旅は道づれ風吹くままに

ロングハイキングと地図と写真が好きなシニアです。

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ジュゴンブロック

これは 新潟県柏崎市の 鯨波(くじらなみ)海岸で見つけた 消波ブロック です。
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ジュゴンブロック

昨年 伊能図を歩く房総一周ぐるり旅(http://blogs.yahoo.co.jp/hanamipark/28559982.html)で
色々な消波ブロック(http://blogs.yahoo.co.jp/hanamipark/27861286.html)
があることを知って、旅に出ると新しい出会いがないかとチェックしてしまいます。

手前のブロックは柔らかいフォルムがいい感じです。ジュゴンブロック は商品名ですが、ジュゴンとは海獣のことでしょうか。前方には消波ブロックの代名詞となったテトラポットも見えます。

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日蓮像と三十番神の石塔

近くには番神(ばんじん)岬があって、ここは日蓮上人が幕府の怒りにふれて佐渡に流され、赦免されて寺泊に帰着するとき嵐に遭いこの地に漂着したところです。

房総歩きで日蓮上人の旧跡を数多く見ましたが日本海側にも古跡があるのですね。

岬の一隔には日蓮上人が佐渡から帰着したとき三十番神を勧請したお堂があって、案内板には本殿の彫刻が素晴らしいとあります。

この素晴らしさは 民謡三階節にも 「番神堂がよく出来た向拝 向拝の仕掛けは新町宗吉 大手柄・・」 と唄われています。新町の 宗吉さん は大工の棟梁です。

そこで自慢の彫刻を見に奥にある本殿を回ったのですが、ガラスパネルにすっぽり覆われて周囲の樹木の映り込みが強く良く見えません。スイッチを押したら数分照明が点くような工夫が欲しいものです。
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番神堂(お堂の裏の本殿はガラスパネルで囲まれている)

海岸からは 三階節「米山さんから雲が出た・・・」 と唄われた秀麗な「米山」のピラミッドが望めます。沖を行く往時の北前船からはよい目印となったことでしょう。
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雲間の米山のピーク

今回は幹事まかせの同窓会を兼ねた柏崎刈羽原子力発電所の見学の旅でした。そういうことで事前の調べ無しにバスで柏崎に到着しましたが、予備知識なしの旧跡との出会いは良いですね。
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番神岬から望む日本海の夕陽は素晴らしいです。
太平洋側の房総では水平線に沈む太陽を見るのはむずかしいので格別なサンセットでした。
これは「ひらがなタイプライター」 です。

まだワープロもパソコンもインターネットもない1970年代はじめに購入したものです。

その当時大ベストセラーとなった 「知的生産の技術」梅棹忠夫著(岩波書店) に感化されて、給料の半分近くを費やして丸善に発注したものでした。

この「知的生産の技術」の内容は、目からうろこが落ちると思うほど新鮮で内容の一つひとつに納得したものでした。
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当時は日本語入力のタイプライターはなく、英文タイプのように「ひらがな」で日本語を入力できないかと考案されたものです。

同音異義の多い日本語にあって「ひらがな」入力は、言葉選びと「分かち書き」などに工夫が必要で、著作の中に石川啄木がローマ字で日記をつけるようになってから文章が見違えるようになったという記述に励まされて練習したことを憶えています。
目で見て分かる日本語から音で聞いて分かる文章というわけです。

今思えばかなり独りよがりの使い方で、年賀状、ハガキや手紙から結婚挨拶状までも「ひらがな」でタイプしていました。

結婚の挨拶状の原稿はこのタイプライターで作って業者に印刷を頼んだのですが、「ひらがな」だけの変った挨拶状としてウインドーにしばらく飾られたものでした。

しかし「ひらがな」だけの文章は漢字混じりの文章になれた世の中には受けいられず、このタイプライターも余り売れなかったようです。
そして時代が下って1985年に日本語ワープロソフトが発売され現在のスタイルになっていくのです。

きのう(7/6)の夕刊で、世界的な文化人類学者であり比較文明学の権威である 梅棹忠夫氏の訃報 が 報じられました。

若い頃は背伸びして多くの著作を読ませて頂きました。

今日は青春の思い出となった「ひらがなタイプライター」を取り出して氏のご冥福をお祈りしたいとおもいます。

合掌

江戸時代の天文学

伊能図を見ていると、測量線の中に赤い星マークがたびたび出現します。

これは伊能忠敬が天体観測した地点を示しています。また測量日記にも天測の有無を几帳面に記述しています。
一日の測量が終わりデーターを整理したのち夜間晴れていれ止宿先で天体観測したわけです。

毎日大変な作業をこなしながら測量を続けていたのですね。
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伊能図の天測マーク(府中の文字の左肩の☆印)

どのような天文観測をしていたのかを知りたいと思っていたところ、「江戸時代の天文学」という放送大学の公開講座があることを知り聴講してみました。(6/19)

場所は放送大学の附属図書館で自宅近くにあります。この図書館は学外者も利用でき蔵書も多く静かな施設で良く利用させてもらっています。

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この講座の講師は中村士(つこう)教授。今週日曜に地球に帰還した惑星探査衛星「はやぶさ」の可視カメラ開発担当者です。ジャガイモのような形をした「イトカワ」の写真には、その鮮明さにびっくりしたものです。

そして氏は「はやぶさ」が宇宙を7年も航行している間に国立天文台を定年退官して現在は帝京平成大学の教授になっています。「はやぶさ」の7年という時の流れを感じるエピソードです。

ところで講演の内容は鎌倉時代以前から明治初期までの日本の暦と天文学に関する系譜を概観したもので、特に権力者がたびたび改暦した理由が日・月食の予知にあったこと、予知するためには西洋の進んだ天文学と観測が必要であったことを述べられていました。

講演からは伊能忠敬が頻繁に行った天測の具体的な内容は分かりませんでしが、忠敬が地球の大きさを知るために緯度一度の正確な長さを追求した思いは伝わってきました。
(その1より)

3日目(2005.10.1)

民宿で昼食の握り飯を作ってもらい宿のおばさんに見送られて出発です。(7:30)
今日は大網(おあみ)峠を越えてJR平岩駅近くの姫川温泉に泊ります。

拡大したグーグルアースに塩の道のルートを描いてみました。険阻な峠道や姫川をよけて尾根を越える道の険しさが良く分かります。特に積雪期に撮影した衛星写真からは雪の「塩の道」がいかに大変なものであったかが想像できます。
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山口の集落を抜け左手に雨飾山につながる駒ヶ岳、鬼ヶ面山の岩峰をみながら峠道を登っていきます。
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やがてひときわ聳えたつ大杉が現われます。大塞(オオサイ)の神です。集落の入口にあって悪霊の侵入を塞ぐといわれています。往時積雪期に峠から降りてくるボッカにとっては良い目印になったことでしょう。
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やがて恐れていたハチと熊出没注意の看板がでてきます。草の道にはクルミや木の実なども現われ、大野集落で見た熊の写真が頭をよぎります。用意の熊除けベルをザックに吊るしホイッスルを吹き始めます。人間の存在を熊に知らせるしか方法がありません。

登り口の山口から約300メートル高度をあげて信越国境の白池に到着です。(9:20)
誰もいない国境の池は神秘的な静けさで夫婦の大蛇伝説にふさわしい佇まいです。
近くに雨飾山が迫ってきました。

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古い道しるべを訪ねて池の周辺を探索してみました。樹間の小径はGPSの測位も乱れがちです。

このあたり2万5千地形図をみると県境(新潟・長野)のラインが途切れています。今でも県境不明のままなのでしょうか。

左は角間池下道標で文政元年(1818)建立したもの。右松本街道大網 左中谷道横川と刻んでいます。

右の道しるべは現代風に見えます。

イメージ 9白池からさらに急登して角間池を経て海抜840メートルの大網峠に到達しました。(11:20)
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大網峠

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美しいブナの林間を抜けて大網集落を目指して下っていきます。

山道は整備され迷うことはないのですが、誰一人会うことのない道は寂しい限りです。

前方に後立山前衛の山並みが遠望できるようになります。雲の去来が速くなってきました。明日の天候が気になります。
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横川にかかる小さな吊橋を越えて大網集落に入っていきます。

集落を抜け姫川の右岸にくだるともうJR平岩駅はすぐです。

若い頃栂池からスキーで天狗原を越え蓮華温泉にツアーしたことがありました。3月の頃です。山小屋はまだ6メートルもの雪の中で屋根の一部がのぞいている状態です。小屋から雪のトンネルをくぐって露天風呂に行くと、其処だけ雪が解けて丸い空が見えていました。その蓮華温泉からこのJR平岩駅近くまでスキーでくだったことが思い出されます。

姫川を左岸に越えてJR平岩駅にでます。橋から上流を見上げると白亜の白馬大仏が目に入ってきます。明日はあの大仏の横を登って葛葉峠を越して行くのです。
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JR平岩駅を右見て大糸線のガードをくぐります。前方に姫川温泉が見えてきました。今日は糸魚川で予約した白馬荘に泊まります。

塩の道を歩くにあたってWebサイトをしらべていると素晴らしいガイドブックが見つかりました。この案内書には知りたい情報がすべて掲載されています。詳細な2万5千の地形図とそこに書き込まれたポイントは見事な取材力です。

早速出版元(白馬小谷研究社)に電話すると出たのは著者の息子さんの田中省三氏です。氏は現在塩の道ガイドとしても活躍されています。実はこの白馬荘は氏からご紹介頂いたものなのです。そのせいか夕食の膳は予想以上に満足のいくものでした。ありがとうございました。
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4日目(2005.10.2)

窓を開けると目の高さに大糸線が通過していきます。心配していたとおり今朝は雨になっていました。
宿の車で平岩駅の入口先の橋のたもとまで送ってもらい、ここから雨の中を歩き始めます。歩き始めは大糸線に沿って行きますが直ぐに右手を白馬大仏に向って登っていきます。
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白馬大仏を越えてを屈曲した道を登っていくと大トチ(葛葉の大栃)が現われます。中山道や甲州道中で出会った大トチと比べるとそれほどではありませんが、豪雪の中を生き抜いてきた厳しさを感じます。

葛葉峠に出ます。峠の茶屋は閉まっていました。(9:07)

小雨が相変わらず頬をうちます。
塩の道古道の下降路を探索してみましたが周囲は治山工事中で定かでありません。わずかにビニールテープのある踏み跡を見つけて蒲原温泉にくだります。
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下降直前に撮影したこの写真が、この旅最後の写真となってしまいました。カメラの電源がきれてしまったのです。5年前は一眼デジカメを使用していましたので、電源が切れたあとのカメラは防水シートに包まれた無用にかさ張る重い塊と化していました。

眼下に国道148号線が通る国界橋のアーチが見えます。塩の道は鉄橋の上の尾根を横切っています。
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国界橋で越後(新潟)から信州(長野)に入り姫川沿いに湯原にでました。落ち栗を拾いながら塩の道古道をたどり北小谷の道の駅にでて休憩しました。雨にも拘わらずここは観光客で賑わっています。
ここでリンゴを買い、ふたたび雨の中を歩き出します。風が無いのがせめてもの慰めです。

平岩から姫川左岸のJR中土駅までの塩の道はアップダウンの厳しい平地の街道歩きとは比べものにならない道です。
特に稗田山(ひえだやま)の大崩落記念碑のある浦川では雨のせいもあって濁った水が沢を流れ下り、時おり堰堤を落ちる岩の不気味な音が今でも記憶に残っています。

明治44年8月に発生した稗田山の大崩落は土石流が姫川を埋めて堰を作り、さらに堰が決壊して下流のすべての橋を押し流して日本海に達したと伝えられています。浦川を渡った先で72歳になってこの大崩落を取材した幸田文の文学碑があり、後世に悲劇を伝えています。

石坂から池原下の集落にでて今回の旅の終着としました。(15:44)

池原下からは急坂をJR中土(なかつち)駅に下り、無人の駅待合室でグショグショになった靴下を履き替え普通列車で大町に出ました。

今回の旅はオフシーズンの平日ということもあり、殆ど旅人に会うことはありませんでした。久し振りに単独行の緊張感を味わいました。5年前の情景がはっきり脳裏に残っているのも頷けます。

今回の最大の反省点はカメラのバッテリーの劣化に気付かなかったことと、予備バッテリーを用意していなかったことでした。また雨の中の歩行対策もこのことがあってゴアテックス仕様シューズの購入動機となりました。

次回はJR中土から千国街道を南下して青木湖まで進みます。
旅のはじまり

今から5年前、日本海に面した「糸魚川」から本州を横断して太平洋側まで「塩の道」をつないで歩いたら面白かろうと計画し、2005年9月末に歩き始めました。しかし、丁度その頃「旧中山道歩き」も同時進行中であった関係で「塩の道」は一時中断していました。その後伊能忠敬の測量ルートを歩く「房総沿岸歩き」「甲州道中」に夢中になって、ますます「塩の道」歩きが遠のいてしまいました。

今回、「甲州道中の旅」も終わり、「塩の道」を再開することにしました。

旅の前半は「塩の道」で有名な「千国街道」を歩きながら「北アルプスの景観」と「温泉」を訪ねながら「旧中山道」の塩尻につなげる旅。そして後半は、塩尻から「三州街道」−「伊那街道」とつないで太平洋側の豊橋(三河)に達する旅です。
これが実現すれば日本で一番長い日本海から太平洋までの「塩の道」ロングハイキングとなります。
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南北に本州を縦断する「塩の道」

今回計画したルートをグーグルアースに描いてみました。黄色のラインは既に5年前に歩いた区間です。歩く方法は1回2泊3日の旅をつないで歩いていきます。

また旅の前半の糸魚川から塩尻までのルートは伊能図(伊能忠敬が測量した地図)にはありませんが、塩尻から三河までの行程は伊能図を辿る旅になります。

今回のブログは前回歩いた糸魚川からJR中土駅までを回想したものです。(2005.09.29−10.02)

第1日目(2005.9.29)
初日はスタート点糸魚川へのアクセスと市内観光でした。
自宅を6時過ぎにでて東京駅から上越新幹線、ほくほく線、北陸線を乗り継いで10時には糸魚川駅に着きました。糸魚川は千葉から意外と近いです。

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姫川河口と親知らず遠望
この日は無理をすれば小網(おあみ)峠登り口の山口まで行けないことはなかったのですが、糸魚川の旅情に浸りたく駅前のビジネスホテルに荷物を置いたあと市内観光です。

まず最初に姫川河口を訪れました。塩の道はこの川を縫いながら南下していくのです。
初めて触れる日本海の水です。遠くに親知らずの断崖を望むことができます。

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姫川河口付近には上流から翡翠(ヒスイ)が流されて海岸に打ち上げられると聞いていましたので探してみたのですが残念ながら発見できません。
ヒスイはありませんでしたが河口の小石をひろって旅の記念としました。

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姫川港
河口から姫川港に回ってみました。糸魚川市内には石灰岩でできた黒姫山があって、デンカ(電気化学工業)や明星セメントなどで生産されるセメント製品が、港から積み出されています。船名の黒姫丸はこの山から付けたのですね。
隣接する漁港で釣り人と立ち話。姫川下流の根知谷に住んでいるといいます。リタイア後千葉の八千代市から移住してきたとのことで話が弾みました。

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大糸線のレンガ造り車庫と相馬御風生家
駅の裏側にまわると赤レンガの車庫(大正元年(1922)完成)が目に入ってきました。中には雪国らしくラッセル車も見えます。90年の風雪に耐えた見事な風格です。

右の家は早稲田大学校歌「都の西北早稲田の森に・・・」を作詞した相馬御風の生家です。意外と質素な生家でした。

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松本街道(千国街道)起点
明朝のスタート点も確認しました。東西に走る北陸街道から分岐して南下する松本街道(千国街道)の角に道路原標があります。往時は追分石(牛つなぎ石)がおかれていたと説明されています。

宿に戻る前に駅前の書店に立ち寄り「塩の道」関連の本を購入しました。旅に出て余裕があるときはできるだけ書店に寄るようにしています。地元ならではのローカルな本が見つかることがあるからです。

夕食後、天気予報を確認し3日目の宿(姫川温泉)を予約しました。

2日目(2005.9.30)
朝食前に海岸に出てみました。今はテトラポットで護岸されていますが、昔は沖合いに停泊した北前船からはしけで物資を陸揚げして内陸の松本方面に塩が運ばれたのです。
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早朝の日本海と北陸道

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いよいよ「塩の道」歩きのスタートです。
今日は糸魚川の白馬通り(千国街道)道路原標から歩き出し、大網(おあみ)峠手前の山口集落を目指します。
塩の道は糸魚川市内の住宅街を辿ります。朝が早いせいか通学途中の中学生と同行です。振り返ると水平線がだいぶ高くなり徐々に高度を上げていることが分かります。

市街地も抜け北陸自動車道の上を越えて美山公園にさしかかります。展望台からは明日越えていく大網峠方面が良く見渡せました。塩の道は左の丘陵につけられています。右手は河口近い姫川の流れ、左手奥に以前登った雨飾山がかすんでみえてきました。
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美山公園展望台から大網峠方面

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公園内には往時のボッカ(歩荷)像がありました。雪の深い時期には人の背で塩が運ばれたのです。平日のせいか殆ど人には会いません。
イメージ 16 イメージ 17ヘアーサロンやまぐち
丘陵の道を一旦下ってJRくびきおおの駅がある大野集落に出ます。踏切を渡っていくと「だんな取材ですか」と理髪店のご主人が声をかけてきます。そして自分の撮った写真を是非見ていってくれと店内に案内されました。

壁は四季の風景写真で埋め尽くされています。一番の自慢は姫川からねらった頸城(くびき)の山々の写真です。
驚いたのは人家近くまで出没した熊の姿です。これからの山道に緊張がはしります。

もっと驚いたのは、お別れした後に追いかけてきて缶コーヒーをくれたことです。通りすがりの旅人をおもてなしする素朴な気持ちに感激です。
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雨飾山遠望
塩の道はふたたび丘陵を辿るようになって中山峠を越えて仁王堂のある根知谷に下ります。ここからは根知川に沿ってかって関所のあった山口集落に向かいます。取り入れ真近かの田圃の向こうに「日本百名山」で有名な雨飾山が近づいてきます。

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イメージ 22 イメージ 23山口集落散策
今日の宿(民宿蛇橋屋)に一旦荷物をおいて集落を散策です。集落には塩の道資料館や牛つなぎの石、山口関所跡などの旧跡があります。
民宿は農耕器機やオートバイの修理業との兼業です。夕食もコタツでご家族同席で同じものを食べました。

(その2に続く)

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