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脳いきいきアートで「緑の中」。 新聞紙と竹ペンだけで描いています
♪ 5月の歌
オーヴァーベック作詞/青柳善吾訳詞・モーツァルト作曲
楽しや五月 草木はもえ
小川の岸に すみれにおう
やさしき花を 見つつ行けば
心もかろし そぞろあるき
うれしや五月 日影ははえ
わか葉の森に 小鳥歌う
そよ風わたる 木かげ行けば
心もすずし そぞろあるき
ブログ友のみなさまご無沙汰しております。元気にしております。
ブログをお休みしていた間のことをいくつか書いてみました。
(1)「辛い別れ」
おくやみ欄に知人の名前が載っていると知らされた。嘘だと思った。先月会っている。二、三日前家の前を通ったので寄ってみようかと思った矢先だ。その時はもう亡くなっていたと言うのか。鬱状態になっていることは知っていた・・・。後悔ばかりが湧き上がる。お花見にもっと早く誘えば良かった。お茶に強引に誘えば良かった。会ったとき、私は本当の気持ちを察してあげることが出来ていなかったのだろう。とにかく悔しく寂しい。高齢になると友を失っていくことほど寂しいことはない。死んでいった友はもっと寂しかっただろう。年を重ねるといつ別れがあるかしれないのだ。そうは思うものの日常に追われるのが現状だ。
年を重ねると時間も出来てくる。それはきっと丁寧に友達と時を共有することを教えてくれる褒美なのかもしれない。これからは煩がられようが、どんどん思いついたら誰彼に声をかけていこうと思った。声をかけられる人が、いることは幸せなことだ。その幸せを後悔にしないようにと思う。彼女に冥福を祈ることしか出来ないこの寂しさはあまりにも辛い。2010.04.10
定年退職と友を失うことが重なり少し閉じこもりになりました
(2)「野菜高騰に打ち勝とう 」
天候不順で野菜が高騰中、それに打ち勝つアイデァ。先日「比叡山麓若菜摘みハイキング」に参加した。パートだったが三月で定年退職になり、時間がたっぷり出来「退職ゆとりデビユー」というところだろうか。食べられる野草を摘み天婦羅にして皆んなで食べるイベントだった。ヨモギ・アザミ・イタドリ・ミツバ・クレソン・ワラビ・タラノメ・コシアブラ・ユキノシタ・フキ・ノビル・スイバ・セリ・・・草だと思っていたものが殆ど食べられる。係りの人が若い人で本を見ながらの説明には少し心配なところもあったが、桜が散り、葉桜がまた花のように赤く燃えたその下で、婦人会の人たちであろうか、朝堀の筍の天婦羅をして待っていて下さった。その筍の天婦羅に摘み立ての山椒の葉を添えて食べるとその美味しい事。いままでにカンゾウの若芽を酢味噌和えで食べた事はあったが、長く大きくなったものを摘む人もあって、それも天婦羅にするとまた乙な味だった。野にある草が殆ど食べられること、天婦羅以外にもオシタシや酢味噌和えや混ぜご飯も教えていただいた。
野菜高騰もなんのその、それ以後野草をいただきに野に出る。
雨上がりは雨の匂いを残す空気、陽気に汗ばむ空気にはイタドリで喉を潤す。自然のなかで生かされていることを感じる。またどんどんいろんなことに参加して、生かされて行きたいと思う。2010.04.21
ちよっと自然の中に入り元気が出始めました
(3)「新緑に元気をもらう」
天候が不順で何時までも寒く今年はセターが立夏まで出ていた。
急に夏日になり急いでストーブ、冬服を治めた。すこし手を休め、目を庭に向けると新緑が綺麗な事。いろんな緑色に元気が溢れてきた。色彩辞典をみると和名百四十一色に奥ゆかしい名前がついて、若草色、萌黄色などと緑だけでも何色もあるようだ。その数々の緑色が光っていて、いつまでも冬服を直さず、閉じこもっていた私にも芽吹きのような元気をくれた。野山は「山笑う」の季語がぴったりの緑。緑が笑っている。
外に出れば田圃には水がはられ、五月の風が漣をつくっている。桜の時季も美しいが、新緑の日本の風景はとても美しいと思う。元気が出るのだ。五月は衣替え。こんなに様々な緑があふれ、なにもかも光っている。
世の中暗い話が多く、また社会にも閉塞感を感じていた。それがいつまでも冬のように私は閉じこもっていたのかもしれない。若葉の世界に瑞々しさが漲ってくる。元気がもらえる気になる。日本の季節はほんとうに美しく、そして心にいろんな学びをくれる。周りは日進月歩、色んな事があり慌しくついていけないような閉塞感を持つこともあるが、自然は変わらなく元気をくれる。改めて自然の力に尊敬と感謝を覚えた。20010.05.04
萌える力!元気がでますね
(4)「ネットに数々の贅沢を貰う」
清楚な小さい花を咲かせる茶の花が好きでお茶の木を一本、数年前に植えた。そのお茶の木が大きくなった。花を愛でるだけでは勿体無い。柔かい新芽が萌えている。八十八夜のニュースを見て新茶を作ろうと思いたった。しかし作り方が分からない。ネットで検索した。熱を加え手で揉むと良いだけだが根気の入る手作業で、新茶が高価になることも頷けた。しかし、ふくいくと香るお茶の匂いに癒される。そして乾燥させ出来あがった茶に湯を注ぐ。綺麗な緑色と鼻腔を抜けていく新茶の香りにうっとりとする。自家製新茶を味わえた贅沢な一時だ。
ネットは便利だ。検索機能で色んなことをすぐさま知ることが出来る。ネットは、弊害や情報や知識ばかりが先行する危険も言われる。しかし、使いようで生活を潤すものだと改めて思った。こうしてすぐに茶の作り方から、美味しい茶の入れ方、茶葉の出がらしの活用法、それに茶の木の増やし方(挿し木)までも教えてくれる。
何事もその人の使い方で、良き道具にも悪きにもなるのかもしれない。仕事に必要な必需品でもなく、私のような主婦にはお茶と同じくネットは嗜好品かもしれない。しかし、嗜好品は心を潤す力も持つ。ネットも心を潤すような使い方をして行きたいと思う。青葉若葉の清々しい季節、香り豊かな新茶を味わいながら、情報の豊かさも良いものだと思っている。そしてネット(ブログ)で知り合った素敵な友たちを思い浮べ、新茶をすする。ますますふくよかに香る幸せさを感じる。有り難う。森羅万象、そしてブログ友に。2010.05.10
留守中にも関わらず、いつも声かけをしていただいたお友だち。有難う。またのんびりのんびり歩いて行きたいです。ありがとう。
画像は「脳いきいきアート」で新緑を描いてみました。一つ一つの新緑にみなさまの息吹も感じつつ・・・・。有り難う。
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