来た道行く道通りゃんせ/風にのって花ひとひら

のんびりしたブログですがよろしくお願いいたします。

八月の歌

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

夏の思い出

イメージ 1

 思い出 
 「あ! ゆで卵!」孫の声に水遣りの手を休めた。
幼児の感性は素晴らしい。咲き残る明けがたのツキミソウとこれから咲き始める白いアサガオが、水撒きのホースから勢い良く描かれる孤の中で、ドッキングしている。
 我が家の白いアサガオは毎年自家生えで芽をだし、小振りであるがその白さは光沢を持ち白磁を思わせる。それはゆで卵の白身のような輝きだ。そこに消える月の雫のような儚さを持った、薄黄色のツキミソウが重なったのだ。
 「うぅ〜〜〜〜ん」私は唸ってしまった。正しく半切りゆで卵そっくりだ。この白さ、この薄黄色、毎日観ているが、ゆで卵とは思いもつかなかった。
 暑い数日を孫と暮らして随分楽しませてもらった。水遣りを一緒にする。陽の輪の中で放水すると虹が出来る。小さい虹大きな虹、自由自在である、手元の角度で二重の虹も出来る。「ばあちゃん。すご〜〜い」と手放しで褒めてくれる「魔法使いみたいだね」と言う。背丈と水量の加減もあるのだろう。孫がやっても出来ない。失敗の鉾先は私を水浸しにする。私も負けずに孫に水を掛ける。二人とも水浸しだ。
 二人して娘に叱られ、また二人で「キャッ、キャッ」と笑いあう。灼熱だ。すぐに服は乾く。幼子と過ごす暑い夏も良いものだ。そして、私の幼児期の一こまも重なってくる。

 暑い日ざしの降り注ぐボタ山を背に私たちはママゴト遊びをする。広い汽車の車庫で軌道に敷かれる石なのか、幾つも小石の山があった。夏の光りが頂きを照り返し、石は熱く水を掛けると湯気が出る。車庫から続くレールも暑さで光っていた。周りは草叢に埋もれ、虫が気だるそうに鳴いていた。焼けるレールに耳をつけると「熱気」の音が伝ってくるようだった。それ以外なにも聞こえないのにそうする事で、知らない世界へなにかが繋がって行くような気がした。
 ママゴト遊びの円陣に汽笛が響く。機関士さんが汽笛を鳴らしてくれているのだ。
あれは本当だったのだろうか。いや後で積み重ねた幻影だろうか。そんな風に思うことがある。私は本当にそんな危険なところで遊んだのだろうかと、そのあやふやな記憶に苛立ったりする。
 しかし二年前に、父の詩集を整理していて「これは汽車の沿線の近くの家だと思ってください」と(注)のついた作品を見つけた。(下段の木村徳太郎<硝子窓>)それを見つけたとき、あの幼児期の幻影は本当だったことに確信が持てた。
 あのママゴト遊びは本当だったのだ。ギラギラ照りつける陽射のボタ山から陽炎が昇っていたのは本当だったのだ。車庫に入ってくる、知らない所を旅してきた列車を、父の肩車でよく見た。あのとき石炭の煤が目に入り目医者へ急いで行った。顔に水しぶきがかかるのが気持良かった。しかし姉は、それは水ではなく尿だと言う。不思議だった。夜、線路を下駄履きで歩く音がすると聞かされ、お便所へ行けなくなった。二階の物干しから、夜汽車を父と眺める。父が「虫篭みたいだ」と言った。そんなことが鮮やかに浮かび上がってくる。汽車の車庫の近くに住んでいて、車庫が遊び場だったのに疑いは無かった。
 草叢からボタ山に伸びている花でママゴトをする。
私が始めて覚えた花の名前はアサガオとツキミソウの「ゆで卵」ではなく、それは「辛し」だった。
ボタ山にはそれしか生えていなかった。ボタ山を這い登るように小さい粒粒のオレンジ色の花をつけていた。名前を教えてもらうと<ヤブガラシ>だった。オレンジ色は祖母が練る辛子とよく似ていた。「辛ろおますけど、どうぞ召し上がっておくれやす」などと言い、葉に粒粒を乗せて遊んだ。子供のママゴトは擬似だ。まるっきり大人の口調を真似ては笑い転げて遊ぶのだった。私は<藪辛子>だと思っていたのだ。
 あれが、花に名前があることを知った始まりである。そして線路の怪談話を聞いたことが後に、小泉八雲の怪談に始まり、上田秋成、日本霊異記、今昔物語、そして水木しげるが好きになっていくDNAだったのかもしれない。そして、なによりもヤブガラシを藪辛子と勘違いするオチョコチョイも今に続いている。三歳までに人となりは形成されると言う。本当ではないかとも思える。
 大人になってヤブガラシは(藪をも枯らす)植物と言う事から、ヤブガラシだと知った。悪役の植物になっている。しかし私は、初めて出会った花のせいか、悪役には思えない。藪を枯らすということでは葛の方が優勢だろう。葛の蔓延りようはすざましい。人の入らない荒地や山林、空き地、電信柱のてっぺんまで這い登る。何もかもその濃い緑で覆い尽くす。しかし、葛の花は「秋の七草」とかに入れられ、優雅に万葉の女人の扇の揺れのように澄ましている。ヤブガラシは振り向いてくれる人も少なく、悪評の名前だけが汗粒のように零れているのだ。
 
 野の花の少ない都会のボタ山にも咲いていたヤブガラシは、田舎に引っ越し色んな花があることに巡り会い、少し色あせていった。 
しかし、ギラギラ照る陽射にヤブガラシを見つけると、なんだか切なくなる。どうしてだろう。
最初に出会った花が、もっと花らしいものでなかったことへの残念さだろうか。
幼児の私を思い出す愛しさだろうか。

  孫は大きくなったとき、何を思い出すだろう。ゆで卵? ばあちゃんの水浸し? 何でも良い。たくさん思い出して欲しい。そしていろんなことを積み重ね大きくなって行って欲しい。
 灼熱の中、ヤブガラシが汗粒を編みこんだようにして咲いている。思い出も編みこんで行く。最初に出会った贔屓目からか、ヤブガラシはまるでレース編みのように灼熱に踊る花だと私は思っている。
そして、粟粒のような小さな花は、花が終ると花より数倍も大きな実になる。その実は秋愁の趣を心地よく誘う。一粒一粒の実に夏の思い出を包み込んで、汗粒がぼちぼち引いて行くだろう。
 


硝子窓  木村徳太郎    
       
   硝子窓が唄をうたふ
   特急列車 普通列車 貨物列車の唄

   硝子窓は年がら年中
   うたってゐるから
   行儀がよゐ

   雨の日でも 風の日でも
   時間をきめて きっちりうたふ

   硝子窓は
   よく時間を守るから
   えらい えらい


 ママゴト  木村徳太郎    
       
  ゴヨウイガ デキタ
   ヒナタノ ニハノ
   ハナムシロ。
   マネク オキャクは
   ミンナナカヨシ トナリグミ
   オハヤク ハヤク
   カイランバンヲ
   マハシマセウ

   ケフハ セックヨ
   ソロッテ ゴチソウ
   アガリマセウ

八月の歌(野菊)

イメージ 1

夏 の 日々   
 八月六日、八月九日が過ぎ八月十五日が来る。
八月はお盆月であり、鎮魂の月である。心静かに黙祷をする日を重ねている。
 私の父は大正四年生まれ。余命を頂き戦地から復員してきたものの家は焼け出され妻を失い、生まれたばかりの私と五歳の姉と祖母(母)が、焦土と共に迎えた。その後の父の苦労は戦争体験を語っている暇もなく、生きることに精一杯だったのではないだろうか。そして、残された命に感謝しそれを無駄にしたくない思いで、懸命に声(魂)を張り上げていたのではないだろうか。父の死後、父が書き残していた詩や童話を見つけ、私の駄文を添えて本を出した。それが地方紙の記事に取り上げられ、それに目を止めて下さった見知らぬ方から「貴方のお父さんと同年だから」「貴方のお姉さんと同年だから」と本を購入して下さった。そして、その方々から<戦争の記憶(シベリア抑留)メモ>と、大好きだった戦死したお兄さんが教えてくれたと言う<歌>が送られて来た。

 私は、父からあまり戦争体験を聞くことはなかった。物心ついたころ遊び場の神社やお寺の境内で、軍服姿の手も足も包帯で巻いた人がアコーディオンを弾いているのを珍しそうに眺め、紙芝居を観るための五円玉をその人の破れ帽子に入れたこと。鬼畜米兵と描かれた鏡の前で髪を梳かしてもらったこと。そんな事が、わずかに感じる戦争の空気だった。送られてきた資料は私に現実をもたらした。「貴方のように文章には出来ない」からと、箇条書きのメモのようなものだったが、行間から肌に突き刺さるように戦争が入ってくる。写真も同封して下さった。その容姿は父のようにも思えた。存命なら九十四歳になっている父は、きっとこの方のような風貌になっているのだろう。姉と同い年と言う方は「父母の声」を教えて下さった。私はその歌を知らなかった。戦争は映画や物語で絵空事のようにしか知らなかった。一生懸命メモをし、一生懸命書いて下さったお手紙に、本を出した私へ、父や姉が代わって褒美を寄越してくれたのではないかと思えた。自分史などと言うものは自己満足に過ぎないとも言う。がこうして見ず知らずの方が読んで下さり、お手紙を下さる。そうしてその方達と一緒に昭和の世界に私はもう一度生きられたのだ。本を出して良かったとしみじみと思った。多くを語らなかった父が語り、何かを心にうち秘めていた姉が、昭和の時代を語り、戦争を語り、残った私に大きなものを与えてくれたと感じた。父が姉が語ってくれているのだと思えた。戦争を映画や書物だけでなく<身近な人>が話して下さる<力>に、私は身震いを覚えた。その力に私は。戦時中集団疎開の子供達が生活していた所だと聞いていた地元のお寺を始めて訪問した。住職さんの話に蝉の声が重なって行った。
 私の知らないあの暑い八月十五日が流れて行く。亡くなった方、悲話、苦労、そんなことに深く深く思いを沈め、私は黙祷をする。


 八月は祈りの月であり八月十五日は祈りの日である。イデオロギーに利用してはいけない。八月は祈りの日でありそして「命」の日である。そして伝えて行く日である。


         <父母の声>
       太郎は父の故郷へ
       花子は母の故郷へ
       里で聞いたは何のこえ
       山の頂 雲に鳥
       希望〔のぞみ〕大きく育てよと
       遠く離れた父のこえ
       太郎は父の故郷へ
       花子は母の故郷へ
       里で聞いたは何のこえ
       浦の松風 波の音
       生命〔いのち〕清しく生い立てと
       遠く離れた母のこえ
       太郎は父の故郷へ
       花子は母の故郷へ
       里で聞いたは何のこえ
       雲のすじ曳く荒鷲の
       夢も大きく羽ばたけと
       空の遥かで父母のこえ
       太郎は父の故郷へ
       花子は母の故郷へ
       鍬にさくさく土のこえ
       草も巌も語るこえ
       心雄々しく生き行けと
       遠い祖先の語るこえ

これは集団疎開をしていた子供達への歌ということらしいが、素晴らしい歌を教えられた。

     「戦争の記憶<シベリア抑留>メモ」抜粋
S23.6,18舞鶴港に入港 帰国 お袋の喜びよう 若くして、また妻子を国に残して。戦後不法にも酷寒のシベリアに強制抑留され自由を奪われ、飢餓と過酷なノルマーの強制労働を押し付けられて。異国で亡くなった戦友たちの無念が偲ばれます。これが戦争の悲惨です。戦争は絶対いけません。


「終戦記念日、原爆記念日」いろんな記念日がある。記念日などと言わないで、次世代に伝えておかなければいけない日がある。


今年も野辺に野菊が咲き出した。私は野菊に思う。
『講演会に出かけた。演題は(日記の中に見る人生)その中で少年兵の日記、手紙が紹介され私は涙を流した。
「僕は、桜や菊でなくて良い。母さんが、毎日耕している野良仕事の野辺の花になります」そう言って少年兵は飛び立って行った。
もんぺ姿で鍬をふるう母の姿が少年兵とだぶって浮かぶ。抜けるような秋空だろうか。耕す母のそばに野菊が咲いているのだろう。それとも彼岸花だろうか。どの花にしてもあまりにも悲しく胸を打つ。秋になると私の子供達は服にいろんな種子を付けて帰る。私が洗濯機に衣類を放りこもうとすると、「綺麗だから、置いといて」と言う。 確かに白いセータにミズヒキの粒々は赤いビーズ刺繍のようだし、センダングサは可愛い飾りボタンのようだ。 そのままハンガーにかけておいた。平和な時間だった。もう少し早い時代だったら、私は野辺の花になった子を持つ母であったろう。 母として、涙がとめどもなく流れる。秋の野を駆けて遊ぶ子も、特攻兵で飛び立つ子も母には愛しい子だ。』
「反戦誓わせる少年兵の日記」2003.10.10 上杉和子

 野辺に咲く野菊に身を代えた我が子と共に、鍬を振るった母ももうこの世には居られないだろう。しかし、私は野菊を見るたびにこの母子を偲ぶ。


 『猛暑が続く。いつもなら、大げさに冷蔵庫に頭を突っ込んだり「なんとかして、この暑さ!」とわめいているが、今年は黙ってこの猛暑を感じている。
今夏の初め「暑い暑い!水!」「のどから手が出るどころか体中から手が出ている。水が欲しい!」と帰宅するなりわめくと、夫がボソッと言った。「原爆の時はみんなそう言って死んでいったんだな」。
 広島生まれで広島育ちの夫から「水遊びをしていると、遠く西の空が真っ赤になり、次の日市内に行くと太田川が遺体で埋まっていた」とはよく聞かされていたが、いつも興味なく聞いていた。
 あまりの猛暑に「水!」と自分が心から叫んだ今夏、原爆を思った。あの時、人々は、手どころか髪の毛一本一本もが「水!」と叫んでいたのだろう。燃え、焦げている体。
「水、水、水」「水が欲しい」と亡くなっていった時代があったのだ。原爆投下の日がくる。今夏の私は暑さを感じて戦争を呪い、うんと汗を流し、そして生きていることを実感している。』
「猛暑に浮ぶ原爆の悲惨さ」2004.08.05 上杉和子

私はどこにでもいるごく普通の主婦だ。朝起きると家族の食事をつくり、空いた時間にパートに出かけ、少しの趣味も有りそれを楽しむ。友と語らい食事をし、お喋りを楽しむ。孫の成長を楽しむ。

しかし、忘れてはいけないことがある。正しく伝えないといけないことがある。この平穏さの意味を忘れてはいけない。
    
           野菊咲く山川母想い咲く
 

イメージ 1

ヤブカンゾウの花。別名「物忘れ草」という。でも私は忘れない、思い出は忘れない。


  光る  思い出
  
  夏休みに孫たちが遊びに来た。小学一年生の男児と二歳半の女児である。
蝉の鳴き声ばかりが響き渡る眠ったような老夫婦の庭に、灼熱の太陽をオレンジ色に吸いこんで咲き誇る花のように童らは生き生きと動きまわる。
兄のほうが「おしっこ」と、やにわに庭で放出する。シュウカイドウの大きな葉に「バリバリ」と音が飛んでいく。なにごとも兄の真似をする時期なのだろうか。妹も「ちぃっこ」と屈む。焼けた地面からゆらゆらと陽炎が上って行くようだ。
 「おしっこはお便所でしなさい!」娘の大きな叱り声が飛んできた。
孫と私は顔を見合わせ肩をすくめる。そんな私たちにサルスベリの花が、ほほ笑むようにホロホロと零れていく。

 小学一年生の私は、ベテイさんの顔の描かれたランドセルをカタカタ鳴らして駆けて帰る。カタカタと鳴る音が好きで、わざと身体を左右に振って駆ける。その音を聞いて乾物屋のおじさんが「お帰り」と顔を出してくれる。乾物屋さんの店先で、鰹節や大きな昆布が削られていく。それを飽きずに眺め、最後の小さくなった欠けらを貰うのだ。履物屋もあった。漬物屋もあった。魚の匂いが近づくと、私の家の近いことを知らせカタカタの音はますます大きくなっていく。

 「止まれ!」
 突然、隣りの眼鏡屋のおばちゃんが両手を広げて私を止めた。「銀奈良」という屋号で、なんとなくその文字が似合うような眼鏡をおばちゃんは掛けていた。その眼鏡がきらりと光った。「かーこちゃん(私のこと)屋根の上からおしっこしたらあかんやないの。前から不思議やと思って兄ちゃんが覗いてみたら、あんたらがおしっこしてた。『こらっ』て、怒ろうと思うたけど、もし驚いて屋根から落ちたら可哀相やからこらえたと、いうてる」「現場を見つけたからには許せへんで」「ばあちゃんには内緒にしといたるけど、これからはしたらあかんで」と、前よりもっと眼鏡を光らせていった。
 しまった。ばれていたのだ。
 叔父が八百屋と魚屋をしている二階が、私たちの生活の場だ。階下には三歳下の従兄弟がいた。私たちは大の仲良し、といっても私が従兄弟を子分のよう引き連れて遊ぶのだった。カタカタ鳴らして帰ったランドセルを放り出し、直ぐに商店街を駆け抜けて行く私を後から追いかけてくる。放り出したランドセルからクレヨンが零れる。バラバラになったものを従兄弟が拾い集め、元通りに納めるのに手間取った時には、私の名前を呼びながら泣きじゃくって待っていた。叔父は、そんな私をあまり快く思っていなかったようだ。
 おしっこのことがバレてしまったら、居候の私たち家族は追い出されるかもしれない。私は青くなった。

 二階へ従兄弟が遊びに上がってくる。遊びに夢中になると階下へ降りて行くのが面倒だ。それに便所は店の一番奥にあり、昼でも薄暗くてなんとなく怖かった。
 従兄弟がおしっこをしたいという。私は便所に降りて行かないで、二,三回屋根からしていた。「下まで行かんでもええ。屋根からしたらええ」と私がいう。
怖がる従兄弟の手をひいて、窓から屋根へ出る。屋根瓦の温もりが足裏に伝ってくる。
 二人並んでおしっこをした。従兄弟のおしっこは春の明るい陽を受けて遠くまで飛んでいった。私はそれが羨ましくもあり不思議だった。私がいくら力んでおしっこを飛ばそうとしても、それは屋根瓦を伝って行くだけだった。
 それがバレテいたのだ。しかし、おばちゃんは本当に内緒にしていてくれた。私は祖母にも叔父にも叱られなかった。

「おしっこはお便所でしなさい!」
 私は<前科>があるので孫たちを叱れない。良く飛んだ孫のおしっこの先に蝉の抜け殻があった。濡れて動き出しそうに思えた。蝉の抜け殻を拾って掌にのせてみる。透明のセルローズ色の中で光の粒子が走馬灯のように踊った。
 最近の子供たちは、近所の大人に叱られることはあるのだろうか。大人たちも叱ることをするのだろうか。あのとき「銀奈良」のおばちゃんは、しっかりときつく私を叱り、子供であった私を尊重してくれたのだ。約束を守ってくれたのだ。
「有難うおばちゃん! 」
 掌の蝉の抜け殻が納得するように少し動いた気がした。

 この春偶然にも、私は「銀奈良」という名前を耳にした。小学二年生のときに引越しをして以来訪れることもなく、再び口に上がることもなかった場所だ。
 臨床美術士の認定を取るために二ヶ月ほど大学に通った。全国から参加者が集る。そこで「奈良の八木町」から通ってくる人に出会ったのだ。商店街のことを聞いてみた。商店街は現在もあるという。そして「銀奈良」も健在だという。目を丸くして、一気に子供時代を喋る私に彼女がいう。「商店街は昔のように活気はない。寂れているよ。訪問せんほうがええわ。思い出の中に大事に入れておいたほうがええのんと違う」と、私の逸る気持を見透かしたようにいった。
「銀奈良」の眼鏡屋はいまでもあるのだ。あの時の銀奈良の兄ちゃんが、跡を継いでいるのだろうか。いやその子供だろうか。それとも孫だろうか。
 彼女がいうように訪ねない方がよいのだろう。口にあがることもなかった「八木町」の名を聞けただけで、私は確かにあの商店街で駆け回っていたことが立証された。それだけで良いのだ。心にふんわりしたものが広がっていく。「八木町」の地名を、二度と口にのせることがあるなどとは思ってもみなかった。
嬉しさが夏の力強い光のように溢れて行く。
「有難うおばちゃん」そして、偶然に出会った八木町の彼女に、私はそうっと頭を下げた。
商店街がいくらさびれても、思い出は私のなかに大きく輝いている。遠くへ放たれたあの光の筋のように光っている。

    
           くわんぞうの陽射しに散ることなき思い  

2008.08.13


今回は木村徳太郎の詩を投稿しないで、「木山捷平」さんの詩をお借かりした。


      「男の子と女の子」       木山捷平

       そら
       ええか
       一、二、三……

       わしと
       とみちやん
       石崖の鼻にならんで
       ふるへながら小便ひつた。

     わしの小便と
     とみちやんの小便
     二本ならんで
     芋の葉つぱへばりばり落ちた。

    「とみちやん、わしの方がちつとよけい飛んだぞ!」
    「そら、あんたのはちつと突き出とるもん」
     山も
     野も
     あかるいあかるい月夜であつた。



 「わしととみちゃん」は、私の孫たちのように兄妹なのだろうか。
それとも、飛ばしあいっこをした私と従兄弟のように、仲良し関係なのだろうか。
可愛くてとても楽しい詩である。ほのぼのと温まる詩だと思う。
私は、あの八木町のとき以来、男の子と並んでおしっこをしたことはない。
「あかるいあかるい月夜であつた」
月まで届くほど一度飛ばしてみたいものだ。

イメージ 1

  ポラーノの広場  
  
  「野はらのまんなかの祭のあるとこだろう。あのつめくさの花の番号を数えて行くというのだろう。」
(白いつめくさのあかり)(それに番号を付けて行く)。
宮沢賢治の「ポラーノの広場」の、このつめくさに番号を数えて行くという場面が、子供の頃から私は大好きなのです。
 私は、私の庭に大好きな「ポラーノの広場」「つめぐさの灯かり」が欲しくなり庭にクローバを植えました。
狭い庭のなかほどに、直経60cmほどのクローバの小さい野原をつくったのです。
 小さくともちゃんと、てんとう虫も蝶々も来ます。そして、シロツメグサが咲きました。
 シロツメグサは、ポラーノの広場の、あの「小さな蛾の形の青じろいあかりの集りだよ」と、おなじようなそんな花が咲きました。よく観察すると、花は白磁のように輝き、一つ一つは豆の花のようですが、たしかに灯かりをつけたように真ん中が薄赤い、シロツメグサが有りました。
それは、「蛾の形の青じろいかたまり」でありましたが、艶かしく輝き、その豆のような花のひとひら、ひとひらが、自己主張する灯かりの粒子のように見えました。
 私はそのシロツメグサのあかりを、一本二本と摘んで首輪を編んで行きます。
遠い昔、女の子達は、これを繋いで行って縄跳びの縄にしました。冠にしました。冠をおかっぱ頭に乗せると、牧草の匂いが仄かにしました。
私はシロツメグサに灯かりが灯され、其の仄かな匂いの中に、ポラーノの広場を夢見ていたのです。
 少し大きくなると、シロツメグサから四葉のクローバを探す女の子になりました。広い野原で競争をして四葉を探しても、なかなか見つけだせませんでした。 
 幸福(しあわせ)を見つけるのは大変なことなのだと、子供心にも思ったものでした。

 夕立のあと、私の庭の小さなクローバの野原は、雨粒の宝石を沢山ため、青々と重たそうに倒れていました。
あまり伸びすぎたクローバーは、風通しがよくありません。一度、牧草刈り(クローバ刈り)をしてみようと思いつきました。
 そのまえに、四葉のクローバがないか念のため探してから刈ることにしました。草刈鎌を脇におき、昔懸命に四葉を探したあのときの乙女のように、膝をつきました。

   ウワオー!!

有りました。 有りました。 有ったのです。
そして・・・・・・
 なんと、3枚の葉の普通のクローバ。その3枚の1枚が、半分に分かれようとした形のもの。そして4枚の葉も、5枚のクローバもあるのです。

  私は、新発見をしました。
 クローバーが三枚葉から四つ葉になる手順をみつけたのです。
これは「植物学の博士になれて、ノーベル賞をいただけるかもしれないぞ」なんて、目を丸くし、飛び上がってしまいました。ほんと! 心臓がドキドキしました。

牧草刈りなどほったらかし。急いで植物に詳しい知人に電話をしました。
「最近は園芸用で四葉ばかりのクローバが出まわっている。きっとそれと混ざったのだろう」ということでした。    なぁ〜んだ。

 私は小さい「ポラーノの広場」を刈るかどうか迷い、草刈鎌を「カチカチ」と鳴らしました。そして、気が付いたのです。納得したのです。

    幸せの四葉のクローバとは・・・・。

 一枚の葉が二枚に分かれ、二枚の一枚が半分に別れ三枚に。そして三枚、四枚、五枚と分かれていく、
 幸せも、きっとこうして生まれていくものではないのでしょうか。
 一つの幸せの灯火が、だれかにお裾分けができ、順番に人々に増えて行く。
幸せが人々の心に渡って広がって行く。
 一つの小さな幸せでも誰かに繋がり、影響を与え、膨らんで行くのではないでしょうか。
私も、そうして幸せを分けていけるようになりたいと思いました。
私の心に「ポラーノの広場」の灯かりがともりました。
 

    
       夏の露朝のひととき幸ひかる   


2008.08.07(立秋)




      木箱の畠       木村徳太郎  

       つくろよ畠

        ととんと

        四角な箱を

        木の箱を。


        出来れば土を

        こんもりと

        盛ってうえましょ

        茄子の苗。


        植えれば日向に

        出しませう 

        やがてたわゝと

        みのりませう。


      
        ここは住還

        道の端

        木箱の畠に

        茄子も咲く。

花茗荷

イメージ 1

花茗荷と朽葉



厳しい夏の陽射しの中を、今日も花は力強く咲いている。花をみていると、その花の中に、子供だった。乙女だった、成人だった。と、通り過ぎて来た色々な時代や場所が、自分の生きて来た記録のように浮かび上がってくる。鮮やかに見えて咲いてくる。開いてくる。

ふと思いだす花の思い出・・・・。それは心の記録・・・。
備忘録としてそんなことを綴っていきたいと思う。


そして、新たにまた、この夏も一つ花が咲いた。





   花茗荷 と  人形

渓流に鮎つりをする人影、迫る杉木立。花折れトンネル。寒風トンネル・・・

名前が、自然のなかに膨らんでいく。車の窓を開けると岩に砕ける水しぶき、重なる青緑の木々、陽の

光がそれぞれ粒子のように重なり合って入ってくる。


縁があって93歳と89歳のご夫婦の実家の掃除を手伝うことになった。

渓流に蛍が乱舞し、紅葉のころは心も体も赤黄金色に染まるという。しかし、冬は雪に閉ざされ生活は眠

ってしまう。生活は山を中心に炭を焼き、柴(薪)を作り、花を作りそれを現金に替え、糧は自給自足。

山の成木は、子供の教育のために町に別宅を持ち、次世代のために使われる大切な財産で、木々を子育て

と同じく大切に育てたと言う。しかし、子供たちに帰巣する考えなどなかった。ご夫婦の子供さんたち

も外国生活で、もう何十年と日本に帰っておられない。山の木だけが静かに語りかけている。


高い天井に保存した竹や木が囲炉裏で煙に燻され、飴色に染まる。防虫効果も加わりその素材はもてはや

され、雪深い道をかきわけ業者が買い付けに来たという。私には想像もつかない遠い遠い昔の物語のよう

な世界である。

300年は経っているという部屋の真ん中の、太い柱に手をおき耳を当てると、知らない古人(いにしえび

と)の息遣いが聞こえてくるような気がする。根無し草で転居をくりかえしている私には、こうして個人

の家が300年も現存する事に驚く。代々の人たちが少しずつ手を加え、生活がしやすいように改良されて

現在の姿に成ったという。

 ご夫婦は早くから町で生活しておられ、この家はいつしか独居老母だけになり、80歳までこの家を守

っておられたが、最後は施設に入られ102歳で亡くなられた。

そうして今、この家はご夫婦が守っておられる。若い時はこの自然豊かな地に帰ってくるのが、故郷

に帰ってくるのが誇らしく家の守りも財が許す限り可能で、心地よい責任感もあり張りがあったという。

しかし、自身たちが介護保険をうけ、身体も思うように動かなくなると、家の守りは厳しくのしかかって

くる。冬は雪囲いをしに、紅葉に目をやる暇もなく作業にはいり、雪下ろしは人に頼み雪解けに訪れると

家のあちことが痛んでおり、庭に鹿や猿や熊や猪の糞だけが散らばり物悲しいという。家は生活の息き遣

いがあってこそ朝日に歌い、月に安らぐのであろう。現在済んでいる住宅とこの代々の家を維持していく

のは並大抵ではないだろう。

人間の終末は福祉という形も有る。お二人にとってはこの家は心の支えでも有る。しかし、心の支えにま

で福祉の手は届かない。

腰を丸くして久しぶりに訪ねる家の鍵を嬉々として開け、戸を開け放って風を入れられる。

その動作には普段見ない、生き生きとした顔が伴なっている。


しかし、私は「ギョッ」とした。

飾られている日本人形の顔に黴がきているのだ。目の悪いご夫婦は、気がつかれていない。

私はこっそりとテイッシュでその黴を拭った。恐かった!。

今年の長雨は、長く締め切った家に、人形の顔に、黴をつれてきた。


屋敷の周りには茗荷が増え続け、みわたすかぎり茗荷で溢れている。

誰も採集する人がなく、<茗荷の子>は淡黄の淡い花をつけていた。

花は一日で萎むらしいが次々に咲き、朽ち葉の上に清らかに伸びて咲いている。

土の匂いと、力強く咲いている花は、静かに千年の歴史を語っているように思えた。


実を言えば、茗荷好きの私が、茗荷につられてそれを報酬に掃除を引き受けたのだ。

その昔、お酒好きの父は自分で酒肴(しゅこう)を作っていた。茗荷に味噌をつけ少し焼く。千切りにし

て鰹節を天盛りにする。私は小さいころからそんなものが「変な子ね」と言われながら好きだった。自宅

の庭にも少し植えているが、それは私の食には足らず店で買い足してまでも食べたいほどの茗荷好きだ。

茗荷を食べると「物忘れがひどくなる」という。いつも家族にそれを指摘される。


採っても採ってもいくらでも有る茗荷を摘み、私は少し不思議な気持になってきた。

人間も、形有るものも、朽ちる運命にある。しかし、次の世代に「送り続ける」ということはどういうこ

とだろうと、考えてしまう。

山から風が吹いてくる。この風はこの家があった300年前と同じ風が吹いているのだろうか。出来る事な

ら忘れて欲しくない。いつまでも、この家が続くことを願う。

しかし、山の風はささやいた。

「アナタ(茗荷)をいただき、私は全てを忘れて朽ちていきます」。


報酬のビニール袋三杯の茗荷は、柴漬けになって毎朝私を喜ばせている。丸ごと茗荷の柴漬けだ。あまり

の美味しさに、「何もかも忘れる」。

しかし、今後茗荷の花を見ると、あの黴のきた日本人形が重なることを、私は忘れられない。




      泣いている雷さま              木村徳太郎   「楽久我記」ノートより




                背戸の葛城
                つらなる山山。

                山を除けよと
                雷さまが

                七色染粉の
                でっかい壷を
                疏忽なされて
                踏んづけられた

                壷は潰れれて
                高野へかけて

                紀の川よりも
                長い虹がでた。

                背戸の葛城
                つらなる山山

                未だ泣いている
                雷さまが。



2006.08.25

♪「弘ちやんは生きている」1〜7はブックマーク(ご挨拶)にまとめて入れました。
 
 これからもよろしく愛読、ご指導をお願いいたします。また休み中も御出でくだり感謝でいっぱいです。更新もなかなか進まないブログですが、よろしくお願いいたします。

全1ページ

[1]


.
花ひとひら
花ひとひら
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
友だち(7)
  • あるく
  • ハマギク
  • ++アイサイ
  • まんまるネコ
  • 吉野の宮司
  • plo*er_*un*yama
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
10/31まで秋の行楽キャンペーン実施中
衛生対策製品クレベリンの姉妹ブランド
クレベ&アンドハンドジェルが新登場
今だけ。お試しキャンペーン実施中!
抽選で150,000名様に当たるチャンス!
マツモトキヨシで期間中何度でも使える
100円引きクーポン<Yahoo! JAPAN>

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事