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弘ちゃんは生きている (27) 木村徳太郎
嶽登りとは、桧牧区と自明区にまたがっている付近の一番高い海抜七二四米の山である。山頂に小さい祠があり村人は明神さまと呼んでいる。その山へ例年4月の十日に村人が昼から登り始め、その年の豊作を祈って祭典を行ったあと、御供餅撒(ごくまき)があり、それらのしきたりが終ると村人は持参した重箱につめた煮しめを肴にして、日暮れまで大人は酒盛り、子供は寿司や菓子を食べて山頂で一日をみんなで楽しむのである。田植えが始まる多忙期を前に、村をあげて楽しむ娯楽もかねてもいた。村人の楽しい行事の嶽登りの日は、学校も例年、半日授業になる。村の慣習に、教育の時間をとられるのを割り切れなく思っている梶野先生におかまいなく、
「どうです。先生も登ってみませんか。ご馳走は用意しときますよ。」
と、桐久保さんが気安く誘う。
「登ってもいいのですが、年度変わりで仕事が沢山つかえていて、行けそうには有りません。」梶野先生は嶽登りについて、普段思っている不満を話そうとしたが、仕事にかこつけてやんわりと断わった。
断わってから、今度は自分の方から
「今日の協議の結末はどうなりました」と、桐久保さんとも弘のお父うのどちらにともなく聞いてみた。
すぐに弘の父が、
「前田が来よらしまへんので、まとまりまへんのや。自明区の峰垣さんのものか、桧牧区のものかはっきりしまへん。峰垣さんの出方を見とるしか仕方がないと言う事になりましたんや」と、結論のない話をする。その話を補うように桐久保さんが
「桧牧区が永年下刈りをしとった場所だす。峰垣が慾にからんで、物言いをつけとるとしか思えまへん。どうも山の境目は、ことが起きてかないまへんわ」と、自分自身を弁護しているみたいに答えた。前田さんが、製材所の矢野さんから受け取った金の半分でも自明区の峰垣さんに渡せば、問題は解決するかもしれないが、桐久保さんが伐れと言った事を口実にして、前田さんは手にした金は金輪際出さぬと言う風に、今日も協議に出てこないところを見ると、どうも解決が難しそうだ。桐久保さんにしても、自分の腹をいためる事は厭なのだろう。それともはっきりしない境目の事だから、あくまで強く桧牧区のものとして押し通す心づもりなのだろうか。
桐久保さんは暫く黙ってしまった。
梶野先生も、村の出来事に関心はあるが深入りはしたくない。桐久保さんと同じように黙ってしまった。
運動場を何度も周っていた隆と弘は、一度休憩しょうとみんなの前まで来て、自転車にブレーキをかける。自転車を止め、スタンドを立てる弘に
「上手に乗れるね」と、桐久保さんが声をかけた。その桐久保さんに
「旦那はんすんまへんな。高い物を買うてもらいまして」
と弘のお父うが桐久保さんに礼を言いながら、梶野先生の方へも
「桐久保の旦那はんが、弘のことを思って自転車を買ってくれはりましたんや」と、自分の不始末を忘れてたように明るい声で言った。
「ほう、それはそれは…… 良かったですね」
これで梶野先生にもはっきりと、弘の自転車は桐久保さんが弘に買ってやったのだと分かった。高い自転車を気前よく買って与える桐久保さんが、山の争い事はまた別なのか、底意地を張っているのか、梶野先生はおかしくなって合槌をうちかねた。
「お父さんは、酒で無駄をなさるから、自転車も買えないのでしょう。これで弘君も、幾分気がまぎれるでしょうね。」と、弘のお父うの酒癖の悪さを遠まわしに言ってみた。
「気をつけまっさ」と照れくさそうに頭をかくお父うに桐久保さんも
「先生の言われるとおりや。オマエさん暮らしに追われながら、酒ばかり呑んで、家のことを考えないのはいけないよ。酒をやめれば暮らしも楽だろうに」と、笑いながら追い討ちをかけた。
隆と弘がまた練習を始めようと自転車を押す。それをきっかけに
「それじゃ、先生よろしく」と明日の授業が半日休みになることを念押しをして、「学期末で忙しいでしょうが、お暇な折には一丁やりまひょうな。」
と、手で囲碁を打つ真似をして桐久保さんは、梶野先生に誘いの言葉を残して帰っていった。
「弘! ええ加減になったら帰るんやで。お父あんは先に帰るわ」。
運動場を何度も回って自転車を走らせている弘に言葉をかけ、桐久保さんについて弘のお父うも帰っていった。
梶野先生も教員室へ戻って行く。
隆と弘は、西日にリムを輝かせてまだまだ楽しそうに練習を続けていた。
☆☆☆
今日は嶽登りの日である。
「うちの弁当も持って行って欲しいわ」
美代が甘えて言うのを、弘は聞こえないふりをして自分の弁当だけを包んでいる。それを見て、「一緒に持って行ってやりや」と、お母が美代を助けるように言った。
「厭だ。おら、隆さんと一緒に登るんやから美代は女と登ればええやん」弁当の風呂敷包みを肩から斜めにかけながら弘はぶっきらぼうに答える。
「持って行ってやりと言うたら持って行ってやったらええやろ。兄ちゃんのくせに」弁当を持ってやりそうにない弘に、押し付けがましく母親は声を荒げて再び言う。「だって……」弘が愚図っていたら、
「持って行ってやらへんのやったら、お前の弁当もおいていき。食べなんだらええ」と、弘の背中の弁当をお母はひったくりそうな勢いだ。
美代の言うことをいつも聞いて、おらの言い分をちっとも聞いてくれないと不服に思いながらも、お母が恐くって背中に斜めにかけた風呂敷包みをしぶしぶ下ろしかけた。嶽登りに持って行く酒を、四合瓶につめていたお父うがそれを見て、
「お父あんが持っていったろ。お前は先に行け」と、美代の弁当を自分の包みの中へ入れた。
「すまんな。お父う」お母には素直に言葉が出ない弘だが、お父うには気軽に話せる。
「あんたがそうやって甘やかすから、弘は私を馬鹿にするんや。」
お母はお父うに皮肉を言ってからみだした。
お父うは聞こえないふりをして、お母の相手にならずに持って行くのに都合が良いように弁当を包み直しながら
「早よう行け」と弘に目配せをし促した。
弘はお父うと美代よりも一足先に家を出た。
あや子や由子が並んで歩いていたのを追い越し、県道を急いで隆の家に行く。
青年団の人が、五、六人、桐久保さんの家口にいた。
村の各戸から集めた餅米で、青年団が搗きあげた小餅が一升桶に入れられ、五つばかりの桶が縁側に並んでいる。これは御供餅に使われ、青年団の人々が嶽の頂上まで担いで登るのだ。
隆は弘のよぶ声にすぐに家から出てきた。
「隆君の弁当、おらが一緒に持って行ったろ」
美代の分を持って行くのを断わってお母に叱られた弘だが、桐久保さんに自転車を買ってもらった嬉しさが、なんとなく隆にお世辞をつかわせている。
「おらのは、おらが持っていく」
弁当を包んだ風呂敷包みを弘と同じ様に背中に斜めにして、隆は断わりながら風呂敷を結んでいる。
登る道は学校の近くからと、桧牧区と自明区からの三箇所がある。学校の近くから登って行く道を隆と弘は選んだ。
炭谷君が、男児の五、六人とかたまって登って行くのと出会って一緒になった。
杉木立ちの林道を雑木を拾って杖にして雑談をしながら頂上に向う。
途中、桧牧区の道からと自明区の道と、みんなが登ってきた道と中腹で合流する此処で一休みをした。子供達は目の下に小さくなった村の家々の名前をあてあったり、四キロ離れた町を眺めて休みの時に行った映画館のことなどを話し合う。学校が休みの時、誘いあって町の映画館まで50円を握り締めいくのが、子供達の楽しみだった。映画の中の鞍馬天狗の真似をしながら雑木を刀のように腰に挿している子もいた。一息を入れ終わってまた登り始めるたとき、自明区の登り道の方から、山根君や奥田君の話し声が聞え、五、六人登ってくる姿が木立ちを透かして見えてきた。
「自明区の奴らがきよった。あいつらに越されんように早よいこ」炭谷君がみんなをけしかけるように言う。その声に応じるように、まるで鳥が飛び立つように、みんなは慌しく駆け出した。
それに引きづられたように、隆も弘も降ろした弁当包みを急いで肩に背負い、皆の後ろについてかけ出した。
大将株になって先頭を走り出した炭谷君が、気負った気持をあらわにして当りの雑草をいたずらに雑木の杖で刀のようになぎ倒して登って行く。
「あっ!慌てて手拭忘れてきた。」
腰に吊ったタオルを、休憩場所に忘れて来たことを思い出した子が、先ほどの休んだ所へひきかえしていく。
皆はその子、一息ついて待ってやった。
「わぁ〜〜」と、自明区の山根君や奥田君が、タオルを取りに引き返した子をからかっているのか、大きな侮り声が聞えてきた。
杉木立ちを透かして、炭谷君が心配そうに下を見るが、杉木立ちの道が曲がっていてちゃんと見えない。
いつもの嶽登りなら区と区の対抗意識などはない。同級生として楽しく雑談をしたりして登るのだが、前田さんが伐ってしまった材木のことで、自明区の峰垣さんと桧牧区の桐久保さんの諍いが子供たちの間にも対抗意識をかきたてているようだ。
炭谷君が様子を見に下へ引き返そうとすると、タオルを持って息をはずませながら、先ほどの子が戻って来た。
「一人やと思うて自明区の奴ら、おれをからかいやがんねん。」
と、タオルを腰のバンドにはさみながら口惜しそうに言う。それを受けて
「よし、石投げたろ!」
と、山根君や奥田君が登ってくる下の道に向って土をつかんで炭谷君が投げようとした。
「炭谷君。そんなことしたらあかん。やめとき」
と、隆が止める。
止められて、炭谷君は掴んだ土を残念そうに足元に投げ捨て何事も無かったようにまた先頭に立って林道を登り始めた。みんなは自明区の子供たちの悪口を言いながら、炭谷君の後ろに続いた。
木立ちが透けて、登ってくる自明区の山根君たちの姿がちらちら見える。山根君たちにも桧牧区の隆たちの姿が見えているのだろう。自明区の子供たちが駈け比べのように、後ろから桧牧区の子供たちを追うように登ってくる。
子供たちの間に競争意識がもりあがり、頂上を競う様子になった。が、それだけで別に諍いにもならず、頂上についた。
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