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♪ 金魚の昼寝
唱歌『ふるさと』の「兎追いしかの山」は「兎美味しいかの山」であり、『荒城の月』の「巡る盃」は「眠る盃」であった。大人になってから間違いに気づき、恥かしい思いをする。花の名前にも、勘違いをしたままのものがある。
終戦の年に生まれた私は、ミルクも母乳もなく、来る日も来る日も水のような重湯で、か細く泣く紙のように軽い赤ん坊だったという。父は「育つまいと思った」とも。病気もよくした。しかし、手のひらに乗るほどの小さい赤ん坊は、その逆境をエネルギーに変え、より強く生きることを主張するかのように、きかんきで元気な女の児に育った。
平均身長より随分と小さかった。その小さい身体は、気に入らない事があると口を尖らせ、丸い目をむき、大声で泣くことで自己主張をする。真っ赤な顔をして泣く。それを大人たちは「まるで金魚みたいや」と呆れていた。
赤いべべきた可愛い金魚。
お目目をさませばご馳走するぞ。
昼寝から覚めると、いつも祖母がお八つを出してくれた。お八つは、炊飯の残りを陽に干し、醤油と僅かな砂糖で絡めた物で、お皿に白砂糖がそのままのときもあった。焼銀杏二粒、ふくらし粉の匂いのきつい蒸しパンや、カルメラ焼き等。 今から思えば取るに足らないお八つだったが、それらを庭の花の揺れるのを見ながら食べるのは、幸せな時だった。
揺れている花は、何処の家にでも咲いていたオレンジ色の花で、金魚に良く似た花だった。祖母がそれを「金魚草」と教えてくれた。金魚鉢にその花を浮かべると、金魚が泳いでいるように見える。ままごと遊びにも重宝した。私はその花が好きだった。
結婚して夫の持っていた「牧野植物図鑑」で、その花は「ヒメヒオウギスイセン」という名の花であり、「金魚草」ではないことを知った。
奈良県高市郡八木町立晩成幼稚園の発表会で、私は「金魚の昼寝」のお遊戯をする。
発表当日、祖母が「今日は発表会やから、よそ行きの服にしぃや」と言うのを、私は「違う。発表会は明日や」と言い張る。
明日・あさって・しあさって・の言葉の区別がつかず、私の計算からいくと、発表会は明日になるのだった。自分がそう思うと、てこでも動かない私である。誰の言うことも聞かない。あまりの強情さに、祖母も明日だろうと諦め私を送り出す。大人たちは働くのに忙しかった。子供たちだけで誘い合わせて幼稚園に行く。園に一番遠い明ちゃんが、次に遠い友ちゃんを誘い、二人で健ちゃんを誘い、私の家にくる。青蛙を捕まえたり、荷車を引く牛の落し物に笑いころげ、朝から寄り道をしながら園に行くのだから、園に着く時間はその日によってまちまちだった。
発表会の日も、いつものように寄り道をして行くと、みんなはこざっぱりとした服装で座っている。一緒の三人は、その日蛙を捕まえず、私だけが泥で汚れたスカートだった。
「今日が発表会?」私は動揺した。私だけが汚い格好だ。
自分の間違いに気づいても後の祭り。私は口を尖らせ、大きな目をむくや大声で泣きだした。金魚のように真赤になり、泣きだした。教室の割れるような泣き声に、担任の山田先生が「あんまり寄り道ばっかりしてたら、アカンよ」と、赤いスカートを差し出した。それは、祖母が自分の着物を解いて、スカートに作りなおしてくれた、私のお気に入りのスカートで、成長する背丈に合わせて縫い上げを解いた折り目あとには、上から黒のビロードのリボンが縫いつけられ、織り地が波のように盛り上がり、キラキラとし、黒のリボンと良く合っていた。
私はスカートをはき替え、得意になって「金魚の昼寝」を踊った。先生たちや見学に来ていた大人たちは、小さい小さい私の姿を「本当に可愛い金魚に見えた」と褒めてくれた。
私は、遊戯が終ると一生懸命に走り、まるで金魚がスイスイと超速で泳ぐかのように駈けて帰った。
祖母が店のお客に野菜を渡しながら、「お帰り。可愛い金魚さんが出来たか」と笑いながら声をかけてくれる。祖母は怒らなかった。
強情な私を叱ることもせず、先回りしてスカートを届けておいてくれたのである。
店先で「あかいべべきた可愛い金魚」と、私はしなをつくって踊りだす。店のお客さんたちは、大喜びをし拍手をしてくれた。
赤い金魚はあぶくを一つ
昼寝うとうと 夢からさめた。
夢から覚める! 我がつよく、金魚のように赤くなりながら、誰がなんと言おうと、「ヒメヒオウギズイセン」ではなく「金魚草」と呼ぶ私がいる。
♪ 金魚 木村徳太郎 【楽久我記】ノートより
鰭の動きに 尾が揺れる
尾の動きに 水 揺れる
水の動きに 藻が揺れる
ガラスの鉢の お庭です
赤い振袖 日本娘
水藻の芝生 散歩です。
藻の動きに 水 揺れる
水の動きに 尾が揺れる
尾の動きに 鰭 揺れる
2007.07.25
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