|
♪ オカリナを吹こう (1)
「人は見かけによらぬもの」といわれるが、植物も見かけによらぬものである。
孟宗竹、破竹、ヤブツバキ、ウワズミサクラ、コブシ、ガマズミの、高木・小高木・低木が密に茂る薄暗い湿地帯で、私はそれに出会った。
雪に覆われた逕を進む。湿地の所々の雪が融け、流れをつくっている。ちらつく雪のなかを正ちゃん帽子の地元のお年寄りが、流れの木の葉やゴミを掃除しておられる。その植物を最初に見つけたのも、地元の中学生だという。地域をあげてその植物を愛くしんでおられる熱気が、雪をも融かすように伝わってくる。そして、その植物自身も、雪を融かし熱気を発する「見かけによらぬ植物」なのだ。
私には、雪の中を黒紫のショールで顔を隠す妖艶な美女のようにも見えるし、雪原を遊ぶペンギンのようにもみえる。が、これは厳かに僧が堂の中で座禅をしている姿で、そこから座禅草(ザゼンソウ)と名付けられた。
「夏の思い出」のミズバショウによく似た花だ。そして、私に大きな、「冬の思い出」を残してくれた花である。
昭和六十一年から「心と体の健康」を掲げ、地域に開かれていたカルチャーセンター「しが社会保険センター」が、平成二十年三月三十一日で閉鎖される。一連の年金・保険整理機構の整理計画にあがり、施設運営を停止されたのだ。千名以上の会員を抱え、地域に文化・健康を届けていた黒字の施設だったが、入札されて身売りされた。突然、会員や講師たちは路頭に迷うことになったわけだ。私はオカリナ講師として、そこで講師契約をしていた。一枚の「講師契約終了通知」だけで、歴史は閉じたのだ。
私はオカリナ行脚を決めた。オカリナを持って琵琶湖を一周し、私自身も原点に戻ってみようと思ったのだ。暗譜をして行く先々で、オカリナを吹かせてもらう。言うならばオカリナ虚無僧であろうか。
そして第一歩を「琵琶湖周航」の歌の発祥地であり、「自らが発熱する不思議なザゼンソウ」の群生地である(近江)今津から始めることにした。
今津は、前日六十センチの積雪だったとかで、軒下には私の背より高く雪が積まれていた。雪が壁をつくっていた。幹線道路は地下水を汲み上げ、流されているので雪はない。地下水は錆を多量に含み、道路の白線も石畳も、セピア色に渋く染まっていた。
「琵琶湖周航の歌」資料館へ行く。側が今津港だ。今津港でオカリナを吹きたいと思ったが、雪のちらつく寒い日だった。気温が低いとオカリナは音が出難い。演奏を諦め、そのまま旧街道を歩く。古い宿と湖魚の店が並び、炭火で鰻の焼く匂い、湖魚の煮る匂いが漂ってくる。造り酒屋の酒の香り、あつあつの大判焼きの匂い、昔懐かしい商店街の匂いの中に私は立っていた。幸せ感が、寒さを吹き飛ばしてくれる。
伝道師であり建築家のウイリアム・メルレ・ヴォーリズの建築物がたくさん残っている。そのヴォーリズの資料館にも寄る。彼は「建築物の品格は、人間の人格の如く、その外観よりもむしろ内容にある。」という。これも、みかけによらず中味を重視するということだろうか。和蝋燭の店や古いお寺、新しい建物が上手く調和している町である。昔話の中にいるような、大正期の洋風クラッシックの中にいるような気持になる。
雪が舞ってくる。突風がきた。華奢な傘が吹っ飛んだ。傘を駄目にしてしまった。そして、突風に向って無口に歩く。ふと種田山頭火の句が浮かんできた。
「雪ふるひとりひとりゆく」
このオカリナ行脚に同行してくれる者が何人かいた。しかし、それぞれに自分に戻ればみんな一人だ。
「雪ふれば雪を観てゐる私です」
自然体で行こうと思う。そして、降りしきる雪の世界は
「雪へ雪ふるしずけさにをる」という風情を私にくれた。
軒先の「落雪注意」の札を気にしながら坂道を登る。桜の巨樹に囲まれた自衛隊の饗庭演習場である。その先に、阿志都弥神社行過天満宮(あしづみじんじゃゆきすぎてんまんぐう)があった。注連縄が雪に濡れ、神木の樹齢千年余といわれるシイの巨樹が、幾千年の歴史を見守っているようだった。踏み乱されていない雪の境内と、その巨樹には自然に頭がさがる。厳かな「気」が漂っていた。しかし、古木になると老いの弱さか、数百年と言う山桜が、雪の重みで折れているのは痛ゝしかった。淡茶緑色や赤褐色に染まる新葉と、淡白紅色の花を咲かせる山桜を想い、折れた枝をそっと撫でる。
いよいよその植物の群生地に近づいてきた。竹林に群生していた。まるで黒紫の衣を纏って、雪の中を群れ戯れて遊ぶ、かぐや姫の子供たちのように思えた。
ザゼンソウは他に類を見ない珍しい植物だ。発熱するのだ。それが「植物もみかけによらぬもの」と言われる由縁であろう。自分で体温を精密にコントロールし、氷点下の外気温の変動にも関わらず、花器の温度を25度内外に維持できる植物である。体温を自立的に調節する恒温性植物なのだ。研究が進み、温度制御装置の開発などにも生かされているらしい。なんと素晴らしい命の保ち方であろう。群れ戯れていても、一つ一つは自分で自立し、自分で生きることに、巧妙な仕掛けと仕組みを持っているのだ。
「雪ふるひとりひとりゆく」一つ一つの座禅草は、力強く自分で生きているのだ。
私には、世に流され振り回され、恒温性を保つことなど至難の技だが、この「見かけによらない植物」から、感動とエネルギーを貰った。
吹雪いてくる。前が見えない。なにもかもが雪で滲み霞んでいく。ザゼンソウは懸命に熱を出している。私も強く歩んでいこうと思う。出来ることなら、自家能力(発熱)をしながら生きて行きたいものだと思う
野外では寒いと、「ザゼンソウシンポジュウム」が行なわれている会場で、オカリナを吹かせてもらった。私の体温も少し上がった。「アガッタ」のかもしれない。
山頭火は行脚をする。きっと旅はこうして、自分以外のものに触れられる喜び。挫折、人の情け、知識、厳しい自然、優しい自然、いろんなことを味わえるから歩くのだろう。それを感じたい、感じられるから歩き続けられるのかもしれない。
ザゼンソウは、そんなことを思う「冬の思い出」の、最初の一頁を飾ってくれた。
自らに熱をだしおり座禅草
日暮れの路 木村徳太郎
A線のような
電線を
風の弓が こすってた。
並木がアルト
ソプラノで
なんだか唄を うはせてた。
僕の靴音
シロホンは
冷たい路を 急いでた。
チユーバ 自転車
うなってゝ
腹にこたへる 日暮です。
木村徳太郎の作品(童話、論評、随想)を別頁「木村徳太郎=現在『伝書バト物語』『児童文学者の目より見たる』」に掲載しています。ご愛読下さい。
2008.03.01
|