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気持ちよい山の中。ササユリがいっぱい。ワラビもいっぱい。ワラビは頂いて帰りました。
山は荒れ放題。琵琶湖も見えません。(ビフォー)漆の木とと毛虫が多かったです。
太い深い根っこはヨッコラショ(ビフォー)琵琶湖から上がってくる風が気持ちよい。
随分綺麗になりました(アフター)これでベンチでも置けばお昼寝も出来ますね。
絶景かな! 琵琶湖も見えるようになりました(アフター)
ヘルスツーリズムフイールド研究会・琵琶湖「沖の島の会」への問い合わせもどうぞ。
ヘルスツーリズム の 旅 (4)
山や高原でアンチエイジング 日本は「山」の国だと思う。海、川の自然にも人は癒されるが、山に特別な思いを持つ人は多いのではないだろうか。。私は大阪生まれだが、幼少期を山里で過ごした。野山の花が遊び相手だった。私が山に登るのはあの遊び相手に会いに行くこと、会話が出来ることでもある。
山への思いはいろいろあろう。山に信仰を求め、悟りを開き心を清めることもあろう。登山ブームでもある。人はどうして山に登るのだろう?「そこに山があるから」だろうか。山をスポーツとして征服する達成感だろうか。
私の山に対する思いは、決して名山でも高山制覇でもない。隣のお姉さんが山菜取り連れて行ってくれた山、隣のおじいさんが燃料にする薪を背負って、山に咲く花を一折持ち帰ってくれた山、友達と木々の間を縫い木の実の遊び食いをした山。あの頃、山に入ると言うことは(登ることは)生活の一部であり、自然の神様と触れ合うことでもあった。木々と喋りあい、また「陽」とも触れ合うことであった。それらの一つ一つと対話することが、学びであり成長でもあった。あの低山が好き。雑木の林が好き。
最近はどうだろう?何に対しても対話能力が低下している社会の中に身を置き、そこから起こるストレスにイライラしているようにも思える。それを防ぐのには「運動、日光浴、ふれあい」が大事だとも聞く。
「森や林、里山などを、人の健康管理と増進に寄与するフイルードと捕らえ、その一つとして琵琶湖に浮かぶ沖島の整備活動を通し、森林の活用と利用法を提案模索していく」と言う「ヘルスツーリズム びわ湖『沖の島の会』」に参加した。
少し体調を壊しそれが体力低下にも通じるように感じられ、長らく例会を欠席していた。
頂上の「見晴らし広場」まで登れるだろうかという不安と、元来の人見知りの不安があった。
何のことはなかった。
沖の島に向かう船のエンジン音と波音がワクワクさせてくれる。見えてくる沖の島は新緑で覆われ、正しく山(島)が笑っていた。会員のTさんが「よう!久しぶり」とハグしてきた。恥ずかしかったが、「ハグニケーション」だ。嬉しくなった。これがふれあいの一歩だ!(関与している臨床美術で、「私は『脳いきいきふれあいアー』と冠しているが」教室の始めは参加者との握手から始まる)
「ふれあい」ということの意味を真に感じた一瞬だった。長く閉じこもっていた私を優しく包んでくれ、ヘルスツーリズムの心がそこかしこに溢れていた。
「ケンケン山」を登る。美しい緑で燃えている。ツツジが彩りを添えている。
「あっ!ワラビ、イワカガミ、タラ、ショウジョバカマ、サルトリイバラ、スイバ・・・」緑の塊に一つ一つ声を掛けて行く。私のどこかで歓喜がプチプチと弾けていく。足元と、低木や草にばかり目が行くが、ふと見上げる木の梢が緑の衣服を風にそよがせている。立ち止まる心地よさ。私はすっかり緑とヘルスツーリズムに染まってしまった。
頂上の「見晴らし広場」は、枯木の切り株、倒木、笹、根を広げる草で琵琶湖が見えない。今日のエクササイズとして山の整備が組まれてた。
ヘルスツーリズムは森林散策の楽しみだけでなく、森の香りや風の音、木々の葉擦れの音、差し込む光、木肌の温もりなどを五感で感じ、リラックス状態を作り出すこと。それがストレス軽減に働く。また山の整備のように誰かの役に立つという行動(島の子供たちが整備しきれない部分を手助け出来た。観光客がびわ湖を一望できる景色にした)そんなことに手を貸せた満足もストレスの軽減に働くのだ。人は誰かのためになりたいという気持ちがある。それが出来たとき満足感で満たされる。そしてそれに汗を流せたことに爽やかに流れて行く風に、人はまた明日への元気をもらえるのではないだろうか。
参加して良かった。
何よりもササユリにたくさん出会えた。ここ数年出会っていない。私は緑色に染まるだけでなく、ササユリ色にまで染まることが出来たのだ。まだ少し開花には早い。蕾と、けなげに葉を立たせている姿に感動する。私はもうストレスなどすっかり吹っ飛んでいた。帰宅してからも「もうあのササユリは開き始めたかなぁ」と思うだけで幸せいっぱいになってくる
ストレス軽減でいつまでも自律神経の安定化をもたらしてくれている。
ヘルスツーリングの旅、有難う。
「自然と共生できる生活環境の中で自分だけのストレス対処法を身につけ健全な心身を維持しておく必要と責任があり、自然環境をとりいれたヘルスツーリズムのプログラムはその解消策として実施される」(ヘルスツーリズム研修教本より)
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ヘルス・ツーリズム
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♪ オカリナを吹こう (28)
コンサートオカリナとタカサゴユリの鞘・ビナンカズラ・マキ・マツポックリ・ドングリ・ヤシャダマ。
お気に入りのオカリナとスズメウリ・ムラサキシキブ・ホウズキ・ザクロ・ヒイラギ・ヘクソカズラ・ムギノホ・ツバキノミ
お土産に貰ったモンチッチのオカリナ・カラスウリ・サンシュウノミ・ヤブランのミ・キゥイ・カニシダ、スズカケ・シロナンテン。いろんな自然の造形物に癒されました。
プログラムを作りました。
琵琶湖には「沖島、竹生島、多景島、沖の白石」の4つの島があるが、人が住んでいるのは沖島だけ。 淡水湖で、人の住んでいる島は世界でも珍しく、また 万葉時代以前から人が住んでいたと言われ、湖と共に歴史にも想いが乗せられる滋賀の宝物である。そんな沖島も高齢化が進み、山の手入れは進んでいないようだ。そこで山の整備をかねて自然とも遊ばせてもらおうとボランティア「チーム沖島」が生まれた。
前回作業として始めて山に入ったとき、陽のさす木漏れ日は見えず、何年そうしていたのか分からないほどの太い藤蔓で覆われていた。藤蔓を切り倒し木に息を与える。木を間引く。そういうことをして帰宅した。刈り取られた太い藤蔓を「もって帰れ」と代表者が私に言う。本音を言うと「小いさければリースにでもできるのに」と嫌だった。しかし山の麓まで藤蔓を背負い下山する姿はまるで民話のおじいさんのようだ。(私は絵本の挿絵や、二宮金次郎の銅像で、人が薪を背負う姿は見ていたが、実物を見るのは初めてだった)その姿があまりにも山や湖と溶け込んでいるのに感心してしまい、「嫌だ」と言いかねた。そして下山するや私の車に積み込まれた。
「こんなに沢山の藤蔓、しかもでっかい。どうしょう」「そうだ!帰路に山道に沿って琵琶湖へ張り出し、自然風を売りにした喫茶店がある。そこへ藤蔓を降ろして帰るか」と思った。しかし、夕闇が迫っていたので山道をさけ、大きな舗装の道を無意識に取ってしまった。
我が家の庭に藤蔓が厄介者としてうず高く積まれた。
十二月になると、あちらこちらでクリスマスリースが飾られる。「既製品でなく自然の産物のリースはどうかしら」と思った。庭に放りだされていた藤蔓でリースを作ったらどうだろう。しかし、リースはあまりにも大きいので、勤務している施設やボランティアで行っている施設へ「みんなでいろんなものを飾り付けしたらどう?」と持参してみた。どこもが大喜びで受け取ってくれた。ゴミにならずに済んだのだ。施設のスタッフで実家がレストランという人は「店で使いたいから欲しい」とまで言い出す。
私は迷惑と思っていたが、自然のものは人の心を打つ魅力があるのだ。そこで、私も自分用にリースを造ることにした。
十二月はいろんなところから「オカリナコンサート」の声を掛けてもらった。私はオカリナに救われている。土音を楽しませてもらっている。オカリナに感謝して、リースに飾ってみた。土と植物、そして沖島に打ち寄せる波音が聞こえてくるような気がした。
家の近辺を散策すると、いろんな赤や白や紫の実があることも知った。素敵なところで日々を送らせてもらっているのだと改めて感謝した。
藤蔓を運んでくれたSさんにメリークリスマス!
田舎にメリークリスマス!
みんなにメリークリスマス!
★★★★★★★★★★★★★★★
コンサート プログラム
神の御子 賛美歌111番
アメージンググレス 讃美歌167番賛美歌とともにアメリカ(元はイギリス・スコットランド民謡)の古い伝承曲でもある。 ホワイトクリスマス 雪の降ったクリスマスのことを「ホワイトクリスマ」と云う。雪の降らない「グリーンクリスマ」と対である。またメリークリスマスは「クリスマスおめでとう」のお祝いの意味である。
ジングルベル クリスマスの時期に世界中で歌われる歌。アメリカ民謡。そり遊びの歌。「ベルを鳴らす」と言う意味で宗教的な語句やクリスマスに言及がなく、若者が冬に橇でベルを鳴らしながら競争する様子を歌っている
赤鼻のトナカイ 『赤鼻のトナカイルドルフ物語』の主人公で、1930年代のアメリカ、シカゴでルドルフは誕生した。
きよしこのよる 賛美歌109番 もみの木 冬のさなかでも緑色のモミの木を称えている。又、赤・緑・白はクリスマスカラーで、赤は、イエス・キリストが流した血の色(クリスマスに使う赤色の飾りは、リンゴ、ヒイラギの実、ポインセチア等。サンタクロースも赤である。緑は、常緑樹の色で永遠の命・神の永遠の愛を表わす。(ツリーに使うもみの木や飾り付けのヒイラギなど)白は純潔を意味し、クリスマスに降る雪の色を表す。 主はまきびと 賛美歌103番。キリストの降誕を伝えている。 君を乗せて アニメーション「天空の城ラピタ」のテーマ曲。
雪の降る街をNHKラジオで放送された連続放送劇「えり子とともに」の挿入歌であった。リハーサルで時間を埋めるために急拵えで制作され人気が出たために二番以降も制作されヒットした。山形県鶴岡市でみかけた降雪風景がモデルと伝えられ、現在も毎年2月に行われる「鶴岡音樂祭」ではフィナーレにこの曲が歌われている。 冬の星座 冬の凍てつく寒さの中、透明度の良い空では冬の星座たちが一段と輝いてみえます。冬は上空の気流が安定しないため、星のまたたきも大きくなります。冬の空は明るい星が多く、形をつかみやすい星座が多いのが特徴。日本の代表的な唱歌で「日本の歌百選」の一曲に選ばれている。メロディーには、ウィリアム・ヘルス作詞・作曲のアメリカのポピュラーソング「愛しのモーリー」が用いられている。詞は新たに作られたもので、翻訳曲ではない。
冬景色 日本の冬の美しい景色を歌っており、1番は水辺の朝、2番は田園の昼、3番は里の夕方を歌っている。「日本の歌百選」に選ばれる文部省唱歌であるが作詞、作曲ともに不詳である。 たきび 1949年「うたのおばさん」で放送され全国の幼稚園や保育園や小学校に広まり小学1年生の音楽の教科書に掲載されるようになったが「町角の焚き火は危険」「防火教育にさしつかえないよう」と批判があり、それを受けて教科書に掲載する際には挿絵に焚き火と人物だけでなく、火消し用の水が入ったバケツが描かれるようになった。印象に残る「ぴいぷう」の単語は、作詞者の巽聖歌が北国の出身だからこそ考えついたものだという指摘がある。巽聖歌は父「木村徳太郎」とも知人だった。懐かしい。 ペチカ ペチカは暖炉の一種である。ロシア語で暖炉やオーブンを意味する。 冬の夜 作詞者作曲者ともに不詳。戦後、歌詞の中の「いくさの手柄を語る」という部分が、戦意高揚であると「過ぎし昔の思い出語る」と改変されている。しかしそうなると、なぜ子どもたちが「拳を握って」興奮するのか意味が不明となる。こうして変えられた歌は数多い。 母さんの歌 作詞・作曲者の窪田聡は、合格していた大学に進学せず、文学を志し家出をし「うたごえ運動」活動した。これは窪田二十歳の時に発表されたもので、家出当時、次兄を通じて居所を知った母から届いた小包の思い出や、戦時中に疎開していた信州の情景を歌詞にしたものとされる。曲は、ロシア民謡『荷揚げ人夫の歌』が原曲であるとも言われる。うたごえ運動を通じて全国の歌声喫茶に広まった。日本の歌百選にも選ばれている。 「母さんの歌」ではあるが2番の「おとうは土間で藁うち仕事」の部分に、自分の勝手な生き方を黙認してくれた父親への気持ちも込められている。1番の真ん中の2行は母親の手紙文であることを示しています。3番の「あかぎれ」は、冬期に手足の皮膚が乾燥して荒れ、弾力がなくなって割れ目ができる一種の皮膚病ですが、栄養状態が向上した現代では、ほとんど見られなくなりました。根雪は、降り積もった雪の重みで地面に凍りつき、暖かくなってもなかなかとけない雪で、モデルの山国信州では、根雪がすっかりとけて春になると、梅、桃、こぶし、桜、杏、リンゴなどの木の花やオオイヌノフグリ、スミレ、タンポポなどの草花がいっせいに花を開き、ほぼ同時期に先を争うかのように咲きます。 オカリナを吹くとき私は音だけではない。その詩をどれだけ理解できたか、歌としてどれだけ自分の心に、そして聞いてくれる人に訴えることが出来るか、そんなことを思う。オカリナも臨床美術と同じ、下手上手ではない。「どれだけ自分が引き出され、皆と楽しめるか」と思う。そのためにも最近は吹く曲の背景を知ることを大事にしている。吹くだけでなくライブのように思いなども伝えられたらと思う。 |
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(I)好きなジャガイモの花や菊菜の花が咲いていました。(2)削いだ美しい木の皮(3)細い木と藤蔓を切り、杖とリース作り(4)整備され木漏れ日の中へ琵琶湖の風が吹き上ってきます(5)入り口も綺麗になりました(6)沖島小学校と児童たちの応援メーセージ。 |

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檜の切り株と赤松の松ぽっくり・コブシの蕾・コブシの花 |
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下草刈でヒヨドリジョウゴの実がありました。湖や真っ赤なカエデを映すような透明の実でした。 |

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