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七月の花

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七月の花(藪萱草)

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ふるさと 農道 みち

 道幅六十センチもない農道を、自転車で走る。両脇に水田が広がり目を上げれば比良連峰の稜線が美しく延びる。
麦藁帽子を押さえ、風になって走る眼の端に、露草や夏紫苑が流れて行く。脇の畑では、胡瓜や苦瓜の黄色い花と一緒に、ダリヤやカンナの花が日射しの輪の中に咲いている。無人販売所のミカン箱には茄子や胡瓜が無造作に置かれ、近くの墓所への携え用か、百日草や千日草も光りの輪の中に静かにある。
 秋には彼岸花の群生が続き、秋桜や小菊を手押し車に乗せたお婆さんが、ゆっくりと歩いていた。自転車を降りて後ろにつくと、赤蜻蛉や野菊の揺れに出会えた。自転車を押す手が悴む冬は赤枯に霜の花が咲いていた。春には溝蕎麦の花が点描画のように散らばり、水入れ前の田はナズナの白い花に覆われ、苗代が始まるとそのナズナの波が揺れるように漣が立ち、針のように細い青苗が埋って行った。

 あまり人が通らない駅へ続く農道だが、毎年変わる事なく私に小さな季節をくれ、私の故郷のようになっていた。

 今日も農道を駆けてきた。ついこの間 まで小さな漣の輪にか弱く揺れていた青苗は水面が見えないほどに逞しく茂り、陽射を跳ね返していた。そして薮萱草(ヤブカンゾウ)が咲いていたのだ。
 薮萱草はユリ科ワスレグサ属の多年草で、有史以前に中国から帰化してきた花だ。種は出来ないから大昔からこの場所で咲き続けて来たのだろうか、私は悠久の流れをいつもこの花に乗せる。
(萱草)は中国名の音読みで、「萱」は「忘れる」という意味で憂いを忘れさせるという中国の故事から「忘憂草」と名つけられ、憂いを忘れさせるほどの美しい花と言うことでもあるらしい。日本では古くから「忘れ草」と呼ばれ、この草を身に付けていると辛い思いも忘れ去ることが出来ると、『万葉集』『古今和歌集』『源氏物語』その他多くにも登場する。

わすれ草 わが紐に付く香具山の ふ(故)りにし里を忘れむがため
   大伴旅人
(忘れ草を衣服につけているのは、若い日に過ごした香具山の古里を忘れようと思うから。)

 わすれ草 吾が下紐に付けたれど しこの しこ草 言にしありけり 
大伴家持 万葉集(巻4-727)
 (あなたを忘れようと思って、下紐に忘れ草を付けたけれど、言葉通りの効果は無く思いは募るばかり。)*下紐とは下着の事。

忘れ草 垣もしみみに 植えたれど 醜の醜草 なほ恋ひにけり

(恋の苦しみを忘れさせてくれる忘れ草を、垣根にたくさん植えたのに、何んと役立たずな、恋の苦しさはますます深くなるばかり。)

わがやどは 軒にしだ草 生たれど 恋忘れ草 見れどいまだ生ひず

(我が家の軒には、やたらに多くのシダが生えているけれど、恋の苦しみを忘れさせてくれると言う忘れ草は、少しも生えてこない。)

忘れ草 吾(わ)が紐につく 時となく  思ひわたれば 生けりともなし 
万葉集(巻12-3060)作者不詳
(いつもあの人のことを想っているので、生きている心地もしない、どうかして忘れようと忘れ草を身につけてはみたのだが。)

このようにせつない思いを無理に断ち切ろうとする歌が多いようにも思う……。(薮萱草は、切ない想いを忘れさせようとする花なのだろうか) 
 いいや、


きりぎしの 石間の根ざし びびいでし
  青茎の上の 萱草の花 
 木下 利玄

萱草や浅間をかくすちぎれ雲 
寺田 寅彦

花萱草青野の青をさそひだす 
福田 甲子雄

これらは薮萱草の鮮やかな彩を詠んでいる。薮萱草は一日で萎れる。だから、悲しみはその日に包みこみ、その日に忘れ、新しい時を迎えるために強い彩で咲き、鮮やかな朱色に憂愁を忘れさせ、忘れると共に、新しく希望を見つけるように太陽を零して咲くのだと私は思う。

 三十数年この農道を通り、農道の季節の花々が私の故郷のようになった。
その中でもこの薮萱草は特別だ。

 幼少時代を田舎で過ごし、道端や土手に咲く薮萱草を知ってはいたが、食べられるとは知らなかった。農道を通い始めこの薮萱草が食べられることを教えてくれたのは夫である。夫の幼少期は、食糧難の時代でいつもお腹をすかし、野山の草は貴重な食料だったらしい。そのときの体験から、野の草はどれも有り難い恵みであると教えてくれ、薮萱草を酢味噌和えにすることを教示してくれた。早春、柔かい緑の芽が2センチほど土から出始めると、ナイフで下の白い部分から切り取り、浅茹でにして酢味噌和えにする。なにも加えず新芽だけを和えて食べるのが美味しく、早春の風が口に広がった。教示された事もあり丁度芽を出す三月、これを私は結婚記念日の定番料理にした。が、夫がそれに気が付いたのはごく最近だ。「薮萱草が芽を出し始めた」と思って食べていても、その出された日が結婚記念日だとは気がつかなかったようだ。
(そうだろう、そうだろう)
 夫は植物学専攻の苦学生だった。古本屋でやっと手に入れた分厚い牧野植物図鑑が宝物だった。植物図鑑はカラーではなかった。花の絵を描くのが好きな私に「それに色を塗って欲しい」と……。知人にこの話をすると、知人は、真相を夫に聞きただしたが、夫はそんな事は「忘れた」と言ったらしい。
(そうだろう、そうだろう)
薮萱草は「忘れる花」なのだろう。

 子育てに追われ家事に追われ図鑑に色を塗る間もないままに時は流れ、そのうちカラー付きの牧野植物図鑑の新版が出た。色を塗る必要はなくなったのだ。
しかし白黒の古い植物図鑑は、私に植物図鑑を見る楽しみと、花の名前を沢山覚えるというおまけを付けてくれた。
 そして農道にひっそりと咲く小さな花の名前を沢山覚えて行った。それがいつしか私の故郷となったのだ。

 しかし、この明るい希望の色の薮萱草に今年は少し立ちどまっている。
「あんた、いろんなこと忘れて、希望色に染まって咲く花やと思てたけど、やっぱり切ないところもあるんやなぁ〜〜」と……。

 強い日差しを浴び美しい朱色の薮萱草は、日ごとに濃緑を増す青苗と競争するように並んで咲いている。


「農道」
『駅への道は三十数年前に越してきた時と変わりない農道だ。
周囲は開発で大きく変わり、歩く人も減ったが、農道だけは変わらない。大好きな農道だ。
先日、息子が結婚式の段取りを決め、あいさつに来た。帰路は私の勧めで二人して農道を歩いたようだ。
相手の女性から、農道が素晴らしいとお礼を書かれた手紙が来た。「婚活」が実ったことも嬉しいが、農道を気に入ってもらえたことが、嬉しい。農道はいまや私の故郷だ。心の故郷でなくほんとうの故郷になっている。そして新しい喜びが、ふるさとに加わった。農道脇の稲が水面がみえないほどに育っている。若い新世帯もこのように育ち実って行って欲しい。』


息子の結婚が決まったのだ。嬉しいのに、なにか少し寂しい気もするのはどうしてなのだろう。私の故郷になった農道を子供も通っていた。今、1本に延びる農道は枝分かれではなく新しい道を子供は作ろうとしている。複雑だ。嬉しいのになぜか寂しい気もする。追い討ちをかけるように知人が言う。「子供は差し上げたと思わんとアカンよ」「婚活」だ、「貰う」だ、「差し上げる」だ、どれも嫌な言葉である。万葉の時代にもこんな言葉はあったのだろうか。

 薮萱草が「忘れる」と囁いてくる。

薮萱草の花。おまえは複雑な花だね。


  萱草の花初めはいつか悠久の先

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