|
☆ 卵かけご飯 ☆
「卵かけご飯にするか」と、次男が冷蔵庫から卵をとりだした。独身で、普段は外食をしているが、料理をすることが好きだ。帰省時には、食材を取り揃えておけば自分で調理をする。年に一、二度あるかないかの帰省である。本来なら私の手料理を食べさせるところだが、息子の息抜きだと、私は自分のズボラを正当化している。
しかし、その「卵かけご飯」という言葉には、私の手抜きを指摘されたようにも思えた。が、さらに続く彼の言葉に驚かされた。
「知らんの?世間では卵かけご飯は究極の食べ物で、専用の卵かけ醤油もあるで」と・・・。そして、「最近は卵を送って来(こ)うへんの?」とも付け加えた。
我が家には、10年ほど前までは、年末になると、毎年卵が200個送られてきた。近所へお裾分けをしても、毎日ケーキを焼いても、卵料理に腕を振るってもまだ余る。とても使いきれない数の卵であった。途中で割れるのか、箱が濡れていることもある。宅配業者にクレームをいっても、「割れ物ですから」だけで済まされる。割れてドロドロと流れる卵を処理するのは大変だった。
なぜ、送ってくるのが卵なのか、私には不可解であり迷惑にも感じていた。
子供たちが巣立ち、同居人が減ったこともあり、私は意を決し、「卵は送らないで下さい」と送り主に断言した。せいせいしたという気持であった。
それからは、卵は送られてこなくなり、コーヒや洗剤とありきたりのものに代わった。そして送られてくる品物の礼を、電話で簡単に伝えるだけの時が流れていった。
最近になって、家の近くに『卵かけ専用醤油と新鮮卵セット』が売られているのを見つけた。私は興味本位で買ってみた。
「ふん!卵かけご飯なんて、究極の手抜きやないの」と思いながら・・・。
茶碗に熱々のご飯。そのご飯の山に窪みを作る。そこへ溶いた玉子を流す。その上に飯粒をかぶせいっきにかき混ぜる。透明だった白身が熱で白濁する。
懐かしい匂いがたちのぼった!私の忘れていたものが、湯気のむこうに映っていた。
あのときも、この白身が曲者だった。祖母が一個の玉子を丼のふちに当てて割る。一,二滴醤油を垂らし手早くかき混ぜる。姉と私は、盛られたご飯の山に小さい窪みを作り、今か今かと祖母の手元を食い入るように見つめて待つ。それは緊張の瞬間でもあった。箸で玉子のたれるのをおさえ、ご飯の窪みに溶いた玉子をゆっくりと祖母が入れていく。平等に流すのだが、どうかすると白身だけが大きく流れ、白身につられて黄身も流れ落ちてしまう。私は自分のほうが少ないと感じるや、金魚のように赤くなって泣き出した。
そんなとき、姉はいつも自分の茶碗と交換をしてくれるのだった。それを当たり前のように受け取り、たちのぼる卵の匂いと、黄金色に輝くご飯をかきこんで私は大満足だった。毎日玉子かけご飯を食べられたわけではない。豆腐のつぶしたものをご飯にかけ、「卵ごはん。卵ごはん」と、はしゃいで食べることもあった。また、醤油だけを垂らすときもあった。醤油の味と匂いがご馳走だった。そこへ卵が加わると、最高に贅沢なご馳走になった。
結婚をし、子を持ったとき、私の子育て方針は手作り一辺倒だった。食事は勿論、お八つも衣類も手作りだった。それは、母の味をしらない私の我が子への愛情の自負であり、自己満足でもあった。卵かけご飯なんて、手作りに入らない手抜きの最たるものだと、私は思っていた。
しかし、いま私は椅子にゆったりと腰掛け、卵かけご飯をかきこむ。そしてたちのぼる甘い匂いに胸をなでおろしているのだ。
あのとき、200個もの卵は手料理だけでは使いきれず、使い切れない卵は、ご飯に黄色の花を咲かせていた。
あの卵が、子供たちに卵かけご飯をも体験させ、偏っていたかもしれない私から、感性偏ることのない子供たちに育っていってくれたのかもしれない。
次男はあのときの200個の卵を覚えていたのだ。
『卵かけ専用醤油と新鮮卵セット』を、私は最近、誰彼となくにプレゼントをしている。貰った人は迷惑かもしれないと思いつつ・・・。
そうして、私はいまある人に是が非にも、このセットを送りたい衝動に駆られている。
「どうして200個の卵を送ってきたのか」。そんなことを聞く必要はない。
ただ「ありがとう」と、二人で『卵かけご飯』を食べてみたい。
ある人とは、幼い私と姉を置いて出ていった母であり、200個の卵の送り主である。
木村徳太郎の未発表の詩は別枠木村徳太郎(現在『伝書バト物語掲載』)に移動しました。ご愛読下さい。
2007.12.04
|