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(その1からのつづき) 元名からは砂浜を歩く。 明鐘岬とはうって変わって快適な歩きだ。カミサンもほっとしている。 保田海岸に入る。(10:24) 砂浜から沖に釣り糸を投げ、キスを釣っている。 写真を撮らせてというと海水で洗ってから快く見せてくれた。 いつも釣り人は親切だ。魚体が輝いて美しい。 保田漁港を過ぎると道の駅が出てくる。 観光案内所に立ち寄る。 岩井袋(いわいふくろ)周辺の道の情報を聞くためだ。 係りの女性は子供の頃岩井袋の海岸を歩いたという。ひょっとすると磯伝いにいけるかもしれない。 小鯵の押し寿司 ここでご当地弁当の押し寿司を買う。(ジンタの押し寿司 @700円 ジンタとは小鯵のこと) 道の駅の隣に菱川師宣記念館がある。 保田(ほた)は「見返り美人」で有名な菱川師宣の生誕地。 (しかし見返り美人は展示していないらしいので入館はパスする) 道の駅からは国道を歩く。JR内房線が海岸線近くまで接近してくる。 国道を離れて亀ヶ崎を回ると黒松が美しい砂田(大六)の海岸に出る。 源頼朝の上陸地 プライベートビーチのような砂田の海岸から龍島(りゅうしま 伊能図では竜島村)にでる。 ここは源頼朝が合戦に敗れ安房に上陸した地である。(県の史跡となっている) 今日は湿気が多く対岸の三浦半島は見えないが前回のようにはっきり見えるとこの伝説も頷ける。 近くに浮島の岩礁が見えてきた。大黒山の縁をまわって安房勝山港に入る。 大長崎 先週日本地図センターで「アメリカにあった伊能大図」という書籍を購入した。 この中に安房勝山付近の細かな測量の線があるのを見つけた。 これによると勝山から岩井袋までの測線が途切れていることが分かった。 入り組んだ岩礁が測量を阻んだようだ。今回、ぜひその様子を確認してみたいと思っていた。 釣り船が次々と帰ってくる岸壁の先端まで行ってみた。 近くにいた漁業関係の人に大長崎の様子を尋ねてみると、こころよく案内してくれた。 2万5千地形図の大長崎とある地点で堤防に上がって眺めてみた。 切り立った崖が行く手を阻んでいる。 案内してくれた人の話では昔は磯の崖に沿って踏み跡があったが、今はわからないと言う。夏の大潮の時期なら磯伝いにいけそうな気もする。 漁港からトンネルを抜けて勝山の中心に出る。 鯨のたれ 勝山の町に入ったところで街の人が笑みを浮べて近づいてきた。 地図を見ながら歩いていたので名所を解説しようと話しかけてきたのだ。 房総珍味のクジラのたれ(天日干ししたクジラの肉)についてたずねると、たれは焼き過ぎないように少し炙ってマヨネーズをつけると美味いという。近くの魚屋で早速もとめた。 帰宅して早速賞味してみた。 色は黒く熊胆(くまのい)のような感じ。味は珍味というより普通に美味い。くせは無い。もちろん魚類ではないので哺乳類の肉の感じである。 子供の頃に給食に出た食感が蘇ってきたが、味は思い出せない。 鯨塚 安房勝山は沿岸捕鯨の発祥の地。 江戸の初期に初代醍醐新兵衛が始めた。新兵衛の名前は勝山では知らない者はいない。勝山は捕鯨で栄えた。 浮島の北側に回遊してくるツチクジラを鯨見の山(大黒山)から見つける。知らせを受けると舟を漕ぎ出してモリ竿で突く。 モリ竿の先には銛が付いていて突き刺さると先端が外れ、鯨の内部で回転して抜けないようになっている。 更に銛には綱(つな)がつけられていて、その先に網(あみ)が結ばれている。網(あみ)を引いてもがく鯨はやがて弱り、最期に心臓をめがけて止めのモリを打つ。 浜に上げられた鯨は出刃組によって解体され、捨てる部位がないまで利用される。 この鯨塚は出刃組によって鯨の供養と豊漁を願って祭られたもの。 鯨油だけを目的に捕鯨してきた欧米とは違うことを世界捕鯨委員会(IWC)は理解して欲しいと思う。 岩井袋(いわいふくろ) 集落入口のトンネルを抜けると山に囲まれた巾着(きんちゃく)袋のような小さな入江が現われる。 その名も岩井袋。伊能忠敬はここの複雑な地形を丹念に測量している。(伊能大図) 伊能忠敬は磯伝いに岩井袋から測線をのばして行ける所まで行って引き返している。 測量日記には「・・・勝山岩井袋にて海は行詰とす」と記されている。 富山 岩井袋を抜けて岬をまわると双峰の富山(とみさん)が見えてきた。 江戸後期、曲亭馬琴が執筆した長編読本「南総里見八犬伝」の舞台となった山である。(八犬伝では富山は「とさん」とルビがふってあった) まだ子供がまだ小さかった頃、家族でこの山に登ったことがあった。 麓には伏姫と八房が隠れた洞窟があった。もちろん八犬伝はフィクションであるから観光用。 そしてその中に仁・義・礼・智・忠・信・考・悌の八つの文字が書かれたボーリングの玉が転がっていたのを思い出した。 八犬伝の世界 実は今回のウオーキングの前日(10/21)、千葉市美術館で開催されている「八犬伝の世界」を観賞してきた。 浮世絵の中に、もしかしたら南総の景色があるかと期待したからだ。 期待は外れたが、展示されていた106冊の原典や多数の浮世絵に圧倒されてしまった。奇想天外な筋書きと挿絵によるストーリーの展開は現代のサブカルチャに影響を与え続けている。精緻な浮世絵も驚くばかりだった。 南無谷崎遠望 対岸に次回歩く予定の南無谷崎が見える。 国道127号が開通する前は山麓の市部(いちぶ)から館山に行くには、木の根峠越えか小浦から南無谷峠を越えて行かなければならなかった。 今ではJR、国道、館山自動車道とも隧道を抜ければ難なく行ける。 しかし、歩行者にとっては明鐘岬通過と同様に今でも難所である。(二つの隧道には側道がないらしい。それに長い) 岩井海岸 賑わった海水浴シーズンも終わり静かな砂浜を歩く。(15:06) ここには多数の民宿や企業や学校の臨海施設がある。カミサンもコーラス合宿で何回も訪れている。 カワセミ 岩井川の河口まで行き今日はここが終点。河口から折り返して川沿いに岩井駅に向う。 途中、チィーと鋭い鳴き声を残してエメラルド色のカワセミが河岸の排水管に飛翔したのを見た。上げ潮にのってきた小魚を狙っているようだ。(排水管上部) 対岸からはズームでこれが限界。近づいたら飛び立ってしまった。 15:52 JR岩井駅に到着 16:29の千葉行きに乗車する。 今日の歩行距離はGPSログで21キロであった。 幕張(スタート)から岩井まで伊能測量隊の足跡を追ってきた。 この間延べ12日間を要した。 今年中には房総半島の南端(野島崎)に到達する目途がでてきた。
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