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弘ちやんは生きている (13) 木村徳太郎
杉を倒して一息入れると、弘は、藤蔓を探しに行こうとした。と、「お父うが探してきたる。弘は梢のほうから枝を払らっておれ」と、いいつけて手おき(斧)一丁を弘に渡し、枯柴をくくる藤蔓をとりにお父うは、木立の奥へ消えて行った。渡された手おきで倒おした杉の梢の方から、半分ほど枝を払うと手おきではとても手におえないほど、枝が太くなる。弘は、お父うの鋸で枝を切り落とそうと思ったが、鋸の歯を痛めてはいけないと言う不安で、枝払いの手を休め腰を下ろし、あたりの緑の空気に浸って休むことにした。お父うがそんな緑の中を、手に藤蔓を巻きつけて戻ってきた。
お父うは持った藤蔓を投げ出し弘と同じように腰を下ろそうとしたが、枝を払った手おきが、無造作に倒おされた杉の側に投げ出されてあるのを見ると「あかんがな。大事な道具を使こうたら、ちやんと元の所に丁寧に置いとくんやで」と、言いながら、手おきを拾いあげ他の道具が置かれてあるところにそっと置き、「道具にやっかいになっとって、仕事が終わったからって、投げ出し、放っておいとったんではあかん。次にまたちゃんと使えるようにしとくんや」と、言葉は優しいがさきほど、立木を倒すとき真剣な顔で弘に注意したそのときのような顔付きになって言う。それに続けて「弘、話は別やが、おまえも山稼人の子や。よう覚えときや。これは迷信やと言うかもしれんがな、日本中どんなところに行っても、よきには三本と四本の筋が彫ってある。昼間は三本の筋の方を表にしておく。夜は四本のほうを表にしておくんや。そうした山の魔物が恐れてよう近づきよらん。大事なおまじないや」「おまじないって、そんなん嘘や」得心がいかない弘はすぐ口答えしてみる。「そんなこと言うたらあかん。おまじないは効かない迷信やというたかて、昔からそう言い伝えられていることや。みんながそう思ってきたことやから、その反対をして逆らってまでそれを壊すことはない。人の言うことを素直に聞いとくのもええもんや」。弘は、なんだか口封じをされたみたいで、ものがいえそうにもなくなった。が、やはり得心がいかないので、再び「人がそうやからって、お父う、そんな迷信は信じられへんわ」と、おかれた手よきのほうに目をちらりとやって言う。手おきの刃が白く、森林の空気をのせて冷たく光っている。
お父うは弘のその言葉に、さらに真面目な力強い顔付きになって「みんながそうやと決めたことには、それなりに分けが有る。それにしたがったほうが人間の生き方として、間違いがないんや」と投げ出すように言い、ぽつりと「どこに行ってもそのようにして守っておくと、そのことで他人さんから、あいつは心がけのある奴やと言って仲間うちとして認めてもらえるんや」と続けて言った。おまじないの話が横に飛んで、そのように難しいことを言われても、弘には難しく考えこんでしまうばかりだった。
弘は、立木を倒すときと同じように常日頃のお父うに似合わない厳しいものを感じた。その厳しいいものが、何んであるかは分からなかったが厳しいものを感じるにつけ、お父うが頼もしく思え、なんとなく甘えたい気持ちにもなり、お父うが腰を下している方に近よると「なぁ、自転車はいつ買うてくれんの」と木を売って金が入るのをぼんやり知っているだけに、それを確かめるように尋ねてみた「ああ。心配せんでもええ。今日買うたる」いままで厳しい顔つきのお父うだったが、自転車のことを持ち出され弘に甘えられたお父うは、すぐに顔をほころばせ、人が変わったように気がよさそうに言う。「えっ! 今日買うてくれんの」「少し早い目に仕事を切り上げてお父うは町へ行ってくるわ。そして弘に、自転車を買うてきてやる」お父うのその言葉に弘は自転車が今日買ってもらえ、望んでいたことがはっきりと本当になるという心の弾みにかられて、「うれしい! お父う! もうはよ仕事やめて家に帰ろうな」と、そんなことを言ってみる。お父うはそれを抑えるように「あほなこと言うたらあかん。買ったるがな。でも仕事はせなあかん。それに美代がもうくるじぶんやろ。昼をすませてから、そやな弘の自転車代に一本。それから美代のシロホン代に一本。お母の着物代に一本。三本倒してから帰えろう」と、そんな冗談ごとを言いはじめた。「なんや、まだ三本も伐るの? 」さきほど一本たおしたことを考えると三本も伐るとなると時間が遅くなって、今日は買うってもらえそうでなくなる。弘は不服である、弘の不服そうな顔に「三本といってもじっきや。自転車代や、シロホン代はしれてる。細い木でもええもんな」お父うは自分に分けられた垣内の山をすでに桐久保さんに売って金に換えてあるのに、さも自分の持ち山の立木を伐って金に替えるような言い方をして、弘の心を休ませるようににやりと笑ってみせると、「自転車一台一万円。そやなあの木やったら一万円もするかなぁ」と続けて言って目の前の杉の木を指さした。「なんや、あんな細い杉か。あれが自転車の木なんやね。美代のシロホンの杉はどれや。お母のは?」とお父うの冗談ごとにあわせて言いかけたがやめた。お母に着物なんか買ってやらなくてもいいのにと弘は思っていた。弘の思いにふれることなく、お父うは上機嫌で「美代のシロホンのはあの杉。お母の着物は、さあ〜どれにしょうかな」としばらく杉を目で追っていたが「よっしゃ。あの木にしょう」と決めてお父うの冗談ごとは終わった。三本とも先ほど倒した杉の半分もない太さだ。三本も伐る言うので、どんなに時間がとられるかもしれないと思っていたが、指さされた木が案外細くて、すぐに伐れそうなので弘はどんなにか喜んだ。その喜びが「おら、枯柴を括くってくる。お父う早く木を伐ってしもて」と勢いよく立ち上がった。
立ち上がったときだ。矢野さんが伐っている方から大きな響きをたてて、一本伐りたおされる音が腹にひびいてきた。自明垣内の山なのか、桧牧垣内のものか区切りがよく分からなかったが、前田さんの分として分けられてしまった桧に違いない。倒れる音をきいて、お父うは思わず「あっ、とうとうやりよった。もめなきゃいいがな…」と、妙なことを一人ごとのように呟いた。その言葉に弘は、「もめなきゃいいがって、どんなことなんや」と、問いかえしてみたが、お父うは「子供にはわからん。大人のことや。あの桧は自明垣内の峰のものか、桧牧垣内のもんかはっきりせんのじゃ。だから倒してしまうと、もめるかもしれん…」と、意味の分からない事を言い手よきをひきよせると、これから倒す杉の木に、うけを入れ始めた。弘は大人のことやと言われて、それ以上詳しく聞くことは、お父うを怒らせるようなものかと思い、いつもの習慣で、心にかかりながらも、弘は聞きほじくることをあきらめ枝柴作りにお父の傍を離れた。歩きながら、さっきお父うが自転車の木といって指差した杉の木に近づくと、矢野さんからもらったチョークをポケットからとりだし、大きく「自転車の木」とチョークをなすりつけようにして書いた。自転車を買ってもらえる喜びがそのようなことをさせたのに違いない。書いた字を弘は満足そうにしばらく見てい た。
☆☆☆
二本目の杉の倒れる音が聞こえ、その後は、当りがいっそう静かになった。杉の匂いが静寂の中漂ってくるようだった。その静寂を破って「お〜〜い。弁当だようー」とお父うの呼び声がする。藤蔓で枯柴をくくっていた弘は、その声に鼻の頭に吹き出た汗を手の甲で撫でるようにこすりふき、括られた手ごろな柴束を一足、肩に担ぐとお父うのほうに戻った。
美代が風呂敷包みを解いていた。枯柴を肩にしてきた戻ってきた弘に、お父うが「えらいなあ弘。お母が喜ぶぜ。さあさあ、めしにしょうや」と、腰をおろして美代が風呂敷包みをほぐすのを手伝う。美代がまちかねたように言う。「お母ちゃんが、いっしょに食べよと言いよった」なるほど、美代が言うように三人分の弁当だ。包みの中から重箱があらわれ、蓋を開けると煮しめの匂いが鼻をつき、巻きずしがぎっしりとつまっている。薄焼き玉子で巻いた寿司や、鮭の薄い切り身がのっかって、三角に切られた寿司も入っている。紅しょうが、目に沁みるようにぷうんと香りがして、いっそう心をはずませる。「すごいや。まるでお祭りや」弘はにやりと笑ってお父うを見上げる。「うんほんまやな〜」別の紙包みは焼酎だろう。紙の破れ目からサイダー瓶がみえる。お父も嬉しいのだろう。喉の奥で唾を飲みこんだような返事をすると紙包みを急いでほぐしながら「お母、またえらい機嫌がええんやな。珍しいこっちゃ」と呟いてサイダーの瓶を大事そうにそおっと土の上におく。その言葉に弘は、今朝狐つきだったお母が何時もに似合わず、こんなにごちそうを作って美代に持たせてきたことに、山の金が入るのでお母も機嫌が良んだなと思った。四重の箱の一重目には、ちくわ、こんにやく、だいこんの煮物がぎっしりと詰まっている。普段使ったこともないような包装の新しい割り箸まで添えてあった、まるでお客さんにでもよばれて行ったようだ。割り箸の紙包みを破る音が、ご馳走をつつくまえの心をいっそう浮き浮きとさせた。「お兄ちゃんはこれ。美代のはこれや」玉子の薄焼きの乗った三角寿司がたくさん入った重箱を、美代は自分の方にひきよせ、海苔巻きの多く入っ重箱を弘の方に押し付けた。「ずるいぞ」弘も、塩鮭の切り身や玉子の薄焼きが沢山入ったほうに、心惹かれる。美代に押し付けられた重箱を、美代の方に押し返す。美代が頬をふくれてまたそれを自分の方にひきつける。弘も三角寿司がつまっている重箱を美代の膝から手をのばし、自分のほうに引き寄せようとする。すると「うわーん。兄ちゃんいやや」いつも母親に甘えるような声をだして、重箱をしっかりおさえつける。母親なら美代の我侭を通させて、きっと弘を叱かったであろうが、どちらに言い聞かせるのでもなく、お父はサイダびんを手に持ち湯のみに焼酎を注ぎかけていた手を休めて、優しく「どちらも厚かましいな。兄妹やないか。こんなにようけあるのに喧嘩せんでも食べきれん。お父うが分けたろ」と三角寿司少なそうなほうへ、多いと思われるほうから手早く移しかえた。美代は不服そうにお父うの手元をみつめている。分け終わったお父うは「さあ足らなんだら。お父うの分も、食ったらええがな」と、自分の一重の分まで二人の方に押しやった。お父うのとりなしに弘は素直にうなずいて、海苔巻きをつまみとり「ぽいっ」と口にほおりこむ。美代はまだ心が治まらないのだろうか。「兄ちゃんのあほ。家に帰えったらお母に言うたる」と、嫌味を言ってすねながらむっとした顔付きで、お父うのところに手をのばし、煮しめを重箱の蓋にのせると、寿司をつつきはじめた。
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