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水墨画 水引草 花逕
児童文学の周囲
昭和三十三年十一月十日初版発行
木村徳太郎・著 ヨリ
「正しい情熱を持たない大人と子供の世界」
山村に近い町の服装店。
この町の学校の指定服店にもなっている。この店の主人は、この町では知識層の方であり、奥さんも婦人の会合にも、指導的役柄を務めるといった、社交婦人であるそうな。どちらも人柄は一見いやしくない。
さて、今年の夏、六年生の娘が、学校から伊勢の二見へ、一晩どまりで海水浴に行くので、妻のいない私は、こんな用事も果たさなければならないので、この洋品店に娘と二人で洋服を買いに出かけた。
店頭に色彩の華やかな既製服がぶらさがっている。勿論既製服を買うつもりなのだが、どうもけばけばしい色彩や、型や、柄が気に入らないので、親の私が買う気になれない。とまどっている私の気配から、服を買いに来たと察したのだろう。店内から出て来ると
「このお譲ちゃんの服でっか。それでしたら、これどうです」
列べられてある、既製服の一つを持ってすすめる。
「そんな派手なものでなく、学生らしい清純なものが、欲しいのですが」
私はさきほどから、とまどっていることの、自分の思いを述べてみたが、そんな言葉はてんでうけつけない。
「そんな阿呆な事言うたら笑われまっせ。きょう日、娘さんはパット派手に飾らなあきまへん」と、私の言葉を小馬鹿にして、今度は娘の方に向って、
「お嬢ちゃん、こんな服がよろしおまっしゃろ。お父さんの言わはるようなこと、気に入りまへんやろ。お嬢ちゃんやったら、おじさんの言うことわかりまっしゃろ」
娘の心をひきつけようとする。が、私も娘を信頼しているが、娘も親を信頼していてくれる。
服装店の主人の言葉に「くすっ」と笑ったまま、やはり私と同じように同意しない。
私にも娘にも、自分の言っている事を、相手にしてもらえないと分かると、一層自分の言っている事を強調したくなるのか、再び
「あんたはんの考えは、昔の考えだっせ。きょう日みてくれや。体裁よう飾っていかな、人が相手にしまへんがな。値段も手頃やおまへんか」
と言って、尚もその派手な既製品を売りつけようとする。それどころか、私があまり豊かでないとでも思ったのか、値段のことまで付け加えて言う。
「値段の事ではない。買うために来た以上、準備はして来ている。ただ、あまりけばけばしくないものが欲しいのだ。貴方の言われるように、表面だけ飾っても、なか(心)が充実していなければなにもならないし、中が汚くっっては駄目ではないか。私は表面よりもなかの充実した美しい娘になることを願っているのだ」
考えの違った主人の言葉に、同意の出来ぬ私はどうしてもそんな華美な服は買えないと、語調を少し強めて、ふんぎりをつけるように言った。
主人はあざ笑うように
「心って?心がどうして分かります。そんな見えんものを、とやかく言っている事は、昔のことですがな。時代おくれだす。心が悪かろうが、表だけパット飾っておいたらよろしい。きょう日、誰でもそうやから、すぐ目にとめて感心しょりまんねんやないか」
客の思惑なんて眼中になく、あくまでも私には華美と思えるものを売りたげである。
話はここで終るが、要は近頃太陽族や青少年の華美な服装がよく云々されているが、町の知識層に属する、この洋装店の主人の如く大人の側にもそれを助成しているような風潮の見える事が、今の有様ではないだろうか。私にはそのように思えてならないと同時に、大人が太陽族云々と攻撃する以前に先ず、それを助長しているとしか思えない大人の風潮を、反省させるべきではなかろうかと思った。個人の利害だけを考え、その事のみに頭をめぐらせている、このような悲しむべき事が、どうして解からないのだろうか。そのような風潮の今日を情けなく思う。
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初版発行が昭和三十三年で、これは私の小学六年生のときのことだからいまから五十一年も前のことだ。(五十一年前も現在も変わりはないのかもしれないと、ふと思う)
その華美な服がどんなものだったかは記憶に無いが、私は思い出せる。父は水色の地に五色の水玉が浮ぶ布を求め、あのときギャザースカートを誂えてくれたのだ。二つ折りにして上にゴムを入れただけの仕立てだったが、既製服を買うより高くついたと思う。
私はそのスカートがお気に入りで嬉しくてしかたがなかった。(それが子供の心だった)しかし、このときのやり取りはすぐ町中の噂になり、学校へ行くと「おまえも可愛そうやな。頑固な親父を持って」と言われた。
ふと思う。父は頑固だったのだろうか。
母親代わりをして一生懸命、私に似合うスカートに心を砕いてくれたのだ。姉からのお下がりが多かった中、私用に買ってくれたあれはピカイチのスカートだった。
頑固とは違う。「正しい大人の情熱を持っていた」のだと思う。
「 孫の日」が敬老の日から1ヵ月後の10月の第3日曜日に、日本百貨店協会が「孫とお爺さん、お婆さんがコミュニケーションを深める日」と提唱し1999年に正式な記念日として,日本記念日協会に登録された。
三年前、帰郷していた娘と男児の孫とで、十月の第三日曜日にデパートへ行ったことがある。その時、初めて「孫の日」というものを知った。店内は孫と祖父母をにこやかに描き出したポスターで溢れ華やかさを増していた。
娘は次子出産のため産休に入っており、給料は満額支給されていない。少しは助けになろうかと、私は冬を前にして孫にジャンバーを買おうした。
驚いた! ブランド物の高額商品しかない。そして「孫の日ですからお婆さん、心で買って上げて下さい」と。「お孫さんもこれが良いと言っておられますよ。よくお似合いです。目立ちますし自慢のできる品ですよ」と。(孫はバギーの中で自分に似合おうが、ブランド品であろうがそんなことにはお構いなしに、すやすやと寝ていた)その可愛い寝顔に、私は自分はブランド品など一枚も持たないのに、つい買ってしまったのだ。
負けだ。私の負け。
負けに追い討ちをかけ自分を蔑んでいる。
「デパートはよくもまあ、こう次から次へと売らんかなのイベントを打ち出してくるものだ。」それに乗るほうが馬鹿なのだ。
娘が次に生まれた女児にも、そのジャンパーを着せてくれているのがせめてもの救いである。
父はえらかった。
「正しい大人の情熱」を教えてくれていたのだ。あれが心である。デパートの言う「心で買ってあげて下さい」などは「心」ではないと思う。
「正しい大人の情熱」を持たねばとつくづく思う作今である。
孫の日 振り込め詐欺にも 似通いて
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