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変化に富んだ 南房総の沿岸歩きも 今回で 丘陵地帯を抜ける。 今日(4/3)は前回終点とした JR浪花駅から 大原漁港を訪ね、日在(ひあり)浜を北上し 九十九里浜南端の 太東崎を周って JR東浪見(とらみ)駅までの ロングハイキングだ。 JR浪花駅から 水の入った田圃の 中の道を 蛙の鳴き声を聞きながらスタートする。 この道は旧房総往還でもある。 歩き始めてから約15分くらい歩いたところで国道128号線に合流する。 ここから100m北に行ったところで国道を分かれ 右に 矢差戸・大舟谷へ入っていく。 曲がり角には半分に折れた 道しるべ が塀に立てかけられていた。石柱には 矢差戸・大舩谷 と刻まれている。 道標から 600mくらい 行くと正面に 神社がでてくる。(日月神社) 集落の戸数の割には立派だ。 「お参りできなくて、すいません」と 入口で会釈して通りすぎようとしたが、手洗石の 屋根を支える柱が 細い石で 造られている のに気付き境内に上がってみた。 近くに「力石」も置いてある。この石の柱は 道標の石柱と 同じ材質だ。地元の石工が造ったものに違いない。それにしても地震で折れないのだろうか。 お参りをした後、拝殿の格子越しに中を覗いてみた。目をこらして暗い中を覗くと 絵馬 が掛かっている。 良く見ると 二艘の手漕舟に 大勢の漁師が乗って 網を引いている光景だ。 真っ赤な 太陽が 水平線から昇っている。紀州から伝わった イワシの 八手網(はちだあみ)漁 の様子を描いたものだろうか。 絵馬には「明治弐拾八年 雑鋪区願主 永野政七」と願主が書かれている。「雑鋪」 はこの辺りの地名 「造式(ぞうしき)」 と読めるので、地元民が豊漁を祈願して奉納したものだろう。 大舟谷(おおぶなや) トンネルを二つ通過して大舟谷(おおぶなや)集落に出る。 集落を見下ろす 八幡神社 に登ってみた。 浜にはボートのような小舟が数隻あるだけで漁業で生計をたてているようには見えない。豊な家々の佇まいが不思議に思う。 他県との比較はできていないが、房総沿岸の集落は都会に比べて概して豊だ。 こざっぱりとして道にゴミがほとんど無い。ゴミの分別収集コーナーがきれいに掃除されている。 昨日に比べると大分風もおさまったのに押し寄せる波は高い。 伊能測量隊も この絶壁では 沿岸の測量を あきらめ 陸地を辿っている。 浪に さらわれない様に 注意して 北に隣接する 矢差戸(やさしど) 集落に向う。 入り江の高台に神社(飯縄神社) がある。 ここで 不思議な記号のある「手洗石」に出会った。 重量感のあるシャープな手洗石の 側面に 縦横の 幾何学的な 線 が刻まれた正方形が 陽刻されている。 文政十三庚寅年四月に造られたものだ。 この記号は何を意味するものであろうか。修験道者が印を切る形にも見える。 社殿横の 流木と 大鈴と 注連縄が さらにミステリーを増す。 南川海岸 伊能忠敬が辿ったと思われる内陸の道を北上する。 今日の行程は長いので、寄り道をできるだけしないようにと思いつつも、集落とその先に水平線が見えると、誘惑に負けて寄り道してしまう。 ここは 南川海岸。大波をもろともしないで釣り人が糸を垂らす。カサゴを狙っているが型は小さい。 防波堤横の 砂場に しゃがみ込んで 何かを 篩(ふる)いにかけている老人に出会う。 訊ねると 光沢のある 角のとれた 綺麗な貝の 破片を 集めて お墓の周りに撒くのだという。 歳のころは80歳代。貝を選り分ける 日焼けした指が 何か寂しい。連れ合いに 先立たれた のだろうか。 大聖寺 不動堂 大原漁港のシンボル 八幡岬を訪ねる前に 近くの大聖寺に行く。 ここには国指定の 重文「大聖寺不動堂」がある。 室町時代に建立されたと聞く。 (その2へ続く)
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伊能図を歩く−房総半島−
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