日々雑感

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震災から5か月が経ちました。あの日、家にいた私は、地震の後につけたテレビの画面にくぎ付けでした。津波に襲われる被災地の映像は今も頭にくっきり焼き付いています。
二、三日して友人から「仙台に遊びに行っていて被災した姪が無事帰ってきて、『あっちでは日常を取り戻そうと頑張っているのに、東京で浮足立っていちゃダメじゃない』と言っていた」というメールが来ました。でも正直、私にはその意味がよくわかりませんでした。原発事故も相次ぎ、地震から一週間たっても、何が起こっているのかさえわからない状況でした。
そんな矢先、実家の母が手術をしました。
あれから五か月。どんなに時間が過ぎても、3.11以前に戻ることはできません。あの頃の「日常」はもうないのです。
東北の朝鮮学校の崩れた教室、灼熱の太陽が照りつける福岡の朝鮮学校の校庭で放射能の除染に汗を流す全国から集まった同胞たち、「フクシマ」という言葉を聞くたびに「また何か」と高鳴る鼓動、そして痩せて半分になってしまった母…。
今日、テレビのコメンテーターが「3.11で『すべては有限なのだ』ということを再認識した」と言っていました。そう、すべてのことには限りがあるのです。だからテレビを見たり、本を読んだり、家族や友人と一緒に食事をしたり、笑ったり、泣いたり、喧嘩をしたり、そんな「日常」の些細な一つ一つが大切に思える今日この頃です。

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東北の朝鮮学校で行われた詩の朗読会&焼肉のイベントに行ってきました。大阪の詩人ホ・オンニョさんの企画で、京都、大阪、東京、群馬などから日本人の方を含め13人がおしかけました。

 前日には、韓国から僧侶の方々が支援金を持っていらしたそうです。支援金は四月に続いて二回目で、それ以外にも被災直後には11トンのミネラルウォーターや大量のスニーカーも送ってくださったそうです。お水は私もおいしくいただきました。
 
 土曜日の午後の詩の朗読会、居眠りしてしまったらどうしようと不安でしたが、とんでもありませんでした。低学年の子供たちもすっかり聞き入ってたまに笑い声をあげていました。童話「金の斧銀の斧」の朗読ではお面をかぶった三年生の児童たちが途中で出演、「アニエヨ、アニエヨ」と言いながら顔の前で手を振っていた姿を思い出すたびに顔がほころびます。

 焼肉と飲み物は群馬から参加した廉数昭さんご夫婦が準備してくださいました。気温は30度を超え、太陽はじりじりと照っていましたが、子供たちと食べる七輪の焼肉はそんな暑さも忘れさせるほどおいしかった!です。子供たちはもちろん、先生たちも、オモニやアボジたちも素敵なキャラクター満載で、魅力的な方々でした。

 けれどその笑顔の後ろには、壁の崩れた校舎、狭くて蒸し風呂のような寮を臨時教室した授業(この日も男子児童が鼻血を出して保健室に運ばれていました)などなど、被災の傷がくっきりと残っています。

朝鮮学校はどこも皆運営に四苦八苦しています。でも被災したこの学校をこれからもずっと忘れてはいけないと思いました。

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韓国領事館から電話がありました。
先月更新を申請したパスポートのことだと言って、夫の職業や私の職場についてあれこれ聞いたあげく、朝鮮女性同盟の地元支部に「私は貴団体の活動とは一切関連ありません」というような内容の文書を送って、内容証明を領事館に送るよう指示されました。
 
「大韓民国の国民が大韓民国を反対する団体の活動をするのは許せない。法律でも禁じられているので、韓国に入れば捕まることもある」というのです。
 
私が韓国のパスポートをとったのは90年代末、2005〜06年にはソウルに居住して大学院に通っていました。
けれどこんなことは一度もありませんでした。これは脅しです。
 
女性同盟のオンニたちとは新年会や花見、クリスマスパーティで一緒に食事したり、山登りに行ったり、私にとってはかけがえのないコミュニティなのです。今回の震災でも、「こういうときに他の地方出身の私を捜してくれるのはきっと分会の人たちなんだろうな」と改めてその大切さを実感しました。
 
 
私としては、朝鮮半島の南北どちらかに肩入れしたり、敵対したりする気など毛頭ないのですが、彼らにはそれが許せないようです。
海外旅行はしばらくお預けです。
 
 

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李忠成、おめでとう!

一瞬、時間が止まったかと思うようなきれいなゴールでした。

民族の言葉も話せる、日本国籍を持った在日朝鮮人が、ウリイルムで活躍する、そんな時代なのですね。
あなたの活躍は、韓国のマスコミも大きく伝えています。
当事者がどう思うかにかかわらず、これこそが民族教育のなせる業ではないでしょうか。

「朝鮮民主主義人民共和国」でもよし、「大韓民国」でもよし、「日本」でも「中国」でも「アメリカ」でもよし、
在日朝鮮人が在日朝鮮人として、世界を舞台に活躍するルーツをはぐくむ。

根がしっかり張っているから、どの方向にも自由に伸びることができる。
自由だから、自分で決めなくてはいけないから、悩むことも多いけれど、
だからこそ友人や、家族や、支えてくれる人々がもっと大切に思える。

当事者が意識しようとしまいと、それは民族教育なしにはありえないことなのだと、
日本の学校に通った経験のある私には思えるのです。

李忠成、おめでとう!
生意気といわれようと、なんといわれようと、もっとやんちゃに、もっと自由に、大きな空を力いっぱい羽ばたいてください。

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昨年6月に宮古島にある「アリランの碑」を訪ねたときのことを、月刊「イオ」に書きました。
梅雨明けの猛暑の中、地元の与那覇博敏(78)さんの案内で「慰安所」のあった一帯を尋ねました。

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与那覇さんは、幼いころ「慰安婦」の少女たちと話したことがあるそうです。「美しい姉さんたちだった」と何度もおっしゃっていました。
当時、敵軍に包囲された宮古島は、空襲と飢えとマラリアで、まさに地獄だったそうです。
そんな中、訳もわからず、見たこともない島に連れてこられて、「慰安婦」にされ、心も体もことごとく踏みにじられながら、ひたすら虐待に耐えていた彼女たちが、今なら中学か高校生くらいの幼い少女たちが、山の泉に洗濯に行くために歩いたという道を歩いてみました。
今では野原と畑に囲まれたのどかな道を、思い出すたびに胸のあたりがヒリヒリします。

詳しくは月刊「イオ」2月号を

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