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マコモ(タケ)・ヒモ(干し)ズイキ・ギンナン・ムカゴ
♪ 山の幸 湖(うみ)の幸心の幸
『故郷』の「兎追いしかの山」は、「兎美味しかの山」で、『荒城の月』の「巡る盃」は「眠る盃」だった。随分大人になるまでそう歌っていた。そしてまた、高齢になって「兎追いしかの川」「小鮒釣りしかの山」などと歌って、失笑を買ったりもしている。思い違いに冷汗をかくことが多い。
そして、私はまたも大きな大きな勘違いをしていた。静かな流れの水面に、何かの拍子に魚が飛び跳ね、光の雫を落としていくことがある。そのように突然、私に記憶が飛び跳ねた。
知人からマコモ(タケ)をいただいた。初めて見るものである。
「ねぇ〜マコモって知ってる」少しだけ、植物に詳しい夫に聞いてみた。「マコモって『船頭小唄』に、出てくるあれか」。「おれは河原の 枯れすすき 同じお前も かれすすき・・・」
夫が、音程を狂わせ歌いだす。
私「それは『昭和枯れススキ』ていう歌やないの。ボケたらあかんで」
私は“小唄”とつくものは、もっと艶かしい歌であると思っているので、この暗い感じの楽曲が『船頭小唄』とは思えずに反論をした。
ところが、
『船頭小唄』 野口雨情作詞・中山晋平作曲
おれは河原の 枯れすすき
同じお前も かれすすき
どうせ二人は この世では
花の咲かない 枯れすすき
死ぬも生きるも ねえお前
水の流れに 何かわろ
おれもお前も 利根川の
船の船頭で 暮らそうよ
枯れた真菰(まこも)に 照らしてる
潮来出島 お月さん
わたしゃこれから 利根川の
船の船頭で 暮らすのよ
なぜに冷たい 吹く風が
枯れたすすきの 二人ゆえ
熱い涙の 出た時は
汲んでお呉れよ お月さん
私は飛び上がった。魚が跳ねた。
昭和40年初め、父娘二人の侘しい暮しだった。破れもしない張替える必要もない、ただ黄ばんでいくだけのビニール紙の障子が、みすぼらしい裸電球に鈍く映しだされる部屋で、杯を酌み交わす。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/32866139.html
父は「泣いたら燕が笑うだろう〜」と、『サンドイッチマンの歌』が十八番。私は藤圭子の『夢は夜ひらく』を口づさむ。そして最後に、必ず二人で
おれは河原の 枯れすすき
同じお前も かれすすき
どうせ二人は この世では
花の咲かない 枯れすすき
と歌うのだった。
そんなあるとき父が言った。
「オマエ、そんな暗い歌ばかり歌ってたらアカン。明日からは枯れススキの歌を歌うのを止めよ」と・・・。
それ以後私はこの歌を歌ってはいない。「泣いたら燕が笑うだろ」と、父は頑張っていたが・・・。
この歌を、私は『昭和枯れススキ』だとばかり思っていた。しかし、あのとき歌っていたのは『船頭小唄』であり、歌詞にマコモも出てくる。夫が正しかったのだ。
父は、私の嫁いだ後、寂しさを紛らわすためにと尺八を嗜んでいた。そして再婚もした。
「いつか虚無僧姿で尺八行脚をしたいんや。虚無僧衣裳を揃えた。これは本物のマコモで編んだ、天蓋(深編笠・コモカブリ・薦被)やで」と嬉しそうに見せてくれた。
そのごろ、私はオカリナとケーナーを友にしていた。そこで、尺八にも興味を持ち「私も吹いてみようかな」と、冗談で言うと、「これで練習したらエエ。わしが一番大事にしてる尺八やけど、貸してやる」と数本ある尺八の中から一本を私に手渡した。
私はそれを大事に胸に抱え帰りかける。その後ろを、「アンタ、その尺八いくらするか知ってるの。百万円はするのんやで。練習するんやったら、自分で練習用の安価な物を買ってしたらええやないの」と女の声が追いかけた。私は驚いた。そして揉めることは厭なので尺八を返した。
それ以後尺八も、あの「天蓋」もどうなったかはしらない。
(万葉集)
真薦(まこも)苅る 大野川原の 水隠(みごも)りに 恋ひ来(こ)し妹が 紐解く吾は(11/2703,読人知らず)
苅薦(かりこも)の 一重を敷きて さぬ(寝)れども君としぬ(寝)れば さむ(寒)けくもなし (11/2520,読人知らず)
薦枕(こもまくら) 相まきし児も 在らばこそ 夜の深(ふ)くらくも 吾が惜しみせめ(7/1414,読人知らず)
独り寝と 茭朽ちめやも 綾席(あやむしろ) 緒に成るまでに 君をし待たむ (11/2538,読人知らず)
畳薦(たたみこも) 隔て編む数 通はさば 道の柴草 生ひざらましを (11/2777,読人知らず)
(古今集)
まこもかる よどのさは水 雨ふれば つねよりことに まさる我恋 紀貫之
(山家集)
みづ(水)たゝふ いわ間のまこも かりかねて むなで(空手)にすぐる さみだれのころ
みなそこに しかれにけりな さみだれて みつ(御津)のまこも かりにきたれば
さみだれの をや(小止)む はれまの なからめや
みづのかさ(嵩)ほせ まこもかるふね(舟) 五月雨の はれぬ日かずの
ふ(経)るまゝに ぬまのまこもは みがく(水隱)れにけり かりのこす 水のまこもに
かく(隠)ろえて かげもちがほに なくかはづ(蛙)哉 かつみふく 熊野まうでの とまりをば
こもくろめとや いふべかるらむ
(新古今集)
みしまえの 入江のまこも 雨ふれば いとどしをれて かる人もなし (源経信)
まこもかる よどの沢水 ふかけれど そこまで月の 影はすみけり (大江匡房)
マコモは、稲の伝来する前から縄や敷物に使われており、縄文文化の特徴の縄模様もマコモである。マコモの意味は、コモカブリ(薦被)の材料としても知られ、コモを作る真の植物という意味で「虚無」とも書き、薦僧(こもそう)薦被(こもかぶり)の略である。大型の多年草で、沼沢に大群落をなして自生する。秋、茎頂に穂を出し、上部に雌花下部に雄花をつける。果実と若芽は食用になる
父はあの天蓋を私に見せたとき、それが「枯れた真菰(まこも)に 照らしてる」と歌ったことのある、あのマコモだと知っていたのだろうか。あの歌は、忘れていても万葉集や古今集をいつも手元に置く父であった。あのときの笑みは、マコモのことを充分すぎるほど知っていた笑みであったのだろう。
いただいたマコモの乳白色の茎は、柔らかく淡白な味でとてもおいしかった。むいた皮を風呂に浮かべてみた。マコモは、湯垢や体から出る老廃物を分解し体内を浄化するという。
私は湯に浸かりながら、「船頭小唄」を何十年ぶりかで歌った。一筋二筋涙が頬を伝っていく。急いで、マコモの湯を手のひらにすくい顔にかけた。湯は遠い昭和の匂いがした。父の匂いがした。そして「喜」「怒」「哀」「楽」は浄化され、「心の宝物」に変心していくような気がした。マコモは私に思い出と浄化(心)の幸を呉れたのだ。
今年は、芋ガラである里芋の茎を二抱えも頂き、干しズイキもつくった。上手く乾いた。ムカゴ採りも出来た。干し柿も作った。ギンナンも拾った。そして、マコモを食べた。いっぱい幸せ(山、湖、畑、そして心の幸)をいただいた。ありがとう!
2007.11.04
木村徳太郎の未発表の詩は別枠木村徳太郎(現在『伝書バト物語掲載』)に移動しました。ご愛読下さい。
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