来た道行く道通りゃんせ/風にのって花ひとひら

のんびりしたブログですがよろしくお願いいたします。

一月の歌

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一月の歌(蜜柑)

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ミカンのオブジェと古い写真
みかん愛しや  
 冬に大粒の苺もある。南国の果物もある。
しかし私の冬の定番は、炬燵の上の蜜柑だ。一つをストーブの上に乗せ、焼き蜜柑にしてみる。「ジュー」と音がして果皮が焦げ、匂いが広がる。熱さに転がしながら皮をむく。湯気が立ち上っていく。その湯気の先にいろんなことが揺れていく。蜜柑の房が肩を寄せ合っているように、思い出も肩を寄せ合いゆらゆらと揺れていくようだ。

 あのごろは時間がゆっくり流れていたのだろう。子供達だけで誘い合わせ幼稚園に通った。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/34595765.html
 祖母が私のポケットに必ず蜜柑を二.三個入れてくれる。ポケットが膨らむと、毛糸の手袋やマフラーもよけいに温かさが増すのだ。誘い合わせの最後はMちゃん。Mちゃんは朝寝坊で私達が誘いに行ったときは、いつもまだ寝ていた。私達は座敷に上げてもらい、私のポケットの蜜柑を取り出し火鉢にのせて待つ。蜜柑が膨らみシュルシュルと湯気が出始めたころ、支度を終えたMちゃんが現れる。Mちゃんはいつも大きなリボンをつけた可愛い子だった。その可愛いリボンを見るのが楽しみで、誰も待たされることを怒ったりはしなかった。
 私には別の楽しみもあった。Mちゃんのおばさんは綺麗な着物を着ていて、時々私たちの火鉢の前で着替えをする。それが手品のように着物を脱がないで別の着物に着替えるのだ。私はこれが不思議でしょうがなかった。こっそり真似て服を脱がないで着替えようと、手を捻ったり口で服をくわえたりしてみたが、やっぱり上手には出来なかった。おばさんからは良い匂いもした。それは花のような匂いだった。
 綺麗な着物やうっとりする匂い、綺麗なリボン。ちよっと私たちと違うように思うこともあったが、子供はそんなことには無頓着。毎日友達と転げ回って遊ぶことに忙しかった。
 焼き蜜柑に甘い花の匂いがのることもある。湯気の先に大きなリボンが浮んで揺らぐこともある。

『孫叱るのも大事な役目』
2004年記

「二歳の孫がやってきた。半年ぶりに会う孫は背丈も伸び言葉も増え、みちがるばかりに成長している。やんちゃぶりも増大だ。
孫が炬燵の上の、籠に盛られたみかんを一瞬でけとばした、玩具に交ざり、黄金の実が四方八方に転がった。孫はその転がりがおもしろいのか、それを追って目を輝かせ踏みつけようとする。
「食べ物になにをするの! 駄目でしょう! 」。私の声がよほど激しかったのか、きょとんとして次に尋常でない大声で泣きだした。その泣き声に叱ったことを少しかわいそうと思ったが、追い打ちをかけるように「泣いている間があるのなら、さっさと拾いなさい」と声を荒げた。
泣きながら、小さい手で一つ一つ拾って籠に入れていく。みかんは彼の涙と鼻汁でズルズルだ。パパは「泣きながらも拾っている」と感心して我が子をみている。拾い終りママにだきしめられて「まんま(食べ物)にごめんしょうね」とみかんに謝っている。みかんにぺこぺこ御辞儀をする孫のしぐさに、つい私も御辞儀をしてしまった。そして『叱る婆ちゃん』も必要かなと思った。叱られることなく成長するより、叱ってくれる人がいたことも成長の糧にして欲しい。それが大人の役目だ。後で孫と食べたみかんはことのほかおいしかった。」

 あれから六年、孫はすっかり成長し4歳違いの妹も増えた。

 蜜柑を箱買いする時、「○月○日に点検しました」とラベルが貼られているが、ときどき痛んでいる物も混ざる。私は必ず点検して選り分け、大きな籠に入れ替えるようにしている。
 帰郷した女児の孫の姿が見えないと思ったら、この大盛りにした籠の前でもくもくと蜜柑を食べていた。私は大笑いしてしまった。その姿に娘の幼児の時がだぶったのだ。
急いで娘の小さい時の写真を探し出してきて孫達に見せた。母親の子供のときのアルバムを見て孫達は目を輝かせる。「ママぶすだね」とか言いながらとても嬉しそうだ。ママは苦笑だ。私はなんだか安心した。そして「蜜柑から逃げられない運命なんやね」と呟いていた。
 娘は会社務めをしながら育児をこなしている。長男に嫁ぎ、実家は蜜柑山を世話している。会社員の義父は休日にしか山の手入れは出来ず、蜜柑は自宅用や注文を受けた知人だけに販売しているようだ。シーズンになれば娘夫婦も作業に駆り出される。娘はそれが苦痛らしく愚痴をこぼしていた。勤務と育児、その上に休日の手伝いはかなり苛酷だと私も思う。しかし育児は一時のこと。いつか手の空く時が来る。その時のためにも仕事も蜜柑山も大事にするように言っていた。 
 あの時、蜜柑を追いかけていた孫も、いまや「ママの手助けをするんだ」といばっている。蜜柑が大好きな妹もいる。愚痴を言いながらも蜜柑山の手伝いに行く娘にエールを送り、そんな巡りあわせに私は微笑むのだ。
 蜜柑の汁で絵や字を書いて「あぶりだし」をして遊ぶ。孫が蜜柑のヘタを裏返し、これで袋の数が分かると言う。そうだ、私の小さいときも皮をむかないで袋の数を当てて遊んだものだ。カルタや羽つきの景品はいつも蜜柑だった。蜜柑は優れものだ。冬だけではない。
 電車に乗ると父は必ず冷凍蜜柑を買ってくれた。赤いネットに入っていて、顔に当てると熱さが飛んでいく。それほど裕福な生活ではなかったが、父もそれを食べるのが嬉しく外出が楽しみだったのではないだろうか。日々の生活の苦労もそんなことで癒していたのではないだろうかと思う。蜜柑のオレンジ色に暖かい思い出が流れていく。
オレンジ色だけではない。青い蜜柑もある。運動会は青い蜜柑がおやつだった。白線を描く石灰の匂い、空砲だったがスタートの合図の硝煙の匂い、懸命に走る汗の匂い、そんなものに混じって青蜜柑のすっぱい匂いがしてくる。
 皮も馬鹿には出来ない。干して風呂に入れる。湯はいつもさら(新)湯ではなかった。少し古い匂いの湯に蜜柑の匂いが混ざる。ゆっくりと手足が伸ばせ、家族の匂いがした。祖母は蜜柑の皮を煮出だしそれで拭き掃除をしていた。ワックスをかけたように板の間が黒光りした。蜜柑の皮で油汚れの食器を洗う。蜜柑は本当に優れものだと思う。

 腑に落ちない蜜柑の思い出もある。

 田舎の土間は薄暗かった。玄関は下半分が板になった破れ障子の引き戸だけで、鍵などは無い。そしていつも寒い風が容赦なく入り込んでいた。
 私は一人で留守番をしていた。のそっと若者が入ってきて暗い土間へ「みかん」と書かれたダンボール箱を、投げるように置いた。冷たい風が一緒に入ってきた。
「わぁ〜やっと着いたのだ」。
それより1ヶ月ほど前、父の知人から蜜柑を送ったと言う便りがあったのに、一向にそれの届く気配がなかった。小躍りして蜜柑の箱を持とうとする私に「送り賃が払われていないから、払ってくれ」と言う。私は困った。お金のある場所が分からない。「留守で分からないから、後で届けます。場所を教えて下さい」と言うと、恐ろしい顔で私を睨みつけ、家の中をみまわした。
 私は恐くなった。若者が一歩私に近づいた。そのとき、大親友だった知恵ちゃんが「遊ぼ〜」と戸を開けた。知恵ちゃんもその若者が恐いのか若者を避け、横歩きで私の前に来て私の前に立ってくれた。若者はそのままお金を払う場所も言わずに帰っていった。知恵ちゃんと私はダンボールを空けた。蜜柑が3分の2ほどに空(す)いてその上に、つい二週間ほど前の新聞が被せてあった。
千恵ちゃんの家も裕福ではない。私たちは突然のプレゼントに大喜びをして蜜柑を頬張った。
帰宅した父に「送料を払って欲しい」と言われたことを話す。「そんなはずはない。着払いで送るようなことはしていないだろう」と言う。そして新聞の日付を指摘すると黙ってしまった。暫らく黙ったままでいた父が、頭を優しく撫ぜてくれた。
「知恵ちゃんと蜜柑沢山食べてしもうた」と話す。父は最初から3分の2ほどしか入っていなかった蜜柑に、私たちがどれほど食べたのかと呆れていた。
 あのとき、もしお金を渡しお金のある場所を若者が知ったなら、どうしていたのだろう。あのとき、知恵ちゃんがこなかったら、どうなっていただろう。あの不気味な目の光りを私はときどき思い出す。人を疑うことはいけないかもしれない。しかし、世の中、疑うことも大事なような気もする。運が良かっただけですまないこともあるような気もする。

 蜜柑の箱には「○月○日に点検しました」とラベルが貼られている。しかし、痛んでいることもある。怒るより、信じないことも大切なような気もして、蜜柑を選り分けている。
痛んでいる蜜柑は木の枝に突き刺しておく。冬鳥のご馳走になり、鳥たちはお礼に木の実を落として行く。そこから春には二葉の芽がでる。


  みかんむき口に出ぬこともむいていく


           ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


          みかんの木 木村徳太郎 

        裏のお背戸の
        みかんの木
        今朝はぽっくり色づいた。

        北支に征つた
        お父さん
        みかんの實をば
        あげたいな。

        裏のお背戸の
        みかんの木
        今年は一人で喰べまする。

謹賀新年

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水墨画「日々平安」花逕(花ひとひら)
謹賀新年
西暦2010年・皇紀2670年庚寅 
 
 明けまして
おめでとう ございます

昨年はご指導かつ、ブログ友としてのご厚情有り難う御座いました。お礼を申し上げます。
今年もよろしくお願い致します。


    ≪日々に新たに!≫


年頭まず自ら意気を新たにす
年頭古き悔恨を棄てる
年頭決然と帯事を一掃す
年頭新たに一善事を発願す
年頭新たに一佳書を読む  
平成二十二年  元旦

世界遺産南朝皇居 吉水神社 宮司 佐藤 素心

 大晦日の夜は雪がしんしんと降っておりました。雪の中を伝ってくる除夜の鐘は、(古き悔恨を棄て)さるように清々しいでした。
元旦は雪山を遠くに青空がまぶしい(自ら意気を新たにす)そんな清い空気が漲っていました。
帯事を一掃す。一善事を発願す。一佳書を読む。
これを心してこの一年をまた健やかに過ごして行きたいと思います。

 熱い国のニカラグァから長男が、新婚3ヶ月の次男夫婦が、孫と長女夫婦が、そして高齢者に入った私たち、全員そろうことが出来たお正月でした。有り難い事と思います。弥榮。
今年も、日々平安に、健康で過ごせるように心していきたいと思います。

国はほろびず
木村徳太郎

* 国はほろびず*
天子さまおわしますれば政治屋のわるき世なれど国ほろびず

吟詠新風S.58.2.15

* 直正しく*
大君あふくこころ脈々老いさきも直く正しく明るく生きて

吟詠新風S.59.2.15

* 現世に逢えず*
現世(うつし)に逢えずなりしも文もちて行ききしおりしこころのともよ

人生随順S.59.6.1

* 現世に逢えず*
つぎつぎと少なくなりゆくみちの師のみだれゆく世をいかに過さむ

人生随順S.59.6.1

* ゆくみちは*
ゆくみちは大君をいだくみちひとつとしはかはれどひたすらあゆむ

萱津神社献詠S.59.8.15

* み国の新春*
手つくりの薯を焼き喰う陽だまりの安らけき幸のみ国の新春(はる)よ

新年
花ひとひら
*会える人会えぬ人にも年賀状
*年新た塗り替えた空とんび飛ぶ
*初明かり雪明りもあるめでたさよ
*お年玉忘れて遊ぶ孫と爺
*揃いたる雑煮の味は婆がやる

一月の歌(餅つき)

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           「語らい」  
 起き抜けに甘い香りが体を包んだ。「あ!蝋梅が咲いた?」
 年末に木々の整理をした。花芽のついた枝を切る私に、辛夷の涙のような蕾が、罪悪感を募らせ責めているようにも見えたので、辛夷・蝋梅・梅の花芽が付く枝を集め、家中の花瓶に挿しておいた。その蝋梅が咲いたのだろう。
 寝床に入ってくる匂いが大好きだ。朝の匂いは心を優しく包みこむ。子供時代の祖母の作る味噌汁の匂い、世帯を持ち、朝食用にセットしたパンの焼ける匂い。先に起きた夫の入れるコーヒの匂い。寝床にもぐりこんでくるのはいつも幸せの匂いだった。
 花瓶を見に走った。梅はコロコロと、蝋梅はトウモロコシ粒のように膨らみ、咎めるような目を向けていた辛夷は大きな微笑で、彩りに加えておいたシシガシラが真っ赤に笑い、賑やかに語り合いをしていた。

 窓の外は雪が舞っている。
寒林のなか梅の木は梅ノ木、辛夷は辛夷、蝋梅は蝋梅、山茶花は山茶花と、一本一本が孤立して立っている。あの木々たちは、蝋梅が開く時、辛夷が毛で覆われた外套を脱ぐとき、梅がほころぶとき、お互いの姿を見てはいても、辛夷のパラリと脱いだ外套を受けとることはあるのだろうか。、蝋梅や梅のほころびの一瞬を聞くことはあるのだろうか。花瓶に押し込め詰め込まれた花木たちは、語り合い仲間のように楽しそうだ。
 「語り合う」ということを、ふと考えてみた。喜怒哀楽は、いつも語り合いのなかに生まれ、息づいているのではないだろうか。思い出も、人と人の繋がりもすべてそれは語り合いの中で生まれ、育っていくように思う。
 一本一本に立つ木々は、それぞれの存在を知り、お互いを見ていたとしても、もしそこに語らいがないとしたら、つまらないものだろう。
 語り合おう。辛夷の脱ぎ捨てるコートを受けてみよう。梅の戯言を聞いてみよう。蝋梅の訓話を聞いてみよう。山茶花と笑い転げてみよう。語り合うことは、朝の匂いのように幸せを運ぶことだと思った。

 雪がより大きく舞ってくる。冷たい廊下の寒気が足裏を伝ってくる。私は急いで、また寝床にもぐりこんだ。そして、蝋梅の匂いを大きく吸い込んだ。
思い出という語らいが、暖かい寝床に広がっていった。
<餅つき>
 家で餅搗きをしてみようと思った。臼も杵もない。近くの農家の庭に、石臼が無造作に放置されていた。それを譲り受けて自転車で運ぶ。夫を先頭に縦一列に並び、一家でよく近郊巡りをした。時には長男が石につまずき、自動車の前に転がったこともある。急ブレーキの音と横たわった子供自転車に、私は声も出ず立ちすくんだ。無傷に涙をこぼした帰路は、足が震え自転車が漕げなかった。石臼や野の草花や、鳥の名前をあの時、カルガモ親子のように並び、語り合いを増やして行ったのだ。
 庭に懐かしい木々を次々に植えたが混雑しはじめ、柿の木を一本伐採した。それを夫が削って杵を手作りした。振り上げた時、持手と胴が離れて大怪我をしないかと、随分心配したが、不細工ながらもなかなかの出来栄えだった。そして、近所に住む夫の同僚家族と餅つきを年毎に重ねた。小豆を煮て餡を作り、黄粉を用意し、大根をすり、丼に山のように納豆を盛って置く。同僚の子供も、我が家の子供も納豆が大好きで、丼を抱え込み餅が搗きあがるころには、いつも丼が空になっていた。トリ粉を敷いた電気炬燵の上台に、湯気と共に白くとろけるような餅が置かれる。それを女たちで丸めていく。語らいと餅が熱かった。子供たちは餅が大好きだ。たくさん作っておくと始発で出勤する夫の朝食にも重宝だった。餅がいっぱい語ってくれていた。
 幼稚園の役員をした。餅つきが行なわれるのだが臼と杵が集らない。我が家の石臼と手作り杵を出すことにした。会長さんが、我が家の道具を見て渋い顔をして驚かれた。私はもっと驚いた。別に提供された臼と杵は、家紋入りの大きな大きな漆塗りの長持ちに入っていたのだ。しかし、園児達はそんなことには気もとめず、賑やかな語らいを餅につき固め、丸めていってくれた。

 最後に餅つきをしたのはいつになるだろう。五年程前、家族に餅つきを呼びかけてみたが誰も乗ってこない。石臼は庭の手水鉢になっている。杵は物置の底で眠っている。私はいまでも、餅つきの語らいを夢見ているのだが……
しかし、花木の蕾が餅花のように語ってくれている。幸せな朝の匂いも語ってくれている。暖かい寝床はたくさんの幸せを流してくれている。それが「語らい」なのだろうと思った。


     蝋梅の香りに一歩二歩の幸


お餅は歳魂(としだま)です。お餅を食べるのは神様から新たな命の一年をいただくことです。いっぱいお餅をついて、いっぱい食べて、いっぱい「語らい」を増やしたいものです。
どこからともなく「節季候(せきぞろ)」がやってきて、夢の、現の、「語らい」を残していってくれるのです。

一月の歌(今昔)

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ビーズのお寿司と昔のあそび


正月  あそび   
 冬休みの校庭は閑散としている。校門には鍵がかけられ、木の葉が舞っても追いかける児童もいない。私の子どものころは校庭が一番の遊び場所だった。教室の勉強より、放課後の校庭で遊ぶガキ大将のほうがヒーローだった。家から8キロ近くを、峠や山道を越えて通学する児童は、いつまでも遊んでいるわけにはいかない。学校に隣接する神社が住いの私に、「勉強が出来て当たり前や。私らが遠路歩いている時に、もう宿題を済ませられるんやもん」と厭味をいう。(私はその時間には、主婦代わりに夕餉の支度をし、風呂の水汲みをしていたのだが)
元旦は登校する。新年の行事が済めば紅白の饅頭をいただき、遠路通学も家事の手伝いも気にすることなく児童たちは一緒になって、思い存分校庭で遊んだ。それがお正月だった。児童の歓声が新年の光のように輝き溢れていた。凧揚げの邪魔をする電信柱もない。男児が独楽回しを競い、こちらでは女児が羽根突きに黄色い声を上げた。奴凧が泳ぎ、抜けるような青い空から、追羽根がクルクルと虹色のマーブル状になって落ちてくる。誰かが「やっぱり羽根を落したら墨を塗ろう」といい出す。奴凧の足が千切れたと悔しそうにいう。家の近い私が硯と筆を、新聞紙と糊を取りに帰る。遊びに飽きると石段を駆け登り、初詣をすませ我が家に上がってカルタとりをした。男児も女児も団子になって遊んだ。狭い部屋で肩突合せる熱気がなによりの正月のご馳走だった。村に一軒だけある雑貨屋で、羽根突きの羽根を選び、独楽を選び、奴凧に新聞紙の足を付け、枕元に置いて「後幾つ寝るとお正月」と指折り数えて待つお正月だった。

「爺ちゃん。羽子板を作れる?」と、孫が帰省してくるなり聞く。授業で「昔の遊び」を学び「僕はけん玉。羽根突きはサミリオちゃんとハンナちゃん。独楽回しはユミジ君とルキト君。お手玉はウミト君とメルちゃんがやった」と話す。どの遊びも懐かしく耳に入ってくるが、友達の名前には驚いた。孫は夏には手作りの釣り棹で魚を釣り、秋には木の枝のパチンコで団栗を弾に遊ぶことを爺ちゃんに教えてもらっていた。羽根突きも爺ちゃんに指南を受けようと思ったらしい。しかし、羽子板は持つところが、デコボコのカーブになっていたように思う。板があっても爺ちゃんに作るのは無理だろう。変なものを作り日本の伝統文化を壊しては大変と、私はすぐさま玩具屋へ孫を連れて行った。ところが、どこにも羽子板も羽根も売っていない。それどころか棚いっぱいに並んだゲームや、リモコンカーや、ロボットに孫はすっかり羽子板を忘れてしまった。チップを挿入すると怪獣の数や姿が変化する、私には訳の分からない玩具を買わされてしまった。女児の孫も「ビーズが欲しい」と赤と白の玉を持って来る。ビーズは糸と針を使う手芸だ。さすが女の子! こうして手先が器用になるのは嬉しいことだと何の疑いも持たずそれも買った。(これが正月3日間の、揉める元になるとは思いもしなかった。)
早速ビーズを広げてみた。ビーズに針穴がない。娘が「網は買って来た?」と聞く。糸と針を使わず、専用の網にビーズを並べ水をかけて形を固めるらしい。網なら笊があると笊を持ちだしたが、ビーズの大きさと笊の目が合わない。(なんだか時代を知らない浦島太郎になった気分だ。)2日目、私はまた玩具屋に行き、セットなら網も入っているだろうと、セット表示のあるものを買った。しかしそれは、鉄火巻きやイクラの握りなどがビーズで作れる寿司セットで、ご丁寧にバラン・お箸・醤油なども入っているが網はなかった。またしても浦島太郎気分だ。3日目に娘が網を買いに行った。ビーズの材質が何だろうと不思議そうに眺めていると、孫が霧吹きで水をかけ始めた。「濡らしたら固まるから駄目」と、慌てる私に「固まっても千切ったらまた使える」という。そういうものかと私はそれ以上、止めも叱りもしなかった。帰宅した娘が「婆ちゃんは、お金が有り余って玩具を買ってくれているわけではない。無駄になるようなことはしないの」と、孫を叱りはじめた。その通りだ。が、なんだか私の馬鹿さ加減をなじられているようで、また浦島太郎のように小さくなってしまった。
孫の似顔絵で福笑いを作り、それに笑ってくれたのが私のお年玉になった。爺ちゃんは竹馬を作った。たかが玩具、されど玩具。いろんな玩具が年玉のように心に貯まっていく。
 冬休みが終わると、校庭に児童も戻ってくる。校庭が寂しいと嘆くことはないだろう。
私の時代にも、ゲームがあればやはり羽根突きよりゲームに夢中になったかもしれない。時代時代で楽しく遊んだ物が、心に残るのなら、それは昔も今も宝として同じことだろう。子どもは遊びが仕事だ。精一杯遊びをして、大きくなっていって欲しい。


       追羽根の色包みして空清く心強くと打ち返す

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