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日本のこころ

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梅(白い花吹雪)

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白梅 咲きて
  近年の暖冬は、二月中旬にもなると梅の花を散らしていた。今冬は暖冬予報を裏切り、雪と寒さが大きかった。
根雪の解けた彼岸(春分)の今に、梅は満開となり白い花吹雪を空に舞い揚げている。
 十二年前も同じように寒かった。彼岸に咲く梅だった。花びらかと思うような風花が、ときどき舞っていた。
 彼岸明けの、3月23日の午前7時に、父は此岸から彼岸へと旅立っていったのだ。
父の事を兄(あに)さんと呼ぶ中川光子小母さんが、病気見舞いに遠方からかけつけたときには、旅立った後だった。小母さんは「服を着替えて(喪服に)もう一度出直してくる」と、父の好物の羊羹を置いて帰っていった。
昼には電話が鳴った。次男からだった。「合格!」
第一志望大学に失敗した次男を、父は病の中でとても気使っていた。第二志望合格を聞くことなく旅立った。もう少し、もう少し、旅立ちを遅らせることが出来たならば・・・・・・。
私の頬を涙が伝っていく。その涙は、前日の私の嘘にもつながっていた。
 私は父に嘘をついた。父の意識は断片的になっていた。枕元に座った私に「藍子か?」と聞く。「はい。そうです。藍子です」と。(姉はいつも正しい言葉使いだった。私なら「うん。カーコや」というのだが)
「和子は、どこへいった?」
「お父さん、心配はいりません。和子のことなら、私が見守りますから」
私は姉になり会話をした。末期癌の痛みをこらえて父は頷き、破顔になった。安堵の笑みを浮かべていた。
父は姉に会いたかったのだ。ずうと、ずうと、会いたかったのだ。
  姉の藍子は、二三歳で亡くなっている。私はいつも姉の後ろを追い、守ってもらうばかりの妹だった。
父は、二つのことを口癖にしていた。
「死んだら藍子の骨を一緒に自分の墓に入れて欲しい」「葬儀は橿原神宮へ頼んで欲しい」と。
 父は姉の遺骨を納めることなく33年間、神棚に祭っていた。手元に置きいつも手を合わせていた。

 藍子五歳、私が8ヶ月のときに母はいなくなった。私は何も知らない。ただ、かぼそく泣き、かぼそく笑うだけの赤児だった。私の前をいつも毅然と歩いている姉だったが、寂しいという言葉を一度も聞いたことはない。寂しさは、物静かな笑(えみ)に深く沈められていたのだろう。

 姉が亡くなったとき、私は父を責めた。父の生き方が悪いから姉は死んだのだと・・・・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/7492221.html
 光子小母さんが「兄さんは、『あのとき迎えに行ったら良かったのに、行かんだのが悪かったんや。藍子や和子には辛い思いをさせてしもぅた』そう話していたよ」と、後に聞かせてくれた。
 母は幼児の姉と乳児の私をおいて、家を出たのだ。父が戦地から戻ったときには、古くからの商い家業も、四天王寺の古い屋敷も、三月十三日の大阪大空襲で「無」になっていた。迎えたのは祖母と、幼い私たち姉妹だけだった。それでもお互いの命があったのは、幸運な方だったのだろう。そんな時代だった。
 復員後、父は橿原神宮に奉職した。そして心の故郷が、橿原神宮となったのだろう。
苦労を重ね私たちを育て、そして昭和38年には、姉をあっけなく亡くしてしまったのだ。
 遺骨を手元に持っていたとして、誰がそれを責めることができよう。
探し求めた生母が私にいう。「藍子ちゃんの墓はどこにあるの」。
「神棚」と答える私に、「そんな浮かばれんようなことして」と非難した。
「あんたにそんなことをいう権利はない。育てることをしなかった貴方にいう権利はない」私は心の中で、トグロを巻き泣いていた。
 父と姉が一緒に墓に入ったとき、私は墓に生母を案内した。私のせめてもの親孝行だった。
 父のもう一つの口癖、「葬儀は橿原神宮の神官に来てもらって」
これを叶えてやることは出来なかった。「遠方で不可能だ」と、後添えが地元の神主にすぐさま手配をしてしまった。私の心にトグロが渦巻いた。トグロを巻いて私は泣いた。

彼岸に、梅の花が舞う。
「許してやれ。すべてを許せ、許せ、許せ」と、花びらは舞う。彼岸から此岸へ舞うのか、此岸から彼岸に舞い揚るのか。
 花吹雪が舞う。父と姉が舞う。
あのときのような、白い白い梅の花吹雪が青空へ舞っていた。
   
     梅咲きて主(あるじ)なき家錠をさし


http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/4095393.html


2008.03.22



                 風のみち         木村徳太郎       
 
             此處は四つ辻

             風のみち。


             光に焼けた かんかん帽子

             かんからかんと ころげます。


             おかしい おかしい

             みんなが見てた。


             風にかけあし かんかん帽子

             橋の上から ジャンプする。


             此處は四つ辻

             風のみち。
  

木村徳太郎の作品(童話、論評、随想)を別頁「木村徳太郎=現在『伝書バト物語』『児童文学者の目より見たる』」に掲載しています。ご愛読下さい。 
          

黴の餅

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美味しい記憶        黴の餅 
 
   子供時代に過ごした田舎の神社の大晦日は忙しい。門松を作り、取り水をしている竹の筧を取り替え、その残りが燃やされ、竹が大きく爆ぜ空高く燃え上がっていく。拝殿の煤払いも始まる。私は手伝っているのか邪魔をしているのか分からないが、宮司の父の後ろをついて回る。普段は訪れる人の少ない小さい神社だ。この日はあちこちに人が動き、私は嬉しいのだ。小雪がチラチラ舞ってくると、お正月の来る嬉しさが余計増していた。
 拝殿に鏡餅が並べられていく。下に敷くウラジロの葉は前日に父と山に入って採ってきてある。山は身を切るような冷たい風だった。時々それを切り裂くように鋭く鳥が鳴く。しみでる足元の山水が、早くも新年の光を映し木漏れ日に光っていた。ウラジロに混じって、ヤブコウジ、マンリョウの赤い実が根雪の中に温かい灯りのように点っていた。拝殿に長い新竹が何本も渡され、鏡餅を置く台が作られウラジロが敷かれていく。
  村の各家で搗かれた鏡餅がずらりと並べられ、大きな鏡餅から手の平に乗るような小さいものと色々だ。同級生が鏡餅を神社に届けに来ることもあった。私と同級生は恥ずかしそうに、それを受け渡しする。
村の人たちが神さまに供えた鏡餅は、正月が終ると、おさがりとして私たち家族の貴重な主食となる。正月の鏡餅、夏には麦、秋には米、季節毎の野菜、神様に供えられたお下がりが父の給金の一部だった。現金はほとんどなかった。
 拝殿から鏡餅を下げるころには、寒い風に吹きさらされ、餅にヒビが入り堅くなっていた。その硬い餅を小さく切っていく。一度には切れない。硬い餅を金槌で割ることもある。そのうち餅に黴が生え、割った餅の奥深くに紅色、青色、黄色の黴が染まっていた。フワフワとした綿毛のような黴もあった。私は、この黴の生えた餅が大嫌いだった。黴臭くて湿気ていて悲しい味がした。父が「ペニシリンは、黴から作るんや。毒と違う」と笑って、黙々と手を動かし、餅を小さく切っていく。私は悴んだ手で切られた餅を新聞紙に拡げていく。ときどき冷たい手を火鉢で温める。切るときに砕けてできた餅屑のような雪が、部屋の隙間から入って火鉢に融けていく。雪と父の顔を、私は黙って見くらべる。
 私には、その黴よりもっと厭なことがあったのだ。同級生が、「オマエの所は乞食みたいや。なんでもタダでもろうって」と言うのだった。「タダと違う。父ちやんが、神職として働いた給金の一部として、現物で支給されているだけや! 乞食と違う」私は心の中で、いつも言い返していた。投げられる言葉に私はどれだけ口惜しかったか。しかし、現金のない父が惨めにも見えた。父の横顔を白黴のような気持で私はみていた。
金槌で割られた、小さい石ころのような小さい餅は、火鉢にかけられた網の上で、気長に何度も裏表を返して焼く。急ぐと外側ばかりが炭のように焦げ、中まで柔らかくならない。じっくりと焼いてそれを醤油に浸す。ひび割れの間から醤油が沁み込む。また乗せる。醤油の焦げる匂いがあたりに広がる。醤油が「ジュー」と炭火に落ちて広がる香ばしい匂いは、黴の匂いを少しは消してしまい私を喜ばせた。しかし、毎日続く黴だらけの餅には、嫌気がしていた。搗きたての柔らかい餅を食べてみたかった。
「こんな黴だらけの餅は厭や」「乞食なんて言われるのは厭や」「余所者と苛められるのは厭や」「こんな所は厭や」と、吹き荒れる吹雪のように、私は胸のうちでいつも叫んでいた。
 父が神社を退職した。そして村を去った。私は振り返りたくもない村と思っていた。だのに、年月を経るとあの場所が私の原点であるように思えてくるのだ。
半世紀ぶりに同窓会に出席した。「木村さん(旧姓)のお父さんに食べさせて貰ろうたお餅、黴の味がしたけど涙が出るほど美味しかったわ」と、みなが口々に言う。
神社に遊びに来た同級生に、父は「ちよっと待っときや」と、あの堅い石ころのような餅を、何度も何度も醤油に漬けて焼き、みんなに出してくれていたのだ。あのころは、みんな貧しかった。きっと「神社には、沢山の珍しいものが集まってくる。それもただで・・・」と子供たちには羨ましく映っていたのだろう。そして、それを「乞食!」と揶揄していたのだろう。
 食物が豊富にあったわけではない。同級生たちは、あの餅が涙が出るほど美味しく嬉しかったと言う
私には好きになれなかった黴の餅だったが、あれは「最高の味」であり、「最高の父の味」だったのだと思う。醤油の香ばしい匂いと、黴の匂いが懐かしく記憶に蘇る。そして「お父ちゃんは最高のお給金をもらっていたのだ」と思った。
2008.01.18

木村徳太郎の作品(童話、論評、随想)を別頁「木村徳太郎=現在『伝書バト物語』」に掲載していきます。ご愛読下さい。 
            
           ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

          自然     木村徳太郎        夕暮れノートより 
       
             雪晴れて

             街は月光(ひかり)に燻ぶされる。


            ビルがならんで ここだけは

            月の光が うっすらで

            巨大(おおきな)氷河を 思はせる。


            ビルの堆石(モーレン) 亀裂割れ(ひびわれ)は

            月の光が うっすらで

            氷の條痕 思はせる。


            いまも生きてる ここだけは

            月の光が うっすらで

            太古の氷河を 思はせる。


            雪晴れて

            街は自然に つゝまれる。

青い実赤い実

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サネカズラ=美男蔓とジャノヒゲ=竜の玉

 青い実      赤い実  爺ちゃんと孫

  爺ちゃん(夫)と孫は仲よしだ。人見知りがひどく、爺ちゃんの顔を見ては天地がひっくりかえるほどに泣いていたのに、“手作り釣竿”を持って琵琶湖に出かけてから仲良しになった。細い竹に糸を括り付けただけの釣り竿だった。
婆ちゃん(私)の子供たちが使っていた釣り竿が何本かあったのだが、いつのまにか紛失してしまった。大型ゴミに出してしまったのかもしれない。何となく後ろめたい。それで何も言わなかったが、みすぼらしい釣り竿を持って出かける二人にちょっと恥かしかった。手作りの不細工な釣竿で、魚が釣れるものかと鼻で笑っていた。自転車に孫を乗せた爺ちゃんの光る頭と、孫の白い帽子が眩しく走って行った。
 ところが間抜けなブラックバスがいるものだ。なんと釣れたのだ。孫の喜びようは大変なもので、帰りの遅い二人を心配して迎えに行った私の車にも乗らず、「爺ちゃんと帰る」とバケツを大事に抱え動かない。普段は何処に行くにも車だ。歩くことをほとんどしないのではないだろうか。なのにバケツを離さず、歩いたり、自転車の後ろにしがみついて、夕焼けと共に帰って来た。
 正月に帰郷出来なかった娘達が、一月の五日にケーキを持って「婆ちゃん。お誕生日おめでとう」と訪ねて来た。孫は、私にケーキを渡すや、「爺ちゃんは?」と夫を探す。「オイオイ、婆ちゃんにお礼と祝いを言いにきたのではないのか」と私は不満だ。今春小学生になる孫に、ランドセルを届けている。ランドセルは、私たちが思っていたよりかなり高額だった。夫が「そんな高いものはいらん」「わしの時代は紙のランドセルだった」という。夫はかなりケチだ。娘の新居祝いにも「そんなようけすることはない」という。いつでもご時世(世間)の金額とズレがある。私は、いつ死ぬか分からない。出来るときに世間の相場通りにしたいと思う。
ランドセル売り場で夫とかなり揉めた。が、孫のお気に入りの高額品に決めた。そんなこともあり、孫が夫を探すのが怪訝だった。
 夫は、庭木の剪定時にY字型の枝を貯めている。「なにに使うの?」と聞く私に、「わしは金でない。出来ることでしかしてやれん」という。Y字型の枝はさて何に使うのか・・・・。
 庭から孫の明るい笑い声が聞こえてくる。車中が暖かかったとみえ薄着だ。その薄着のまま夫のところに駆けていき、それっきりもどってこない。
 Y字型の枝に、ゴムを渡したものを持って、部屋に上がってくると「婆ちゃんパチンコだよ」と得意顔に構える。そして、「婆ちゃんにも貸して上げる。人に向けて打っては駄目なんだよ」という。
 私は一気にタイムトンネルに入ってしまった。男児、女児たちが遊んでいる。「打つぞ〜」と男児が構える。構えても当った試しがない。枝木や細竹で作ったパチンコ、突き鉄砲だ。赤い実、青い実が弾になる。男児が女児に玉(弾)集めを命じる。弾に石ころはいれない。ナンテン、アオキ、オモトの赤い実は雪中に灯火のようにすぐに見つけられる。青い“竜の玉”は雪を掘り起こして見つける。冷たく悴んだ手の中に雪の雫をのせ、碧く碧くコバルト色に光っていた。その玉は当たりそこねるとコロコロと弾んでいく。良く弾む玉だった。私は男児に渡す前に何粒かを剥いでみる。透明の硬い本当に竜の目玉のようなものが出てくる。それはなんだか恐くもあった。男児が「早よ、渡さんかぃ」という。急いでそれを渡すと、「おまえはアホか。魚の目玉なんか渡して。雪に埋もれたら分からんようになるや」と投げ返してくる。赤い実や青い実は、雪上に落ちてもすぐ分かり、拾えばまた弾に使える。しかし剥いた透明の玉は分からなくなる。「アホヤ」とはやし立てる。私は、透明の玉を男児に投げつけた。まるで霰がこぼれていくようにバラバラと陽を受けて落ちて行った。
 現実に戻り“竜の玉”を捜すことにした。庭に出て、ジャノヒゲをかき分ける。ここ数年雪の少なかったこともあるが、“竜の玉”をすっかり忘れていた。雪の中から見つけ出す楽しみを忘れてしまっていた。
“竜の玉”はあった。それは、まるでケチな爺ちゃんからの誕生日プレゼントのように光っていた。
 孫たちが帰った後、「内緒話を聞いたか?」と夫が聞く。私は何も聞いていない。
「宝くじで一万円当ったけど内緒や」と孫が耳打ちをしてくれたという。「へえ〜それやったら、なにも帰路の高速代金を出してやらんでも良かったんや」と私はいう。本当は私の方がケチなのかもしれない。
 爺ちゃんはお金でかえられないものを、きっといっぱい孫にやっているのだと思った。


       少年の夢老年の夢竜の玉   澄雄

* 「竜の玉」は髭のような細かい多数の葉を持つ、ジャノヒゲ(蛇の髭・竜の髭)の種で、夏に淡紫色の小さい花をつけ、コバルト色の硬い実をつけ、その実(種)のことを言う。

 木村徳太郎の作品(童話、論評、随想)を別頁「木村徳太郎=現在『伝書バト物語』」に掲載していきます。ご愛読下さい。


              飛行場    木村徳太郎   

              胸が高鳴るのは
              プロペラの
              せいばかりでもない。

              僕の心にも
              プロペラが
              あるからなのだ。

              __北の果ての
                南の極の
                空へ 海へ
                太郎も行け 次郎も続けと
                幾十 幾百の
                プロペラが
                響くのである。

             雲が流れる
             飛行場の草に寝て
             僕の心は
             いま遠く
             南へ 南へと
             逸り立つ。

2008.01.11

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     峠三題
(1) 庭の宝物
 毎年、赤く透明に輝くフユイチゴの実に雪の染まるのを、私は楽しみに待つ。
7キロばかりの通学路は、中学三年生になると、同級生たちは時間を惜しむように、徒歩から自転車通学になる。私だけがいつまでも徒歩通学だった。そんな私をみて担任の先生が、「オマエは歩いて、風や道端の花と話しながら来たらええ」と、自転車の買ってもらえない私を慰めてくれた。
 みんなより1時間ばかり早く家を出る。ジュジャ峠で自転車のみんなが追いつき、自転車を押しながら私に話しかけてくる。しかし、下り坂になるや「お先に! 」と風のように軽やかに行ってしまう。銀輪の眩しさだけを残こして私はまた一人になる。峠の風が寂しく吹いていた。どんより曇った冬空に吐きかける溜息が白く渦巻いていた。
 大雪の日、峠が通れなくなった。私は峠と平行して、木々に覆われている林道を見つけていた。一人ぽっちの歩き、そんな私がときには惨めになり、峠で話し掛けられるのが厭で見つけてあった林道だ。重なる木々が傘になり、雪も少なく歩くことが出来た。私はみんなを林道に案内して学校へ行った。途中、小さな兎の足跡や鳥の足跡があった。そして目にも鮮やかな透明の赤い実が、白い世界に光っていたのだ。「ザザザー」と木々が雪を落す。赤い実は揺れはしても埋もらなかった。それがフユイチゴだと知ったのは随分後だ。
同窓会に行くと「あのときのフユイチゴ綺麗やったね。あの時は、有難う」とみんなが私にいってくれる。
 あの「時」とあの「白い峠」は、私を強くした。そんなことをいつも覚えていたいから私は一株のフユイチゴを庭に植えた。
 雪虫が飛ぶ。明日あたり赤と白のダイモンドが私の心に灯るだろう。

NHK短文コンクール54「峠」入選作

(2)タクシーのおじさん
  「下校時の児童を送るタクシー」の新聞記事をみた。子供たちが、理不尽な被害を蒙る物騒な世の中だ。契約しておくと、下校の子供を自宅までタクシーで送り届けてくれるサービスをタクシー会社が始めたらしい。
  私の脳裏に「あの時」が浮かび上がった。
町から20キロばかり離れた寒村だった。中学校は自宅から7キロほど離れていた。
 通学路に、ジュジャ峠がある。山を切り開いた峠だろうか、片側は一段高く雑木林が続き、もう一方は杉木立ちが並び、木々の隙間から渓流がチラチラ光っていた。昼でも薄暗く、渓流が岩に打ち砕く音が泣いているように、峠の上まで響いていた。そこをタクシーが時々通る。路線バスもあったが、通るのは日に二本ほどだ。村に来る人は、駅を降りるとタクシーに乗る。自家用車も珍しい時代だった。
 お客を乗せて村に入ったタクシーは、帰りは空である。私たちはそれに目をつけたのだ。
セラー服姿の黄色い声で、五、六人が鞄をもつ手を上げて「乗せて〜」と空タクシーを追いかける。必ず止まってくれた。私たちは嬉々として乗り込む。峠からあと4キロほどの帰り道は、お抱え運転手で通学するお姫様気分でお喋りに花を咲かす。それが常習化されていた。
「今日はタクシー通らへんな」そんな時は、渓流の音だけが囁き、私たちのお喋りを消していた。
 三年生になると一人二人と自転車通学になる。私一人だけ徒歩通学だった。
峠でタクシーに出会う。一人なので躊躇する。しかし、冬休み前の日暮れは早い。私は手を上げタクシを止めていた。
「乗せて〜」「一人だけか?」「うん。みんな自転車やねん」
運転手さんは、黙って車を発進させた。そして言ったのである
「このまま、どこかへ連れていこか?」
私の体は凍りついた。
「横着してタクシーに乗ってはいけなかった」「降ろして。降ろして」
声にはならなかった。ただ恐かった。空気もみんな凍てていた。
「アハハ。嘘や嘘や」運転者さんがミラー越しに、後ろで震えている私を見て大笑いする。
「会社の事務所で、ジュジャ峠で中学生が乗り込んでくるって有名やで」「先生は注意しゃらへんのか」「地元のタクシーだけが通るとはかぎらへんし、やめとき」
私はその後、中古の自転車を買ってもらい必死で乗る練習をした。「高校に合格するから買って」と先に合格祝いをもらったようなものである。なんども擦り傷を作りながら練習した。自転車ごと杉木立ちの谷へ転がり落ちたこともある。運良く同級生と、お兄さんが通りかかって引き上げてくれた。
あのとき、上手に練習が出来ていなかったのだろうか。私の自転車の乗り方は少し変だ。片足でバランスがとれない。でも格好が悪いだけで支障があるわけでもない。
 格好の悪い私だか、いろんな人のお蔭でいま生存しているのだと思う。

(3)峠のお地蔵さま
  遠くに琵琶湖が見える。ヨットも浮かぶ。手前に田んぼと集落が広がっている。あっ!公園が見える。神社も見える。その隣に見えるのは、美千代さんの家だ。峠から見下ろすパノラマに、だいたいあれは誰の家か分かる。知っている家をみつけると、「いま、何をしてるのかな?」と、峠道に並んでおられる、お地蔵さまに話し掛ける。
 比叡山の山裾にある仰木地区の棚田は、山の上まで、水を運びあげるのが大変だった。小さい田には機械も入らない。村は高齢者が多くなる。そんなこんなで田んぼは区画整理をされ、幾何学模様を描く棚田になったのだ。その小さな田んぼの畦道には、たくさんのお地蔵さまがおられた。大きな石に涎かけを結んだだけのもの。目を細めたかわいいお顔をなさっているもの、分別臭いお顔の方と、いろいろだった。それが田んぼの整備どきに放り出され、一カ所に石の山のように集められ泣いておられた。村の年寄りたちが、思いついてこのお地蔵さんを峠の両脇に並べた。私もそれを手伝った。お地蔵さまを抱えて歩くなんて大変だったが、こうして並んでおられると、大昔からの親しい友達のように思え寂しくっても嬉しくっても、私は会い来るようになった。
 何の変哲もない、知らない峠だったが、いまお地蔵さまに内緒話をしに来る。人の悪口を言いに来る。道で摘んできた花をあげる。お地蔵さまは「ありがとう」とも言わないし、悪口も黙って聞いているだけ。笑わせようと、懸命に考えたギャグを言っても笑わない。ただ黙っているだけ。(当たり前、石の地蔵さんだもの)でも私はしゃべりに来る。そして、悲しくって来たのに、嬉しくなって帰るのだ。
 お地蔵さまは、峠を通る人や、話しかけてくる私たちを守って下さっている。私は今日も、一日の報告をしに行ってきた。何を報告したかはお地蔵さましか知らない。
(随筆きょうと)
峠を越え、峠に見守られ、私は生きている。

2007.12.23
 木村徳太郎の未発表の詩は別枠木村徳太郎(現在『伝書バト物語掲載』)に移動しました。ご愛読下さい。

ヤマノイモ

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(1)山芋を臨床美術の量感画で描きました。
(2)冬空に山芋の種が揺れています

  いろいろ
  黄葉、紅葉に吹き押され、雑踏から一筋だけはずれた横丁に入ると、驚くほどの静寂で町屋が並んでいた。
山芋がその一軒の表口に、二、三個無造作に置かれている。そして、「お好み焼き」の写真が、背丈の半分ほどもあるパネルで立て掛けられていた。知人とその前を行き過ぎる。
「!!!」。
二人して顔を見合わせた。あうんの呼吸である。同時に声が出る。
「美味しそうなお好み焼きやね。食べよか」急いで引き返す。
薄暗い町屋の奥からお好み焼きの匂いが漂ってくるようだった。
「お好み焼きを・・・」と、声をかける。
「うちは山芋を売ってますんや」「お好み焼きは、山芋で、こんなに美味しいお好み焼きが作れるという見本写真だすがな」と笑われた。
「なあ〜んだ」。そうと分かるとよけいにお腹が鳴ってくる。どうしても山芋を買って「お好み焼き」を作りたくなってくる。山芋に興味は無かったのに、数個大小の山芋を買ってしまった。「商売がお上手ですね」と、店番の人と笑い転げてしまった。
 頭上に、小さい「丹波特産 山の芋」の看板が揺れていた。
偽装表示ではない。ちゃんと看板に「山芋」と書かれている。食いしん坊の私たちは、大通りの紅葉のように赤くなってしまった。
 その山芋で「お好み焼きパーテイをしょう」と知人を誘った。台所に差し込む小春の日差しが暖かい。
「昔はこんなに暖かくなかったね」と、お好み焼きを裏返す。美味しそうな匂いが鼻をぬけていく。鼻がこそばゆい。あの寒い日の山芋事件?を思い出した。
今年は、「霜降」「立冬」「小雪」「大雪」とやり過ごしての初霜日だったが、以前は10月末(霜降)には霜の朝を迎えた。
 愛犬との散歩コースに、モミジバスズカケの街路樹が赤々と続いていた。真赤な落葉が、霜をつけ粉砂糖をまぶしたように光っていた。霜の結晶が葉の上に躍っていた。街路樹に平行して小山がある。斜面は葛の葉で覆われ、不意に吹く寒風に葉が裏返る。白く裏返る葛の葉とモミジバスズカケの赤い葉は「寂」と「照」を映した。
歩道は落葉で埋っている。私は、わざと「がさごそ」と音を立てて歩く。愛犬も同じように音をたてる。私の大きい「ガサゴソ」愛犬の小さい「カサコソ」音が重なって秋のシンフォニーを奏でていた。
どこからか、それに加わるように「ガサガサガサ」と別の音が聞こえてくる。
「オマエか?」と私は愛犬に聞く。愛犬が「イイヤ」と首を振る。(そんなわけなかろうが)
音は山の斜面奥から聞こえてくる。恐る恐る音に近づいていった。所々に穴ぼこがあり足を取られそうになる。山芋を掘った後の穴だ。「猪はもっと礼儀正しい堀り方をする。作法のない人間の掘り方だ」と思った。
掘り起こすだけ掘り起こしそのままにしているのだ。私の夫は、破竹筍を掘った穴も埋める。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/6748498.html
そんな影響もあってか、無作法な人を許せない。
「ガサガサガサ」音をたて、長い棒のようなもので山芋を掘っているジャンパー姿の男が見えた。
私は思わず「穴を埋めてください!」と大きく叫んだ。
「なんやて」と男が振り向くや、棒を振りかざしながら斜面を滑り降りてくる。
驚いた。逃げるしかない。愛犬は少しでも走る機会を見つけたら、全速力で走る癖がある。私が走ろうとするのを察知してか、ロープを目一杯に張り走り始めた。私はそれに引き摺られるよう走る。穴も紅い葉もあったものではない。蹴散らして走る。鈍足で、走ることが苦手だったが走った走った。(愛犬に引き摺られて走った)
街路樹が遠くになった。まだ走ろうとする愛犬のロープをたぐり寄せ、肩で息をつく。愛犬と私の息は、白く激しく波のように吐き出された。鼻がつんつんして痛かった。
「お好み焼き」の匂いが鼻腔をくすぐる。あの時の鼻の痛さがよみがえった。

この話を聞くや知人は、返しヘラでお好み焼きを連打して、「それは穴違いや。穴を埋めてなんて言うから追いかけてきたんや」と笑い転げる。「掘った後は丁寧に、穴をもどすのが当たり前やないの」と、私はむきになる。
知人はますます笑い転げる
しばらくして、知人の笑い転げる意味が分かった。私は紅葉のように赤くなっていた。お好み焼きがすっかり熱く焦げていた。

どうも、最近の世の中は勘違いが多すぎる。倫理観、金銭感覚、政治・・・・。
困ったものだ。
勘違いはなぜ起こるのか。それは未熟が、原因かもしれない。


 芋のかたちから、長形のものを長芋、平たいものを銀杏芋、塊になったものをつくね芋という。私がお好み焼き屋?から買って来たのはつくね芋?
子供のころ褐色になった山芋の種を「天狗の鼻」と唾液で自分の鼻先に付け遊んだものだ。葉は黄金色に輝き、房状の山芋の種を光らせていた。花は白く小さい。雄花は天を見上げ、雌花は垂れて咲く。種以外にも山芋と同じ味のするムカゴが出来る。なかなか奥深い野菜?である。
「ヤマノイモとナガイモを混同して販売しているものを見掛けるが、ナガイモはヤマノイモと異なり日本原産の野菜ではなく、また山野に野生化することも無い。ヤマノイモとナガイモとでは染色体の数も異なる」の記述を見かけた。
「あ〜〜。ややこしい」。

勘違いをしないように・・・・・。
2007.12.11
 
木村徳太郎の未発表の詩は別枠木村徳太郎(現在『伝書バト物語掲載』)に移動しました。ご愛読下さい。

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