|
朝夕めっきり冷え込んできた。早朝、あぜ道を歩いてみると、スギナはキラキラと白銀の露を満身に受けガラス細工のかけらを一面にばらまく。刈り取られた田は身も軽く、切り株からのぞく青葉は、秋を迎え白いスカーフをまとったようにこれも一面の露。少し行くとミゾソバが点描画のごとく散らばっている。砂糖菓子のコンペイトウーのようなその花は、角を欠いた砂糖粒をきらめく露として葉の上に乗せている。白い露、大きな露、プリズムの露・・・そして
「露草」も咲き誇っている。あぜ道は草刈機でいつも短く刈られるので、園芸種かと思うほど整然と背の低い露草が、ぎっしりと青い帯を作っている。その短い丈は風にも揺らがず、朝の露をいっぱい吸い込んだまま、花は昼を過ぎてもちじまない。ほんとうは強い花なのだ。自然は美しさをくれる。元気もくれる。
2004.10.29 京都新聞「窓」より
♪ 露草の花 強い儚さ
子供時代。早起きをして目をこすりながら朝陽の中に見る露草(ツユクサ)の青さは眩しく、寝ぼけ眼
を大きく見開けさせた。それは「コケコッコー」と鶏が、これから始まる未知のその日(今日)を元気
良く、幕開けしてくれるようだった。私たちは、「コケコッコの花」と呼んでいた遊び仲間の花なのだ。
大きくなり「儚い」という言葉を知ったときには、ツユクサを思ったりもした。しかし、この花は「決し
て儚い花ではない」と、今の私は思っている。そう願っている。
ツユクサは、根をどこまでも広く拡げていき毎朝咲く。日が高く昇り昼を過ぎてもまだ咲いている。山から少し北
風がやってきても懐かしい夏色の空の釦を、野に零したように咲いている。二本の蕊は、「愁い」を掬い
とるように長く長く伸びている。
長女が大学浪人を経て私大へ、長男は国立の下宿生、次男は私立高生と、いくらでも教育費の掛る時
期であり、私も働くことにした。当時「生き馬の目を抜くような」と言われ、日の出の勢いの企業だった
D社に、正社員として大阪本社に採用された。世間知らずの凡々とした主婦の私には、かなり厳しい世界
だった。いつも悩んでいた。同僚達に遅れもとっていた。そんな中で、とても良くして下さった女性上司
がいた。沢山(仕事の話、家族の話、趣味の話・・・)のことをよく喋りあった。同僚達を交え、他愛も
ないお喋りもよくした。あるとき「各人を花に例えたらなんの花だろう」と言う話題になった。みんな
は、その上司のことを「カトレア、シンビジューム」と、もてはやす。私は「ツユクサ!」と言い、その
場を白けさせた。私はツユクサの素晴らしさを伝えたかったのだ。ツユクサはとても強い花だと知ってい
たし、凛としたその人に相応しい花だと思ったのだ。作家の司馬遼太郎が愛で、吉川英治が『心』と言う
字を描く蕊』と愛しんでいた花でもある。「やっぱり、田舎の人は田舎臭い花を言うね。露のような花で
は、今時生き残れへん。もっとゴージャスな花が似合うようでないとアカンわ」。と同僚たちは嘲るよう
に笑う。その時、上司が私をかばうように「大当たり。私、ツユクサが大好きなの、Kさん(私のこと)
は嘘を言わない人だから、ほんと大当たりだわ。嬉しいなあ〜」と大喜びをして下さった。
私はキャリアウーマンには成れず、その方の「この会社で学んだ事は、何らかの形で生かすのよ」との
言葉に見送られ退社した。その方は会社をとても愛しておられた。いろいろと大活躍もされた。(しか
し、会社は縮小され「満」を追求して、欠けた部分を残す会社のロゴマークを見かける事も少なくなっ
た)定年後は、のんびりと海外旅行(と言っても、先ず語学教室に行き語学をマスター。行き先国の歴史
を学び、文化を学び、出発する人だった)。足元にも近寄れないが、老い先を学ぶべき、憧れの人だっ
た。その方が旅先で倒れ、意識のないまま日本に搬送、いま病院で寝たままである。昔の同僚達とお見舞
いに行った。皆が言う「儚いわね。人間って」私は同僚の言葉に刃向かった。「なにが?なにが儚いの。
ツユクサは強い花や。あの人はツユクサのような人や。」
あの人はツユクサが好きと言った。私を「嘘を言わない人だ」と言ってくれた。
「お願い。ツユクサが強い花だと言うことをアナタ自身が証明して。私が嘘を言っていなかったことを証
明して」私は心の中で叫んでいる。
元同僚たちも、昔のようには笑わないで私の言葉に小さく頷いた。
♪ 日暮れの路 木村徳太郎「童謡詩」夕暮れノートより
レモンのような
陽が沈む時
街はレモンの色してた。
葉っぱの落ちた
並木が 路へ
悲しい唄を
歌っていた。
僕はチヨコレート
ほ々ばりながら
冷たい路を
歩いてた 。
2006.10.14
(お詫び)「弘ちゃんは生きている」を今回はお休みさせて頂きます。
|