来た道行く道通りゃんせ/風にのって花ひとひら

のんびりしたブログですがよろしくお願いいたします。

九月の花

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

九月の花(秋桜)

イメージ 1

揺れる 秋桜 コスモス

 秋彼岸も過ぎ、二,三日涼しい風を運んでいたのに2009年09月26日は、30度の夏日になった。秋と夏が行ったり来たりせめぎあいをしているのだ。秋と夏が押し合いをする、この押し合いの時を「あわいの時」とも言う。
秋桜(こすもす)が揺れる。秋を代表する花である。しかし、最近は夏から咲いていて夏の日差しにも、訪ずれ始めた秋の涼風にも、どちらへでもしなやかに揺れ、あわいの時を行ったり来たりと楽しみながら揺れているようにもみえる。
 そんな秋桜を揺らす風が、この日の為に数ヶ月まえから伸ばし始めた私の髪を流していく。ぶり返えした夏日に、今、後れ毛をかきあげたばかりなのに。戸惑う私に「秋桜を見習いなさい」と風が声をかけて行くのだ。
実は私の心も、このあわいの時を彷徨い揺れているのだった。「寂しさ」「嬉しさ」「親離れ」「子離れ」それが勝ったり押しやられたり、行ったり来たりしているのだ。

 次男が結婚する。結婚式に使うからと、幼いときの写真を取りに帰ってきた。三人の子供たちは、誕生時から一人一人に写真を整理してアルバムに残している。それは子供の成長記録でもあり、未来への夢でもあったように思う。 
 通知表や賞状、作文、絵画類も残していた。しかし、長女が結婚する時、それらを持たせようとしたら「相手がそんなものを持っていないのに私だけが持って行くのは可哀相や。アルバムはお母さんの思い出に家に置いとく。私たちは新しいアルバムをこしらえるからいらない」と言った。私はショックを受けた。親を捨てるような気がしたのだ。そのとき以来、アルバム類は屋根裏の奥深く仕舞いこみ、整理もしていなかった。写真は貯まって行くばかりだった。

 恐る恐る屋根裏に入った。アルバムを屋根裏に納めたときは、もっと体が身軽に動いたはずなのになんと重労働に感じる事か。私も年をとったものだとつくづく思う。

 アルバムを繰っていた次男が歌いだした。さだまさしの「秋桜」を……。

 
       淡紅の秋桜が秋の日の
       何気ない 陽溜りに揺れている
       この頃 涙脆くなった母が
       庭先でひとつ咳をする
       縁側でアルバムを開いては
       私の幼い日の思い出を
       何度も同じ話 くりかえす
       独り言みたいに 小さな声で
       こんな小春日和の 穏やかな日は
       あなたの優しさが 浸みて来る
       明日嫁ぐ私に
       苦労はしても
       笑い話に時が変えるよ
       心配いらないと笑った
       あれこれと思い出をたどったら
       いつの日も ひとりではなかったと
       今更ながら我儘な私に
       唇かんでいます
       明日への荷造りに手を借りて
       しばらくは楽し気にいたけれど
       突然涙こぼし元気でと
       何度も何度もくりかえす母
       ありがとうの言葉を
       かみしめながら
       生きてみます私なりに
       こんな小春日和の 穏やかな日は
       もう少しあなたの
       子供でいさせてください


 アルバムを広げる縁側へ小春日が延びてくる。私の目から涙が流れていく。まったく「秋桜」の世界だ。
音痴だと思っていた子はやはり音痴で、最後は歌っていなかった。
私は咳を一つ照れ隠しにして、他の子供のアルバムも繰ってみた。
何十年ぶりかにみる写真の子供たちの顔に、惚れ惚れする。「なんて男前の長男なんだろう」「次男はなんて可愛い顔なんだろう」「長女はさすが美人だ」と、子育ての時には気が付かなかった親馬鹿が、自慢気に私に語ってくる。長女の「うちの弟は汚いです。私のノートや教科書をお母さんに叱られると机に上ってきて、涙とよだれでべとべとにします。」と、つたない字で書かれた「あのねノート」も出てきた。
そうだ、長女は六歳違いの次男の面倒を良く見てくれた。オムツを替え、ミルクを飲ますのがとても上手だった。次男だけではない長男もとても大事にしてくれた。長男を「ヤスベエ」と呼んでどこへでも、連れて行く。長男も長女の真似ばかりしていた。長女が通っていた絵画教室の先生は「ヤスベエ」が本名と思っていたと後で大笑いになった。
そして、それぞれが大きくなるにつれ、口を利くことも減って行った。長男と次男はライバル意識も芽生えていたのかもしれない。
それぞれが別々の道を歩んで行き、それぞれ別居が始まり、一人一人の写真はあまり貯まらなくなった。

次男も必要な写真だけを抜き、アルバムは持って帰らない。
 私はアルバムは子供達のためにと思って残していたが、本当は私の為に、一冊一冊残していたものだったのだと、気が付いた。

しかし、子供たちにもこのアルバムを懐かしく思う時がきっと来るだろうと思う。長女のところに出来つつある分厚い新しいアルバムに、そしてこれから作り始める次男のアルバムに、長男に、それぞれの別柵付録としていつか付けられるのではないかと思う。
私は貯まりぱなしになっている写真をまた整理して行こうと思った。
今度は、大人同士のアルバムとして……。

私の心が揺れている。私の中を寂しさと嬉しさと懐かしさと、いろいろのあわいの時が駆け引きをしている。季節が綱引きをするように、あわいの時をさまよっている。「親離れ」「子離れ」それが勝ったり、押しやられたり、行ったり来たりしているのだ。
どの子も分けへだてなく大切な私の子供だ。
あわいの時があってもしかたがないだろう。
秋が夏とせめぎあい、そして必ず秋になり秋は来る。
あわいの時を子供に継ぐ時は、私が亡くなった時かもしれない。しかし、あわいを過ぎてこそ、円熟の季節はやってくるのだ。
もう暫らく、秋桜のようにあわいのときを楽しませてもらっても良いだろう。

着物に合うように伸ばした髪が、アップに結わえられていく。鏡に映る留袖姿に私は背筋を伸ばした。
「佳き日をおめでとう」

あわいの時が少し秋へ近づいたようだ。


姉は弟の結婚が自分のこと以上に嬉しいと言う。知人が「さだまさしの親父の一番長い日」をプレゼントしてくれた。「秋桜」は母と娘。「親父の一番長い日」は兄と妹。しかし母と息子、姉と弟でもよい。そして親父が、兄がいる。
みんなにあわいの時が揺れている。

両親への“お礼とプレゼント”に、「育てることに精一杯で旅行にも行ったことのない両親に旅行券を贈ります」と次男が渡してくれた。私はやっぱり泣いてしまった。
「子供は良く(親を)見ているのだ」
あわいのときを、秋桜のようにしなやかに行来するのも悪くはない。

    
    こすもすに問ふ風聴く話あり  


       ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
        
          銀の落葉       木村徳太郎    

       天の落葉の
       雪が降る。

        どんどんどんと
        街に降る。

      お空は秋の
      おはりだろ。

        どんどんどんと         
        村に降る
 
       銀の落葉の
       雪が降る。


       

白い朝顔

イメージ 1

白露の 白い 朝顔 
 
 まっ青な秋空に浮ぶ羊雲。その羊雲を地上に落としたように白い朝顔が咲いている。

 朝顔は夏の花だと私は思っていた。オーシャンブルーと言う朝顔は、秋の終盤になっても咲いている。それを初めて見た時は、いつまでも頑張って咲いている朝顔が少し可愛そうにも思えた。しかしこれは秋の終わりまで咲く品種で、その名の通り濃青色をいつまでも保ち、セピア色に変化して行く空気の中を、まるで自己主張をするかのように長く咲いているのだから、私が特別に胸を痛めこともないだろう。
 しかし、心の痛む朝顔がある。

 涼風の中で、我が家にもまだ朝顔が咲いているのだ。白露を載せ白秋に合わせるかのように、儚なげな白い朝顔が咲いている。夏から、ずっと咲き続けている。
 遡れば十数年前になるだろうか。朝顔を日除けカーテン用に植えた。そして夏に咲いた朝顔の種を色別に採集し、翌年にそれを蒔いた。わざわざ種を購入しなくとも彩とりどりの朝顔が毎年咲いてくれた。そのうち色分けもせずに一括採集して翌年にそれをまた蒔く。居場所を決めず無秩序に彩を散らす朝顔の姿もそれはそれで美しかった。そのうち横着ぶりが加速して、種の採集も止めてしまった。ところが、朝顔は自分で種を地面に零し冬を越し、春には芽を出し、夏には手を掛けずして花を咲かせてくれたのだ。そうして何年とこの横着育苗方法が繰り返されている。そして、気が付くと朝顔は白色ばかりになっていたのだ。(朝顔だけでなく、グラジオラスも球根を掘り起こさないでそのままにしておくと、白色ばかりになりやがては消えてしまった)。
 朝顔は消えることもなく、夕顔よりも小さく小さく昼顔ぐらいの大きさの花が、まるで白露のように毎年咲いてくれる。さらに横着ぶりを重ねて添木をしないでいると、庭一面に這って広がった。そして、早朝の露で濡れた私の足元を、まるで白雲の中に立つように包んでくれた。私はその白雲の中で大きく深呼吸をする。それにあわせて蝉が鳴き出す。嬉しい夏の朝だった。
 ただ、難点は朝顔に地面を盗られてしまうことだ。添木が無いのでどこへでも這って行き、何にでも巻きつく。物干し台に、庭木に、二、三日乗らない自転車にまで絡まっていく。釣瓶取られて……の句はあるが、自転車まで乗っ取るとは。蕾をつけ銀輪に絡まるオブジュエはなかなか風流で、この自転車泥棒には感心した。増え続ける朝顔は横の空き地にまで這って行く。空き地に咲く白い朝顔は、「あれ!昼顔の新種?白花で珍しいね。」と道行く人を驚かせる。中には、「珍種や。高く売れるのと違う?」と声高に言いながら通る人もある。
 私の心は痛む。
 珍品種や生態系を壊す元は、ひよっとするとこういうところにあるのかもしれない、と私の横着ぶりが何だか後ろめたい。
 しかし、この我が家の白い朝顔の強さには感心する。夏に咲いて零れた種は、早くも芽を出し朝の肌寒い風を感じる今また、背丈が10センチほど伸びて、まるで涼秋の空気を踊る妖精のように揺れているのだ。
 我が家の朝顔は、野生化してしまったのだろうか。
 花に色がつくのは、花の花弁の細胞の中に色素が含まれているからだと言う。ならば、この白い朝顔は花としての役目を終えた(細胞の中の色素が無くなった)ものなのだろうか。

  花の色は うつりにけりな いたづらに
   わが身世にふる ながめせしまに 
         小野小町(9番) 『古今集』春・113

  花の色は、虚しく衰え色褪せてしまった、恋や世間の諸々の事柄に思い悩み、長雨が降っている間に私の美貌が衰えてしまったように。

 白い色は他の色が褪せて衰えてしまった色なのだろうか。それとも色素を全て捨てて無になり、生命の原点に帰ったものなのか。或いはまた優性遺伝子の激しいバトルの結果なのか。涼やかな秋風の中で、私は自分の身を重ねながら思いあぐねている。

 2009年9月14日の地方新聞のトップに「白い青花発見。突然変異か。品種登録へ」との記事を目にした。これは地元草津の青花http://blogs.yahoo.co.jp/hanahitohira06/34809397.html(風にのって花ひとひら)の種を蒔くと、200株分の全てが白花になったと言うのだ。
 以前に白色の露草を野原で見つけたこともある。露草と青花は同じ仲間だ。青花の白があってもおかしくはないだろう。
 そうだ。秋に咲く白い朝顔があっても良いだろう……。(少し、安心した)

 白い花は不思議である。同じ花種でも、白い彩に人はより感慨を深めるのかもしれない。白に始まり白に終わる。白色になるのは先祖還りなのか、それとも突然変異なのか。私には分からないが、心を深く捉えることは確かなようだ。
 ずっと昔、「白い花の咲く頃」と題する歌謡曲があった。何の花かは分からない。花の名前は出てこない。しかし、あれは白い花だからこそ、いつまでも人々の心に残る歌なのではないだろうか。白い花は季節の初めに咲き、続いて次のステージに上ってくる花を、その先の季節へと緩やかに誘うように咲く。 春一番に辛夷(コブシ)が咲き、夏の初めを知らせて蕺草(ドクダミ)が、梅雨の頃には梔子(クチナシ)が花開く。秋が来れば虎杖(イタドリ)の花や独活(ウド)の花。やがて、冬には山茶花(サザンカ)が咲き出し八手(ヤツデ)の花がはらはら零れると冬本番だ。
 白い花は、季節の入り口を静かに開け、優しく私をその季節に招いてくれる。
 我が家の白い朝顔も、緋色の彼岸花の出番を、白露を添えて譲る時を待っているのかもしれない。

 色褪せることも悪くはないだろう。白(原点)に戻るのも、それも良いことだ。「でも、長く働かせてごめんね」。私は少し心痛めてそっと呟いている。

 
     白い秋そおっと抜ければ赤い秋

九月の花(鶏頭)

イメージ 1

赤い靴 
 部屋に入ってくる風が、細い秋風になって通り抜けていく。「懐かしの心に残る歌」と冠して特別番組が放映されていた。虫の音が庭から上ってくる。チリン!と 終い忘れの風鈴が一つなった。私の忘れていた歌がなった。


    「赤い靴」  
   赤い靴 はいてた 女の子
   異人さんに つれられて 行っちゃった


 司会者が歌の解説をしている。この歌は、静岡出身の岩崎かよの娘、きみをモデルに実話を元にして作詞されたと言う。岩崎かよは、未婚の母としてきみを育てていたが、再婚が決まりアメリカ人宣教師に、三歳のきみを託した。が、宣教師が本国へ帰国の時きみは結核に冒され連れていけず、東京の孤児院に預け、そのままきみは九歳で亡くなった。かよはそれを知らずに「私の娘のきみは、宣教師に連れられて渡米した」と人に語り、それを再婚した夫と親交のあった野口雨情が『赤い靴』として作詞したという説だ。(かよの再婚相手との間に生まれた異父妹が、「私の姉は『赤い靴』の女の子です」と投書したことに始まり「ドキュメント・赤い靴をはいた女の子」という番組が制作され発表された。しかし、後にこれには捏造が含まれているという説が出て来た。定説の矛盾点を追及する箇所も出てきた。「きみが宣教師の養女となった」という話は、もともと、かよを安心させるためについた親族の嘘であり、実は二歳のきみを親族は初めから東京の孤児院に預けており、きみはそこで一生を過ごした。かよと宣教師との接点はないと言う説である。

 『赤い靴』は純粋に「社会主義的ユートピア運動の挫折の隠喩」と解すべき歌として親しまれ、そして『赤い靴』の像は各地に建立された。日本平『母子像』東京麻布十番『きみちゃん像』北海道留寿都村『母思像』北海道小樽市『赤い靴 親子の像』北海道函館市『きみちゃん像』があり、横浜山下公園には、純粋に雨情の詩のイメージをモチーフにして作られたという『赤い靴はいてた女の子』の像もある。たくさんの像に、詩の解釈論は別にして赤い靴を履いた女の子に、人々はそれぞれの自分の想いを重ね、波紋を描く小さな石ころを心に放り込むように、それを広げて行くのかももしれない。

 しかし、いろんな説があってもそれは本当の処どうなのだろう。どうあがいた処で当事者にしか分からないのではないだろうか。そして、それで良いのだと私は思っている。

 一九四五年一月に私は生まれた。すでに食料難で母親にも胎児にも栄養は行き渡らなかった。生まれた私は手の平に乗るほどに、薄っぺらい紙のように軽い赤ん坊だったと聞く。生母を失い母乳もなかった。貰い乳をするすべもなかったらしい。毎日水と紛うような重湯に吸い付いている赤子だったという。小さい未熟児だった。覚えている私は、病気ばかりしている姿だ。猩紅熱と言う法定伝染病にも罹った。「隔離するには小さくて可哀相」と、家に隠すように寝かされていた。往診の医者が「このお子を診て帰宅したときは、駆け寄ってくる私の子供をすぐには抱き上げられない」と話している。家族が詫びている。駆け寄る子供を「女の子?男の子?きっと王子さまやお姫様のように綺麗で、元気な子なんだろう」と私は想像する。天井の節穴を数えて、私はいつも想像の世界を歩いていた。
 熱のある赤い顔から吐き出される息が熱い。何度も熱い息を吐いては想像する。何回吐くと祖母が戻ってくるかと数えるのだ。祖母は着物の仕立てをしていて、その技術の確かさには人気があった。出来上がった着物を届けに出かけると、私は一人になる。想像が始まる。
 祖母が横丁の角を曲がり、いつも私に吠え付く恐い犬の前を通り、橋を渡って行く。ポストの前で一休みをしている。あ!歩き始めた。乾いた土埃の道を大事に風呂敷包みを抱えて下駄を鳴らして歩いている。『婆ちゃん、石にけつまずいたらあかんよ』大丈夫だった。大通りに出て大きな門の御屋敷に入って行く。ここからは、ちよっと時間がかかるな〜〜。一つ二つ三つ・・・丁寧な仕立て上がりを喜んで、お茶を出してもらっているんだ。しかたがない百まで数えよう。あ!婆ちゃんが出てきた。手ぶらの婆ちゃんは急ぎ足だ。下駄がカラカラ鳴っている。私のお土産を買いにお菓子屋に入って行く。『婆ちゃんお土産はいいから早く戻ってきて』婆ちゃんが走りだした。家の戸を開けた。『ただいま〜〜』でも、祖母の声は聞こえない。まだ帰ってこなかった。しかたがないからもう一度歩きなおす。私はまた同じ道順を天井の節穴を数えながら歩き始める。自分ではゆっくりゆっくりと歩いているつもりなのだが、一度もその模擬歩きで祖母が帰ってきたことはなかった。寄り道をしているわけではない。ただ寂しい思いの私が、何度も駆け足で歩くだけだったのだ。
 そんなある日、祖母がお土産に赤い靴を買ってきた。「仕立物の代金が多く貰えたので、米国の払い下げを覗いてきた」と言う。斜め向かいにある銭湯の脱衣場で、米国の払い下げ品がよく並べられていた。脱衣場では浪曲大会も開かれる。祖母は「虎蔵」の大ファンだった。昼間の脱衣場は催事場になり、夜は背中を流し合う社交場で銭湯に立ち寄るのは、祖母の大きな息抜きだったのだろう。
 祖母が新聞紙にくるんだ塊を、手品師のようにさぁ〜とめくる。童話の挿絵で見たような赤い革靴が出てきた。私は息を飲んだ。そのころ革靴を履いている子は大金持ちの子で、庶民の子は下駄かゴム草履で外出時にだけ運動靴だった。下駄は、歯の隙間に石がよくはさまった。下駄を高く放りなげ<明日の天気占い>もした。私は、下駄のつまさきで背伸びをして、垣根に顔を載せ向こうの景色を見るのが好きだった。祖母がお八つにとお皿に入れてくれた白砂糖をなめながら、夕焼け空を見ていて踵を降ろした時、下駄の歯の間を蛇が通って行った。驚いて放りなげた皿が夕日の輪の中でクルクルと光りながら舞い落ちていったのを思い出す。そして、赤い靴もはっきりと思い出す。先が丸く足首の所に黒いボタンのベルトがついていた。

 父は私をどこへでも連れて行く。モク拾いは父と私の日課だった。(モク拾いとは、道端に落ちている煙草を拾うことだが、もう死語だろう)地面に近い私の方が早く吸殻を見つけ、ゴム草履をペタペタ鳴らし吸殻を拾いあげる。父が喜んでくれる。二人の楽しい日課だった。
 男の子が靴磨きの仕事をしていた。座って靴を磨いている目の位置と私の目の位置が同じなのだ。その子が私を睨む。父さんも母さんもいない子だと教えてられ、父にぶらさがって歩くのが悪いような気もした。傷痍軍人といって松葉杖に体を乗せ、アコーディオンを弾いている人もいた。戦後復興の猥雑さのある小さな町だった。闇市もあった。父は闇市で煙草を巻く紙を買う。拾ってきた吸殻を新聞紙に崩して広げ、それを新しい紙に巻き直して煙草を作り直すのだ。(その街から田舎の神社に赴任してからも、父は氏子の寄合いが終わると小さな手あぶりにねじこまれている煙草を拾い出しては巻きなおしていた。「そないしてまで、煙草を吸いたいんやろか」と、私は冷やかな目で見ながらも、道で吸殻を見つけると父が喜ぶと、ポケットに吸殻を忍ばせる。そんな矛盾した幼児時代と少女時代とを行き来していた。)

「和子行くぞ〜〜」父が声をかける。モク拾いだ。土間に赤い靴が揃えられていた。外出用にと収められている靴なのに、祖母が終い忘れていたのだろうか。私はゴム草履を除けて躊躇なく赤い靴を履き、父の後ろを追いかける。赤い靴は体を弾ませ、赤い靴を履くとお姫様になった気分になる。クルリと一回りスカートをひるがえし父に続く。が、その日の父は無口だった。いつもなら大きな声で歌う。


     「酋長の娘」    
  わたしのラバさん 酋長の娘 色は黒いが 南洋じゃ美人
  赤道直下 マーシャル群島 ヤシの木陰で テクテク踊る


私は片足を上げておどける。私はヘルニヤ(脱腸)だった。足の付け根に堅い膨らみを感じると、小さい手に力を入れてそれを押さえ引っ込めてテクテクと歩く。肩を揺らしテクテク、ヨチヨチと歩く。「ラバさんてなに?」と聞くと「大好きな人のことや。和子は父さんのラバさんや」と言う。意味は分からないが、私はよけいテクテクと踊るようにして歩いた。
しかし、その日、父は真直ぐ前を睨むようにして口を開かない。靴磨きの子が「その子の赤い靴、磨こか〜」と声を懸けてきた。父が私の足元に目をやった。私が赤い靴を履いていることに、初めて気が付いたようだ。父の顔は青くそして錆色のようにくぐもった声で「エエわ」と言うなり、私の手をひっぱり家に引き返してしまった。その日のモク拾いはそれで終わりだった。私はもっともっと赤い靴を履いていたかったので残念だった。早く帰宅した父と私を、祖母はいぶかるわけでもなく、また赤い靴を履いたことを咎めるわけでもなかった。
 次の日またモク拾いに行く。私はテクテク歩く。変わりなく日が流れた。虚弱な私も少しずつ大きくなって行った。ただ残念だったのは、赤い靴は外出用だったので祖母が仕舞い込み、なかなか履かせてもらえなかった。次に履かせてもらう時には、足は入らなくなっていた。未熟児であれ、虚弱体質であれ、ヘルニヤであれ、子供は日々成長して行く。その速さに祖母は気がつかなかったのだろうか。「婆ちゃんはアホや。仕舞いこんで履けんようになるのやったら、毎日でも履かせてくれたら良かったのに。なんでも『もったいない、もったいない』て、しまいこんで・・・」と私は思っていた。

 実家は、戦災で跡形もなく焼けたが、戦前は大阪の四天王寺前で手広く商いをやっていたらしい。祖母は親戚の子供達を引き取り、我が子と同様に育てていた。そのなかの光子おばちゃんは、父のことを「兄さん。兄さん」と呼んでいた。その光子おばちゃんが、ある時、言ったのだ。
「か〜こちゃんがヨチヨチ歩きの時、『か〜こちゃんを欲しい』て言う、お金持ちの人がいてなぁ〜、みんなで相談して里子に出すことを決めたのに、兄さん家まで連れていかんと帰ってきてしもうたんよ。終わり」と、口に指をあてウインクした。「それで終わり」。

 なにも聞きださず、問い糺さず穏やかに時が流れて、もうみんな亡くなった。
ヨチヨチ歩きというのは、あのモク拾いの頃のことなのか。
 父は北原白秋の弟子で、詩歌には造詣が深かった。「赤い靴」の意味するものを知っていたかもしれない。祖母はわざと赤い靴を私に履かせ、そんな父の目に留まるように計らったのかもしれない。いや、外出(用)にと出しておいたのかもしれない。
 あれから、普段でも靴を履くようになったが、あの赤い靴はどうしたのだろう。
 父は光子おばちゃんにいろいろと話しをしていたのだろうか。例え話していたとしても、父の心、そして祖母の心の奥深くは当事者にしか分からないことだろう。
それで良いのだ。

虫の音と「赤い靴」の歌が流れていく。二時間ばかりの放映時間だった。懐かしい歌がたくさん流れて行った。「酋長の娘」が流れなかったのは残念だった。
慰めるように、夏の終わりを遠慮気味に風鈴がまた一つ鳴った。



      赤い靴履きて踊りて鶏頭燃ゆ


 

月見草

イメージ 1

   月の雫    と   光の雫

 暑さが残る日中だが、夜半網戸のままにしておくと思わず身をちじめるような風が、虫の鳴き声と共に入り込んでくる。風鈴が、「チリン!秋ですよ」と、澄んだ一声で鳴った。

「忘れないうちに片付けなければ」と、夜の庭に降り立った。一舜(!)、息を呑んだ。月見草(待宵草)が庭一面に咲いていたのだ。暗がりの中で、部屋から漏れる僅かな明かりに浮かび上がっている。その数は、50数個はあるだろうか。

私は大急ぎで二階に駆け上がった。窓から身を乗り出して下を見る。思ったとおり…、月見草の花の黄色が、きらきら光る川底の石のように散らばって咲いている。手に受けた月の雫を、ばら撒いたように咲いている。窓からその月の雫を掬おうとしたが、手は届かなかった。しかし、その時私は見た。


二、三日前に「虹の橋」という詩に出会っている。

「天国の、ほんの少し手前に「虹の橋」と呼ばれるところがあり/地上にいる誰かと愛しあっていた動物は/死ぬとそこへ行く/そこでは/みんなと一緒に走り回って遊んでいる」と言う。(アメリカンインディアンの詩)。

あちこちに揺れて浮かぶ月見草が、一瞬走り回って遊んでいる犬たちに見えたのだ。愛犬(ごん太)が楽しく走り回っている姿が重なったのだ。ごん太が月の光を浴びてみんなと楽しく遊んでいる。

月見草は、ごん太と散歩に出たときに野道に咲いていたのを一株いただいてきて、庭へ植えたものである。

以後毎年、種がこぼれ落ち増えて行く。例年は数本だけを残し後は抜くのだが、今年の暑さは私から草引きの気力を奪っていた。加えての長雨が月見草の背丈をぐんぐんと伸ばし、庭はジャングル化していた。

蚊柱にも会う。だから、恐れをなして庭に降り立つことは、ほとんどなかった。夜はなおのことである。

その月見草が、木々の緑と黒い影を下敷きにして、花だけをぽっかりと浮かび上がらせているのだ。

                      ☆

ごん太は夫の勤務先の実験室で生まれた。(昔は小動物を実験や治験に使っていた)本来なら有り得ないのだが、テストに使う犬の中に身重の犬が混じっていてごん太が産まれた。会社が長休みに入ると、治験動物の世話をする人がいなくなり保険所へ連れて行かれる。(その犠牲の上に、私たちは医学や、薬品開発の恩恵を受けていたのだ)しかし、赤ちゃん犬のごん太を、誰も保険所に連れて行けず、我が家に、はるばる電車に乗ってやって来た。夕焼けの入り込む駅舎の光の輪の中に、夫とじゃれあっている可愛いピーグルとリトルリバーの雑種の犬との出会が始まった。

始めは庭に出るのを嫌がり、出そうとすると床に吸い取り紙のように吸い付いて抱きかかえられないようにする。その仕草があまりに可愛くまた賢く見えて外に出す事が出来なかった。数週間後にやっと、夫と4歳、7歳、10歳の子供たちが作った小屋に、表札「ごん太」と掛けられ柿の木の影を落とすベランダに居を構えた。犬の世話は子供たちがした。私は子供のころ猫に引掻かれ、動物が恐くて側を通るのも飛びつかれないように避けて通っていた。子供たちは学校で嫌な事や悲しい事があると、ごん太に自分のお八つを分けながら話を聞いて貰う。私はそれをこっそり聞いて、子供たちの悩み事を知る事が出来た。子供たちがごん太を散歩に連れて行くのに誘われて、夕焼け空や、渡り鳥や、季節の野の花を教えてもらうこともあった。

歳月を経て、子供たちは順番に巣立っていった。最後に残った娘が、ごん太の散歩と世話の仕方を私に特訓し、散歩用のスニカーをプレゼントして巣立った。

私は恐いのと慣れないので痩せた。しかし、いつのまにかごん太は私の子供になり、ごん太と雲を眺め、夕立の中を走り、雪道に並んで尻餅をつき、そしてある夏、月見草が野原いっぱいに咲いているのを見つけた。子供時代に過ごした奈良の野にたくさん咲いていた月見草だ。大きくなってからは見ていなかった。あまりの懐かしさに、ごん太に私の小さかったときの事を話してやり、その一株を貰って帰ったのである。掘り起こす間、ごん太は大人しく待ちその月見草を口にくわえて帰ってくれた。そして、おまけにごん太は草引きも上手だった。土を掘り、草が生えないように走り回る。でも月見草はどういうわけか、ちゃんと残っていた。

歳月が流れ、私もごん太も年を取った。ごん太の髭にも私の髪にも白いものが見え始めた。そして、ごん太は歩けなくなった。ごん太は癌を患った。散歩の好きなごん太は歩けないのに散歩の時間になると鳴きたてる。私は辛かった。自分でもう起き上がれなかった。私が支えるが触られると痛いのか凄く怒る。

傍を通る時に動く空気さえ痛く感じるのか吠えた。横たわったままで便と尿をする。私はそのたび綺麗な所へ移そうとするのだが、やはり動かすと吼える。その顔は怖かった。

当時、私はいろいろと悩み事を抱えていた。ごん太に聞いて欲しいことがいっぱいあった。でも話し掛けることは出来なかった。食べてはその場で吐き、便をし、汚物で汚れなんとか動く片足でにじって移動しようとする。(自分の周りが汚れるのが嫌なのか、私に負担をかけまいとするのか、外に出たいのか戸口に、にじり寄って行くのだ)部屋は汚物の海になった。夜中も悲しげに鳴く。私は服のままで眠ることが多くなった。私は疲れていた。そして別にもう一つ大きな問題が有った。娘が出産のため里帰りする予定日が近づいていたのだ。娘とごん太を会わせてやりたい、でも、妊婦にごん太の汚れた姿を見せたくない思いとで揺れ動いていた。

2002年1月20日、医者にごん太の薬を貰いに行き、「娘が出産で帰って来るが、どうしたらいいのか」と話すと、医師は「もう長くはないですよ」と言った。

その会話をして戻った夜、ごん太は静かだった。時々、「ごん太!」と呼ぶと少し尻尾を動かす。吼えも唸りもしない大人しいごん太がいた。私は、やっと頭や体を触ることが出来た。さすりながらいろいろと話をした。そして、そのうち体がだんだんと冷たく硬くなっていった。ごん太は私と医者の話を聞いてしまったのだろうか。私はごん太を抱いて大声で泣いた。そして首輪をはずし自由に大空をかけめぐってくれることを祈った。

ごん太が死んだ直後予定日より25日も早く、娘が赤ちゃんを生んだ。初産なのに、軽い軽いお産だった。私はごん太がそうしてくれたのだと思っている。娘が言う。「この子『犬笑い』するねん」。「犬笑い?」赤ちゃんが自然に「ニイッ」と笑うのを、(それは「神様が笑わしている」のだと聞いたことがあるが)娘はそう言うのだ。

そして、そのとき生まれた孫はいまでは4歳、そしてまた一人孫が増えた。二人目の孫も初めて顔を会わせた時、やはり犬笑い?をした。

 私は、昨夜月見草の花にごん太を見た。今朝は五時に起きて庭に出てみた。月見草がまだ咲いている。

朝の光の中でまだ咲いているのだ。それは夕べの月の雫の残り香と、新生の光の雫を受けて神々しく見えた。

 ごん太!いろいろと話をしたね。最後に、いっぱい私の話を聞いてくれたね。「ありがとう」。

「でも、もう大丈夫」。

月見草は朝の光も含んで咲く。ごん太はそれを教えてくれた。私はその朝の光をあびて立っていた。




      「日暮の鋪道」     木村徳太郎「日本の旗」ノートより

  
           
               並木の枯葉

               かけてゐる。


               日暮の鋪道

               風のみち。


               小犬が一匹

               かけてった。




 「月光」 木村徳太郎「日本の旗」ノートより

  
         
               ぎんなんの梢の

               實が白い

               月光(つきかげ)。


               地藏さまお笑ひ

               なさるような

               月光。


               線香の匂ひが

               流れてる

               月光。


               いつまで立ってゝも

               祈ってる

               月光。


2006.09.08


♪「弘ちやんは生きている」1〜10はブックマーク(ご挨拶)にまとめて入れました。
 

全1ページ

[1]


.
花ひとひら
花ひとひら
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
友だち(7)
  • まんまるネコ
  • こうげつ
  • ハマギク
  • あるく
  • ++アイサイ
  • 吉野の宮司
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
最大10万円分旅行クーポンが当たる!
≪10月31日まで≫今すぐ応募!
衛生対策製品クレベリンの姉妹ブランド
クレベ&アンドハンドジェルが新登場
今だけ。お試しキャンペーン実施中!
抽選で150,000名様に当たるチャンス!
マツモトキヨシで期間中何度でも使える
100円引きクーポン<Yahoo! JAPAN>

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事