来た道行く道通りゃんせ/風にのって花ひとひら

のんびりしたブログですがよろしくお願いいたします。

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雑感

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梅干 歌 
 8月3日、やっと近畿地方に梅雨明けが発表された。平年より15日遅く、昨年より22日も遅い梅雨明けで、観測開始以来最も遅い梅雨明けらしい。梅雨の語源は、梅の実が熟す頃と重なることや、長雨で湿度が高く黴が生えやすいことから「黴雨(ばいう)」と呼ばれ、「梅雨」に転じたという説や(毎)日のように雨が降るから「梅」という字が当てられたという説などがある。
 やっと梅雨が明け、胸を撫おろしている。私にも「梅」が切り離せないのだ。

 いつもなら土用に入る三日前後に首にタオルを巻きつけ、日焼けをものともせず梅干を干す。梅を一つ一つ表裏返しながら蝉の鳴き声を汗粒のように聞き、「主婦業」に徹する楽しみが、今年のどんよりした土用の曇り空に「もう少し暑くなってから」と思ったのが間違いで、梅干しを干す機会を失っていたのだ。灼熱の太陽と夜露に当たらない梅干は、塩酸っぱの中から染み出て来る甘味がない。ふんわりした柔かさがない。
 長雨で生い茂った夏草を刈り、ビール箱を並べ、ヨシズを置き、梅を並べて行く。梅の香と草いきれが体を包む。夏はやっぱりこれでないと……。
 今年の梅雨は、異常気象と言われ各地に大きな被害をたらした。こうして、遅くなっても例年通りに梅を干せる事が有難い。厳しい夏の暑さは辛くも感じるが、やっぱり青空に入道雲、蝉の声、そして草いきれの中に広がる梅の香り、これに出会えたことに感謝する。


 「鱧まつり」 白川 淑

         チンッ 盃をあてる
       ──おかえりやす
       ──殺し文句だね
       ──言葉だけで このひとは殺せないのに

          宵山の お囃子が
          鴨川(かわ)をわたり 雑踏(ひと)をぬけてくる
       ──祇園まつりのことを鱧(はも)まつりとも言いますのぇ
         湯引きした鱧に梅肉がちょぼっとのっている
       ──おいしいね
         とろけそうな男の唇(くちびる)

         さらりと湯をくぐってきた白い肌が
         青紫蘇の上にまるく蹲っている
         ツンッ 鼻を撫でる梅のにおい
         京では 鱧の落とし と呼んでいる
       ──おまつりの一番のごっつおぅどすね

         氷の器が 灯りを掬っている
         男の箸があたると そこだけ溶けて凹む
       ──うちかて 紅い梅持ってますしぃ
         隠しぼくろのことなど 喋ってはいけないのに
         言葉だけで このひとは殺せないので

         百の骨を 剪りきざんでほしい
         白い身を 湯あらいしてほしい
         そして お味見してほしい
         とは 言えないけれど

       ──もし おうちが板場はんどしたら
         うち 鱧になりとうおすぅ……
         言葉やわらかに このひとを殺したい



 いやあ〜、なんとも色っぽい詩である。白い鱧、青紫蘇、赤い梅肉、透明の氷、彩が煌いている。「おほほ、うちかて 紅い梅持ってますしぃ」 ……。そんな事を言いながら梅干を干す。私の「紅い梅」は梅干のことだが、梅干が色っぽく見えてくるから不思議だ。囃すように蝉時雨が降り注ぐ。なんだか汗を拭う手つきまでが色っぽくなってくるような気がする。

 祖母が梅干を漬けていた。湧く梅酢に赤紫蘇を入れると一瞬に紅が散り広がる。それが不思議であった。「失敗すると黴が生え、黴が生えると、その年は家族に良くない事が起こるから」と、遊び惚け泥だらけの私を、梅干しの傍に立たせなかった。今思うとあれは祖母の密かな楽しみの時だったのかもしれない。紅色に一瞬染まっていく匂い、なんだか秘密めいた色っぽい時間が流れて行くような気がする。
 庭に梅の木を植え、花のふくよかさと実を漬ける楽しみを続けている。そして沢山の年月が流れていった。表裏を引っくり返す梅一粒一粒に、いろんな想いも一つ一つと重なって行く。あと何年、こうして紅い実をひっくり返せるだろうかと、ふと思う。
 梅干しをひっくリ返し梅に皺をつくり、私も皺を増やして梅干婆さんになってきた。

 氷の上にソーメンをのせ、青紫蘇と梅肉を混ぜてちょぼっと乗せる。大好きな夏の味覚で喉越しよくお腹に入って行く。稲穂も出始めた。新米がもうすぐ出る。新米に、今年もまろやかな梅干が乗せられる。ごくりと唾を飲む。同じような彩でも鱧にはほど遠い私である。しかし気にしない。気にしない。


             二月・三月花ざかり
             ウグイス鳴いた春の日の
             楽しい時も夢のうち

             五月・六月実が成れば
             枝からふるい落とされ
             近所の町へ持ち出され
             何弁何合量り売り
             もとよりすっぱいこの私
             塩に漬かってからくなり
             シソに染まって赤くなり

             七月・八月暑いころ
             三日三晩の土用干し
             思えば辛いことばかり
             それでも世のため人のため
             しわは寄っても若い気で
             小さい君等の仲間入り
             運動会にもついてゆく
             ましていくさのその時に
             なくてはならない
             このわたし

             九月・十月秋の日々
             山はもみじやかえでが色づいて
             里の庭々秋の声
             ふたたび仲間は
             おにぎりやシソに
             巻かれて旅に出る
             わたしはさびしく樽の中

             十一月・十二この月に
             山には雪がちらちらと
             里には木枯らし吹き荒れて
             庭ではペッタンペッタン餅をつき
             樽の中ではブルブルと
             私はふるえて年を越し

             正月元旦年明けて
             書き初め 羽根つき
             コマまわし
             家で家族が笑顔で雑煮たべ
             梅の香がふくらんで
             花の香りを待ちながら
             私は樽の中より
             おめでとう 
 
(尋常小学校国語教科書より「梅干の歌」)

こちらの方が私には似合いそうだ。汗を拭う手が せっせと働き者の手になり、梅干しを返しはじめた。

ありがとう

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 梅雨を控えて翠青々と茂る草を引く。草色が飛びだした。草陰から蛙が勢いよく飛び出したのだ。ふと目を上げれば薄色に紫陽花が染まりだしている。
これから雨を重ねるごとに彩を幾重にも重ねて行くのだろう。

 そんな彩を重ねるように「ジューンドロップ」の本に友情を重ねて下さっている。ブログで拙本「ジューンドロップ」を紹介して下さったり、書評を書いて下さったり、丁寧なお手紙を頂いたり、お電話をかけて下さったりと、嬉しいことだらけ。返品もあるが、「お父うさんが喜んでおられますよ」と多くの人が労って下さる。
 木村徳太郎、木村藍子、祖母、そして小さかった私を知って下さる方は、「思いがけず自分の昔や、徳太郎さんが彷彿とした」と懐かしんで下さり、自分の供養にもなったと話して下さる。ほんとうに有難いことだ。現在の人は懐かしい昭和があると言って下さる。キャッチコピーに「ありがとう」だけでなく「ごめんなさい」がある。「ごめんなさい」だけでなく「ありがとう」があると、褒めてくださる。本の帯びは息子が書いてくれたものだ。なかなか評判がよい。これも嬉しい。

「ありがとう、ありがとう」心のなかでたくさんのありがとうが重なって行く。

お世話になった皆さま、ほんとうに心よりお礼と感謝の気持です、有り難う御座います。


 色々とアドバイスや感想を有り難う御座います。そしてご自分のブログで紹介して下さるという予想もしなかった輪に、これは一重にブログの各管理人様の人柄で広がっているのだと思います。ブログ友の嬉しい繋がりに感謝です。

もし、「ジューンドロップ」を紹介してやろうと言う方が有りましたら、画像が
http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/47828524.htmlに有りますので、それを使って下さい。

お礼と報告と、宣伝と営業と……沢山の気持ちの紫陽花です。蓮の花も開き始めました。一枚一枚と花びらが開くような感謝の気持です。重ねて、重ねて、有り難う御座います。

 
また今後とも当ブログ「季節の歌=エッセイ。オカリナ行脚。木村徳太郎。弘ちゃんは生きている。臨床美術」を宜しくお願い致します。いついつまでも交友の輪が広がり深められる事を念じます。


拙本「ジューンドロップ」を読んで下さった管理人さま。紹介をして下さった管理人さま。みなさん素敵なブログ、HPをお持ちです。(宣伝していただいたから言うのでは有りません)以前から素敵な場所で私がファンで寄せていただいております。
これを機会にブログの輪が広がると嬉しいです。
勝手にリンクすることをお詫びし、また感謝の気持とお礼を申し上げます。


http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/57905754.html
              世界遺産の吉水神社から「ニコニコ顔で ...」
http://ichi5ichie.hp.infoseek.co.jp  一人静の一期一会
http://www2u.biglobe.ne.jp/~mars  透明水彩画ギャラリー 微風の窓
http://blog.goo.ne.jp/tetsuo_shiga/c/3a855cf5cf3152b36bf3114dd2b24bee               モノトーンでのときめき
http://www.h2.dion.ne.jp/~siton/梓屯 能面への誘い

*)http://kakitsubata05.cocolog-nifty.com/blog/
             思い出を綴る四季おりおり
*)http://blogs.yahoo.co.jp/t120328/31731543.html リヤドロの部屋


(画像はありませんがいつも温かく私の言葉足らずを補って下さり美しい鈴音のようなコメントで応援して下さいます)



あじさゐに ジューンドロップといふ 色重ね  

雑感

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 絵は以前に描いた物です。雪中花、水仙が健気に咲いています

   押しくら饅頭 押されて泣くな 
 子供のころ寒い日は「押しくら饅頭」をしてよく遊びました。団子になって、お尻りと肩で押し合いをして遊ぶのですが、押し合っているのになぜか誰も押し出されないのです。運動の苦手な私も団子の一員になり、必死になって団子から離れないように、また隣りの子が私を庇う(そんな気はなかったのかもしれませんが)ように腕を組み、一人一人が懸命に押し合い力を出し切るのです。なんだか団子が動いて行く様でした。そのうちみんなは熱く熱くなって北風もなんだか春風のようになっていました。
風邪引きで伏せっている瞼に、どこか遠くから、この「押しくら饅頭」の声が聞こえてきて、赤い頬っぺの子供たちがお見舞いにきてくれたような気がしました。木枯しがカタカタと笑いながら雨戸を鳴らしていきました。
 風邪なんかに負けておれませんね。たくさんの激励にもう胸が温かいです。こうはしておれません。また元気で頑張りましょう。


 「まいど〜〜〜」宇宙に響く「元気だぞ〜〜〜」 2009.01.29 
 後ろ向きになるような記事が多い昨今だが、大きな夢のもらえる記事だった。H2Aロケット15号機で打ち上げられた小型副衛星7基のうちの一つ、大阪府東大阪市の中小企業が中心となって開発した「まいど1号」が無事打ち上げに成功し、いま「まいど1号」は「まいど〜〜」と大阪弁で宇宙を開け、挨拶をしている。この「まいど1号」は、「小さな企業でも頑張れば大きなことにも挑戦できる、不況に苦しむ全国の中小企業にとって、衛星が希望の星になってくれたら」の夢を託して宇宙を飛んでいる。不況に喘ぐ中小企業であり、また大阪府の大学職員の給料も下がる一方だと聞く。そんな中で、企業、大学、学生たちが共同で、夢を捨てずに衛星は生まれ立派に宇宙へ飛び出たのだ。この事業を大学で教鞭をとっている子供から聞いた時には、衛星のことなどなに一つ分からない私だったが「希望」と言うことに胸が高鳴った。社会の状況はどんどん悪くなるいっぽうだが、いま宇宙を「まいど〜〜〜」と「希望」が巡っている。「まいど1号」が見えるはずもないが、私は空を見ては「まいど! おおきに〜〜〜」と声を上げ手をふっている。サポーターズクラブに入会した会員2614人の名前が刻まれたプレートもつけて、夢と希望が宇宙を飛んでいる。
 くじけないでいこう。こんな大きな夢を発信できるのだ。暗い暗いと落ち込むことばかりでは意味がない。「まいど〜〜」お腹に力を入れ元気の素の合言葉にしてみよう。


     水仙に希望見る空似合いたり

変ですね

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外国の新聞と日本の新聞

今年の一字(漢字)は でした。 ほんとに 変! 
言葉には尊敬語と謙譲語があります。
(尊敬語)尊敬すべき相手や相手の動作や状態に対して敬意を表す言葉です。基
      本的に自分より相手を高める表現で、相手に敬意を表す。
(謙譲語)へりくだって表現して、相手に敬意を表す言葉です。
      自分側を低くして表すことで、間接的に相手を敬う。

各記事の言葉の使い方は正しいでしょうか。 

 平成二十年十二月二十四日 水曜日(各新聞記事を掲載します。)

産経新聞(第一面左上段)六分の一スペース使用。
天皇陛下75歳「心配掛けました」

  75歳を迎えられた天皇陛下の誕生日を祝う一般参賀が23日、皇居で行なわれた。宮内庁によると、参賀者数は平成に入って最多だった2万152人(平成18年)を上回る2万2655人を数えた。先日、胃腸の炎症などが確認された陛下のご体調を心配する国民も多かったためとみられる。陛下は午前中、皇后さま、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻とともに3回、宮殿・長和殿のベランダに立ち、 「先ごろ健康に不調を来たし、みなさんに心配を掛けましたが、次第に回復していくものと思っています」とあいさつされた。 また、経済危機に「多くの困難に直面し、厳しい年の瀬を迎えている人も多いのではないかと案じています。」と気遣ったうえで、「健やかに新年を迎えられるように願っています」と話し、集った人々に笑顔で手を振られた  午後には、麻生太郎首相ら三権の長らからお祝いの言葉を受けられ、皇族や国会議員も出席した祝宴を開催。陛下にはお風邪の症状が残っているため、各国駐日大使らとの懇談を祝賀の受け付だけに省略するなど行事の一部を変更したり、とりやめたりした。

朝日新聞(社会26面左中段)九十六分の一スペース 
「健康次第に回復」天皇陛下75歳に

 天皇陛下の75歳の誕生日を祝う一般参賀が23日、皇居であり、平成に入って最多となる2万2600人が集った。陛下はしっかりとした口調で「健康に不調を来たし、皆さんに心配を掛けましたが、次第に回復していくものと思っています」と述べ、集った人々に笑顔で手を振った。 陛下は、皇后さま、皇太子、秋篠宮両ご夫妻とともに計3回、宮殿のベランダに 立ってあいさつ。最近の国内情勢に触れ「厳しい経済情勢の中にあって、多くの困難に直面し、厳しい年の瀬を迎えている人々も多いのではないかと案じています。」と語ったうえで、「来る年が少しでもよい年となるよう、皆さんも健康を大切にし健やかに新年を迎えられるように願っています」と話した。  宮内庁は、午後の祝賀については、負担軽減のため一部を短縮したり取りやめたりした。

次のはどうでしょう。

日本経済新聞(社会34面左上段) 
天皇陛下「心配かけました」75歳誕生日一般参賀に2万2600人

 天皇陛下の七十五歳の誕生日を祝う一般参賀が23日皇居で行なわれ、記帳を含め2万2600人が訪れ平成に入って最多となった。ストレスによる胃腸炎と診断された陛下は参賀者に元気な姿を見せ、「先ごろ健康に不調を来たし、みなさんに心配を掛けましたが、次第に回復していくものと思っています」と述べられた。
 天皇陛下は皇后さま皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻とともに午前中三回、宮殿・長和殿のベランダに立たれた。祝賀に手を振って応えられ、「厳しい経済情勢の中にあった多くの困難に直面し、厳しい年の瀬を迎えている人も多いのではないかと案じています。」とあいさつ。「みなさんも健康を大切にし健やかに新年を迎えられるように願っています」と話された。陛下の体調を考慮して行事などの負担が軽減されており、カメラの入った公の場に姿を見せられるのは約二週間ぶり。午後には、皇族方や麻生太郎首相ら約四六〇人を招いた祝宴に出席。風邪の症状が残られているため、茶会など一部の祝賀行事は中止・簡略された。


読売新聞(社会28面右上段)
みなさんに心配かけました。天皇陛下75歳2万2655人一般参賀

  天皇誕生日の23日、皇居・宮殿で恒例の一般参賀が行われ、75歳を迎えた天皇陛下は「先ごろ健康に不調を来たし、みなさんに心配を掛けましたが、次第に回復していくものと思っています」とあいさつされた。陛下は皇后さま、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻とともに午前中に3回、宮殿・長和殿ベランダに立ち、「厳しい経済情勢の中で厳しい年の瀬を迎えている人々も多いのではないかと案じています。来る年が少しでもよい年となるよう願っています」と話、笑顔で応えられた。午後の記帳を含めた参賀者は、平成に入り最高の2万2655人だった。今年の祝賀行事は、陛下の体調に配慮し、関係者との茶会などが取りやめになったほか、駐日外国大使夫妻との「茶会の儀」は乾杯だけで退席された。皇太子妃雅子さまは、6年ぶりに「宴会の儀」にも出席された。

毎日新聞(社会23面左上段)
風邪症状祝賀行事一部取りやめ 天皇誕生日一般参賀2万2655人

  天皇誕生日の23日、皇居で一般参賀があった。75歳となった陛下は、最近体調を崩され一部の公務を取りやめるなどしていたが、この日は例年通り午前中に3回、宮殿・長和殿のゲランダに立ち、集った人たちの祝意に応えた。皇后さま、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻も姿を見せた。宮内庁によるとこの日、皇居を訪れた人は平成になってから最高の2万2655人(これまでは06年の2万152人)を数えた。陛下はベランダから「先ごろ健康に不調をきたし、みなさんに心配を掛けましたが、次第によい方に向っているものと思います。厳しい経済情勢の中にあって多くの困難に直面し、厳しい年の瀬を迎えている人々も多いのではと案じています。みなさんも健康を大切され、健やかに新年を迎えられるよう願っています」などと述べた。その後、宮殿で「茶会の儀」など祝賀行事があったが、陛下は風邪の症状があったことから一部の行事の時間を短縮したり、取りやめた。

京都新聞(社会24面右上段)
陛下「心配掛けました」75歳祝い皇居で一般参賀

 75歳を迎えられた天皇陛下の誕生日を祝う一般参賀が二十三日、皇居で行なわれた。宮内庁によると、平成に入って最も多い計約一万七五四十人が集った。宮内庁舎前では、約五千百人がお祝いの記帳をした。陛下は午前中三回、宮殿・長和殿のベランダに立ち、「先ごろ健康に不調を来たし、みなさんに心配を掛けましたが、次第に回復していくものと思っています」とあいさつした。また、経済危機に「多くの困難に直面し、厳しい年の瀬を迎えている人も多いのではないかと案じています。」と気遣った上で、「健やかに新年を迎えられるように願っています」と話し、集った人々に笑顔で手を振った。 

国内で販売されている日本の新聞です。
画像は半分のスペースを使い大きく掲載している外国の新聞です。

変・変・変です。

         ☆☆☆☆☆

外国の新聞が、スペースをとり掲載しているのに、どうして日本の新聞は小さい見出しなのでしょう。『変』ですね。

日本国憲法第一章 天皇
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。


 新聞の記事内容にしてもこんなに表現が違うのです。毎日読んでいる新聞に洗脳されて変になるのは当然です。恐ろしい変です。
 

終戦記念日

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夏の一期一会。一日花の「待宵草。昼顔」    はなひとひら(花逕)



昭和20年8月15日終戦の日



六十年後の平成17年。<京都新聞「小窓」 終戦特集>に掲載されていたものをお借りしました。


 昭和20年3月末、紫竹国民学校(京都市北区)で一年を修了した日から、丹波に移るまでの忘れられな

い、また忘れてはいけない記憶がある。

「京都にいてはだめだ!」と、丹波の祖父からの連絡を受け、二歳の妹を背負った母は二条駅まで切符を

買いに日参していた。父は兵役に出ていた。当時の二条駅では一日百枚ほどしか切符を発行しなかったと

聞く。早朝から切符を求める人で長蛇の列。私たちが着いた時は、すでに列の最後尾は広場東側の交番の

前。待っても待っても前に進まない。そんな中で、何人もの白いかっぽう着の女性が千人針のお願いに回

ってこられる。「わが夫の、息子のために・・・」と。 千人針とは、一枚の白布に赤糸で千人の女性が

一針ずつ縫い玉を縫いつけたもので、腹に巻くと弾丸避けになるとされ、出征兵士の慰問袋に入れ安泰を

祈願するものです。

やっと三日目に切符が手に入り丹波に移った。あの千人針を身につけた兵士たちが、いかほど復員でき

たであろうか。

終戦から60年が過ぎた。当時を知る人も高齢になり、戦争のことを伝えることも聞くことも少なくなっ

た。


    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

  
これは「風にのって花ひとひら」にお越しくださり、陰となり、日向となっていつも励まして下さる、

「ささ舟」さまの投稿文でした。もちろん面識はありません。そして・・・・・・。

その後日、私は下記を投稿しておりました。



「戦争の語り部体験を次世代へ」 2005・10.22 京都新聞「窓」

 窓欄の「戦後六十年平和を考える」を読ませていただき、感動と緊張を感じた。

書物や映画などで、悲惨なことや悲劇を知ることはあったが、小説や物語の世界の人でなく、こうしてい

つも目にしている場所で、同じように市井の暮らしをおくっている人の話は、一つ一つが身体の毛穴から

刺すように入ってくる。

あまりにもリアルで読み終わった後、ぼうぜんとした。「語る」ということはこういうことなのだろう。

私は六十歳。戦後六十年の社会が生きてきた道筋である。だから、戦争の悲劇や愚かさについては体験が

なく、なんとなく別の世界の出来事のように聞き、感じていた。しかし、投稿欄で個人名が出て、5百字

内で語られるこの言葉には身震いをした。私も同じように泣き「命」を考えた。

語り部はぜひいる。語る人が少なくなり、また、人ごとのようにしか聞けなかった私だが、こうして語っ

てくださることに「感謝」する。

映画や物語としてでなく、こうして近くで語ってくださると、生々しく、次の私たちが受け継いで次世代

に語らなければとの思いを強くした。



私の所属しているサークルでも昨年、終戦特集が組まれました。先輩の方々の語ってくださる一語一語は「心」にずっしりと響きました。

伝えて行かねばならない。知らなければいけない。

「戦争を知らない子供たち」と歌われるフォークソングが有ります。
「戦争が終って/僕らは生まれた/戦争をしらずに/僕らは育った/大人になって/歩き始める/平和の歌を口ずさみながら/僕らの名前を覚えて欲しい/戦争を知らない子供たちさ」唄ジローズ

私も戦争を知らない子供です。

しかし、知らないで終わらせません。子供にも孫にも伝えます。語って下さって感謝です。

(ささ舟さま。有難うございました。投稿されている方のお一人が、ささ舟さまだったとは。
今回、不思議なご縁を感じます。ネット繋がりで沢山の素敵な方々 に巡り会っています。嬉しいことです)



(反戦誓わせる少年兵の日記) 京都新聞 投稿掲載 2003.10.10

 秋日和の1日、講演会に出かけた。

演題は「日記の中に見る人生」その中で少年兵の日記、手紙が紹介された。 私は涙を流した。

「僕は、桜や菊でなくて良い。母さんが、毎日耕している野良仕事の野辺の花になります」 そう言って

飛び立って行った少年兵。

もんぺ姿でくわをふるう母の姿が少年兵とだぶって浮かぶ。抜けるような青空の秋、耕す母のそばに野菊

が咲いているのだろうか。それとも彼岸花・・・

どの花にしてもあまりにも悲しく、胸を打つ。

秋になると子供達は服にいろんな種子を付けて帰る。私が洗濯機に衣類を放りこもうとすると、「綺麗だ

から、置いといて」と言った。 確かに白いセータにミズヒキの粒々は赤いビーズ刺繍のようだし、セン

ダングサは可愛い飾りボタンのようだ。 そのままハンガーにかけておいた。

平和な時間だった。

もう少し早い時代だったら、私は野辺の花になった子を持つ、母であったろう。 母として、涙がとめど

もなく流れる。

秋の野を駆けて遊ぶ子も、特攻兵で飛び立つ子も母には愛しい子だ。今も少年兵はいる。

その国の母を思うとき、「戦争はいや!」涙の中で堅く思った。





      坂道              木村徳太郎   「夕暮れ」ノートより

            
               牛乳やが

               からころとかけてくる

               坂道。


               このうえに

               氏神さまがある。


               今朝は霧が流れてゐて

               のぼる素足が

               ほれ、こんなに冷える。


               もうすぐ秋だ

               小石の一つ一つにも

               しめりがある。

               _あっ さうだ

               戦地の兄さんは

               秋が大好きだったな。 
 


2006.08.14

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