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伊能図を歩く甲州道中第11回はゴールデンウイーク(GW)に入った4/30に藤野から小仏峠を越えて高尾まで歩きました。 今回はいつもブログにコメントをくれる友人のK氏が同行です。 今回は甲州街道歩きのウォーカーに何人も出会いました。さすがGWです。 藤野駅を8:33分に降り立ち前回の終了点駅前から国道20号に沿って歩き始めました。 正面に陽をあびながら30分くらい進みますと旧甲州街道は一度国道から離れますが、250m先ですぐ合流し深沢橋を通過するようになります。 この深沢橋の下には、伊能忠敬測量日記にも出てくる小猿橋という断崖に架けられた橋がありました。今ではダム湖の出現で水中に没しています。伊能日記には小猿橋渡幅十四間(25.2m)と記載があります。 今回は往時の姿を再現しているパノラマ模型があるというので本陣前の藤野郷土資料館に寄ってみました。 往時の小猿橋はパノラマの下の木橋です。上の橋が新小猿橋で現在の深沢橋の近くになります。往時の街道はアップダウンが激しかったのですね。 現在の深沢橋の鉄橋工事の写真も残っていて橋の変遷を知る上では貴重なものです。 この写真を見ると命綱をつけていない鳶の姿や、竹で作られた櫓(やぐら)が写っています。信じられない工事風景です。 この資料館は無料で人の良い担当者が丁寧に説明してくれます。また民具や懐かしい生活用具などの展示もあり街道歩きの方はぜひ立ち寄ってほしいところです。 資料館を出て直ぐ右手前方に斜張橋の近代的な勝瀬橋が見えてきます。隣には旧勝瀬橋が役目を終えて橋脚だけが取り残されています。 ところで明治の中ごろにこの地を旅行した外国人の日本旅行日記によりますと、小仏峠を越して小原に出て、ここから馬入川(相模川)の舟運を利用して勝瀬に渡り、急坂を上って吉野宿に出ている記述があります。明治の旅は徒歩、駕籠、俥(くるま)の他に舟も使用していたのですね。 旧道は勝瀬橋の手前を国道から離れて北上するのですが、勝瀬橋の威容に集中力が一時欠けて国道を中央高速の相模湖IC先まで進んでしまいました。やむなく旧道分岐まで戻る羽目になりました。(約1キロの迷い道です) 道祖神などの石造物も路傍にあらわれ旧道らしい雰囲気のなかを進みます。 途中、ヤマブキの見事な民家のご主人と立ち話。入口の傍らには釣る瓶井戸が残っています。御当主と話している中で、以前勤めていた会社の八王子工場に大学時代アルバイトで勤めたことがあると聞かされビックリしてしました。この辺までも東京の通勤圏なんですね。 馬頭観音が今も往来する人を見守ってくれています。時代が下って交通手段も変わりましたが観音さんにはこれからも交通の安全を見守っていって欲しいですね。 北に進んだ旧道もやがて東進するようになり横橋集落にさしかかります。南面の高速道路の先には相模湖が開けてきました。勝瀬橋があった所からかなり上がってきました。 高速道路の北側に沿ってきた旧道も相模湖町与瀬で国道に合流します。与瀬の急坂を下ります。 旧甲州街道は国道に合流したあと相模湖駅の東で国道を分かれ北に進むようになります。この辺り旧道は複雑で地図を見比べながら悩んでいる街道ウォーカーを何人も見かけました。 大いに惑わされた旧道も何とか抜けて坂を下って相模湖東ICのある国道に合流し小原宿へと下っていきます。 小原宿は甲州道中の難所小仏峠の西の麓にあります。(標高200m)
小原には今も現存する立派な本陣清水家住宅があります。(現在は管理が相模原市に移管されています) - (その2につづく) |
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僅か210年前頃のの古道ですが、時代の流れは凄いものです.
真下を相模湖インターへの高速誘導路が開かれ、陸橋になったり、ダム湖に沈んだり、大火で全焼した吉野宿などなど・・・・・
2010/5/9(日) 午後 7:20
天候にも恵まれ快適なロングハイキングとなりました。街道風景に赤いザックがアクセントになっています。
2010/5/9(日) 午後 10:02 [ senior style ]