旅は道づれ風吹くままに

ロングハイキングと地図と写真が好きなシニアです。

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七月朔日、朝六ッ二・三分頃大地震(*1)。六ッ半後岡本村出立、此日晴曇。此入海を鏡ヶ浦という。多田良村、此海辺岩石多て大難所、川名村、那古村に七ツ頃着。止宿那古観音。坂東三十三所札納所、那古寺領三百石、百姓百軒。正木村、湊村、八幡村、長須賀村、館山、洲崎村、田良村、岡本村、船形村、川名村役人見舞に来る。此夜晴て測量。

以上は伊能忠敬測量日記の旧暦七月一日の記録である。

今回(11/30)は、前回終点としたJR富浦駅(岡本村)から歩き始め、忠敬の止宿先西方寺に立ち寄ったあと大房(たいぶさ)岬を巡って次の止宿先那古寺(那古村)を訪ねる。最後に北条海岸に沿って館山(北条村)に至る忠敬ゆかりの地めぐりの旅である。

(*1)なお、この大地震は日本地震学界の日本被害地震年表によると、震央N35.3° E140.1° 上総:久留里城の塀など破損、民家の潰れるもの多し。江戸で有感。とあるから止宿先岡本村(富浦)に近く、かなりの被害があったと考えられる。
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いつもの通り早朝自宅を出て乗換えのJR千葉駅に向う。

途中、稲毛駅構内の線路に乗客が立ち入ったことで電車が緊急停止し、その影響で館山行きに乗り遅れてしまった。

結局JR富浦駅を1時間おくれの10時から歩き始めるはめになった。

駅からすぐ国道127号に出て400mくらい南に行くと浄土宗西方寺がでてくる。

寺の誰かが外にいれば伊能忠敬について尋ねてみようと思って門をくぐったが、誰も居ず写真を撮っただけですぐ多田良(ただら)北浜海岸に向う。

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浜に出ると風があって白波がたっている。しかしあまり寒くはない。

大房(たいぶさ)岬の右に雪をかぶった富士山が迎えてくれる。



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大房岬の崖の様子を見るために富浦漁港の西の堤防の先まで行ってみた。


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−どのようにしてこの高さ80m余の大房岬を測量したのであろうか。

とても磯伝いには行けないと思われる。あるいは大潮の時間帯を狙って測量したのであろうか。

測量日記には、 此海辺岩石多て大難所 とあるのみ。

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漁港を離れて岬に通じる自動車道路を登って行く。

今日はなぜか足が重い。かなりの勾配で息が切れる。

途中、二等三角点(多田良79.5m)を探索してみたが見つけることが出来なかった。

GPSの測位で10m近い範囲を特定したのであるが残念ながら発見できない。
付近には携帯基地局のアンテナや浄水場設備などがあった。

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岬先端の第一展望台、第二展望台、洞穴を廻ってみた。

50m近い断崖が岬を取り巻いている。岬先端の増間島(42m)の断崖はすさまじく切り立っている。

測量のスピードの速い忠敬一行であるが、さすが大房岬には難儀して岡本村から近い那古村に足を延ばすのが精一杯であったようだ。

展望塔にも登ってみた。洲崎の右に笠雲をいただいた伊豆大島の三原山がはっきり見える。写真では判別できないが利島も大島の左に空に溶け込むように見える。富士も一段と大きく箱根の山の上にそびえている。
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近くには戦争遺跡として探照灯格納庫が残っている。近くに発電施設の跡地もあり当時としては高性能のものであったようだ。

黒船来襲以来、岬は修験道から首都防衛の基地に、そして現在の海と山の自然教室のあるリクリエーションエリアに移り変わった。

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大房岬に別れをつげて多田良(ただら)西浜に下りる。

この砂浜は歩きにくい。波打ち際でも足が砂に取られる。今まで色々砂浜を歩いてきたがここはずい分違う。砂の粒子が粗いようにみえる。

正面の小高い山は堂山(船形山)。崖ノ観音が中腹にある。

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大房(だいぶさ)岬は伊能大図では大房不動と岬、明治初期の迅速図では大武岬、大武佐不動と書かれている。

どこに不動尊があるか探しているなかでこの瀧淵神社を知った。

もともと大房岬にあったものが首都防衛上から帝国陸軍が岬の要塞化のため岬を買収し、それによってこの地に移ってきたものらしい。境内にはそのとき移設された石造群が多い。


役小角(えんのおづぬ)の石像と説明が面白かった。超人が伊豆に流されるというのも不思議だし、自由に飛び廻るのも羨ましい。
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石造の中には2組の男女性器像もあった。大武佐不動との関係は分らないが、縄文の昔から男女の交接は人間的な産育の力を五穀豊穣の願に結び付けた信仰でもある。内房の沿岸歩きで神社を数多く訪ねたが初めての出会いであった。

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船形には堂山(船形山)中腹に崖ノ観音(大福寺)がある。登ってみると眼下に館山湾(鏡ヶ浦)が広がり、遠く伊豆の山も眺望でき展望がすこぶる良い。

館山は伊能図ゆかりの地である。1861年日本近海の測量にきたイギリスの測量船アクテオンの艦長に幕府士官所持の伊能小図が手渡された舞台となった。

攘夷の吹き荒れるなか摩擦をさけ伊能図を手渡したのである。そして艦長は伊能図の正確さに驚き測量を取りやめたといわれている。

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崖ノ観音から海岸に戻る。

船形漁港近くでイソヒヨドリ(♂)がテトラポットを飛び移っているのを見かけた。

沿岸を歩いていると時々出会う。

前回出合ったときは特徴ある良い鳴き声でそれと気付いた。
自作の撮影台を使用して双眼鏡+デジカメで撮影する。


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伊能忠敬が止宿した那古寺(坂東三十三所札納所)を訪ねてみた。
海岸から内房線を越えたところにある。

伊能大図では那古寺まで海岸から測量の枝線が伸びている。

大房岬の大仕事を終えて意気揚々と緩やかな登り坂を測量しながら宿に入った様子が見えてくる。
(と勝手に想像してしまうのも実際に現地を歩いてみればこそのこと)

16:34 北緯35度を越える。伊能中図では黒いラインで示されているところだ。

忠敬は那古寺で夜間、天測をしている。北緯35度を実感したことであろう。

洲崎(すのさき)に陽が沈もうとしている。灯台の灯りも見える。伊豆の天城山も手に取るようだ。

16:52 館山駅にたどり着く。夕闇がせまってきた。ほんとうに陽が短くなった。

次回からJRラインを離れて房総半島最南端を巡る旅になる。駅前の案内所でアクセスや復路でお世話になるバスの時刻表を入手する。

今回の累積移動距離はGPSログで22.4キロであった。
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