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十一月の歌

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11月の歌(柿日和)

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実寸大の柿
           日和 
 地元にある芸術系大学が地域と組み、いろんなイベントを行なっていた。その一つに「ブォーリズ・カフェ」があった。赤いレンガ塀に囲まれた三角屋根と、尖った塔の可愛い教会は、ウイリアム・メレル・ヴォーリズの手によるもので、登録文化財にもなっている。地元の誇りの教会だ。以前から温かく優しい感じのする、曲線の扉や蔦の絡まる窓辺に興味はあったが、クリスチャンではないので近寄り難かった。そこに喫茶店が設けられているのだ。知人と早速覗いてみた。教会の窓はステンドグラスとばかり思っていたが、柔かいオレンジ色一色の硝子がはめられ、優しくその色の光が部屋を包んでいた。窓や壁を伝う蔦紅葉に季節を教えてもらっていたが、部屋の中からみると、窓に影を映して光の粒子のように揺れていた。そして静かに音楽が流れてくる。光と影の注ぎ込む空間が、私の心を優しく紐解いて行った。
ここは懺悔の場だろうか。どんなことも包み込んで許されるような気がしてきた。
 私は大の柿好きだ。柿に目がない。秋の好日、毎日柿を食べ続ける。
オレンジ色の光が、柿の世界へ誘うように思えてきた。まるで柿の海を漂よっているかのような光と影である。
「なぁ柿とり(盗り)に行かへんか 」急にあらぬ事を口走る私に、知人がコーヒーを急いで飲みほした。
私は以前から、どうしても気になる事があったのだ。田舎道を走っていると、たわわに実った柿の実が鴉に突かれ、雪のころはヘタばかりが枝に残っている。そうかと言ってそれを盗る勇気もない。「誰も採らへんのやったら貰ろても、ええのんと違うやろか。やっぱり泥棒やろか」と懺悔した。
すると、友は心強い! 「偵察に行ってみようか」と、話がすんなり決まってしまった。教会でこんな会話がなされるとは、お釈迦様いやキリスト様もびっくりだろう。

 オレンジ色の光に背を押され、小春日和に誘われるように野にくり出した。日本百選の棚田で有名な所である。畦の柿の木もなんだか風情がある。鴉に突かれそのままにしておくほうがが良いのかもしれない。しかし、小春とは言え、稲刈りも終え尋ねてくる人も無く静かな田園がセピア色に広がっているだけだった。
女の人が畑仕事をしていた。「柿を一つ二つ貰えませんか(遠慮気味に言う)」「これは渋柿やで食べられへん(不審気に睨むように言う)」「渋柿が欲しいんです。吊し柿にします」と答えると、田圃脇に止めてあった軽トラックの方へ行ってしまった。
戻って来る手に綺麗に乾いた干し柿が二つ。それは、ぼってりとして私の一番好きな乾き具合だ。「食べてみ」と手渡してくれた。口に入れると甘くて美味しい。美味しさに顔が緩む。童心に帰った。
そして、なんと!
「家で食べる分はもう干してあるから、後はいらん。いくらでも採ったらええわ」と言う。おまけに「菊菜を食べるけ」と、手入れをしていた瑞々しい菊菜まで摘んでくれる。私にはその女性がマリアさまに見えた。
しかし私たちは、急な偵察だったので鋏みを持って来ていない。手の届く範囲の柿を数個いただいて帰った。
 翌朝早起きをして、高枝鋏みを携え大手を振って柿の木へ向ったのは言うまでも無い。

 私は誤解をしていた。
稔りぱなしの柿を、農家の人は怠慢で採らず農村の衰退のように思っていたのだ。成り物を有り難く頂く心、原始の心を失いつつあるのかと寂しく思っていた。しかし、自分たちが食べる分は、ちゃんと採っておられたのだ。高齢化が進んだのであり、怠慢ではなかったのだ。それが分かって安堵した。
 朝靄が流れる中を知人が柿の木に登って行く。これには驚いた。柿の枝に両足をかけ、踏ん張って高枝鋏みを振っている。朝の光をうけ後光が射していた。木登りなど、とうてい出来ない私はまたマリアさまかと思った。彼女がどんどん柿を落としてくる。朱色の玉が清々しい空気の中を走ってくる。私が拾う係りになる。二メートル先に落ちる。駆け寄る。反対側に落ちる。駆け寄る。なかなか忙しい。屈んで拾う背中に「ゴ〜ン」と音を立てて特大の柿が落ちてくる。可笑しいと二人で笑い転げる。たまには上手に柿をキャッチする。私は土手を降りるのもへっぴり腰で、お尻で滑らないと下りられなかった。知人はそんな私を見かけによらない人だと笑う。私も知人を、見かけによらない猿人?だと笑う。お互いそんなことが可笑しいとまた笑う。澄んだ空気の中を老婆二人のはしゃぐ声が流れて行った。柿が草叢に落ちる。追いかけると竜胆が咲いていた。野菊の上にも落ちる。たまに、石に当たって割れたりもする。高枝鋏みが陽光にきらりと光り、陽の色ををいっぱいに吸った柿が跳ねる。
 私は思い出していた。やはりこのようにして柿を採ったことがあるのだ。高枝鋏ではなく、竹の先に割れ目を入れ小枝を差し込む。それが柿採りの道具だった。私が使うと竹がよじれて割れてしまう。夫が採り役だった。柿を拾うのは子供達と愛犬のレオ。深い草叢に落ち込むと柿はどこに落ちたか分からない。それをレオが上手に咥えて出てくる。落とされる柿は子供達が上手にキャツチする。私はあまり役に立たなかった。
「あ!こんなところに竜胆が、センブリが、ツルガネニンジンが」と見つけていた。顔をあげると湖西線を走る列車が見えた。その向こうに琵琶湖が見えた。広い広い野があった。住宅公団の開発予定地が、耕作されない田圃と薄を共に広がっていた。そして、柿の木が点在していた。そんな幻になってしまう柿の実を、私たち家族は採りに行った。田圃を売却した人の中には、突然手にした大金を子供が遊ぶお金に使いきったとか、先祖代々の土地を手放したことの慙愧の念におかしくなったとか、お金を海外旅行で使いきり、結局身代をつぶしたとかが噂されていた。
 ある日、ストンと山が消え谷が掘られブルドザーが何台も動物のように動き始める。子供達が化石を拾って遊んでいた山も一夜にして消えてしまう。ただただ人間の力に驚く日々だった。伐採され燃やされる栗や橡(クヌギ)の木を拾って、椎茸菌を植えた。柿は渋柿ばかりで吊るし(干し)柿にした。果皮を剥き枝と柄のT字型の部分を利用して、1本の紐に数個から十数個挟んでいくのだが、おおざっぱな性格の私は、挿む柿の数がまちまちだったり、挿まれる間隔が統一されていない。夫が「同じやるならもっと美的にやれ」と言う。開発地を通り過ぎると在所があり、その里には「柿簾」が整然と秋色を見せていた。私にそんな真似は出来ない。柿を二つづつ振り分けて行き、紐を輪にしてT字型にかけて引っ張る。そういうテクニックを夫に教えてもらった。紐には棕櫚を裂いて使うのが良いと教わり棕櫚を植えた。私は、柿を捥ぎ皮をむき柿を吊るす。その一連の作業が楽しかった。なんだか、知恵を働かせ進化していく原始人になったような手作業の一時が大好きだったのだ。手が渋で黒くなってくる。包丁もネバネバしてくる。布巾で汚れをとる。やっていることが形として見えてくる。その過程が面白いのだ。
 開発地はどんどん整地されて行き、宅地の抽選が始まった。当る確率が100〜150倍とも言われた。柿の木も、田圃も山も川もなくなった。そして5000戸近くのニュータウンが生まれた。里にはもう柿簾はみられなくなった。「心は丸く、田圃は四角」のスローガンが掲げられ圃場整備が始まり、四角い田圃の水田に舞う桜の花びらを求めて、人々が訪れるようになった。

 柿を採り終えたころに、農作業の人の姿が点を置くように見え始めた。採った柿は約四百個もあった。凄い働き人に思えた。

沢山の量の柿を見て、夫が「食べるだけ貰ってくればいいのに」と言う。
「? これ私、全部食べるんやけど」……。
棕櫚で括られた柿簾が我が家の軒先に揺れた。教会のオレンジの光りのような柿簾が揺れた。農家の人の優しい甘味、歴史の甘味、季節の甘味、奮闘の甘味、沢山の甘味が熟成して揺れていく。あ〜〜〜喉が鳴る。


    干柿の甘味のカロリー気にはする

           ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


   秋陽          木村徳太郎   
  
           土手をゆく

           僕の背に
            
           おんぶよ

           秋陽は子供です。

        ___柿の実が  

           光ってて

           秋陽は

           欲しいとぢれました。
           
        ___土手をきて

         黄金の田
       
         二人で
  
         見てますお昼です。

やまとうるはし

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やまとうるはし 
        たたなづく青垣
 吉野の「西行庵」で絵を描き、オカリナ(土の楽器)を吹いて来たと言って誰が信用するだろう。私だって夢ではないかと思う。
 吉野中千本、「一目千本」の吉水神社は、百二十数点にのぼる重要文化財や秘宝が史上最古と言われる書院に常時展覧しておられる。書院には歴史がギュッと詰まる。
 以前訪れたとき書院に影を映す青紅葉に圧倒された。あまりにも瑞々しく清冽な青さに身震いが出た。滴る青楓に、後醍醐天皇が義経が静御前が弁慶が、そして秀吉の息づかいが頬を打ち、青雫が心に沁みていった。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/31977134.html
その魂を震わせるような美しさに、楓の燃える時期にはまた来訪したいと思いながら時が流れていた。
 父との共著本「ジューンドロップ」を今春出版した。吉水神社は父が存命なら、なにをさておき参拝させていただく所だろう。私は本(父)を携えて吉野に向った。
 近鉄線吉野行きは、不思議な感慨を起こす。通った高校は、奈良の各地から生徒が集ってきた。下宿をしていた彼、彼女たちの在所だと聞いていた駅名が次々と現れてくる。懐かしく温かいものが流れていく。駅名がこんなに懐かしく哀愁を持つものだとは思わなかった。
 私は一番前の車両に立つ。車両は山に向って走る。カーブが多い。カーブを曲がるごとに深い青さが折り重なり、細い軌道を進む。まるで胎内に入っていく錯覚を起す。きっと私は、このように薄暗く細いそれでいて光が仄かに零れるような中を通り、生れ来たのではないだろうか。そして今また、そこへ戻って行くのではないだろうか。木々に落ちる木漏れ日が、そんなふうに私を手招きしている。
 家を午前五時過ぎに出た。吉水神社には10時には着く予定だった。しかし、途中で人身事故があり予定通りに行かなかった。普段JR西日本を利用しているが、人身事故は日常茶飯事にあり、列車の遅れることには慣れていた。近鉄線も、事故は多発するのか。(人身事故の処理費用は、遺族に大きな負担を残す。遺族は最愛の人を失う悲しみと、多額の負債を受けることになるのだ。)この静かな僻地の沿線にも、人の悲しみが漂っていると言うのだろうか。織りなす緑の陰影が私の心を重くした。
 吉野駅から山に上がるケーブルは昼までなかった。私はタクシーに乗った。「正規の道ではないが近道を行って上げる」と運転手さんが言いながら、吉水院と言うお寺が明治の廃仏毀釈で神社となったことや、後醍醐天皇や義経のことを話してくれる。私も知識としてはそれらを知っている。しかし客の私に、どうしても吉野山の良さを伝えたいと言う気概が、ひしひしと伝わる肉声の解説に、資料を読んだり学んだりするのとは異なった愛情のようなものが感じられた。
 宮司さまが待っていて下さった。顔を見るなり「娘が里帰りしたようだ」と仰っしゃて下さる。その言葉に私は涙が出そうになった。出版本と共にご祈祷をお願いした。奥さまを呼んで下さる。奥さまとは二回ほどお目に掛かっている。奥さまもオカリナを吹かれるのだ。出来ることなら一緒に吹かせていただきたいと思っていた
 まだまだ叶えたい夢があった。
吉野の紅葉を描きたいと画材一式を鞄につめてきていた。西行庵にも行ってみたいと、おむすびと水筒も携えていた。しかし全てを叶えることは、不可能だろうと思っていた。どれか一つでも叶えられたら良いと思っていた。
奥さまが「私もおむすびつくった」「さぁ行こう」と促して下さる。奥千本の西行庵に向かったのだ。私は安易に考えていた。西行庵はもっと手軽に行ける所だろうと思っていた。予想以上に奥深い山中にあり、山道を杉の朽葉や木の根の盛り上がりを踏み分けて進む。「義経隠れ塔」があった。源義経が弁慶や佐藤忠信らと追っ手から身を隠したと言う蹴抜けの塔だ。簡素なお堂で中は真っ暗だ。それは、行者が真っ暗な塔内で俗気を抜くといわれるほどの漆闇だ。義経がここに身を隠していたとき、静御前は追手に囚われ勝手神社社前で舞を演じていたのだろうか。この静かな奥山に悲劇のヒロインたちが今も彷徨っているように感じられた。
「苔清水」がある。苔むす木の樋を伝って一筋の流れが休まずにある。清水が岩間から湧き出している。水は透き通り悠久の時を流れ続けているのだ。
 西行が詠んでいる。
とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすほどもなき住居かな

木々の葉が光りの粒子と化し、小さな庵を映し出していた。光りは煙っているようにも見えた。煙る空気の中に小さな庵があるだけで、静寂さだけが流れている。西行はここで三年間俗世界を捨てるように住み着いた。都から隔絶され静寂さだけのようなこの場所を、西行はどのようにして知ったのであろうか。裏に廻ると腰を屈めないと出入りできないような入り口がある。そこだけが口を開けているようなわずか二畳の庵だ。西行はこの出入り口から紅葉を眺め桜を眺めたのだろうか。私には赤く燃える楓が艶めかしく感じられた。俗世と隔絶されている静寂な庵であっても、艶めかしさも感じられるのは、紅葉が舞うからであろうか。庵の隙間から西行の鼓動が聞こえてくるような気がした。
ふと思う。西行は浮世の煩わしさから遠ざかりたかったのだろう。しかし、庵の小さいスペースは妖しく美しくも感じられる。錦織り成すごとく煌いて感じられる。紅葉は七分の美しさが良い。雑木の緑があり黄葉もある。それが良い。もしこのわずかな空間が100%赤々と燃えたのでは、それは狂喜の美しさとなるかもしれない。この七分が良いのだ。俗世界を捨てるということは、この七分だけを求め七分で甘んじることではないのだろうかと思った。100%を求めるのでなく、七分、それが俗世界を捨てさることであり、最高の美なのではないだろうかと思う。わずかに鳥のさえずりが聞こえる。有るか無しかのさえずりが良い。
おむすびの包みを広げる。西行像に大袈裟におむすびを見せてみる。西行像が微笑んだように思った。
 弁当を食べ終わり絵を描く。紅葉が舞い散るようにたまに人が通る。私たちの描いた絵を眺めて行く。「よう描けてますな〜。これだけ描くにはどれぐらいかかります? 」と聞く。何事もその通りにしか答えられない融通の利かない私だ。「二十分もあれば描けますよ」と少し鼻を高くする。奥さんが腰に手をやりながら「まぁ五十年は掛かるかな」と笑っておられる。その大らかさ、機転の良さに感心した。人とのコミュニケーションはこうありたいと感じ入った。
 絵の具の乾く間をオカリナ重奏で楽しむ。西行庵にオカリナの音が流れて行く。木々を抜けて音が流れて行く。なんと気持が良いのだろう。こんな贅沢があって良いものだろうかと畏れるほどだ。
 こうして西行庵へも行け、絵も描け、オカリナも吹けた。
ひよっとして夢だったのだろうか。

 薄の群落を車が駈けぬける。両側から薄がおいかぶさるように揺れ動き、光のなかを流れる。まるで雲の中を走っているようだ。
どれほど山道を駈けただろうか。
「あっ!」私は息を飲んだ。
これが雲海? 霞でも雲でもない霧でもない。薄墨のグランデーションがたなびき山並が重なっている。近景中景遠景を滲ませ、山が幾重にも折り重なりどこまでも続いているのだ。こんな光景は見た事がなかった。
始めて見る光景である。だのにどうしたと言うのだろう。広がる光景に懐かしさが胸を突き上げてくるのだ。
始めて見る大和の連山、その山並に血が躍り体内を連山が走りまわる。
 
大和は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 倭しうるはし

これだ、この山々が大和なのだ。倭のたたなづく青垣。日本人の血だ。血が騒ぐのも当然だ。私はぼうぜんとして涙ぐんでしまった。不思議な体験だった。あの連山に私はすべてを抱かれた気持になった。なんと美しい山並みであったろう。山並みは古事記に始まり、後醍醐天皇も西行も義経もみんな映している。歴史がたたずんでいるのだ。この胸を突く思いに自然への感謝と畏敬が立ち上る。

あの贅沢な一日は夢だったのだろうか。
 いいや夢ではない。私は恐れも知らず、世界遺産吉野山、吉水神社の宮司さまに書をお願いしたのだ。それも「私の描いた絵に添えてくれ」と……。
ミニの紅葉屏風だ。西行庵の紅葉を描いた屏風だ。「天地燃ゆ吉野の山に夢添えて 素心」と墨蹟も鮮やかに書かれた。
屏風は毎日外出の無事を見送り、帰宅時の安らぎを迎えてくれる。 夢ではなかったのだ。


     倭しうるはし卑弥呼も愛でし紅葉あり


吉野山から帰宅した次の日、偶然にも「発掘! 奈良桜井の纒向遺跡 卑弥呼の宮殿か」の記事が踊っていた。驚いた。
「倭は国のまほろばたたなづく青垣山隠れる倭しうるわし」(大和の国は日本の中でもひときわ高く秀でた国。青々とした木が茂った山々が垣根のように重なり合り,その奥に隠ったように存在する大和、こんな大和こそまことに美しい)これは日本武尊が臨終に残した歌で、大和(奈良)への望郷の思いを詠んでいる。   私は奈良桜井の高校を卒業した。かなり高齢の日本史の先生が居られた。穏やかな話し振りの授業だった「お婆ちゃん先生」と慕ってはいたが、とりたてて日本史に興味があったわけでもない。しかしある時、眠たそうにしている生徒に言われたのだ。「あなた達はきっと年を取ったとき、この歴史のある卑弥呼の里の桜井で高校時代を過ごせたことをどんなに誇りに思い、幸せに思う時が来るでしょう」と。
今、あの言葉が甦る。折り重なる吉野の山々に思った。
「この眺めは邪馬台国だ!」と。
 私は邪馬台国の山々に出会ったのだ。きっと、卑弥呼もあの山並みを眺めたに違いない私はそう思う。
 そしてその三日後、「59回滋賀県芸術文化祭文芸出版大賞」に「ジューンドロップ」の入選通知が舞い込んだ。これは全て偶然なのだろうか。夢なのだろうか。
 私は紅葉屏風の前で頬をつねっている。


山の子 木村徳太郎  
          つかのま山彦
          叫聲(いらへ)させ
          爆音(ひびき)ははるか
          遠のいた。

          目やにこすつて
          山の子は
          斷崖まで爆音
          追つて出た。

          空はうすあお
          晝見星
          蝶もながれて
          雪の嶺。

          コケモモちぎつた
          山の子よ
          いつか山彦
          呼んでゐた。

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夕焼け の 子守唄    
 
 庭に木通(アケビ)がたくさん実った。種が多く食べ難いがほのかに甘い上品な味は捨て難く一つ二つと食べてみる。例えると母乳のような味だろうか。
 夕日が落ちると、柿はぴかぴかと光り柿右衛門色を放ち夕焼けの化身のようになり、木通は夕焼けあとの紫色の空のように薄紫色を滲ませていく。
 そんな暮色の中に立つと遠い遠い昔の子守唄が聞こえてくる。
 
 柿の種類は一千種ほどもあるらしいが、私はどれも「柿」と呼ぶ。背高大小、老若男女みな「人」と呼ぶように柿は「柿」と呼ぶ。だからと言って、柿を粗末にしているわけではない。初めて出合った俳句が「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」だったし、柿の名産地(奈良県)で過ごした大の柿好き人間で「柿食えば子守唄なるなり奈良の里」と、秋愁と幾つも食べる柿の実が私を朱に染めていく。
 冷たい柿がますます美味しくなってくる立冬だ。

 老人施設にボランティア(オカリの演奏)でお邪魔する。秋の日差しを受けて柿の実がたわわに実っている。それを眺めながら「清正じゃんけん」を楽しむ。グ・チョキ・パーの代わりに清正(槍の格好をする)トラ(耳をたて、トラの真似をする)母親(頬に手をやりニッコリ微笑む)で勝負をするのだ。グーはチョキに勝ち、チョキはパーに勝ち、パーはグーに勝つ。同じように、トラ退治をした清正は虎に勝ち、虎は母を食べることが出来ので虎が勝ち、清正(子)は母に頭があがらないので負けだ。このジェスチャーでじゃんけんをするのだが、施設の皆さんは「子どものほうが母より強いわ」と異議を唱えられる。
 私はおもむろに「いいえ『母は強しと』言うではないですか。昔は母の教えが一番強かったのです。清正はお母さんに頭が上がりません。負けです」と言う。みんなの頭の中に混乱の波が押し寄せているのが分かる。ジェスチャーを覚えないといけないし、強弱(勝ち負け)の困惑が起こっているのだ。意地が悪いようだが、私はこのとき愉快でしようがない。あの時を思い出すのだ。

 抜けるような青空をみあげ、竹の先を少し割りそこへ木の枝を挿み込んだものを道具に柿を採る。大きな渋柿である(名前は分からない。「柿」である)上手に採らないと「ドスン」と音高く響き落ち、柿に皹(ひび)が入る。父が柿を採り私が地面に落ちる寸前を両手でキャッチする。タイミングが大事なのだ。
 上ばかり見て首を痛くして収穫した柿を米びつの中に入れておく。白い米粒の海原に大きな柿が夕日のように沈んで行く。
 やがて、冬の訪れと共にその柿は渋が抜け、薄紙をめくるように薄皮がむけ、上等の羊羹(ようかん)のような果肉が表われる。それはそれは美味しいものだった。冷たい果肉を暖かい炬燵(こたつ)に入って食べるのは、まるで天上の食べ物を食べているような一瞬だった。
 柿が柔かくなるのを、こっそりとまだかまだかと米びつを何度も開け、米の中から柿を掘り起して見る。米粒が流れ朱の色が光る美しい米びつだった。立冬に入り、水が冷たく手が切れるように感じ始めると祖母の目を盗んで米びつをのぞく回数が増えていく。柿の管理(米びつ管理)は祖母の仕事であり、食べごろになれば私たちに分けてくれるのだが、待ち切れないのだ。
 そんなある日、父が私と同じように米びつをのぞいているのを見つけた。私はそおっと父の傍に寄って行った。父が「シィ〜〜」と指を立て、柿を一つ米の中から掬いだした。そして、薄皮をむき始めたのだ。大きな柿は柿の熟した匂いを広げ、なんとも美味しそうで私は固唾を飲んで父の手元を見ていた。
 父が「包丁を持っといで」と言う。私は祖母の怒り顔など浮かばないほどそれは魅力的で父に従った。父と私は二人で柿を食べてしまった。それは、それは美味しかった。
 その夜、父が祖母に叱られている。祖母はちゃんと柿の数を数えていたのだ。
父が子供のようにうな垂れて祖母に叱られていた。私は可笑しかった。普段世帯主として家長として、でんと構えている父が小さい子供のように叱られている。
そして「お祖母ちゃんはお父ちゃんより、ほんとはえらいのかな」と、思った。
祖母が、「子供でも我慢しているのになんですか。大人が子供みたいな真似をして」と怒っている。父がきまり悪そうに私をみてウインクをしてくる。その父はなんとも可愛らししく見えた。「子供でも我慢している」と言われた手前「うちも食べた」とは言いそびれてしまった。ただ父が大人しく叱られていた。そして茶目っ気たっぷりに私を見る。
 あのとき首をすくめ、祖母(母親)の意見を神妙に聞いていた父を思い出すと、いまでもおかしくなる。
 
 「さ〜〜。清正じゃんけんしましょ」「お母さんは賢く強いんだよ。いざ勝負!」と、私は腕まくりをする。
 賢く強い元母と今母たちだ。
「子どもに負けるな」とエールを送りたい。

2008.11.07

 「秋愁」とゐふ子守唄柿の色




 秋陽       木村徳太郎  
 
          土手を行く

          僕の背に

          おんぶよ

          秋陽は子供です

          _柿の実が

           光つてて

           秋陽は

           欲しいとぢれました

          土手を来て

          黄金の田

          二人で

          見てますお昼です
 


 夕焼け       木村徳太郎  
 
          ガソリンの海に

          火がついた。


          火焔がぼうぼう

          あがってた。


          いまにも頭へ

          落ちそうで。


          こはくてこはくて

          目を閉じた。

ジュズダマ

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奈良県の片田舎の雑貨屋には何でも売っていた。流行とはまるで縁のなさそうな衣料品、果物、肉、魚、調味料、それに下駄や長靴もあった。天井からは大きなザルがゴム紐で吊るしてあって、そのザルが引き下ろされるたびに煮干や鰹節の匂いを運んでくる。その横には小銭の入っているザルもぶら下がっていた。少し頭髪の薄くなったおじさんが、紺色に白字を一杯に染め抜いた大きな前掛けをして、何百種もある沢山の品物を正確に間違わずに注文通りに取り出していた。私はその雑貨屋へお使いに行くのが好きだった。特に祖母に頼まれて腑糊(ふのり)を買いに行く時はスキップをしながら張り切って行く。

途中で、もうもうと土埃(つちぼこり)を立てて走るバスに出くわす。子供の私は砂埃にすっぽり入りこんで目が開けられない。目をつむり小さい手を左右に振って払い、埃を吸わないようにする。そして、バスが遠ざかり埃が地面に沈んで視野が明るくなった先の土手には、ジュズダマの揺れているのが見えた。

ザワザワ鳴る葉の間から黒々とした実が光っている。

「ジュズダマを採らんとアカンな」。私の足は小走りになっていく。

急いでお使いから戻ると祖母がお湯を沸かして腑糊を待っている。伸子張り(*しんし【伸子】 洗い張りや染色のとき、織り幅の狭まるのを防ぎ、一定の幅を保たせるために使う布を延ばす道具)の準備が出来ている。

私は、木と木の間に吊られて揺れている綺麗な布に、私の心は踊る。祖母が腑糊を溶かし終え、洗面器に入れた腑糊を刷毛で塗っていく。まんべんなく丁寧に同じ濃さで塗っていく。そして両端に針の出ている竹籤をまるで測ったかのように等間隔に布に懸け渡して行くのだ。一分の手違いもなく手早く動く祖母の手に、私はすっかり憧憬の目で見ていた。

そして伸子張りが終わって、だらしなくだらんとしていた布が竹籤で固定されてピンとなり、まるで長い長い「竜」のようになる。「乱暴に動かしたらアカン」と言われても、私は面白くその布を揺り動かすのが好きだった。ピンク色の花模様がいっぱい描かれた布は可愛い子供の竜で、黒く光るような漆入りの布は恐ろしい大竜が大荒れしているようだった。

小春のなかで伸子の張られた布、優しい陽をたっぷり吸って夕方には乾く。
伸子を外すのは私の役目だ。小さい竜や大きい竜が畳まれて元の布に戻っていった。

父の薄給では、親子4人(祖母、父、姉、私)の暮らしぶりは満足ではなかった。祖母が縫い子(お針子)の内職をして生計を助けた。祖母の仕立てる着物は、「着易く丁寧に仕上げられていて、着る人を美しく見せる」と評判で大人気だった。祖母は新品の反物だけでなく、こうした洗い張りもして仕立てる。

洗い張りされた反物は依頼者の子供の着物に変身したり、羽織やコートになる。そのときに布が余るが、余った布を依頼者はたいてい要らないと言う。

祖母がせっせとお針の仕事をしていても、自分の着物や孫の私たちの晴れ着を縫う経済的ゆとりはなかった。祖母が針を運ぶ傍らで私は人形遊びをするのが好きだった。その人形の着物は本物そっくりに、祖母が余り布で縫ってくれたものだった。そして、「これはエエ反物やなぁ〜〜。こんな着物の似合うエエ娘さんに「かー子」もなりや」と、老眼鏡の奥から優しい目で言う。私は意味も分からず「こっくり」と頷く。が、ときどきその優しい目が厳しくなり「バアちゃんもいっぱい着物は持ってた。もっともっと、エエ着物やった。みんな戦争のときに米や野菜と交換してしもぅたんや」と、口惜しそうに言う。「残こってたら、どんだけ、かー子にもよう似合うたやろに」と遠くを見るように言うのだった。

しかし、私はそんな祖母の言葉より、余り布をつなぎ合せた「お手玉」を作ってもらえるかどうかのほうが大きな問題だった。

「バアちゃん。ジュズダマが黒うなってたで。明日採ってくるし・・・」と、それとなく催促をする。

そんな私に祖母は、「ボチボチ、針や糸の使い方を覚えんとアカンで」と、糸切り歯で糸を切り、二本指で鮮やかに縫い目を扱いて行く。その仕草は子供心にも、なんとなくドキドキとするものだった。しかし、そんな仕草の真似は早く覚えたが、なかなか真直ぐに針目を揃えて細かく縫うことは出来なかった。

祖母の作る「お手玉」はどんなに乱暴に扱かっても、解れる(ほつれる)ことはなかったし、布の配色がとても綺麗で、一緒にお手玉遊びをする友たちに人気があった。いくら教えてもらっても私の作るお手玉では、「苛め」を誘うばかりだったのだ。


翌日は、ママゴト遊びの小さい籠を持って川原へ降りる。祖母はいつも、お手玉にはジュズダマを入れた。大豆や小豆を入れることは決してなかった。どんな屑の豆でもそれは食べ物だったのである。

ジュズダマを一粒一粒集めていく。枯れた草の匂いが強く鼻につく。川原に吹き付ける風が、スカートを捲り上げもうすぐやってくる木枯しを感じさせる。しかし、私は匂いや風に負けないでジュズダマを籠一杯に集める。そして、ジュズダマの実の芯を丁寧に取り去り、そのいくつかは糸を通して首飾りにする。

首飾りは手の中で擦り合わせると、「ザラザラザラ」と風や波の音になり、私の胸を飾ってくれた。

大きな角缶に、(金糸銀糸、夢のような色や地模様のある布、漆が入ってピカピカ光っている布、触れるとツルツルとして触る手までが滑りそうな布、描いた葉っぱの端こっだけ、山か川かと想像するだけの端布、花で埋め尽くされている布、絞りのでこぼこ布、透けた布など)が、大小不揃いに入っている。その缶を開けると、布たちが光を放ったように目に飛び込む。そんな夢のような蓋を開け閉めするのが、私は大好きで嬉しくってしかたがなかった。退屈な雨の日は、その缶ともう一つ別の缶の開け閉めが楽しかった。別の缶には、米粒ほどの布をこっそり貯めていたのだ。「こんな小さな布屑を置いといたら、ノミが湧くやんか」と祖母が言う。私は本当にノミが湧くかどうか興味津々で貯めていたのだ。雨音を聞きながら「どんな綺麗なノミが生まれてくるか」と、ドキドキしながら恐る々少しずつ開けて行くのだった。

(しかし、それは糸屑やゴミを散らかし、雑な生活をしているとノミが発生すると言うことらしかった。

ノミは生まれてはこなかった)。

缶の中の布を何枚かを彩りよく組み合わせ、長方形に切り揃え袋にしてジュズダマを入れて行く。手の中に色とりどりのお手玉が、次々と乗っていった。柔らかい手触りのお手玉だった。

あのお手玉を何処にやってしまったのだろう。一つも手元に残こってはいない。

そして私は今、時々着物を着る。祖母が「戦争で失った着物のこと」「口惜しい思いのこと」そして、「白く光った糸切り歯」。それらをみんな背中に背負い(背中心に集め)着物を着る。

「バアちゃん、どうや!エエ女やろ」と姿身に我が身を映すが、いまだ、「ハハハ。エエ女と違いまんな」と祖母の笑い声が聞える。



      「良い基盤」       木村徳太郎 童謡詩【日本の旗】ノートより木村徳太郎  
 

              とてもでっかい

              目をしてる

              街のお路は 良い碁盤。


              でもねあまりに

              大きくて

              これに合ふ碁石(いし) ありません。


              それで指す人

              ないのです

              日永一日 あいてます。


              だから碁盤は

              陽に燒けて

              埃にまみれて 汚れてる。


2006.12.12

木枯

イメージ 1

アップル か 林檎 (リンゴ)か 
 
「木枯」  木村徳太郎

木枯の / 歯にしみる / 月の夜。

果実屋の / 林檎よ / 目に痛い。

木枯で / 待ってゐる / バスの路。



 私の好きな詩である。
木枯らしが、コートを通して突き抜けていく。衿を立てて身を縮める。「お〜寒い!」。
でも、木枯しの向こうに「ぽうー」と温かい灯りが点っているよ。

この詩を読んで昭和31年から25年間「週刊新潮」の表紙を飾っていた谷内六郎画伯の絵を思い浮べた。父は貧しい中から遣り繰りをして、その表紙絵が「大好き」と言う私を自転車に乗せ、町の本屋さんへと急ぐ。荷台の枠に捉まり、足をぶらぶらさせながら父の広い背中に頬を寄せる。夏は、懸命にペダルを漕ぐ父の背中に、玉のような汗が浮いてくる。冬は、「寒いから、コートの背中に顔を入れて」と言う。春は、降りしきる桜吹雪と競争をする。秋は、私の手に舞ってきた木の葉を父の頭にそっと乗せてみた。
そして帰り道。私は谷内六郎画伯の絵の世界に入り込んで、おかっぱ頭の女の子やいがぐり頭の男の子と一緒になって遊ぶのだ。
その表紙絵を父は貯めていたはずなのに、いつか処分してしまったのだろうか。父の死後、私の手元に帰って来ることはなかった。
でも、私はこの「木枯」の詩の中に、あの表紙絵の世界を見る。
星も凍て付くような寒い夜。コートの衿をかきあわせながら待つバス停。果物屋さんは裸電球を灯してまだ店を空けている。そこだけが「ぽうー」と灯りが・・・。寂しく暗い冬の夜は、よけいにその灯りが優しく滲んでくる。もうそろそろ「おやすみ」を言う時間なのに、あのおかっぱ頭の女の子がいる。店番のオジサンもいる。裸電球に照らされて、少し遠慮気味に赤い林檎が光っている。一つだけを買ってポケットに入れる。おお、ポケットに灯りがともった。暖かくなったなぁ。
そんな光景が浮かぶのだ。

父が詩を書いていたのは昭和20年以前だから、当時の父は谷内六郎画伯の絵を知らない。しかし、私はこの詩と大好きな谷内六郎画伯の絵の世界と共に、父の世界へ入っていく。
しかし、
一つ解せないことがあるので調べてみた。


馬鈴薯の澱粉ノート(昭和17年6月)

「木枯」
    木枯の / 歯にしみる / 月の夜。

    果実屋(かづつや)の / アップルが / 目に痛い。

    木枯で / 待ってゐる / バスの舗道(みち)。



日本の旗ノート(昭和17年8月)

「木枯」
   木枯の / 歯にしみる / 月の夜。

   果実屋の / 林檎(アップル)よ / 目に痛い。

   木枯で / 待ってゐる / バスの路。


* 林檎にアップルとルビがある。
* (アップルが)が、(アップルよ)に変わる
* (バスの舗道)が。(バスの路)に変わる

楽久我記ノート(昭和18年5月)

「木枯」(改作)
   木枯が / 歯にしみる / 月の夜。

  ――果実屋の / アップルよ / 目に痛い。

   木枯が襟に吹く / 更けた夜。

 ――並木道 / バスを持つ / ビルの壁。


となっている。
原文はアップル。どこで、文頭に掲載した「林檎」になったのだろうか。

        アップルか林檎か
私はアップルに軍配を上げる。「林檎」ではなく「アップル」だ。
私の知っている父は、ハイカラでお洒落な人だった。遠くを夢見て「アップルをほおばっている少年」の面影が似合う人だった。アップルの言葉が似合う人だったと思う。
では、林檎とアップルはどう違うのか?



 [アップル カレー]

ある日、子供たちが私に反旗をひるがした。

我が家の食事は、子供たちに「年寄りくさいおばんざい」と映るらしい。私が祖母育ちのためか。いい

え、家族の健康を考え、そして家計を考えた結果であり、私は努力をしていると自分では自負してい

た。しかしある時、「お母さんはええな〜。自分の好きなおかずばっかり作れて」と小学校6年生の長

女、3年生の長男、幼稚園児の次男までが結託して、「ずるいわ。もっと私らの好きなものを作って欲し

いわ」と言う。「どんなんがええのん」と聞くと「ビフテキ。エビフライ、お肉だけのハンバーグ」…。

食べ盛り、育ち盛りの子供たち。教育費はこの先いくらでも要る。(蓄えもしなければ)。家のローンも

ある。毎日ご馳走ばかりでは家計が持たない。子供たちにグルメな生活などさせる気もない。

だが、「お母さんは、自分の好きなものばかりを作っている」と、口々に言われると単純で気の短い私は

腹が立ってきて、「そんなに言うなら、アンタらで作ってみ。材料から自分らで揃えて好きなものを作っ

たらエエ。どれだけお金が要って、どれだけ手間が掛るかも分るやろし」と突き放した。

そして、「今日の予算は1000円!」「家にある材料は使ってよし!」と、千円札を渡した。そのころ

の子供たちのお年玉は(学年+100円)の相場である。子供たちにすれば1000円は、夢のような大

金でこれだけあれば凄いご馳走が出来ると、長女をリーダに3人は嬉々として近くのスーパーへ買い物に

出発した。私は見送ったものの、幼い子供たちの道中が心配だ。親も子も初めての体験だ。

私は、こっそり後(うしろ)から距離を開け隠れながらついて行った。スーパーの柱に隠れて子供たちを

見、観察する。長男が姉になにか言ってお菓子を籠に入れようとする。姉は少し計算をしている様子だ。

そして棚にそれを返させている。私と一緒の時は、あんなにあっさりと引き下がりはしないのに、長男は

素直に元に戻しているではないか。三人が「ああでもないこうでもない」という風に、品物を籠に入れて

は出し、スーパーの店内を廻っている。「どうだ。わかったか!予算で、買い物をするのは大変やろ。」

と、私はにんまりするものの、子供たちがレジに並んでお金が足らなければ、駆けつけないといけない。

ほとほと「探偵ごっこ」に疲れてしまった。

やがて子供たちは肉とインスタントカレのルウーそして林檎を一個買って来た。

「1000円でいっぱい買えると思ったけど、上手に買えへんな〜。難しかったわ」と、にわか主婦の子

供たちは悟りきったように言う。

予算内で肉を買い、家にあったジャガイモやタマネギ、ニンジンを使ってカレーをつくろうとする計画ら

しい。私は(迷)探偵のような真似をして疲れてしまい、「ついでに料理もアンタらで作らせたるわ」

と威張って言うと子供たちは大喜びをし、姉をコック長としてかいがいしくカレーを作り始めた。私は

ソファに深く座り、コヒー片手にTV観賞。完全に夕餉前の子供と母親の立場が入れ替わった。

ところが、いつになく夫が早く「ただいま」と…。

そして、子供たちと私の状況を見て、「どうして、子供たちに夕食準備をさせるんや。母親失格やない

か」と激怒する。高度成長期のころである。朝、まだ子供たちの寝ているころに出勤し、眠ったころに帰

宅する毎日。まるで母子家庭のような時代だった。育児に参加したくても出来なかったのだろう。母親に

まかせっきりである。そして、たまに早く帰ってみると、ぐうたらに映る母親の光景があり驚いたのだろ

う。私が説明するのを聞くまもなく、まさに一触即発。夫婦喧嘩が始まろうとした。

そのとき、長女が「出来ました〜!『アップルカレー』!どうぞ!」と持ってきた。

私は、手早くレタスなどを盛り付け、夕食はサラダと『アップルカレー』で膳を囲んだ。

私はカレーを口に運びながら、時々夫の顔を盗み見る。夫はカレーが大嫌いなのだ。カレーは、夫が出張

で留守の時か、急いで夕食準備をしないといけない時のメニューだった。

急ぐ時は大鍋にたっぷりとカレー材料を炊き、途中で少しだけ別鍋に取りわけて糸こんにゃくを加え

「肉じゃが」にして夫の分にする。そして残りの方に固形のカレールウを入れ、カレーライスにする。

間違ってカレーのほうに糸こんにゃくを入れたこともあったが・・・。

夫は、苦虫をつぶしたような顔をして食べている。私は可笑しいのと、なんだか気の毒になってきた。

夫のご機嫌をとりがてら、「どうしてこれを、『アップルカレー』と言うのですか?」と改まって子供に

聞いてみた。(私としては林檎より、糸こんにゃくを買ってきて欲しかったのだ)。 

「林檎を摺りおろしてカレーに入れるのを、TV番組で見て美味しそうやったから。アップルは、千円で足

らんようやったら、私の十円を足して買おうと思ったんやけど」。と言う。

夫がいきなり、「『アップルカレー』はとてもうまい!」と大声で言った。

私はますます可笑しくなり、「『林檎カレー』と『アップルカレー』は違うの?」と聞くと、「林檎よ

り、アップルと言うた方が美味しそうやし、上等に聞こえるもん」と・・・。

なるほど、「アップルカレー」のほうが、なんとなく高級感があるような気もする。

それにも増して人に、とくに子供に作ってもらって食べる夕食は、最高に美味しかった。

「『アップルカレー』おいしいね。アップルを隠し味に使うなんて、お母さんより凄いやん」と褒める

と、夫も「うん。お父さんはカレー嫌いやけど、この『アップルカレー』は美味しいわ」と答える。そし

て、「確かに林檎とアップルは違うな〜。アップルは、家族みんなが集まったような感じや」と言う。

私もその時から、「林檎」と「アップル」は確実に違うような気がしてきた。

それ以後、我が家は『アップルカレー』になった。 

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