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オカリナを吹こう

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オカリナを吹こう

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デイサービス「おしどり」でお誕生日会をしていただきました。手作りのカードは大切にします。
 
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歌詞集を20部つくりました。好きな冬(1月)の歌を集めました。
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いままで訪問した施設の皆さんからリクエストを集め、人気のあるものから歌詞集をつくりました。
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手作りのカードを頂き嬉れしかったので、私も手作りで誕生日カードを作りました。(「みんなで見守っているよ」と人の和を連ねました)。オカリナでハピーバースデイ・ツユーとジブリミュージック(ゲド戦記、天空の城ラピュタ)を吹いて録音したものと、そろそろ「バアチャンが話しておきたいこと」を手紙にし、プレゼントと一緒に送りました。
 
オカリナを吹こう (8)
 
一月のオカリナ訪問ボランティアは一人だった。ユニット「赤とんぼ」で三人で訪問することが多いが、一人は正月明けから三月までマレーシァに行く。生活費は日本の三分の一で済むと言うことでアパートを借り、日本でのしがらみにとらわれず、のびのびと過ごすらしい。ご主人のゴルフ代も随分安いらしい。私たち夫婦も誘われたがその気はない。しがらみがないと言うことに「退屈しない?」と聞くと、いろんな文化・スポーツのサークルが充実しており、日本人同士で集まってお料理、パンつくり、コーラス、絵画・ジム・・・・と退屈などしないらしい。
彼女はいつもお土産を沢山持って帰国する。「紅茶、コヒー、蜂蜜、貝柱エキスの調味料、クッキー、・・・」それは山のように沢山だ。しかし私の偏見だろうが、商品に書いてある説明文が読めないこともあり、また味覚が違うので申し訳ないと思うものの、どれも使わずに溜まる一方だ。和食系の私には匂いがきつくまた味もきついと感じるのだ。彼女は一旦、三月ごろ帰国して、暑さを逃れてまた七月ごろにマレーシヤに行く。優雅だと思うし、日本にいるより生活費が安くつくと言われても、私に真似をする勇気はない。留守期間中オカリナの練習に穴が開く。練習の楽しみが減ることのほうが気にかかるが、彼女はギターも出来るし、彼女の帰国を待っていて下さる人も多い。彼女の暑い異国の土産話を楽しみにしている人も多い。
そんな彼女も、向こうでは日本の唱歌、童謡を楽しむことが多い。どの国の人にも日本の唱歌・童謡は人気があるらしい。
今年はもう一人も抜けてしまった。ご主人が脳梗塞で正月に倒れられたのだ。今までも義母さんの介護を抱えながら、オカリナが息き抜きになると楽しんでいてくれたが、そうも行かなくなった。他所事とばかり思っていた「年金で海外暮らし」とか「家族の介護」が、私にも身近に感じられる時流を感じる。
 
一人で頑張って待っているからね、「オカリナをいつまでも続けてね」と思う。続けることの楽しみを大事にして欲しいと思う。
 
施設訪問を一人でやれるように、歌詞カードで重点的にやることにした。
月々に歌を選んで歌詞カードを作った。今までの訪問でどの施設でも人気のあった歌の歌詞カードも作る。施設によっては歌詞がボードに書かれたり、歌集が作られたりしているが、ボードの字が見え難くかったり、歌集を上手く捲り、歌うページを探せない人もいる。そんなことを考え字も大きくし、捲りやすいた歌集を作った。オカリナ伴奏で歌ってもらう歌だけを集め、一人一人に手渡せるようにした。リクエスト曲もどんどん増やして歌集を作ろうと思う。
 
一月は私の誕生日で、オカリナ演奏の合間にお誕生日会もして下さった。
「ハピーバースデイ」を歌い、手作りのバースデイカードと花束を下さった。やはり祝って貰うことは嬉しい。「年齢を誕生日ごとに減らして、若く元気でいて下さい」と言ってくれる。「それは、、、みんな一緒に、ね」と答える。
 
 
(一月の歌)
一月一日:明治期から戦前にかけて唄われた小学唱歌。作詞の千家尊福は出雲大社の80祭祀継承者であり、出雲大社神楽殿の東側には「一月一日」の歌碑が建っている。(平成7年にはシングソングライター森高千里が「ジンジンジングルベル」のカップリングでこの曲をカヴァーしている。私は森高千里の大ファンだ。
小学校の時、一月一日は全校登校日で紅白の饅頭を頂いて帰った。家々に並ぶ国旗も清清しかった。澄みきった青空に羽根突きの羽をクルクル打ち上げたり、凧あげをしたのが懐かしい。
お江戸日本橋:この歌はいつどこで習ったのか、ちゃんと歌える。手まり歌とし遊び歌でもあった。上り唄と下り唄があり「お江戸日本橋を七つ立ち」し、草津まで行き姥ヶ餅を食べ(上り十八)大津から下り富士の裾野の吉原へ。そして箱根を越えて「酔いも鮫洲に品川の、女郎衆に、心引かれて旅の人、こちや憂を忘れてお江戸入り。(十八)」となる。
富士の山:文部省唱歌、作詞は巌谷小波、作曲は不詳。日本が世界に誇る霊峰 富士。葛飾北斎の浮世絵『富嶽三十六景』に「赤富士」として描かれ、『万葉集』や『古今和歌集』では歌枕(うたまくら)として数々の歌に詠み込まれ、文化・芸術の世界でも古くから親しまれている。
スキー:スピード感のあるスキーの醍醐味を感じさせる曲。作詞は北海道生まれの詩人時雨音羽。別に作詞:林柳波、作曲:橋本国彦で、昭和7年『新訂小学唱歌』に発表されたものもある。文語調ながら分りやすい歌詞なので、時雨音羽作詞の「スキー」と並んでどちらも現在でも歌われている。
トロイカ:トロイカとは、ロシア語で数字の3。三つ一組のもの、転じて三頭立
ての馬車、またはソリのことで、これをモチーフとしたロシア民謡。三頭立て
のことを政界でも「トロイカ」とよばれたりしましたね。
銀色の道:この楽曲は、二グループの歌手(ダークダックス、ザ・ピーナッツ)の競作となった作詞宮川茂が幼少を過ごしたオホーツクの紋別がこの曲の楽想のルーツだと言われている。銀色の道とは広野を走る鉄道のことで、 銀色の道誕生の地ということで「銀色の道」鴻紋軌道記念碑が紋別市旧JR紋別駅跡地「氷紋の駅」にある。
 
(懐かしの歌)
水戸黄門:テレビドラマ水戸黄門の主題歌で「あゝ人生に涙あり」。(山上路夫作詞・木下忠司作曲)
私の長女は幼稚園のころからこの歌が好きで、「人生楽ありゃ苦もあるさ 〜〜」と歌いだすと、私は襟を正したものです。
星影のワルツ:この歌はあまり好きではないのですが、どこの施設でも高齢者の方の好きな歌、№1です。どうしてでしょう。昔を思い出されるのでしょうか。思い出は大事にして欲しいとリクエストに入れることにしました。
ここに幸あり:昭和31年に発表。富田常雄の恋愛小説『ここに幸あり』が松竹で映画化されることになりその主題歌として企画されたもので、大津良子の歌声が人気になりました。昭和33年大津美子が三橋三智也とともにハワイ公演したときもこの歌が大好評で、公演後楽譜を求めるファンが楽屋に殺到し、そのため、彼女は観光にも出かけず、300部あまりの楽譜を手書きし続けたそうです。 
高原列車はいく:作詞:丘灯至夫、作曲:古関裕而、唄:岡本敦郎。福島県の裏磐梯あたりを歌ったものと言われる。小さな列車が磐梯の美しい自然の中を走る光景を思い浮かべる日本人の原風景がちりばめられており、旅行の楽しさが溢れるようだ。
ハワイ航路:歌唱:岡晴夫 作詞:石本美由紀。石本自身は、作詞当時までハワイ航路(横浜〜ホノルル〜サンフランシスコ)には乗船の機会が無く、作詞のイメージは、瀬戸内海を航行する別府航路と、伊豆七島航路をイメージして作詞したと言われている。岡の没後は坂上次郎が歌い継ぎ、近年では氷川きよしもカバーをしている。当時、この曲がきっかけでハワイブームが起き、歌った岡晴夫のアロハシャツ、リーゼントも大流行した明るく軽快なメロディーは敗戦を引きずりながらも希望を求めていた人々に口ずさまれ、大ヒットとなり戦後歌謡の代表作となった。
蘇州夜曲:西条八十作詞、服部良一作曲。李香蘭(山口淑子)の歌唱を前提に作られ、李香蘭主演の映画「支 那 の 夜」(昭和15年)の劇中歌として発表された。
母さんの歌:作詞・作曲窪田聡。進学校に進んだが頽廃的な生き方に憧れ、授業をさぼって映画・たばこ・酒に耽溺する日々を送っていた。同級生たちのほとんどが有名大学をめざすなか、文学で生きていく決意を固め親が準備してくれていた入学金・授業料をもって家出をし、そのころ、共産党系の人たちが中心になって進めていた「歌声運動」に惹きつけら文学を捨て共産党に入党する。母親から小包が届き始めたのはそのころのこと。次兄が、彼の下宿を探し当てたのです。母親からの小包には、彼の好きな食べ物や手編みのセーター、ビタミン剤などが、そして「体をこわさないように」と言う母親の手紙がいつも入っていた。歌詞は母の手紙の文面の一部だ。この歌は母親への思いと疎開時代に見た田舎の光景とが重なって生まれた歌だろう。「母さんの歌」だが、2番の「お父うは土間で藁うち仕事」の部分に、自分の勝手な生き方を黙認してくれた父親への感謝の気持ちも込められている。 
幸せなら手をたたこう:坂本九が歌ってヒットした。童謡としても親しまれている。65回選抜高等学校野球大会にも使われた。「手、足、肩、頬、ウインク、指・・・」といろいろ入れて態度で示す。リハビリにもなる歌である。 
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久しぶりに墨絵で野菊を描きました。菊は豪華絢爛のもの、ワビサビのもの、そして野菊のように静かに優しさを与えるものといろいろ。周りに野菊のような方たちがたくさんいらっしゃたことに最近気が付きました。
 
 
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会場での演奏の成功、否は選曲にもかかるところが大きいと思います。聴いてくださる方々の顔を思い浮かべて選曲しました。
 
 
オカリナを吹こう (27)
 11月はあっという間に過ぎてしまいます。いつも定期的にボランティアでオカリナ演奏に寄せていただいている施設が有料でコンサートをされます。
オカリナ演奏で思うのです。それぞれの歌の解釈、背負ってきた環境などで、出てくる音は違うと思います。楽器にもよるでしょうが、ただ吹けて、綺麗な音色を追求するだけのオカリナではないはず。そんなこともあり、今回はオカリナ二部合奏「赤とんぼ」でなく私の独奏にさせてもらいました。
いい加減な演奏は出来ません。
多々の雑用で過ごしていましたが練習に取り組みました。まずプログラム作成(どんな曲を演奏したか、その曲の心を感じるためにも、プログラムを作成し記録として残すことにしています)です。
いつも寄せていただく時、音楽に造詣深いSさんにいろいろ注意されたり励まされたりして私は育ったような気がします。「あんた、だいぶ上手になったなぁ〜」あの励ましがなければ私はオカリナ演奏をやめていたかもしれません。そのSさんが亡くなられたのです(97歳)いつもどの演奏会にも一番前で身を乗り出したり、つまらなさそうに、でも
懸命に聞いておられたSさんがおられなくなり、始めての演奏会が私の出番と重なったのです。演奏依頼は4ヶ月も前に言われおり、「オカリナ演奏を言われているのだけれど何がいい?」などとお聞きしたのを覚えています。
「千の風にのって」を吹こうかと思いましたが、Sさんを慕っておられた方は多い。涙は止めたい、私自身も吹いていて泣くのは駄目と思います。それでSさんの好きな「ソルベーグの歌」を入れました。彼女は生涯独身でキャリァウーマンでした。どうして「ソルベーグの歌」が好きだったのだろう。今頃になってそんなことが気になりました。
「岸壁の母」はお歌の上手なNさんに歌ってもらい、台詞も入れることにしてオカリナ伴奏をいれ、演奏会に花を添えてもらおうと思いました。
「みかんの花咲く丘」は、Kさんに吹きたいです。Kさんは始めて会ったとき、おしゃれで登山や旅行が大好きな素敵な方でした。スタイルもよくモデルさんのようでした。
その方が「みかんの花咲く丘」がとてもお好きで、これを定期的に行くボランティアでいつもリクエストをしてくださるのでしたが、施設はいろんな方の集まり、「あの人の好みばかり吹いて」とか、クレームが出ることもあり最近吹いていませんでした。でも、あんなに綺麗で聡明だったKさんに若年性アルツハイマー症が三年前から出始めました。
脳内の神経細胞がどんどん壊れ、脳が次第に萎縮していき、知能、身体全体の機能も衰えていきます。会うたびに進行されていますがデイサービス施設の職員さんたちの篤い接し方で日常生活を自宅で送っておられます。この職員さんたちの仕事振りにはいつも感心します。(私も同じ職業、この、人を大事にする行動を学んでいます)そんなこともあり、久しぶりに「みかんの花咲く丘」も入れました。Kさんが思い出してくれたらいいなぁ〜。
 
コンドルは飛んでいく
の代表的な曲。 米国の歌手コンビ、サイモン&ガーファンクルによってカバーされ日本やその他の国々に広く知られるようになる。曲は3部構成となっており1部がヤラビと呼ばれるアンデスの寒く乾いた山を連想させるもの悲しい旋律、2部がフォックス・インカイコまたはパサカージェと呼ばれる行進曲調のリズム、3部がワイノと呼ばれる華やかな舞曲となっている。サイモン&ガーファンクルがカバーしたのは、第1部の部分だけでオペレッタの序曲として発表された。序曲であったため原曲には歌詞はなく美しいメロディを持った序曲だけが民族音楽化して残った。(その後いろんな歌詞がつけられるようになった)私はいつも1部と3部を演奏している。*コンドルは南米の最大の飛鳥で、その優雅に舞う姿はアンデスの雄大な自然と共に神話などにも重要な役割を果たしている。
ソルベーグの歌
ノルウェーを代表する作曲家グリークの組曲『ペール・ギュント』のうちの1曲。
物語は身勝手でほら吹きの放蕩児ペール・ギュントが、世界を放浪したはて、老いさらばえ無一文になって帰郷。盲目になりながらも春が来て夏が来て秋が来て冬が来てを繰り返し彼の帰郷をひたすら待ち続けていた若き日の恋人ソルヴェイグは彼を許して迎え入れ、彼は安らかな永遠の眠りについたという物語です。ペール・ギュントの帰りを待ちわびるソルヴェイグが独唱する「ああ……」の旋律は、オカリナで吹いていても身を裂かれるような思いです。
 
童神
童神は沖縄の民謡ヤマトグチで〜天の子守唄〜 です。
「イラヨー」は沖縄民謡で使われるはやし言葉、「思産子」は「私が産んだ子」の意味、「ゆーいりよーや」は「芯のあるよい人」の意味で、ゆったりとした伸びやかな曲は温かい親の情が、 ほのぼのと伝わってきます。吹いていても体が揺れてきて心地よいです。
君にのせて
スタジオジブリ製作のアニメ映画「天空の城ラピュタ」のエンディングテーマとして作曲久石譲、作詞宮崎駿作られた。、学校の音楽の教科書にも載っている歌でいろんな歌手にも歌われています。
北の国から
北海道・富良野を舞台に、黒板家をめぐる親子愛や登場人物の成長、大自然の中での生活を叙情豊かに描かれたテレビドラマでしたね。大作映画並みの時間と予算をかけて制作され名作として人々の心に残っています。さだまさしさんの主題歌の作曲・スキャットもドラマになくてはならないものだったと思います。あの「あ〜〜あ。あああああ〜〜〜」を吹くとき北海道の雄大な景色とキタキツネや登場人物が瞼に映ります。
四季の歌
作詞作曲は荒木とよひさが手がけた楽曲で、詞は四季それぞれを自然現象などで比喩し、人の性格や身近な人を表現した内容の曲ですね。
春夏は楽曲どおり、秋は一高低音を加え、木の葉が舞う姿に、そして冬はゆっくり力強く吹いています。
家路
ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の編曲作品です。作詞は野上彰。
*家路とは
わが家へ帰る道。「日暮れて家路を急ぐ」
その家の方へ行く道。「「天の川打ち橋渡せ妹が家路止まず通はむ時待たずとも」万葉集。私はこの歌は「遠き山に日は落ちて」のタイトルでキャンプファイヤなどでよく歌いました。
若き蒙古
素朴な土笛に初めて西洋音階を導入し、イリア語で「カチョウの子ども」の意で呼ば
楽器オカリナを考案したのはイタリア人です。日本におけるこの楽器は彫刻家
であり音楽研究家であった明田川孝氏さんがスタートさせ、オカリーナを「音の出
る玩具」から「美しい音質と正確なピッチを持つ楽器」として育て上げました。
(オカリナ老舗メーカー「アケタオカリーナ」)
その時から数えて、今年は82年になり、昨昨年は孝氏の生誕100周年に当たりま
した。アケタオカリーナを誰よりも近くで長きに渡って支えておられた妻のカズ夫人
私は憧れました。食べる物もなく生きることに必死だった時代、オカリーナと言う楽器
がほとんど知られておらず周囲から怪しげに見られた時代でした。ズ夫人は手
広げすぎると逃げてしまいそうなその温もりを決して絶やさないように、オカリーナ
作りを続けておられます。そのお二人の意志を受け継ぎオカリーナに力を注がれ
のが息子さんの明田川荘之さんです。
「若き蒙古」はチベット民謡で荘之さんが編曲されたものです。この曲を吹くと、私は元気が出てくるのです
岸壁の母
引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親のおなじみの歌です。この歌が大好きな、施設に通われるSさんに歌ってもらい、台詞は職員のMさんが、オカリナを私でやってみることに。X JAPAN エックスジャパン)の TOSHIさんもこの歌っておられました。彼はこの歌を「なんとなくビートルズを歌ってるっていう雰囲気だけどね。岸壁の母とはね。」なんておっしゃっていました。面白いですね。こんなところから私もロックに興味も持ちました。
みかんの花さく丘
この歌は静岡がモデルなのですが、私は瀬戸内海のみかん畑を思い出します。初恋の人が瀬戸内海の人でした。みかん畑が広がりお船が通る瀬戸内海の情景を浮かべて吹いています。Kさんもきっと思い出が何かあるのでしょうね。オカリナは吹くだけのものでない。歌も歌うだけのものでない。そんなことを思うようになりました。
 
 
 

オカリナを吹こう

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色紙をいただきました。
 
オカリナを吹こう (25)
  ユニット“赤とんぼ”
今月も感動をいただきました
オカリナ演奏を、定例ボランティアで毎月二つの施設へ訪問させていただいている。
一カ所は、毎週木曜日にオカリナだけでなく、ピアノ、歌唱、ギター、バイオリン、ダンス、フルートなどのコンサートが催され、プロの音楽プロデュサーが入って出演を組んでいる。オカリナで加わらせていただき7年近くになろうか。昨年からはオカリナユニット「赤とんぼ」としてオカリナ2重奏で出させていただいている。聴きにこられる方は、このコンサートを実施していデイサービス施設の利用者、併設しているケァハウスの住人、同じグループプ経営の養護施設の方、そして近隣の方々だ。
 私がオカリナを始めたのは子供の友達のお母さんのHさんがピアノをやっておられ、私が「オカリナをやってみたい」と話し、この音楽プロデューサのEさんを紹介され、そこからフオルクロレーを専門にケーナ、チャランゴ、などを教えている人がオカリナもやるというのでレッスンに通い始めた。良く聞かれる。「どうして他の楽器と違い、オカリナを始めたの?」
 夫はギターやフルートやオカリナをたしなんでいた。私は音楽音痴で譜も読めなかった。そんなこともあり楽器には興味がない。ハイハイしている幼児がギターの上に乗り、弦を切ろうが、フルートを太鼓の撥がわりにしてへっこまそうが気にとめなかった。先き回って壊れることを教えたり、取り上げることをするより我が身をもって知ることを優先する、かなり危険な教育法だった。夫は壊れた楽器を悲しみはしたが怒りはしなかった。しかしオカリナが壊れたとき「苦労してお金をやりくりしてやっと買ったものだ。これと同じものはもう手に入らないだろう」と私の無教養さを嘆いた。私はやっと自分の行動が、いかにも自然体で子供をのびのびと育てているように見えるが、そこには思いやりもその裏で嘆かせる心があることに気が付いた。二十代の新米母であり妻であった。
そして「ゴメン!いつか私がオカリナを買い求めて吹いてみたい」と思うようなった。
長男の誕生日プレゼントに夫がオカリナを買ってきた。そしてHさんと知り合い、オカリナ
と接することが始まったのだ。
音楽事務所のEさんに「一度コンサーに出してあげる」と言われ、Hさんのピアノ伴奏で「オカリナの丘(保富康午作詞・いずみたく作曲)」を吹いた。琵琶湖ホールである。すっかりあがっていた私は舞台の真ん中に来るなり吹き始め、Hさんは椅子に腰掛けたばかりだった。「あなたとはもう一緒にやらない」とカンカンに怒らせてしまった。それ以前から音楽知識のない私には愛想を尽かしていた。
しかし、不思議なものでHさんとは今でも付き合いがあり、今は事業を初めピアノから遠ざ
かっておられるが、娘さんが音大を出て活躍されいろいろと教えていただいている。
 音楽事務所のEさんに「なにかアンタには捨てがたいものがある」「一生懸命オカリナをやる姿が下手やけどエエ。あんたならやれるやろ」と、オカリナ教室の講師に推薦してくれ
た。オカリナがいまほどブームになっておらず、フルートやリコーダの先生が掛け持ちで
やっていることが多く、オカリナとして独立してはいなかったからのようだ。
 夫は私が練習しだすと「他の部屋でやってくれ」と聞くに堪えないと追い出し、そしていく
ら教えても理解できない私に、音楽理論を図に書いて教えてくれた。そのうち父が尺八の師範をとり尺八教室を始めた。神官をしているとき、雅楽をやりたかったそうだ。大正生まれの父は私と違いピアノも弾いていた。尺八にかわり、オカリナで父とコラボできるように
なりたいと思ったが、父は亡くなり、私の腕は間に合わなかった。
みんなに「下手だ、下手だ」と言われる。自分でもあまりの下手さに「もうオカリナを吹くのは止めて鑑賞に回ろう」と何度も思った、落ち込みもあった。しかし若いとき上司が「プロというのは続けている人のことを言う」と言っていた。その上司とはいまでも親交があり、それが時々話題になる。音楽事務所のEさんが声をかけてくれる。「続けているのがエエ」と。
 いまもって下手だ。でもいろんな人のお陰で高齢になった今、楽しみとしてオカリナが残る。感謝して声をかけていただくと、どこへでも出かけていく。ボランテイァだ。吹かしていただくことが私の楽しみとなった。たまにはボランティアでなく謝礼を頂くこともある。それはそれで何かの形で返却したいと思う。喜んでもらえそれに私も元気になる。こんな素敵なことが続けられたことに、行き逢った人たちに感謝したい。
 もう1箇所の定期で行く施設はグループホームだ。介護保険が導入されたとき、民間の施設の責任者に引き抜かれていった人が多かった。いま、その施設に招かれてオカリナ吹奏に出かけている。職場と異なる場面をみることも勉強になる。人のつながりが有難いと思う。周りの人に助けられ応援され救われている。高齢になり恩返しに回りたいと思う。
最近は訪問するときにはプログラムと歌詞をプリントしていく。 施設の方は歌うことが大好きだ。オカリナを伴奏にして大きな声で歌ってくださる。ライブ形式でいつも演奏曲の説明も入れる。それもまた喜んでくださる。
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サリーガーデン・埴生の宿・アニーローリー
オカリナコンサート吹き始めの定番になってきた。
幸せなら手をたたこう
1964年に坂本九が歌ってヒットした。童謡としても親しまれ肩をたたいたり足を鳴らし手をたたき、体を動かすリハビリにもなる。
365歩のマーチ
1968
に発売された水前寺清子のシングル版。歌詞にも登場する「ワン・ツー・
パンチ」というサブタイトルが付けられてもいる。
四季の歌
四季それぞれを、自然現象などで比喩し、人の性格や身近な人を表現した曲である。作詞作曲の荒木とよひさが骨折し入院しとき、退院時に看護士にお礼で作成した曲が口コミで広まったと言われている。
 5番の歌詞が存在するが、ラララで表現されることが多く、5番も歌われそうな雰囲気のときは(ドドシララドシシソミ・・・のところを1音づつ足してドレドシラソラドシドシソミミと吹いている)。
カガシ
案山子は、明治44年『尋常小学唱歌 第二学年用』に掲載され 田んぼや畑でカラスなどの害獣を追い払うための人形が曲のテーマとなっている。カガシの語源は獣肉を焼き焦がして串に通し、地に立て匂いを嗅がせて害獣を遠ざける「嗅がし(カガシ)」に由来するとも言われる。
村祭り
明治45年に作ら祭という日本の文化をみごとに表している。戦時中に一度「 村は総出の…」のところが「♪めぐみたたえる」に修正され、戦後には「♪治まる御代に」という歌詞が「みのりの秋に」に修正されるなど、時代に翻弄された歌でが日本人の心を打つ詩とメロディーは無くなることなく受け継がれている。
どんぐりころころ
昭和22年に小学校用音楽教科書で使用され広く歌われるようになり、その普及ぶりに金田一春彦に「日本の三大童謡の一つ」と評されている。最近は「ドジョウ首相」で替え歌が出回っていますね。

秋には月が良く似合いますね。今年は晴天が続き、十五夜、十六夜、立待月、居待月、臥待月
綺麗なお月様が沢山見ることが出来ました。
少年時代
井上陽水作詞作曲のこの歌が大好きです。たまらなく好きなのです。オカリナで吹けることが嬉しい。
ケド戦記
ジブリ映画です。宮崎駿ファンで低音オカリナの15Cを吹きこなすMさんの独奏です。
岸壁の母
終戦間もない昭和21年に復員した兵士が舞鶴港へ引き上げてきた。毎日のよう港に足を運び、ひたすら帰ってくる息子を待ち望んんだ母がいた。このエピソードを基に「岸壁の母」として発売しヒットした。
これは施設利用者さんからのリクエストでオカリナ伴奏で歌われ、この歌の好きな方がセリフを言って下さる。 
 今回訪問した施設利用者さんから素敵な色紙を頂きました。思いもしなかったので感激しました。オカリナを続けて吹けることが嬉しいのに「有難う」と言って下さりお礼まで頂くとは・・・・(高齢者の方は俳句や短歌をたしなまれ、書もお上手、絵もお上手の方が多く、感心し、尊敬します。つたない演奏のオカリナ吹奏ですが、こうして逆にいつも感動と元気を頂いている。有難いことです。
 

オカリナを吹こう

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楽譜入れをつくりました。
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前回プログラムを喜んでいただいたので、今回も作りました。勤めている施設で本番どおりに予行演習を兼ねてコンサートをさせてもらうことにし、二箇所で使えるように日付け・場所は入れませんでした。「導入」「楽しい歌」「童謡」「夏の歌」「みんなで歌ってもらう」で、選曲してみました。「みんなで歌おう」は歌詞カードを20部作りました。
(こうしてプログラムが増えていくのも楽しいです)
 
 
オカリナを吹こう (24)
  ユニット赤とんぼ
少しだけ羽ばたいています
 前回のオカリナを吹こう(23)でコンサートをやらせていただいたとき、別の施設の方が来ておられ「うちへも来てくれないか」と声を掛け下さいました。
高齢施設は法人かNPOが多い中、株式会社でいろんなことをやっておられるようです。有料の老人ホームから、介護施設から、老人専用マンション、デイーサービス、ショートサービス、居宅事業、訪問医療、一般の人と共有して住居する貸家もあるそうです。
いままでボランテイアで行かせて頂いている所は、それまでになんらかの接点があり訪問しているところばかりです。今回どのような人たちが聴いてくださるのか心配もありますが、前回のプログラムを少し変更して訪問することにしました。
最近、声を掛け下さる方が増えてきました。下手でも一生懸命やり、聴いて下さる方と楽しい一時を過ごせたらどんなに嬉しいかと思います。オカリナ二重奏「赤とんぼ」もだんだん形が出来てきたようです。本当はユニホームなどを作ればいいのでしょうが、あまりそういうことはしたくありません。(派手なことは嫌いなのです)そこで、せめて楽譜入れだけでも揃えようと思い作りました。
前回、歌の説明を入れライブ形式でやったのが良かったようなので、演曲を変えた分の説明を足しました。調べているととても面白くなります。その歌のことを知って吹くと、余計楽しみが増えるような気がします。
サリーガーデンアイルランドに伝わる伝統的民謡です。タイトルのサリーとは柳の木のことで昔のアイルランドの村では柳で杖を作ったり、屋根の材料としてどこの家にも植えられていたそうです。
埴生の宿日本で親しまれているイングランド民謡。2006年(平成18年)には日本の歌百選の一つに選ばれています。この歌は映画・ドラマなどでも度々使われており、「ビルマの竪琴」「火垂るの墓」「純情きらり」等が広く知られ、また、特撮ドラマ「仮面ライダーV3」で主人公のお気に入りの曲でもあるらしいです。最近では昨年の朝ドラ、NHKの連続TV小説「ゲゲゲの女房」の中で、ヒロインが時々歌うシーンがありましたね。
アニーローリー スコットランド民謡で永遠の愛を一遍の詩に託されています。 アニーローリー17世紀のスコットランドに実在した女性で、( マクスウェルトン卿のサー・ロバート・ローリーの末娘アニーらしいです)
 
ふるさと文部省唱歌の一つ。大正3年の尋常小学校唱歌の第六学年用で発表されたもので、子供の頃の野山の風景を遠い地から懐かしむという内容で、生まれ故郷から離れて学問や勤労に励む人の心情を歌っています。当該歌詞にある「かの山」は作詞者の高野の生家のあった長野県の大持山、「かの川」は斑川であるとする説が一般的ですが、歌の中には場所や人を特定する歌詞が出てくることはなく、この歌を通じて多くの日本人が、それぞれの故郷の光景や家族に思いをめぐらせ、歌の持つ情感に共感できることが、場所と時代を超えて歌われ続けられ、名曲とする由縁だと思います。
新世界交響曲第9 (ドヴォルザーク)作曲のなかの『新世界より』です。宿泊研修やキャンプファイヤーを囲んでよく歌われます。夕方の家路に帰る道中で­見た夕日、その日の生業を無事終えた充実感の感じられる曲で親しまれています。(日本では堀内敬三による「遠き山に日は落ちて」のタイトルの日本語詞が親しまれ、また野上彰の「家路」のタイトルの日本語詞もあります。2004年には本田美奈子が自作の日本語詞で歌ったものや、2009年には平原綾香が第2楽章をモチーフに自作の詩をつけて「新世界」として発表もされました。
 世界的に有名な映画監督である黒澤明は、「七人の侍」の映画を製作する時、家の中でこの曲をレコードがすり切れるまで聴き、この曲の構成を意識して映画を製作したそうです)
さとうきび畑第二次世界大戦末期の沖縄戦で戦死した人々が眠る、夏のさとうきび畑に流れる風の音が繰り返される曲で、全部で11連からなり通して歌うと11分近くを要します。大抵は要所要所をカットして歌われます。2001年には森山良子が「特別完全盤」として11連全ての詞を歌ってシングル発売しており、収録時間は1019秒だそうです。歌の主人公は一人の少女で、少女は沖縄での戦闘で死んだ父親の顔を知らない。大きくなると、一人で父親を探しにさとうきび畑に行く。父はなぜ殺しあったのか、なぜ殺されたのか、なにを恐れ自決したのか。通り抜ける風の音を聞きながら静かに考え悲しみを訴えます。この曲の代表的な歌手は森山良子と見なされていますが、森山の他にも、クラシック系の岡村喬生新垣勉鮫島有美子錦織健、などに、ポピュラー系では(上条恒彦堀江美都子宮沢和史松浦亜弥夏川りみなど)の多くの歌手が歌い継いでいます。またこの曲は、学校音楽教育の教材としても、様々な形で(反戦運動などとして)取り上げられています。各連に「ざわわざわわ ざわわ」という行が2行づつあり、11連で「ざわわ」が66回繰り返され、さとうきび畑を通りぬけていく風の音が流れます。私たちのオカリナ2重奏では、この「ざわわ」を交代で吹いて、吹き手の息遣いを楽しむことにしています。
見上げてごらん夜の星をこれは1960にミュージカルとして公演され、劇中主題歌として作られたもの。1963年坂本九がレコーディングし、リリースされました。同年夏には、坂本九の主演でミュージカルもリメイクされ、坂本九主演の同名映画も公開され坂本九の代表歌になりました。
琵琶湖就航の歌琵琶湖を中心とした滋賀県の風景が歌われています。元は三高の寮歌、学生歌として広まっていたものを、加藤登紀子がカバーし、ポプュラー音楽として知られるようになりました。琵琶湖に掛かる琵琶湖大橋では走行車が通ると、この歌が流れるようになっていて、滋賀県人の愛唱歌になっています。
琵琶湖哀歌「琵琶湖就航の歌」とよく混同されますが、琵琶湖でボート練習中に突風のため転覆し、水死した(現・金沢大学)漕艇部の部員11人を悼んで作られた歌ですが、歌詞には遭難事故には全く関係のない琵琶湖八景が詠み込まれており、またメロディの半分ほどは、琵琶湖就航の歌の借用です。東海林太郎と小笠原美都子のデュエットで即席で歌われレコードが発売されたのは、まだ遭難者の捜索が続いていた最中であったそうです。昭和16年テイチクレコードから発売され流行歌となりました。
青い山脈石坂洋二郎の小説「青い山脈」が映画化され、それの主題曲です。作品中、ラブレターの文に「戀しい戀しい」(恋しい恋しい)と書かれるべきものが、「變しい變しい」(変しい変しい)となっているエピソードが名高いですね。
少し調べてみました。
1945年版 監督:今井正 脚本:今井正、井手俊郎 音楽:服部良一
キャスト 寺沢新子:杉葉子 島崎雪子:原節子
1957年版監督:松林宗恵 脚本:井手俊郎 音楽:服部良一
キャスト 寺沢新子:雪村いづみ 島崎雪子:司葉子
1963年版]日活製作で、時代に合わせて設定を旧制高等女学校を新制女子高等学校に、旧制高校生を大学生に変更し、ロケーションは滋賀県彦根で行われたそうです。カラオケの画面に現れる映像はこの作品だそうです。
監督:西河克己 脚本:井手俊郎、西河克己 音楽:池田正義
キャスト 寺沢新子:吉永小百合 島崎雪子:芦川いづみ
1975年版監督:河崎義祐 脚本:井手俊郎、剣持亘 音楽:服部克久
キャスト 寺沢新子:片平なぎさ 島崎雪子:中野良子
1988年版 監督:斎藤耕一 脚本:山田信夫 音楽:服部良一、服部克久
キャスト 寺沢新子:工藤夕貴 島崎雪子:柏原芳恵
今までのシリーズを大胆にリメイクした作品で、インパクトのある舘ひろしの保健の先生は「刑事みたい」と評されたり、 第1作の1945年版で主人公を演じた池部良が、前作とは180度イメージの異なる封建的な父親を演じたりして話題になったそうです。
 
懐かしい名前が沢山出てくるのですが、みなさんは、どの映画をご覧になったのでしょうね。高齢者の方はどなたも「青い山脈」歌がとてもお好きでオカリナ伴奏で歌うときは、いつも「チャンチャ〜ン、チャラチャラチャン・・・・・」を入れます。自転車がまばゆく「チャンチャ〜ン、チャラチャラチャン・・・・・」の部分が私も好きなのです。でも私の観たのは原節子だったような、でもまだ生まれて間なし。?????です。
瀬戸の花嫁瀬戸内海を代表するご当地ソングです。瀬戸内海の小島へ嫁ぐ娘の心情と、新生活への決意が歌われている曲です。曲の舞台が香川県小豆郡土庄町沖之島であるとする説もありますが、モデルとなった具体的な島はなく、また作詞者の山上路夫は瀬戸内海の島を訪れたことがないらしいです。私は昨夏、瀬戸内海を旅してきましたが、この歌を口づさんで楽しんで来ました。この歌の歌詞は拍で切れるので、その直前の語尾の文字から始まるものを入れて尻とり遊びに使えそうです。(施設では忘れゆく単語(言葉)を思い出す手段によく尻取り遊びが使われます。これをコンサートでやってみようと思います。「瀬戸は日暮れ(休符)「天ぷら」夕波小な(休符)「みかん」・・・・と言う具合に・・・・。オカリナの音色を楽しんで頂き、そして楽しい一時を過ごしてもらえるよういろいろ考えます。そして「楽しかった!」に徹したいと思います。

オカリナを吹こう

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ネムの花が咲き出しました。もうすぐ入道雲がでますね。
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お礼状をいただきました。
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プログラムと歌詞カードを作りました(綺麗なプログラムが作れませんでした。こういうこともこれから勉強です)
 
オカリナを吹こう (23)
  ユニット“赤とんぼ”結成
 
オカリナを楽しむことが続いている。三年ほど前、琵琶湖一周を老人施設訪問と、その地の歴史散歩をかね「オカリナ行脚」をやった。以後気の合う人たちとユニットを組むことにしたが、メンバーは流動的で入れ替わりが多かった。やっとメンバーが定着し、お互いの息が合う楽しみだ。オカリナ2名、ギター1名で、ユニット名「赤とんぼ」。
毎月ボランティアで訪問をする施設も定着した。ただギターの人が半年はマレーシヤで生活をするので、オカリナ二名での二重奏が主になる。私たちはプロではない。ボランティアで参加させていただき、吹かせていただくのを幸せと思っている。そして向上していくことを楽しみにしている。自分たちも楽しく、聴いてくれる人たちにも楽しんでもらえたら、それが続けられる原動力になる。定期的に伺う施設は、みなさんが歌われる歌の伴奏にオカリナを使うことが多い。それだけではつまらない。私たちの演奏も聴いて欲しいとも思った。そこで「生涯学習ボランティアシステム」に登録しておいた。演奏依頼がきた。(滋賀病院のロビーコンサートだ)そして嬉しいお礼状をいただいた。
こういうことが私たちの励みになり、継続できる活力を戴けるのだ。演奏を聴いて戴くだけでなく、演奏者と聴衆とで、言葉で、音楽で、会話をする。それがとても楽しかった。滋賀病院ではライブのようだと喜んでもらえた。口笛が降って来たり「年なんぼ?」なんて野次も入る。そんな時、あがってしまう。でも楽しい。
そのことを臨床美術教室をやっている施設で話をした。すると「七夕コンサート」に声がかかった。(この施設は、プロ、セミプロの出演で毎月コンサートをやっている)
プログラムを作った。演奏が立て続けに進むのでは私たちも疲れるし、聴くほうも疲れるだろうと、演奏曲の説明も入れてみようと思った。
さぁ〜明日のコンサートはうまく行くかな?
何事も準備が万端ならあがることはないだろう。心落ち着かせ、練習に励もう。
§ 演奏曲の説明 §
バラが咲いた和製フオークソング第1号でマイク真木が歌いヒットしました。恋愛の喜びと喪失を綴った歌とも言われていますが、非常に平和的で小さなバラが目の前にあるようで、またその香りや良いお天気までも体感できそうな幸せな曲ですね。
シバの女王 旧約聖書に登場する女王で、映画「クイーン・オブ・エジプト」や「ソロモンとシバの女王」があります。「ソロモンとシバの女王」にはユル・ブリイナーや、ジーナ・ロロブリジーダ、ジョージ・サンダースなど豪華キャストが出演していましたね。また音楽では歌劇「サバの女王」や シャンソンの「サバの女王」があります。
ラブミイテンダー 日本語で「やさしく愛して」と訳されています。エルビス・プレスリーの大ヒット曲で有名ですが、原曲は19世紀の歌曲であり、南北戦争時代に北軍の愛唱歌だった『オーラ・リー』です。
北軍の兵士達が故郷に残した恋人を思って歌うラブソングです。「オーラ・リー」は学校での、音楽の楽曲としても使われていますよ
竹田の子守唄子守の仕事をしていた子供の労働歌で、今で言えば、小学校一年から六年ぐらいの主に女の子が奉公に出され、奉公先の赤ちゃんをおぶって、お寺や神社の境内をあやして歩いた時代に生まれた歌です。この民謡が注目されたきっかけは、フォークグループの「赤い鳥」が演奏したことですが、そもそもは住井すゑ著「橋のない川」」が舞台化される際、京都の竹田地区で採集した民謡を編曲して使ったものです。それまでは題名もついてなかったそうです。差別の歌として「放送禁止歌」として長い間封印されることにもなりましたが、現在は緩和され、NHKの「みんなのうた」でも歌われました。
子守唄は赤ん坊に歌いかける優しい歌も多くありますが、赤ん坊を殺したいぐらい子守が辛い、と言うメッセージ・ソングも子守唄としてあります。守り子に出された当時の、特に女の子たちの貧しく差別を受けてきた心象風景だとも思えます。
平城山JR西日本、関西本線に平城山駅(ならやまえき)があります。歌人・北見志保子が磐之媛陵(いわのひめりょう)をテーマに詠んだ2首に、平井康三郎が昭和10年(1935)に曲をつけ、この名曲が生まれました。平井康三郎は東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽学部)でバイオリンを学び作曲家・合唱指導者として幅広く活動した人です。 他に『スキー』『ゆりかご』『お江戸日本橋』『とんぼのめがね』など、多くの童謡も残しています。歌人の北見志保子は、与謝野晶子に劣らず情熱的な恋をした女性です。しかし歌は晶子と違って控えめで、『平城山』の歌は二番目の夫となる人との恋に悩む彼女が、磐之媛陵(いわのひめのことを思い出して詠んだものです。歌の中で詠まれている古の女性、磐之媛(いわのひめ)という女性は、仁徳天皇の皇后だった女性で、古事記や日本書紀にも載っています。大変嫉妬深い女性として描かれています。
(磐之媛が紀州旅行中に、夫である仁徳天皇が八田媛という女性を妃に迎えようとしました。磐之姫はこのことに立腹して、筒城宮(つづきのみや:今の京都府綴喜郡)へ帰ってしまいました。平城山は現在は奈良県に入っていますが、京都府綴喜郡に隣接しています。
 磐之媛は現代なら大変誇り高い女性だと称えられるでしょうが、古には嫉妬深い女性の代表として有名だったのでしょうね。仁徳天皇が迎えに来てくれるのを今か今かと待ちつつ、迎えが来ても天皇のところへは帰らず、平城山で亡くなってしまったそうです。)
元になった
北見志保子の二首の歌です。(「花のかげ昭和25年発行」より)
磐之媛皇后御陵
人戀ふはかなしきものと平城山にもとほりきつつ堪へがたかりき
古もつまを戀ひつつ越えしとふ平城山のみちに涙おとしぬ
 歌の意味は 「人を恋することは哀しいものです。平城山にさ迷ってきましたが、やはり堪えがたいものです。昔にも夫を恋しいと思いながら平城山を越えてきた女性がいました。その平城山の道に私も涙を落としてしまいました。」
赤い花白い花メルヘンチックなこの曲は、作曲者の中林ミエさんが子供のころ田舎道を散歩しながら作ったそうです。可愛い歌ですね。
大きな古時計アメリカ合衆国のポピュラーソングです。日本では「おじいさんの時計」として歌われ、また平成に平井堅に「大きな古時計」として歌われ、急速に浸透しました。平井堅はこの曲で、第53回紅白歌合戦にも出場。また第75回選抜高校野球の開会式入場行進曲にもなりました。
夏の思い出江間章子と中田喜直の黄金コンビで作成され、NHKの「ラジオ歌謡」に石井好子の歌で放送され、瞬く間に多くの日本人の心を捕え、曲中に出てくる尾瀬が人気になりました。
夕焼け小焼け童謡としては最もポピュラーなものの一つです。美しいけれどもちょっぴり寂しい、田舎の夕暮れを唄った叙情的な歌詞と、ゆったりとして歌いやすいヨナ抜き音階(主音(ド)から四つ目の(ファ)と、七つ目の(シ)がない音階のこと)がよくマッチした、日本の代表的な抒情歌ですね。夕方の時報 や下校を知らせ、帰宅の合図として親しまれています。私もこの歌で家に帰りました。
久しき昔原曲は『Long, Long Ago』です。近藤朔風の日本語詞で大正2年に「久しき昔」というタイトルで発表されました。内容は、長い間別れていた恋人が帰ってきて、今も愛は変わらないと告げる、原詞に近い詞です。が、後に 津川主一の訳詞が出、タイトルも『思い出』となりました。また、戦後の、民主主義教育が始まると、小学生にはこうした原詩に元ずく歌詞は不向きだし、言葉もむずかしすぎるという理由で、新しい日本語詞が古関吉雄の詞で作られ 昭和22年発行の教科書『六年生の音楽』に使われ始めました。
 私も後の歌詞で習ったので、このメロディを聴くと反射的に口をついて出るのは、古関吉雄の「かきに赤い花咲く……」です。かきは垣根のことですが、柿だと思っていました。ふるさとの「うさぎおいし」はうさぎは美味しいのだと思っていましたし、荒城の月の「巡るさかずき」は、眠るさかずきだと思っていました。今になると恥ずかしいです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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