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ふれあいアート

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脳いきいきアート <35>
書きぞめ(描きはじめ)

 ふれあいアートの教室に参加しておられる方には、書に秀でた方もいらっしゃる。高齢者の方は達筆の方が多い。(昔は、読み・書き・算盤・が重んじられ、特に字は大切にされていたらしい。)その上手さに加え、俳句を嗜んでおられる方、詩吟をやられている方、手芸や折り紙の達人と、それぞれ、余生を充実させ楽しんでおられる。高齢者の方は私のお手本になる方たちばかりだ。ただ絵(美術)の授業は模写をすることで、絵の具やクレヨン、もちろん油絵の具や色鉛筆などもなく、ひたすら名人の絵の模写のできばえで、優・良・可の成績となったらしい。
そういうこともあり、美術という枠から離れて楽しむ、「脳いきいきアート」を、とても楽しんで下さる。

 そんな中、暮れの「脳いきいきアート」の教室で、昨年の字の「暑」が話題にあがった。
 「一過性の自然現象を捉えた字でなく、心の意識に訴える字が良い」とか、「清水寺の管長さんの話」になった。そして「清水寺の管長さんの字を家宝として持っているのだが、(宥)の字で、ユルスと読むそうだが、意味が分からないので調べて欲しい」と頼まれた。
夫が白川静さんの「字通」「字訓」「字統」を揃えている。
  調べてみた。
「ゆるす。ゆとりを持つ。責めない、かばう。 寛宥 、宥恕、宥免 」の意味を持ち、なだめ気持ちにゆとりを持たせる」と言う とても素晴らしい字だと知った。
(別談だが、紅白歌合戦で福山雅治さんの歌う「道標」に「愛で敬し(ゆる)」と字幕がでていた。私はこの歌を「愛で赦し」だと思っていた。しかし、この歌は母親を道標と敬っている歌なのではないか。敬がふさわしいのだろう。)そしてユルスに多くの字があることを知った。「許す」「赦す」「聴す」「緩 す」
それぞれに意味が違う。私はユルスは許すしか知らなかった。すっかり、字の面白さに惹かれてしまった。
(そして過去の細かいことは、すべてゆるす。新しい幕開けに、希望を乗せ「ゆるす」を年頭所感にした。また兎年だ。)画像(1)の「(宥)の金文」という絵のような文字に出会い、金文を調べて甲骨文字に跳んでみることにした。

「甲骨文字で描き始め」と言うカリキュラムがあったのを思い出した。

 一月の「脳いきいきアート」はその<描き初め>をやることにしよう。
(字に興味を持たせて下さった教室の人たちにお礼の気持ちを溢れさせ、試作品を数枚描いてみた。)


描き初め
1)杉皮紙(杉の表皮で出来ている)に、スポンジで胡粉で新雪を降らし新年の気持ちを味わう
2)甲骨文字の資料(いろいろ甲骨文字を集めるととても面白かった)を見せる。
3)いろいろの甲骨文字から描きたい文字を選ぶ
4)各種の筆(刷毛、太筆、扇筆・・・を選び、雪を降らした画面に文字を写すのでなく、バランスを崩したり変えたりして、その(形)を楽しんでもらう。
5)赤系統や金の絵の具で、点や線を加え、装飾感覚でお正月らしく華やかにする。


 「甲骨文字の面白さ」と「(宥)の字の素晴らしさを改めてみんなで知り、家宝を大切にしてもらう」
 教室が楽しく待ち遠しい。

ふれあいアート

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上から (1)眼下に広がる琵琶湖と紅葉をイメージしたと。
    (2)二,三日前に三上山に登ったが、まだ紅葉には早かったと。
    (3)縦にばかりラギングをされ、枝を入れるとなんだか童話の世界の紅葉になった。
    (4)川土手の紅葉をイメージしたと。
    (5)ラギングに興味を示されなかったが、大木の紅葉が描け満足気。
    (6)下部余白が大きく、地面か草原か水かと問い掛けると「水」ということで水を足す。
いつもより時間延長。こんな大作に取り組まれお疲れ様でした。ありがとう。
                              (画像は大きくして見て下さい)

脳いきいきアート <34>
紅葉(こうよう)屏風

 前回の手作り絵葉書はすぐに完売してしまった。部数をもっと多くすれば良かったという意見も出たが、みんなが力をあわせてバザーに貢献する事が目的だったので、金額はわずかでも「役に立った」と言う満足感が生まれ嬉しい。その喜びの余韻で、十一月の「ふれあい・アート」は、紅葉(こうよう)屏風をすることに決めた。
 しかし、これは材料費が高くつく。参加者に高額の材料費をもらうかどうか悩んだ。
そこへ有り難い助っ人が現れた。材料となる水彩ボードではないが、「代用できるマットが沢山あるから、それ使う?」と声をかけてくれる先輩がいた。登録商標で指定された材料、カリキュラム、指導方法もきちんと体系づけられている。
 相手を認め、感性を引き出すためにも、「ちがうと言わない」「うまいへたと言わない」「手伝わない」「急がせない」などを学んでいる。また画材により出来ばえが違う(脳の活性化が違う)ことも感じている。しかし、現場現場で臨機応変に応用して行く柔軟性も必要だと思う。私の場合「ふれあい」を目的にやり始めた。違いは許してもらおう。(そのためにも「ふれあいアート」と冠している)

 指定されているボードでなく、先輩が譲ってくれたマットを使う事にした。試作してみるとカリキュラムより一回り大きな屏風になる。果たしてこれだけの「面」を参加者が埋められるか心配だ。しかし、大作になる。これをもし完成することができれば「みんな喜ぶだろうナァ〜」「自信が生まれるだろうなぁ〜」。前回葉書で、みんなに一つの自信が生まれた。紅葉屏風の大作でまた自信が生まれれば私としても冥利に尽きる。

 先輩にマットを貰いに行った。京都河原町の吹きさらしのテラスで待つ(煙草を吸う先輩なので外で待つ)風邪引きの身にはこたえた。クシャミばかりの中で「好い加減、煙草やめたら」と厭味を言う。「値上がりをするのでまとめ買いしたら、沢山あるものだから余計吸う。買い置きがなくなっても高くついても吸う」と言う。嗜好というものはさにありなんと変に感心する。昔の煙草は「パイプの煙り」などと、詩的情緒と共にもてはやされたものだ。今のように片隅に追いやられるとは思いもしなかっただろう。アートの話がいつのまにか煙り論争になったりした。川風から吹く風が冷たい。流れ行く煙も凍ってみえる。私は紙の特色だけを聞いて早々と退散する。「百均のマスキングテープはあかんよ」と追い討ちをかける声。私はできるだけ材料費を抑えるためにも、いつも百均で間に合うものはそれでまかなっていた。
しかし、帰宅してマットを裁断し百均のマスキングテープを貼ると、今更ながら当たり前の事なのだが、百均と画材専門店の違いを見せ付けられた。剥がす時にみな紙が痛むのだ。悩んでしまった。
しかし、怪我の功名。よいアイデァが浮んだ。
破れた紙の上に、金銀箔が入っている紙を貼ることにした。すると余計に屏風らしくなった。紙は以前からの手持ちである。本物の箔が入っている紙だ。利用してやらないと・・・・。
あれやこれやと試してみた。カリキュラムよりひとまわり大きな素敵な屏風が出来そうだ。
先輩の好意とアイデァと少しだけの知恵で、材料費に苦慮せずにアートを楽しめるのが嬉しい。

      ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
1参加者が持っている紅葉のイメージを引き出す
2秋の空を思い浮べて画面一杯に空気色を載せる。
3紅葉に感じる色を、新聞の独特のタッチを生かしてラギングする。
4枝振りを入れる。陽の当るところに金粉をまく。
5マスキングテープをめくりその上に金銀箔の入っている紙を貼る。
6落款を持つ人はそれを押し「書」をいれる。

 感激だ。みんな感激だ。認知症の方が二人居られる。手を出さないほうが良いのだろうが、私は手伝う。手伝って参加者が自分のイメージに添った時、顔に光が宿るのが分かる。そこに信頼関係が生まれて行くように思う。参加者も嬉しい。私はもっと嬉しい。これが醍醐味だ。


私の紅葉屏風の作品は http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/49370111.htmlです。

ふれあいアート

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脳いきいきアート <33>
ふれあい葉書 
脳いきいきふれあいアート、「ありがとうの絵葉書」

 オカリナ演奏で、ボランティァに行き始めて7年になる。行き先はキリスト教が運営しているデイサービス施設。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/31753818.html(*デイサービスとは、介護保険の導入で、高齢者が社会的、集団的に楽しみを見つけ、また家庭で入浴困難な方に入浴を勧め、家族の介護負担を軽減したり、レクレーションやリハビリ体操などで、一日を笑顔で過ごしてもらおうと言う所)
今ではスタッフの人は勿論、利用者さんとも顔なじみになってしまった。

そして、そんなデイサービスとは別に、「どんな人とも、人と人との交流を楽しみ、お互いが刺激し合える楽しい場を作りたい」。そんな思いを話し合っていた。そして、デイサービスに併設して「ふれあいの家・おしどり」が産まれた。美味しいコーヒーを飲み、音楽を聞き、それぞれの楽しみ方を大事にする。お互いの専門性を活用する。
私は「ふれあいアート」で月1回お邪魔する。参加費用は頂く。デイサービス利用者の方や同じく併設されている養護老人施設からも、遠くからも、また地域の住民の方も来て下さっている。このアートは、認知症の方やストレス社会に潰されそうな方に活用してもらうのが本流だろうが、人との関わりの中で楽しく過ごせることは、誰の願いでも有ると思う。どんな場面であれ、「ふれあい」の素晴らしさを感じ合えたら幸せだと思う。そう言う思いで、来て下さる方を受け入れている。
「絵の下手上手は無し。お互いを認め合い楽しもう」それがモットーである。
認知症の方の施設である、グループホームへもボランティァで寄せてもらっている。絵画療法(施設の方がそう名付けられる)として行く。私は「脳いきいきふれあいアート」と名前を付けて楽しませてもらっている。どちらも私の生きがいになっている。
 人は交流を持つこと。そして「人の役にたっている」という思い(自己満足であれ)が、活力を呼ぶのではないだろうか。
そういう思いから、例年デイサービス施設で行われる、バザーに「私たちも参加して、収益金が寄付できたら、嬉しいよね」と誘ってみた。みんな喜んで賛成して下さることになった。人は誰しも「なにか、役に立っている」という思いが持てること、それは活力になり生きる喜びに繋がるのではないだろうか。施設の人たちは自分がやっかいをかける者だと思っておられる事が多い。しかし、お茶の後のお茶碗洗いや、お手伝いを頼むと生き生きとされる。人はいくつになっても「誰かの役にたっている」の思いは、大事なのだろう。例え寝たっきりになって役に立てない(機能として)となっても、「そこにいてくれるだけで、存在していてくれるだけで価値がある」(これが「存在的人間観」だ)
その心を大事にして、「脳いきいきふれあいアート」としてその心を実行していきたいと思う。それは私自身が楽しく、生きがいを感じる事であろう。そして役に立つことに誇りを持てたらと思う。
 そう言うわけで、みんなで葉書作りをすることにした。無理強いはしないで参加したい人だけがする。が、みんな「やる」と時間を割くことに喜んで下さった。
 この教室はアートを楽しんだ後、デイサービスで出される食事を一緒によばれ、作品の鑑賞会をしている。デイサービスの場所と隣家どうしである。デイサービスの利用者が尋ねてきて、好き勝手に作品を批評して下さる事もある。そんなとき「あんなこと言われて」と泣き出す人も有る。しかし、人の思いを聞くことは大事な生きる術である。美味しい手作りの食事を頂いていると気持も安らぐようだ。美味しい物を食べられると言うのも幸せの一つだ。いつしかみんな楽しくなる。
 そんなこんなで、教室とは別に一日割いて美味しい食事を食べながら、バザーの作品を作ることにした。試作品として、今まで教室でやったものを
http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/50647231.htmlさざえ
http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/50551510.htmlすいか
http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/49496940.htmlもみじ
http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/49402546.htmlざくろ
葉書にしてみた。
 みんなで三枚百円の値段が決まった。さぁ〜どれだけ売れるかな?
売れ残ったら、買い取ることにしよう。でもきっと完売だよ。みんなの優しい心が入っているから。

 施設ではバザーの収益金を防火カーテンに付け替える資金にするらしい。活用先も決まっている。さぁ〜張り切って「役に立とう!」
材料は私が持つ。温かい心をみんなで乗せてもらう。そして役に立つという楽しさも味わって欲しい。みんなの心と活力を大きく膨らませよう。





唐招提寺  _土塀と築土_ 木村徳太郎  
 
       誰も来やへん 
       秋風に         
       笹がへらへら 鳴る土塀。

       巴瓦に 紙あてて
       4Bでこすれば 
       ほい 出来た。

とっても とっても
ええおます
唐招提寺の   石刷や。

誰も居やへん
秋晴れに
牛がモォーと
鳴きよった。


    

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脳いきいきアート <32>
アートふれあい 
スイカの暑中見舞い状

 森林浴は体にも心にも良いものだとは思っていた。それが学問的にその効果が解明され、数値でもストレスが減ることが証明される。
散策が好きだし植物に興味があったので、森林浴の医学的効果や森の植物、森の歩き方などをガイドする養成講座に参加した。講座名の「ヘルスツーリズム」は聞きなれない言葉だったが、(Health Tourism) 医学的な根拠に基づく健康回復や維持増進につながる観光のことで、ニューツーリズムとして、産業観光・エコツーリズム・グリーンツーリズム・ヘルスツーリズム・ロングステイ・文化観光などがあり、全て心身ともに健康を目指すものだと知った。ビートルズのジョン・レノンが長期日本の軽井沢で滞在し、日本の自然に癒されていた事、また文豪夏目漱石が森に癒されていた事なども知り興味深かい講座だった。講義で映し出される日本の自然の美しさに、私は癒されっぱなしだった。そしてそれは懐かしい鎮守の森に重なった。鎮守の森は神様の住んでおられるところ。私は難しい療法などと言うことは知らなくとも、鎮守の森に行くと癒されていたが、これは正解だったのだと気がついた。森林療法とか、ツーリズムなどと言われるものは、決して特別なものでもない。誰でもが普通に癒され、次への活力を得る事の出来る自然の恩恵を友にすることだ。自然破壊や混沌とした時代であっても、自然の大きさに触れ、日本古来の文化にふれることが、どれほど人を癒す事かと気付いた。
いろんな人と癒しあい、ふれあいを共有したい、そう思う。
 先般、形は違っても同じような「心」を持つ「花のシンポジュウム」(同志社大学)で話をさせてもらった。たまたま以前から「臨床美術」を専門とし、認知症の方の脳活性、疲れた社会人、心落ち着かない子供たち、諸々現在社会の谷間でもがいている人への癒しと元気を活性化することを学んできた。同じ事を花を通してやろうとされ心は全く同じであり、めざすものは一緒だ。
 私のなかでアート、ヘルス・ツーリズム、フラワー・サイコロジーの全てが繋がる。

 3D画像が出現してきた。そのうち森や滝や川や様々な自然の中の画像に、自分の体を入り込ませられるようになるかもしれない。部屋で観光も出来るようになるかもしれない。しかし、そこに五感を感じる技術も現れるのだろうか。
私はやっぱりコミュニケーション(ふれあい)をリユックに詰め、背負い、野山に実際行きたい。そして花に触れ、アートに触れ、沢山の人と触れ合いたい。ヘルス(health健康)の動詞形Healは「癒し」でもある。またHealは魂でもあるのだ。

「臨床美術」はブランド名である。そのため、私は「脳いきいきふれあいアート」と呼びたい。そして常日頃、こうしたふれあいの大事さを、デイサービス(高齢者通所介護)を運営している知人といつも語り合っていた。「高齢者だけでなく、仕事を離れた孤独な中高年者、人と交わる事が不得手な人。固定観念で固まっている人、そんな人たちに、「ふれあい」が活力を呼び、癒しを与え、人生を楽しくする輪を繋ぎたいね」と。それは私たち自身が、喜びと癒しを貰うことであった。
そして知人が、デイ・サービスと平衡して「ふれあいの家」をつくった。介護保険にはかからないが、引きこもりになっている人をひっぱり出そうと。その一環として、「脳いきいきアート」をとりあげ教室を開けるようにしてくれた。(5名限定。月2回)他にもコーヒーを飲みながら喋るだけ、お互いの特技を還元する。ミニコンサートをやる。いろいろとふれあいの機会を持ち、楽しくやろうというものだ。最初はうちとけない集りだったが、いまはどの人もいきいきとしておられる。
そう、これが私の目指していた「脳もいきいき(アート)」だ。ふれあいの居場所づくりだ。
 四月から始め、いまはもうこの時間が待ち遠しいように、(私が一番待ち遠しいのだが)集ってきて下さる。教室が終ると、デイサービスで出される食事を一緒にいただき、後は、デイサービスに合流したりそれぞれに自分の居場所で、ふれあいを楽しんで帰られる。

 梅雨が終るとなにもかも暑くなる。「今回は暑中見舞い状を出そうね」とスイカの暑中見舞い状(ポストカード)を「脳いきいきアート」でやってみた。
「下手上手は無い」「絵が苦手な人も苦痛にさせない」「お互いを認め合う」それを大事にしている。


スイカの暑中見舞い状

1)画用紙を濡らし、透明水彩の重なり、滲みを楽しんでもらう。(スイカの絵を描こうとはしない)
2)色を楽しみにしながらスイカの思い出話や「スイカの名産地」をオカリナ伴奏で歌ったりする。
3)描けた(彩の乗った)画用紙から、葉書にしたい部分を切り抜く。
4)切り取って残った部分もスイカだ。捨てないで、いろいろな形に構成して葉書に貼って行く
(最初は、こんなん「『スイカ』に見えへんわ」と言っておられた人も、すっかり自分がスイカに成ってしまっておられる。私としては一番嬉しい時だ)
5)「暑中見舞いなんて出したことないけど、出してみたい」「美味しそうなスイカや! 」とそれは賑やかだ。そしてモデルの(奮発して大きなスイカを持参して中身を観察してもらった)スイカをみんなで大口を開いて、食べて笑う。
(講師料はスイカ代金でふっとんだが、この笑い合う一瞬がお金では替えられない。私に活力と癒しを与えてくれる。ありがとう)

脳いきいきアート

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吉野山の楓と草紅葉。
脳いきいきアート <28>
     もみじ狩り 行こう カリキュラム紅葉屏風

 楽しい事は元気と力をくれる。楽しい事は誰かに伝えたくなる。笑顔が溢れると、私の元気が増してくる。
見上げれば朱色、真っ赤な珊瑚色、夕焼けの茜色、朝焼けの薄紅色。下をみれば草の葉が小豆色をしている。彩で赤に分類されるのは何色ぐらいあるのだろう。色見本帳は2〜3センチの厚味の頁を持ち、様々な赤を綴っている。韓紅(からくれない)、紅緋(べにひ)、黄丹(おうに)、弁柄色(べんがらいろ)、紅赤(べにあか)、鉛丹色(えんたんいろ)名前も優しく赤、赤の洪水だ。そこに緑が混じる。黄色が混じる。肉桂色(にっけいいろ) 黄檗色(きはだいろ) 鶸色(ひわいろ)、常磐色(ときわいろ)、日本の色が全部ある。黄葉を拾うと厚味のあるレザーのようなイチョウ葉。風に添う和紙のような楓の葉。歩くとカサコソ鳴るのは海松色(みるいろ)の海だ。足でかき集め手で掬い纏うと「命」の匂いがする。紅葉の世界が広がり五感が全開する。
この楽しさを伝えたい。おせっかいだが伝えたい。
 車窓を眺めて女子高校生が声をあげた。短いスカートに太い足を投げ出して……。
「あれはもみじやろか。赤色と違うなぁ。けどなんや知らんけど綺麗やなぁ〜」偶然、隣に腰掛けた私は嬉しくなる。流れていく車窓の一瞬の紅葉を目に留めてくれるのが嬉しい。嬉しさについ「あれは雑木林、きっと橡(クヌギ)類。ほらあれが紅葉」「うわぁ〜〜〜真赤や」そんな歓声に私は、ついついおせっかいがでる。「あれを山装おうて言うんや。春は山笑う。雪に覆われたら山眠る。あんたらと一緒やなぁ。日本語って素晴らしいやろ。」「へぇ〜。格好ええなぁ。それ試験に出えへんやろか。なぁなぁK男にも教えたろ」とその賑やかな事。私は少し鼻が高い。老いも若きも、共に感動出来るのだ。綺麗な物を綺麗と感動できる子供、それが嬉しい。
でも私って、ほんとうにおせっかい焼きだなぁ……。
おせっかい焼きの延長が「臨床美術、紅葉屏風」のカリキュラム実践になる。
「みんなに楽しんでもらいたい」「みんなに感動してもらいたい」それだけ。それがボランティアの原動力になる。

「さぁ〜今日はみんなで紅葉狩りに行きましょう」そんなノリで、「脳いきいき講座」を陽風荘(認知症対応型施設)で始める。
カリキュラム名は「紅葉屏風」。現実にとらわれないでイメージ、印象を喚起し右脳活性化する。施設からも紅葉狩に行かれたらしいが、それをもう忘れておられる方もいる。本物の赤葉、黄葉、草紅葉と、色づく景色の写真などを見せる。講座のやりかたにもいろいろあるだろう。カリキュラムとして体系は決められていても、講座の現場はまちまちだ。参加者と臨床美術士が同数の教室も有る。参加者も認知症の人も健常者ばかりのこともある。マニュアルはあってない物だと思う。それにはずれても問題が無いように「脳いきいきアート」と呼び変えて、臨床美術を開講している。しかし、本質からはずれてはいけない。私はそのために、同じ臨床美術士の知人を手伝いに参加してもらっている。彼女もボランティアだ。私と同じ様に「楽しんでもらうのが嬉しい、自分の力になる。」そういう思いで手伝ってくれている。
 施設の参加者は8人。施設の職員の方が決め細やかに補助をして下さる。しかし時間が限られている。身体的にハプニングが起こるときもある。前回の二回は、私にも余裕がなくただ伝えたいそれが先走った。時間内に安全に終りたい、そんなことに頭が走る。しかし、大分余裕が出てきた。
臨床美術では講座の始めに、皆で歌を歌ったり軽い体操をしたり、一つの話題の提起から始まる。参加者とスタッフの一体感が導入部分として組み込まれている。しかし、今までそれをやるゆとりも時間もなかった。
 今回は職員の方が「紅葉」の歌の歌詞を模造紙一杯に書いておいて下さった。たまたま私はオカリナを吹く、オカリナの伴奏で歌を歌ってもらった。歌はみなさん大好きである。一緒に歌う事で、これから始まることへのワクワク感も増していくようだ。「紅葉屏風」はタイトルのごとく屏風だ。しかし、材料費が高くつくのと場所をとるので、私はカリキュラムを参考にして制作し、額縁に入れることを試みた。ポストカードを試作してみた。
 吉野山で紅葉屏風を作成して来ている。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/49370111.htmlあの時の楽しかったこと。そんな体験が全て血肉となる。吉野山の紅葉を思い出しいろいろと試作してみた。
見ることは出来なかったが黄色一面に染まる林。そこは歴史の息吹きが流れる黄葉の世界だろう。連なる山並みの紅葉。臨床美術はイメージ喚起である。私は数々の楽しかった事を思い出し試作した。そして、それを額に入れるとなかなか良いのだ。
 皆さんの作品も額に入れることにした。作品の折り方で、額から出して屏風にもなるようにした。参加者の方の、それぞれの個室に飾れるように考えた。こうしてカリキュラムを生かしてその現場に合うように、かつあまり材料費や持ち出しが多くなり負担に思うようになるといけない。いろいろと試行錯誤、これらを考えるのがまた楽しい。施設長さんが「こんな素晴らしい高価な事をしていただいて」と心配する。「大丈夫! 百均で揃えてきたから」こんなことを言い合えるのも楽しい。若い施設長さんである。若い人が頑張っている。その頑張りにおせっかいかも知れないがお手伝いが出来れば嬉しいのだ。
 みなさん、大喜びで紅葉狩に行って下さった。私も行けた。これが嬉しい。
いつも思う。皆さんの作品が驚くほど生き生きとしている。縛られるものがなく、その個性的な作品に感動するばかり。これが嬉しい。
教えられることばかりだ。現場を体験させてもらえる有り難さだ。
同じカリキュラムであり、もしマニュアルというものがあったとしても、紅葉だって同じ種類の木でも、場所が違えば色付く時期も違う。気温や湿度の違いで異なる。別々の現象で異なる事も複数の現象が同時に進む事もあろう。そして、同じ葉が二枚としてないのだ。それと同じで、人もそれぞれ違うのだ。違っても紅葉という同じ輝きの中で光っている。
 漆紅葉・櫨(ハゼ)紅葉・桜紅葉・柿紅葉・草紅葉……どれも美しい一枚一枚である。どれも一枚だけがもつ美しさである。
そんなことを改めて教えられた「紅葉屏風」の現場だった。
さぁ〜次はなにをしようかな。私に楽しい挑戦?がまた始まる。

 それにしても今年は、こうして楽しい、嬉しい、紅葉狩に幾度となく行けた。
急に歩行困難になり杖でしか歩けなくなった知人を車に乗せ、落葉の並木散策に誘う。かさこそかさこそ音がする。足を引き摺り落葉を集める。二人で腕を組んで歩く。(男性だが支えないと歩けないのだ)ここでもおせっかいをしている。
おせっかいは自己満足かもしれない。でも嬉しそうに笑ってくれる笑顔がある。
女子高生の笑顔、施設の人の笑顔、知人の笑顔、どれも紅葉に負けない笑顔ではないだろうか。葉が落ちて山眠る、そしてまた山笑う。そんな繰り返しの中で私たちは「生きている」。

    
       錦紅葉目にも心にも広がりて 

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