来た道行く道通りゃんせ/風にのって花ひとひら

のんびりしたブログですがよろしくお願いいたします。

エッセイ(夏)

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薬草茶

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ドクダミの花
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綺麗に乾燥しました。花はお茶にはしません。化粧水にします。
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杜仲茶、柿の葉、枇杷の葉、他にゲンノショウコ、ゲッケイジュ、イチョウ葉もあります。
 
 お茶ですよ〜〜   
薬草茶
 
梅雨の晴れ間、白い花が目に飛び込む。ヤマボウシ、ウノハナ、ナツツバキ、クチナシ、夏に向かって咲く白い花に清潔さと力強さを感じる。
中でも、白十字の星を散らしたように咲くドクダミは、まるで生命力の塊のようだ。
ドクダミの語源は「毒矯め」(毒を矯正する)からとも、十種類の薬を合わせ持った効能があるから、十薬(ジュウヤク)とも言うらしい。その強い匂いから嫌われることもあるが、白い十字形の花弁に見える苞と、おしべめしべは清潔感があり、風情に富み、暑い夏に打ち勝つ清涼感とたくましさが感じられる。
白い花は雨に打たれると汚れることが多いが、ドクダミの花にはそれもない。雨あがりのきつい陽射しに褪せることもなく、その白さはまばゆく、夏を打ち勝つ涼を運ぶ白い灯のようだ。
子供時代ドクダミは苦手だった。薄暗いところや湿気の多いところに不気味に茂り、少しでも触れようものなら、その強烈な匂いが体を包み、抜いても抜いても生えてくる。そんな厚みのある深緑の葉はとても好きにはなれなかった。
転んで泣いて帰ると祖母がドクダミの葉をもんで、切り口に貼る。お腹が痛いというとその干したものを煎じて飲ませる。暑い昼下がりはタライで行水をする。そんな中にもドクダミが浮かんでいた。湯をかぶるとドクダミが体に貼り付く、私は厭でしょうがなかった。
ところが不思議なものだ。いま祖母と同じことをしはじめた。そしてドクダミの花をとても愛しく思うのだ。
 
昔、梅雨まえの旧暦五月五日は「薬の日」とされて、山野に出て薬草を採集する「薬猟り」が行なわれていたそうだ。
日本書紀/推古紀に「十九年の夏五月の五日に、菟田野に薬猟す。・・・・」と記述があり、「薬猟り」は国家的儀式でもあったようだ。天平十六年の大伴家持の歌にも「薬猟り」が出てくる。江戸時代の俳書「言葉寄」にも「薬猟り五月五日百草を取ることなり」とある。
 薬草はたくさんあるが、季節的に薬猟りの草はドクダミが相応しいのではないだろうか。天平時代のあの雅な衣装で、人々は自分のためまた愛しい人のために、匂いに負けず「薬猟り」としてドクダミを摘んだのではないだろうか。私には、ドクダミは日本古来からの伝承植物であり、日本人が伝え持ってきた古代からの知恵を延々と伝えてくれる大切なもので、また、あの楚楚とした白い花が万葉の女人にみえ始めてくるのだ
 
今年のドクダミの成長は遅かった。いつもは五月の連休に帰郷してくる孫を連れて夫がドクダミ採りにいくのだが、今年は摘めるほどには伸びていなかった。そのぶん、六月始め私は忙しくなった。
我が家の「薬猟り」が始まったのだ。
最初はドクダミだけだったのが、いつのまにか庭に茂るあらゆるものを陰干しするようになり、正しく薬猟り、百草採りが我が家の行事になった薬草というと、何か特別な植物のように思うが、身近にあるあらゆものが薬草になる。先祖がずっと昔の生活の中から伝承してきた草には薬効成分が含まれるものが多く、暮らしの身近なところにあった草は、病気の予防や、健康増進に大きな役割を果たしてきたのだ。
健康ブームでいろんな薬草が市場に出まわり商品化されているが、本来、薬草というものは身近にあるものを少しずつ、必要な分だけを丁寧に、重宝して利用するものであったのではないだろうか。
以前は干し方がまずく、カビを生やさせたことも、陽に当て赤茶けたこともあったが、最近は「売り物にしなさいよ」と言われるほど上手に乾かすことが出来るようになった。しかし収益目標を生産するような経済活動に、私は馴染まない。欲を出して大量生産する気などさらさらない。沢山出来たものは知人たちに分ける。
 太古に愛しい人の為に摘んだ薬草、祖母が手塩に掛けて与えてくれた薬草。それと同じ手間を味わえることが嬉しく、季節季節に味わえる作業(生活)が私には嬉しいのだ。そして分ける喜びなのだ。
 
薬には飲み合わせがある。ひよっとするといろんなものを干し、間違った組み合わせで飲んでいるかもしれないが、初夏にはドクダミ、カキノハ、イチヨウ、ビワ、トチュウ葉、ヨモギ、ゲッケイジュ、ゲンノショウコ、オオバコなどを干す。
本をみると、身近なあらゆる花木にはどれも薬効があるらしいが、花はなかなか摘みとれない。花は愛でて癒しの薬効にする。私の「地産地消」の生活は、生産性はないかもしれないが、こうして自然の恵みを頂ける暮らしを思うとき、それは、薬効のように私を元気にさせる。
夏はこのお茶をたくさん冷やしておく。暑い夏は、風鈴の音とこのお茶で暑さをしのぐ。
 
 花はなかなか摘めないが、時には花遊びもする。花を摘むのは偲びがたいが、朝露に足元を濡らし、タチアオイの花を摘む。タチアオイはハーブとしてフラボノイド・タンニン・アントシアニン系色素を成分としているため、喉粘膜の保護ができ、咳、喘息、アレルギーの緩和などに使われると知った。そこで花を乾燥させてみた。乾くと青色になる。それを小袋に詰め、薬効と、飲み方を印字してリボンを掛け知人たちに配るみんな妙な顔をする。そして驚く。それをみて私がさらに喜ぶ。これも私の夏気払いになる。
 青く乾燥したタチアオイに湯を注ぎレモンを加えると、薄青色のタチアオイ茶が、赤色に変わる。「サプライズ茶」だ。酸を加えると赤くなるから不思議でもなんでもないのだがこういう遊びが楽しい。
 ハイピスカスの花を干す。小さい塊になる。お気に入りのカップにそれを入れ湯を注ぐ。ゆっくりゆっくり大輪の花が開く。こんなとき私は子供のようにときめく
 
  さぁ〜お茶ですよ。暑気払いのお茶をどうぞ。
 
 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 
            木村徳太郎      
    
           雨はペンキやよ
           さびしい
 色に 街をそめた。
 
 雨は子虜(ことり)よ
 街から
 子供 さらって行った。
 
 雨は 鏡やよ
 おみちに
 たくさん をいて行った。
 
 雨はミルクやよ
 狭霧の
 ミルク 流して行った。
昭和13年版童謡芸術年鑑集より
 
            

広島原爆被災の日

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百日紅の花、凌霄花。  花ひとひら(花逕)



原 民喜  「夏の花」。
「このことを書きのこさねばならない、と、私は心に呟いた」



水を、  水を、  水を下さい、  ・・・ああ、・・・お母さん

被爆時の惨状を記した短編「夏の花」 新潮文庫より



 1945年8月6日8時15分、広島に原爆投下。

 2006年8月6日。広島の原爆投下のことはあまり取り上げられない。

どうして?私は日本人として、忘れてはいけない日だと思う。

いろんな記念日がある。それとは別に、次の世代に伝えておかなければいけない日はある。



「猛暑に浮かぶ原爆の悲惨さ」     2004.08.05.京都新聞「窓」投稿

 今夏は「暑い」を通り越し、「煮えている」ような猛暑が続く。いつもなら、大げさに冷蔵庫に頭を突

っ込んだり「なんとかして、この暑さ!」とわめいているが、今年は黙ってこの猛暑を感じとろうとして

いる。

今夏の初め「暑い暑い!水!」「のどから手が出るどころか体中から手が出ている。水が欲しい!」と帰

宅するなりわめくと、夫がボソッと言った。「原爆の時はみんなそう言って死んでいったんだな」。

 広島生まれ育ちの夫から「水遊びをしていると、遠く西の空が真っ赤になり、次の日市内に行くと太田

川が遺体で埋まっていた」とよく聞かされていたが、いつも興味なく聞いていた。

 あまりの猛暑に「水!」と自分が心から叫んだ今夏、原爆を思った。あの時、人々は、手どころか髪の

毛一本一本もが「水!」と叫んでいたのだろう。燃え、焦げている体。

「水、水、水」「水が欲しい」と亡くなっていった時代があったのだ。

 原爆の日がくる。今夏の私は、暑さを感じて「戦争をのろう」。うんと汗を流し、そして生きているこ

とを実感して。


(私はどこにでもいるごく普通の主婦。朝起きると家族の食事をつくり、空いた時間にパートに出かけ、少しの趣味も有り、それを楽しむ。少しは友と語らい食事をし、お喋りを楽しむ。孫の成長を楽しむ。普通の平均的な主婦と思う。しかし、忘れてはいけないことはある。)
投稿した2004年は40℃近い日もあった。今年も暑い。しかし・・・。


  木の芽    木村徳太郎   「夕暮れ」ノートより


            木の芽はのびる ずんずんと

            森にも街にも どこにでも

            雪にもめげず 伸びてゐる

            木の芽は賢(さかし)い 少年だ

            木の芽は凛々しい 少年だ


            さうだ木の芽は ぐんぐんと

            森にも街でも どこにでも

            伸びて大樹と 仰がれる

            大樹ももとは 小さい芽だ

            大樹ももとは 小さい芽だ。

            木の芽は伸びる ずんずんと

            山にも街にも どこにでも、

            風にもめげず 伸びてゐる

            木の芽は優しい 少年だ

            木の芽は正しい 少年だ。


            さうだ子供は ぐんぐんと

            山でも街でも どこにでも

            伸びて祖国を さゝへる樹

            子供は尊い 国の芽だ

            子供は尊い 国の芽だ  
 昭和17年6月26日作詩


2006.08.06



          

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