|
弘ちやんは生きている (3) 木村徳太郎
垣内の集会が終って、お父が再び桐久保さんの家に寄ったのはもう十時近くになっていた。
「旦那さんのところは、竜門さんと中西さんの間に決まりました」
「そうか」
桐久保さんは、あまり気にもとめないそっけない声で返事をし、
「もう遅い。弘坊を連れて早よ帰りな」と、顔だけお父に向けて言うと、またすぐに碁盤に目をもどした。
お父は無言で板の間に腰をおろし、長火鉢の横の茶櫃を引きよせると自分で茶を入れながら、おもいきったように
「旦那はん。一寸話がありますのや」と、
入れた茶を一息に飲み干し、囲碁に熱中している桐久保さんに声をかけた。
お父の話しかけに梶野先生は気をきかして、
「ここらで失礼して、風呂をもらってきますわ。」
と、囲碁を中止し座布団を脇によけて立ち上がった。勝手の分かっている風呂場の方に足早に行ってしまった。
桐久保さんは致方なく碁盤を離れて、長火鉢の前に座り
「話って何んや」と無愛想に聞く。
弘の父は暫く言い憎そうだったが、
「今度分けてもらった山を金にかえて、借金を全部返えしたいと思とりますんや。ついては、旦那さんに配分になったとこを買って貰えまへんやろか」と、真剣な面持ちで言う。
「そんなことやろうと思ったよ。うちの貸金はいつでもええ。そんなにすぐに売らんならんほど、金が必要なんか」
眉間にしわをよせて言い、続けて
「金が出来そうだと思うと、先にそれを使うことばかり考えてはいかん。わしには、解(げ)せんなぁ。山は山三厘と言われてすぐには収益もない。それをじっと持ちこたえて苦しい暮らしにも耐えて山を守っている者もいるんや。そうやってすぐに金に変えて金を使う者の気持が解(げ)せん」
と、渋い顔付きになった。
「だけど、旦那はんは昔からの山持ちだす。わしらは戦災で焼け出されてなんにもないまる裸。身分が違いますわ」
「山持ちやから暮らしむきが楽やと言うのんか。いったいどっちが贅沢していると思う」
「そら、旦(だん)さんのほうでしゃろ」と、弘の父は常から思っていることを言いたかったが、今は頼み事にきている。桐久保さんの機嫌を損ねないように
「まあ、まあ、えへっ えへっ」と、
言葉にならぬことを言って、ごまかして笑って答えなかった。
桐久保さんは続けた。
「山稼ぎで一日六百円。月に二十五日働いて一万五千円。親子四人贅沢せんだらやって行けるやないか。酒に金をつぎこんで飲むから暮らしがなりたたへんのや。子供も可哀想やしお母の怒るのも判る。一日に焼酎三合以上も飲めば、酒代も馬鹿にならんやろ」
飲酒のことを言われて、弘のお父は頭があがらず黙ってしまった。
金の入るのが少しならそれなりに家計を締めて生活すればよい。沢山儲けても、無駄に使えば金は足りなくなる。「自分の暮し向きを考えよ」と桐久保さんは言っているのだ。
それは弘の父にも判っているだけに、酒代のかさばることを言われると返す言葉もない。
「山は買ぅてもええ。だが町村合併で垣内の山を分けことになり、苦労もせんと金が手に入る。それを当てにする考えにわしは腹が立つんや。いつまでも立ちなおれないのはそんな心がけだからと違うか。今晩、一晩よく考えてみるこやな」
と強く言う。お父は口答えも出来ず黙って言葉もない。その様子に桐久保さんは
「弘坊、弘坊」
奥の部屋に向って声をかけた。
弘が出て来た。
風呂からもどってきた梶野先生から、弘が桐久保さん宅にいる事情を聞いて、お父は頭をなんどもさげて恐縮している。
お父と弘の二人は桐久保さん宅を出て、春めいたとはいえ夜更けはまだ冷える外を帰って行った。
「お母と、なんで喧嘩したんや」
「お母が美代にばかり味方をして ぼくを怒って真珠玉を投げよったんや」
お父は、普段から弘に継母として接するお母の仕打ちに、抵抗を覚えることもあって、一寸悲しい思いにとらわれた。が、すぐに
「弘も大人になったら判る」
咄嗟にどう説明してよいのか判らず、曖昧な言葉でにごした。
しかし、弘は判っている。
「お母は継母だから」
と、口に出したいのだが、口にだせば父が悲しむ。唇をかんでこらえた。
お父は、黙る弘があわれに思え、
「明日、桐久保さんに山を買(こう)てもろたら、弘に自転車を買ってやる」
と、お母の話をはぐらかせて言った。
「ほんとに! 嬉しい」
弘は父の腰をゆさぶり何度も念をおした。
「入る金を当てにして、使うことを先に考えることを反省せよ」と、桐久保さんに言われていたが、後妻としっくりいかぬ弘がいじらしい。
「ほんまに買ってやる」胸をぽんと叩き、「指きりをしょうか」と言いながら、胸の中では個人持に分けられる二反分の、杉や桧の時価を計算し、頭をめぐらせていた。
☆☆☆
次の日、外の浅井戸から釣瓶で鉄分の多い赤茶化た水を汲みあげ、その水で顔を洗いながら弘は、隆と約束した昨夜のことを思い出していた。そして赤い百合が咲くあたりの雑草地に目をやった。レンゲ草が首をもたげている。近よってしゃがみこみ、春の息ぶきをうけて赤い百合の芽が出ていないかとさぐって草をかき分けた。草の青い匂いがする。
そんな弘の背に怒鳴り声が飛んでくる。
「早う御飯を食べて、学校へ行かんか」お母の大きないがり声が背に当る。
桐久保さんに「明日は山を買ってもらう話に行く」と言っていたお父は、まだ寝ているようだ。自転車を買ってもらう約束を確めておきたかったが、起せばお母が怒るだろう。
急いで家に入り食卓についた弘は、お父が起きてこないかと、漬物と大根の実だけの薄い味噌汁と、麦まじりの昨夜の残り飯を、わざと時間をかせぐようにゆっくりと口に運んだ。
「兄ちゃん、早よ行こう」
先に食事をすませた美代が、横からせかすように言うので、弘は仕方なくあきらめて箸を置き立ちあがった。(続く)
|