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「弘ちやんは生きている」
「弘ちゃんは生きている」を愛読下さる皆さま、有り難うございます。
鉄筆でマス目を一字一字埋め、謄写版で刷られた同人誌「お話の木集団発行」の「お話の木」に掲載されていた、この「弘ちゃんは生きている」は、ワラ半紙で赤茶け触るとポロポロと崩れていきました。1号から「お話の木」の枝が増え十六号まで発行されたようですが、冊子としてきちんと残っているのでなく、あちらこちらにと散らばっておりました。しかし、木の枝が一本(一号)二本(二号)と繁っていくのが、父の夢を追っているようでも有りました。
私(花ひとひら)が、木村徳太郎の作品、資料を手にしたのは、徳太郎の死後十年が過ぎておりましたが、私が衝撃を受けましたのは遥か遠く(昭和30年代)に筆を折った児童文学の心をもう一度燃やそうとした形跡を見つけたことです。
もう一度児童文学をやってみようとしたのではないでしょうか。地元の文房具屋のシールのついた原稿用紙が束になって出て来、「弘ちゃんは生きている」の書き直しが父の右上がりの字で埋められていました。児童文学を「もう一度」と思っていたとは私は気が着きませんでした。
私の生まれる前には、詩を北原白秋に学んでいたようです。その詩を目にするのも初めてでした。「木村徳太郎の詩や作品を葬ないで公開したい」と言う私的感情からブログが生まれ、試行錯誤で歩きながら進めて行くという読者の方々に対して失礼な表現方法だったとは思いますが、それにもかかわらず沢山の方々に読んでいただけ応援をしていただけることに深く感謝をいたしております。
そして、ブログから生まれたような本「ジューンドロップ」も出すことも出来ました。ほんとうに有難う御座います。きっと父は驚きそして喜んでいるのではないかと自画自賛しております。
1号から16号まで「お話の木」は発行され、数年おいて「奈良県児童文学会」発行として「子じか」の同人誌が生まれ、そこに「弘ちゃんは生きている」が発表されています。これは活版印刷で七号まで有ります。それから「風車」一号に変わりこれは二号で終っています。「お話の木」「子じか」「風車」それぞれ同人のメンバーは変わっております。また「お話の木」から「子じか」に代わる数年の間に何かがあったのでしょう。登場人物が名前でなくアルファベットに書き直されています。どうしてそうなったのかまたそのあいだの話が抜けているのは、わざと抜かしているのか私にはその背景がよく分かりません。
ただ、私の願いは高齢にもかかわらずもう一度児童文学に足を入れようとした、その気持を形に残したい思いで入力してまいりました。
何にしても一番の読者だった私がこの物語の「おわり」を見たいのです。
「今まで入力したもので三分の一。これからが三分の一。未完の部分が三分の一。そして、これからの三分の一は、かなり思想的なことや時代にそぐわない不適切な表現なども多くなります。
個人の襞(ひだ)に付き合っていただくことを心苦しく思いますが、どうか御付き合いしてくださればどんなにか嬉しく思います。最後の三分の一は私が書き足しました。
私はモデルの「弘ちゃん」を知りません。しかし子供達の詩を集めた冊子に次のものを見つけました。
(ポスト。四,五年生)より
坪本栄昭 「ノートの表紙」
弘ちゃんの葬式の時もらったノートを
今使っている
ノートの表紙には
みどりの木の中に大きな建物がある
青い空の下で子供がベンチにこしをかけ
話をしている
そばでハトが豆を食べている
あんなところが日本にあるのだろうか
あったら一度いってみたい気がする。
これをみると弘ちゃんは実在した人物かと思います。
この詩をよんで私は「じ〜〜ん」と来ました。なにかを表現し訴え伝えたい事がある。それが創作活動だと思います。父はその表現として弘ちゃんをモデルに、「弘ちゃんを生き返らせる」ことに、なにかを託くしたのではないでしょうか。
「ノートの表紙」。そこに弘ちゃんを見ます。希望、夢をみます。それは弘ちゃんを蘇らせる作業であり、そして坪本君やその当時の子供たちの心を蘇らせることであり、それは私の心も蘇らせる事でもありました。
今しばらくお付合いを願えればと思います。
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