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今月の脳いきいきアートはトマトです
毎朝美味しいトマトが頂けます
美味しいトマトの断面を描きました
脳いきいきふれあいアート<56>
美味しいトマト を 描く(トマトの断面画)
前回は半切りのメロンの量感画だった。一年の予定表を出している。「『次回は美味しいトマト』ですね」と、早くもトマトをどのように美味しく描くのかと楽しみにして下さるメンバーがいる。「ウフフッ。美味しいよ。うちで採れたトマトよ」とだけ予告しておいた。
トマトが大収穫だ。どれも太陽を一杯吸って真っ赤に色づいている。今までにもトマトを植えたことはあるけれど、いつも色づかず、「トマトの収穫は難しい」とあきらめていたが、臨床美術カリキュラムの「おいしいトマトを描く」をどうしてもやりたいと思っていた。
畑に肥料をしっかり入れ、日陰になると色づかないのだと思い、周りの木々の枝払いもした。植えたのは4本(大トマト、ミニトマト、フルーツトマト、黄色トマト)だったが、どんどん伸びる脇芽を掻き、それも植えておいた。ちよっとしたトマト畑が出来た。
毎朝、有難いことに水遣りをしながら捥いで、すぐに口に入れられる。その美味しいこと!。 トマトはおいしかった。
脳いきいきふれあいアート(臨床美術)は、作品制作に入る前に、描くものの話題を引き出し、試食をしたり、感触を確かめたりして制作に入っていく<導入部分>がある。(かなり重要な部分だ)これがしっかり出来ればもう制作できたようなもの。右脳はすっかりトマトで染まっていく、トマトの世界に入り込む楽しい時になっていく。
みんなからどんなトマトの話題が出るだろう。
私のトマトの話題も紹介する。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/49219822.html
息子は赤道直下の国に行って10年近くになる。沢山実った赤いトマトを見ながら「いまでもトマトは嫌いだろうか」「暑い国のトマトは美味しいだろうに。太陽を食べるような美味しいトマトなのに」「トマトは美味しいよ」などと息子に語りかけるようにトマトに言っている。
そしてそのおいしいトマトを描いてみた。
(ねらい)トマトの断面の形の面白さ、みずみずしさ、甘さ、触感を感 じ、透明感と質感の色彩表現を楽しむ
1) 塩ビ板正方形を2枚1組用意する
2) 試作参考を見せ、トマトの話題を引き出し、スライストマトの断面造作を表現する楽しさに脳活性を導くようにする。
3) トマトに感じる色を選び、メタリックホワイト、メディムを混ぜて中央から描きトマトを広げていく。
4) その上にもう一枚、塩ビ板を張り合わせる
5) 種のあるゼリー部分に竹ペンで圧力をかけると、白く線描きが出来たりする
6) その線を大事にして油性マーカーでゼリー状部分を上から描く。
7) 重ねたときに下の絵の具が滲みはみ出ても良い(これが面白い味を出す)
8) 果肉部分の色の変化や種が動くのを楽しみ、上の塩ビ板にトマトに感じる色をさらに重ねていく
9) 塩ビ板に 描けたものを 台紙に張りつける
10)サインをいれる
11)美味しいトマトをお皿に乗っているように構成したり、スタンドを作りインテリァにもしてみた。
台紙に張らず白い紙に貼り、お皿にしてみた。
トマトには蝉の抜け殻もついていました。カラスに突かれないように早起きの競争ですが、蝉にはおいしい我が家のトマト、食べて欲しいです。
教室に入る前にいつも試作をするが、簡単に美味しいトマトが描けるのが、嬉しいのと面白いので何枚も試作をしてみた。
なにより我が家の美味しいトマトがモデルだ。絵だけでなく、みんなが美味しい、美味しいと食べてくれるだろう。美味しさを制作出来たみんなの弾ける顔が浮かぶ。厚紙でスタンドも沢山作った。おいしいトマトが並ぶのが楽しみだ。
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ふれあいアート
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脳いきいきふれあいアート<55> メロン の 涼感画
七月の「脳いきいきふれあいアート」のカリキュラムはメロン。先月の教室のとき、皆さんから「守山メロンを一度食べたい」と言う話が出た。隣市の「蛍メロン」のことだが、高価で購入には整理券も入る。どこのメロンにも負けない美味しさで、甘味を押さえた豊潤な味わいは絶品だと聞く。私は西瓜派で、メロンをあまり口にしない。(高価だというイメージがあり、庶民には高嶺の花だと思っている)しかし、「せっかくだから守山メロンを画材にするか」と、整理券を手に入れた。
スーパーなどで安いメロンを購入することはあったが、高価なものを購入するのは始めてである。作品を試作するためにメロンに包丁を入れると甘い香りが充満する。食する前からよだれが出てきた。
香りだけでもう作品が完成した気になる。皆さんの喜ぶ顔が浮かぶ。作品制作後、みんなでメロンを食べることにしている。
臨床美術では導入部分として、モデル素材の試食、形態、匂い、などを感じ、そしてモデルに関する思い出話などで盛り上げる。描くモデルと一体感になることから始まるのだ。まずサイコロ状に小さくきり爪楊枝に刺して試食してみる。甘いメロンの匂いが充満し歓声が挙がった。
作品制作にみんなの力が入る。「メロンの涼感画」が始まる。臨床美術で「りょうかんが」と言えば「量感画」である。重さ、匂い、味、思い出などを量とし、そして今回は季節感を感じるためにそこに「涼」も加えるのだ。
暑い日だ。「涼」を感じて制作する。終われば守山メロンを食べることが待っている。みんなの目がらんらんとしているように思えた。
1) 白い下敷き用紙とトレッシングペーパを重ねる。
2) トレッシングペーパーの上に、メロンの断面図を描く。
(いろんな色の混ざりや色の加えを楽しんでもらう)
3)メロンの皮の部分をよく観察をし、一番濃いと思う色と、
他の色味を加え皮を描く。
4)竹ペンでスクラッチをし、表皮の網目を描く。
5)描き終わったメロンを切り取り、色台紙を選び、
下敷き用紙をカットしたものの上に切り抜いたメロンを構成する。
トレッシングペーパーの透け感が涼を呼ぶ
6)種を貼り付け、サインを入れて完成。
メロンを食べながらの鑑賞会。「おいしいおいしい」。
絵のメロンも「おいしい、おいしい」。
逆さにすると表情が変わる騙し絵
前回の教室のとき、生徒さんが福島から郷土玩具の起き上がりこぼしを買ってきた。それがとても愛らしく、また簡単に作れそうだったのでみんなで起き上がりこぼしも作ろうと提案していた。
ところがだ。簡単に作れると思い、粘土や重りに使うビー玉や、鈴などを購入していろいろ作ってみたが上手くいかない。中が空洞でないと起き上がらないことを知った。粘土では塊になり空洞にするにはどうすればよいのか。いろいろ試してみるが出来ない。簡単そうで誰にでもすぐ作れるように思えたが、なんのなんの起き上がりこぼしは優れものだった。伝統の郷土人形は優れものだったのだ。
土産は粘土で出来ていたが粘土で作ることはあきらめて、いろいろ試行錯誤してみた。
アイディアがでた。
1) 中を空洞にするためにラップの芯を使った。
2) 2センチ幅に輪切りにして重りに小石をボンドで貼り付けた。
3) 輪の 面に絵を描く
(騙し絵をデザインしてみた。ひっくり返せば怒った顔と笑顔になる。)
切込みを入れ輪に貼り付ける
4) 重心のあるほうに、笑顔がくるように貼る。
5) 怒った顔も転がして、いつも笑顔で起き上がるようにする。
素敵なアイディアの物が出来たと自画自賛。
粘土で作ったものは左右には揺らせるが、こけてしまうと起き上がれない。
転がしても転がしても笑顔で起きる起き上がりこぼしが出来た!
我ながら、なかなかよいアイディアの起き上がりこぼしだ。(失敗しながら、挑戦する面白さに魅了された)
今回の教室はメロンで贅沢。良い作品が描けて贅沢。そして起き上がりこぼしでみんなで大いに遊ぶ 楽しい教室になった。
しかし、今日の講師料は全て画材代に消えた。
でも充実した日だった。
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スポンジと竹ペンで「雨」を試作してみる。
雨の画像をいくつか紹介する。
教室のみなさんと先月、葛飾北斎展に行ったので、浮世絵に「雨」が多いことと、浮世絵の雨を紹介する。
脳いきいきふれあいアート<54>
雨・ 雨・ 雨・ に 遊ぶ
「脳いきいきアート」の現場で一番心がけていることは「季節」。季節を感じながら、その上で脳活性も出来ると嬉しい。
六月は雨。花なら紫陽花だろうか。昨年の六月の教室は「タッピングで描く紫陽花」だった。今年は雨で遊ぶことにした。
雨の呼び方を列記してみよう。(これほどに沢山の呼び名があるのは日本だけかもしれない。)
霖雨・地雨(長雨)・霧雨・豪雨・篠突く雨・俄雨・肘笠雨(傘を被るまもなく、肘をかざして袖を笠のかわりにする)・驟雨・凍雨・五月雨・夕立・氷雨・秋雨(秋霖)・時雨(俄雨)・春雨(春霖)・村時雨・片時雨・横時雨・春時雨・卯の花腐し・虎が雨( 旧暦の5月28日に降る雨。曾我兄弟が討伐たれた日でこの日に降る雨は虎御前の流す涙であるらしい)・薬降雨( 旧暦の5月5日に降る雨でこの日に竹の節にたまった雨水は薬効があると言われる)・半夏雨( 7月2日ごろ,夏至から数えて11日目に降る雨。この日の雨は,大雨になる事が多い)・寒九の雨( 1月13日ごろ、寒に入って9日目に降る雨のこと、この日に雨が降ると豊作になると言われる)・ 村雨・ 群雨・叢雨(玉が散っているような雨)・怪雨( 花粉、黄砂、火山灰などいろいろな塵が混じる雨)・天泣(狐の嫁入りとも呼ぶ)外待雨(私雨)梅雨には(梅雨・入梅・栗花落/堕栗花(ついり)・五月雨・菜種梅雨・
走り梅雨・送り梅雨・戻り梅雨・空梅雨・山茶花梅雨などがある。
翠雨(青葉に降りかかる雨)緑雨(新緑の頃の雨)麦雨・甘雨(草木を潤う雨)瑞雨(穀物の成長を助ける雨)秋霖・夜雨・・。まだまだありる。ひと湿りの雨は、雫雨・涙雨・小糠雨、更には糸雨・疎雨・微雨・朦雨など・・・。 洗車雨(旧暦7月6日に降る雨。彦星が織姫に会う為に牛車を洗う水が雨になると)酒涙雨(旧暦7月7日に降る雨、年に一度しか会えない惜別の想いの涙の雨)御山洗雨(旧暦7月26日に降る雨。山の不浄を洗い清める雨)作り雨(打ち水のこと)樹雨(濃霧の森を歩いているときに木の葉からしたたり落ちてくる雨)・ 言霊の国。日本人の言葉の奥深さはこうして「雨」も隣同士にあるのだろう。歌(和歌、短歌、俳句、童謡、演歌・・・)にも恋や花よりも雨は多く出てくる気がする。楽曲も多く歌い尽くせずに声がかれるほどだろう。 沢山の呼び名を持ち、歌に歌われ、文に書かれ、絵に描かれ、各人の心にその雫を落とす雨は、いろんなことを友として誰の心にも雨輪を広げているのだ。
薫風のなかに雨の匂いを感じ始める六月の教室は雨でいこう ! 臨床美術は「臨床」とつくことで、難しく感じたり絵を描くことは苦手と、アートそのものにアレルギーを感じる人もいるが決してそうではない。アートを楽しみに感じて、生き生きとしてもらえたら良いのだ。絵は上手に描くことでも、アートは特別な人だけのものではない。表現する事の喜び、楽しさに、物の見方も変わって生活にも潤いが生まれたら嬉しい。その一つの形の現れとして、「脳いきいきふれあいアート」を私は実践しているのだと思う。臨床美術士として「知識の量、情報量」を多く持ち専門的なことも大事かもしれないが、子供のように素直に心を動かせ、素直に立ち止まれる。それが「感動」となり、その感動を伝えたい思いと願い、それが人の心を打つのであれば、それは生き方としての行動にもつながっていくように思う。高齢者や認知症の人にもそれは感じてもらえる。そして人に伝える前に私自身が感じたく「脳いきいきふれあい」を続けられる原動力になっているのだろう。
この面白さを伝えたい! そして、誰にでもある表現能力、自分自身を表現する方法はいろいろあるだろう。それはその人の能力だと思う。認知症になってもそれはある。だからその能力を認めあうことで自分をも引き出すことが出来れば素晴らしいと思う。そして「実技」という形だけにこだわず、絶えずコミュニケーション(寄り添う)と言うことも大事にしたいと思う。それを大切にし、そしていつも季節とも寄り添いたいと思う教室だ。 そんなことで 「さぁ〜〜 雨の中で遊んでみましょう」 カリキュラム 雨のガラス絵(梅雨の空)
と言ったもの、さて絵を描くとなるとなかなか難しい。みんなを雨の世界にまづ導こう。
1)雨の画像をいくつか用意する。雨の歌を合唱する。沢山の雨の言葉を伝える。雨の思い出を語り合う。これは作品作りにスムースに入れることの大事な導入部分であり、個々のいろんな感性に触れる事ができるとても楽しいときだ。ここが盛り上がればもう絵が描けたも同じ。
2)透明塩化ビニール板にスポンジと割り箸ペンで楽しむ。(以前に花火のガラス絵をやったことがある。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/51890730.htmlそれとおなじ方法だと伝える)筆を持つと緊張する人もこの技法はリラックスするのではないだろうか。
3)ただこれをしていると、楽しくて時間の経つのも忘れ、いつまでも透明下敷きとアクリル絵の具から離れられず、色を重ねたり、削ったり、加えたりで終わりがない。(生き生きと子供のように目が輝いてくる。きっと臨床美術の右脳の周波が溢れ出ているのだろう)
4)透明下地の色を重ねた裏側と表側から見た感じの意外性、また透明に光が差し込むことによって、ステンドグラスのような美しさも味わえる楽しさを感じる。
5)時間を切ることの難しさを感じながら仕上げてもらう。
6)出来た作品をみんなで鑑賞する。どれも素晴らしい雨が生まれた。 下手上手は決してない。「上手くなくて良い」上手いの裏には「下手」がある。だから下手上手ではない。その人の表現が満ち溢れている。私の役目は、相手を認め、それぞれの素晴らしい所を見逃さない抽象的でなく、具体的に褒める。それを心がける。
作品製作手順のなかで、その都度次々に思いがけない「!!。ハッ。ワァ〜〜」が現れる。自分で失敗と思っても、失敗などはない。どれもこれも見とれる素晴らしい作品になっていることを伝える。そして抽象的でなく具体的に感じる一つの方法として、出来た作品に自分でタイトルをつけてもらうことにしている。 鑑賞会を終え、作品をタベストリ風にして持参した紫陽花を飾ってみた。 |
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たくさんソラマメができました。
空を仰ぐソラマメ。花も素敵。味もよし。みんなで描くとソラマメも喜んでいるようでした。
脳いきいきふれあいアート<53>
空を(希望)見てソラマメ
「脳いきいきアート」で、私が一番心がけていることは「季節」。そのため既成のカリキュラムを実施する現場に合うように、手直しをしたりする。
五月、ミツバツツジが庭を美しく埋める施設では「大樹の桜」のカリキュラムの手法をだけをいただき、ミツバツツジに変えたり、新緑の美しさを感じてもらいたいと「新緑のタッピング」などと、オリジナルのカリキュラムにしている。これは亜流とのことだが現場に一番関わって、参加者の動向、感性を知るのは私だという自負もある。
その現場に即した一番の楽しみ方で、参加者も私も一緒に楽しんでアートに触れ「脳いきいき」をしたいと思うのだ。
今年の五月は「春の小野菜」をやりたいと思って、ソラマメを自分で育てていた。人参の葉の面白さを伝えようとしても、葉付の人参が店頭になかったり、ラデェシュ(小さな赤カブ)が欲しいと思っても必ずしも手に入るとは限らない。そこで私は自分で栽培することにしている。
嬉しいことにソラマメが沢山出来た。教室を開講させて下さりお手伝いをしてくれる施設のスタッフに、一年間の予定表を渡している。採りたてを教室に持参すると、若い人はソラマメを知らない。また五月の案内に「春の小野菜」となっていたのを「小野菜てなんですか?小松菜の間違いですか」と聞く。笑いが起こる。
高齢者はソラマメを知っていた。
「脳いきいきアート」は絵を描くだけではない。昔の思い出、体験などを導き出し、そこから絵の苦手な人も、絵など描けないと思っていた人にも、ソラマメの匂いのなかで、他者とふれあい(握手もする、歌も合唱する)脳活性をすることが目的だ。
カリキュラムでは、素材(モデル)を切り分け、中身の色を観察したり、匂いを感じたり食したりして、アートへの導入部分にするのだが、ソラマメの話題で持ち上がり、その導入部分をしなくとも、参加者をすっかりソラマメの世界に誘えた。
私も、ソラマメのことを調べていろいろ話す。
「ソラマメは新石器時代の遺跡からも出土する古代エジプトやギリシア、ローマにおいて主食とされていた豆で、古代文明を支えた世界最古の農作物の一つ。日本には8世紀ごろ渡来した。和名の由来は、サヤが空に向かっているので「空豆」。またはカイコを飼う初夏に食べ、サヤの形が蚕に似ていることから「蚕豆」と。酒処では「天豆」と表示する。」
高齢者は昔の話が大好きだ。乾燥したソラマメを炒って海水浴に行き、塩水にふやかして食べた思い出などで盛り上がる。もうこれで絵を描いたようなものだ。
五月の連休に帰郷した孫とバーベキュウをしたとき、摘み立てのソラマメをサヤごと焼いて食べた、湯気の上がる綺麗な翡翠色。それはそれは美味しかった。 「絵を描いた後、このソラマメをみんなで食べましょうネ」と提案する。もうみなさん早く食べたい、描きたいという気持ちになってきた。 カリキュラム 春の小野菜の水彩画 1) 水彩絵の具の透明感、にじみ、混色を楽しんでもらう。
2) 極薄の墨で和紙に天(希望)を思い好きな線を1本描いてもらう。
3) それにソラマメから感じる色をのせていく。
4) 輪郭を描くのではなく、ソラマメに感じる色をにじませていく。
5) にじんで広がる色、混色する色、春、天、希望などを楽しむ。
6) サヤから豆を出して豆の色も楽しむ。
7) 竹ペン(墨)や水彩色鉛筆でソラマメをよく観察して表面の凸凹や光の当たっている部分など、細部を描き加えてもらう。
8) 描いたソラマメの周りを筆で濡らし、千切り取る。
9) 別に用意した葉書に、春を感じる色を全体に塗る。
10) 塗った葉書に千切り取ったソラマメを構成して貼る。
11) 好きな色の台紙を選び貼る。そのまま春の便りとして葉書として使っても良い。
いつも感心するのだが、「絵なんかよう描かん」と言っていた人が、完成した作品を見て「ほんまにこれ、私が描いたん。上手やなぁ〜」と生き生きしだす。脳いきいきアートには上手下手はない。それでもその人のほとしばるような個性が出る。そして素敵なアートが出現する。携わっていて嬉しい感激の時だ。 認知症の人は自分が絵を描いていたこともすぐ忘れたりもする。しかし手元に残る作品を何度も見直してくれる。そこからまた話題が広がり自信もついてくる。それが分かる。
このアートは凄いと思う。現場に立会い苦しい時も悩むこともある。しかし、それぞれの人に輝きを見いだしたとき、私は携わって良かったと思う。 鑑賞会はスタッフの人が茹でてくれたソラマメを食べながらやる。教室は春と希望で満ちてくる。
教室に携われたことに感謝である。
こちらの言っていることが伝わらない時もある。我慢の時もある。しかしこの「脳いきいきふれあいアート」は私の宝物になってきた。 |
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脳いきいきふれあいアート<52>
色のアラベスク
「臨床美術」の現場を持っていて「、これでいいのだろうか、自分が面白いからやっている、その楽しさを伝えたい」、それだけで良いのだろうかと悩むこともある。毎月2箇所の現場で実施するカリキュラムは、「季節」を重点的にやっているが、ネタ切れを感じるときもある。臨床美術士はカリキュラムを購入できる。たくさんのカリキュラムを購入してやってみるが、私自身が面白く感じないものもある。自分が楽しくないと伝え方に力が入らない。
研修会の日が勤務日と重なり、なかなか参加できないが一度出席してみようと有料の「アートプログラム研修」に行ってみた。子供向けや高齢者向けなどがあるが、(本当は子供相手にやれば楽しいだろうとは思うものの、今のところは介護士という仕事柄もあり高齢者を現場に選んでいる。)
カリキュラムを購入して、自分で解釈をして試作するのと違い、研修はとてもよく分かり楽しかった。これが現場だと感心した。(やはり有料だけのことはある)
教室の一年間のプログラムを先に提出している。次回の教室は「春の小野菜」を考えていたが、世話をしてくれている人が「小野菜てなんですか?。小松菜の間違いですか?」と聞く。仕事場でも、日常でも最近感じるのだが、世代間の感性がどうも違ってきている。そんなことを思う。春の小野菜といえば、蕗の薹、土筆、絹サヤ、タラの芽、ワラビなどの小さい野菜であり、それを葉書に臨床美術で取り組もうと考えていたが、前回にイチゴという具象的なものをやった。具象的になると、どうしても「うまく描けた、描けなかった」と後味の悪さを感じられる人もある。どうしても絵は形から描いて、それにどれだけ近づけたかということに思いがいくらしい。いままで絵(アート)に接することがなかった、あっても絵の時間は模写で上手く描けたか描けなかったかが成績になり、そのため美術の時間が大嫌いだったという人もある。
臨床美術はアートを楽しみ脳活性化を促し、お互いを認め合うことである。自分表現が溢れ出すことである。そのお手伝いをするのが臨床美術と思っている。
次回にやろうとするカリキュラムを何度も試作しないと伝えられない。カリキュラムだけを見ていたのでは、理解が本当は出来ていないこともある。それが研修に参加してよく分かった。
次回の教室は研修でやったCAAメソッドをやることにした。(具象的なものが続かないほうが良いだろう。)
材料費が安く済むということだったが、指定された画材を揃えるのはかなり高くついた。しかし、我流で画材を揃えているより、確かに指定された画材を使うほうが作品のよさが大きく違う。そんなことも感じた。
研修時、アラベスクの説明はなかったが「アラベスク」は壁面装飾などによく見られ幾何学的模様のことだろう。アラベスク美術をいろいろ調べると面白いが、ここでは、ドリッピング技法で偶然的に出来る形を楽しむ。
1) モザイク画、ステンドグラスなどの資料を見てもらう。
2) ゴールドのジエッソを溶き、黒の(スーパーブラックの紙)上にのせ画面を持ち上げ傾けたりしてジエッソが流れていく偶然性の形を楽しむ
3) 出来た画面を回しながらその形を楽しみ、画面にオイルパステルで色を点在させる。
4) 他の色も加え、色をちりばめ、また点や線を加えても良い
5) カリキュラムのゴールドのジエッソで描く以外に、シルバのジエッソーでもやってみた
6)スーパブラックの描画紙を使うことで、ゴールド、オイルパステルの色味が引き立つのだが、高齢者にはシルバーも良いように思った。
7)作品だけで終わらず、これをオリジナルの栞にしてみた。以外に面白いのが出来たので、教室でも、これをやってみよう。
試作をやりながら、教室のみんなの顔を思い浮かべる。みんなの反応が楽しみだ。
自分の楽しみを相手に伝えられ、相手も楽しませる。それが出来ることに幸せを感じる。
カリキュラムを詳しくは投稿できないが、手持ちの画材で、みなさんも「脳いきいきふれあいアート」を自宅でやってみてください。面白いですよ。
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