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のんびりしたブログですがよろしくお願いいたします。

十二月の歌

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十二月の歌

 本年はいろいろとお付き合い有り難うございました。
   ブログもぼちぼちですが、止めずに続けられているのは皆様のお陰です。
      来る年もまたよろしくお願いいたします。
 
 
         十二月の歌
 今日は、頼まれていたものを片付けることにしました。ついつい後回しになっていた風炉先屏風を仕上げました。以前に臨床美術で「紅葉」を屏風に仕立てたことがあります。
お茶をしている知人から、同じような屏風を作って欲しいと言われていたのですが、なかなか腰が上がりませんでした。
今日は冷たい雨が一日降りました。師走ですが開き直り性根を入れて作制に掛かることにしました。新年に茶会を開くそうです。まにあわせたいと頑張りました。
 
 四季を通して使える、気を張らない現在調の屏風にしようと思いました。
作ってと言われることの嬉しさに感謝しながら・・・・約束を守り、借り貸し無しの気持ちのよい新年を迎えます。
 
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紅葉屏風より一回り大きな屏風を作りました。
 
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周りをマスキングテープで貼り、下地を塗ります。
 
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四季の花に、「桜 朝顔 菊 雪椿」を描きました(これは以前から描けていました)
 
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テープを外し、絵をレイアウトして雲水を入れてみました。
 
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少し頼りなげだったので、縁を抹茶色の和紙でくるみました。
 
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完成品がどんな雰囲気になるか並べて見ました。
 
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山水画で制作することも考えたのですが、好きな花でまとめました。気にいってもらえればいいなぁ〜。私も初釜によんでくれるそうです。年末ぎりぎになったけれど、今年中に届けられそうでとても嬉しい一年を終えられます。
 
1月出産予定の孫が1220に生まれました。嬉しい新年が迎えられます。
お正月の私の誕生日には伊勢神宮に初参りに行ってきます。
 
いろんなことも有りましたが明るく健やかに過ごせた一年でした。有り難うございました。
 
皆様とお出会い出来たことにも感謝です。有り難うございました。
皆様も良いお年をお迎えください。そしてまたよろしくお付き合い下さい。
 
一年の感謝と来る年が明るいことに皆様とともにお祈り
いたします。よいお年をお迎えください。
 
 

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また葉が散っていく。「触れもせで」……。
http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/45555891.html
どうして、急に次々と七十代が亡くなっていくのか。日本の長寿年齢は世界一だが、いずれそれは低くなると言われる。七十代は早くないのかもしれない。
 父との共著本を出すために随筆を書いてみたいと思った。勉強のために同人誌「滋賀作家」に入れていただいた。投稿した作品が冊子に掲載されるとは限らない。数人の編集者達が選ぶ。そして掲載された作品をみんなで合評する。辛辣な意見が飛び出す。具体的にいろいろ教えていただける。そんな場は新参者には新鮮だった。合評会(定例会)は同人と、このときだけ顔をあわせ言葉を交えることのできる楽しい日でもあった。
滋賀作家は、プロとして活躍しておられる方、セミプロの方、私のようにずぶの素人といろいろだ。が書くと言うことに、誰もが楽しみを見出しておられるのだろう。

私の未熟な作品を合評していただ時のことを再現してみよう。

§ 繋ぎあわせて§滋賀作家クラブ 同人誌VOL.109号ヨリ赤字は合評会の意見。青字はそれに対する私の意見
 奈良県の片田舎の雑貨屋には何でも売っていた。流行とはまるで縁のなさそうな衣料品から、果物、肉、魚、調味料、それに下駄や長靴もあった。天井から大きなザルがゴム紐で吊るされ、そのザルが引き下ろされるたびに煮干や鰹節の匂いが動く。小銭の入っている小さいザルもぶら下がっていた。少し頭髪の薄くなったおじさんが、何百種もある店の商品を、間違わずに注文通りに取り出していた。
その雑貨屋へお使いに行くのが大好きだった。祖母に頼まれて腑糊を買いに行く。
途中で、もうもうと土埃を立てて走るバスに出くわす。私は砂埃にすっぽり埋まり目を開けられない。小さい手を左右に振って、土埃を吸わないようにする。バスが遠ざかり、土埃が地面に沈んで視野が開けると、明るくなった先にジュズダマが揺れているのが見えた。ザワザワ鳴る大きな葉の間に黒々とした実が光っている。「ジュズダマを採らんとアカンな」呟やきながら、お使いの足が速くなっていく。
 祖母がお湯を沸かして腑糊を待っていた。伸子張りの準備が出来ている。庭の木と木の間に布が吊られて揺れている。祖母が、溶いた腑糊を洗面器に入れ刷毛で塗っていく。まんべんなく丁寧に同じ濃さで塗っていく。両端に針の出ている竹籤を、測ったかのように等間隔にその布に懸け渡していく。一分の手違いもなく手早く動く祖母の手に、私はすっかり見とれていた。

読者層を何処においているのか。現在伸子張りを知っている人はいない。伸子張りに(注)をつけるべきだ私は読者層を意識して書いた事がない。自分の心をさらせ出せ、それによって昇華されるものがあるのでそれだけで書いてきた。あえて言うなら読者層は無意識に私と同じ年代層においていたかもしれない。伸子張りは、物を書こうという人なら、分からない単語や文献は自分で辞書を引くなり調べる楽しみを持つのであって随筆に(注)などがいるのだろうか。
 伸子張りが終わると、だらしなくだらんとしていた布が、ピーンとなりまるで長い長い「龍」のように揺れる。「動かしたらアカン」と言われても、私は面白くそれを揺らすのが好きだった。花模様がいっぱいに描かれた布は可愛い小龍で、黒く光った漆入りの布は大龍が大荒れしているようだった。
小春のなかで、伸子張りの終った布は、夕方には、優しい陽をたっぷり吸って乾く。
「小春」は阪田三吉の嫁さんだ、きっちりと「小春日和」と書くほうが良い「小春」と書くところが作者らしい感性だと言う人もあった。私としては小春は季語にもある。 
 伸子を外すのは私の役目だ。大小の龍が畳まれて行き、布に戻っていく。父の薄給では、親子四人(祖母、父、姉、私)の暮らしぶりは満足ではなかった。「親子」ではなく「家族」とすべき。
 祖母が縫い子の内職をして生計を助けていた。祖母の仕立てる着物は、「着易く丁寧に仕上げられ、着る人を美しく見せる」と評判だった。新品の反物だけでなく、古着も伸子張りをして仕立ていた。それは、依頼者の子供の着物やコートに縫い直される。そんなとき布が余る。依頼者はたいてい余った布は要らないと言う。
 せっせとお針の仕事をしていても、自分の着物や孫の私たちの晴れ着を縫う経済的ゆとりはなかったようだ。
縫い物をする祖母の傍らで、私は人形遊びをする。人形の着物は本物そっくりに縫ってくれたものだ。蒲団も本物と変わらない。祖母が針を運びながら、私を見て言う。「これはエエ反物やなぁ〜〜。こんな着物の似合うエエ娘さんに、なりや」と老眼鏡の奥から、優しい目を瞬かせる。私はその意味は分からないが、こっくり頷く。優しい目が厳しくなる時もあった。
「婆ちゃんもエエ着物をいっぱい持ってた。これよりもっともっとエエ着物やった。み〜んな戦争の時に米や野菜に交換してしもぅたんや」と、口惜しそうに言う。「残ってたら、和子にもよう似合うたやろに」と遠くを見るように言う。
 しかし、私はそんな祖母の言葉より、残り布を繋ぎ合せて人形の着物や、お手玉を作ってもらえるかどうかのほうが、大きな問題だった。
「婆ちゃん。ジュズダマがもう黒うなってた。明日採ってくるしなぁ……」と、それとなく催促をする。

会話の「」の後ろに”と”が多すぎる。  そんな私に祖母は「ボチボチ、針や糸の使い方も覚えんとアカンなぁ」と、糸切り歯で糸を切り、二本指で鮮やかに反物の縫い目をしごいていく。その仕草は子供心にも、ドキッとするものだった。そんな仕草の真似は早く覚えられたが、真直ぐに針目を揃え、細かく縫うことはなかなか出来なかった。会話は改行したほうがよい字数が制限されているので、つい詰めているが制限字数も守り、自分の思いも書けるようにしたい。 
 祖母の作るお手玉は、どんなに乱暴に扱かっても解けることはなかったし、布の配色が綺麗で、一緒にお手玉遊びをする友たちにも人気があった。
 ままごと遊びの小さい籠を手にして、川原へ降りる。お手玉にジュズダマを入れるのだ。祖母は大豆や小豆を入れることは決してなかった。どんな屑の豆でもそれは食料だったのだ。
 ジュズダマを一粒一粒籠に集めていく。枯れた草の匂いが強く鼻につく。川原に吹き付ける風が、スカートを捲り上げ、もうすぐ来る木枯しを感じさせた。私は、匂いや風に負けないでジュズダマを籠一杯に集める。黒い実の中の糸のような芯を取り去り繋げて首飾りにする。首飾りは、手の中で擦り合わせると、「ザラザラザラ」と風や波の音を奏で私の胸元を飾ってくれた。
大きな缶に、金糸銀糸、夢のような色合いで地模様のある布や、漆が入ってピカピカ光っている布、さわるとツルツルとして気持ちの良い布、端っこだけが残って、描かれていた元の模様は山か川かと想像するだけの布、絞り地のでこぼこ布、透けた布などが大小不揃いに貯めてあった。缶を開けると、布が光を放ったように飛び込む。それは夢のように美しい色が飛び出す缶だった。その缶から何枚かを取り出し、彩りよく組み合わせ、長方形に切り揃え、そして袋にしてジュズダマを入れていく。祖母の作ってくれた色とりどりのお手玉が手に次々と乗っていく。どれも柔らかい手触りのよいお手玉だった。
 あのお手玉を何処にやってしまったのだろう。もう手元に一つも残こっていない。私は作り方も忘れているし、作っても祖母のように上手には作れないだろう。
そんないろんなことを思い出し、時々着物を着る。祖母が話していた「戦争で失った着物のこと」「口惜しいかった思いのこと」そして「白く光った糸切り歯」。それらをみんな背中に背負い(背中心)に集めて着物を着る。
「婆ちゃん、どうや! エエ女やろ」と、姿身に映す。が、「ハハハ。まだまだエエ女と違いますな」と祖母の笑い声が聞えてくる。
「でもなぁ〜婆ちゃん。私いろんなこと繋ぎ合わせて、婆ちゃんの縫うた着物みたいに思って、心に纏うてるんやよ」。
タイトルは平仮名のほうが良い。尻切れトンボのような会話で終らないで、なにか余韻を残すような言葉で締めくくってはどうか。三日ぐらい寝ないで考えてごらん 難しい。先に小春と言う言葉を出しているのでそれに繋げて「窓からあの時のような小春が差し込んでいた」とでもしょうか……。
全体評は、昔の人の物作りの精神性が良く出ている。タイトルの繋ぎが手繋ぎ(継ぎ)につながり良い。お手玉を無くしたことによる、喪失感が懐かしさとなる情感が出ている。現在の高齢者は自分のする事が分からない人も多いが、昔の人特に田舎の人は、充実した人生を送っていたのだと思う。最初の書き出しが、こんなふうにすんなりと出てくるのは良い。
いろんな意見を有り難く頂いた。私は脂汗を流して最後の文章を考え、亡くなったNさんに披露した。「そんなこと、別に捕らわれんでもええんです。人それぞれの個性ですから。でもそうやって考えたと言うことが貴重なのであって、その為の案だったのでしょう」と言われ、なんだか気が抜けてしまった。
でも、私はいま思っている。亡くなられた方ゝは優しい笑顔でヒヨコの私を見守っていて下さった。そして書くことの楽しさを教えて下さり、またそれに対する真摯な姿勢を見せて下さった。本を出すという目的で始めた文綴りである。目的が達成できれば止めようとも思っていた。でもあの厳しいが優しい目を思い出す。私は書き続けていきたいと思い始めている。そして今、書くことの意義や、先輩達の数々の教えを守っていけることを願っている。
十二月、私自身も年を重ね、本人、知人のご両親、兄弟、姉妹。そんな方の訃報に多く出会うようになった。
残された者が、教えと感謝を胸に頑張ろう。それが残っている者の使命なのかもしれない。


 誰にでも過ぎた日と新しい日の来る十二月

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大つごもり  彩(いろ)   
 
(これは日の菜の漬物のこと)
 大つごもりの紅黒色の暮夜から、白々と新年の朝につながり、最後には輝く白肌が来る年を喜ぶかのように光っている。
葉は緑混じりの赤褐色。葉と根の交わり部分は紅色と墨色をかけた紫色で、小豆色、薄紫色と先端に行くほど白く輝く。この細い一本の根に、何枚の薄絹を重ね、果たして何色何種のドラマが詰まっているのだろう。
 私は祖母に育てられたが、中学生のときに亡くした。父は家事の躾けが何一つ出来ていないことを婚家に詫びながら、私を嫁がせた。
私は手本とする母親を持たない。しかし手本のないことが、逆に私自身が描く主婦像を造りだせたのかもしれない。
結婚して最初にやりたかったことは、漬物を漬けることだった。「糟糠の妻」は今や死語に近いが、結婚した昭和四十六年頃は、理想の妻・女・母の代名詞のように言われていた。私は真っ白の割烹着を着け、料理本と首っ引きで「糟糠の妻」に挑戦した。
 十二月になれば白菜を庭に広げて干す。借家に広い庭と柿の木が数本あり、干した白菜の白く丸いお尻が艶かしく、その上に柿の照り葉が舞う。白と赤のコントラストは一幅の絵のようで、新婚の喜びと主婦をしていると言う満足感が私を包み込んでいた。
胸を高鳴らせ、漬物石用に借家の庭石を洗っていたが、美しく見惚れる景観からすぐに現実に引き戻された。庭に転がっている石を洗う私を見て、大家さんが飛んで来る。
「あんたはんの嫁入り道具には、漬物石もおへんのか」
大家さんは、夫が独身時代に下宿をしていた家主であり、今度の借家の大家でもあった。事あるごとに、私に色々と意見をしがてら新居を覗きに来る。そして、いつも帰り際に「京都ではそんな仕方や物言いでは通用しまへんで」と叱りつけて帰る。それならどうしたら良いのかは教えてくれない。父は「近所姑や。気にすんな」と言ってくれるものの、私は辛い思いをしていた。
 出産予定日が十二月二十七日だった。
「そろそろ漬物の重石を減らそうか」と、十二月九日、柿の照り葉が初冬の風に舞い始めるのを見ながら重石を持ち上げた。とたんに下腹へ鈍痛が走った。漬物作りも、出産も何もかもが未知の体験である。自分の体がどんどん変化していくことや、日常生活に不安ばかりが先立ち涙が込み上げてきた。
 重石をそのまま漬物の蓋も閉めずに、産院へ駆けつけて直ちに入院となった。
鈍痛が波のように繰り返すだけで、一向にお産は始まらない。「母親がいなくて寂しいだろう」とよく聞かれた。私は一度も寂しいと思ったことはなかったが、このときばかりは「母親が欲しい」と初めて思った。
恐怖と不安の二日が過ぎ、十二月十一日に長女が生まれた。先輩となる姉妹もない。赤ちゃんを見るのは初めてだった。触るのが怖かった。泣くとオロオロした。
しかし、なんと可愛いのだろう。小さな口を開けて欠伸をする。小さな握り拳と、よく動く小さな足が可愛いい。一日中頬擦りをして抱いていた。
 授乳も沐浴もオムツ替えも「あまりにも下手で見ておれない」と、普通より長く病院で特訓を受け、クリスマスの日にようやく退院できた。
 赤ちゃん(長女)をやっと寝かしつけ、漬物を放ったらかしていたのを思い出した。 
「パパ、お漬物どうなってる?」
 夫の呼び方がいつのまにか「パパ」になっていた。夫は「知らない」と言う。漬物どころではない。何よりも赤ちゃんが最優先だ。 
 ところが漬物はちゃんと蓋がされ、重石が外されて台所の隅に置いてあった。
大家さんが後始末をしてくれていたのだ。
 入院する前に残っていた柿の照り葉も総て落ち、雪が静かに舞っていた。凍てる寒さの中で白菜の漬物を出した。とても美味しく漬かっていた。冷たい漬物が幸せな気持を口一杯に広げてくれた。
 そして、七年後に三人の子を引き連れ滋賀県へ転居して来た。近辺では冷え込みがきつくなると「万木蕪」や「日の菜」が干される。これは、寒風に晒せば晒すほど甘味が増し、柔らかくなるからだ。日野菜は種子を他府県で蒔いても、あの滲むようなグラデーションの色は出ずに、白くて辛いばかりの根になると言う。
「京都では通用しまへん」と言われて泣いた私も、今や「万木蕪」が芯の白い部分まで紅色に染まるように「主婦」という色に染まり切ってきた。日野菜はどの場所でも、色付く訳ではないらしい。私もこれで良いのだと思っている。
大つごもりの鐘を聞きながら日野菜漬を取り出す。新しい年が白々と立ち上っていく。


       頁繰る速さ増しゆく年の暮れ

2008.12.28

 この一年、沢山のお友達に恵まれました。私的なエッセイを綴ってきたブログですが、多くのご指導や応援に感謝をいたしております。有難う御座いました。
また来年も日常の記録を綴っていければと思っています。
木村徳太郎のコーナーも模様替えをして続けて行きたいと思います。

 
皆さまとのご縁を始めとして、いろいろのことを来年へ繋げていけることに感謝しつつ、みなさまも良い年をお迎え下さいますよう、お祈り申し上げます。弥榮。     
        有難う御座いました。



    歳の市   木村徳太郎  

        季節が電線(ねじ)を
        しめるから

         街には風が
         鳴ってゐた。

         市場帰りの
         お籠には

         嬉しい新春が
         ひそんでた。

         季節が日脚を
         せかすから

         街はせわしく
         うごいてた。

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冥加 の 柚子づくし   
 
 冬耕の畦道に点描画のように浮かぶ柿の実も好きだが、緑葉に陽を反射し黄金色に輝く柚子の実はより好きだ。
 最近これらが採集されずに、いつまでも野を飾る姿をよく見かける。鄙びた風情だが「冥加に悪いな〜〜」と、私はあの口真似をする。

 我が家に柚子の木が三本ある。一本はデコボコアバタ面の大柚子。一本は小さく美肌の花柚子。あとの一本は、大柚子の実生から育ったものだ。どれも毎年たくさんの実をつける。刺に苦しめられながら採集した実をいろいろと加工するのが、私の大きな冬の楽しみだ。ストーブに土鍋をのせ、じんわりと柚子ジャムを炊く。果汁をしぼり製氷皿で氷の柚子キューブをつくる。皮を小さく刻んで冷凍する。柚子味噌を作る。四つ割りの大きな皮を砂糖煮にする。柚子大根を作る。蜂蜜につけこむ。百円ショップでガラス瓶を買い求め絞り汁を詰める。絞りかすは手の中でヌルヌルとするが、後はすべすべの手になる。指の先から香りが湧きあがる。残りかすの種は焼酎につけ化粧水を作る。ストーブに乗せた柚子ジャムが湯気をあげ、家中が柚子の香りで満ち衣類に香りが沁みこむほどに柚子、柚子で埋れる。そして、柚子の香りをたずさえて、ジャムや絞り汁の入った瓶をお裾分けに走る。宅急便の荷を造る。それらは色んな物に変身して戻ってくる。海老で鯛を釣るのでなく柚子でメロンを釣るようなものだ。
 いろいろに加工し保存される柚子は、一年中の楽しい恵みとなる私の大きな仕事なのだ。今年も無事に終えられた。
 最初は柚子がこんなに優れ物とは知らなかった。「柚子の大馬鹿十六年、桃栗三年柿八年、柚子は九年の花盛り」などと言われ、実生栽培は結実までに十数年は掛かる。一本は実生から結実しているのだから、私の「柚子開眼」は十数年前に遡ることになる。
 世帯を築き始めた借家の庭に、柿の木と蜜柑のような木があった。よちよち歩きを始めた長女が落ちているその実を「まんま」と言って持って来る。二人で割ってみると未知の香りがし、汁が飛びちり目が痛かった。「これはまんまではないからね」と言い聞かせた。大家さんが、その実を木守柿と同じようにいくつかを残こしていく。雪が積ると白と緑と黄金色の美しい装いになり、まるでクリスマス・ツリーの金の玉のように輝いていた。
 滋賀に転居し、懐かしい木を次々と植えていった。夫は柿の木から転落し、4里の道のりを父親に背負われ町の医者に行ったことを話しながら柿の木を植えた。私は子供時代に過ごした神社の鎮鎮碑横に千切れ雲のように咲いていた辛夷の木を植えた。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/41229555.html童謡を懐かしんで棗(なつめ)の木を、無花果(いちじく)を木通(あけび)を茱萸(ぐみ)を栗をと、子供時代の懐かしい木々を植えて行った。父からは梅の木もプレゼントされた。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/34026603.htmlそして、その蜜柑のような黄金色の実の成る木も植えたのだ。目を楽しませる懐かしい風物詩として植えられ、私は実がいくら成っても採らなかった。
 あるとき、我が家の鈴なりのその実を見た人が「奥さん。生り物を採って食べへんのは冥加に悪い。ちゃんと採って有り難くいただかんと。採らへんのやったらワシが採ってやろう」と、身軽に刺の枝を掻き分け実を採ってくれた。「これは観賞用なんやけど」と思いながらも、その「冥加に悪い」の言葉がとても懐かしく響いた。祖母がいつも「冥加に悪い。バチがあたる」と、物を粗末にしたり我儘を言う私を諌めていた。久しぶりに聞く「冥加に悪い」と言うその言葉が懐かしく胸がつまった。「これは柚子で、絞り汁を焼き魚にかけたり、鍋料理に使ったり、風呂に入れたりと重宝する物でっせ」と言う。
それからだ。「冥加に悪い」「冥加に悪い」と言いながら、私は刺でひっかき傷をつくりながら柚子を収穫しだした。そして、年々柚子の利用法のレパートリを増やして行った。庭に野菜屑を埋める。そこから柚子も芽をだした。それが大きくなり実をつけているのだから、私の柚子仕事は、有(柚)に二十年近くのベテランとなっているわけだ。

 デイサービス(通所老人介護施設)へ柚子を届けに行く。あのときの「冥加に悪い」と柚子を採ってくれた人も、もう身軽には動けずデイサービスに通っている。
 明日は冬至である。柚子をたくさん浮かべて湯につかる。湯が黄金色に揺れ、たっぷりの柚子の香りに包まれた、柚子風呂に入ってくれるのを願って持って行く。「あ〜〜良い湯だな。極楽極楽。冥加にええわ〜」そんな声が聞こえてきそうな気がする。
 節気のなかで私は冬至が好きだ。冬至を境に日足が伸びて行く。春が近づくのだ。いくら寒くっても陽と遊ぶ時間が長くなっていく。柚子をかき分け入る湯船の手足も伸びると言うものだ。
 山頭火に「ゆふ空から柚子の一つをもらふ」の句がある。ゆふ空は、赤く燃える夕焼け空で、そのなかに浮かぶ金の玉(柚子)を一つもらふのだろうか。それとも薄紫のとばりが落ちはじめた夕星の輝きのような柚子を一つもらふのだろうか。どちらにしても、美しく輝く柚子の玉を両手で受けるようにして愛しむ山頭火が浮んでくる。山頭火も日脚が伸びていく嬉しさを思って、柚子を一つ手に包み込み生きる喜びをかみしめたのではないだろうか。そんなことを思う。
「これはまんまでないよ」と教えた、よちよち歩きの娘が湯気の中に浮んでくる。寒い夜、受験勉強の手を温めながら熱い柚子茶を喜んでくれた息子が浮んでくる。湯気と香りの中に、柚子を沈めたり浮き上がらせたりしながら人生の浮き沈みも思ってみる。
 明日から、また新しく、陽が伸びて行くのだ。
湯治(とうじ)と冬至(とうじ)の語呂を合わせ、身体息災であれば融通(柚通)が利くという、こじ付けからの柚子風呂らしいが、私には嬉しい冬至の柚子風呂である。


       浮き沈みの香りともない冬至風呂

2008.12.20



    みかんの木   木村徳太郎  

        裏のお背戸の

        みかんの木

        今朝は ぽっくり色づいた。


        北支に征った

        お父さん

        みかんの実をば あげたいな。


        裏のお背戸の

        みかんの木

        今年は一人で 食べまする。

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 絵本「星たちは花になりました」(十二月 ススキとオウシ座)より

触れもせで    

『触れもせで』は、「向田邦子との二十年」とサブタイトルのつく久世光彦さんのエッセイ集だ。触れもせでとは「親しくしているのに、指一本触れたことがない」と言う意味だろうか。私は二人の大ファンなので、切なく艶めかしいこのタイトルにはドキッとさせられる。 
 向田邦子さんは飛行機事故で、久世光彦さんは前日まで元気だった七十歳の朝に亡くなっている。最近、七十代で亡くなる人が多い。緒方拳さんもそうだ。突然死と聞いて驚くが本当は癌と戦っておられたのだ。
そんなこともあり、七十代の知人から少し音信がないととても気になる。問い合わせると「気遣いは無用!人は知らぬ間にこの世から消えているのがよろしい」と素っ気ない。そうだろうか。やはり、それでは少し寂しく切ない。
死とは、残された者が死んだ人にこだわっても、死んだ人は残された者に何の思いも持ってはいないと言うことだろうか。その人が突然に死去する。それを知らなかっただけで、本当は癌と戦っていたなどと後で聞かされると、置いてけぼりを喰ったようで寂しい。と言って事前に聞かされても、どう対応してよいのかも判らないが…。

  今夏、同人誌の会に入った。セミプロに近い人ばかりで私の居場所はない。お互いの作品を読んで批評、アドバイスをし合う合評会に参加した。レベルの高さに何を言えば良いのか萎縮してしまった。そんな中で目に止まる小説があった。大手出版社の「同人誌コーナ」でも取り上げられているものだったが、私はそんなことも知らず「まるでプロ作家みたいですね。素晴らしい作品を無料で読めるなんて嬉しいです。私などがここにいるのは会の品格を落すようで、申し訳ありません」と、トンチンカンなコメントと共に謝るのが精一杯だった。
するとその作者は「作品を読んでくれて有難う。遠慮する必要はない。書くことを楽しみに勉強をしなさい」と言われた。そして私の拙い文章を「これは詩ですなぁ〜」と褒められたのだ。同人に詩作する人もおられ「詩?これはたんなるオバチャンの井戸端会議ですがな」とも言う。
 私はいままでに自分の文章を「詩」と言われたことなどはない。だから、ほかのどんな言葉を聞くよりも、飛び上がるほど嬉しかった。そして、その方のファンになってしまった。その方の作品を読むのが楽しみだった。優しい笑顔に何だかドキドキしていた。
 同人会の案内状の片隅に、「Yさんが亡くなられました」と鉛筆の走り書きがあった。Yさんとは、ファンになった「その方」のペンネームだ。最新号のYさんの作品を読み終えたところだった。連載小説で、夫婦の愛憎が絡み、企業の複雑さが描かれている内容なのだが、その号では主人公が癌に冒されていた。その描写があまりにも克明で真に迫っているので、「ひよっとしてYさんは癌?」と思わせた。あまりの壮絶な筆力に戸惑いを覚えたところだった。文中で残された妻が、以後関わっていくであろう「介護保険」のことも詳しく書かれていた。私は介護福祉士なので、実によく調べられているその内容に驚いた。そして「もしや」と思った矢先だった。私の感は的中した。Yさん(その方)は肺癌だったのだ。それを誰も知らなかった。私的な事を何一つ話さない人だったらしい。「死んでもすぐには知らせるな。10日後には知らせてもよい」との遺言だったと聞く。
私はその方に三回しかお会いしていない。一回はマスクをかけておられた。あれは病気と関係があったのだろうか。作品には、まだまだ続きがあっただろうに。主人公が癌で亡くなる場面で遺作となったのだ。奥様によると「書くことが励みとなり、寿命を延ばしていたのではないでしょうか」とのことだ。
 死と戦っていることを知らなかった者は、その突然死に唖然とする。緒方拳さんが癌だったと後で知ったときも「ずるいな〜。ファンは置き去りだ」と思った。死ぬことで、残こされた者への気配りは不要なのだろうか、死とは知らないうちに消えていることを良しとするのだろうか…寂しくて切ない。

「触れもせで」「死」。何か似通っていないだろうか。私にはそう思えてくる。

 十二月になり喪中葉書が舞い込む。年々その枚数が多くなる。「袖振り合うも多生の縁」前世からの縁で袖触れ合った人に、私はみな「触れもせで」の想いがある。指一本触れたことはない。でも「袖の振り合い」が私には触れたことなのだ。

 今日もまた喪中葉書が一枚届いた。寂しい季節だ。木枯しが切ない思いを笑うように吹いている。

     時雨似ていきなりの喪中状
2008.12.06



 唐招提寺 ―土塀と築土―  木村徳太郎  

         誰も来やへん

         秋風に

         笹がへらへら 

         なる土塀。


         巴瓦よ

         紙あてゝ

         4Bで擦れば

         ほい出来た。


         とてもとっても

         えゝおます

         唐招提寺の

         石刷や。


         誰も居やへん

         秋晴に

         牛がモォーと

         鳴きよった。




 

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