしょうし、野球のため、帰宅が遅くなって父兄から叱言が出、校長にもご迷惑をかけることになるかもしれません。野球をやることを前もってお許しを願っておきます」
「窓ガラスに、たびたびボールが当たることもあるまい。遅くなるのもクラブ活動として、野球部を作ったと言えば問題にもならないだろう。力を入れてやってください」
梶野先生の提案を受け入れて、校長は承諾して、
「まあ、掛けたまえ。聞いてもらいたい事もある」と、言葉を続けた。
梶野先生は、校長の横にあった来賓用の椅子に腰をおろした。
「水道施設を実現させるためにも、みんなの力で、区民の融和にまで持って行けるように心がけてやってくれたまえ」「かしこまりました」。
 僻地の小さな学校なので、教科を追うだけでクラブ活動もなく興味を持つものもなく今日まで来た。
それだけに、新しいことを試みようとすると、区民から変わった目で見られる。が、校長も区民の感情対立が、学校経営に障害となっている今、融和策として梶野先生の提案に共鳴したのである。
 話し終わって、梶野先生は教員室にもどり、新生(煙草)を一本、ケースから抜いてふかし始めた。
田中先生が番茶の熱いのを入れて黙って置いていった。
校庭の隅にある、一本の吉野桜の花びらの散る美しさを窓ガラスをすかしてみながら、熱い番茶をすすって、梶野先生はあらためて野球をやらせて、児童間の対立を解きほぐすことに思いをめぐらせていた。
       ☆☆☆
 季節も良かった。長い陰鬱な冬から解放されて、海抜三百五十米の山村にも木の芽が吹きだし、若葉の匂いが風に光り薄着になった体は、解きほぐされたように軽い。
そんな若葉の香りが教室にまで入り込んでくる。
そして若葉とともに一人の転入生がやってきた。桐久保さんの炭焼き小屋の世話をする「渡り」の炭焼き親子が村にやってきたのだ。桐久保さんは、桧牧区と自明区の、感情のすれ違いのもとになった、前田さんが、自分の持分として伐採してしまった立木で得た金を、境界線の峰垣さんと示談するように話してみたのだが、前田さんは「桐久保さんが伐採しても良い」といったからだと譲らない。桐久保さんは、このさい歩きの前田さんに今まで雑用を頼んでいたが、それを止めて季節だけに廻ってくる炭焼き職人に、定住することを勧め、桐久保さんの雑用も手伝ってもらうことにしたのだ。それには他にも訳があった。
 普段使われていない桐久保さんの炭焼き小屋で、村の若い者たちが集り、掛け賭博をやっているという噂が出ていたのである。桐久保さんはそれが気になり、炭焼き小屋を見回りに行き、偶然に弘を見つけたのだ。炭の火入れが行われていない小屋には、案の定、食べ物の開き容器や、酒の瓶などが転がり、おまけに赤い花札が散らばって、そのなかで弘が眠りこんでいたのである。桐久保さんは自分の小屋の管理が不十分なことに恥じた。そして弘に、小屋の中の散乱ぶりを村人に言いふらさないように口止め、また、弘の父親が自転車を買ってやると約束をしていたのに、金を酒代に使い潰し、おっ母と夫婦喧嘩になって、それが反古にされた弘の悲しみを知り、自転車を買い与えたのである。そしてまた、平野さんが賭博で、息子の結婚資金までを失い、桐久保さんに借金を申し込んできたことで、これではいけないと思ったのであろう。桐久保さんは資産家だ。利息をつけて金を貸せば増す々金は増える。しかし、平野さんに、こんこんと無駄なことをしないで、身の丈にあった生活をするように諌めたものの良心が痛んだ。炭焼き小屋に常時人を住まわることによって賭博も治まるだろう、また、村の山を分けたことによって立木をすぐに金に替える者が結構おり、雑木の炭にする木がたくさん切られ余っていた。それを炭にしてしまおうと思ったのである。このさい炭焼き職人を定住させ、炭焼きの季節だけでなく年中炭を焼き、また資産家としていろいろと雑用のある桐久保さんの手足に使おうと思ったのである。炭焼き小屋を簡単に、世帯者が住めるようにして呼び寄せたのであった。ところが、三年前までは一緒に来ていた母親とおぼしき女の姿は見えず、炭焼き職人と娘だけが移り住んできたのだ。その女児は、隆や弘と同じ、梶野先生の学年に入ってきたが、全国を渡り歩き学校へは、必要日数が行けていないのか、学業がかなり遅れており、年齢は隆や博たちより三才年上だったが六年生として転入してきたのだ。そのためか体も大きく、なにかにつけ大人びたふうにみえた。色の黒い大きなその女児が、梶野先生に連れられ教室に入ってきたときは、学童達は奥田君の家の黒牛が入ってきたのかと思ったほどだ。梶野先生が、女児の父親が炭を焼いていることをと紹介すると教室中に笑いが渦まいた。「炭焼きだから、真っ黒なんだ。黒牛だ」と、はやし立てたのだ。名前は高橋うめといった。皆はそれにも可笑しく笑い出した。
女の学童の名前は、最後に「子」ついているのに「うめ」と言うのが可笑しかったのだろう。が、女児はまるで牛のように無表情につっ立ち、からかわれても恥かしがって顔が赤くなっているのかどうかも分からないほど黒い顔をしていた。
「お頼み申す」ぼそっと言う。それはまるで、ほんとうに牛が「もう〜」と鳴いたようで、教室中は、湧き上がった。が、弘はなぜかその女児に気がひかれた。母親が一緒で無いと言うことは、自分と同じように母親を亡くしたのか、それともどこか別に居るのだろうか。その人は、弘のおっ母のように、きつく恐く自分をいつもじゃけんにするような人なのだろうかなどと、気になったのである。女児は、弘の前の席を与えられ座わったので、弘はその大きな学童の背中を、毎日見るはめになったのである。

弘ちゃんは生きている(56)木村徳太郎作(未完)
 「越出あや子の家の窓硝子に石を投げて逃げた児童の集団がある」と、越出あや子の父が学校に電話をして来た。長田、狭田で収穫の少ない僅かの田で、供出を除いては、ほとんどが飯米になるという貧しい農家の多い山村である。農閑期は、炭焼き、山仕事で生活を維持して生きていくのが精一杯と言う明け暮れで、娯楽を求める余裕もない。
あや子の家のように、父親は役場に勤め、月給生活で計画が立てられる家は安定しており、テレビを備えている。プロレス、相撲、野球を観るために、児童たちが娯楽を求めてあや子の家に集まって、テレビを観ているのを先生方は知っている。
そのこと自体は問題ではなかったのであるが、区民の感情の対立で、あや子の家に寄り付かなくなっていた、自明区の児童が、高校の学校野球を観られない腹立たしさから、あや子の家の窓硝子に石を投げたのであろう。
田中先生の、校長に伝える越出あや子の父の電話内容に、梶野先生は咄嗟にそう判断が出来た。
「越出さんが、すぐに学校に見えられるそうです」
自明区の児童の悪戯の抗議に、あや子の父は来るのだろう。
「明日の朝会に、児童に訓辞します。みなさんこの問題に対して、手厳しく生徒に当ってください。今日はこれと言った考えもまとまりません。一応これで終りましょう」
あや子の父が来ると言うので、校長はにがにがしげに会議を打ち切り、不満げに校長室に姿を消していった。残った先生たちは、明日の教科の整理を始めるが、児童間の対立に心をとられて落ちつけない。
梶野先生は椅子に背をもたれかせ、煙草をくゆらせて児童の対立に思いをはせた。
児童が悪戯(と言うよりも、犯罪か)を起したのは、好きな野球が観られないという、うっぷんを晴らさせる業である。うぷんを爆発させるほど、児童たちの野球好きを思うとこれを利用して、逆に感情の対立を和らげる事が出来るかもしれないと梶野先生は思った。
暮れの日も落ち、教員室にももう薄暗い影が射し始めた。帰り始めた先生もいる。それを引きとめでもするように、あや子の父が学校に姿を現した。
         ☆☆☆
不幸も幸いになる事が有る。
あや子の家の窓硝子に石をなげたのは、桧牧区と自明区の対立意識が災いし、桧牧区の児童だけがあや子の家に寄り集まって、テレビを観ているのを、自明区の児童が羨望し嫉妬めいた気持になっていて、その不満の爆発が、石を投げたものと思える。それほどに児童たちは野球が好きなのだ。
梶野先生は、あや子の父が学校に来て校長に不服を言って帰ったその二、三日後の、四時限のホームルームに、学童たちに「野球をやろうか」と提案してみた。
皆は野球のルールはすでに知っているらしい。歓声が教室を揺さぶった。ホームルームが終るなり、運道場に出た梶野先生に児童はまつわりつき
「先生、野球をしましょう」と、せっかちに請求する。
「先生が考えているのは、ゴムマリで野球の真似ごとをするのでなく正式にやりたいのだ。」
「選手を決めてですか?」
「そう。六年生が主となって、五年四年生の上手な子も入れて、学校の野球部を作りたい。」
「へえ?それは凄い!」
「だから、上手な者を選ぼう。選ぶまでは誰でも、みんなが一度はやってみよう」
梶野先生は、本当は選ぶなんてことは考えていない。児童を刺激して、一つのものに目を向けさせて、それを結びつけて融和させることが目的だ。嘘を言うのはいけないことだが、嘘も方便と言うこともある。
「五年生も入れるのですか」
炭谷君がたづねた。
「うん。四年生も三年生も入れてよい」
「四年生は高橋君や佐藤君。三年は小川君や益田君が野球が上手です」
自明区の奥田君が自明区の児童の名をあげた。
それには負けてはおれぬと奥田君に反発するように
「四年生は和田君や山下君、三年生は大道君や榎君が上手です」
と、炭谷君が言う。
梶野先生にはすぐに判る。自分の区の児童を少しでも多く仲間に入れようとしていることが。
こんなことにも対立感情が働いている。しかし、それを知りながら梶野先生は、
「君たちが言う生徒は、先生も上手だと知っている。しかし、はじめはみんな一度、一緒にやってみよう」と、軽く受け流した。
「でも道具がありません」
弘がとぼけたように言った。
「隆さんが、ミットも、グローブも持っているから、借りたらええや」
奥田君が、すかさず言った。それに同調するように、
「そうやそうや、弘ちゃんは心配が要らん」
二,三人の自明区の児童が声を揃えて言った。
「隆の家来だから」と、揶揄してやじりたいのであろう。隠された意味はすぐに判る。
弘は気色ばんで、自明区の児童に口答えを仕掛けたが、梶野先生が
「道具一つでも持っている人は手をあげなさい」
と、言ったので、口をつぐんで庭のほうを向いた。
「グローブを持っています」
「バットを持っています」
六、七人が手をあげて自慢気に言う。
「学校にはないけれど、これだったら出来そうだな。明日みんな持って来なさい」
「はぁ〜い」
常日頃と違って学童は嬉し気な生き生きした返事をする。それどころか、
「先生、今日から始めましょう」
好きな事はせっかちだ。
一つのものにみんな心を取られそうなので、児童間の感情の対立は、この調子だとうまくほぐしていけるかもしれないと、梶野先生は思った。
午後の教科が始まる鐘が鳴った。
「五年、四年の児童には、担任の先生から頼んでもらうが、君たちも明日の放課後には、野球の好きな子を運動場に誘って来て下さい」
「野球の好きなものは誰でもいいのですか」
「よろしい。それから、何かの都合で来られない者でも、道具を持っている人は、友達にことづけてください」
そう申し渡して、生徒の歓声を後に、梶野先生は教員室に戻っていった。
教員室にもどり、四年、五年の担任の先生に趣旨を話し、道具を持って来るように頼んでから、科書書を小脇に抱え再び午後の授業のために教室に入ると
教壇に立つ梶野先生に、
「先生!ユニホームをつくればどうですか」
常日頃から、キァッチボールを良くしている古橋君が、先ほどの続きのようにまた、野球の話を持ち出した。
ユニホームをつくってまで、野球をやる考えはない。児童の融和を図るのが目的である。
質問に瞬時、梶野先生は戸惑ったが、さりげなく
「そこまでは考えていません。然し、君たちが選手として野球が立派にできれば、校長先生にお話をして考えていただこう。野球は明日のこと。勉強の時間は勉強に力をいれよう」
児童をみまわして、算数の教科の予定を進めようとする。
「選ばれた者だけが野球を練習して、他の者はやらないのですか」
「ヒットを飛ばして、窓硝子を割ればどうしますか。」
「背番号を決めて下さい」
口々に話し出されてやかましく授業にかかれそうにもない。
児童の気持を落ち着かせるべく
「それじゃ、算数の勉強の前だが、少し、野球のルールの話をしょう」
と、仕方なく教科書を伏せて児童たちに迎合した。
「教えてもらわなくても知っています」
殆どの児童が大声で反発する。それどころか
「先生知っていますか」
と逆襲する児童まである。
たじたじとなった梶野先生は、答える代わりに、にこっと笑いながら
「さあ、それじゃぁ、六十四ページを開いて・・・」
と、ルールの話を止めて、教科書を素早く繰った。その意気に児童たちも野球の話をあきらめて、ページを繰り始めた。
心の中に楽しみを持つと明るく生き生きとした顔付きになる。明日から先生を交えて野球のできるのがたまらなく嬉しいのであろう。どの児童の顔も元気に耀いていた。常日頃に比べて、授業を受ける生徒の弾みが教室、いっぱいにただよっている。
梶野先生はそれを感じる。感情対立の融和だけの手段でなく、勉強まで励みがつけられたようである。

弘ちゃんは生きている(55)木村徳太郎作(未完)
「先刻は恐かったわ・・・」
小使いさんが茶を運んできた。
楠田、前田さんの腕力沙汰を見たとみえ、そんな前置きをして、
「前田さんはしょうがない人や。やくざのようで常識のない人や」
と、校長か、楠田さんか、どちらに言うともなく喋って出て行った。
「田植えも近づき、忙しくなって来ますので今は駄目ですわ。秋の収穫が終って、暇にならんと水道の話も持ち出せませんなぁ」
「区の争いに気が付きませんでした。学校区全般の事ですから、区と区がしっくりしないまま、子供のためと言って強引に願って、もやはり駄目でしょう」
茶をすすりながら、校長と楠田さんは、桧牧区と自明区が対立する現在、すぐには実現しそうもない有様なので校長の口調はなんとなく重たい。が、
「会長さんにもたれます。早く実現するように計ってくださいな。遠藤さんも見積もりを出されたことですし・・・」
と、諦め切れないと見え、遠藤さんにかこつけて校長は楠田さんに執拗に頼んでいる。
「育友会長を務めている間に、私も仕事を残しておきたいのです。校長の仰ることも分かります。ともあれ、資金です。資金があればとやかく言われず、強引にでも施工するのに残念なことです」
工事資金があれば、楠田さんでなくとも、誰にでも出来るだろう。分かりきった事だ。今更のように町村合併で、桧牧区、自明区所有の山を個人持ちに慌てて分けてしまった事を後悔して、楠田さんはいつまでも愚痴をこぼしていた。
                    ☆
桧牧区と自明区の感情のしこりのとれることを願う校長も、児童の間に対立が現れ、足もとに火がついたというのか、水道工事どころではない。
放課後、校長を囲んで職員会議が開かれた。
良い考えも浮かばないと見えて。誰の顔も深刻である。
「赴任されて間もない校長に心を砕かせて申し訳がないと思います」
校長の暗い面持ちを見て、主任の平田先生は、児童間の対立感情を解く案も出さず、卑屈にも校長のご機嫌を伺うことだけを言う。
「低学年では対立がなく、高学年の間で対立があるのではないですか」
低学年を担任する田中先生は、自分には関係がないと言わぬばかり。
それを聞いて五年生を受け持つ伊藤先生が
「五年生は前田朝子の盗人事件で対立が激しいように思われますが、他にはこれと言ったこともありません。六年生の間でじめじめとした対立感情が激しいのではないでしょうか」
六年生を受け持つ梶野先生に目をやって詰問といったふうだ。
「そうでしょうか」とぼけたように梶野先生が呟く。
「高学年の対立意識が強く、低学年にはそのようなことを意識していません」
六年生を受け持つ梶野先生に、責任あるといわんばかりに再び伊藤先生が言った。
「梶野先生、どう思いますか。育友会長の楠田さんに聞いたのですが、学級委員の桧牧区の炭谷くんと、副委員長の自明区の奥田君の仲が上手くいっていない。二人が喧嘩大将だから、他の子供たちは自然と分かれて、わいわいとやっているようですが・・・」
校長は炭谷君、奥田君を溯上に乗せた。
「私はそうだとは思いません。桧牧区と自明区の区民の対立感情が、子供たちに影響しているのです。ことごとく高学年が事を起しているふうに、仰るのは、表面だけをみて、裏の区民の対立に気づいておられないからです」
「それもあるだろう」
育友会の総会で、区民の対立をしみじみと味わされた校長は、梶野先生の発言に頷く。
「じゃあ、児童の対立に手がうてないと言うのですか」
誘導的な質問を平田先生が出した。
「そうとは言いません」
「じゃあ、どのようにすれば・・・」
平田先生、梶野先生の間に議論が戦われそうになる様子に、
「区民の対立が根底にあるから、難しいことは分かる。それで、区のことは別として、学童の融和をまず考えよう」
教師として先ず児童の事から、解決すべきだと分かりきったことを校長が言って中に割って入る。だがそれに応じて、誰も具体的な意見を述べない。
春の暮れはなかなか暮れ落ちない。日暮れが長いように話し合いも一向に進まなかった。
その時、会議の気づまりを吹き飛ばすかのように、電話が激しく鳴った。
電話機の近くにいた田中先生が立って行き、受話器を取った。
話し終わり受話器を元に戻すなり、
「校長先生。また悪戯をしたものが出ました」
自席に戻るのももどかしそうに大仰に言う。
越出あや子の父が電話をして来たと手早く田中先生が語った。
「ほう」
朝から不機嫌な顔付きをしていたのを一層ゆがめて校長はあっけにとられたように、溜息をついた。
 

弘ちゃんは生きている(54)木村徳太郎作(未完)
楠田さん、前田さんの争いも、桧牧区と自明区の感情のもつれの表われだ。
もつれのもとを起した前田さんを罵っている楠田さんの言葉に、そんな意味の言葉が多い。
梶野先生はそれに気づいた。このしこりが子供たちに今後一層悪い影響を与えていくだろうと思うだけに、喧嘩が早く納まって欲しいと前田さんをなだめていた。
朝礼の鈴が鳴った。その鈴で、学校の中に居るのだと気付いたのか、二人の感情の高ぶりが、少し治まって罵り合いがとぎれた。それに、力を得て、
「まあまあ、どちらも落ち着いて腰を下ろして下さい。話せば分かりますよ」
と校長がとりなす。
楠田、前田さんのどちらも目に怒りをこめて、睨みあったまま、校長の言葉に誘われて、平田先生のすすめる椅子に腰を下ろした。どうやら納まりそうだ。
それを見て落ち着いたのか、伊藤、田中の両先生が窓硝子の児童に気付いた。
「みんな、あっちに行きなさい」
と、教師らしい態度に戻って指示している。
児童たちは、喧嘩を見ていたい気がある。残り惜しそうに窓硝子から散った。
校長は、教育の場で喧嘩されたことに、教育者としての恥じらいを覚えて、自負心を取り戻したのか、今までの卑屈な様子でなく、
「授業も始まりますし、子供の見ているところで、争いをされることは、教育上残念なことです。今日はお引取り下さい。子供さんは、受け持ちの教師に迎えに行かせましょう」
と、毅然とした態度で言い、梶野先生に
「前田さんとご一緒にお家に行って、児童を迎えに行って下さい」と、指示をした。
「娘だけやおません。わしを、材木盗人と言いよった。今日はとにかく帰えりますが、その言葉を忘れんとおくれやす」
と、はだけた服装を整えながら、前田さんはまだ気持が納まらないとみえ、楠田さんにでなく、校長に捨て台詞を言う。
授業の鐘が鳴って、先生方は教室に出向かねばならないのだが、落ち着きがなくとまどっている。
そのとまどいを打ち切るように
「それじゃ、前田さんのお家まで行って来ます。その間、児童の自習の指示をお願い致します」と、梶野先生は、平田先生に頼み、
「僕がお供をして朝子さんを連れてきましょう」と、前田さんに申し入れた。
争いが納まり、居づらくなったのか、初めの気丈さが消えて伊藤先生が薦めた茶にも手を出さず、
「迎えに来てもらわんでも結構です。当分休ませます」と、
まだ心にしこりを持っているのだろう。前田さんはそんなことを言って帰りかけた。
児童を休ませると言われて、放ってもおけない。
「いや、迎えに行きます」
机の上を手早く整理して、帰りかけた前田さんの後ろについた。
前田さんと梶野先生が教員室から出て行って、先生方は安堵の表情になり、
「校長先生、お願い致します」
と、教科に必要な荷物を手早くまとめて、受け持ち学級に向かいかけ、
校長が「ご苦労。よろしくお願い致します。そうそう、平田君。今日の放課後、職員会議をやりましょう」
と、平田先生に指示しているのを耳にして、廊下へ出て行った。
先生方がかく学級の教室に行ったのを見て
「楠田さん。とんでもないことになりました」
校長は楠田さんのご機嫌を伺い
「どうぞ、あちらへ」
と、校長室に誘う。楠田、辻さんはそれに従って校長室へ入った。
椅子に腰を下ろすと、辻さんは自分の娘が二百円取られたことや、子供の間で、前田朝子が盗ったとの噂が流れているが、その陰口の張本人が自分の娘のように言われていて、今朝、前田さんに怒鳴られたことから、保護者として、今後の事が心配で楠田さんに相談して、学校に来てもらったことを話しはじめた。
楠田さんは、昨日のことも話したくて、一緒に来たことを付け足して話す。校長先生は、組打ちを見せ付けられただけに、心が責められて真剣な面持ちで聞き終わると、
「教師や、全校児童にも話して、はっきりしないことを噂しないように注意します」
と、辻さんに約束をする。
「水道の話が有りますので・・・」
と、言う楠田さんを後にして、辻さんは一人先に帰った。校長と楠田さんの二人だけになる。重苦しい空気で静寂が漂った。
立木伐木。嶽のぼりの日の争い。そして桧牧区と、自明区の感情の対立。それが尾を引いて、総会もしっくりといかなかった。
「水道を付けるのに、区民間の感情のしこりを、まず打ち消さないと成功しませんな」
と、楠田さんは結論めいたことを言い、この対立対策が「肝心だ」と話し出した。
就任間もなく、区の状況をあまり知らなかった校長は、今更のように学校内で起きる、児童間の争いと、水道工事完了の困難さを感じて憂鬱になった。




 

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