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荒陵山随想記
「四天王寺」昭和27年8月10日 木村徳太郎
お地蔵さまのお水
静かに満々と水を湛えて、湖を小さく手づくりしたような丸池(上の池)の西に、お釈迦様の足跡だと云う、大きな石がありました。
その南隣りに、年古びた樟の木の繁った葉つぱにかぶさつて、みどり色にそまつて、立つていらつしゃる六尺ばかりのお地蔵さま。
お地蔵さまには、誰が着けるのか目にしみるように、いつも真つ赤な新しいよだれ掛けが、可愛ゆく見えました。
夏の盛りのとんぼつりや、蝉とりにかけずり廻って、喉がかわくとよくこのお地蔵さまのところに行きました。
と、云うのは、お地蔵さまの前に澄んだ甘い水を、いつぱいに入れた瓶が、いつもお供えしてありました。
木のふたを開けて、竹の小さい柄杓で汲んで呑むお香水は、何にもまして美味しゆう御座いました。
呑み終わると仏足石の石壇の上に腰をおろして、捕まえて来たとんぼや蝉を数えて、刻を過ごしたものでした。
あれだけの広い境内。それなのに呑み水のあるところがあまりなかつただけに、子供たちは、お地蔵さまに手を合わせて、お詫びをしながら、お香水を呑水かわりにいただくのでありました。
いつも笑つていらつしゃるようなお地蔵さま。ほんとうに円満なお顔をしていらつしゃたお地蔵さま。
お地蔵さまのように、いつもにこにこと笑つて暮らしたいものと、子供心にも、ほのかにお慕いしておりました。
紙子堂の木槌
南門を入つて、西を見ると、朱塗の美しい紙子さん(万塔院)と云うお堂がありました。
紙子さんと云うのは、毎年おまつりしてある仏さまに、新しい紙の着物を着せかえる行事がありましたから、紙子堂と云つたのでしょう。
正面に、金塗りの観音さまがお祭りしてあつて、その他に、いろいろの仏さまが祭られてありました。
その仏さまのまえの漆喰に、直径一尺五寸位、高さ一尺位の木の台が数個おいてあり、その上に木槌が一個づつのせられてありました。体の悪いところを、この木槌で叩いて仏さまにお祈りをすると、病気がよくなると伝えられていました。
とん、とん、とん、と台の上を木槌で叩いて、その木槌で肩を叩いている人。また木槌で、腕や足をさすつている人。子供の私たちは、ほんとうになおるのかどうか、そんな事を考えるよりも、大人の人が、その木槌で叩いているのを見ているのがおもしろく、自分でも叩いてみたくなつて、
「仏さま。どうか頭をよくして下さい」と、心の中でお祈りをして、その木槌で、頭を軽く、こつこつと叩いたものでした。
悪戯者の子供は、太鼓を叩くように、木槌で木の台を叩くのが面白く、一人で二個も持つと、おどけて太鼓を叩くように、とんがととんと、と叩いたものです。
子供の、そんな悪戯を見ると、山羊のようなひげをはやした、細つそりと怖い顔をした番人のおじさんが、よく子供を叱りました。参詣人が来ると、私たちは、なんとなく後ろをつけて行つて、その人の真似をして、とん、とん、とん、と叩きました。そんな時、番人のおじさんは、参詣人の手前、叱ることも出来ず、いつそう怖い顔付きになって、私たちをぐつとにらみ、手でこつそりと「あつちへ行け」と合図をしたものでした。
合図をされると、やむなく私たちは、その場を去りましたが、一層からかつてやれと、おじさんの怖い目を盗んでは、よく邪魔をしに出かけました。
叱るおじさんに、意地を持って、とん、とんと叩く木槌の面白さ。
私たち子供でも、怖いばかりで、子供の心を知つてくれない大人の人には、なんとなく、反抗心を持つてこんな事ではいけないと思いつつも、いつそうさからおうとしました。
とん、とん、とん。木槌の音も、怖い山羊ひげのおじさんの、叱る声も、いまは遠く、大人になつた私の心には、もう聞こえそうにありません。
☆賢い人と愚かな人☆
愚かな人と賢い人にはそれぞれ三つの特色がある。
愚かな人の三つとは罪を罪と知らないこと、罪を罪と知つても改めないこと、他から罪を指し示されても、それを素直に受け入れないことである。
賢い人の三つとは罪を罪と知ること、罪と知つては改めること、他から罪と示されたことは感謝して受けいれることである。(新訳仏教聖典)
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