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♪ "千の風" の 扇風機
吾亦紅(ワレモコウ)が揺れ出した。残暑が厳しく、吾亦紅の風と残暑が綱引きをしている。「曳かれては曳きもどし」こうして季節は、せめぎ会いながら変わって行く。
「旧型扇風機の出火原因で10人死亡!」この記事を見て驚いた。
私も昭和34年製の旧型扇風機を使っている。姉が初めてのボーナスで買ったものだ。
東芝のD―30AM型。姉はその後、わずか二三歳で亡くなった。
私と五才違いの姉は、家計を助けるために高校を卒業するとすぐに就職の道を取った。父は進学を薦めたが、そんな余裕のないことを、姉が一番よく知っていたのだろう。大阪のゴム会社に就職した。そして始めて手にする夏期ボーナスで、扇風機を買ったのだ。
我が家に来た電化製品の第一号である。スイッチを入れると見えるはずのない風がまわり出す。不思議だった。顔を近づけ、「あ〜〜〜」と口を寄せる。声が割れて震えた。花模様のハンカチを乗せると花びらが上下に踊りだす。私は手を広げ風をつかもうとして扇風機の前から動かなかった。
父は「そんな贅沢な物を」と咎めるように言うものの、外から帰ってくると扇風機にスイッチを入れていた。
父の夏は暑かった。氏子の家を一軒一軒まわって初麦を集める。それが小麦粉やハッタイコ(麦を炒って粉にしたもの)ソーメン等に引き換えられ、私たちの食卓に上る。宮司の賃金は現金ではなく、秋に集める”米”と”麦”が大きな給金だった。炎天下を氏子総代と一緒に歩いてきた父の背は、びっしょりと濡れていた。扇風機の風が、それを取っていった。
実家にあったその扇風機を、所帯道具の揃っていない私に、父が「もって帰れ」とくれた。父はそのあとすぐに、新式の扇風機を買ったので、同じ呉れるなら新品のほうが欲しいと私は思ったものだ。この扇風機は、四枚の深い水底の色をした羽根と、硬鉄の針金カバー、「停止」と「三つの切り替えスイッチ」だけのシンプルさで、その上とても重たい。その後余裕も出来、フショナブルな扇風機を買いもしたが、私は、この扇風機を両手で抱え、寝室に運んだり化粧台の傍へ持ってきて、私の専用にしていた。切り替えの表示は「微風」「涼風」「強風」の三つである。数字表示で、風という物理的なものを示しているのではなく、姉が「微しく」時には「強く」時には「涼やか」に、私を暑さから守ってくれ、私への応援歌のように感じていた。
扇風機の耐用年数は15年で劣化するという。私は旧型扇風機を半世紀近くも使っていたことになる。今まで発火事故のなかったのが不思議だ。姉が守っていてくれたのだろうか。
私は、あまり物には執着しない性格だ。「もったいない」と思いつつも大型ゴミにたくさんのものを出している。麻の蚊帳、火鉢、釘なしで作られた文机など、執着はしないものの今思うと、惜しい気もする。それらは日常生活の中で利便性がないと捨ててしまったものだ。扇風機は風を送り出すという実用性が残っていたので捨てずにあった。
しかし年数を経つほどに、扇風機から送り出される風は、姉が“千の風になって”吹き渡っているように思えた。
「あ〜〜〜」。
とっくに耐用年数が過ぎていたとは。
物に永遠のないことは理解できる。しかし、扇風機は壊れてはいない。“千の風”が吹いている。
「耐用年数って何?」メーカに問い合わせの電話をしてみようかとも思う。しかし、「引き取ります」と言われたらどうする。姉がさらわれる。夫は「コードを切りとり、アンテーク家具としてインテリアで飾っておけばええ」という。
「物言わない(風の起こらない)姉を飾ってもおもしろくないわい」と、私はふてくされている。
「あ〜〜〜」。
始めて扇風機と出会ったときの声は、こだまして響いていた。
「あ〜〜〜」。
なにも返らない。
私は悩んでいる。扇風機のスイッチをいれるべきかどうか・・・。
今年は残暑がことのほか厳しい。
足元まで「曳かれては曳きもどす」せめぎあいの季節は来ている。吾亦紅がゲンコツを振り上げている。
「あ〜〜〜」。
今年は暑い暑い残暑になってしまった。
♪ ”ほうい玉子を産んだ” 木村徳太郎 馬鈴薯の澱粉ノートより
ほうい___
玉子が二つ
朝陽(ひ)に光る。
ほうい___
牛乳みたいに
ほくほくしてる。
ほうい___
今日の配給は
おばさんとこだ。
ほうい___
鶏(とり)はレグホン
隣組の鶏。
ほうい___
登校する子が
わくわく見てた。
2007.08.29
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