来た道行く道通りゃんせ/風にのって花ひとひら

のんびりしたブログですがよろしくお願いいたします。

九月の歌

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虫の話

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マツムシ草
 

 草叢に落ちる陽射が柔らかくなり、首筋を爽やかな風が通りぬけていく。合歓の大木にニイニイゼミが鳴いている。夏? 秋? 夏と秋がせめぎ合い綱引きをしているのだろう。
 夜は秋が大勝だ。
煌々と月に照らされた草叢から、湧き起こるように虫の音が響きだす。その風情に夏の余韻も消えていく。
しかし暫らくしてその鳴き声があまりにも騒々しく、夏を蹴散らし我が物顔で鳴いているようにも思えてきた。
 半月ほど前には、クマゼミが喧しかった。朝早くから「シャカシャカ シャカ」と寝床から私を強引に引きずり出し、暑苦しさをかぶせるように鳴きたてていた。どうしてか、例年聞き慣れているアブラゼミの鳴き声が少なかった。アブラゼミは名前からして(油の熱さ)を感じるが、クマゼミのような厚かましさはなく、「今日も暑いですよ。お機嫌いかが」と、朝の透明な空気の中をさぐるような、慎ましい謙虚さがあった。また一日の厳しさを抜けた夕凪の中を、ヒグラシゼミが「今日もご苦労さん」と労ってくれる。しかし、これも今年は二、三回しか聞いていない。
 我が家の庭に、何か異変が起こっているのだろうか。
クマゼミは本来、南国生れの外来産が日本に居着いたと言う。秋虫の騒々しさも、暖冬化の影響だろうか。万葉の時代から奏していたものに加え、聞き慣れていなかった南国産の虫も加わって鳴き(喚き)通おしているのだろうか。「ガーガー ジャカジャカ ゴーゴー」と鳴き立てる。昔の野もこんなに騒がしかっただろうかと、その騒々しさに体が沈みそうになって首をかしげる。

 虫の鳴き方にも、いろいろある。「ほんなき・さそいなき・あらそいなき」(ひとり鳴き、くどき鳴き、脅し鳴き、とも言う)虫の鳴き声は人間の言葉と同じで、意思を伝えるためにいろいろと上手に使い分けて鳴く(虫も人も同じなのだ)。
 エンマコオロギの本鳴き(ひとり鳴き)は「コロコロリーリーリーリー」と鋭く透き通る声で鳴いて自分の位置を知らせ、同性にテリトリーの誇示と異性を誘い込む効果を発揮する。誘い鳴き(くどき鳴き)は、「コロコロリーコロコロリー」と控えめに優しげに鳴く。きっと♀が側にいて愛を語るプロポーズなのだろう。脅し鳴きは「キリキキリキリ」と激しく複雑な声で鳴き、縄張りに同性が侵入して、♀の奪い合いになる。戦いに勝ったときには「勝ち鳴き」もあげるようだ。
このようにそれぞれの虫が、それぞれの鳴き方で鳴きだすのだから、賑やかになるのは頷ける。(私は台所の隅のほうから「コロコロコロ」と、もの寂しくか弱く鳴くコウロギや、「チンチンチン」とリズミカルに鉦をたたくカネタタキが好きだ。そして、「くどき鳴き」が好きだ。秋の夜長に、人では不可能なので、虫に口説かれた面持ちで聞き惚れているのだろう)。

 そんなことを思っていて、我が家は虫の来訪が多いことに気がついた。
 この夏に帰郷した孫の女の子は、私が抱っこをしようと腕を広げたとたん泣きだした。大きな土産袋を両手に靴を脱いで上るなり、なんとミツバチを踏んだのだ。泣く孫とおろおろする私に、娘が「針を抜いたからもう大丈夫、大泣きしたら体に毒が廻るからね」と諭している。これはそっくりそのまま、過って私が娘を育てていたときの姿だ。(なかなか親の貫禄がでて来たものだと思う)。
就寝中にムカデに噛まれまた大泣きだ。これはキンカン(塗り薬)を塗るだけで治まった。それにしても柔肌の女の子ばかりを狙うとは、虫も油断がならない。
男の子の孫の方はハチの巣を見つけた。バッタを見つけカマキリが振り上げる斧に驚き、爺ちゃんと虫篭を買いに走った。網戸にセミやカブトムシが光りを求めて衝突してくる。トカゲもいる。もちろんアリの行列も。黒アゲハも飛んでくる。ヤモリが台所の窓に丸い吸盤を映して、カを捕まえる。夕立が通り過ぎれば、小さなカタツムリやミミズが草叢から出てくる。ダンゴ虫も、トンボもカナブンもクモもいる。
 危険な目にあいながらも、我が家を恐がらずに孫たちが帰宅してくれたのは有り難い。
 その嬉しさが置き土産になって私の胸に残る。
もう一度その置き土産を開けてみよう。 

 昼に砂糖蜜を塗っておいた木に、集ってくるクワガタやカブトムシを期待して夜に捕まえに行く。漆黒の闇の中を一列に並び虫篭を期待で一杯にして、手探りで進む。いきなり懐中電灯に照らし出されて、浮かび上がった甲虫類の角は勇ましかった。子供たちが部屋に、カナヘビ(トカゲ)を持ち込んで競争をさせる。カナヘビはそのまま家具の隙間にもぐりこみ、忘れたころに私を飛び上がらせた。天井裏にトックリバチが巣を作った。天井裏へ煙の殺虫剤を置く。階下の一部屋で家族が固まって震えた。壁の中を伝い、凄い羽音をたてハチが降りてくるのが分かるのだ。その羽音で家が揺れるようだった。後には綺麗な巣が残っていた。洗濯機に衣類を入れるときは、カナブンが入っていないか確かめる。ユズボウ(柚子坊)の大きな目と睨みあいそれがクロアゲハになるのを学ぶ。カマキリがTVの上で、映像に合わせてダンスをしていた。長男を叱って外に放り出したとき、ドアーを叩いて泣く。「ムカデに噛まれた」。それを聞いた長女が「マムシに噛まれた」と聞き、「死ぬ!死ぬ!お母さんのバカ」と泣き叫び、私を怒る剣幕には驚いた。マムシと言えば、私の入院中に夫がマムシを捕まえて吊るしておいた。「お父さんとても格好良かった」と子供達は、その捕獲物語を上気して退院してきた私に語るが、胆を潰した私はまた寝込んでしまった。フエンスに絡まる蛇を握った子もいる。トンボやチョウを追いかける。オンブバッタを離そうとする。部屋の隅に毒々しい朱赤でヌメヌメしたものを見つけ悲鳴をあげたが、それは私の小さい時にも池に泳いでいたイモリだと分かると、心を落ち着かせ「生き物には大切な命があり、むやみやたらに自分勝手に持ち帰らない」と、急いで池へ返しに行かせた。しかし、怒ってばかりいる母親も、実は子供のころ虫と遊んだのだと見抜かれてしまった。ケムシにも刺される。チャドクガの針が風にのって洗濯物に刺さる。それを着ると針が体に移るのだ。蚊に刺されるどころではなかった。
虫だけはない。ヘビもいた。イタチが屋根裏を走っていた。コウモリもいた。タヌキもキツネもいた。ホタルも飛んできた。セミが這い出た穴は、庭に見事な点描模様を描いていた。
 我が家には、沢山の生き物が生息していたのだ。(いまは見かけなくなったものもいるが) 子供たちや孫は、小さな命に興味を持ち大きくなっていく。これは幸せな体験だろうと思う。騒々しく感じる外来産のセミであれ秋虫であれ、懸命に命を繋いでいる。そんな虫たちに囲まれ、生活の出来ることは有り難い事なのだろう。そのことに気がついた。
 そうして、もう一つにも気がついた。
人間に住む虫だ。人間の心に生まれ巣喰う虫だ。泣き虫・弱虫・怠け虫・怒り虫・浮気の虫に遊び虫……。
 庭にこんなにたくさんの虫がくる。なにもこれ以上、虫を増やすこともなかろう。
外からやってくる虫の侵入は、私の力では止められない。しかし、人に巣喰う虫は自分で選り分け止められだろう。増やさなくともよい虫は侵入させないことにしよう。

 置き土産の袋が、そう語っていた。


     一心に鳴くちちろ虫探す宵

九月の歌(萩)

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   お萩おはぎお爺さん  
 
 「自分史を書く講座」で、出会ったお爺さんの話です。
 体験発表をするお爺さんは、自分が話していることに感極まったのか、声を詰らせて話が前へ進まない。私はハラハラして「頑張れ、頑張れ」と心の中で応援する。無事に話し終えられたときにはほっとして、思わず「良いお話でしたね」と、お爺さんの手を握っていた。すると、お爺さんはまた泣き出して、「綺麗な人やね」と言われる。
 「綺麗?」。それは見当違いであるが、私はすっかり嬉しくなり、そのときからお爺さんの大ファンになってしまった。私より三十歳近い年長で、父親のようだと言うべきなのだが、小柄で少し腰の曲がりかけている容姿は、私を孫のような思いにさせる。
 お爺さんは元特攻隊員で、生き残っていることに負い目を感じておられ、残った者の使命とばかりに愚痴を言わず、奉仕の精神で何事にも一生懸命に尽される。私はその姿に尊敬と同時に驚きの念を強くした。

 講座の作品展があり、お爺さんは会場の留守番役をしておられた。行楽シーズン前の彼岸の中日は、京都の町を人々で溢れさせ、会場のある五条通りは大混雑で、私は何台もバスを見送らねばならなかった。
お爺さんと約束をしていた時間が、大幅に遅れた。遅刻はお爺さんの昼からの予定を狂わせることを知っていたので、恐る恐る会場に足を入れると、
「えらい日に来てもろうて堪忍な」と逆に謝られ、「あんたになぁ、お萩を食べてもらおう思うて持って来てるんえ」と、美味しそうなお萩をお皿に出して下さった。お爺さんは古くからの和菓子屋さんで、本人の手作りのお萩だった。
 会場は他に訪れる人も無く、一筋離れた五条坂の喧騒が嘘のように静かだった。優しい秋の日差しが薄絹のように部屋に入り込み、皿の上のお萩を柔らかく包んでいた。
 和菓子屋を始めたころの苦労話を、お爺さんがポツポツと話される。なんだか秋日和の縁側で、金木犀の匂いに包まれて聞いている昔話のように、心が和んできた。お萩はお爺さんそのままの優しい味がした。故郷を思い出させるような味がした。どこかでこんな時間があったように思えた。
 そうだ!この味と同じお萩を食べたことがあった。

 都会から田舎の神社に赴任した神官の父と村の人は意見が合わず、よく反目していた。そんなとき、いつも父を擁護して下さる奥村のお爺ちゃんがいた。お爺ちゃんは、父の薄給では「満足なもの」を、母親がいないので「手料理」を食べることがないだろうと、父の後ろに隠れるように着いて歩く私に、いつもご馳走を出して下さった。その中に里芋入りのお萩があった。ホコホコの里芋とねっとりした糯米(もちごめ)が混じり合い、そこに甘い粒々の小豆の餡子が絡まり、それは美味しかった。
私は、それを幾つも幾つも食べて父に叱られた。「どうして里芋が入っているか分かるか」、と父が聞く。「うん、美味しいからや。もう頬っぺたが落ちてしもうた」と答える私に、「違う。糯米は大事な貴重品や。それを補うために里芋で量を増やしているんや」と父が言う。私はあのとき、きっと奥村のお爺ちゃんの分まで食べていたのだろう。お爺ちゃんの所よりもっとお金持ちの家は沢山あった。もしかして、お爺ちゃんの所のお萩だけに里芋が入っていたのかもしれない。
 私も時々お萩を作る。懐かしくなって里芋を入れることもあるが上手に出来ない。舌が味を覚えている筈なのに、同じ味には作れない。きっと、味覚は味付けだけではなく、その時の情景、雰囲気、気持ちなど総てを含んで作られているものだからかも知れない。
 
 お爺さんが展示作品を背にして、ニコニコと私の食べるのを見ておられる。自分の孫のように優しくして下さった、あの奥村のお爺ちゃんと重なった。
お爺さんは、「苦労しても、嘘はついたらアカンよ。真面目が一番。いつもお天道さんが見たはるから」と、自分の今までの苦労話に重ねて言われる。そうだ。昔、奥村のお爺ちゃんもそう言っていた。「嬢ちゃん、大丈夫。 お天道さんが見たはるから」と…。
私は零れそうになる涙を飲み込んだ。孫のように「うんうん」頷いた。甘塩辛い味が、涙と一緒に喉を通って行った。
 私は、あの優しい奥村のお爺ちゃんや目の前にいるお爺さんやいろんな人に見守られ、そして、お天道さんに見守られて、真っ直ぐに生きてこられたのだろう。
 萩の花が咲いている。花びらがハラハラと零れ落ちる。「お天道さんが見てはる」「真面目が一番」。死語になったような言葉が、私の胸の中にもハラハラと、萩の花のように落ちていった。

    
      萩の花散り零れゆき想い咲く  


2008.09.20

     
          よい月夜       木村徳太郎  
 
          こんな月夜の
          藁砧
          とととん とんと
          誰が打つやら 叩くやら。

          月もまるうて
          嬉しゆうて
          渡る雁めも
          啣へ木で、

          お叩きなされ
          白銀の月
          冴えた音色が
          致しませう。 

          こんな月夜の
          藁砧
          とととん とんと
          誰が打つやら 叩くやら。


        

九月の歌(満月に)

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タカサゴユリとウバユリ

     (たねのたび)  
 
 高層マンションのベランダに渡ってくる風は色をつけるとしたら淡いグレーであろうか。我が家の庭に渡ってくる風は緑かな? そんなことを思いながら、象の玩具のジョウロから勢いよく水を放つ。象の鼻から、小さい水滴(みずしずく)が真珠玉を繋げたように、幾筋も弧を描いていく。
ベランダには、「公園で拾った種なんだよ。番号がついていないから、僕が持って帰ったんだ」と、孫が拾って鉢に埋めたものが芽を出している。「番号がついていない」と顔を輝かせて語る孫に、私は宮沢賢治の世界を思った。ベランダに「ポラーノ」の緑の風がグレーの風に交じって流れて行く。母親は「柿の種で誰かが食べ散らかした後の産物」と言うが、それをポケットに忍ばせ、ワクワクしながら持ち帰えった少年の姿が愛しい。その横に、夏休みの観察日記の朝顔が並んでいる。(私の子供のころにもこれはあった。)起きぬけに挨拶する赤や青色の「自分の朝顔」は、夏の休みを一番に感じさせてくれた。昼寝あとの日差しの中で、花は色水遊びに使われ花色に染まり、服を濡らして遊んだことなどが弧を描く水滴に、陽炎が重なるように昇って行く。
青いプラスチックの鉢とプラスチックの支柱の中で、朝顔は咲いている。この青い鉢は、私の近所の小学校の校庭にも並べられていた。どこの小学校でも夏休みには朝顔観察の学習がなされているのだろうか。(いつ頃から、この夏休みの朝顔観察は始まっているのだろう)そんなことに思いを巡らしていて水やりの手が止まったのか、不審に思った孫が、「婆ちゃん! 朝顔の種が欲しかったらあげるよ」と大きく言う。朝顔は、セピア色に何粒かは蔓に抱かれている。薄皮をめくると黒い種が出てくる。採集した種は、夏休み後に回収され来年の一年生の朝顔観察に使われるそうだ。その数粒を孫は私にも分けてくれると言う。私は大喜びだ。と言うのも、我が家にも朝顔は咲いているが、ここ数年種を蒔いた事がない。手を加えずそのまま放っておけば、零れ種で毎夏花を咲かせてくれる。しかし、それは元の赤色や水色を忘れ白色ばかりになっていた。自家栽培を繰り返すと、花は先祖帰りをするのか白色に戻ってしまうようだ。
 夏の早起きは、露の含んだ露草のような一瞬の匂いがする。白い朝顔の上にもそれがあった。私は種を蒔かないだけではなく、横着を重ね添木もしていない。朝顔は頼る物がなく地面をはうように蔓をのばし広がっていた。広がった白い朝顔は、朝露に濡れた足元を、まるで白雲のように包んでくれた。しかし、これは私が庭の手入れを怠たっている証でもあり、後ろめたい気もしていた。孫の朝顔は涼しげな紫紺色と赤紅色だ。来年は我が家の白色の中に、この色が加わる。嬉しいことだ。私は間違いなく来年は朝顔の世話をすることだろう。
 夏空と秋空が行き会う。
太陽と競うように咲いていた夏の花が、九月に入ると枯れ急ぐ。私は、アオバナの種を配ける約束を、していたことを思い出した。新聞の「読者投稿欄」にアオバナのことを書いたことがある。そのとき何人かの人が、私の住所を頼りに電話をしてきたり、投稿欄の係りを通じて種を所望してきたのだ。アオバナはツユクサを大きくしたような花で、青いフリルを寄せて夏の雫を思わせるように朝露と競う。しかし、これも零れ種になって庭に増えていったものだ。青い露の零れを見てはいても、どんな種かは知らなかった。種を採集してみた。朝顔のように黒い小粒の堅い種だ。こんな堅い種から、薄く儚げなげな雫の花が咲いていたのだ。種に秘められた深いエネルギーと神秘さをみる思いだった。アオバナとの繋がりも神秘さを乗せ、知らない送り先で青色の雫の夢を咲かせるのだろう。
 夏と秋の行き会う少し紫色がかった空気の中を、こうして数々の種が旅に出る。来年へと夢を乗せて旅に出る。人の衣服に忍び込み相乗りをして旅にでる種。足元に零れ「近安旅行」をする種。花嫁のベールのように軽やかに嫁ぐ種。(高砂から嫁いできたタカサゴユリ)年老いて、身軽になった我が身を楽しむような種もある。(姥と言う名のウバユリ)種の旅ラッシュが始まりだした。
私はどんな旅をしようか。やはりウバユリの旅だろうか。植物学の牧野富太郎博士が、花の咲くころに葉がないことから「手塩にかけて育てた児どもが成人した頃には、母親はもう歯のぬけた姥なのにたとえられ、この名がついた」と書いておられる。なんとなく我が身につまされる。しかし、これは懸命に幼君を育てた一徹な乳母のようにも思える。派手さのない白い花を咲かせ、謙虚なふくよかな匂い。好きな乳母(ウバ)の花である。
http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/35147737.html(花の姿)
 この花の極め付きは「死骸にすら独特の美」と言わせる、すらりと気高く立つ秋色の中の枯れ姿であろう。沢山の種(子供)を育てあげ軽やかに消えゆく潔い姿であろう。
ウバユリの枯れ姿を見つけると、私はいつも持ち帰り活け花にする。気が付いた時には、種はもぬけの殻になっている。あちらこちらに、夢を運んでいったのであろう。
いろんな種が稔る季節になった。種は次世代への夢をのせる。朝顔の種もアオバナの種も花野の種も、来年へと、とりどりに夢を運んで行くのであろう。
彩なす花野から静かに旅立ち、秋虫のオーケストラと柔かい白露に迎えられ、種は今ごろどこかで旅の疲れを癒しているだろう。
 花野の歌が聞こえる。種の歌が聞こえる。九月の歌が聞こえる。

 
      土にこぼれし 草の実の

      芽生えて 伸びて 麗(うるわ)しく

      春秋飾る 花見れば

      神の恵みの 尊しや


(昭和23年に神社本庁で作られたお歌で、祭祀舞のなかの一曲で「乙女舞」とも言います)
    
    姥の種花野彩より旅立ちて月の満ち欠けともなる命  


2008.09.14(十五夜)


     
          秋と婆さま       木村徳太郎    

         くるくる
         落ち葉の
         糸車。

         秋の婆さま
         まはしてござる。

         もうすぐ
         時雨で
         寒うなる。

         はよはよ紡げ
         ぶんぶんと。

         落葉の糸屑
         糸車

         秋の婆さま
         まはしてござる。



          十五夜       木村徳太郎 
 
         うさぎ うさぎ
         ロケット かせよ
         十五夜の晩だ。
      __月の御殿に
         行きたいからなぁ。

         うさぎ うさぎ
         銀の杵 かせよ
         十五夜の晩だ。
      __たらふく団子
         くひたいからなぁ。

         うさぎ うさぎ
         ロケット かせよ
         十五夜の晩だ。
      __子供でみんな
         行きたいからなぁ。

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