来た道行く道通りゃんせ/風にのって花ひとひら

のんびりしたブログですがよろしくお願いいたします。

五月の歌

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五月の歌

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脳いきいきアートで「緑の中」。  新聞紙と竹ペンだけで描いています

 5月 

オーヴァーベック作詞/青柳善吾訳詞・モーツァルト作曲

   楽しや五月 草木はもえ
   小川の岸に すみれにおう
   やさしき花を 見つつ行けば
   心もかろし そぞろあるき

   うれしや五月 日影ははえ
   わか葉の森に 小鳥歌う
   そよ風わたる 木かげ行けば
   心もすずし そぞろあるき



 ブログ友のみなさまご無沙汰しております。元気にしております。
ブログをお休みしていた間のことをいくつか書いてみました。


(1)「辛い別れ」

 おくやみ欄に知人の名前が載っていると知らされた。嘘だと思った。先月会っている。二、三日前家の前を通ったので寄ってみようかと思った矢先だ。その時はもう亡くなっていたと言うのか。鬱状態になっていることは知っていた・・・。後悔ばかりが湧き上がる。お花見にもっと早く誘えば良かった。お茶に強引に誘えば良かった。会ったとき、私は本当の気持ちを察してあげることが出来ていなかったのだろう。とにかく悔しく寂しい。高齢になると友を失っていくことほど寂しいことはない。死んでいった友はもっと寂しかっただろう。年を重ねるといつ別れがあるかしれないのだ。そうは思うものの日常に追われるのが現状だ。
 年を重ねると時間も出来てくる。それはきっと丁寧に友達と時を共有することを教えてくれる褒美なのかもしれない。これからは煩がられようが、どんどん思いついたら誰彼に声をかけていこうと思った。声をかけられる人が、いることは幸せなことだ。その幸せを後悔にしないようにと思う。彼女に冥福を祈ることしか出来ないこの寂しさはあまりにも辛い。2010.04.10


定年退職と友を失うことが重なり少し閉じこもりになりました


(2)「野菜高騰に打ち勝とう 」

 天候不順で野菜が高騰中、それに打ち勝つアイデァ。先日「比叡山麓若菜摘みハイキング」に参加した。パートだったが三月で定年退職になり、時間がたっぷり出来「退職ゆとりデビユー」というところだろうか。食べられる野草を摘み天婦羅にして皆んなで食べるイベントだった。ヨモギ・アザミ・イタドリ・ミツバ・クレソン・ワラビ・タラノメ・コシアブラ・ユキノシタ・フキ・ノビル・スイバ・セリ・・・草だと思っていたものが殆ど食べられる。係りの人が若い人で本を見ながらの説明には少し心配なところもあったが、桜が散り、葉桜がまた花のように赤く燃えたその下で、婦人会の人たちであろうか、朝堀の筍の天婦羅をして待っていて下さった。その筍の天婦羅に摘み立ての山椒の葉を添えて食べるとその美味しい事。いままでにカンゾウの若芽を酢味噌和えで食べた事はあったが、長く大きくなったものを摘む人もあって、それも天婦羅にするとまた乙な味だった。野にある草が殆ど食べられること、天婦羅以外にもオシタシや酢味噌和えや混ぜご飯も教えていただいた。
野菜高騰もなんのその、それ以後野草をいただきに野に出る。
雨上がりは雨の匂いを残す空気、陽気に汗ばむ空気にはイタドリで喉を潤す。自然のなかで生かされていることを感じる。またどんどんいろんなことに参加して、生かされて行きたいと思う。2010.04.21


ちよっと自然の中に入り元気が出始めました


(3)「新緑に元気をもらう」

 天候が不順で何時までも寒く今年はセターが立夏まで出ていた。
急に夏日になり急いでストーブ、冬服を治めた。すこし手を休め、目を庭に向けると新緑が綺麗な事。いろんな緑色に元気が溢れてきた。色彩辞典をみると和名百四十一色に奥ゆかしい名前がついて、若草色、萌黄色などと緑だけでも何色もあるようだ。その数々の緑色が光っていて、いつまでも冬服を直さず、閉じこもっていた私にも芽吹きのような元気をくれた。野山は「山笑う」の季語がぴったりの緑。緑が笑っている。
 外に出れば田圃には水がはられ、五月の風が漣をつくっている。桜の時季も美しいが、新緑の日本の風景はとても美しいと思う。元気が出るのだ。五月は衣替え。こんなに様々な緑があふれ、なにもかも光っている。
世の中暗い話が多く、また社会にも閉塞感を感じていた。それがいつまでも冬のように私は閉じこもっていたのかもしれない。若葉の世界に瑞々しさが漲ってくる。元気がもらえる気になる。日本の季節はほんとうに美しく、そして心にいろんな学びをくれる。周りは日進月歩、色んな事があり慌しくついていけないような閉塞感を持つこともあるが、自然は変わらなく元気をくれる。改めて自然の力に尊敬と感謝を覚えた。20010.05.04


萌える力!元気がでますね


(4)「ネットに数々の贅沢を貰う」

 清楚な小さい花を咲かせる茶の花が好きでお茶の木を一本、数年前に植えた。そのお茶の木が大きくなった。花を愛でるだけでは勿体無い。柔かい新芽が萌えている。八十八夜のニュースを見て新茶を作ろうと思いたった。しかし作り方が分からない。ネットで検索した。熱を加え手で揉むと良いだけだが根気の入る手作業で、新茶が高価になることも頷けた。しかし、ふくいくと香るお茶の匂いに癒される。そして乾燥させ出来あがった茶に湯を注ぐ。綺麗な緑色と鼻腔を抜けていく新茶の香りにうっとりとする。自家製新茶を味わえた贅沢な一時だ。
 ネットは便利だ。検索機能で色んなことをすぐさま知ることが出来る。ネットは、弊害や情報や知識ばかりが先行する危険も言われる。しかし、使いようで生活を潤すものだと改めて思った。こうしてすぐに茶の作り方から、美味しい茶の入れ方、茶葉の出がらしの活用法、それに茶の木の増やし方(挿し木)までも教えてくれる。
 何事もその人の使い方で、良き道具にも悪きにもなるのかもしれない。仕事に必要な必需品でもなく、私のような主婦にはお茶と同じくネットは嗜好品かもしれない。しかし、嗜好品は心を潤す力も持つ。ネットも心を潤すような使い方をして行きたいと思う。青葉若葉の清々しい季節、香り豊かな新茶を味わいながら、情報の豊かさも良いものだと思っている。そしてネット(ブログ)で知り合った素敵な友たちを思い浮べ、新茶をすする。ますますふくよかに香る幸せさを感じる。有り難う。森羅万象、そしてブログ友に。2010.05.10


留守中にも関わらず、いつも声かけをしていただいたお友だち。有難う。またのんびりのんびり歩いて行きたいです。ありがとう。


画像は「脳いきいきアート」で新緑を描いてみました。一つ一つの新緑にみなさまの息吹も感じつつ・・・・。有り難う。

五月の歌(母の日)

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謹呈本の栞

母とは 感謝
 やっと出来た。昨年六月から取り掛かったのだから一年近くになる。平成二十一年三月の父の命日に合わせていたから、二ヶ月もの遅れとなった。

 自費出版本「ジューンドロップ」のことである

 紆余曲折のうえ生れ出た。絵本「星たちは花になりました」(新風舎発行)を出したことがある。この出版社は既にない。「ジューンドロップ」を進めているとき、後を引き受ける出版社や印刷屋から何度も案内がきた。いろいろと出版に関して勉強をさせて貰った気がする。プロとして仕事もまともにこなせないのに「本を出しませんか。お安くしておきますよ」と、どこかの名簿を入所して言ってくる印刷屋。出版社は「流通にのせます。売れます」と、それを繰り返す。すべてお金に置いている。
 私は「流通にのせ、ひと稼ぎ(そんなことはありえない)」するつもりもないし、印刷ミスばかりの本を出すつもりもない。
 父、木村徳太郎の遺品を受けとったとき、若き父が出版しようと試みたが出来なかった(経済的?力不足?)と思える詩集がたくさん出てきた。


私は思った。父との合同で本を出そうと。


そして行動にうつした。文章を書いた事がない。まず文章教室に入った。
文章を書く基本知識、「文を綴る」(心を綴る)と言うことを少しずつ学んでいった。そして誠実な印刷屋も見つかった。家族は「アナタしかできないことだ。頑張れ」と言ってくれた。パートではあるが仕事をしている。ヘソクリを注ぎ込むことにした。ブログを始め、父の作品と私の絵や文を投稿して行った。
そして、ブログから生まれた(支えてもらった)ような本が出来あがったのだ。
楽しい時間だった。父と話しているようだった。いつも応援して下さる人もいた。
もちろん嫌なこともあった。私の意図することを理解してもらう労力に、挫折しそうにもなった。

まず赤茶けた原稿用紙や、紙こよりで綴じられている冊子を解き、それらをコピーするところから始まった。父の手書き原稿をコピーして印刷屋に渡す。しかし、入力するオペレターが、字を判読できないのだ。私にも分からない字が出てくる。当用漢字に直すことも考えたが譲らないことにした。原文のまま、読者が読めなくとも原文のままで出そうと思った。(読んでもらえないのでは意味がない。しかし、それで良いのだと言う私の驕りもあったのかもしれない)父の字は判りにくい。そこへ字は薄れかかっている。見たこともない字。意味が分からない。字通・字訓・字統(白川静)、広辞苑、新字源、国語辞典、古語辞典を部屋いっぱいに広げ、分からない字と格闘した。(連れ合いが沢山の辞書を揃えていたのには感心した)お陰で私は随分に勉強になった。例えばケイソン(手書き入力でもPCで、漢字は出てこない)。辞書をくりながらなんども脂汗を流す。しかし、これが菖蒲の古名らしきことが判明し、字もあった。この化石のような字を印刷屋に入力してもらう。不明の部分は記号で戻って来る。原稿をなんどもなんども校正をし直した。詩に句読点が不自然についている。明らかに父の思い違いかと思う原文の字も有る。詩だけで五校になった。印刷屋は仕事とは言えよく付き合ってくれたと感謝する。
 詩だけではない。文章を書くことに初心者のエッセイだ。句読点、当用漢字、送り仮名の使い方、漢字と仮名の使い方、(これはきまりがなく作者の意図でも良いらしいのだが)動詞の使い方など、あらゆる物に私は基本が出来ていない。文章は自分の思いだけで流れていく物ではない事を思い知った。印刷屋が編集者になった。
また、ワープロうちの原稿をオペレターが入力するのでなくスキャンで取るらしく、機械が読み取れないのか「柿」が「姉」、「縁」が「緑」と驚くほどの校正ミスが出てきた。つい印刷屋に声を荒げたりもした。私はどんな素晴らしい本でも、校正ミスがあると、それで価値が下がるように思う。それだけに校正ミスだけは出したくなかった。父と作品を並べるわけだ。好い加減な本にはしたくなかった。何人もの人に校正を頼んだ。そのつどミスが出てくる。何度読み直しても私は読み過ごしているのだ。他の読み手が読み直すことでミスの発見がある。自分を白地にすることの難しさも学んだ。(「行く」を「いく」「ゆく」。「言う」を「いう」に統一するかどうかの問題もあった。これはただ漢字にするか仮名にするかだけの問題ではなく、動詞または、接続詞につながるときなどで異なる。)
 まるで、私の不勉強さが一気に吹き出るようだった。匙を投げたくなった。父は文を綴ることを「産みの苦しさ」と言っていた。私は気楽に文を綴る真似事をしているのだろう。ここでも挫折しそうになった。これも六校まで掛ってしまった。一般には再校(2校)までであろうか。根気よくつきあってくれたのには仕事とは言え、感謝と共に私の選んだ印刷屋に間違いはなかったと思う。
 字(言霊)がなんとか形になったのは、もう秋も過ぎようとしていた。次は挿絵を入れることに掛った。私の描く絵の雰囲気を壊したくなかった。カラー印刷にまたしても注文をつけた。そして次は紙である。気の遠くなるような量の見本帳がくる。そこから自分で選んでいくわけであるが、楽しいような苦しい作業であった。 装丁も自分ですることにした。四角い堅い本ではあるが、手の中に包み込める、父や姉や祖母や関わった人々、関わった自然、時代、そんなものを優しく手のひらに入れられる、そんな雰囲気を出したかった。本が手の中に納まるわけがない。が、収められるような気持にしたかった。本の見返しは、同一紙が一般であるが、表と裏で変え、カバーから表紙の写真が見えるようにして雰囲気を出そうとした。
 帯びのキャチフレーズは息子が書いてくれた。少し意味不明の部分もあるが私の思いを的確に掬い取ってくれているのには、さすが家族だと思う。(三世代で図らずも本が出来たわけだ)
 失敗点もある。色、質で選んだ紙が印刷した時にどれぐらいの色(濃さ)になるかは素人の私には想像が付かない(専門家の装丁者なら分かるのだろうが)でき上がってみると、帯びの色が濃すぎた。カバーの繰り抜きと表紙の写真が合わなかったりもした。これは計算どおりに印刷したのに、表紙になる台紙に糊で貼り付けると、糊の乾き具合でズレることが起こったのだ。(まるで焼き上がりの時に縮む焼き物のようだ)。

 こうして ホンに産む苦しさで本が生まれた。

 流通を通さず、作者と印刷屋とだけで歩いた二人三脚だった。

 お世話になった方達に配りたい。
そして、父と交友があった方々に手渡しの行脚に出たい。みなさん高齢になられ(父も生きていたら94歳である)手渡せることの重みを感じつつ本を運びたい。

 本出版に背を押してくださった人たち。助言、応援をしてくださった人たち。協力して下さった人たち。そして黙って我侭を許してくれた家族たち、本をとても喜んでくれた友たち。

 ありがとう。ありがとう。

「お父さん、お姉ちゃん、おばあちゃん、今日は母の日ですね」
本を贈ります。みんなみんなたくさん、私の母ですね。
私にも母の日のプレゼントとなりました。



   母の日とは 祝はるゝこと 感謝の花 

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ハチク 破竹 淡竹

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ハチク 破竹  淡竹 

 季節はずれの台風が大雨を連れて来たかと思えば、その後は好天続き。例年より2週間ほど遅れて破竹

(ハチク)の筍が顔を出し始めた。6月に入って夏日のような朝、登校する子供たちが、背の伸びた細い

筍で、チャンバラごっこをしながら行く。背中のランドセルが揺れている。「早く行かないと遅刻する

よ」と声を掛けたいが、季節ごとに触れる自然も大事な学びだ。黙って見送る。

そして、「さあ忙しい!筍採りだ」と腕まくりをする。新興住宅地をぐるっと囲むように竹林がある。一

部は伐採され、今年になって住宅が建った。年を追って筍を持ち帰る他府県ナンバーの車も増えた。ふん

だんに採れる「筍の数」は減ってきた。しかし、手軽に(極、近くで)採りたて筍を賞味出来る幸せを今

年も堪能する。

 薄暗い竹薮に入る。花を終えたヤブツバキの木がある。艶やかさをそのままに葉を繁らせ、青いプチト

マトのような小さい実が、花ガラと共に見え隠れしている。米粒のような蕾をつけ群生しているドクダ

ミの1,2本は、十文字の花を咲かせている。鶯が鳴いている。スズメも囀る。鶯の子が育った場所であ

り、冬の終わりには笹鳴きが聞こえていた。そして重なり合う葉擦れの音に「スズメのお宿」を思い、僅

かに洩れくる光を反射して、黄金色に輝いている竹には「かぐや姫」を思ったりする。

破竹は「ハチクの勢い?」か。名のごとく、竹薮に捨てられたバケツまで突きとおして伸びている筍もあ

る。竹落葉の柔らかい地面に背を伸ばし筍が競争するようにたくさん並んでいる。その様子に、「蕨採

り」と同じ感覚で、私は「ハチク採り」と言って、ポキポキと折りながら採集する。それでも間に合わ

ない時は足で「ポンポン」蹴って集めて行く。集めながら「今晩はどんな筍料理にするか」「早く湯を沸

かして茹でなくっては」「何処と何処に、誰に筍を配るか」「子供に送る箱も手配をしなければ」と、思

うことが多く、太陽が高く昇るのに平衡して心は逸る。そんな中、ふと横をみると、同行者が丁寧に筍

を掘り起している。「孟宗竹でもあるまいし。掘らずに採りなさいよ」と言う。「筍は、【筍採り】では

なく【筍堀り】だ」と強調し、しかも掘り起こした穴の跡を一つ一つ丁寧に埋めている。

私は、そんな悠長なことはしておられない。速く数を採り集めることのみに気が逸っている。しかし、ふ

っと思った。こういう人がいるから「自然界は守られている」のかなと・・・。

声高に「環境だ」「自然を守る」とは言わないが、その行動に「土」を愛し「竹」を愛し、「与えられた

自然の恩恵」を愛しているように感じられた。ごく普通の人が、ごく自然体で、ごくあたりまえのように

「自然」を大切にしている心が感じられる。


しかし、感心するのも、そこまで・・・。


 私は、筍を送るため箱詰めを急ぐ。箱に収まり易いように、向きをあちらこちらに変え、入れたり出し

たりする。そのうちに、筍が伸びて?最初箱に収まっていた物が入らなくなったりする。「筍って、凄い

ね。僅かな時間にでも伸びている」と感心する。ところが、「アホか!根も水も断たれた筍の子が何を養

分にして伸びるんや。伸びるわけがないやろ」と言い返される。そこから口争いが始まり、先ほどの感心

も何処へやら・・・。私は絶対伸びていると思う。譲りたくない。いつものように感覚で物を言う女と、

理論でくる男の喧嘩が始まるのだ。


気分直しに「竹の子パン」を作ってみよう。私のオリジナルレシピだ。


強力粉 400g、ドライイースト 7g、砂糖 20g、塩 7g 
 
 水 240cc、卵 1個  バター20g

 1) 砂糖、塩を半量の水でよく溶かし、強力粉を入れ、卵と残りの水も加え、よく混ぜる。

 2) 粉と水がなじんできたら、イーストを振り入れて生地をまとめ、 粉が一塊になって きたら 台
    の上に出し捏ね始める。

 3) 生地が滑らかになるとバターを塗り込むようにして、また混ぜる。

 4) さらに滑らかになるまで捏ね、台の上に叩きつけるようにしてまた捏ねる。

 5) 生地の表面が滑らかになるように丸め、油を薄く塗ったボウルにその生地を入れて、
    乾燥しないようにラップをし、30℃位50分ほど、一次発酵をさせる。

 6) 筍を小さい賽の目に切って薄味をつけたものを加え、捏ね、乾燥しないように布巾を掛けて
    置く。

 7) 食パン型にオイルを塗ってこの生地を入れ、2次発酵をさせる。

 8) 180℃に暖めたオーブンで10分ぐらい焼く。

 9) いったんオーブンから、出し「木の芽味噌」を塗る

(木の芽味噌の作り方)

    山椒の芽(葉)を細かく刻み、すり鉢で軽く擦る。

    酒を煮きり、砂糖を入れ少し煮詰め、味噌を入れ、擦った山椒の芽を入れ最後に味醂を入れ

    照りを出す。木の芽味噌は一年分作っておき冷凍しておくと色んなことに使える。

10) もう一度180℃のオーブンにいれ再び焼く。味噌に少し焦げ目がついた時、取り出す。

    香り豊かな、筍のシャキシャキ感の味わえる「竹の子パン」の出来上がり。

   (破竹は淡竹とも)。採りたては、エグミもなく、そのままで食べられる。かなり「竹」に 

    なったものでも食べられる。油炒め。天婦羅。筑前煮。サラダ。混ぜご飯。散らし寿司。極め

    付きは一旦冷凍し、繊維に添って切り、味を濃い目につけ保存しておく。(メンマの代用にな

    る)。皮ごと焼いて薄く切り、山葵醤油で食べる。

 当分、我が家の副食代が浮く(と良いのだが)( ^-^)





  「松かさの晴雨計」  木村徳太郎    日本の旗ノートより
   

               ぢっと見てよう 松かさを。

                晴なら開くね 松かさが、

                 雨なら閉むね 松かさは、


                ジャケツの茶色

                青ズボン
  
                白い帽子に 黒い靴。


                此處はお庭の 測候所。


                技士の松かさ

                首かしげ

                ぢっと立ってゝ 空みてる。


                雨なら閉むね 松かさが、

                晴なら開くね 松かさは、

                手工で作った 晴雨計。

童謡詩【日本の旗】ノートは、十二才から十四才までの子供を對象とし、童謡を主に、幾らかの童詩を加へた、約四十篇からなる童謡詩集であります(あとがきより抜粋)



「日暮の路」     木村徳太郎    日本の旗ノートより


                  A線のような

                 電線を

                 風の弓が こすってた。


                 並木がアルト

                 ソプラノで

                 なんだか唄を あはせてた。


                 僕の靴音

                 シロホンは

                 冷たい路を 急いでた。

                 チユーバ 自転車

                 うなってゝ

                 腹にこたへる 日暮です。

2006.06.02

沢辺の蛍

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和菓子「沢辺の蛍」とホタルブクロの花


   沢辺の蛍  着物  そして幸せ


 過日「新村出 記念財団設立25周年記念文化講演会」に出かけた。演題は梅原

猛先生の「日本語の成立」。井上ひさしさんの「広辞苑」だった。井上ひさしさん

のあちらこちらに脱線する話しぶりにお腹を抱えて笑った。巧みな話術である。

 昭和40年始めのころだったか、会社勤めから帰宅すると、父が早い晩酌を始め

ていた。TVでは「ひよっこりひょうたん島」が放映されている。父はこの「ひょっ

こりひょうたん島」が大好きで、これを肴に晩酌をやるのが習慣になっていた。こ

れが映っている日は、私も着替えを手早く済ませ、父の晩酌に付き合う。父と杯を

重ねる。「井上ひさしと言う名前は聞いた事はないが、これは天才だな。どんど

ん、これから活躍して大家になるやろ」と、ほろ酔いで、気持よさそうに言う。私

も「同感」と、もう一献、もう一献、と杯をかたむける。楽しいひとときだった。

「ひよっこりひょうたん島」を肴に杯を重ね合っている妙な親子だった。


 それ以後(「うかうか三十ちょろちょろ四十」井上ひさし)から、私の頭の中に

は<井上ひさし=天才がインプットされた。「少年少女日本文学館」「青葉繁れ

る」「宮沢賢治に聞く」等々に始まり、最近では「ふふふ」と沢山の作品を読ん

だ。

並ならぬ豊富な知識、話術はやはり天才だと思う。楽しく豊かな講演会の時を過ご

させてもらえた。


そして、その豊かな時間を引き摺って、帰り道には京の和菓子屋に立ち寄る。

 京都に出向く時は、別の付加価値(京の和菓子を買い、着物で出かける)を楽し

みにしている。五感を震わせ、季節ごとの匂いが仄かに立ち上がるような京都の和

菓子。そして京都には着物が似合うと思うからである。私自身が非日常を楽しむ為

である。

 これも遠い遠い昔の話。五つ六つの年の頃か。

 父は私をよく京都に連れて行った。母のいない私は何処にでも、いつでも父につ

いて行きたがるので仕方なしに伴なうのだ。確か「旭味?」とか言う会社だったと

思う。父の知人の茶木滋さんが勤めておられた。茶木さんは「めだかの学校」の作

詞者である。父とは仲が良かったのだろうか?悪かったのだろうか?訪問した其の

日も、二人は激論をしていた。細い体の茶木さんが「骨」だったのか、父が「骨」

だったのか「骨の癖に」とかなんとか、口角泡を飛ばして大人が言い争っている。

椅子に腰掛けて、床に届かない足をブラブラさせながら私はそれを不思議そうに見

ていた。

 ふっと私に気が付いた茶木さんが、困ったような顔をして私の頭を何回も何回も

大きく撫で、机の引き出しからお菓子を出してこられた。いつもお菓子を用意して

いて下さったように思う。その時のお菓子が京菓子だった。何の花かは思い出せな

いのだが、花を模してビックリするほど「綺麗だった!」。味の分かる雅び心など

は、子供の私に持ち合わせない。ただただその美しさに、大事に少しづつ口に入れ

たのを覚えている。父にも出されたが父は憮然としてそれを私に寄越す。私は大事

にハンカチに包んでお土産に持って帰ることにした。こんなに美しく綺麗なお菓子

を見たことがない。みんなにも見せてやりたかった。帰りの電車の中で何度も何度

もその<美しい夢のようなお菓子>の匂いをクンクンとしては、包んだハンカチの

口を広げたり閉じたりしていた。父も優しい笑顔にもどってそれを見ていた。


遅き日の つもりて遠き むかしかな  蕪村

それ以後、茶木さんは後生に残る仕事をされ、遠い人になってしまった。

 父は相変わらずの下積み生活だった。幼い娘二人を抱え薄給の父の経済は苦しか

った。戦争で全てを失い愚痴を溢しながらも祖母はお針の内職をして父を助けてい

た。自分のものや孫の着物を縫う余裕はなかった。美しい反物を広げて「こんな着

物の似合うエエ娘さんになりや」とよく言っていた。

 あれから幾年も過ぎた。父も祖母もいない。

 京都に出かける時は着物を着て和菓子を買って帰ることにしている。

「沢辺の蛍」と言う銘のお菓子を買った。沢辺の草叢に見立てた緑のそぼろに琥珀

糖をのせ、闇夜に妖しく光る蛍を表す和菓子だ。

「うかうか三十ちょろちょろ四十」三十、四十は遥かに過ぎた。そして六十、蛍の

ようにフヮフヮとさだよっている私である。


     風のみち        木村徳太郎  【日本の旗】ノートより


           此處は四つ辻

           風のみち。


           光に焼けた かんかん帽子

           かんからかんと ころげます。


           おかしい おかしい

           みんなが見てた。


           風にかけあし かんかん帽子

           橋の上から ジャンプする。


           此處は四つ辻

           風のみち。




そして、今日は、とても幸福な日だった

(春の花束)
 タンポポとハルジオンで小さな花束を作り私は孫の手にのせた。「ママにも上げておいでと、もう一つ花束を作る。孫の輝くような笑顔。小さな手に花束を二つ握り締め走って行く。ところが、五、六歩走って、急にクルリと向きをかえ、真剣な顔をしてもどって来た。怪訝に思う私に、「パパにも!」と大きな大きな声で言う。ママだけでなく、パパにも花束を上げたいのだ。私は愛おしさでいっぱいになった。みんなに思いやりを持つ素直な心。孫がすくすく育っていてくれるのが嬉しかった。人はみな生まれながらにして、優しさと素直さをもっているのだ。もうすぐ孫はお兄ちゃんになる。そして「赤ちゃんにも!」と花束をせがむのだろう。いつまでもこの優しさを失わないで、雑草のようにすくすくと育っていって欲しい。孫が嬉しい心の花束を私にくれた。春の野が眩し映った。

 PM6時30分、孫が生まれた。妹が出来た。おめでとう!!。記念すべき日、付け加えたい。、曾祖父ちゃんの詩。
           
     オ手々     木村徳太郎 【馬鈴薯の澱粉】ノートより

            可愛イ、オ手々

              戴キマス ト

              言フ オ手々


              不可(イケ)ナイ オ手々

              障子ニ穴ヲ

              突ツコム オ手々。


              不可ナイ オ手々

              オ鼻ヲ 擦(コス)ル

              汚穢(ババチ)イ オ手々。


              元気ナ オ手々

              萬歳 萬歳

              スル オ手々。
  
2006.05.29

ジャワ更紗

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 柔らかい風合いの鬼更紗の数枚




♪♪  ジャワ更紗  


         「酸模(すかんぽ)の咲く頃」   北原白秋 作詞
                             山田耕作 作曲

             土手のすかんぼ
             ジャワ更紗
             昼は螢が
             ねんねする
             僕ら小学一年生
             今朝も通って
             またもどる
             すかんぽ すかんぽ
             川のふち
             夏が来た来た
             ド レ ミ ファ ソ

 早苗が揺れウノハナが咲き、もうすぐ蛍が飛び始めるごろ、土手は深緑色の川に瞬く星のように

キンポウゲが煌き、大きく穂の出たツバナ、優しいカワラナデシコが揺れ、ノカンゾウが夏の近い

ことを思わせるように朱の色を誇っていた。そうそう、ナツアザミは私の手をチクチクと痛がらせた。

そしてこの歌のスカンポが土手を広く長く布を流すように揺れていた。

 歌にあるスカンポを、虎杖取(イタドリ)のことだと思っていた。イタドリを手折ると「ポッキ」

と小気味良い音がして折れる。そこから何となく「スカンポ♪、スカンポ♪」がイタドリへ繋がり、

そう思っていた。子供時代は、歌う事が楽しいのであって、歌の意味など気にしない。

「兎追いし」は「兎美味し」だったし「巡る盃」は「眠る盃」だし「負われてみたの〜は」は「追わて」

だし「見渡す山の端」は「見渡す山の葉」だった。意味が分からなくとも野山をスキップしながら花と

戯れて歌っていた。しかし、この歌の「土手のすかんぼジャワ更紗」の部分だけは「???」と首を

傾げていた。ジャワ更紗がどんな物か知らなかったし、イタドリの太い幹の中で蛍が眠っているのだ

とばかり思っていたから。

 大人になり、大きな勘違いをしていたことに気がついた。。歌のスカンポは、ママゴト遊びによく

使った、茎を噛むと酸っぱい味のする(赤色のものは赤飯に、緑のものは豆ごはん、それをフキの葉

っぱのお皿に盛り付け小枝のお箸を添えてご馳走にしていた)あのスイバのことだったのだ。緑色の

ものはギシギシと言って、手で扱くと、なんとなく「ぎしぎし」と言う感じだった。野山が遊び場で、

それらはみな神様が下さった玩具だった。

 少し汗ばむ体を心地よく5月の風が抜けて行く。そしてスイバが、風に群をなして揺れている。

浅緑色、濃緑、赤味のある色、生成色、薄ピンク色。様々な色が折り重なって揺れる様は、風が色

をつけてベールになったように思える。初夏の花の彩の中でなんと美しく揺れていることか。

 私は口惜しくってたまらない。子供の時に、歌にあるスカンポが、柔らかく薄く薄く空気に色を

つけたような布(ジャワ更紗)のことであったと知っていたら、遠い南国から、はるばるやってきた

ジャワ更紗。豊かな色とエキゾチックな模様でそこはかとない旅愁を感じる更紗の布のことだった

と知っていたら、もう少し感性のある女人になっていたのではないかと、残念に思う。

揺れるスイバの群れは、まさしくジャワ更紗が揺れている風情である。蛍は、イタドリの暗い幹の

中で寝ているのでなく絹のように柔らかく美しい更紗模様の布団ですやすやとお昼寝をしていたのだ。

 私は、風に揺れるスイバの中にまぎれて、野原のジャワ更紗を纏う。そして異国に思いを馳せてみる。

美しい布をつくりだすアジアの女性。どんな暮らしをしているのだろう。美しい更紗を纏い、青い青い

空のもと、澄み切った瞳で健気に生きているのだろう。

初夏のスイバは、ジャワ更紗(サラサ)の布を野いっぱいに広げ、風に揺れながら、私の体に合わせて

素敵なドレスを作ってくれる。ドレスの裾をちよっと持ち上げ、私もジャワの女性のように懸命に生き

たいと思った。ジャワ更紗のように素敵でいたいと思う。



♪♪            木村徳太郎  
     

           「伐木」    童謡詩集【夕暮れ】ノートより

           こつうん
           こつうん
           こつうん
           木洩日
           背にうけ
           木に斧あてれば
              ――滴る
           しづくに
           木の香も匂ふ。

           こつうん
           こつうん
           こつうん
           一の
           木に斧あてれば
             ――小鳥も
           讃ふよ
           舟檝(ふね)となる須岐乃岐。

           こつうん
           こつうん
           こつうん
           木洩日
           背にうけ
           木に斧あてれば
             ――谷間の
           瀬も鳴る
           木立の向ふ。
           せとびきに いちごをもれは゛
           くりやのまどから
           つきがこつそり のぞいてをつた。


           「石蹴」    童謡詩集【夕暮れ】ノートより

           チェリ チェリ
           燕
           初燕。

           今年も
           家に
           宿るかと

           なんでも
           ないに
           気がかりで

           石蹴
           なんども
           はずれます。


          「坂の街」           童謡詩集【夕暮れ】ノートより


          窓から見えてた
          坂の街
          いまも驟雨が     (注)いま(に)もか?。驟雨(しゅうう)にわか雨。
          あるやうな。
          白雲母(きらら)のやうに
          光る鋪道(みち)
          並木が明るく
          揺れてゐた。

          やさしい響の
          時計台
          花びらみたいに
          鳩がゐた。

         窓から見てる
         坂の街
         いまに黄昏(ひぐれ)も
         杳(とほ)くなる。
         ―ふるさとの明るき街に来りなば
         われのおもふままに心のはれて。
2006.05.22

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