来た道行く道通りゃんせ/風にのって花ひとひら

のんびりしたブログですがよろしくお願いいたします。

三月の歌

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三月の歌(春休み)

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 ミシン 
 桜の花がほころびオオイヌフグリがほろほろ零れ、タンポポが野に煌く。鶯が鳴く。春が転げてくる。
そんな転がりにのってミシンの音も転がってくる。私は春休みになるとミシンを出す。

 「カタカタ」と流れるようなミシンの音を始めて聞いたのは、幼稚園児のころだろうか。よく隠れん坊をして遊んだ。溝板を鳴らして細い路地を入って行く。此処までくれば見つかる事もないだろう。見ているのは動物の形の雲ばかり。でもいつまでも見つからないのも寂しいものだ。雲が流れ去ると空と私だけ。そんなとき、どこからか「カタカタ・カタカタ」と音が響いてきた。
音に誘われ、薄暗い道を奥へ奥へと進む。開け放った窓があり、小母さんが見えた。背伸びをして覗いてみると、小母さんの手の動きにつれて布が流れていた。不思議だった。私の祖母は和裁の仕事をしていたが、一針一目を縫っては縫い目をしごき、また縫い進めていた。小母さんは布を手で押させているだけで、縫い目が走って行くのだ。
私に気がついた小母さんが、「幼稚園に行ってるの?」と聞く。私はコックリする。「隆ちゃんて、知ってる?」私はまたコックリする。そしてドキドキした。隆ちゃんはいつも革靴を履き女中さん(今のお手伝いさん)に送り迎えをしてもらい雨の日は車に乗って、園に来ている子だ。綺麗な服を着てまるで童話の中の王子様のような子だ。口を利いた事もないし、私は姉のお古の破れ靴を履いていた。隆ちゃんは異世界の子だと思っていたから。
 帰宅して路地で見た不思議なことを祖母に話した。「それはミシンや」「隆ちゃんはドレスメーカー学院のお坊っちゃんで、その女の人はきっと隆ちゃんのお母さんやろ」「洋裁学校はどこも繁盛してるけど、あそこの学校は特別に大きい。二号さんがいて別れやはったんや。けど、女も手に技術があれば生きて行ける。たいしたもんや」と話す。(私には二号さんの意味は分からなかった)
 私は父の出かける先へはどこへでも着いていきたがった。そのドレスメーカ学院の学長と父は知り合いだった。学院へも着いていった。大きな教室にミシンが何台も光って並んでいた。若いお姉さんたちが沢山いた。

 隠れん坊をすると、必ず私はその路地に隠れ、小母さんのミシンの音を聞きに行くようになった。そして、隆ちゃんが着ていた服のことなどを話す。父につれられ学院へ行ったことを話す。
お人形さんが着るような服が届けられた。姉のお古ばかりを着ていた私には、それはまた異世界の服だった。しかし、その服を着ると誰もが「可愛い可愛い」と言ってくれた。こんな可愛い服が、人の手で、小母さんの手で作られることに私は驚いた。

 それから、私たちは田舎に引越しをしたので、あの小母さんや隆ちゃんがその後どうしているのか知らない。私は父や祖母に聞くこともなく野山を駆け回る毎日だった。
田舎にも洋裁を仕事にしている人があった。小母さんと同じように窓辺で「カタカタ、カタカタ」と、音をたてていた。
セーラー服をほどき、汚れていない裏側を表側にして縫い直す。手を広げると鳥が羽を広げたように見え、「トンビ」と呼ばれるマントから、子供のコートを作る。親のスーツを子供用に縫い直したりしていた。その人は戦争未亡人だということだった。(私は戦争未亡人の意味が分からなかった)が、その「カタカタ、カタカタ」の音が好きだった。その音を聞きによく行った。その音を生み出す人がみな素敵に見えた。手に技術を持ちそれを生かして生計をたてる。出会ったミシンの音と技術という言葉は、子供心にも響いてくるものがあった。
 小学校3年生の時、中学生の姉が学校で要るというので、父が工面して中古のミシンを買って来た。姉より私のほうがそのミシンに興味を示した。私は自分の着ている服を型紙にし、見よう見まねで服を縫った。姉のセーラー服も縫い直さないでも、白線を変えるだけで新品のように甦る。私が取り替えた。古い薄くなった毛布は上にゴムを入れるだけでスカートになった。それらはどれも他愛ない縫い物だったが、みんなから「器用やね」と褒められた。家庭科の成績はいつも「5」だった。
 洋裁に興味を持つのが自然だったのかもしれない。成人してから夜には洋裁学校に通った。そして自分の着る服はすべて自分で縫った。
結婚をして3人の子供たちに恵まれ、手作りを着せるのが私のストレス解消になった。帽子から下着まで縫った。
ピエール・カルダンの服を参考にして、デニム地で妊婦服を縫った。(胎児のときから子供たちは私の手作りで大きくなったのかもしれない。)そして、その大きな妊婦服は長女のジャンパースカートに長男の半ズボンに変身し、それから次男の幼稚園の絵本袋に変身した。夫が自分の物は少しも縫ってくれないと言うので、最後にそれを繋ぎあわせ、夫の座布団にした。「これで家族みんなを、お尻に敷く事が出来るでしょ」と……。
夫の古い背広から七.五・三参りのジャケットをつくる。娘時代の細いワンピースから長女にアンサンブルを作る。新品の布から作るより、リメイクするのが好きだった。

 子育てに少し余裕が出来て、一番初めに着いた仕事はミシンメーカーのソーイング講師だった。これは殆どがミシンのセールスの仕事だったが、新型ミシンをいろいろと触らせてもらえた。私の知っていた足踏みミシンはとっくに姿を消し、持ち運びのできるポータブルミシンや、コンピュターミシンになっていた。そして、ソーイングコンテストでクラフト大賞にも輝いた。「仕立屋」の看板も出した。
しかし、初めて出あったあの時の、ときめくようなカタカタの音は、過去になりつつあった。カタカタの音は、私には夢に繋がるものだった。いまでも発展途上国では女性の自立に洋裁技術を生かそうとしている。手に技術を持たせ、女性の自立に繋げようとしている。
しかし日本ではどうなんだろう?
 パッチワーク教室を開いたこともある。結構生徒さんが集った。しかし、私は古着や古布から新しい物を作り出すのが好きだった。カタカタ、カタカタの音から新しく生まれてくるものが好きだった。パッチワークは広まるにつれ、新品の布を切り刻み、絵の具代わりに使っているのではないかとも思える。知恵を働かせる、古布(ボロ)に新しい命を生み出す。それは人の温もりだった。そんなものが消え始め、カタカタの音が機械音としてしか聞こえなくなったように思える。子供のときに出会った女たちの「カタカタ、カタカタ」はどうしたのだろう。私もミシンを踏む事が少なくなってきた。

 ところが春休みには決まって「カタカタ、カタカタ」が転がりはじめる。私の出番がくる。
孫達の進級にともなって親が手作り品を作らねばならないのだ。会社務めの娘にはとても負担が大きい作業だ。私は甘いと言われようが2人の孫たちの出産からずうっと、この縫い物に関わってきた。最近は出来合いの雑巾も、絵本袋も、上履入れも、コップ入れも・・・・すべて売られている。しかし、買うなら私が作りたいと思う。でも、誰もが縫い物を得意だとは限らない。「お母さんの愛情で手作り品を持たせて下さい」と言うが、手作り品を持たせることが、愛情とも限らないだろう。作りたくてもミシンの無い人も居る。息子がポルトガル語圏の、仕事をしていた事がある。病院に行くにしても、確定申告をするにしても、幼稚園の入学説明会にしても日本語がしっかりと分からない人たちだ。そんなとき、難解な?手作りの説明書を示されても、布が何メートルと言われても理解は出来ないだろう。長男が私に「世の中には出来て当たり前と思うことでも、出来ない人もいる。そんな風に作業を母親に任す長女も、それを喜んでする私も甘い」と言う。私は「ボケ防止に、わざと私に仕事を与えてくれてるんやから」と言い訳をしている。

 気がつかないことや見えてこないことは、世の中にはたくさんあるだろう。
気がつかない間にカタカタの音も、随分と変わってきたように思う。

今年は型紙付き、仕様書付きで布地が送られきた。エプロンもバンダナも、縁の始末の手間を省くために、二重にしてリバーシブルにするようになっていた。結ぶところはすべてゴム仕様だ。私は「何の為に縁縫いがあるんだ、何の為に三つ折縫いがあるんだ。ゴムでは結ぶ手作業を覚えないではないか」とぼやいてミシンを転がした。洋裁が初心者の人にも、簡単に作れるように気配りがされているのかもしれない。ゴムにすると、子供は早くエプロンを身につけられるかもしれない。遅い子速い子の差がなくなるのかも知れない。一見、良い事尽くめのようにも思える。しかし、現在の子供は「靴の紐が結べない、雑巾が絞れない、お箸を使えない、洗濯物がたためない」そんな子が増えているとも聞く。
ミシンの「カタカタ」も時代を映しているのかもしれない。

 私はあえて仕様書に逆らってゴムをやめた。リバシブルにしないで縁をかがった。このほうが手間はかかった。そして数分を置かず何度も娘に質問の電話を入れる。
「二重にするには布が足らんわ。」・・・「ゴムがないわ」・・・「型紙、見難いで」・・・。

「電話は箇条書きにメモをしてから、するように」と言われてしまった。うふ、これって私が昔、娘に言った言葉ではないか。私はコロコロと笑った。

 エプロンの紐は結んで欲しい。風呂敷も結べるようにして欲しい。それを伝えて欲しい。それが手作りの愛情ではないかと思う。
春が転がってくる。ミシンの音が転がってくる。
私はあの遠い日を思い出し「カタカタ、カタカタ」を転がしていく。



    春風も縫いこんでミシン踏む
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
        
      雲       木村徳太郎  
 
朝の雲は
おしゃれな雲だ。
  空の鏡に 顔うつし
  白いネクタイ 結びます。

晝の雲は
のんきな雲だ。
  晝のお日さま 背にうけて
  煙草ふかして 散歩です。

夜の雲は
寝坊な雲だ。
  風のお唄を 聞きながら
  更紗の寝床に もぐります。 

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 寄鳥見鳥(よりどりみどり)は漫画家岩本久則さんがビッグコミックオリジナルに連載しておられたコラムのタイトルである。

 テーブルに「野鳥の招き方」「日本の野鳥100」「鳥のおもしろ私生活」「カラスの早起きスズメの寝坊」などの本がさりげなく置かれている。(私は天邪鬼だ。「この本、面白いから読んでみたら」と言われると読まない。夫が自分の読んだ本を、忘れ物をしたようにテーブルに置いて出かける。後で私がこっそり目に留めることを知ってか知らずでか・・・だ。
 カラス、ハト、ウグイス、スズメぐらいは区別が尽くが、あとはどれも私は「鳥」で片付けていた。花の名前は徹夜で調べても、鳥は「鳥」だった。
ところがだ。車と高層マンションばかりのところに住む孫が、庭にやってくる鳥に興味を持った。夫が双眼鏡を買ってきた。
木々が繁っているとはいえ住宅蜜集地だ。家々の窓に取り囲まれている。双眼鏡などをぶら下げ、庭をウロウロしたのではどんな疑いをかけられるかわからない。私は大反対だった。でも孫には勝てない「ばぁちゃんも覗いて」と言われ、しぶしぶ覗くといきなり大きな鳥の目と合ってしまった。目に表情があった。(当たり前の話だが)。
 それから、寄鳥見鳥(よりどりみどり)を始めてしまったのだ。

 春浅い朝の寝床は離れ難い。「春眠暁を覚えず」と言う。ウトウトまどろんでいる中へ歌の練習を始めた鶯が重なってくる。春の足音が響く嬉しい瞬間だ。ところが今年の鶯はいきなり「ホーホケキョ」と鳴いた。驚いて飛び起きた。「早春譜」(春は名のみの風の寒さよ)と異なる抑揚のない風が吹いていた。今年、鶯は二月の末から上手に歌った。急に温かくなり練習の間がなかったのだろうか? 不思議な気持になる。また、鶯は私が思っていた緑色ではなかった。茶色だ。なぜ鶯色と言うのだろう。不思議だ。
 ヤマバトが「グルッポ、グルルッグル」と鳴く。(これはドバトでなくキジバト)昼下がり、庭にテーブルを出しお茶を飲む。のんびりした鳴き声に幸せな気分になる。土に戻した蜜柑の皮を、二羽のキジバトが突いている。なんの警戒心もなくグルッポ、グルルッグルと歩いている。野良猫がそれを見ていた。「飛びかかった! 」空間を切り裂くようにハトが飛びあがる。その素早いこと。やっぱり羽のあることは素晴らしい。飛び移った枝にまた二羽並んで「グルッポ、グルルッグル」と鳴く。猫には「アホ〜アホ〜」と聞こえたかもしれない。

 「アホ〜、アホ〜」はカラスだ。生ゴミ回収の日はカラスが電線に並ぶ。ゴミの上にシートを被せる事になっているが、それをしないで去る人がいる。カラスが見つけ「アホ〜アホ〜」とゴミに飛び降りてくる。掃除当番の人が「アホ〜アホ〜」とゴミ集めをする。カラスに言ったのか、去った人に言ったのか……。
カラスの落す糞は真っ白だ。黒いカラスの白い糞。木の実を食べても、ゴミを食べても白い糞。やっぱり不思議だ。

 豌豆(エンドウマメ)を蒔くのが遅れた。他所はもう膝丈ぐらいに伸びているのに、我が家のは10センチばかり。ヒヨドリがその柔かい芽を丸裸にしてしまった。「やられた!」 猿や猪に荒らされ農家の人が、作る意欲が萎えると言う。他人事に思っていたがその気持がよく分かった。妨鳥網を買ってきて、カラスの「アホ〜アホ〜」を聞きながら、鶯色のメジロに会釈をしてネットを張る。菜種梅雨だろうか。雨がよく降る。丸裸になった豌豆からまた芽が出始めた。雨降りにはヒヨドリはこない、ウグイスだけが鳴いている。「雨音と鶯の二重奏を子守唄にどんどん大きくなってね」豌豆に話し掛ける。私は豌豆のお母さんになった気分だ。

 お母さんと言えば、忘れられない童話がある。子供のころ広助童話が大好きだった。大好きなのだが読んではいつも泣いていた。泣く私を父が不憫がる。どうして不憫がったのか、大人になって少し分かる気もする。そしてそれが分かるとまた泣く。
広助童話は優しさの中に残酷さがある。その残酷さに父は私を重ね、案じていたのかもしれない。そして父も泣いていたのかも知れない。そう思う。
 父が浜田広助を読んでくれる。
「浜田広助・よぶこどり」
「カッコウの卵を拾ったリスが、卵にカッコウと名前を付け、大事に育てる。それは愛しんで育てた。意地悪なモグラがやってきて、大きくなったカッコウに、リスはおまえの母親でないと教える。カッコウは嘘だと思いながらも悩む。悩んで元気のなくなったカッコウに、リスが「どうしたの?」と聞く。「おなかが痛いの、少しなの」リスはカッコウのお腹に手をあてる。父が大きな手で私の頭を撫でてくれた。私はこの辺りから泣きじゃくリ始めるのだ。母親の無い私は、リスのお母さんの優しさが羨ましくもあった。そんな優しいリスに「やっぱりこの人は、私のお母さんだ」とカッコウは思うのだが、自分とそっくりの鳥を見て、あれが本当のおかあさんだと、思わず羽ばたく。そして、その鳥の後を追って去ってしまうのだ。カッコウがいなくなり、リスは半狂乱になり毎日カッコウを探し続ける。カラスが「桜が咲いたら戻ってくるよ」と慰める。リスはじっと春を待った。でも桜が咲いても戻って来なかった。桜は散ってしまった。そしてリスは「私も鳥になりたい」と小さい鳥になり、「カッコウ、カッコウ」と名前を呼びながら(鳴きながら)カッコウをさがし続けるのだった」そんな話。
私は読み終えるといつも「バカ!バカ!カッコウのバカ」と泣きわめいた。そして自分を叱った。私は和子で「かっこ」と呼ばれていたからだ。「カッコウ、カッコウ」と本の中から聞こえる鳴き声が、私を呼んでいるように思えた。(カッコウは「托卵」の習性があり、自分の巣以外に卵を産み、他の鳥に育てさせる。これをヒントに「よぶこどり」は創作されたのだろうか)
 いまでも、山あいから木霊して聞こえてくるカッコウの鳴き声に、私はこの「よぶこ鳥」を思い出し哀しくなる。
 人も巣立つ時がある。しかし人は古巣を忘れはしない。


 励ましだった鳥のさえずり(地方新聞2006.06.22)投稿掲載
「先日、家の中に小鳥が入ってきた。外に出られるように家中の窓を開けて用事をしていた。数時間後、外の庇の物干し竿に、いままで止まっていたことがない、メジロが二羽並んで盛んにさえずっているのに気付いた。「?」と思いそれを眺めていたが、その鳴き声に混じって家の中からも小さい鳥の鳴き声が聞こえてくる。飛び込んできた小鳥がまだ家の中にいるのかと探すがどこにも見えない。どうも鴨居の中から聞こえてくるようだ。脚立を立てかけ、のぞいてみると鴨居の溝に小鳥がはまっていた。急いで拾い上げた。その拾い上げた小鳥が私の手から飛び出すと同時に、棹に止まっていたメジロも一緒になって飛び立った。驚いた。「あれはメジロの両親だったのか。鴨居の溝から出られなくなった子メジロを励ましていたのだ」と気が付いた。
これまで、鳥の鳴き声はさえずりと思っていた。しかし、この出来事があって以後、当たり前かもしれないが、鳴き声が鳥たちの日常のお喋りで言葉だと思えた、鳥たちもコミュニケーションを持ち、ちゃんと親子の情があり、人間と同じなんだと思った。
ところが最近、鳥にも劣る情愛の欠落した事件のなんと多いことか。鳥たちは、きっとそんなこともさえずり合っているのだろうか…」。

 少なくなったとは言え、我が家の近辺はまだ自然が残っている。私はさりげなく置き忘れた?本を読む。そして寄鳥見鳥に出会いたいと思い始めている。
琵琶湖から来たのだろうか、昨年まで気がつかなかった真鴨が、川を下ったり上ったりしている。その横で大きな青鷺が首を伸ばしている。白鷺が虫を啄ばんでいる。セキレイも美しい。長い尾を振りながら雪で濡れた道路を走る。雪山をバックに大きな牡丹雪が舞うようだ。トンビが「ピーヒョロロロ」と円を描き下界を見下ろす。湖に行けば葦焼きが終わった陰から、ヨシキリが顔を覗かせる。オシドリもカイツブリもいる。ユリカモメが紅い足で寄って来る。
裏山ではフクロウの鳴き声が聞こえる事もある。カラス、スズメ以外に、鳥は「鳥」であったが名前を覚え始めた。
 よりどりみどり、孫が来るまでにこっそり勉強をしておこう。鳥のように大きな目をして、驚くかもしれない。

    残り鴨気に入ったと琵琶湖褒め

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
        
      雲雀       木村徳太郎    
       
雲雀よ雲雀
   揚雲雀

  高くて遠くが 
見えるだろう
  戦争している
南海が。

  ___あゝ 軍艦旗
             軍艦旗___

  見えたら舞って
 降りてこい
  畠は菜種の
  花ざかり。

雲雀よ雲雀
  揚げ雲雀            

三月の歌(森羅万象)

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虫たち ララバイ 
 
 彼岸の入りがくる。私は森羅万象に手をあわせる。
 春分は太陽黄経0度。啓蟄は345度で冬眠していた虫たちが、春暖に穴から出始める日でもある。今年はこの啓蟄の日までに三回も夏日があり、二月にして私を半袖に着替えさせ、数日後には毛布にくるまれて雪を眺めると言う戸惑いに悲しみも持たらした。
 隣家から「日陰になる、落ち葉が困る」と辛夷の大木を伐ることを要請され応じていた。http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/41229555.html伐採した幹をゴミとして処分するのは、忍びがたく裏庭に放置していた。そこに甲虫(カブトムシ)が卵を産んでいたのだ。大きな乳白色の三つの塊を見つけ、私は見つけるなりサンダルの片方を飛ばし、大急いで孫に電話をした。「婆ちゃんの家、古くて汚いし、木が茂ってるからだよ」と、まるで甲虫博士のように、冷静かつ得意気に孫は言う。デパートで幼虫を購入して育てた事があるらしい。「今度来たときに見せてあげる」と約束をし、大事な宝物を預かった気分になっていた。(孫が来たときには成虫になって飛び去っているかもしれないが、我庭に自然の息づかいを見つけたことが嬉しかったのだ)

 三十数年前にこの地に引っ越してきたときは、一面ススキ原で、前の空き地を雉が悠々と歩いていた。狐や狸が遊びにきた。蛇もいた。蛇は二階の屋根にまで登ってきたし、雨戸を開ける時、重いと感じると戸袋の溝に入っていた。フエンスに撒きついている蛇に気が付かず、蛇を握った二男はこの世の終わりかと言うような声を上げていた。蛇だけではない。マムシもいた。退院してきて見あげる、久しぶりの我家の庇に、マムシが棒に巻かれ差し込んであった。「お父さんが捕まえはったんや。ものすごう格好良かった」と言うが、私はまたしても入院してしまった。
 蛇は鶏の卵も飲み込んだ。夕方になるとヤモリが台所の窓に貼りつく。天井にいつまでも黒いゴミがついていると思ったら蝙蝠の子供だったし、鼬が走り鼠も走った。百足退治の薬が自治会で頒布された。(こんなことを書くと、まるで孫ではないが妖怪の住居のように思われるが、県道を狸の親子が悠然と歩いている時代だった)
 子供たちは、トカゲの徒競走を部屋でやり、団子虫を集め瓶に入れ、ヤゴをバケツの土に埋めこみ、また漆黒の闇の中を縦一列に並び、手探りだけで昼に砂糖水を塗っておいたクヌギに忍び寄り、甲虫を捕まえることもした。蝉や甲虫が電燈に誘われ部屋に飛びこんで来た。雀もガラス窓に当るし、鶯も百舌鳥も梟も不如帰も郭公もいた。土を掘ればミミズが婉曲に挨拶をした。どれもこれも生きものどうしで、戦いでもあったが仲間のようでもあった。
 戸数が増えるにつれ、狐退治の罠を仕掛ける人が現れた。捕まえてどうするのと聞くと「襟巻きにする」と言う。私は腹だたしかった。しかしそんな腹立たしさに関わっておれないほど、開拓化は進み転居してきた時は、17軒目であったのが今や200軒近い自治会になり、ニュータウン全体は3000戸以上だ。
 あの生き物の、「同志たち」は何処へ行ってしまったのだろう。あの時と変らずにいるのはゴキブリだけだ。

 二月中旬の二六℃と言う夏日に、甲虫の幼虫の1匹が這い出てきた。朽ちた辛夷の木から僅か10センチほど離れた所で、無残に翌朝は硬くなっていた。硬くなった乳白色が、陽を照り返し透明の輪が出来ていた。
 母の気持で幼虫のいる朽木を眺める。サンシュウの金粒のような陽光が「手を出すな。目は離すな」とささやく。酷だ。手を出すにも私には出し方が分からない。眺めているだけはなんと辛いことだろう。
 陽光に輝く花と、虫の命を思う。生き物は何万年もの間に変化する環境に合わせ、進化しながら今に生き延びていると言う。ならば甲虫も、いづれはこの気候の変化に応じられるように遺伝子は組替えられるかもしれない。が、現在、目の前の甲虫の幼虫は動かない。
 甲虫は天気予報の「明日は暖かいでしょう」につられたように這い出し、三匹とも硬くなっていった。

 甲虫に言いたい「もう少し外界を読み取ることをしておくれ。危機意識をもっておくれ。まやかしに騙されるな」(なんだか人さまに言っているようでもあるが……。人間は環境や時代の変化とともに、いままでに知りえなかったような心の虫を飼い始め、それに対応していくようにも思える……)
 孫のあの「うわぉう! 婆ちゃんやったね」と喜んだ声は、デパートで甲虫をねだった時の声とは違うと思う。孫の喜びようが耳に残る。私はまだ孫に甲虫の幼虫が死んだことを伝えられずにいる。

 虫たちのララバイが聞こえる。
森羅万象、手を合わせるすべしかもたない彼岸である。


   さまざまを雲に映して彼岸くる

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