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二月の献立

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 椎茸音(ね)
 
 小指の先ぐらいの黒い塊を見つけた。出会うのは何十年ぶりだろう。

 35年前二区画の宅地を購入し、一区画に思い出のある柿・栗・桃・杏・石榴・蜜柑・茱萸 ・胡桃などを、夫と一本一本植えて行った。畝を作り畑も耕した。残飯から芽を出した枇杷・梨・山桜桃もあった。チヨッとした農園家みたいだった。
だが、思い出が遠くへ細って行くのに比例して、楽しみに植えた木々は困りものになってきた。世話が満足に出来ない。高所に梯子をかける作業は危険。それに80坪から100坪を一区画として売り出された宅地だったのに、小さく分筆され、一区画に3、4戸の家が折り重なるように建て混んだ。それは、我が家の落ち葉が舞い込む、日陰になるとクレームになった。繁みが少なくなったせいか、我家目指して猿が来る。鼬が来る。猫も、鎖の外れた犬もくる。それらは糞(ふん)を置いて帰る。
(この変化には驚いた。想像もつかないことだった)

 思い切って植木を整理した。その中に団栗の木もあった。そこへ椎茸菌を植えた。そして、小さい赤ちゃん(椎茸)が生まれたのだ。
 椎茸の人工栽培が始まったのは、1943年。炭材として切り出された楢や櫟の表皮の傷に、風に乗って飛んで来た椎茸の胞子が付くと、2,3年して椎茸が生える。これを効率よく栽培することが出来ないかと考えられた。自然は風まかせ、椎茸が出来る事も出来ないこともある。しかし、確実に収穫が出来るようになれば、貧しい山村の生活を救えると日夜研究をした森喜作さんが成功にこぎつけた。種駒を原木に打ちこめば確実に椎茸が出るだろう。風まかせでなく、人工的に椎茸菌を植えつける種駒の方法を確立したのだ。そして椎茸は容易に作れるようになった。
 私の父は奈良の寒村の神主をしていた。この話を村人にして椎茸栽培を勧めた。しかし、それは「賭け(かけ)」であった。炭は焼けばすぐお金になる。椎茸は数年かかる。資金を寝かせなくてはならない。果たして確実に収穫に結びつくのだろうか。一人だけ父の言葉を信じ椎茸栽培を始めた人がある。現在は大きな椎茸観光農家になっている。父の存命中、美味しい椎茸がいつも送られて来た。原木から生まれる椎茸は本当に美味しい。原木栽培は収穫に2、3年の手間はかかるが、天然と似た方法で作られるのだから、厚みがあり味も濃く香りも自然と変わらない。
それがいつのまにか、中国産の円錐形をした妙な形の味も香りもない、安価な不味い椎茸が店頭に並び始め、それ以後国産も「原木栽培」から「菌床栽培」に代わった。菌床栽培は広葉樹のオガクズと栄養源、水を混合してブロック状や円筒状に固め、その培地で育てるやりかただ。
椎茸は不味くなったと思う。私はもう一度、原木栽培の椎茸が食べたいと思っていた。
そして、図らずも迷惑がられた団栗の木が、それを叶えてくれたのだ。

 隣接地に、完成戸数五千戸という大きなニュータウンが開発された。
転居した三年目から工事が始まり、十年近く懸けて造成され、雑木林が一夜でなくなり、ブルドーザーで均され宅地になっていった。雑木林の楢や櫟や団栗は塵として燃やされ、住んでいた狐や狸や、郭公や啄木鳥や杜鵑は何処かへ行ってしまった。代わりに宅地購入に100倍という競争率をくぐった人たちで溢れ、瀟洒な家が並んで行った。
この造成進行中の十年あまりを、我家は椎茸栽培を楽しんだのだ。夫の思いつきで、造成地に棄てられていた櫟を拾って椎茸菌を植えてみた。一年目は出てこなかった。榾(ほだ)木を松の木の下に置きかえる。(私は松茸を思い浮かべていた)駄目だった。水をかけてみた。駄目だった。あきらめた三年目の早春、小指の先ほどの塊が黒い釦のように並んだ。琵琶湖から吹き上げてくる春待ち風に、私はスキップをした。榾(ほだ)木を捨てようと思った矢さきだった。残り雪をかぶる小さい椎茸を茶碗蒸しに入れた。旨みの凝縮だった。そして椎茸は大きくなって行き、春浅い日には、蕗の薹や楤の芽や蓬を加え、採りたて椎茸で友人達と天婦羅パーテイをした。美味しい物を食べられる幸せにみんな大感激だった。
 茸(キノコ)類は秋が収穫と思っていたが、椎茸は五月が最盛期だ。梅雨の雨に打たれ採り忘れた椎茸は、それは大きなお化け椎茸になる。子供の顔ほどもあり、一個で店頭に並ぶ一袋分位もあった。そんなお化け椎茸は庭にコンロを持ち出し炭火で焼く。椎茸の旨みがジューと滴り落ち椎茸の香りが広がる。お腹が鳴った。
 駒菌を植えるのにドリルを買った。榾木を揃えるのに鋸も揃えた。四年すれば、榾木は駄目になる。毎年追加して榾木を増やしておかないと美味しい物は食べられない。三年近く寝て椎茸の花は開くのだ。そして咲いているのは四年だけ。一生懸命椎茸を咲かせた親の榾木は、指先で軽く触れただけで樹皮がぼろぼろ崩れ落ちた。堅く重たかった榾木は、木の栄養分をすべて吸い尽くされた残骸のように崩れ、細い細い白い芯だけが残った。
 駒菌を植えるのは粉雪の舞う二月だ。鼻水を啜り上げながら種駒を埋めて行く。手袋を履いたままでは上手く入らない。素手の手が赤く悴み白い息を吹きかける。その流れにオガクズと粉雪が混じる。夫がドリルで穴を開け私が駒を埋めて行く。長男がその上を叩いてしっかりと埋めこむ。種(駒菌)の植えられたホダ木を長女と次男が運ぶ。私たちの周りを飼い犬が走りまわっていた。椎茸に音楽を聞かせると良質のものが出来ると聞く。音楽ではないが、家族の賑やかで楽しげな心の音楽を、椎茸は聞いていてくれたのだろう。香り高い美味しい椎茸が沢山出来た。椎茸の傘(カサ)が丸く盛り上がり白く皹が入る。二センチばかりの肉厚を噛めば、口中に香りが広がり、プリッとした歯切れのよさとジュシーさが喉を流れて行く。そんな椎茸だった。
 二百本余のホダ木が並ぶこともあった。庭の木々はまだ小さかったので、椎茸の榾木が庭木のように見えた。
食べきれない椎茸は乾椎茸にする。太陽で乾かす椎茸はますます旨みが増した。その椎茸を知人友人たちに配る。
消費者活動をしていた知人が「これは商品価値が有るからビジネスにしなさいよ。私が商売ベースに乗せてあげる」と言う。が、私はビジネスに興味はなかった。美味しい物を食べられるのが嬉しい。知人達に喜んでもらえるのが嬉しく幸せだった。その知人は、私が収穫した芋茎(ずいき)を食べていると「それは芋の殻、捨てるものを食べていたらお金がたまって仕様がないでしょう」と言う。芋掘りに誘うと「なん株掘って良い?」「いくらでも。全部でもええよ」と言うと、本当に全部掘って帰ってしまった。その知人とはいつしか疎遠になった。(知人は、いまどんな商品を消費者に薦めているのだろうかと思うときもある)
 榾木が庭いっぱいになると横の竹薮に入れた。椎茸は笹の葉ずれを聞きながら大きくなった。風が吹き梢が騒ぎ、鳥の歌声を聞く。榾木の間を流れる霧の音を聞く。雷の轟きを聞く……。
椎茸はいろんな音(楽)を聞きながら四年の命を大きく生きた。暑さには弱く乾燥も嫌う。夏は時々水をやる。といって雨に合い過ぎ、水分で太った椎茸は味が落ちる。乾燥するとぺっちゃんこになる。胞子で容器が白くなる。命がみえた。
開発が終り、その十年が過ぎても(榾木が手に入らなくなっても)、原木椎茸の美味しさが忘れられず、榾木をホームセンターで求め駒菌を植えた。しかしどうも味が違う。その上、榾木は高騰して行く。いつのまにか椎茸栽培は消滅していった。

 現在店頭に並ぶ椎茸は、原木栽培から菌床栽培になったものばかりだ。人の欲望は高まる。より効率的に、より確実に、より高収入にと流れて行くからだろうか。
そんな椎茸は、音を聞いているのだろうかとも思う。
 我が家の庭も、今は子供たちの歓声も無い。竹薮も無い。愛犬がかけ回り土を蹴る音も無い。果たしてどんな椎茸になるか少し心配だ。しかし、榾木(親)は、我が家をずうっと永年見て来た団栗の木だ。

今日は赤ちゃん椎茸の上で鶯が鳴いた。「椎茸君! 聞いたかい? 」梅の花びらが零れた。万作(マンサク)が縺れた。僅かな音も聞き逃さないでね。
私は毎日楽しみに、君に(足音)を聞かせるから……。


    白い胞子榾木の命流れおり山の声聞く美味き椎茸

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
        
      早春       木村徳太郎  
 
         ちらちら 薄陽 
         ビルの壁
         街路樹(なみき)の枝の
         小さい芽。

       北向き窓の
       残り雪
       雫の露も
      目に和む。

         ちらちら 薄陽
         僕の手に
         うつすら早春(はる)を
         もつてくる。

二月の歌(柊)

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鬼やらい の 献立 
 
 献立が決まっているといるというのは有り難い。正月のおせち料理、節分の鰯、雛祭りの蛤とちらし寿司というふうに・・・
 剪定のしていない柊の枝が二,三本程よく伸びている。雨の中を剪ってきた。雨の雫が豆粒を落すようにこぼれていく。大豆を中華なべに転がしフライパンを蓋にして炒り始める。大豆は豆まき用と豆ご飯用だ。神棚に豆と豆ご飯を供え、アツアツに焼けた塩鰯をほぐし柊に刺す。あとは大根なます。質素簡単な夕餉である。献立を考えなくとも良い日は、頭の中が安息日で、鬼などいようはずもないと言う気分になる。

 
  雨音に 小さな春の足音を聞く/思い出を転がすように豆を炒る/ポツポツ コロコロ/豆を炒る/善しも悪しも年の数だけの思い出と/生きた証の数だけの/豆を炒る/

 
  物心ついたときから節分の夕食は、鰯の丸焼きと炒り大豆ごはんと大根なますと決まっていた。祖母が上手に頭と骨だけになった鰯の目を柊で射抜く。柊が鰯の目を突き刺さす時、「イタッ!」と体が硬ばり目をつむる。祖母が「恐がらんでもエエ」。これは目を刺し抜かれ柊の刺に刺され、鰯の匂いに驚いて鬼が逃げて行くお呪いやと言う。あまりの苛め方になんだか鬼が可愛そうだとも思った。

 あれから六十年はたつ。鬼にも色んな鬼がいる。鬼(厄)は追い払うだけのものでなく、人生に役(厄)立てる糧にもなる。そして新しい春を迎えるために節分と立春があるのだとも聞く。

 結婚してすぐのごろだろうか、節分に恵方の方を向き巻き寿司を丸かぶりするのが流行りだした。私は大阪人のDNAが濃厚だ。いちびり、はしゃぎが大好きだ。丸かぶりを直ぐに真似たかった。しかし子供がまだ小さい。巻き寿司の丸かぶりは無理だった。
 二月に入ると雪がよく降った。雪の中へ豆をまく。豆と雪が一緒になった。「鬼は外〜〜〜」言うなり戸を急いで締める。寒さに鬼がすばやく忍び込んできそうな気がした。翌日は雪の中に豆粒の穴が開いている。冬鳥がそれを啄ばみに来ていた。家に散らばっている大豆を集めて祖母が炊いてくれたのと同じ大豆ごはんにした。

 米を5合炊き、牛蒡、人参、三つ葉、椎茸、高野ドーフ、干瓢、卵焼きにカマボコといろいろ入れて太巻きを作る。一人二本ずつの割りで十本を巻く。子供たちはその太い巻き寿司をなんなくかぶりほおばって食べた。行儀良く一列に恵方の方へむき「今年も良い年でありますように、よろしくお願い致します」と頭をさげていっせいに巻き寿司をほおばった。
 笑い転げたが、夫が問題だった。「巻き寿司を被るような文化を私は持ち合わせていない」と楽しんでいる私たちを横目に軽蔑したようにいう。夫はマイペースである。自分の庭仕事のきりがつかないとテーブルにはつかない。子供たちに「あと少しで終りそうだから、もうちょと待ってようね」とお腹の鳴るのを我慢させ、各々が本を読んだりTVを見始め、ふっと気が付くと、いつの間にか夫が一人でご飯を食べているのだ。巻き寿司も「恵方をむいてかぶってみ。面白いから」とみんなで薦めても、頑として切り分けないと食べなかった。
 我が家の豆まきは、誰も鬼にはならない。先ず「鬼は外〜」と外に向って豆をまき、それから家の中に向って「福は内〜」とみんなで元気良くまく。そして一番上手に頭と骨の残った鰯を柊に刺し、高いガラス窓のサッシに突き刺す。立春の朝には、高い所の鰯を取ろうと猫が自転車の上でジャンプをしたのだろうか、足跡を残して自転車が将棋倒しになっていたこともあった。

 夫婦二人になってもこの行事と献立は続く。豆まきの声が小さいボソボソ声になり、「鬼は外〜」の鬼は、昨年貯めた私の心の中の鬼かもしれないし、「福は内〜」と言うとき、自分の欲望ばかりを心に浮かべているのに気がついたりもする。鬼をまいているのか福をまいていのか分からなくなる。まく豆の数を惜しんでいる自分に気付くこともある。

「巻き寿司をかぶる文化は持ち合わせていない」と言う夫を、私は私で白い目で見ていたが、私もその文化についていけなくなった。一本の巻き寿司を、かぶり終えられない。かぶり残しの巻き寿司が皿に乗っているのは見苦しい。巻き寿司をかぶっている自分を想像するとさらに厭である。これは絶対日本文化ではないような気がしてくる身勝手さだ。豆の数が増えると馬鹿が膨らみ、角(ツノ)がとれていくのかもしれない。

 私は果たして、年の数(豆の数)だけ多くの事を学び賢くなったのだろうか。数に反比例しているかもしれない、そんなことを思う節分だ。

 雨音が激しくなってきた。炒り終えた豆を水に放つ。「ジュー」とこきみよい音と香ばしさが部屋に満ちていく。良質の塩を使い巻き寿司に変わって美味しい炒り大豆ご飯を炊きあげた。
 六十年前と同じ献立である。
家族の同居数も変動した。歴史が流れていった。が、献立は六十年前と同じ。
それが嬉しい。歴史の味が乗っかっている。


(炒り大豆ごはん)
節分の夜は鰯を焼き、豆を炒る。
炒った豆を 水に放つ。
「ジュー」と香ばしい匂いは小さい春の匂いと音。

(材料)
米カップ3・大豆(乾燥)カップ1/2・酒大匙1・塩小匙1/2
(作り方)
1)米は炊く30分位前に洗ってざるに上げておく。
2)大豆を洗って水気を切って、厚手の鍋(焙烙など)で、弱火でほんのり焦げるまで煎る
3)それを水に放つ(ジューッの音が爽やか)
4)水カップ3(先の大豆を放った水も使う)強、塩、酒を合わせ、そこへ、米と煎った大豆を入れ、出汁昆布を乗せて炊飯器で普通に炊く。
(これにニンジン、アブラゲ、ヒジキ、シイイタケなどを入れてもよい。)
5)炊きあがったら軽く混ぜて出来上がり。
6)お茶碗に盛り付け、ゴマをふる
炊飯の水加減は、お好みでお試しください。



     礫はね豆炒る音に春も来て





        節分     木村徳太郎    
       
           寒いくさめを

           ひとつして

           あの子は 柊

           門に挿す。

           きつと鬼も 来ないでせう

           寒くて鬼も 来ないでせう。


           こうとつめたく

           ひとつなく

           冴えてる鷺の

           しらじらさ。


           まだまだ春は 来ないでせう

           ほんとの春は まだでせう。


           ひそかな寒の

           月の街

           皸(あかぎれ)ぬくめて

           いそいでる。


           帰れば火種も あるでせう

           家には火種も あるでせう。
   

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