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のんびりしたブログですがよろしくお願いいたします。

再び「弘ちゃんは生きている」

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弘ちやんは生きている  (13)    木村徳太郎
 
  杉を倒して一息入れると、弘は、藤蔓を探しに行こうとした。と、「お父うが探してきたる。弘は梢のほうから枝を払らっておれ」と、いいつけて手おき(斧)一丁を弘に渡し、枯柴をくくる藤蔓をとりにお父うは、木立の奥へ消えて行った。渡された手おきで倒おした杉の梢の方から、半分ほど枝を払うと手おきではとても手におえないほど、枝が太くなる。弘は、お父うの鋸で枝を切り落とそうと思ったが、鋸の歯を痛めてはいけないと言う不安で、枝払いの手を休め腰を下ろし、あたりの緑の空気に浸って休むことにした。お父うがそんな緑の中を、手に藤蔓を巻きつけて戻ってきた。
お父うは持った藤蔓を投げ出し弘と同じように腰を下ろそうとしたが、枝を払った手おきが、無造作に倒おされた杉の側に投げ出されてあるのを見ると「あかんがな。大事な道具を使こうたら、ちやんと元の所に丁寧に置いとくんやで」と、言いながら、手おきを拾いあげ他の道具が置かれてあるところにそっと置き、「道具にやっかいになっとって、仕事が終わったからって、投げ出し、放っておいとったんではあかん。次にまたちゃんと使えるようにしとくんや」と、言葉は優しいがさきほど、立木を倒すとき真剣な顔で弘に注意したそのときのような顔付きになって言う。それに続けて「弘、話は別やが、おまえも山稼人の子や。よう覚えときや。これは迷信やと言うかもしれんがな、日本中どんなところに行っても、よきには三本と四本の筋が彫ってある。昼間は三本の筋の方を表にしておく。夜は四本のほうを表にしておくんや。そうした山の魔物が恐れてよう近づきよらん。大事なおまじないや」「おまじないって、そんなん嘘や」得心がいかない弘はすぐ口答えしてみる。「そんなこと言うたらあかん。おまじないは効かない迷信やというたかて、昔からそう言い伝えられていることや。みんながそう思ってきたことやから、その反対をして逆らってまでそれを壊すことはない。人の言うことを素直に聞いとくのもええもんや」。弘は、なんだか口封じをされたみたいで、ものがいえそうにもなくなった。が、やはり得心がいかないので、再び「人がそうやからって、お父う、そんな迷信は信じられへんわ」と、おかれた手よきのほうに目をちらりとやって言う。手おきの刃が白く、森林の空気をのせて冷たく光っている。
お父うは弘のその言葉に、さらに真面目な力強い顔付きになって「みんながそうやと決めたことには、それなりに分けが有る。それにしたがったほうが人間の生き方として、間違いがないんや」と投げ出すように言い、ぽつりと「どこに行ってもそのようにして守っておくと、そのことで他人さんから、あいつは心がけのある奴やと言って仲間うちとして認めてもらえるんや」と続けて言った。おまじないの話が横に飛んで、そのように難しいことを言われても、弘には難しく考えこんでしまうばかりだった。
弘は、立木を倒すときと同じように常日頃のお父うに似合わない厳しいものを感じた。その厳しいいものが、何んであるかは分からなかったが厳しいものを感じるにつけ、お父うが頼もしく思え、なんとなく甘えたい気持ちにもなり、お父うが腰を下している方に近よると「なぁ、自転車はいつ買うてくれんの」と木を売って金が入るのをぼんやり知っているだけに、それを確かめるように尋ねてみた「ああ。心配せんでもええ。今日買うたる」いままで厳しい顔つきのお父うだったが、自転車のことを持ち出され弘に甘えられたお父うは、すぐに顔をほころばせ、人が変わったように気がよさそうに言う。「えっ! 今日買うてくれんの」「少し早い目に仕事を切り上げてお父うは町へ行ってくるわ。そして弘に、自転車を買うてきてやる」お父うのその言葉に弘は自転車が今日買ってもらえ、望んでいたことがはっきりと本当になるという心の弾みにかられて、「うれしい! お父う! もうはよ仕事やめて家に帰ろうな」と、そんなことを言ってみる。お父うはそれを抑えるように「あほなこと言うたらあかん。買ったるがな。でも仕事はせなあかん。それに美代がもうくるじぶんやろ。昼をすませてから、そやな弘の自転車代に一本。それから美代のシロホン代に一本。お母の着物代に一本。三本倒してから帰えろう」と、そんな冗談ごとを言いはじめた。「なんや、まだ三本も伐るの? 」さきほど一本たおしたことを考えると三本も伐るとなると時間が遅くなって、今日は買うってもらえそうでなくなる。弘は不服である、弘の不服そうな顔に「三本といってもじっきや。自転車代や、シロホン代はしれてる。細い木でもええもんな」お父うは自分に分けられた垣内の山をすでに桐久保さんに売って金に換えてあるのに、さも自分の持ち山の立木を伐って金に替えるような言い方をして、弘の心を休ませるようににやりと笑ってみせると、「自転車一台一万円。そやなあの木やったら一万円もするかなぁ」と続けて言って目の前の杉の木を指さした。「なんや、あんな細い杉か。あれが自転車の木なんやね。美代のシロホンの杉はどれや。お母のは?」とお父うの冗談ごとにあわせて言いかけたがやめた。お母に着物なんか買ってやらなくてもいいのにと弘は思っていた。弘の思いにふれることなく、お父うは上機嫌で「美代のシロホンのはあの杉。お母の着物は、さあ〜どれにしょうかな」としばらく杉を目で追っていたが「よっしゃ。あの木にしょう」と決めてお父うの冗談ごとは終わった。三本とも先ほど倒した杉の半分もない太さだ。三本も伐る言うので、どんなに時間がとられるかもしれないと思っていたが、指さされた木が案外細くて、すぐに伐れそうなので弘はどんなにか喜んだ。その喜びが「おら、枯柴を括くってくる。お父う早く木を伐ってしもて」と勢いよく立ち上がった。
立ち上がったときだ。矢野さんが伐っている方から大きな響きをたてて、一本伐りたおされる音が腹にひびいてきた。自明垣内の山なのか、桧牧垣内のものか区切りがよく分からなかったが、前田さんの分として分けられてしまった桧に違いない。倒れる音をきいて、お父うは思わず「あっ、とうとうやりよった。もめなきゃいいがな…」と、妙なことを一人ごとのように呟いた。その言葉に弘は、「もめなきゃいいがって、どんなことなんや」と、問いかえしてみたが、お父うは「子供にはわからん。大人のことや。あの桧は自明垣内の峰のものか、桧牧垣内のもんかはっきりせんのじゃ。だから倒してしまうと、もめるかもしれん…」と、意味の分からない事を言い手よきをひきよせると、これから倒す杉の木に、うけを入れ始めた。弘は大人のことやと言われて、それ以上詳しく聞くことは、お父うを怒らせるようなものかと思い、いつもの習慣で、心にかかりながらも、弘は聞きほじくることをあきらめ枝柴作りにお父の傍を離れた。歩きながら、さっきお父うが自転車の木といって指差した杉の木に近づくと、矢野さんからもらったチョークをポケットからとりだし、大きく「自転車の木」とチョークをなすりつけようにして書いた。自転車を買ってもらえる喜びがそのようなことをさせたのに違いない。書いた字を弘は満足そうにしばらく見てい た。
         ☆☆☆            
  二本目の杉の倒れる音が聞こえ、その後は、当りがいっそう静かになった。杉の匂いが静寂の中漂ってくるようだった。その静寂を破って「お〜〜い。弁当だようー」とお父うの呼び声がする。藤蔓で枯柴をくくっていた弘は、その声に鼻の頭に吹き出た汗を手の甲で撫でるようにこすりふき、括られた手ごろな柴束を一足、肩に担ぐとお父うのほうに戻った。
 美代が風呂敷包みを解いていた。枯柴を肩にしてきた戻ってきた弘に、お父うが「えらいなあ弘。お母が喜ぶぜ。さあさあ、めしにしょうや」と、腰をおろして美代が風呂敷包みをほぐすのを手伝う。美代がまちかねたように言う。「お母ちゃんが、いっしょに食べよと言いよった」なるほど、美代が言うように三人分の弁当だ。包みの中から重箱があらわれ、蓋を開けると煮しめの匂いが鼻をつき、巻きずしがぎっしりとつまっている。薄焼き玉子で巻いた寿司や、鮭の薄い切り身がのっかって、三角に切られた寿司も入っている。紅しょうが、目に沁みるようにぷうんと香りがして、いっそう心をはずませる。「すごいや。まるでお祭りや」弘はにやりと笑ってお父うを見上げる。「うんほんまやな〜」別の紙包みは焼酎だろう。紙の破れ目からサイダー瓶がみえる。お父も嬉しいのだろう。喉の奥で唾を飲みこんだような返事をすると紙包みを急いでほぐしながら「お母、またえらい機嫌がええんやな。珍しいこっちゃ」と呟いてサイダーの瓶を大事そうにそおっと土の上におく。その言葉に弘は、今朝狐つきだったお母が何時もに似合わず、こんなにごちそうを作って美代に持たせてきたことに、山の金が入るのでお母も機嫌が良んだなと思った。四重の箱の一重目には、ちくわ、こんにやく、だいこんの煮物がぎっしりと詰まっている。普段使ったこともないような包装の新しい割り箸まで添えてあった、まるでお客さんにでもよばれて行ったようだ。割り箸の紙包みを破る音が、ご馳走をつつくまえの心をいっそう浮き浮きとさせた。「お兄ちゃんはこれ。美代のはこれや」玉子の薄焼きの乗った三角寿司がたくさん入った重箱を、美代は自分の方にひきよせ、海苔巻きの多く入っ重箱を弘の方に押し付けた。「ずるいぞ」弘も、塩鮭の切り身や玉子の薄焼きが沢山入ったほうに、心惹かれる。美代に押し付けられた重箱を、美代の方に押し返す。美代が頬をふくれてまたそれを自分の方にひきつける。弘も三角寿司がつまっている重箱を美代の膝から手をのばし、自分のほうに引き寄せようとする。すると「うわーん。兄ちゃんいやや」いつも母親に甘えるような声をだして、重箱をしっかりおさえつける。母親なら美代の我侭を通させて、きっと弘を叱かったであろうが、どちらに言い聞かせるのでもなく、お父はサイダびんを手に持ち湯のみに焼酎を注ぎかけていた手を休めて、優しく「どちらも厚かましいな。兄妹やないか。こんなにようけあるのに喧嘩せんでも食べきれん。お父うが分けたろ」と三角寿司少なそうなほうへ、多いと思われるほうから手早く移しかえた。美代は不服そうにお父うの手元をみつめている。分け終わったお父うは「さあ足らなんだら。お父うの分も、食ったらええがな」と、自分の一重の分まで二人の方に押しやった。お父うのとりなしに弘は素直にうなずいて、海苔巻きをつまみとり「ぽいっ」と口にほおりこむ。美代はまだ心が治まらないのだろうか。「兄ちゃんのあほ。家に帰えったらお母に言うたる」と、嫌味を言ってすねながらむっとした顔付きで、お父うのところに手をのばし、煮しめを重箱の蓋にのせると、寿司をつつきはじめた。

弘ちやんは生きている  (12)    木村徳太郎
 
「弘ちゃん」と、周り三尺五寸ほどの桧の幹の一点をじいっとみつめて隆が大声で呼ぶ。弘は拾った枯枝を同じ長さほどに折り、枯柴をつくっていたが、「来てみい。えらいこっちゃ」と隆が顔だけを弘にむけ呼んでいる。弘はその隆の怪訝な顔付きと声に「何事だろう」と、枯柴をそのままにして、隆に駆け寄った。蟻である。地上三尺ばかりの桧肌の割れ目の一点から黒い糸が垂れ下がったように盛り上がって、それが地上にぞろぞろと降りていく。長い冬を桧肌の中で過ごし、暖かくなったので地面に移り始めたのだろう。黒い糸を、ぶっちぎるように隆が「やっ」と掛け声を出し木刀をふるうように、雑木の木切れでそれを叩きつけた。ぶち切れて叩かれたところの蟻が、五、六匹ぺっしゃんこになる。そこを点として突然の出来事に蟻が、ごまの実をばらまいたように右往左往として散って行く。
 蟻の散らばりを見ている隆と弘のそばに、作業の手を休めて桐久保さんとお父うが来た。「弘、白いチヨークで線を引くと、そこから蟻は越せない」作業着の上着からチョークを出し、桐久保さんは右往左往している蟻のまんなかに丸を書く。なるほど、白い線にあたると蟻は線を越えずに引き返して行く。
「不思議やこっちゃなぁ」弘のお父うが言う。蟻の動きをじいっと見つめているお父うに、桐久保さんは「今日はこれまでにして、すぐりの印をつけた木は、いつでも伐ってくれてええ。金は帰りによってくれたら渡す」と言う。
「はぁ。有難うございます。今日、山の帰りに寄らせてもらいまっさ」弘のお父っあんはもう金が入ったものも同じだ。今からでも飛んでいき現金をうけとりたかったのであろうが、さすが大人だ。やはり、仕事のほうに心を働かせたのだろう。桐久保さんにそう言い終わると弘にむかって「お父うは、これから夕方まで木を伐る。弘も一緒に帰れ」と弘に指図をした。だが、昼の弁当を美代に持たせてやると言っていたお母。それに家に帰って、狐つきのお母と顔を合わせるよりも山にいるほうが楽しいと弘は思う。「おら、枯柴を作る」と答えて、隆が桐久保さんと一緒に帰るのかどうか確かめるように、目で隆の心を探ってみた。枯柴を作るといったが、実は隆と遊びたかった弘は隆に帰られては困ると思い、チョークで再び木肌にくるりと、紐を巻きつけたように線を書き入れ「隆さん、チョークを塗るとどうして蟻が寄らんのやろね」と、隆に話しかけた。隆は白い線にとまどって地上に降りてこない蟻に、興味を持つ様子だったが、桐久保さんと一緒に山を降りて帰ると言う。「おら、鶏小屋の掃除せなんらんねん。矢野さんといっしょに山に来たけど、はよ帰って掃除するわ」と桐久保さんに寄り添うようにして歩きはじめた。弘の様子に気付いたのか、それとも旦那はんの息子の隆に心安く言葉をかける弘を出すぎたことだとでも思うのか、弘のお父うは「ぼん、鳥小屋のそうじって、そりゃえろうおまんな。旦那はんとはよお帰りなはれ」と、隆にお世辞をいうように言って、弘の思いを打ち切ってしまった。
弘は隆と遊ぶことをあきらめたふうに、柴作りの続きを仕方なく始めようとした。
その弘に「隆はアカンたれや。日曜やいうたらいつも朝寝坊しよってからに、弘坊の方がえらいで」と桐久保さんは振り返って言い、続けて「さっきの宿題の団結のこと、またもういっぺん聞かしてや」と、常ひごろあまり子供の言うことをとりあげるふうでない桐久保さんに似合わず、念を押すように言い垣内の山を降りて帰ろうとした。
隆は、桐久保さんに甘えるふうに腰にすがると「おらが持ったろ」と腰にさしていた(桐)の刻印をぬきとり、手に持って後ろをふりかえりながら「弘ちゃん、又来るかも分からへん」と弘に声をかけながら、桐久保さんに従って林道をむこうに降りて行った。
 時間をおしむように、お父はすぐりの立木を熱心に伐っていた。父のようすに、約束の自転車を買ってもらえることが、もうすぐ実現すると弘は嬉しく、隆は帰えったが心に弾みを覚え、枯柴作りに励んだ。貯まった枯柴を束ねる縄が必要になり、お父うのほうに歩んんでいく。お父うは近づく弘におかまいなく、熱心に作業を続けている。弘が「枯柴を束ねる縄は、あらへんのけ」と聞いても鋸を引く音と熱心さで耳に入らないのか答えない。「枯柴をたばねる縄はないのけ」再び弘は大声で尋ねる。
「縄なんかあらへん。家に帰って取ってこい。ついでに昼の弁当も貰って来い。もう昼やろ」と、指図をする。そしてやっと、弁当と付け加えたことで、鋸を抜きとり右脇に置いて「弘、腹が空いたなあ」と、鋸を引く手を休めて腰を下ろし、足を伸ばすとポケットから煙草を取り出して火をつけた。弘もお父うの横に腰をおろした。「家へ帰るのは嫌や」甘えたように言ってお父うの顔を見る。「ほんだら、藤蔓をさがしてこい。それで括くればええ」縄をとりに帰らせ、昼の弁当をついでに持ってこさせようと思ったが、家に帰らせて、狐つきなったお母がまだ弁当をこしらえていなかったら、そこへ催促をすると一層、お母をヒステリーにさせて、争いが起こるかも知れない。弁当を急ぐよりも、そのことが心に係りお父うは、縄の代用に藤蔓を探させて、弘を山に残したほうが良いと思った。
「おら、藤蔓を探して来るわ」素直に父の言葉に従って立ち上がった弘に「あと少し鋸を入れるよってに、立木を傷めないために綱をもっておまえ手伝え」とお父うは弘が藤蔓を探しに行こうとするのを止めた。
すぐりの木は目通り一米二〇程の杉。三分の二は鋸で引き、反対のほうに斧を打つ。お
父うはロープの先に石をくくりつけ高くほうりあげた。それはうまく立木の枝にひっかか
った。そのロープの端を弘に持たせ、「そら、よき(斧)を入れるほうに倒れるからな。その方向にうんと引っ張れよ」と、立ち木を傷つけないように、倒す方向を弘に教えると「倒れてきたら、すぐ逃げるんやぞ。逃げおくれたら下敷きになってぺっしゃんこや」と、真剣な顔つきで教える。「うん、分かった、大丈夫や」お父うに力を合わせて、凄い立木を倒す。倒れるときの痛快さに、弘はロープを握る手に思わず力をいれて、ロープの伸びるところまで立木から遠ざかった。「うんと引っ張れよ。倒れる時に気を付けてるんやぞ。木は跳ねるぞ!」お父うは、受けによきを足した。よきを入れながら一息ついでに、弘に再びおっかぶせるようにきつい口調で弘に注意する。
こつん、こつん、こつん…。
杉の梢が五寸、一尺。よきをいれるうけのほうに傾いてくる。ほかの立木の上にかぶさらないように、弘は立木と立木の間に倒れるようにと、力一杯ロープを引っ張る。小鳥たちは突然起こった、木々を震わす出来事を恐れ慄いているのだろうか。騒がしく飛びまわっている。
 ばり、ばりっ、ばりっ、ばりっ…。
森林を根こそぎ倒しでもするように響きが大きく轟いた。
弘はロープを持った手を思わず緩めて、横ちょに飛び逃げた。が、立木は倒れてこない。おかしい。ピサの斜塔のように少し傾むいたままつっ立っている
こつん、こつん、こつん…。
杉の梢が、五寸、一尺。よきをいれるうけのほうに傾いてくる。ほかの立木の上にかぶさ
らないように、弘は立木と立木の間に倒れるようにと、力一杯ロープを引っ張る。小鳥た
ちが突然起こった、木々を震わす出来事を恐れ慄いているのだろう。騒がしく飛びまわっ
ている。
ばり、ばりっ、ばりっ、ばりっ…。
森林を根こそぎ倒しでもするように響きが大きくする。
ロープを持った手を思わず緩めて、弘は横ちょに飛び逃げた。が、立木は倒れてこない。
おかしい。ピサの斜塔のように少し傾むいたまま、つっ立っている。
「馬鹿ったれ。驚きよって。あの音はこっちじゃないわい。矢野さんの分じゃ」横っちよ跳びに身を避けた弘の慌て加減を真剣に怒っているふうのお父うだ。倒れてこない立木を見て一息ついた弘は、向こうの矢野さんが伐採しているほうに目をやった。なるほど、矢野さんが伐木している木だ。倒れる立木に触れてその近くの木が大きく揺れているのが分かる。
「そんなことじゃ、自転車も買ってやれんぞ」酒にだらしなく、普段あまり弘に叱言を言わないお父うだ。そのお父うが、木を倒すときはきりりっと引き締まって、人が違がったように恐い。お父うの言葉は、体に突き刺さるように厳しい。自転車と言う言葉が出て、弘は甘えたい気持がしたが、それどころではない。倒れない立木にお父うが、よきを入れ始めたのである。三つほど打ちこんだ。
 ばしっ、ばしっ、ばしりっ、ばしりっ…。
先ほど倒れた矢野さんの立木に負けないほど、枝の折れる音が腹をえぐるように響びいて、どっと倒れた。「うわっ。ばんざい」横っちょに身を避けた弘はりっぱに倒れた杉を見て声を上げた。お父うは満足そうに弘のほうを見て、にやりと笑った。その顔はいつものようなお父うらしい顔になっていた。

弘ちやんは生きている  (11)   木村徳太郎
 
 お父うが立ち上がって、そのほうを見ると製材所の矢野さんだ。それに隆もいっしょにいる。「お父あん! そこにいるけっ〜」隆が、弘のお父うを見つけて大声で聞いて来た。
「旦那はんは、ここにおられます〜」メガホンのようにように手を口を当てて、弘のお父うが大きく答える。桐久保さんは、弘と団結についての話を続けようとしていたが、「隆が来よって、なんじゃろう」と、話の続きをそのままにして林道のほうに顔をむけた。
「隆さん。こっちだよう。僕も来ているんだ」弘も立ち上がって隆と矢野さんに大きく手を振ってむかえた。「弘ちゃんもいることおら知っとった。お母さんに聞いとった」と、駆け寄ってきて、桐久保さんと、弘のお父う、弘が、腰をおろしていたところへ矢野さんと隆がやってきた。
          
「矢野のおじさんが家にきよったんや。お母さんが「山や」と言うたら、おじさんも山へ行くと言いよるんで、弘ちゃんかて行っていると聞いたんで、僕もいっしょについて来たんや」。隆が桐久保さんに、山に来た事を話し終わるか終わらないうちに、矢野さんが「旦那。木を間引きはるそうやが、わしとこに落としてもらえんかと思って訪ねましたんや。前田はんとこの分を買ったので、いっしょに出そうと思いまんねん」
矢野さんは間伐の杉を分けて欲しいと、桐久保さんに願っているのである。「うん。いま印をつけとるところじゃ。まあ座れ」承知しそうな桐久保さんの言葉に、矢野さんはポケットから煙草をとりだすと火をつけて腰をおろした。隆は自分が山に来た事情を分かってもらえた様子に一息つき弘に何か話しかけようとした。すると桐久保さんは矢野さんとの話をそのままにして、「隆、弘ちゃんから聞きよったが、団結の宿題って、詩を作っていくことか」と隆に話しかけ「隆は団結って、どんなことか知っとるんか」と訊ねた。
「そら、僕知っとるわ。人間は誰でも平等の権利があるんや。それを侵されたら団結して権利を侵すものに向っていくんや。それで、団結は大切なもんやねん」
「ほほう、なるほど」桐久保さんは団結ということが意外なところに飛んだと言うふうに、興味をそそられ「学校ではそんな風に教えよったんか。団結するとはそんな意味のことばかりかいな」と、さらに隆の言葉を引き出すように言う。隆はきおって「そうや、日本の憲法は誰でも自由で平等やと言うことになっとる。そやけど力のないもんは、やっぱりあかん。せやよってに、力の弱いものは団結して自由を侵すものと戦うんや」隆は満足げに顔を輝かせて言う。
「ぼん、えらいこと言いはりまんねんな」弘のお父うが隆の言葉に、新しいことを聞いたふうに驚きと敬服の目で次に何かを話そうとすると、横から矢野さんが「自由、自由って、このごろの学校の教えよることはなっとりまへん。どだい、学校の先生がストライキやりよる時代だすもんな」と、桐久保さんに同意を求めるように言う。桐久保さんは、それには答えず隆の方にむきなおり、「そりゃ、隆の言うとおりや。人間は誰でも自由や。けどなそう言うたかて、することちゃんとしてから言わんとあかんねんで。いったい先生はどんなことで教えはったんかしらんけど、弘ちゃんは寝てて詳しくは知りよらへんから、教えたってんか。お父さんも聞きたいわ」隆は、父親の桐久保さんだけでなく、弘のお父うや矢野さんもいるので、恥ずかしそうにもぞもぞしていたが、桐久保さんの手元にあった氷砂糖の袋をとりよせ、一欠けらそれを口に放り込むと、「おら、むつかしゅうて、分からんがな」と言いながら、氷砂糖を口の中でからからと音をさせてニイッと笑った。
「ぼん、教えてんか。頼のんまっさ」矢野さんが笑いながら、隆を煽てるような口調で重ねて言う。父親の桐久保さんも話を聞きたいようすだ。
矢野さんのおべっかの口調にのって「『人間、誰でも自由で 平等の権利がある。それで自由を侵されれば団結して交渉するんや』と先生が言いよった。それで団結は大切なこっちゃからよく覚えるために、それで詩をつくるんや」と、再びくりかえし、隆は昨日習った、国語の農業のこと、小作人のことを話し始め、垣内の山を分けるのに、「不公平だ」と前田さんが言っとった。それで、朝子に団結して、不公平を交渉したらええと先生が言いよったと、教室のできごとまでを、詳しく話したのである。
 「前田はそんなこと、言いよったんかいなぁ」桐久保さんは少し考えるふうで、苦い顔をしていたが、すぐ「そりゃ、前田も無理のないこっちゃ。まあええ」と、自分で、自分が合点したように言い、「前田も困まっとるんやろ。矢野さん。ええ値で買うたり」と、矢野さんのほうに話しかけて、学校の話をうちきった。が、矢野さんが「もう、値が決まりましたんや。七万で落として昨日、金を渡しましたんや。それで、今日からでも、伐木しょうと思って、ついでに旦那の間伐も分けてもらおうと思ってきましたんや」と、先ほどのことに再び念を入れて言い、続けて「そやけど、前田はんも、七万円ただもうけのようなもんだっせ。それに不服を言うて、ちよっと厚かましいおまんな」と、付け加えた。その言葉に「そら前田はんも気の毒やが、そんな不公平言うのは間違っておる。それに分からん区切りの桧まで自分の分として、矢野さんに渡しよったんやおまへんか。ぼろすぎまっせ」自分の借金を差し引いて、残り五万円しか手に出来ない弘のお父っあんは、自分よりうまいことを前田さんがしたと言わんばかりに、意気込んでで言う。
「そや、そや。わしとこは、商売やから伐りまんがな。おもいがけない桧まで手にしよった者に不服どころやおまへん」矢野さんも弘のお父っあんの言葉に合わせて、顔では笑っているが口調をきつく、前田さんを非難したように言うと隆のほうに向かって「ぼん、教室で前田さんの子がそんなこと言ったんかいな」と念をおし、隆の「うん」と言うことを聞くと、「まるで、共産党のようなこと言いよりますなぁ」と誰に言うともなく、ぼそっと独り言のようにつぶやいた。その言葉に桐久保さんは「まあ、ええがな。戦争に負けてしもうてからの、日本はなにもかも変わってこのごろの教育も変わってるからな。時代というもんや」矢野さんを説き伏せるように言ったが、弘のお父うが「なにやらよう分からん詩とかいうものを作らしよってに、家の中の恥ばかり書かしよる。昨日も先生に、弘が学校に出しよった詩とか言うて、うちのお母が怒りよるのは、わしがあんまり酒を飲みよるさかいやというような事を言いよった。どうも学校で、家のあらをほじくりだしよるようなことをやりよってからに、アホにしてけつかる」弘のお父うは、自分のだらしない酒のことを棚あげにして、昨日梶野先生に話されたことを憤慨しているようだ。
桐久保さん、弘のお父う、矢野さんと大人の話が学校のことになってきたので、隆と弘はなんとなく心が落ち着かない。隆は立ち上がると手近の細い雑木を一本折り取り、刀を振り降ろすように下草を勢い良くなぎたおしてながら、みんなのところから離れた。
「隆さん」弘もその後をなんとなく追って行った。矢野さんと、弘のお父うが「ほんまに赤じゃ」と、物事を決めるような強い口調で言っているのが聞こえてくる。少し離れて隆が下草をなぎ倒すのを止めて、手に雑木をさげて弘の来るのを待っていた。弘が近づくと「えいっ」と大きな掛け声をかけて杉の木の幹をうち、弘を見てにやりと笑い、「おら、先生のこと言わなんだら良かった」と、悔やんでいるような口ぶりでぽつりと言う。「隆さん、柴(しば)でも作ろうか」弘はお父うの手伝いが心にかるのか、それを紛らわせるように、落ちている杉の枯枝を拾い始めた。

弘ちやんは生きている  (10)    木村徳太郎
 
 桐久保さんに従ってお父うと弘は杉木立の中を歩く。木立ちの冷気が杉の木から流れる霊気のように体を包みこんでくる。茶黒くホコホコした朽葉が、足裏に心地よく伝わってくる。桐久保さんが林立する杉の中を歩き、杉の生長に都合の悪いものを間引くために、それらを目ざとくみつけお父に伝える。お父うはその杉の木を巻尺で抱えるような格好で「一尺八寸! 」と寸法を測り、桐久保さんに大きく答える。肩からさげた帳面に桐久保さんがそれを書き込んでいく。
 寸法を測り終わった弘のお父うは、杉の根元を鉈で少し削り、削られた少し白い木肌に、桐久保さんが棒でなぐりつけるような形で「桐」の刻印を打っていく。「弘、藁を一本渡してくれ」お父うに言はれて弘は藁束を差し出す。「一本でええのや」お父うが大きく言う。藁を何にするのか解からなかい弘は、改めて藁束から一本だけを抜いてお父うに渡した。そして、藁は間伐される杉の目印に括りつけておかれるものだと知った。これを<すぐり>(間伐)と言うのだとお父うが教えた。これで、間伐される一本の杉の始末が終わる。弘は山に入って遊びもしているし、枝柴作りにも山にも入り、またお父うの伐木しているのを見たこともあるが、<すぐり>をするために、木にこのように印をつけていくことは、初めて知った。
 三人は次の杉に移る。「一尺五寸」お父うが巻尺で計って言う。お父うの大きな声が林の中にこだましていく。桐久保さんは帳面に記しては刻印を打って行く。何本かを繰り返し要領の分かってきた弘は、お父うに藁を渡さずにぐんと背伸びをして自分で藁を結びはじめた。
 弘は何本目かの杉に藁をくくりつけながら、杉の木が間伐されることに繋げて、団結と言う言葉の意味はどんなものだろうかとふと考えはじめた。
団結とは(多くのものが組になる。一つにつながる)と言うような意味合いではないのだろうか。するとその中には組みになろうとする心が動いているはずだ。しかし、桧や杉には組みになろうという心はない。ただ寄り集まって生えているだけに過ぎない。それを団結として宿題の詩に現すのは難しく、先ほどから考えていた詩がなんだか間違っているようにも思えてきた。
「お父う! 団結とはどんなことを言うんやろか」「なにをやぶからぼうに。団結って力を合わせることやないか。突然何を聞くんや」巻尺をぶらぶらさせながら、お父うが怪訝な顔をして振り返えった。
「学校の宿題や」「学校の宿題って、いまそんなときじゃないわい」お父うが、ぶっきらぼうに答えて次の木に行きかけた。すると、「弘坊、団結って? 団結がどうかしたのかい」桐久保さんが横から尋ねてきた。弘は、恥かしげに答えない。
桐久保さんは「ここらでちよっと、休もうや」と弘の問いかけに答えようとするかのように、お父うに声をかけて、<すぐり>の印付けの手を休めて腰を降ろすと、弘の問いに答えてやろうとするようだった。「詰らんことを、聞よってからに」不服そうにお父うは言いながら、お父うも仕方なしに桐久保さんに従がって腰を下ろした。桐久保さんは内懐から紙袋入りの氷砂糖を取り出すと、一かけら口に入れ、「さあお食べ」と袋ごと弘に渡した。弘は袋ごと渡されて少し戸惑ったが、二、三個を手の平に受け、お父うに袋を渡した。氷砂糖を口の中で転ばせながら、桐久保さんが再び、「学校の宿題って、団結の意味を書いて行くのかい」と訊ねる。
「ううん。団結と言う言葉を使って詩をつくるんだ」桐久保さんは「詩って、歌だろう。ほら、雨にも負けず、風にも負けず・・・て、あれだろう」と顔に笑みを浮かべて、宮沢賢治の詩を少し口ずさみ、口に氷砂糖の甘い唾液が溜まったのだろうか、ぐっとそれを飲み込んだ。
「怪我をして先生の宿直室で寝とったんで詳しい事は分からんのやけど、隆さんが宿題や言うて教えてくれたんや。宿題で詩を作っていかなあかんから、考えとるところや」「そんなん放っといたらええわ。昨日は怪我をして、勉強しとらへんのやから宿題忘れたかって、先生怒りよらへん」お父うが横からそんなことを言って、弘が気にしている宿題をうっちゃらかせようとする。「そりゃいかん。聞いたのなら学校のことや。やっとくほうが良い」桐久保さんは弘の気がかりを早く解決してやろうと言うふうに、お父うの言葉を打ち消し弘に話し始めた。
「昔なぁ、毛利元就というお殿さんがおってな。或る日三人の息子を呼んで、一本の弓矢を折らせてみた。一本だったらすぐ折れた。二本でも折れた。が、三本になるとなかなか折れなんだ。そこで、殿さんが言ったんや。一本の矢はすぐ折れるが、三本、四本と多く重なればなかなか折れない。だから、悲しいことや苦しいことが起きても兄弟仲良く手を繋ぎあって行けば、重ねた弓矢が折れないように、悲しいことも苦しいことにも強く立ち向かって行けるんだと話したんだよ」と、諭すような話し振りで言う。「分かった。手を繋ぎあって行くことが団結なんだね。だから、そんな意味で詩を書けば良いんだろう」と弘は疑問が解けたと言う風に頷いた。
 桐久保さんと弘の話が、まだまだ弾みだそうとしていると誰かがこちらに登ってくる話声が木立ちをぬって響いてきた。

 

弘ちやんは生きている  (9)    木村徳太郎
 
 ぐっと後ろへ髪をすきあげ額を広くだし、目をつりあげて振り返えったお母は、「なに…」手に持った櫛で鏡台を荒げた声と共にカチンと叩いた。櫛を投げつけられはしないかと、弘は用心して竈の前に体を丸め、つくばってしまった。ぽきん、ぽきんと、枝柴を折り動作をきびしくし、お母のご機嫌をとるようにどんどんと竈へ折った小枝をくべた。
その弘の動作に心が休まったのか「弁当は美代に持たせてやる」と、お母は不機嫌に言いながら、「もうええかげん起きなはれや」と、お父うの寝床のほうに声をかけた。櫛を投げられなくって安心した弘は、竈に手をかざしながら考えてみる。
「お母はどうして毎月狐つきになるのだろうか」「狐つきになると、どうして自分の言いたいことを通し通すのだろうか」「どこのお母も、そうなんだろうか」と…。
考えても分からない。分かるのは狐つきになったら、逆らってはいけないということだけだ。

「ううん…」寝返りを打ち寝たりなさそうな声でお父うが返事をして、大きな伸びをしているのが見える。
弘に食事の仕度をさせまま、お父うを起し終えたお母は、内職の真珠玉の糸通しを初めた。
「食事の用意ぐらい、したったらどうやねん」寝床の薄い蒲団をまるめ、外の水貯めで顔を洗い、戻ってきたお父うは食卓のまえに大儀そうに腰をおろすと、お母の方へ向かって言う。
「わては、ぼやぼやしてられしまへんねん。ちよっとでも稼がな、どないしまんねん」
ご飯の仕度をしないでその間、真珠玉の糸通しをやったところで賃金はしれている。日曜日ぐらい弘をゆっくり寝かせてやれば良い、と言うのがお父うの心持ちだ。
「今日、桐久保さんから、山の代金をもらうやないか。そない自分勝手なことをして、子供が可愛そうやないか」山を売って金が入るというあてがあるので、今日はお父うも強く言い返す。「そうだっか。そうやったら、しますがな」
 お母は真珠玉を置くと素直にご飯の仕度に立った。が、気持ちが治まらないのだろう。茶碗を食卓に並べようとしていた弘の手から、じゃけんに茶碗をひったくると、ものも言わず仕度を初めた。
お母が食事の仕度を初めたので、弘はお父うと一緒に山に行く用意を始めた。山に行くことが弘はとても嬉しい。その山行きが諍いでも起きて中止になれば困る。お父うの前に座ると、お父うの顔を見てにやりと笑い、耳元で「お父う。お母はきつね…」と、小さい声で便所で見たことをささやいた。
「じやぁ。逆らったら悪いのぅ」お父は弘のために、飯茶碗に昨夜の残りの冷飯を少し入れ、茶粥をその上からぶっかけてやり、にやりと笑いながら渡すと、自分はいつものようにコップに焼酎を入れようと立ち上がった。ほうじ茶を布袋に入れ水と米を炊き出したお粥である。垣内のどこの家庭でも茶粥を鍋いっぱいに作り置き、ご飯のあとや、おやつとして食べられていた。弘の家の茶粥は米粒が少ない。白い冷飯はお茶漬けのようになり、茶色の米粒が点を描いた。冷や飯と熱い粥がころあいよく混ざり、ほうじ茶の匂いが弘の鼻をくすぐった。数切れのうすっぺらい大根の塩漬けが鉢に入れられている。お父うはその薄い沢庵を、茶色の米粒の上に乗せてやった。
お母はお父うと弘の寝床をあげに行き、一緒に食事をしょうとはしない。あとで美代とゆっくり食べるのだろう。
「弘、飯を食ったら桐久保さんに行ってな、『お父うあん、山に行きます』と言って案内してこい。お父うは先に山に行っとく」
「うん」。
食っている飯茶碗に陽の光がちらちらと輝き少ない茶色の米粒を光らせていた。まるで弘の嬉しい心が踊っているようだ。お母は、逆らわないお父うと弘に気づいたのか、それとも今日は、山の金が入るということに心が惹かれるのか「お昼は弁当だっか、それとも食べに帰りまっか」と、部屋を掃きかけていた箒をぶらりんと提げたままお父うに話かけてきた。
「都合うによったら、今日から木を伐ってくる。弁当は弘に取りに寄越すから二人分を頼むわ」「おら、宿題に書くもんを考えなあかんから、おらも山にいく」お母と家にいるより、お父うと一緒に山にいるほうが、どんなにか心を使わなくて良い。
お父うの言葉に「弁当はあとから美代に持たせまっさ」と、お父うの機嫌をとるようにお母が言う。「頼むで。今日、桐久保さんに金もろたら払うよってに、先にご馳走しておいてんか」
焼酎をなめ、塩漬けの大根をかじりながらお父うは言う。
いつもならお父うに逆らうお母が、今日は逆らわない。狐つきでもやはり金が入るということは嬉しいのだろうか。
 弘は茶の中に飯粒が浮いているような飯を、腹いっぱいに詰めこみ、お父うとお母の間に何事も起こりそうにない様子に満足をして、箸を置き「お父う、おら、桐久保さんに行ってくるわ」と力んで家を出た。
 お父うがその背に「桐久保さんに、刻印を忘れずに持ってきとくなはれやと、言うのやで」と念をおし「頭の傷は大丈夫か。包帯まきなおさんでもええんか」と、心配そうに付け加えた。
「大丈夫や。もう痛まへん」弘がにっと笑ってなんでもなさそうに言うのにお父うは安心したのか、残りの焼酎をぐっと一息に呑みほすと、「どら、お父うは先に山に行く。おまえは桐久保さんとこに寄ってからこい」と、土間に降りて山行きの仕事着に着替え始めた。
          
 山が分配されたと言うことは、苦労せずして金がころがりこんだこととしか考えない弘のお父うである。すぐさま桐久保さんに山を売ってお金にかえようとした。しかし、桐久保さんの考えは違う。買った山を手入れして残そうと言うのである。
桐久保さんとお父うの考えの違いは、弘には分からない。弘は自転車を買ってもらえる嬉しさで、弾みながら桐久保さん宅へ向った。
 隆のお母さんが、庭をはいていた。
弘が来たのを知ると、手を休め「日曜やいうのに早うから、おまはんも山に行くんけ。一寸待っとりや」と家の中に入って、すぐに出てくる。「隆は日曜でまだ寝とるんや。お父あんはすぐ来るからな」と、カヤの実を一掴み弘の手に握ぎらせると「ほんまにえらいめにおおて。怪我は痛まへんのんか」と優しくたずねる。
「うん。おら大丈夫やで」と弘は恥ずかしげに答え、カヤの実の礼を言いながら、庭に殻をちらかさないように「かりっ」と、実を噛みはじめた。少しほろにがいが、香ばしい匂いと甘味が口いっぱいにひろがった。噛みしめながら、おらとこのお母と、隆さんのお母とは、どうしてこんなに人柄が違うのだろうと思った。

 腰に墨壷と鉈と、それに刻印の長い柄を刀のように差し、右肩に帳面をさげて桐久保さんが出てきた。
「藁を五十本ほどたのむわ」奥さんに声をかける。
奥さんはそれを聞くと、納屋に行き藁束を抱えて来た。
「気をつけて行っとくれやすや」そう言いながら桐久保さんに藁束を渡す。
受取りながら桐久保さんは「弘ちゃん。お待ちどうさん。お父っあんが待っとるやろ。早よ行こう」と、藁束を脇にかかえて先に立って歩き出す。
山行に藁束をかかえてどうしょうというのか、弘には意味がわからなかったが、「おじさん、僕が持って行く」と、桐久保さんから藁束を受け取りカヤの実を「かりっかりっ」と、かじりながら後にしたがって垣内の山に向かった
             ☆☆☆
 四月一日、町村合併で村が町になる。そのために垣内の山を垣内の衆に分けることが決まって、弘のお父うにも分けられた

 山に行く道はささくれだち、とがった小石がゴロゴロと転がっている。山の出水が何処からともなく滲み出て来、雑草がすっかり春の来たのを告げるように元気に繁っている。小鳥がさかんに鳴く。鶯の鳴き声も遠くから渡ってくる。春風をうけ小鳥の声を何となく耳にしながら、弘は宿題の「団結の詩」をどのように作ろうかと考えながら歩いた。ふとそれとは別に、昨日怪我をして宿直室で寝ていた時、隆が四月になると校長先生が変わると言っていたことを思い出した。
前を歩く桐久保さんにその事を訊ねてみようと思ったが、そのようなことを聞くのは、なんだか悪いようにも思え聞けそうにもない。

 それぞれにいろんな思いを抱きながら垣内の山に着く。先に来ていた弘のお父うが、二人の姿を見つけるや「やあ、旦那はん。お先に待っとりました」顔いっぱいに笑みを浮かべ桐久保さんに挨拶をし、「弘、えらかったやろ。ちよっといっぷくせぇ」と言い、桐久保さんが腰をおろすのに都合が良いように、腰に差していた鎌を手に握りなおし、足元の雑草を刈りとりそれをかためて下に敷き「旦那はんも、いっぷくしとくれやす」とすすめた。
「うん」桐久保さんも腰をおろす。桐久保さんが取り出したきざみ煙草に、お父は急いで火をつけ、自分も耳にはさんでいたちびた煙草に火をつけた。お父うと、桐久保さんが話しはじめる。桐久保さんの煙管から吐き出す煙が、ゆっくり木立ちの中を流れて行った。弘はしゃがみこみ、落ちている杉の実の皮を爪で小さくはがして遊びながら、二人の話を聞くともなしになんとなく聞いている。
「旦那、間伐ですか。主伐ですかい」弘のお父うは、桐久保さんに杉を間引くのか、主だった杉を伐って売るのか聞いているのだ。「お前はんに渡す金は、もう用意しておいた。今日帰りに渡すけん家に寄っとくれ。十万でええのやな」桐久保さんは、間伐か主伐か答えず、お父うに山を買う代金を確める。
「十万どすが、五万円借りとりまんので・・・」話を聞いていた弘は、お父うが五万円も桐久保さんに借りがあるということを始めて知り、あれほど楽しみにしている自転車もそんななか、買ってもらうのがなんだか悪いように思えてくる。また、そんなにお金の借りがあるのに、山を売って自転車を買ってくれるのは、僕を心から可愛がってくれているんだなと思えて、お父うがいっそう好きになった。
 桐久保さんが言う。「差し引き五万と言うとったが、ともあれ十万円を渡す。うちの借金はいつでもええ」そう言われてお父うは「お世話ばかりかけてすんまへん。親子四人が生きていけるのも、旦那はんのおかげどす」お父うは、お世辞でなく真面目くさって言い「町村合併で思うわん金が入りよって、このさいに返しておきまへんと、今度いつ返せるか分かりまへん」と、桐久保さんのおもいやりを断わって言う。お父うだけでなく、学校でも山持ちの桐久保さんの息子の隆には、級(クラス)のものがなんとなく頭があがらないのは、やはり金持ちだからだろうか。弘は自分の家も桐久保さんの家のようにならないものかと思う。
「そうかい。じゃあ、一応五万円渡しておこう。わしはいますぐ金がいるというわけでもないので、主伐と思っていたが間伐にするわ」桐久保さんが話の締めくくりをつけるように言った。「へい、それじゃ間伐で・・・」お父うは喫っていた煙草をもみ消して、残りをまた耳にはさみながら立ち上がって言う。
 桐久保さんとお父うの話を聞くともなく耳にしながら、広い青空の下はるか向こうに一点くろぐろと伊那佐山がみえる。「伊那佐山には、桧や杉が団結して生えているのだろう。だから力強く、どっしりとくろぐろとみえるのだ」伊那佐山で宿題の団結の詩をまとめてみようと考えた弘は、「弘、藁もってついてこい」と、お父っあんの大きな声に、「桧や杉が団結して生えているから、雨や風に山がくずれずに・・・」と、そこまでで団結の話がまとまらなく尻切れにしたまま、傍に置いていた藁束を持って立ち上がった。

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