旅は道づれ風吹くままに

ロングハイキングと地図と写真が好きなシニアです。

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(その1から続く)

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弁天島から堤防を戻り往還にでる。

磯村の旧街道は懐かしい一昔前の風景が残っている。

磯村は江戸時代年貢米の積み出し湊であっただけに往還の佇まいに歴史を感じる。街道沿いに寺社も多い。

角に「國札拾八番」と彫られた石碑のあるところから横道を入って 石見堂 を訪ねる。


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ここ石見堂には二代目 波の伊八 の作による龍の彫刻がある。

伊八は、あの 葛飾北斎の富嶽三十六景の一つ「神奈川沖浪裏」の大波のもとになった波の彫刻で知られている。

あのストップモーションの大波と波間の富士の驚くようなダイナミックな構図に影響を与えたとは、伊八さんは凄い。

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石見堂からは民家の屋根越しに仁右衛門島が遠望できた。

往還の旅人はここに寄って、素晴らしい眺望を見て疲れを癒したのだろう。

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往還に戻り「万騎坂」を下っていくと

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左から 妙昌寺の「オーニョウサマ」に睨まれた。

仁王門前には沢山の古い錨(いかり)が置いてあった。

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妙昌寺隣の 金剛院 には数々の石塔が並んでいる。

この石塔は 勝負事にご利益があるという。それで笠などの部分が欠けている。博ち打ちが掻いて持っていったのだ。

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時刻は午後4時少し前。加茂川を渡る。

今日は安房天津まで行く予定であったが難しそうである。計画を変えて安房鴨川で終点とする。

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列車の待ち時間があったので、河原地蔵のSさんが教えてくれた 観音寺 (駅の北側)に「房州列女 畠山勇子」の顕彰碑を訪ねた。

観音寺はSさんのお寺(西徳院・善光寺)と同じ宗派であり知り合いという。

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みなさんは歴史の教科書にも出てくる「大津事件」を憶えているだろうか。

1891年(明治24年)ロシアの皇太子が滋賀県大津で暴漢に襲われ、日本中を騒然とさせた大事件だ。明治天皇も謝罪と見舞いに京都に行った。

日本中がロシアに宣戦布告される、領土を割譲されるなどの噂が飛び交うなか、

ここ鴨川市横渚(よこすか)出身の「畠山勇子」は御国のためと京都府庁に駆けつけロシアや日本政府に宛てた嘆願書を投函して府庁前で自害をする。

その時彼女は27歳。これがセンセーショナルに報道された結果かどうかは分らないが、ロシアからは何の報復も賠償請求も無かったという。

畠山勇子の実際の墓は京都の末慶寺にあり、ここにあるのは顕彰碑である。

写真の石碑は先年 旧中山道 を歩いたとき 大津宿で「此附近露国皇太子遭難之地」の碑に出会い撮影したもの。

お雛様の時季になると、ここ観音寺では勇子が子どもの頃遊んだお雛様や釣るし雛が飾られ公開されるという。

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安房鴨川駅から17:56の千葉行きに乗り、JR外房線で帰る。

今回の歩行距離はGPSログで19.6キロであった。

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