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弘ちやんは生きている (6) 木村徳太郎
入り口を入って二坪ばかりの土間。土間に竈(かまど)がありその後ろに山行きの道具が一揃えと、お父うの山行着がかけられてある。
その山行着をみて、梶野先生は弘が書いて出した詩を思い出した。
どこに行ったのか
ぺたんと
お父っあんの仕事着が
かべにかかっている。
山に行かないで
酒をのんでいるのだろう。
かべに仕事着があると
お母の機嫌がわるい。
かべの仕事着をみると
おいらはこわくて
外に遊びに行く。
炊き口が一つしかない竈。部屋は六畳。それに二畳ほどの板の間。裸電球が一つ。長いコードがだらしなくたれている。どちらにも移し明かりをとるのだろう。煤で家の中がくすんで暗い。お母の内職の真珠玉だけが、荒壁の落ちた所から洩れる光で、明るく豊かに見えるのが、いっそう貧しさを語っているようだった。
受け持ちの児童たちの家庭訪問で、児童の家に初めて来たのではないが、弘を受け持って弘の家庭内がしっくりしないことを、つい近頃梶野先生は知った。
弘の良い母親になりえないのは、貧乏なそんなところにも原因があるのではないか。
「お母も悪いが、お父うも悪い」と、昨夜、桐久保さんが言ったこととを、弘が書いた詩を思い出し、お母が柳ごうりから弘の衣類を出す間に家の中を見まわして「なるほど」と梶野先生は胸が痛んだ。
やはり受持ち児童の家には、度々訪問するほうが良いのだろう。弘の家に来てよかったと思う。
「足、痛うないか。」「痛まん!先生と学校に行く」
家庭の事情が深く分かり、お母と折り合いの悪い弘を家に残しておくより、学校に連れて行ったほうが良いようにも思える。弘は母親のじゃけんな様子、それを願っているようだ。
まだ少し、初夏の風には早いと思える開襟シャツを弘に無造作に着せ、「服は家で洗います」と辞退する母親に
「学校で洗わせますから。学校から帰るまでには乾きますでしょう」と梶野先生は答えながら、弘のことが心にかからないのか、一言の礼も言わないお母をを後にして、血の付いた服を新聞紙に包み、弘をつれて表に出た。
☆☆☆
「ガラン、ガラン」
授業の終った合図の鈴(りん)を、小使いさんが鳴らして教室を回っている。宿直室で休んでいる弘にも届いてくる。清んだ音色だと弘は思う。石鹸と糊の匂いがほのかに鼻につく清潔な布団。家のあかじみた布団とは違う。どこまでも余韻を残して響いていくような鐘の音と共に、なんだか体が浮くようで落ちつかない。
先生の宿直室で聞く終業の鈴は、いっそう落ちつけなくくすぐったかった。
弘は布団を頭からかぶった。そこへが学童たちの騒がしい声が響いてくる。
休みの鈴で来るだろうと思った学童たちがあんのじょう、
「弘ちゃん!弘ちゃんていうたら、弘ちゃん」と、騒がしく宿直室の入り口で呼んでいる。頭と足の甲に包帯を巻いた弘は、照れくさくかぶった蒲団の奥へさらにもぐって動かなかった。
「死んでるのとちゃうか」男の学童が言っている。
「ほんとや。死んいるかもわからへんで」と相づちをうっている女の学童。
「あほ言え。弘ちゃんは不老不死の薬を飲んでるんや。死による分けが無い」
騒がしい学童たちの声を打ち消すように、大真面目な顔で隆が言う。
「不老不死ってなんや。それ」奥田君が問い正してくる。
「教えられへん。けどその薬を飲んだら、人間は死なへんのや」
「あほ。そんな薬どこにあるんや」否定する奥田君に、隆の言葉がとぎれ、
「ほんまやわ。隆さん、何を言うてはんの」と、女の学童たちが奥田君に加勢している。
「ちよっと上って見てみよぉ」奥田君が宿直室に上がってくる。それに続いて、がやがやと騒ぎながら同じ様に上がってきた学童たちは、布団をかぶって動かない弘を取り巻き、
「弘ちゃん。弘ちゃんって」と、口々に呼ぶ。しかし、いっこうに掛け布団の空間から頭の白い包帯だけを少し見せて、弘は動こうとしない。
「寝てよるんやろか。」隆が掛け布団の裾を軽く持ち上げると、
「ううん。痛い」と、同時に手で布団を「ぱっと」押しのけて、弘がしかめた顔をして言った。
「なんや、死んだ真似してはったんやわ」女の学童が、馬鹿にされたと言うように愚痴った。
「それみい。死んどらへんやろ。弘ちゃんは死によらへんのや」
さきほどからの、自分の話をみんなに頷づけさせるような言い方をした隆は、
「痛いっ」と言った弘の声と、頭に巻かれた包帯に気付いて、自分の粗忽さを詫びるように「痛いことあらへんか。布団をめくってすまん」と言う。
「ううん。大丈夫や」と照れくさそうに言う弘。
布団にもぐっていた息切れではなく、級友たちにとりまかれてはにかみ、頬を赤くした弘が首を振って答える。
弘は、みんなにとりかこまれ、こんなに関心をもたれたことが照れくさく、また嬉しそうだった。
木から落ちた一瞬のこと。梶野先生と医者に行ったこと。そして傷のことを話す弘とそれを熱心に聞いている学童。そんな話とは別に自分たちだけのことを喋りあっている学童たち。宿直室は子供たちの賑やかな声が響いていた。
「弘ちゃん、これ買ぅてきた。あ〜〜しんど!」
弘の話がとぎれた時、越出あや子が息を切らせて宿直室に上がってきた。
丸まった新聞紙の包みを持ってあや子が
「『先生が始業の鈴のなるまでに買ぅてこい』と言わはって、走ってきたんやで。あ〜〜しんどかった」と言いながら、くるんだ新聞紙をひろげて弘の枕元に置いた。赤いリンゴが三個転がりでた。
「僕にくれるんか」
「うん。先生が弘ちゃんにやってくれと言わはったんや」怪訝な顔の弘に、あや子が勢い込んで説明をする。
みんなに囲まれ、その上に先生からリンゴをもらって弘は、いっそうにこにこ顔になる。弘の顔もリンゴのようだった。
「リンゴの皮は剥かなあかんがな。気のきかんやっちゃな」機転を利かした隆の言葉に、あや子はすまなそうに、はにかんで、やはりリンゴのように俯いた。
「うちが、剥いてきたろ」
「うちや」「うちやし」小使いさんのところへ包丁を借りて、リンゴをむきに行くのをとり合う女の学童たち。
「やかましい!」それを見て奥田君がどなった。
その声にあわせるように
「ええっ、何を喧しく言うとるんじゃ」と、校長先生が学童たちの知らない人を連れて、宿直室の入り口から、顔をのぞかせた。
女の学童も、にこにこ顔の弘も、どなった奥田君も、隆も、男の学童も、バツが悪そうな様子で入り口の方に向って、もぞもぞと行儀よく座りなおした。
「弘。どうじゃ」
校長先生がスリッパをぬいで、上がって来る。
いつもとは、何となく校長先生の様子が違う。それに知らない人も一緒に上がって来たので、学童たちは黙って、お互い指でつつきあいをしながら、しおらしく校長先生をみつめていた。校長先生から言葉をかけられることなどは、かってなかったことだ。
恥かしげに、にやりと笑ったまま弘は答えない。校長先生は、今朝の出来事を小さい声で知らない人に話している。聞いている人は「ふうん、ふん、ふん」と、にこにこ笑って合槌を打っている。
話し終わると「静かに賢くするんじゃ。よその人が来られて笑っておられるぞ」と、学童たちに注意をして、校長先生と知らない人は「あっ、はっ、はっ」と大きな声をあげて笑い、笑い終わると
「弘、気をつけて早よなおれよ」と、弘に言葉をかけ、きょとんとした学童たちを残して宿直室を出て行った。
「あれ、なんじゃろ」奥田君が正座の足をたまりかねたように投げ出し、けげんな顔をして最初に声を出す。
「校長先生、いつもと違ってどないかしょったんやろか」「あれ、だれじゃろ。何処へ行きよるのかの。ちよっと後ろついて行ってみよか」きょとんとしていた学童たちは、思い思いの姿勢にかえると今度は知らない人について、また騒ぎ出した。
「おい、あや子。リンゴを剥きに行くふりして、見て来い」奥田君が越出あや子に命令するように言う。
「うちも、ついて行ったろ」
おきゃんな中峰由子が立ち上がると、隆がリンゴを持って立ち上がりかけた越出あや子をとめて、
「見に行かんでもええ。おら、知っとるん。ありゃ校長先生やが」と、真顔で言う。
「何を言うてんねん。馬鹿にしよってからに。校長先生やて言うのは分かったるがな」
奥田君は、隆の冗談ごとのような説明に、喧嘩ごしの口調になる。
「ちがう。あの人やがな」
「あの人って」
「ほら、今、校長先生と来はった、あの人やがな」「あの人って、いま校長先生と来やはった人か? アホな! 校長先生が二人もおってたまるかい」説明不足の隆の言葉に、せき込んで自分のいったことに自分が頷いたふうに奥田君は言い、
「リンゴ早よむいて来い」と、越出あや子にふたたび指図をした。
どう話していいのか、暫らくとまどっている感じの隆が、やっと話の筋がまとまったのだろう
「おら、お父っあんに聞いとったんや。校長先生、こんどの四月にかわりよるんや」
傷をした弘を見舞って宿直室にきた学童たちは、弘のことよりも、隆の言葉に心をうばわれ先ほどよりも、さらに部屋の中はざわめきだした。
「へえっ。ほんと? ほんとか」
リンゴを剥きに出かけようとしていた越出あや子も、奥田君も男女の学童たちも、隆に念をおす。
隆の話はまっさら嘘ではない。
現在の校長は停年で、昨年に退職することになっていたが、一教室増築中でそれが落成するまで「もう一年」ということで、特に許可されて奉職していたのである。「校舎の落成も町村合併になる四月には、新しい校長が赴任して来ることになっている」とお父さんから聞いていたと隆は言う。
「いまのは、きっとその今度来る校長はんや。それがこっそり見にきやはったんや」
隆の話は筋が通っている。それに昨年、そのような噂のあったことも学童たちは知っている。まして、桐久保さんは育友会の役員さん。学校の話になると学童たちは隆の話を疑わない。隆の話に、得心したように中峰由子が
「そや、そや。こんどきはる校長はんや」と、言った。それにあわせて
「わあっ。校長先生、代わりはるんや」女の学童たちが、いっせいに手をうって騒ぎだした。
「そんなアホなこと言うたら、叱られるぞ」隆の話に手を打って騒ぐ女の学童たちを睨みながら、隆に言う奥田君。
「ほんまやから、しかたがあらへんわ」
言われた隆はちよっとバツが悪そうだが、言葉を改めない。
「ほんまか嘘か、小使いのおばちゃんに聞いて来たろ」越出あや子がリンゴを持って立ち上がって駆け出していく。二,三人の女の学童がそれに続いた。
その時、二時間目の授業の鈴が大きく鳴りひびいてきた。
「弘ちゃん。リンゴは小使いのおばちゃんに、剥いて持って来てもろたるわ」走りながらあや子が振り向きながら言う。弘を残して、奥田君も隆もほかの学童も「弘ちゃん、元気でな」「弘ちゃん、しっかりしいや」
と、口々にさけびながら、教室に向って駈けて行った。
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