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オカリナを吹こう

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オカリナ行脚

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オカリナを吹こう (12)
  雛いなと遊ぶ

 お雛さまに会いたいと思った。雛祭りはいろいろの神事・行事・信仰などが合流したものだ。
 一つに水辺の行事の『巳の日祓い』がある。『源氏物語』須磨の巻にも、三月の最初の巳の日にお祓いが行われ、人形を舟に乗せて海の沖合いに流す場面が出てくる。三月の巳の日に、占い師により無病息災を祈願し、紙・土・草・藁などで簡単な人形(ひとがた)をつくり、お酒やお供物を添え病気や災いを身代わりにと願いをこめて川や海に流したらしい。この貴族の風習が、農耕繁期を前にした農民たちにも広がり、そのうちにこの大人たちの雛遊びが子供たちにと広まっていったらしい。子供の『雛いなあそび』の習慣と水辺の行事の『巳の日祓い』とが一緒になり三月三日が、雛祭りとして江戸時代に定着したらしい。

 こうした江戸時代のお雛様が、近江八幡市で一般公開されているのを知った。オカリナ行脚で滋賀県を周っている。少し順番を飛ばし近江八幡市へ飛ぶ事にした。近江八幡は数々の豪商を生み出した所である。その商家に伝わる節句人形や、雛道具・市松人形・享保雛・西川伝右門家の雛・各時代の雛が展示される。
(余談になるが、猛吹雪の中から始めたオカリナ行脚は11回目を迎えていた。この間に数多くのことを学ばせていただいた。「ありがとう」と言って下さった暖かい言葉、歴史の中を懸命に生きてこられた高齢者、知らなかった郷土の歴史、人との関わりに感謝と素晴らしさにいつも頭が下がった。しかし、厭なこともあった。思いがどこかでボタンの掛け違いになり、それは私に「解散」の決意をさせていた。悩んだ。悩んだ。
 「別の事をするために神さまが時間を下さったのよ」と言ってくれた友。下手な私のオカリナ演奏を心から待っていて下さる施設があることも知った。そして、なによりも私はオカリナが好きなのだと気がついた」二ヶ月ばかりの引篭もりを持たらしたが、人の心の支えが私を救ってくれた。穴から這い出てくるか弱い虫を支えてくれる何人かの同志も集った。また「オカリナ行脚を続けたい」と思った。雛は女人が人形によせる心と巳の祓いとが一体となり形成されたものだと言われる。そして、十二回目「オカリナ行脚」を「雛祭り」に選んだのだ。)
 滋賀県に早春を告げる近江八幡の日牟礼八幡宮の左義長祭りは全国からの観光客で埋まる。その前日ならお客様も多いかもしれないと、雛の展示されている「近江八幡市立資料館」で、三月十三日にお雛様を前に、オカリナを吹かせていただくことに決めた。
 長らく会っていない、やはりオカリナ大好きの、近江八幡在住のMさんと会うことも嬉しいことの一つだった。
 小雨模様の日、いままで何回か行脚で見慣れている三上山の頂から霧が立ち上り、車窓に柔かい緑が延びていく。麦が植えられているのだ。後ろへ後ろへと流れる緑芽に、山からの小寒い風の中で麦踏をしたことを思い出す。雪解け水の音が小川に響き、河原に猫柳が、生まれ始めの陽春を受けていた。子供の頃過ごした神社では、雛日に萌え始めた蓬で村の各家で菱餅が作られ、堅い桃の蕾が添えら神社に届けられた。そのお下がりを頂く。餅米より米粉の方が多く、団子に近いそれは焼くと香ばしく、うっすら焦げ目が付くと緑を増しそれはそれは美味しかった。そんな懐かしいことを思い起こさせ車窓は流れて行く。
 Mさんが出迎えてくれた。歳月が経っていても志を同じくする者には空白を感じさせない。同行者二人(ずぅうと行脚を支えていてくれたIさんと、行脚が楽しくてたまらないというSさん)を加え、Mさんの家で昼食をすませ1時間ばかり練習をして、資料館へ向った。
 郷土資料館・歴史民族資料館・旧西川家住宅・旧伴家住宅を回る。どれもこれも八幡商人の歴史をうかがえ、それは日本人の心意気を伝えているように思えた。商いを支える女たちは祖先を大事にし、精神的に豊かな生活を送る事をしたのだろう。それは無駄をせず知恵を働かせることであった。端切れや残り糸を使い美しい「ゆびぬき」などが、物を大切にし、かつ色彩感覚も養う工夫がされ、心のゆとりが感じられる。影で支えた女性たちの活躍で八幡商人は質素・倹約・勤勉を旨とし心置きなく活躍できたのかもしれない。
そんな女たちの「雛いな」が部屋一杯に飾られていた。
 民族資料館では、当時の生活ぶりを知る民具や農具も展示され、懐かしい道具もたくさんあった。私の家も元は商家だったと言う。子供のころ「あんたとこのお祖母さんは厳しいけど優しい人で、店先に座ったはる姿には存在感があった。尋ねて行くと裏へ通して、ようおやつをご馳走してくれはったわ」と聞く。私の知らない祖母の姿ではあるが、懐かしい道具や懐かしい帳場風景の佇まいから、祖母が教えてくれた、質素倹約・質実剛健の教えが立ちのぼっていくようだ。「しっかり生きなさいや」そんな声がしてきた。人には才覚も、算用も始末も大切なことを教えていてくれた。オカリナ行脚の再出発を、此処に選んだ事が改めて大きく心に沁み込んでいった。
 女性の観光グループがオカリナを聞いて下さった。お雛祭りの歌を皆さんで大きく歌われた。「ええ思い出になったわ。有難う」と言って下さった。こういう瞬間が嬉しいのだ。人とのいろんな出会いがある。嬉しい瞬間だ。いままでにも幾つの出会いがあっただろう。どれもこれも私の宝物になっている。やっぱりオカリナ行脚は続けたいと思う。
 終ってからMさんが日牟礼八幡宮や、八幡山を抱き、まるで時代劇の中に入ったような町を案内して下さった。日牟礼八幡宮は明日の左義長祭りの準備で活気があった。八幡堀の柳が芽吹き、優しく小雨の中で煙っている。資料館で左義長の標本も見た。飾られる干支が今年は黒毛和牛らしい。こうして先人達が作り出した文化と営みを、後の者が受け継いで行くのだ。静かな小さい町を流れる時間や自然がとても心地良く感じた。それは、私たちの持っている民族の誇りや、風情が輝いているからだろう。
 大きな河川も源をたずねていくと、いくつもの小さな流れであり、そのいくつかの流れが合流し、しだいに形をなし、遂に一つの大きな流れとなる。歴史の流れも同じではないだろうか。
 雛祭りの源の「巳の日祓い」も、それを教えているのではないだろうか。
小さな小さな、目に見えないような流れのオカリナ行脚である。
しかし、行脚とは人との出会いであり、教えられ、明日への活力(大きな川)を授けてもらえるような気がするのである。
    
    雛流れオカリナ流れ童歌  

オカリナ行脚

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Iさんが写しておいて下さった「北びわ湖号」

オカリナを吹こう (11)
   汽笛響きて

 「待って〜〜〜」通学鞄を小脇に抱え必死で叫ぶ。高校時代の汽車通学だ。乗り遅れると、乗り継ぎの連絡が狂い帰宅が2時間は遅くなる。黄色い声を上げれば必ず汽車は待ってくれた。
あれから半世紀後に同じように「待って〜〜」と、必死で叫ぶことになろうとは……
「SL北びわ湖号」に乗りたいと前々から思っていた。オカリナ行脚に組み合わせたいと思った。指定席券は1ヶ月前から売り出される。朝早くから窓口に並びワンボックス分4枚を購入しておいた。しかし、SLが運行されるのは土・日・祭日のみである。訪問するデイサービスはどこも休みだった。土・日の行脚に参加する人もなかった。Iさんが参加してくれるが男性のIさんと二人だけで行くのは躊躇された。
Iさんご夫婦、知人、私の4人で「第11回オカリナ行脚・(SLの旅)」となった。

私がSLにこだわるのには理由があった。
記憶とは何歳ごろから鮮明になるのだろうか。夢か記憶か分からないことが私にはいくつかある。その一つが蒸気機関車だった。
二、三歳のころか。祖母と姉と私は汽車に乗っていた。私が途中でなにが原因か(おしっこをしたくなったのかもしれない)むずかりはじめ仕方なく途中下車をしたのだ。寒い夜だった。降りた駅は真っ暗で私たちの吐く息が蒸気機関車のようだった。次の列車までにはかなり時間がある。祖母の肩かけの中で姉と私は肩を寄せ合い震えていた。祖母が思い切って灯かりの点る駅員の控室の戸を開ける。若い駅員がギターをつまびいていた。迷惑そうにジロッと私たちを見て無言。祖母が何度も腰を折り「汽車がくるまで此処で待たしてもらえまへんか」と言う。やはり無言だ。祖母は持っていた風呂敷包みを急いで解き、出先のお土産だったのか竹輪を三本紙にクルクルと巻き駅員に渡したのだ。駅員は態度を急変させ椅子に腰掛けるように顎をしゃくった。それだけの事。しかし、記憶も定かでないあのときに私は生きる術なるものを学んだような気がする。人間には、こういうプログラムが組まれているのだとぼんやりと悟ったような気がする。闇夜に白い煙を吐きながら近づいて来る次の汽車の「ポー・ポー・ポー」の汽笛が、幼い私の胸に響き残った。

 五年前父の詩を手にした。210篇あった(これは来春刊行の運び)私は父が若い頃詩作していたことを知らなかった。
「夜汽車」
かけてる かけてる/鳴ってゐる/夜汽車の汽笛/月に鳴っている/
かけてる かけてる/何処へ行く/夜汽車の窓よ/うそ うそ寒い
かけてる かけてる/遠い路/夜汽車の線路/月に光ってる/
「硝子窓」
硝子窓が唄を歌ふ/特急列車 普通列車 貨物列車の唄/
硝子窓は年がら年中/うたつてゐるから/行儀が良い/
雨の日でも 風の日でも/時間をきめて/きつちりうたふ硝子窓は/
よく時間を守るから/えらい えらい。/

(注)これは汽車の沿線の近くの家だと思って下さい。
この(注)に私の胸は高鳴った。汽車が各地の旅をのせ集まってくる機関庫の近くに、やっぱり私は住んでいたのだ。記憶か後に私が加えた絵空事なのかあやふやと靄のかかっていたものが、思い出として浮かび上がってきた。
 父は汽車を見るのが好きだった。父の肩車で汽車を見ている私がいる。目に石炭の煤が入り目医者へかけつけた。顔にひんやりと霧雨がかかる。「それは小水が飛び散ってるのさ」と父が笑う。帰宅して丁寧に顔を拭いてくれた。父の腕枕で昼寝をしていると夢の中へ「ポー・ポー・ポー」と汽笛が響いてくる。二階の窓枠に肘をつき二人で夜汽車を眺める。父は夜汽車を灯かりの点った虫篭のようだと言う。昼には砂利山の照りかえしが、陽炎のように揺れる中でままごと遊びをした。線路に入る子供を見つけると汽車が「ポー・ポー・ポー」と汽笛を響かせる。オレンジ色のヤブガラシが這っていた。それは私が一番最初に知った植物かも知しれない。強い夏の日差しに汗粒のようなその花はままごとの材料だった。夜は線香花火を手にする子供達に大人が「誰が線路脇を歩くのか汽車が通り過ぎるたびに下駄の音が響いてくる。誰を迎えにくるのかな」と怖がらす。あれはまだ五歳にもなっていなかった。記憶か幻想か靄のように私の心を彷徨っていたものが「汽車の沿線の近くの家」と言う(注)で私を靄から引きあげたのだ。
 それ以後蒸気機関車を見ることも乗ることもなかった。通学で出会った汽車は電気機関車になっていた。「ポー・ポー・ポー」を聞くこともなかった。
 映画『父ちゃんのポーが聞こえる』で、懐かしい汽笛の響きを聞いた。「父ちゃんは明日から朝5時50分のSLでこの下を通るから、汽笛でオ・ハ・ヨーと『ポー・ポー・ポー』と鳴らす」私はこの汽笛に涙を流し、生音の「ポー・ポー・ポー」を聞いてみたいと思い続けるようになった。機関士が娘に聞かせた「ポー・ポー・ポー」が聞こえる。祖母の腕の中で姉と震えながら聞いた「ポー・ポー・ポー」が聞こえる。父の肩の上で聞いた「ポー・ポー・ポー」が響く。ままごと遊びで見送った「ポー・ポー・ポー」が鳴る。いくつもの汽笛が重なり私に響いていた。そして「SL北びわ湖号」に乗ろうと決めた。
 10時09分米原発。私が向かいのホームに着いたときは10時06分だった。目の前を「ポー・ポー・ポー」と汽車が動き始めた。
「待って〜〜〜」。
 知人と私は乗り遅れたのだ。
大変だ。Iさんは携帯電話を持っていない。改札へ急ぐ。「タクシーを飛ばし何とか追いつき乗車できないか」焦って聞く私に「駄目やな」の一言が冷やかな目と共に返ってきた。駅事務所へ行けという。教えられた事務所へ行けば「新幹線と在来線は違う。ここは別の事務所だ」という。階段を登ったり下りたり制服を着た人を見つけては場所を聞く。駅の中を駆け回る。やっと係員を見つけ説明する私に「払い戻しは出来ませんよ」と威圧的な答え。私は払い戻しなど毛頭考えていない。ただIさん夫婦に連絡したかった。どうすれば良いのかそれだけで気が動転していた。冷や汗が湯だって来るようで気分が悪くなる。「SL北びわ湖号」に連絡をし、指定座席にいるIさんへ伝言を頼んだ。しかしその指定座席に誰も座っていないと言う。「!!!!????」「じゃあ、まだホームにいるのかしら。乗り込んでこない私たちを待っているのだろうか」ホームをまた走る。各ホームを走りまわりへとへとになった。自分のミスと方向音痴が情けなかった。もつれてくる足が惨めだった。付き合わされている知人に申し訳ない。しかし彼女は気分を害するわけでもなく「可哀相に、乗りたかったのにな〜」と私の背を撫で慰めてくれる。その優しさに涙が出てきた。子供のように泣き叫びたかった。
 二時間は過ぎていた。「此処を離れたら、Iさんたちに会える確率はゼロになるよ。ほんまに駅を離れてエエの?」と気遣ってくれる知人に、私は首を縦に振った。もう良い。もう良いのだ。「ポー・ポー・ポー」が聞けたではないか。汽笛を鳴らして行ったではないか。この耳で生の「ポー・ポー・ポー」は聞けたのだ。

「醒ヶ井へ行ってみようか。それとも琵琶湖一周をしてみる?」私はオカリナ行脚で何度も列車のびわ湖一周をしている。知人に紅葉する湖西線を見せたいと思った。ゆっくりローカル線で足を伸ばし休憩をしたいと思った。それでもまだ諦めきれずに何台かの列車をやり過ごし米原から湖西線に乗り換えるため近江塩津へ向った。座席に身を沈める。そして私は気がついたのだ。あの子供のときの駅員も、米原駅の駅員も自分の職務に忠実だっただけなのだ。深夜の乗客を駅員室に入れるのは違反だったのかもしれない。米原駅の駅員も新幹線と在来線では会社が違う。違う会社のことを聞かれても無愛想になるのは当然だろう。払い戻しを催促されたと思った駅員も、職務を全うしただけなのだろう。そう思うと、とても気が楽になってきた。「ポー」と汽笛が爽やかに響いてくるように思えた。もう満足だった。知人も車窓を嬉しそうに眺めてくれている。私は安堵して目を瞑ろうとした。
そのときだ! ホームにIさんがいた!
「うそ! そんなことありえない。こんな所(長浜駅)で会うはずはない。夢?」
私は跳び跳ねドアーが開くなり、Iさんの奥さんに抱きつき二人を列車に引っぱり込んだ。二人は乗車しようとホームにいたのだから引っぱり込む必要はなかったのだが、夢の覚めないうちにと引っぱり込んだのだろう。
「奇跡よ!奇跡。こんなことってあるの」「きっと可哀相に思って会わしてくれはったんやわ」と知人も興奮して言う。醒ヶ井へ行っていたら会えなかった。先発に乗っていたら会えなかった。会える確率など万分の一も無かった。それが会えたのだ。
 Iさん夫婦は「座席を調べになど、誰も来ませんでしたよ」と言う。しかし、もうそんなことはどうでも良かった。「会えた!奇跡は起こるのだ」私はそのことに興奮していた。

 河毛駅で降り「小谷城戦国歴史資料館」へ行った。朝から降っていた雨は止んでいた。何もかもが嬉しい。装う山がさらに心を浮き立たせる。水車が回っている。白鷺が舞う。牧歌的な景色の中を「ポー・ポー・ポー」と汽笛が響いてくるような気がした。
「小谷城戦国歴史資料館」は小谷山の麓にある。495mの急峻な小谷山が城であり城下町を形成する、それを彷彿させる跡だけを残し山全体が色鮮やかに染まっていた。戦国の時代もこのように山は装っていたのだろうか。錦に染まる山を見ながら、紅に燃える桜大樹の下で、Iさんとオカリナを吹いた。Iさんの奥さんと知人が拍手をしてくれる。桜葉も拍手をするようにひらひらと舞ってくれた。資料館の女性職員が柿をむいて持ってきてくれた。
 思いがけない想像もしなかったオカリナ行脚になった。お市さまがこの巡り合わせを呼んでくれたのかもしれない。合戦の雄叫びでなく、「ポー・ポー・ポー」と汽笛が響いたように思えた。
 ありがとう。思い出、奇跡。(私は今回のことを奇跡と思っている)
どの人へも感謝の気持が「ポー・ポー・ポー」と鳴り響く。
 薄日を射しながらもまだ雨気が残こっているのだろうか、時雨が落ちてきた。

一つぶの音にはじまる時雨かな 伊藤柏翠
 音のない静かな時雨だが私の心に一つぶの新しい音が確かに生まれて行くようだった。
温かい人の心の音が時雨と共に「ポー・ポー・ポー」と生まれていた。

2008.11.27
    
       花すゝき汽笛一声こぼしゆく  

オカリナ行脚

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オカリナを吹こう (10)   
       フレーフレー 紅葉赤く燃え


 階段を上り下りしないで、プラットホームの続きに改札口のある駅舎は懐かしい。列車から降りるとすぐに改札口があり町の匂いが飛び込んでくるのだ。
子供時代の田舎の駅を思い出した。片隅に花壇があり、駅員さんが陽だまりの中で花に水をやっていた。影が陽炎のように動いていた。春には一本の大きな山桜が乗客の肩に花びらを乗せ運ばれていく。夏には子供がホームに入り木にとまる蝉を捕まえた。秋にはコスモスが揺れ、列車をやり過ごすとコウロギが鳴いていた。紅に染まった葉が、花の様に花壇を埋めると冬がきて、雪だるまが駅名の標識板と肩をならべていた。懐かしい駅舎が想い浮んでくる。
懐かしい匂いが私を包んでいく。

 そんな旅愁を思い起こすような改札口を抜けると、懐かしい匂い?
いやお腹がなる匂いである。駅舎の側に大きな焼きたてパン屋があり、美味しそうな匂いが広がっているのだ。そして小さい駅前広場に黄色と黒色の縞模様の幟がはためき「勝負の神様」と看板が出ていた。
オカリナ行脚の10回目になる「虎姫駅」だった。
「虎姫」といえば滋賀県下有数の進学高校のあるところだ。受験に打ち勝つ「必勝の神様」が祭られているのだろうか。そんなことを思いながら駅前の案内板を読んでみた。
「虎姫の由来」
地域の水利に力をつくした長者の世々聞と 美しい娘(虎姫)が愛し合い結婚をした。ところが、受けた15人の子供たちは、みな顔は人間だが体は蛇という子供達だった。嘆き悲しんだ虎姫は淵に身を投げてしまう。しかし成人した子供達は人間と同じ容姿に育ち近辺の村をりっぱに治め、村人達を助けたと言う。そして標高約230mの長尾山を虎姫山、虎御前山と呼び、みんなが亡くなった虎姫を慕い、町も「虎姫」と呼ばれるようになった」と書かれていた。
 今、びわ湖の北側を行脚している。琵琶湖一周を完歩するにはまだまだほど遠い。行脚をはじめて知った土地が多い。土地土地に色んな伝説がある。余呉湖の「羽衣伝説」のように有名な物から、虎姫のように初めて知るものといろいろだ。どれもが湖と山の自然の中で、神様、人間、動物が共に同じ目線で悲喜哀をたくましく生きている。自然のなかで懸命に生きる姿を語り継いでいる。そんな伝説を知り自然とふれあい、そして施設でその土地に生きてこられた高齢者の方々と共有のときを頂いている。一期一会の出会いもたくさんあった。加えて歴史の中を散策できる楽しみもある。
 虎御前山は230メートルの小山だが全山に樹林が茂り、周囲は急傾斜で自然の要砦を形作っている。織田信長が小谷城の浅井長政を攻めるとき、最前線に虎御前城を築き柴田勝家に陣をおかせた。
信長は虎御前山に何度も砦を築き小谷城が落城するとすぐに砦を壊している。焼き討ちの好きな信長なのに小谷城には火をかけなかった。これらはなにかを意味するのだろうか。
 頂上にキャンプ場がある。10月の末で閉められたコテージはどれも鍵が掛っている。風にときどき砂埃が舞い上がる。鈴鹿山脈に連なる小谷山が目と鼻の先にある。浅井氏に嫁いだ妹お市の住む小谷城が手に届くような目の前に信長は砦を築いたのだ。四六中城の中は見える。この砦を築かれた時から浅井氏とお市の方は「負け」を悟ったのではないだろうか。むごいことだと思う。湖北地方は、かって血で染まる戦乱を何度も繰返してきた所だ。血潮を思わせるような紅葉があかあかと燃えたっている。過ぎて行った人々の血潮が燃えているのだろうか。美しい紅葉を愛でながらも歴史のいたましさを感じた。
 好天で散策日よりの澄み切った青空に、東に伊吹山、西に琵琶胡が一望できる。紅葉を愛でるこうした行脚の出来る平和は、おびただしい血潮の上に有るのかもしれない。琵琶湖に向って手をあわせた。みんなでオカリナを吹いてみる。琵琶湖へ音が流れていくようだった。

 虎姫町デイサービスセンターを訪問した。とても大きく明るく、ホテルのようだ。お風呂場も「ゆ」の暖簾がかかり温泉かと思う。こんな所で憩いの時が持てる高齢者の方は幸せだろう。介護保険は「通所介護」をすすめるが、人は今まで背おってきた道程の上に生きている。誰しもがデイサーイスに行くことを喜んでいるとは限らない。しかし、こうして同じ時間を沢山の人と過ごす一時も、また良いものだろうとは思う。自分の高齢化が進んできた時、私はどんなことを望んでいるのだろうかとふと思う。

 演奏が終って「皆さんの間に入ってお八つを一緒に食べ、語りあって下さい」と私たちにもお八つが用意された。100歳の方がいらっしゃった。元気で大きな声で歌って下さった。100歳とは思えない。年を重ねると個人差がでてくる。何が原因なんだろうと思う。聞いてみた。「何事にも感謝して明るく過ごすこと」大きく響く声で答えが返ってきた。私は大きく頷いた。
そうして、もう一つ、虎姫駅に着いたときから気になっていたことを聞いてみたくなった。なぜ虎姫が「勝負の神様」なのだろう。町がどうして黒と黄色の模様で飾られているのだろう。
それは(虎=タイガー)で阪神球団を応援している町だからと言うことだった。何年か前に阪神が優勝した時は大変なお祭りだったそうだ。阪神優勝は道頓堀に飛び込むだけではないのだ。それにしてもこんな田舎の街でこれほどに阪神球団にに肩入れをしていることを阪神は知っているのだろうか。日本の片隅でこんなふうに応援されていることは幸せであろう。が、それだけに好い加減な仕合は出来ないだろうにと思う。野球に興味はなく応援する球団もないが、たかが野球されど野球、町の人たちのためにも性根入れて戦わねばならないだろう。かっては戦の幟がはためき、いまは平和に幟がはためいている。
地方都市の熱い心に、虎姫やお市さまはどんなふうに思っているだろうと、駅前の焼きたてパンを齧りながら、私も「フレーフレー燃えろ、生きろ」と呟いてみた。

    
       紅葉山歴史も望みもみな包み  

オカリナ行脚

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オカリナを吹こう (9)   出会いはご利益

 オカリナ行脚を吹雪の今津から始め、はや9回目になる。施設訪問ではいつもびわ湖周航の歌で締めくくる。大きな声で皆さんが歌って下さるひとときは本当に嬉しい。その土地土地で生きてこられたお年寄りと握手をする。かけがいのないそれぞれの歴史が伝わってくる。そんな喜びを励みにしている。
 『琵琶湖周航の歌』の4番目の歌詞は「古い伝えの 竹生島」
4回目のオカリナ行脚のとき、「竹生島」に手が届きそうな葛篭尾崎岬の近くまで行った。岬を歩きたいと思ったが20キロばかりの入り組んだ岬は、宿泊を余儀なくされる。それならば竹生島に渡って葛篭尾崎岬を目で歩きたいと思っていた。そしてその念願が叶えられた。「竹生島クルーズ」の実現となったのだ。
 秋晴れが続く。最高の行脚日和だ。藍色の湖面が白く砕かれ船はぐんぐんと進む。波しぶきが心地よい。船先ではなかったが両手を広げ、映画「タイタニック」のワンシーンを真似てみたくなる。水鳥が光の粒子の帯のようにキラキラと描かれて散っていく。水平線が薄紫色に光っている。対岸が見えない琵琶湖は大海原を航海している気分だ。雲一つ風もなく、湖底が深いのか濃紺色の水面と青い空が競っているばかり。湖底には太古の歴史が眠っている。私は湖水に抱かれ、そんな歴史を想う風のようになってしまった。
 竹生島が見えてくる。琵琶湖にぽっかりと花崗岩で浮ぶ周囲2kmばかりの島である。緑の塊のような島だと想像していた。しかし接岸に迫る島は立ち枯れが目立つ。カワウの被害らしい。とは言え緑に見え隠れする朱塗りの建物に心が逸ってくる。身の引き締まるようなオーラが漂ってくる。威厳と懐かしさ、安堵感に抱かれる感覚がせまってくる。湖(水)に身を置き山(島)に抱かれる不思議な感覚だ。竹生島の本尊は「弁財天」で、水の神が起源らしい。水の力は人の心に食い入ってくるものがあるのだろう。山もまた心を癒す。「祈りの階段」と言う細い165段の階段を上がりきれば、湖水が一枚布に広がりその美しさに歓声をあげる。そして、その湖(水)に自分の心を見つめ直したくなる。
 平地はほとんどなく石段の上がり下がりを繰返す島の堂塔巡りだ。しかし疲れを感じさせない。琵琶湖の清々しさが何処からも眺められ、島全体に満ちる森厳な空気が、普段信仰心のない凡人の私をも敬虔な気持にさせるのだ。弁財天堂で灯明をあげ願い事をする。カワラケに願い事を書き湖水へ投げる。願い事を沢山してしまった。みんな叶えてもらえそうな雰囲気がする。島全体が「自分の心を愛すること」「人に感謝をすること」「布施行を積む(無償の行為に寄って人に奉仕すること)」などを教えてくれている。自分の願い事ばかりに究意する自分が少し後ろめたい気もした。
 舟廊下の「連子窓」から差しこむ光が優しく艶かしい。この優しい光と陰の中を長い裾を引きどんな女人が歩いたのであろうか。それは今日のような大快晴の日だったのだろうか。雨の日は衣擦れも重かったであろうに。湖水が霞んで見えない雪の日は厳しい風に髪が煽っていたのだろうか。そんなことを思ってみる光陰の廊下だ。
 竹生島が文献に出てくるのは『帝王編年記』(723年)と言う。長い長い歴史の中でたくさんの人の信仰と心が古層と成しているのだろう。弁財天・不動明王・涅槃図・各堂をくまなく巡る。バナナの木がザワザワと敬虔な風を揺らす不思議な異空間や(実はないが花が咲いていた)400年になるという端整な姿のモチノキや(私はモチノキと言えば絵本の「もちもちの木」を思い出すばかりであるが)黒竜が琵琶湖からよじ上ってきたと言う大木などもある。これらが無信仰な私をも癒してくれる。(しかし、黒竜が上ってきたと言う見上げる大木の天辺まで、葛が巻き付いているのには驚いた。まるで黒龍が巻きついているようだ。葛は強い繁殖力でどこへでも繁るのだろうか。)湖水から上ってくる風が葛の葉を白く裏返えした。少し寂しい心地もする。
 土産物店が船着場から階段まで続き、特産品がいろいろと並んでいる。琵琶湖の蜆の佃煮を買った(蜆はもう琵琶湖では得難いはずだが、そう信じて買い求めることも旅の楽しみの一つであろうか)。店主が「どこから来たの?」と聞く。これからオカリナを施設へ吹きに行くことを言うと「聞かせて」と…。
竹生島でオカリナを吹くとは思ってもみなかった。船着場の「琵琶湖周航の歌」の碑の前で吹く。ストリートミュージィシャンのようだ。他の参拝客から拍手がパラパラときた。私たちはこれにすっかり気を良くし度胸のある行動に出た。「他のお客さんから『うるさい』と言われたらすぐに止めるように」と言う条件で船のデッキでオカリナを吹くことを許可してもらった。
 波しぶきを頬に受け足元は揺れるがなんと気持ちが良いのだろう。こんなロケーションでオカリナを吹けるとは思ってもみなかった。森では木立ちの間を音が流れ遠くまで響く。船上は音が拡散して消えて行く。(これは下手でも音が消えていくので安心しておれる)気をよくして施設で吹く曲の練習を始めた。波が笑っているように思えた。
 若者が声をかけてきた。「浜松から車で来て竹生島に渡った。音楽が大好きで車に楽器を積んでいるから一緒に合わせないか」と言ってくれる。加齢の私たちは感激で舞い上がってしまった。彼が車からアコ−デイオンを持って駈け戻って来る。私たちの拙い演奏にキイを合わせて伴奏に徹してくれた。その上手なこと。まるで早くも竹生島参拝のご利益があったかと思うほど嬉しくなった。

 西武デイサービスセンター(長浜社協センター内)への足取りは軽い。伴奏つきで練習もしている。こうしていろんな出会いが嬉しい。沢山の方が待っていて下さる。デイサービス施設は小規模なものから行政が運営している大きな施設といろいろあるが、それぞれの歴史を歩んできた人たちが憩う場所だ。介護保険の「要介護度」の重い人もいる。そんなみんなが一緒になって歌って下さる。手を打ち鳴らして下さる。名も無い市井の人たちにも歴史は流れている。いや、歴史はそういう人たちで作られているのだろう。今を大切に頑張っておられる姿が歴史を作っていくのだろう。そんな一端に加えていただけることに感謝だ。オカリナ行脚を始めて良かったと思うときである。
 今回は若者にも声をかけてもらった。住所も聞いた。写真を送る。いろんな出会いに感謝だ。これが行脚への贈り物であろうか。竹生島のご利益も授かったような気がした。


あなたとの出会いは生きてゆくご褒美
道元禅師
    
       葛かずら湖の風に縋りゆく  


2008.10.25

オカリナ行脚

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オカリナを吹こう (8)   一期一会の花

 異常気象のせいか、窓を叩きつける荒々しい雨脚、車内にまで聞こえる雷の轟音。ローカル線の湖西線は高架を走ることもあり、直ぐに強風や豪雨に運行が乱れる。同行者はみんな本線で私だけが湖西線だ。いつもなら、松林の間を縫ってとどく琵琶湖のきらめき、民家の甍の波と琵琶湖のさざなみの競演。自然の造形絵画の額縁を飾るように田園が流れ、線路脇には野の花の波も加わる。が、今日はそれどころではない。窓の向こうは何も見えない。ときどき激しい雨の流れる波模様に赤い色の塊が走るのは彼岸花の影だろうか。心細さがつのる。
ところが、高月駅に近づいてくると雨が上がりだした。薄日まで射してくる。「私の外出時はいつも絶対お天気よ」と、まるで照る照る坊主のような人が今回は、参加するお蔭だろうか。山頂へ上っていく霧の美しさと、その言葉を思い出し笑みが浮かんだ。
今回は、7回目行脚で訪問した高月町の「あいこでしょう」さんに再訪問する。前回あまりにも駆け足で通り過ぎ申し訳ないと思っていた。今回はそのお詫びも兼ね事前にリクエスト曲も聞いていた。そのリクエスト曲の練習を「海外?」ですることにした。
エジプトまで足を伸ばしたのだ。

 私は高月という町にすっかり魅せられていた。良質の文化と、センスのよさが香ってくる。町で出会った人はみな優しく、「観音の里」であり、たくさんの観音さまがいらっしゃる。失礼ながらこんな田舎にどうしてと思うほど驚くような立派な文化施設が並ぶ。豊かさが生み出す文化が匂う。その豊かさは資源だけでなく人の心も豊かにするのだろうか。そんなことを思ってみるが「観音の里」と「エジプト」はどうも繋がらない。そんなこともあり再度、高月をオカリナ行脚の地に決め海外旅行「エジプト」への旅に出ることにした。
 北近江リゾート敷地内に<モリゾーとキツコロの、愛・地球博>で、パビリオンだった「エジプト館」が移設されている。
エジプトは、アジアと欧州、アフリカの交差点にあたり長い歴史の中で、さまざまな文明や民族の交流を通じて独特の文化を築き上げてきたところだ。高月町も綺麗な水と大木の野神、観音が広がる独特の文化が築かれた場所だ。高月町でエジプトと出会うのも悪くないと思えてくる。
 琵琶湖に向いて移築された建物は、古代エジプトのイシス神殿がモデルで、神殿風丸柱、壁画が迎えてくれ、入り口ではサソリの群れが足元を囲む。動画とは言え、ちよっと血が引く。恐ろしくなり見上げた天井に、満点の星空が映しだされていた。展示品はいずれもレプリカだが、ツタンカーメンの黄金マスク、ミイラ型棺、玉座などが黄金に光り輝いていた。黄金が多い。
光と音で演出された幻想的なエジプト空間は、黄金の空間でもあった。ツタンカーメンの黄金マスクと対峙していると、なんだか観音さまのマスクと入れ替わるような錯覚を起した。顔(マスク)の目底からオーラが流れてくる。観音さまのお顔からも、黄金マスクからも漂ってくる不思議な錯覚だった。
 エジプト館から出て、大きな葉をざわめかせる椰子の風にフェニックスパワーを感じ、イシス神殿を見ながら広い広い芝生の片隅でオカリナの練習をすることにした。リクエスト曲を頂いている。普段の練習不足を補わねば。
芝生の隅に彼岸花が咲いている。黄金ばかりを眺めたせいか彼岸花までが黄金色に見えてくる。

 彼岸花は不思議な花だ。たくさんの名前を持っている。1000近くもあるらしい。彼岸になればぐんぐんと茎を伸ばし葉も出さず、いきなり花を咲かす。私にはその燃える赤色のどれがオシベやらメシベやら区別がつかない。そして沢山の名前と同じように沢山に咲く場所を広げそれぞれの名前を感じさせて咲く。花が先か名前が先か。
 薄暗い薮の中、日陰の山道、墓場にと、そこそこへそこに相応しい名前で咲く。黄金色の稲穂の畦では、残暑の太陽のように明々と健康的に燃える。彼岸の間中燃え続けて咲き、彼岸が終るとピタッと花は終える。終えるなり他の花々のように花びらを散らさないで、老骨をさらすようにそのまま立ち続けている。これは、花びら・しべ・茎に残った養分を球根に吸い戻しているのだそうだ。そして、葉が出始めと、太陽のように燃えていた花どき思い出すかのように、葉は太陽エネルギーをおもいきり吸い込む。球根を太らせまた翌年、いっせいに彼岸の日に咲く準備をするのだ。
 そして毎年毎年彼岸に、彼岸花は咲く。しかし、花を眺める人も花も決して同じではないだろう。一期一会の出会いではないだろうか。

 広い広いグリーンの広がる芝生。その向こうは国道か、ひっきりなしに車が行き交っている。模したイシス神殿が建つ。不思議な光景だ。不思議な感覚をもたらす異空間の中に私は立っていた。異空間の風が頬をうつ。この異空間でオカリナの練習をする。これも一期一会ではないかと思えた。
練習を終え、北近江リゾートの中のレストランで昼食は何にするかで会話がはずむ。これも楽しい一期一会だろう。

グループホーム「あいこでしょう」さんに向う道筋にも彼岸花が咲き乱れていた。いつも初めて訪問する時は緊張する。ここは2回目の訪問の場所でなんとなく心やすまる。1時間余を高齢者の方々と楽しい時間を過ごさせていただいた。まだまだお元気な方、ずうと寝ておられる方、うろうろと徘徊する方、大きな声で歌われる方。どの方とも、やはりこれも一期一会だと思う。
オカリナ行脚を始めたころには気がつかなかったが、全てが一期一会だと思えてくる。また来年も同じ様に彼岸花が咲いたとしても、それはこの年に咲くものとは同じではないはずだ。
再訪するデイサービスだが、これも決して同じではない。

 行脚とは「一期一会を積み重ねていくことかもしれない」そんなことを思わせる今回の行脚だった。
すっかり行脚が楽しくなってきた。訪問先を決める時、アポイントをとるのにとても緊張する。しかし、訪問した先で高齢者の方と一緒に過ごす楽しい貴重な時が、待っていてくれる。不審に思わず受け入れて下さることにいつも感謝だ。そしてオマケとして、「オカリナでボランティア。その地に生きてこられたお年寄りと一時を共にする」がメインだが、知らなかった地を散策できる楽しみも増えた。滋賀県は琵琶湖に占領されている所と思っていた。いやいや奥が深い。
 ツァーコンダクターのように、次の行脚計画を立てるのがとても楽しくなってきた。
さぁ〜次の一期一会が楽しみだ。オカリナ吹奏の一番の上達法は、人前で演奏を聞いてもらうことだと思う。練習をさせていただき、お年寄りの笑顔に触れることの楽しみ。一期一会の練習を重ねよう。

2008.09.29

    
       彼岸花人も燃えて一期一会   

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